久々の吹雪の登場で、少しこの物語の本筋に沿うものになっていきます。
「―――――
薄暗い部屋。こちらを見下ろす多くの席。正面の席に座るのはよく見る顔だ。
今日はいつものような高そうなスーツではなく、黒い生地にいくつもの勲章が取り付けられて煌びやかに見える軍装。「元帥」を表す階級章から滲み出る威厳は自ずと背筋が伸ばされる気持ちではあるが、今のこの場ではそんなものは緊張に紛れて忘れるほどだった。
緊張とか言う奴が背中に金属製のものさしでも差し込んだのかと思うほどに、ひんやりと駆ける汗と、ピンと伸びる背中。張り付いているかのように両手は太ももに指先まで伸びて当てられていた。
漫画の世界だけと思っていたが、軍の上に立つ者はこんなに怖い顔をしているのか。
そんなことさえ思えるのが、御雲
どんな遺伝子操作をしたら、好青年の月影さんや、叢雲ちゃんが生まれたのか。本当に謎だ。
「私は、横須賀鎮守府所属、吹雪型駆逐艦1番艦《吹雪》です」
腹の奥から言葉がスッと流れ出た。意外とはっきりと通る声が出たので自分でもびっくりしている。誰かに首を絞められているかのように、緊張で息苦しいのに。
「駆逐艦……其方は人間より生まれた艦娘であり、元の名を『
「はい……」
「なるほど。人間より生まれ、そして駆逐艦に余る性能。報告が全て嘘偽りなき真であれば、まるで」
「まるで、先代の《叢雲》のよう……ですな」
御雲防衛大臣の言葉を割って入ったのは、この重苦しい場で唯一和装をしている細身の男性。長い髪を後ろで束ねているらしいが、和装に深い皺の刻まれた顔から放たれる鋭い視線には、目を合わせればすべてを見抜かれてしまいそうな気がする。
この男性は、
かなり深く響く声が印象的だ。しかし、睨まれると蛇に睨まれた蛙のようになってしまう。
「未知の敵に混乱する戦場に颯爽と現れ、荒れ狂う波をも翻弄し、黒鉄の軍勢を薙ぎ払う姿は神の剣を振るう戦乙女。かつての英雄が如きその姿、この時代に再び蘇りし災厄に呼応するかの如く表れた海の女神、その力を持つ少女。まさに、伝説の復活に相応しい」
褒められているのか、貶されているのか、無表情だし目は怖いし、全く分からない。この人怖い。
「やや、凛々しさに劣りますがな。どこにでも居そうな田舎娘、ひと睨みで戦艦さえ従わせたと言われる先代の叢雲の如き威厳には及びませぬな」
そう明るい声で口を開いたのはやや小太りの禿げ頭の男性。白い髭をたくわえており、てかりのある頭と陽気な笑い顔はやや愛嬌のある面立ちだ。実際に会ってみてもテレビとあまり変わりない印象で少し安心した。
まあ、言っていることは完全に私の魅力がないとかいう話だろうが、笑顔でずばずばとものを言うのがこの人だから仕方ない。
「なに、語り継がれているだけの事。それに既に英雄として祀り上げられている者と比べるのは分が悪いというもの」
その言葉を度が過ぎない程度で押さえるためか、やや強めに御雲防衛大臣は言った。
「それにこの者の外見を我々は見るためにここにいるのではない。この者の真価を問うために集まっている。そして、其方の知る全てを我々が知るため」
ギロリとこちらを見た目と目が合ってしまい、背筋に殺気に似た感覚が走り抜けてぶるぶると肩を揺らした。
「駆逐艦《吹雪》、先の時代には我々は確かに艦娘の力により平和を得た。しかし、再び先の時代を追う今日。時の習わしに従い、我々は君をいち軍人同様の扱いとする。艦娘を極度に神格化などしない。容赦もしない。よいな?」
鏡参謀の強い言葉に頷かざるを得なかった。断るか無反応だと多分殺されていただろう。
そんな殺気を言葉に込めて放つ人間など、今まで会ったことはない。
「これより其方は偽りなくすべての質問に答えてもらう。ひとつも虚言を吐くな。この国の未来を左右する」
念を押すように御雲防衛大臣がそう言った。
「わ、わかりました」
唾ひとつ飲み込みづらい。
なんて重苦しい空間だ。まだ口を開いていない大勢の人たちもこちらを見下ろしている。その視線が全てこの身体にのしかかって重たいのだ。しかも、ここにいる人間たちは上の人間たちだ。陸海空軍の上層部から、内閣の大臣や事務次官。都の知事もいれば、多分あれは警察庁長官のような人もいる。
あぁ、恐ろしい。今までしてきた些細な悪戯でさえとてつもなく大きな罪悪感に成り果ててここで全て懺悔したくなる。
「では、座りなさい。女子と言えど容赦はせぬと言ったが、疲れて口が開かなくなっては困る」
と御雲防衛大臣が言うと、座りごこちの良さそうな椅子を女性の方が持ってきてくれた。膝をガクガク震わせながらゆっくりと腰を下ろす。ふわりとクッションが沈み込んで、思わず深く息を吐いてしまった。
「さて、最初に――――――」
御雲大臣がそう口を開いたときだった。
「――――おっと、私は呼ばなくてもよかったのかね?」
そこに居る者全てを嘲笑うかのような軽やかな声が響いた。
いや、実際この人は人間と言うものを見下しているだろう。そんな感じは少し前からしていたのだが、関係なく私に力を貸してくれるから敢えて追及はしなかった。もしかしたら、私たちのような艦娘はやや特別なのかもしれない。
「……忘れていた訳ではない。そもそも、駆逐艦《吹雪》に着いてきているものと思って話を進めていた」
「そうか。それは結構。では、私からまずひとつ言わせてもらうが、諸兄がこの少女に問おうとしていた事ほぼすべて。この少女は存じ得ぬことだ」
私の肩の上でその人はそう言い放った。当然、会場はざわめくが御雲防衛大臣は眉ひとつ動かさない。
「どういうことだ……?」
そう問いかけたのは、鏡参謀だった。
「簡単なことだ。彼女が知っているのは彼女の事のみ。そして、諸兄が隠していること以外の全て。求めているものを自ら隠しておいて、他社にそれを求めるとは滑稽な」
そこまで言って、ふぅ……と一息吐くと私の膝の上に飛び降りる。
ちらりと振り返った時に、にんまりとつり上がっていた笑顔は少しだけ怖かった。
「全てを闇に包もうとした自らの祖先を憎め」
強い口調でそう言って見せたのだ。なぜか関係ない私が恐怖で身体が震えてしまった。
「あ、あの……妖精さん」
小さな声で妖精に呼びかける。やや不満そうな顔で妖精は振り返った。
「ん?どうかしたのか、吹雪」
「いや、その……あまり私はこの方たちに対して立場が言い訳でもないので、できれば……その……お、穏便に、もう少し語気を抑えて」
「あぁ、いいのさ。私はこの者たちに比べて圧倒的に立場は上なのだからな」
そうしたり顔で言うものだからそれ以上何も言えない。
「え、えぇ……」
「にしても、見てみろこの者たちを。吹雪、みな君と同じものたちだ。これだけしか残っていない、と言うよりかこれだけ残っていることに私は驚いているがね」
妖精の言葉に私は顔を上げた。まあ、さっきまでとあまり変わらない光景だが、1人1人の顔をよく見てみてもやはり何も変わらない。強いて言うならば、妖精がぶち壊したこの場の雰囲気のお陰で少しだけ怖くないと思える程度だ。
「私と同じって……」
「そこの《叢雲》の子孫。ここにいるのは全て彼女たちの子孫なのか?」
「……その通りだ。全てではないが」
「と、言うことだ」
「へぇ……えぇぇぇ!?!?」
にやりと笑って私を見る妖精。あぁ、なるほどな、と思いつつも私は思いっ切り驚いた顔で声を上げてしまった。
そしてさらににやりと笑う妖精。
この野郎、私が驚くのを分かっていてあえてやりやがったな?
「では、私が答えよう。今日は私は喋りたい気分なのだ。何でも訊いてこい。あの娘たちの子孫たちよ」
私の膝の上で腕を組んで堂々と仁王立ちする妖精。
なんというかどんなポーズをしても小さいので可愛らしいというか、まぁ様になる訳でもないのだが、こんな時は少しその後ろ姿が頼りになる。
うん。
ねえ、この場に私って必要かな?
*
さて、横須賀と言えば、海軍の街。神奈川県横須賀市にある軍港だ。
そんな印象を持つ人も多いだろう。西の呉、東の横須賀。軍の拠点として、そして工廠として多くの艦を携え、多くの艦を生み出してきた正真正銘の海軍の本拠点。
大本営のお膝下。艦隊司令部が置かれ、戦時中は北方に至るまでの広い海域を護るための拠点として存在していた。
2次大戦後も海の守り人、東海の守り手、としての存在は大きく、海上自衛隊の総司令部があったり、近くには士官候補生を育成する防衛大学を設けたり。海自の街として、海軍時代の名残を少し感じさせる場所だ。
これが艦娘史になるとやや扱いが厄介になるのが、なんと艦娘史において横須賀鎮守府なるものは『2つ』存在してしまうのだ。なんて面倒なことを、と思うがこれにはちゃんとした理由がある。
深海棲艦との戦闘、更にはそれに対抗する艦娘の出現。
島国である日本は四方八方を海で囲まれているために、海と言う戦場においてかなり苦しめられていた上に、あちこちで起こる戦闘、被害、作戦に度々混乱するようになった。今まで組み上げられてきた体制は全て、現戦力でなんとか対抗できる敵が現れた時に、それに対抗するためのシステムであったが、深海棲艦に対抗する武器なんて当初世界の人間は持っていなかったのだ。一方的に攻められて逃げていただけだ。
そのシステムの再構築をしている間に生まれてしまった艦娘たちの指揮系統はほとんど独立せざるを得ない状況までに当時の日本は苦しめられていたのだという。
ちなみにだが、海岸から50㎞以内には関係者以外立入禁止という戦況だった。当然、港町などは撤退せざるを得ない状況であり、海で生計を立てていた者たちに大打撃を与えることとなった。
さて、当時の上層部だが、あまり艦娘を信じていなかった。
よくある話だが、得体のしれない存在が自分たちの敵を倒したからと言って、完全に信用を寄せる政治家や上層部の人間は少ないのだ。戦いはするものの、やや厄介者扱い。それが提督と艦娘の扱いだった。
結果どうなったかと言うと、この世界で最初に造られた鎮守府『第1号鎮守府』はなんと横須賀ではない場所に建てられたのだ。
もっと分かりやすく言うと、横須賀付近の住民がいない良さそうな港町にだ。
もうお分かりの方もいるだろうが、この港町が私こと《吹雪》が生まれ育った町だ。
最初は鎮守府と言うよりかは、ちょっとした施設みたいな建物だったという。当時の写真を見ると公民館みたいな場所でちょっと驚いたのはいい思い出だ。
では、横須賀では何が行われていたかと言うと、残存している艦艇の基地だった。イージス艦や護衛艦は僅かながら残っており、それを指揮、修復する場所を横須賀として利用したのだ。
これが、横須賀にない『横須賀鎮守府』の誕生秘話である。
ちなみにだが、『第1号鎮守府』に倣って艦娘の拠点は「第○号」の形で呼ばれるようになった。場所などを分かりやすくするために「第○号□□鎮守府」と地名を添えていう人もいたり、いなかったり。
その後、艦娘たちは着々と戦果をあげていき、徐々に町にも人が戻ってくるようになった。
時には敵の空襲を受けたり、上陸されたり、砲撃されたり、そんなこともあって元の姿ではなかったが、戻ってきた人たちはかなり艦娘たちに感謝したらしい。
そして、自分たちの壊れてしまった家などは後回しにして、お礼にと大工や船乗りたちが手を合わせて、立派な建物を次々と作っていった。
こうして後の激戦の時代を支える『第1号鎮守府』が完成したのだ。
その意に背かぬように艦娘たちは一層懸命に戦うようになり、そんな彼女たちを町の人々は喜んで出迎えた。傷ついて帰って来た時には協力して彼女たちを入渠ドックまで運んであげたり、夜中には漁火を灯して彼女たちに明るい町の場所を示してあげたり、偶には羽目を外して彼女たちを主役にした小さな祭りを開いちゃったり(後に鎮守府祭として全国に広まる)。
日本で最も、市民と艦娘たちが触れ合い共存してきた町として、多くの艦娘たちの足跡が遺された場所となった。
一応、明確に言及しておくが、横須賀鎮守府は1つしかない。
横須賀にある海軍拠点が『横須賀鎮守府』であって、『第1号鎮守府』はあくまでも『第1号鎮守府』なのだ。どの文献を見ても『第1号横須賀鎮守府』と書かれることは一切ない。
他の鎮守府から第1号鎮守府に来た艦娘たちが「横須賀鎮守府の近くにある第1号鎮守府」や「横須賀のお膝下の鎮守府」と呼んでいたせい。もしくは「横須賀と言われてきてみたが、実際には横須賀にはなかったけど、多分横須賀の近くにある艦娘の拠点だから横須賀鎮守府」と適当なことからそうなったのかもしれない。
正確には『第1号鎮守府』。でも、語り継がれる中で艦娘の拠点として第1号鎮守府は『横須賀鎮守府』。
これが2つの横須賀鎮守府を作ってしまった訳なんじゃないかなぁ。
さて、地元だからちょっと長く話しすぎたが、『第1号鎮守府』は戦後撤去されることになり一部だけが記念館として残された。撤去された理由は「損壊が激しかったから」なのだが、それほど大きな損壊が出るような歴史はどの文献にもないのだ。
艦娘史7不思議のひとつである。
そして、横須賀にある横須賀鎮守府にやってきて1週間が経つ。
朝日が東の空を徐々に白くして行き、夜が徐々に開けていく。海から少しずつ顔を出していく太陽がまた新たな1日を町に告げる。
爽やかな潮風に頬を撫でられながら、軽やかに足を進める私は――――
「吹雪っ!!ペースが落ちてるわよ!!」
「ぜぇ……ぜぇ……は、はいぃ……ぜぇ……」
嘘である。軽やかなんてものではない。朝から死にかけている。
「ほら!あんたはスピードはあるけど、持久力はないんだから死ぬ気で走りなさい。死に目見た分だけ身体は死ににくくなるのよ!」
力強く前から私を呼ぶ声は、励ましているのか、死ねと言っているのか分からない。
確かに私は足は速いけど、そんなに長い距離を走るのは苦手だ。
勉強もどちらかと言えば、短期決戦派。毎日短い時間に集中して勉強して効率よくやるタイプだったと思う。趣味に関しては別だったが。
止まりかけた足をなんとか前に踏み出して、ゆっくりと背筋を伸ばしていく。少しペースを落としてくれた叢雲ちゃんに追いついて、並走しながら海岸線を進んでいく。
「で、でもさぁ……朝からこんなに、走っても、私はぁ……」
「何?あんただけ朝食腹の中に突っ込んだ後にやる?」
ギロリとこちらを睨む叢雲ちゃん。視線に殺気を込めまくっている。
「……ごめん、訂正するね。朝のランニングは気持ちいなぁ」
あぁ、お父さんお母さん。口から徐々に魂が抜けていくのが分かります。でも、人間って不思議です。こんなに毎日無理しても死なないんです。丈夫な体をありがとう、お父さんお母さん。
「ペース上げていくわよ。他の子たちはずっと前にいるんだから」
他の3人は涼しい顔して走っていってたなぁ。
あんな小さな身体なのにどこにそんな気力隠してるんだろう……あぁ、毎日やってたのか、これ。自己解決したよ。
「はぁい……」
「次、気の抜けた返事をしたら、あんただけ午前の訓練3倍よ」
「はい!叢雲司令駆逐艦殿!!」
「よろしい。2倍で許してあげるわ」
そう言いながら楽しそうに笑う叢雲ちゃんはきっとドSなのだろう。
知りたくなかったよ、親友のこんな1面。
「艦娘は人の形をしている以上、人の行う動きに戦闘を束縛される面が多いの。それは大きな利点でもあるけど、欠点だって生じてくる。人ひとりで多くの事を同時に行わなければならない」
私の隣を走りながらまだ息を切らす様子も見せない叢雲ちゃんは言った。
「だから、精神力と集中力を持続させる体力がいる。柔軟に考える頭も、機敏に動ける身体も、どんな状況にも対応できる技術も要る。今まで吹雪が経験してるのは行き当たりばったりの戦闘。長期的、段階的な攻略作戦に参加すれば、あなたの体力のなさは欠点になるわ」
「うーん、まだやってみたことないから上手く理解できない……」
「いつか時が来るわ。その時までにあんたが足りないものを補えばいいのよ。無論、私が無理やりにでもその身体に刻み込むけど」
「……お、お手を柔らかに」
ちなみにだが、叢雲ちゃんの行っている訓練は100年前から受け継がれてきた、とある軽巡洋艦娘が遺したものらしい。今日まで吐かない日はなかったほどに辛いのだが、いったいその軽巡の方はどんな精神でこんな訓練を思いついたのか。謎がさらに増えていった。
*
「……ねえねえ、ブッキーってさ」
ピンク色の髪をした少女が隣に座る青い長髪の少女に話しかける。
今は2人とも髪を後ろで1つに結んでおり、制服ではなく動きやすい運動服に着替えていた。
「はい」
「海の上じゃそれなりに動けるけどさぁ、陸の上じゃ全然ダメだねぇ」
「……みたいですね」
一瞬、なんと返すか迷った素振を見せながら、青髪の少女は肯定した。
「――――っ、わふっ!!くぅ……」
2人の目の前で私はくるりと宙を回った。そのまま、背中から畳に叩きつけられて一瞬意識が飛びかけた。
「……ふぅ」
「そこまで。電の勝ちよ。吹雪、いい加減まともに受け身くらいとれるようになりなさい。死ぬわよ」
「まだまだ、隙だらけなのです。電でも勝てるのです」
「うぐぅ……」
今日の訓練メニューは午前に陸上訓練と海上での艦隊運動、お昼を挟んで砲撃訓練、雷撃訓練を軽く行い、今やっているのが近接戦闘訓練だ。
「早く立ちなさい。今日は電から一本とれるまでやめないわよ」
「当然、負ける気はないのです!」
「こっちはまだ初心者だよぉ……」
なにか流派がある訳でもないみたいだ。主に護身術が中心になってきて、いかに少ない手数で敵を抑えられるかがポイントらしい。艦娘も武装さえなければほとんど少女と変わりないからだ。
CQCとは少し違う感じがあるが、容赦なく急所を狙う訓練もするし、関節決めるだけじゃなくて骨を折る訓練もする。
そんじょそこらの軍人よりシンプルな殺意に満ちた訓練で、情け容赦も人情もない。
こんな訓練は先代の頃から行われていたと言う。理由は海外の特殊諜報部隊による艦娘の拉致が発生しかけたからだ。加えて、初期の日本では艦娘の武装に制限が駆けられて特定の条件下でない限り武装の許可はされていなかった。
「艦娘の特例的正当防衛に関する法令」が制定されるまで艦娘はかなり無防備だったのだ。
より効率的に、より省力で、技術、筋力、体格などのハンディキャップを関係なくする近接戦闘法が考えられた結果、かなり血生臭いものが生まれた。簡単に言えば「殺られる前に殺れ」ということだ。
極端なのは「そもそも、艦娘が一般人に接触するのがおかしいため、例え相手が軍人ではない一般人であったとしても、艦娘によって起こった殺人行為などは全て正当防衛に該当する」などと言った主張だろう。機密事項に触れた者は全て消せ、という軍事政権時代の名残を感じる。
まぁ、歴史上艦娘が一般市民を攻撃したことは記録上は残ってないんだけど。残るはずもないか。
「……ぶへぇ」
そしてまた投げられる私。自分よりも小さな子にこうもくるくると投げられると流石に複雑な気持ちになってくる。
恐らく合気道の一種だろう。私はそんなに武術とかに詳しくないので推測しかできないが、電ちゃんから何かを仕掛けてくると言うよりかは、躍起になっている私を利用してほいほいとされている気がする。
まだ、殴る蹴るしてくる他の3人よりは穏やかだが、簡単にやられてしまっている私の心境は穏やかではない。
てか、これ私に勝てる要素あるのか?
まぁ、電ちゃんも達人という訳でもないし、私より早く叢雲ちゃんに戦い方を叩き込まれているだけの差なのだから、何か私でもできることがありそうな気もするが。
「吹雪、ちなみに電は木刀持たせたら他の2人より強いわよ」
「錨より軽いから簡単なのです」
おっかない。
結局その後、いろんな方法で攻めてみた。パンチだったり、キックだったり、どれも素人っぽいというか喧嘩っぽいものばかり。時に覆いかぶさって羽交い絞めにしようとしたけど、するりと交わされてバックドロップ食らったのでやめた。
5~6回ほど投げられてから、溜息を吐いた叢雲ちゃんが、
「……はぁ、止めよ、止め。吹雪にはもっとちゃんとした基礎から教えた方がいいわね。少しはできる方だと思ったけど、これじゃ自分で自分の骨でも折りかねないわ」
そう言って、私の訓練は一旦終わった。漣ちゃんと五月雨ちゃんは、いつからか2人でセラミックのナイフで手合わせしていた。動きがもはやそこらの少女じゃないので恐ろしい。
困った表情で頭を掻きながら尻もち突いた私の前に歩いてきた叢雲ちゃんが手を差し伸べる。
私がそれを掴んで立ち上がろうとしたときに、ふと叢雲ちゃんが手を離した。
当然私はバランスを崩して派手に尻もちを突く。
「これ、あんたにされたこと。私としては少し驚いたわ」
あぁ、そう言えば。
あの時とにかく我武者羅に叢雲ちゃんを倒そうとしていた私が思いついた騙し技だ。
「殴る。蹴る。突く。打つ。投げる。組む。単体の攻撃で倒せるような相手は艦娘に向かってこないわ。向かってくるのは私たちが生きている年数の半分以上を人を殺す訓練に費やしてきた改造人間のような怪物ども。ナイフも使う。銃も使う。その両方を使わなくても、首の骨を折れば簡単に殺せる」
敵は深海棲艦だけじゃないのよ、と叢雲ちゃんは私から眼を逸らしてそう言った。
「そう言う怪物と戦うには読む必要がある、次の行動を。それに対処する必要がある。そして、相手の隙を見つける必要がある。そして制圧する。最初の2つはもう訓練しかないわ。簡単に言えば慣れ、ね。戦い方を知っていけば、自ずと敵の戦い方も分かってくる」
もう1度私に手を差し出してきたので同じように掴んだ。
腰を持ち上げてゆっくりと立ち上がる。軽くおしりを叩いた。
「3つ目は違う。学ぶこともできれば、考えることも自分で作ることもできる。隙は生まれるもの、作ることだってできるからよ」
こっちを見て、と言われる。目を向けた途端に「パチン!」と私の目の前で音がして私は反射的に目を閉じた。
恐る恐る目を閉じると、まっすぐに私の目を突こうとする指が2本。
その向こうにほらね、とでも言いたさそうな叢雲ちゃんのしたり顔。
「ね、猫だまし?」
「これも1つよ。意外とこれが大人に効くの。子どもじみているからって油断する。意表を突かれて死ぬ」
た、確かに、元はこれも相撲の技の1つだし……。
突然こんなことをされれば、大人でも驚くのは当たり前だろう。
「4つ目は目でも突けばいい。やる気があれば子どもでもできるわ。あんたは頭がいいでしょ?それに普通の艦娘と違って、人間、庶民。考え方は違うし、目の付け所も違う。技術は後から付いてくるわ。今は考えなさい。他の3人を驚かせる方法を考えてみなさい」
「……驚かせる方法?」
「はい、休憩は終わりよ。電から一本も取れなかった罰として腕立て伏せ、100。終わったら私と捌きの練習よ」
「うへぇ……れ、連続じゃなくてもいい?」
「今はまだ許してあげるわ……吹雪、3つ目がどうして重要なのか分かる?」
「いーち、にー……それはどんな戦いも騙し合いだからでしょ?『兵は詭道なり』って言うし」
「それが分かってるならいいわ。じゃあ、3つ目が最も得意な人は誰か分かる?」
「ごー、ろーく、なーな、うーん……詐欺師?参謀?」
「……殺し屋よ。本物の、プロ中のプロのね」
「……ふーん。じゅーう、じゅーいち」
「―――いくら先代のやり方とは言え、厳しすぎるんじゃないか?」
武道場の入り口の陰に隠れていた御雲 月影を叢雲は見つけた。
近づいていくと、声をかける前にそう言った。
「私は別にあの子たちを短期間で黒帯をとれるような格闘かにするつもりもなければ、軍人をさくっと殺せるような化物にするつもりもないわ」
顔色変えることなく、さらっと叢雲はそう返す。
御雲は小さく鼻で笑った。
「じゃあ、何をしたい?」
「陸軍の特殊作戦群でもいい。黒帯の空手家でもヘビー級のボクサーでもいい。そんな真っ向からの戦い方しか知らない筋肉馬鹿どもにひと泡でも吹かせる方法を教えてるの」
「……意地か?」
「意地よ。こんなガキの身体だからと、女だからと馬鹿にしてくる阿呆共に対するね」
平静を装っているようにものを言うが、御雲には叢雲がやや躍起になっているのがはっきりとわかった。あぁ、苛立っているのか、と。
「私は別に英雄だの、救世主だの、そんな風に呼ばれている過去の艦娘の威光に縋るつもりはない。私は私で新たな艦娘としての戦いをこの史に刻む」
「……吹雪のためにか?」
「そうよ」
その答えに、明らかな嘲りを含めた笑いを御雲は漏らす。
不機嫌そうに叢雲は眉間にしわを寄せる。
「じゃあ、お前は100年前と変わらんな。」
「……それで、何をしにきたの?私と殴り合い?いいわよ」
躊躇いなくすっと拳を構える叢雲に陰からすっと身を乗り出して、掌を向ける御雲。
「馬鹿言うな。喧嘩っ早い妹でも殴り合いでもすれば親父に〆られる」
「何の用よ。はっきり言って邪魔なの。用がないなら消えて」
舌打ちをしながら拳を下ろすと、腕を組んで不機嫌そうに指がパタパタと動いている。
「はいはい、訓練が終わったら吹雪を連れて執務室に来い。これだけだ」
扱いにくい妹にちょっとした冗談話も通用しないと、ちょっとした会話でもろくに気を抜けやしない。兄としても、上司としても辛いものばかり。
「……分かったわ。多分、ヒトナナマルマルを過ぎるわよ?」
「大丈夫だ。こっちはずっと執務室に籠ってるからな。じゃあ、俺は戻ることにするよ。しっかりと鍛えるんだぞ~」
用事は済んだ。長居すればまた小言を並べるだろう。
そそくさと背を向けて退散しようとすると、
「分かってるわよ。それとアンタ」
ふと呼び止められて、軽くだけ振り返る。
「ん?なんだ?」
「少しは休みなさい。司令官として、目の下に隈を作っているのはみっともないわ」
指摘されて御雲はちらりと鏡を見る。気付かないうちにうっすらとだが隈ができていて何ともみっともない顔をしている。
思えば寝たのは何日前だろうか?
始末書やら、吹雪の異動やら、今後の艦娘の配属やら、いろんな仕事のせいで睡眠さえ忘れていた。
「……ありがとな。お前たちが来る前に少し仮眠でもとるよ」
「私たちが来た時に寝てたら簀巻きにして海の藻屑にしてあげるわ」
「……気を付けることにするよ」
どこか頼りのない司令官の背中を少し呆れた目で見送る叢雲。
後姿から少し覗く、彼の横顔に妙に笑顔が浮かんでいるのがちょっと癪に障った。
「ちっ……なによアイツ。吹雪っ、終わったの!?」
「えっ!?あと、30回……」
「もういいわ。立ちなさい。今から容赦なく殴るから全部捌きなさい。捌き方は教えたはずだから手加減はしないわよ」
「えっ……叢雲ちゃん、ちょっと怒ってる?」
「ろくに捌けなかったら復讐ができてない証拠ね。罰走追加よ」
「そ、そんなぁ~……」
笑顔の理由が分からないのも、分かってもらえないのも、また難儀なものだ。
*
「――――其方は何だ?」
御雲 月之丈は少し騒めいた室内の中で鋭い声を発した。一瞬で静寂が広がっていき、まっすぐに妖精と御雲 月之丈の視線が交叉する。
「否、艦娘とは何だ?深海棲艦とは何だ?」
「鶏が先か、卵が先か」
妖精はそう答える。
「果たして、妖精が先に生まれ艦娘を作り出したのか、艦娘が生まれ妖精が生み出されたのか。今の人類、吹雪の中にある知識としては後者が広く知れ渡っているようだ。叢雲の子孫よ。平賀博士の研究資料は一切残されていないのか?」
「平賀博士……?」
私がそう言って首を傾げると妖精は呆れたように溜息を吐く。
「吹雪。君は艦娘オタクのくせに彼女の名前すら知らんのかね?彼女こそが艦娘の生みの親なのだよ」
「知らなくても仕方なかろう。彼の者の名はこの世界でも一部のものしか知らん。その存在そのものが【
御雲大臣はすぐさまそう返答する。やや声に神妙さが増してきて、『平賀博士』という人物がそれほど扱いが難しい存在なのだと分かる。
Navy Code はLevel S以上になると防衛大臣や内閣総理大臣でさえ閲覧が制限される。
臨時枢機委員会による過半数の賛成が得られて初めてその封印が解除されることになる。
Level Sくらいになると、その内容は大体艦娘の技術面のものになるらしい。これは後々叢雲ちゃんに聞いた話だ。
「なるほど、禁忌の枷をかけて封じているのか。確かに、艦娘を英雄だと讃えるこの世界に、彼女の研究は異端と呼ばれ、艦娘そのものの尊厳も何もかもを打ち砕く恐れすらあるからな。賢明な判断とも言える」
妖精が小さく舌打ちをしたような気がした。すぐにそれを隠すかのようににやりと笑ってまた顔を上げる。
「では、結論から言うしかあるまい。深海棲艦が生まれ、私が生まれ、艦娘が生まれ、妖精が生まれた。深海棲艦を利用して艦娘の根底が築かれ、多くの犠牲の果てにその全ての技術を私と言うケースに収納した。そして、私は最初の艦娘を生み出した」
「……は?妖精さん、今なんて」
私は言葉を失いそうになった。頭が混乱していた。掻き乱されていた。棒で脳みそをかき混ぜられているかのようだった。表面に浮かんできた言葉を何とか拾い上げて言葉を発した。
「私が《叢雲》を生み出したのだよ。それ以前の存在は人間の愚かな背徳と傲慢が生み出したただの化物に成り下がったがね」
「そうか……其方が、其方がそうなのだな……」
御雲大臣は妖精の言葉に思わず立ち上がった。まっすぐに背を伸ばしたその体躯は礼服の上からでも分かるほどにがっしりとしている。顔に浮かぶ皺とは関係なしにその肉体は健在なのだろう。
問題はそこではない。
強面で、威厳と恐怖しか感じさせなかった、御雲大臣が笑ったのだ。傷跡を派手に残しているその顔が喜々として笑みを浮かべたのだ。
「会いたかったぞ。『イヴ』」
「その名で呼ぶな。私は朋友より新しい名を授かったのだ」
ダメだ。頭が追いつかない。
いったい、この人たちは何の話をしているんだ?終始そんなことを考えながらも、私の耳は彼らの間を飛び交う言葉をひとつ残らず捉えていく。その度に、私の頭の中にあるものが全て塗り替えられていく。気味が悪い感覚だったが、耳を塞ぐことができなかった。
私はなぜここにいるのか。その理由なんて特になかったのだろうが、その流れゆく多くの事実を無理やり頭の中に収めると、脳が勝手にその理由を見出そうとしてしまうのだ。
そして、私は然るべくしてこの場にいたのだと、もしかしたらそうなのかもしれないと確信に近い答えを得られた。
全てが終わったのはどれほどあとの事だろうか?時間も、呼吸も、瞬きさえも、完全に意識の外にあって、空間さえ曖昧になっていた気がする。
「
「一刻を争う事態。陸と海争うてる場合でもなかでしょう」
小柄で細身だが、顔に深く刻まれた皺と髭が周囲を否応なしに頷かせるほどの威圧を放っている。御雲大臣とはまた違った類の殺気に近い感覚だ。
日本陸軍最高総司令官、
「元より私は賛同していた事。今更反する訳もない」
やや褪せて灰色に近い髪をしているが、やや若々しく見えるその表情はここにいる面子の中では優しいと思えるものだろう。
日本航空防衛軍総隊司令官、
「……証篠、そう言うことだ。【
「分かった。早急に手配しよう」
黒背広の男性が頷く。白髪の混じった赤茶色の髪は遠くから見ると少しだけ桜色にも見えるが、その下の苦労に老けた顔には少し似合わないだろう。
この人だけ見たことのない人だったが、後で叢雲ちゃんに訊くと国家公安委員会
「枢機委員会の者たちの首は私がどんな手を使ってでも縦に振らせましょう」
鏡参謀がそう言った。どんな手でもと言うあたりが無駄に怖い。人ひとり消えるんじゃないだろうか。
なんだかよく分からないがことが一気に動き始めたらしい。その場に居合わせたこと自体が夢のようであったが、全てが終わって叢雲ちゃんに安否確認がてら両頬を思いっ切り抓られて痛かったので夢ではないのだろう。
だって、目の前で怖いおじさんたちが口々に言葉を発していく様子は戦争映画の最高司令官たちの会話の様で、思えば実際にそうなのだが、やはり創作と現実にはなんだか差異があるとこの時までは感じていたのだが、結局すべて現実であったことで、私は今まさに創作に近い非日常の中に立っているのだと再認識させられて。
艦娘になってしまっていること自体が非日常なのだが。
少なくとも、人間として、一般的な国民同様に一般的で素朴な日常に触れていた私としては、やはり緊張の度合いが違うのかもしれない。未だに私の中に残っている人間臭さがまだこの戦争をはっきりと理解しきれていなかったのかもしれない。
いや、少しだけ違う。今まで戦争だと思っていたことが、今日この場で全て書き換えられてしまったかのような感覚だ。
私の知らない戦争。私の知らない物語。
艦娘史に間違いはない。ただ、その艦娘史にはもうひとつの流れがあった。もしくは艦娘史に収まり切れない戦いの数々が。そう語るに尽きるだろう。
結局、帰路に着いたのは完全に日を跨いでの事だった。
えー、なんだか変な感じになってると思います。話の流れが
と言うのも、なんかめっちゃ長くなったので、途中一節まるまる消しました。
あとで出します。あとで。
はい。今回出てきた提督はおなじみの「御雲 月影」。階級は特務大佐。
実直な人柄でありとあらゆる期待に真面目に応えようとする青年。しかし、それらの期待に応えることに加え、御雲一族の嫡子としてその名を背負っている重圧や体裁、使命感が重なり、自分の中で何がしたいのか、自分の意思に欠けている。そのことに気付いている叢雲は実力は認めるが気に食わないとして、司令官として認めていない部分がある。
規則を重んじる反面、個を認め合おうとする一面も見せ、できる限り艦娘たちにも自由に人としての生き方をして欲しいと願っている。部下からの信頼は意外と厚い。
親を目の敵にしている反面、妹である叢雲には御雲の名と艦娘としての使命の両方を背負わせてしまっていることを不憫に思って何とかしたいと思っている。
こんな感じの提督です。無能なのか有能なのか、いまいちパッとしない感じです。
何と言うか、第四章はサイドストーリー感があって話が進んでる感じがしないので、私自身少し首を傾げています。
一応、予定通り進めますが次回は呉と舞鶴でのその後を一気に書きたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。