艦娘が伝説となった時代   作:Ti

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今回は五月雨の配属された舞鶴鎮守府のお話です。


来客の多い執務室 -舞鶴鎮守府にて-

 

 

 ――――――舞鶴鎮守府。

 

 京都府舞鶴市に存在する赤レンガの三角屋根の建物が多く目に入る軍港。

 対露目的に設営された軍港であったが、佐世保を優先したために後回しにされたが、その初代司令長官に東郷平八郎を任命されたなどの逸話もある。戦後も多くの名残を残している軍港及び周辺施設であり、舞鶴線や使われていた蒸気機関車の展示など、当時の情景が撃抱える者が鮮やかと残されていた。

 少し離れた場所から見ると、森の一角を切り開いて施設を設けた様な緑の中に紛れた様な風景ではある。

 戦時は駆逐艦を多く作り出した舞鶴海軍工廠も存在しており、多くの一番艦を建造した艦型の起源たる場所でもある。

 

 海上自衛隊の基地となった後には、イージス艦を抱える基地となり、日本海側の警戒に努めていた。

 

 深海棲艦の襲来の際には、空襲を受け壊滅状態にあった呉に代わり、海軍工廠の要となっていた。呉の回復と同時にその役割を激戦区である太平洋側への後方支援に回る形となり、少数精鋭を抱える屈指の鎮守府であった。

 しかし、その栄光は艦娘史の中で「悲劇」として多く語られている。

 航空母艦《赤城》。言わずと知れた艦娘史における伝説の第一航空戦隊旗艦を務める艦娘であり、彼女の向かう場所に自軍の敗北の文字はないとされた「最強」の艦娘である。

 そして、 第五航空戦隊、通称『五航戦』。

 「赤城」自らがその地に赴き、ありとあらゆる技術や戦術を叩き込んだとされる一航戦に次ぐ最強の航空戦隊となるはずだった部隊。その名は「悲劇の五航戦」として語られる。

 

 生存者:航空母艦《瑞鶴》、駆逐艦《秋月》。

 

 その他は鎮守府に残っていた数名の艦娘を残し、提督を含めて、皆とある大規模作戦中に戦死した。

 ソロモン海に敵艦隊が集結していると見た大規模作戦中に、日本海で発生した中規模の姫級数隻を抱えた空母機動部隊の本土急襲。太平洋側に主力艦隊を向かわせていたすべての鎮守府の中でも、日本海で最前線にあり、多くの主力を担っていた舞鶴鎮守府は一夜で壊滅した。

 日本海側の索敵を疎かにしたことと、情報伝達系統の重度の麻痺。また同時に起こっていた、ソロモン海の《常識破り》の発生と一航戦の消失。多くの問題が重なった末に、挟撃に近い形で本土空襲を受けた結果であった。

 本来はありえない事態の為に、ありえないほどの被害を被った。

 

 そして、一航戦に変わり《常識破り》に立ち向かった五航戦は壊滅。唯一残ったのは、第二次攻撃のために待機していた航空母艦《瑞鶴》と横須賀第一号鎮守府によって回収された駆逐艦《秋月》の二隻のみ。

 旗艦《翔鶴》を含め、多くがソロモンの海に散ることとなった。

 

 舞鶴鎮守府は、その後、生き残った駆逐隊と共に復興していき、「日本海の護人」として終戦を迎えることになる。

 

 

 

 そして今、鏡 継矢(かがみ つぎや)大佐と駆逐艦娘《五月雨》がこの鎮守府に新たな艦娘の艦隊を結成する先駆けとして派遣されていた。

 

 

   *

 

 

 品行方正。秀外恵中。

 

 鏡 継矢。階級は特務大佐。7尺近くの上背のある細く締まった身体。髪は腰の辺りまで伸びており、青く細い帯で束ねてある。

 当時の海軍大臣にその演習風景を見せて国士無双とまで言わせた青年。

 評判だけで言えば、同期の中では間違いなく首席であった、にもかかわらず次席卒業。

 

 模範たる優等生であり、弓を引かせれば百里を越えて的の中心を射る、と言われたほどの弓の名手。そして、女性と見紛う容貌のに釣り合わぬ上背の身体。しかし、一族代々髪を伸ばす風習の為に長く伸ばした髪を解けば凛々しさを垣間見る美女と見違う。

 しかし、その容貌に反して女性を魅了する漢らしい低く響く重みのある声。

 性格も男女平等に紳士的であり、後輩にも優しい厳しさを見せる多くの人からの人望を持っていた青年。

 

 だが、勝負事となれば目の色が変わることでも有名であり、特に弓を握れば、1000人射殺すほどの威圧を放つと噂されている。

  

 今まさに彼は軍服ではなく、紺の袴に白筒袖の弓道着を身に纏い、黒い和弓をその手に携えていた。

 正座のままで震えている長い艶のある青髪を伸ばした少女、駆逐艦娘《五月雨》。

 

 静寂。

 恐ろしいほどに静まり返っている。自分の呼吸の音が耳障りになるくらいに音がない。

 はるか遠くの波の音。踏切の警音器の音。アスファルトの上を走る車のタイヤの音。それに町を歩く人たちの声まで聞こえてきそうだった。

 決して狭いとは言えない空間ではあるが、広いとも言えない空間。

 その曖昧さが五月雨の中の空間感覚というものを狂わせていた。この空間は何なのか?

 

 音というものがすべて排除されて、逆にこの空間に音が流れ込んできている。

 この空間だけが時が止まっているような、いや、時が動いているのか?

 ダメだ、深く考えれば飲まれてしまいそうだ。

 

 彼の背中を見ていると、その集中力からか、殺気からか。

 そんな心境を味わうこととなった。

 

 ふっ。

 

 ひょう。

 

 ……とん。

 

 静寂の中に突然出現した、音。

 

 眠りから覚めたかのように意識が一気に広がっていき、耳元で囁かれていたような遠くの音がフッと遠ざかっていった。

 

 

 一歩も動けなかっただろう。いや、自分と言う存在さえ曖昧にぐちゃぐちゃになって、どろどろの混沌の中に溶けていくような、そんな世界に飲み込まれる。

 

 これが、彼の放つ威圧か。

 ようやく、口の中に溜まった唾液を飲み込むことができた五月雨は、深く息を吐いた。不思議な疲労が一気に身体に襲い掛かった。全身から汗が噴き出しそうなほどに熱くて、身体の芯は鉄のように冷たい。

 この身体はまだ生きているのだろうか?いや、生きているだろう。

 強く跳ねる心臓が、その鼓動を耳奥で響かせている。

 

 ふっ。

 

 すとん。

 

「……」

 

「えっ?」

 五月雨は思わず、声をあげた。

 いつ次の矢を番えたのだろうか?いつの間に放っていたのだろうか?

 それに、一度目に放った矢を裂くように全く同じど真ん中に当てているこの光景は何なのか。

 

「……こんなところか」

 ようやく彼は言葉を発した。ふぅ……と短く息を吐いた瞬間に額から汗が流れ落ちている。

 

「こんなものでもよかったのか? 見ていて特に面白いものでもなかっただろう?」

 

「い、いいえっ!!とてもっ!!すごかったです!!あぁっ!!」

 五月雨は立ち上がろうとして横に転げた。

 足が痺れていたのだ。

 うぅ…と呻いているのを見て、鏡は少しだけその鉄仮面のような表情を緩ませた。

 

「では、足の痺れが取れたら、総員起こしを頼む。そろそろ、本日の艦隊運営を始めよう」

 白み始めていた空の青さが徐々に明確になっていく。今日も澄み渡った青さの広がる快晴の空だ。

 この鎮守府の艦隊も目を覚まし始めていく。

 

「は、はい……うぅ……」

 恥ずかしさにただでさえほんのりと赤い頬を更に赤く染める。

 そんな五月雨の仕草を見ながら、鋭い彼の視線が彼女を試すように観察していた。

 

「……」

 和弓を立掛けながら、鏡の思考は幾度も巡り続ける。結局辿るのは同じ思考なのだが、それでも尚、彼の脳内からその疑問は払拭しきれない。

 認めては否定し、認めては否定し……その繰り返し。

 いくら友がそうだと言えど、いくら目の前でその力を見れど。

 

 頑固な親父の頭のようにこの脳は認めようとしない。

 

 どうして、こんな少女たちが戦えるのか。

 いや、こんな少女たちが本当に過去に人類を救ったのか。

 

 それは、軍人として真っ当に育ってしまった鏡の中に必然的に浮かび上がる疑問であり、様相に違うその存在があまりにも歪すぎるように感じるがあまりの少女たちを想う鏡なりの優しさのようでもあった。

 

 それが、自己嫌悪であることは一度も認めたことがなかったが。

 

 

 *

 

 

 五月雨がこの鎮守府に配属されて、1か月。少しずつ気温と湿度が上がってきてそろそろ初夏を迎える頃。

 この鎮守府に所属する艦娘は、既に6人。

 軽巡が1人と、駆逐艦が5人。

 

 水雷戦隊としての機能を存分に果たせるようになったこの鎮守府でこなせる任務の数も格段に増え、主に船団護衛ではあるが少しずつ実戦を積んでい成長している最中だ。

 

 窓から見える空は快晴。

 しかし、今日は任務はない。鎮守府で流れる穏やかな、とは言えないが何気ない平和な時間。

 訓練も午前組と午後組に分かれて、少ない人数で鎮守府の運営までやってしまっている。

 

 五月雨は今日秘書艦を務めていた。

 秘書艦はその時、実質その鎮守府の艦隊の指揮権を司令官に次いで持つことになる重要な職務だった。

 やることもただの司令官の補佐だけではなく、執務に加え、各書類のチェック、資源管理や経理、任務の管理etc、全部やってのけるだけの力を問われる。

 五月雨が横須賀にいた時には、叢雲が秘書艦、他の四人が秘書艦の補佐、と言った感じで5人全員でこういった仕事はやっていた。

 お陰でやり方を学び、それなりの経験を積むことができたため、配属された先でも上手くやっていけるようになっていた。

 

 舞鶴でもやることは大して変わらない。

 どこかかしこから集まってくる書類に記載されたデータを確認し、報告と寸分違いないか照らし合わせ、サインを記して加えて、確認のサインを司令官にもらう。

 申請があれば、それが通るかどうか今の鎮守府の状況から考えて決断する。余程の事がない限り、上申や申請は秘書艦が受け持つことになる。重要な事態が起きた時のみ、司令官まで上がることになる。秘書艦の責任はそれだけ大きい。

 

 秘書艦とは何か?全ての艦娘の代表と言ってもいい。

 唯一、司令官に意見具申を許された立場であり、その意見は艦娘の総意たるものである。

 司令官は秘書艦の意見に耳を傾ける義務がある。反した場合、それは艦娘たちの信頼を大きく損なうことに繋がり、結果、艦隊運営は崩壊する。

 

 さて、五月雨は秘書艦を務めるに十分な実力を持っていた。

 それは鏡も重々承知している。現に今も彼女は真剣な顔つきで執務に臨んでいる。

 

 しかし、五月雨にはひとつだけ、どうしようもないことがあった。

 それは彼女が艦娘として「致命的」なものではない。彼女が秘書艦として致命的なことではない。

 彼女の中ではそれが大きかったのだ。

 どれだけ注意しても思ってしまう。ちゃんと確認してしまっても起こってしまう。

 

 重大なことにつながったことは一度もない。全てが些細なことでしかない。

 だが、その些細なことがいつか重大なことに繋がるのではないかと、彼女の中ではいつ爆発するか分からない爆弾のように存在している

 

 五月雨はちらっと時計を見て、秘書艦用の執務机から離れた。

 今日は平時よりも気温が高かったため、少しだけ五月雨は早く動いた。

 その後の動作も、流れる様に、身体に刻み込まれたかのように動いていき、2つの湯呑をお盆の上に乗せて彼女は給湯室を後にする。

 

 給湯室は執務室の一角にある。他にも、シャワー室とかあるが使っているところは見たことがない。

 流石にトイレとバスタブまではないが、小さな洗面台程度ならある。

 少し中途半端な部屋だなぁ、と思ったこともあった。

 

 

 2人の目の前には、無残にも砕け散った湯呑とぶちまけられた日本茶の染みがくっきりと残った絨毯があった。

 

 

「……さて」

 鏡の口がゆっくりと開いた。ピクリと五月雨の肩が跳ねる。

 

「説明を願おうか?」

 

「え、えーっと、その……」 

 どもる五月雨。その表情には焦りの色しかなく、動けばさらに何かを壊しそうだ。

 

「君がここに着任して記念すべき10回目だ。始めは目を瞑っていたが、ここまで行くと最早君をこう評価せざるを得ない」 

 はぁ、と深い溜息を一つ落とし、背を預けた椅子の背もたれがギィと軋む音を立てる。

 

「……君はドジだな。相当の」

 

「はうっ!! うぅ……」

 五月雨はその言葉を受け止めると、恥ずかしさからか頬を赤くして俯いた。

 自身が天性のドジであることは散々理解していた。横須賀に所属していた頃から、まるでそうあるように生まれてきたかのように、五月雨は普通の人間―――艦娘ならば、起こることも繰り返すこともないほどの「些細なしくじり」をしていた。

 周囲の理解と、支えにより、重大なしくじりを起こしたことはないが、それでも何もないところで躓くことは多かった。

 

 叢雲の言葉を借りるならば「呪い」だろうか。

 

「まぁ、君がそう言う娘だとは御雲(みくも)から聞いている。難儀だな、そう言う体質と言うのも。とりあえず、割れた破片を片して絨毯が痛まないように拭いておいてくれ」 

 そう言ってちらりと窓の外を見ると、鏡は徐に腰を持ち上げた。

 立ち上がると高い位置から落とされる目線に更に圧倒される。

 

「せっかく淹れてもらって悪いが、今は少し席を外す。それまで君の分の仕事を済ませておいてくれ」

 

「は、はい……今度はドジはしません!!ちゃんとやり遂げて見せます!!」

 

「あまり力むと変なところで力が入る。そんなに力を入れてやる必要はない。肩の力を抜いて、それでも常に集中力を切らすことなく、適度にやってくれればいい」

 そんなことを言いながら、執務室の扉を潜ろうとした鏡は、どういう訳か額を枠にぶつけていた。が、何事もなかったかのようにそのまま歩いていった。

 

「……はぁ」

 提督の姿が見えなくなると、五月雨は肩を深く落としながら溜息を絨毯の染みの上に落とすかのように吐いた。

 どうしてこんなにもドジをするのだろうか?

 少なくとも、海の上ではこんなドジを踏むことは滅多に無いのに。

 

 寧ろ、彼女の戦いはその井出達からは思いもつかない勇壮さに凛々しさを覚えるまである。

 青い空を映す青い海の上で、波風に揺れる長く煌めく青い長髪。

 日の光を浴びて広く輝く肌の露出した二の腕の先に主砲を携え、真剣な眼差しをもって海上を颯爽と駆り、目標を的確に射抜く。

 

 初めて、鏡と(お互いに面識を持って)出会った時もこんな感じであったがために、日常ではこんな様子でガッカリさせたりはしてないだろうか?そんな不安が幾度となく脳裏を過る。

 

 犠牲になった湯呑もとうとう二桁台に突入してしまった。

 何度無残に砕け散った陶器を片付けると言う虚しい作業を繰り返せばいいのか?

 

「みなさんは…ちゃんとやれてるのかなぁ…?」

 ふと、同じ鎮守府で生まれた彼女たちを思い浮かべていた。

 途中から1人加わって5人。一緒に訓練をして、一緒に座学に励んで、一緒に出撃して、一緒にご飯を食べて。

 

 今思えば、人の身体として生まれたことも不思議なものだ。

 今となっては違和感もないが、何とも数奇な運命だ。

 

 こうやって、人間の指で、こんなに小さく砕けた、湯呑の破片を、摘まむことだってできる。

 

 全て破片を拾い上げて掌の上に乗せた。

 後は、乾いた雑巾を当てて、水分を吸いとるだけだ。

 

「えーっと、雑巾も確か給湯室に――――」

 雑巾を取ろうと屈んだ身体を起こした時、ドタバタという音と共に勢いよく執務室の扉が開いた。

 

「提督さん!!!訓練終わったぽい!!!遊ぶっぽい!!!」

 

「ちょっと夕立!?ノックもなしに扉を開けちゃダメでしょ!?!?」

 

 髪の色がよく似た双子のような2人が執務室に駆け込んできた。と言うよりかは、1人が勝手に飛び込んできて、それを止めるために飛び込んできてしまったという感じだろうか。

 

「あっ、夕立姉さんに…村雨姉さん?提督なら今は不在で……」

 リボンを蝶々結びでカチューシャのようにしている瞳の碧い駆逐艦娘《夕立》。

 ツインテールにしてゆらゆらと揺らしている琥珀色の瞳の駆逐艦娘《村雨》。

 二人とも、この鎮守府で建造された艦娘であり、過去に艦艇であった時には、五月雨の姉妹艦であり、僚艦であった。

 

 人間となった今では姉妹のような存在だが、彼女たちも彼女たちでなかなか癖がある。

 

「えぇ…なにそれ、つまんないっぽいー…提督さんどこー?」

 少しふて腐れた顔で明らかに機嫌を損ねた夕立。

 肩を上下させながら息を整えている村雨は、呆れた目つきで夕立の襟首を掴んで、

 

「提督もそんなに暇じゃないのよ?ほら、涼風のとこに戻るよ…ってあら?五月雨何してるの?」

 両手に湯呑の破片を集めて棒立ちしていた五月雨を見て、キョトンとした顔をした。

 五月雨は、自分の手の内にあるものを一度見て、少し笑いながら恥ずかしそうに目線を少し逸らした。

 

「えーっと、またやっちゃいました……」

 

「はぁ……」

 あからさまに村雨が呆れた様な溜息を吐いた。

 

「五月雨ちゃん、ドジっぽい?」

 オブラートに包むということを知らないのだろう。直球をぶち当ててくる夕立。

 

「もー、村雨たちが着任してからもう何回目?はぁ…片付け手伝ったげるから」

 夕立から手を離すとすたすたと給湯室の方へと言って箒と雑巾に塵取りまで持ってきてくれた。

 

「あ、ありがとうございます……」

 五月雨がぺこりと小さく頭を下げる横で、手っ取り早く絨毯の上を軽く掃いて細かな破片を集めて、五月雨の掌の中にあった破片も塵取りの中に入れさせた。

 

「いいのいいの♪それより、五月雨は提督に執務任せられてるんでしょ?そっちを早くしたら?」

 優しく微笑んで乾いた雑巾を濡れた絨毯に押し当てながら、執務机の方をちらりと見る。

 提督用の大きな机と、秘書艦用に側に設けられた少し小さな机。

 その上でどっさりと書類の山が乗っている。 

 

「あっ、はい。そうします……」

 執務机に腰を下ろすと、村雨は少し鼻歌交じりに絨毯の染みを消していっていた。

 村雨は面倒見がいい。姉妹艦の中では長女という訳でもないのだが、どことなく頼れるオーラがある。

 確かに少し姉妹の中では発育の良い2人だ。纏う雰囲気もどこか大人っぽさを感じさせる。

 

「退屈っぽいーーーーーー!!!」

 だが、こちらは子どもっぽいところがまだ残っている。

 頬を膨らませて腕をぶんぶんと振り回す夕立が喚き始める。 

 村雨は少しだけ不機嫌そうな色を浮かべて、立ち上がると夕立の方を向いて、

 

「もう!そんなに退屈なら食堂の由良さんの手伝いでもして来たら!?」

 ちょっと怒り気味に言い放った。実際、怒っていたのだろう。

 夕立は五月雨の目から見ても明らかにフリーダム過ぎる。

 

「由良さん!?うん!そうするっぽい!!!」

 そう言って勢いよく執務室を飛び出していった。

 さながら鎖を外された犬だ。

 

「ゆ、夕立姉さん!!廊下は走らない方が…行っちゃった」

 せめて自分と同じように何もないところで転んだり、床に顔を打ち付けたり、目の前を歩いている人のスカートをずり下ろすようなことが無いように祈るしかできなかった。

 

 この鎮守府も僅かな期間でそこそこの所帯になった。

 軽巡洋艦娘《由良》が着任し、水雷戦隊としての機能がはっきりとし始め、扱える任務の数が増えた。

 駆逐艦娘は《時雨》《村雨》《夕立》《涼風》と、自分が『白露型』のせいか姉妹艦が集中的に集まって着任した。

 

 今も一隻…いや、一人建造途中で合計七人の艦娘が所属する鎮守府となる。

 

 恐らく提督はその様子を見に行っているのだろう。

 

「はぁ、やっと騒がしいのがどこか行ったね……秘書艦はどう?大変なら代わってあげてもいいのよ?」

 パラパラと書類を確認しているところを、ふと村雨が話しかけてきた。

 

「だ、大丈夫です。私にはこのくらいしか提督のお役に立てないので……」

 

「ほーら、五月雨は少し卑屈すぎるんじゃない?五月雨はうちの要なんだからそんな卑下することないんだよ?」

 絨毯は結構綺麗になってほとんと染みも目につかないくらいになっていた。その上から軽く濡れ雑巾で叩いていた。 

 

「五月雨は頑張ってる。誰よりも真剣で、誰よりも強い。村雨も、夕立も時雨も涼風も由良さんも、提督もそのことはちゃんと知ってるから♪」

 村雨に深い意はなかっただろうが、五月雨は浮かない表情を浮かべる。

 

 確かにこの鎮守府の要は提督と自分なのだろう。

 軽巡洋艦である《由良》が着任した今でも、哨戒の際などには旗艦を任されることが多々ある。

 きっと信頼はされている。でも、周囲からの期待と信頼ほどの自信が自分にはない。

 

 それはきっと、重荷になっていく。それだけは分かっていた。

  

 

  *

 

 

 村雨が帰ってその際にお茶を淹れていってくれた。

 とても美味しい。一口飲んで、ふぅ…と長く息を吐く。

 足先まで伸ばして思いっ切り背伸びをする。まだ正午にもなっていないのに、少し疲れを感じた。

 山のようにあった書類も、半分以上減った。昼食まで頑張れば、ほとんど午後の執務はなくなるかもしれない。

 

 とは言っても、今日は午後から五月雨は訓練だ。

 午後からは軽巡洋艦《由良》が秘書艦を引き継ぐことになっている。

 午前中頑張ったからと言って、午後に休めるという訳でもない。それにきっと午後には午後の仕事がある。

 

 足の付かない椅子。やや自分には高い机。

 背もたれに体重を預けて、ぼんやりと天井を見上げていた。

 

 ふと、扉がノックされて1人の艦娘が入ってきた。

 

「失礼するね……五月雨?」

 

「あっ、時雨姉さん。はっ!!だらしない格好を……」

 

「いいんだよ、少しくらい休憩を挟んでも。五月雨はいつも頑張ってるからね」

 少し儚げな印象を持たせる容貌の少女が、優しく微笑みかける。

 艶のある黒髪を三つ編みのおさげを結っている少女、駆逐艦娘《時雨》。

 一人称が「僕」なのを含め、その雰囲気からしてやや独特な少女だ。物腰の落ち着いた穏やかな雰囲気で大人びている。

 

「それで…どうかしたんですか?」

 

「あぁ、そう言えば、僕はこれを届けに来たんだった。はい、午前中の資源管理表と倉庫の物品管理表。後で、涼風が今日の開発の報告書も持ってくると思うから、確認をお願いするよ」

 手に持っていたバインダーから、10数枚の紙を外して、五月雨に手渡す。

 

「ありがとうございます。確認しておきますね」

 五月雨が資料に目を通している間、時雨は窓際に立って外の景色を見ていた。

 一体、何を見ているのだろうと、ちらりとその横顔を見る。

 

 少し浮世離れした顔立ちに思わず見惚れそうになる。姉妹の中でも少し時雨だけは特別に思えた。

 他の姉妹とはどこか一線を挟んで存在しているような。

 

 時雨と話しているとまるでなんでも知っているかのような感じがするのを五月雨は感じていた。

 

「――――どうかしたのかい?」

 じーっと、時雨の横顔を見ていたのだが、いつの間にか時雨が五月雨を見ていた。

 目線が交差して、少し硬直する。

 徐々に顔が熱くなっていくような感じがして、急いで五月雨は視線を逸らした。

 

「ぼーっとしてるみたいだね。ちゃんと休んでるかい?午後の訓練、休むなら言っておくよ?」

 

「あっ、いや、何でもないです!!多分、問題ないと思います!!」

 

「問題って……五月雨がかい?」

 

「い、いえ、違います!!違わなくもないですけど……資料の方は多分大丈夫です。最後に提督に確認をとってもらいますね」

 

「分かったよ……本当に大丈夫かい?最近の五月雨は少し疲れてるような感じがするよ?」

 

「疲れとかは、特にないんですけど……」

 疲れというものはない。訓練の後や長時間の執務の後は確かに疲れるが、昨晩はちゃんと寝たし、起きた時も体は軽かった。

 

「じゃあ、何かに悩んでるのかい?なんでも話してよ。僕でよければ力になるから」

 悩み。ないと言えば、嘘にはなるが他人に話すようなものでもない。

 

「私は……大丈夫です」

 そうとだけ答えた。時雨はあまり腑に落ちたというような表情ではなかった。

 

「そうかい……?でも、無理はしちゃだめだよ。五月雨はいつも無理をし過ぎているようなところがあるからね」

 だが、それ以上は踏み込んでこなかった。

 

「そ、そうですか?」

 

「あまり溜め込んじゃダメだよ?提督でも、僕でも誰でもいいから、相談するのが一番いいはずだから。答えはいつも自分の中にあるとは限らない。誰かが持っているかもしれない。でも、結局そこに辿り着くために必要なのは、五月雨自身の意思だよ」

 

「……」

 五月雨はまたじーっと時雨の顔を見ていた。

 

「どうかした?」

 

「時雨姉さんは時々不思議なことを言いますよね」

 

「そうかな?僕は変なことを言っているつもりはないんだけど」

 

「変なことと言うよりかは、本当に何でも知っているかのような。未来でも見えてるんですか?」

 

「まさかね。僕は思ったことを言っているだけさ。未来なんて見えたら、僕は無敵じゃないか」

 

「でも、時雨姉さんの被弾率はびっくりするほど低いですよね?」

 

「うーん、一応僕は幸運艦と呼ばれる類の駆逐艦だからね。何か不思議な力が働いてるのかもしれないね」

 幸運艦、『佐世保の時雨』と言う名は有名だ。

 対を成す幸運艦『呉の雪風』と並び立つ幸運を背負う駆逐艦であった時雨は、艦娘となっても未だその運を背負っているのかもしれない。

 

「まあ、万事塞翁が馬。幸運は思いもよらぬところから、さ。僕たちにできることは簡単に沈まないように訓練を積むことだけ」

 そう言いながら、時雨は五月雨の頭を軽く撫でてる、小さく手を振りながら扉の方へと歩いていった。

 

「じゃあ、僕は戻るから頑張ってね。困ったことがあったら何でも言うんだよ?」

 

「はい、ありがとうございます」

 五月雨は小さくお辞儀をすると、時雨は微笑み返して執務室を後にした。

 再び静かになった執務室で、時計の針の音に紛れて、彼女がいた余韻がまだ響いている。

 

 本当に不思議な人だ。少しばかり憧れを抱くほどに。

 

 

「おーっす!五月雨ー、ちゃんとやってっかー!?」

 余韻をぶち壊す勢いでノックもなしに扉を突き飛ばしてやってきた少女が1人。

 

「涼風ちゃん、ノックしてから入ってきてください!」

 

「そんな細けえこと言うなよぉ。ほら、今日の開発の結果!!」

 そう言いながらずかずかと歩を進めて、執務机の五月雨に資料を渡した。

 

 五月雨と同じ制服。同じ髪色。違うところと言えば、彼女は青いリボンで髪を結っていて、やや口調が江戸っ子なところか。

 五月雨も十分元気で明るい少女であるが、この少女は別の方向で元気がいい。

 何かと似てはいるが、どこか似ていないような不思議な関係を感じさせる。

 白露型10番艦《涼風》、時雨と同じように同じ浦賀の工廠で生まれた駆逐艦娘である。

 

「……見事に失敗ばかりですね」

 

「おう!魚雷作ろうとしたら変なペンギンばかり出やがる……ここの工廠おかしいんじゃねえか?」

 悪びれる様子もなく、腕を組んで少し真剣な顔立ちでそんなことを言ってきた。

 思わず、眉を顰めそうになったが、流されることなく資料に目を通す。

 

「おかしいのは涼風ちゃんですよ。別レシピで九三式水中聴音機が1つですね……」

 

「てやんでぇ!あたいの腕はおかしくねえよぉ!!」

 今度はキッと目を見張って大声で叫んだ。

 

「ほら!腕もちゃんとぐるぐる回るし、脚だってちゃんと動くぞ!!朝飯もばっちり食ったし」

 

「そう言うことじゃないですよ!!……ところで涼風ちゃんはちゃんとやって行けてますか?」

 

「んあ?」

 

「『人として』の身体にはもう慣れましたか?この生活にも、戦いにも」

 この鎮守府では唯一、五月雨が「姉」として振る舞えるのが涼風だった。

 それに、涼風は自分が着任した後、すぐにやってきた艦娘でもあり、艦娘としての馴染みが深い。

 姉として、仲間として、少しだけ心の余裕があるうちに五月雨は問いかけていた。

 

「あぁ、そういう。まあ、あたいはいまさら人の身体貰ったことに何の違和感もなかったけどなぁ……昔から手足があったような気がしてたし」

 

「そうですか……何か困ってることがあったら言ってくださいね?」

 

「おう!!でも、この身体も案外悪くねえしな!早く人の形になった24駆にも会ってみたいな!!」

 歯を見せて笑う涼風の笑顔がふと眩しく感じた。

 

「五月雨は誰かに会いたかったりするのか?」

 

「えっ!?わ、私が……?うーん、2駆のみんなとは会えたし、うーん……」

 思えば、人の姿となって誰かと再会できるなんて考えたことはなかった。

 それに、導かれるようにかつての仲間たちとは会えたし、正直明日誰に会うよりか、明日自分はまだ生きているか、を考えなければならない世界だ。

 戦争であることはあの時からきっと変わらない。姿と敵の形が変わっただけで。

 

 でも、強いて言うのならば。贅沢を言うのならば。

 

「姉さんたちと妹たちかなぁ…?」

 

「じゃあ、大体あたいと同じだな!!白露の姉貴と春雨の姉貴も加えて!!」

 

「もっと賑やかになりそうですね」

 

「おうよ!!毎日お祭りって感じでいいじゃねえか!!」

 

 思えば、船としての戦いは減ることばかりを考えてきた。

 五月雨自身も、一つの船の終わりを幾度となく見てきた。

 

 自分がこれからは新たに生まれ行く者たちを迎えていく側なのだと思うと、一層気が引き締まったような感じがした。

 

「……よっし!私、がんばっちゃいますから!!」

 軽く頬を叩いて、少し緩んでしまった自分自身を結び直す。

 

「んん?どうしたんだい、五月雨?」

 

「うん!涼風ちゃんありがとうね!!」

 

「え?え、えへへ!!良いってことよぉぅ!!」

 何が何だか理解していない様子だが、満足げな表情ではなの舌を指で擦っているが、少し腑に落ちていないらしかった。

 それでも、涼風はそれだけで満足しきってしまったようで、そのあとすたこらと執務室を後にした。

 

 再び1人となった部屋で、窓から見える青い空を眺めた。

 誰かに会ってみたい。ふと、脳裏を過ったのは、1隻の軽巡洋艦だった。

 

「……夕張さん、元気かなぁ」

 多くの船の終わりを見てきた。その1つの中に彼女がいた。

 もし、もう一度出会えて、更に言葉を交わすことができたのならば、嬉しい。

 

 

   *

 

 

 

「……任せて悪かったな。」

 扉が開く音がして、五月雨は鏡が戻ってきたことに気が付いた。

 

「あっ、提督お疲れ様です。時雨姉さんと涼風から、午前中の資材、倉庫のチェックと開発の報告書を受け取ってます。確認が終わってるのでサインをお願いします」

 自分の執務机に並べていた資料をまとめて、帰ってきた鏡に手渡した。

 

「あぁ、分かった……ご苦労だったな」

 椅子に腰を掛けると、鏡はふぅ…と長く息を吐いて万年筆を手に取った。

 五月雨は少しだけ鏡の表情を窺いながら、小さく息を吸い込む。

 

「あの……どちらに行かれてたんですか?」

 

「工廠の方に建造の確認とと……簡単な挨拶回りだ」

 

「挨拶回り……?」

 もう1ヶ月になるがそういうことはしたことがなかったし、初めて聞いた。

 

「この鎮守府はどうやって資源調達や日用品、毎日の食事を揃えていると思う?」

 

「あっ、そう言えば……」

 五月雨たちは遠征にも行っていないし、町に出て買い物なんかに行ったこともない。

 今まで、自分の身の回りにあったものがあって当然のものだと思っていた。

 

「舞鶴鎮守府はまだ遠征の配分が決まっていないのでな、大本営からの供給で資源調達を行っている。君が来る前に一回。そして、今日が1か月おきの2回目という訳だ。私たちの鎮守府を運営する重要な物資の運搬、それを行ってくれている方々への敬意と感謝を忘れるわけにはいかない。鎮守府を代表して、私が挨拶をしているんだ」

 

 五月雨は自分の知らないところでの提督の苦労を初めて知った。

 苦労と言うよりは、心遣い。誠実さとも言える。

 

 そして、陰で自分たちを支えている存在について知った。

 決してこの戦いは自分たちだけで回しているものじゃない。色んな人の支えがあって回っているのだと。

 

 その支えは、ふと五月雨の中で、彼女たちの存在と重なった。

 

「……ふふふっ♪」

 思わず、笑みがこぼれる。

 

「ん?急にどうしたんだ?」

 

「いえ、私はこの鎮守府のみなさんに大切にされているんだな、と」

 そう言った後に、自分の言葉が少し足りなかったことに気付いて、小さくあっ、と声をあげた。

 

「いいえ、この鎮守府の方だけじゃありません。多くの人たちの期待を背負って、その支えを借りて、今ここにこうしていられるのですね」

 

「……仕事と言ってしまえばそれまでだが、確かに」

 

「私は期待に沿えてるでしょうか?私はその期待に見合う存在でしょうか?」

 自信がなかった。

 この鎮守府を率いていく存在の一人なのだと分かっているのだが、それでも自信がなかった。

 本当にそんなものが自分の身の丈にあったものなのか。

 

「……それは他人に訊くことではないと思う。期待に応えられるように邁進し続ける。それが私たちの責務だ」

 鏡は考え込む様子はなかった。

 既に答えを持っていたかのように、少しの間を置いてそう答えた。

 

「期待に応えられるか、そんなこと考えていては重圧に押し潰されてしまう。君が思っている以上に私たちの肩に乗っている期待は大きい」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

「だから、自分は今、多くの人の期待に見合うだけの仕事をしていると誇れるだけの努力を積むしかない。それはいずれ結果として現れる。君はそう在り続けるように努力をしているのだろう?」

 

「えっ?あっ、はい……」

 

「常に全力で、慢心することなく、事に当たっていこう。君はそれができる実力がある」

 大きな掌が、そっと五月雨の頭の上に置かれた。

 思わず両目を閉じてしまった五月雨は片目を開いて、鏡の表情を窺うと僅かだが、堅いその表情に柔らかい笑みが浮かんでいた。

 それがなぜか嬉しかった。

 

「……はいっ!私頑張りますね!!それと」

 

「どうした?」

 手を離して、サラサラと万年筆を走らせる鏡を五月雨はもう一度呼び止める。

 

「今度、挨拶に行くときは私も連れて行ってください!」

 

「……フッ、覚えておこう」

 

 

 

 

 そして、再び誰かが扉をノックする。

 今日だけとは限らないが、相変わらず執務室には来客が多い。

 

 ノックの音に呼応するように、部屋の仕掛け時計から小さなハトが飛び出した。

 

「失礼します。提督さん、五月雨ちゃん、お昼ごはん持ってきましたよ」

 ピンク色の髪の女性が、もの穏やかな声で二人にそう呼びかけた。

 長い髪を黒いリボンで巻くように束ねている優しい声の女性は軽巡洋艦娘《由良》だ。

 この鎮守府唯一の軽巡洋艦で、今日は食事当番になっていた。午後からは秘書艦も務めることになっている。

 

「ごっはんー♪ごっはんー♪今日はカレーっぽい!!」

 彼女に続いて、夕立がお盆をもって執務室へ入ってきた。

 かなりご機嫌な様子で、ルンルンとしている。

 随分と由良に懐いているようで、由良の後ろをよく犬のように付いて回っている。

 

「あぁ、すまない」

 

「由良さん、わざわざすみません……」

 鏡はほとんど執務室で食事を済ませてしまう。

 と言うより、行動が淡白で執務室でほとんど仕事を済ませてしまう。

 他には、弓道場、工廠、自室、浴場くらいしか必要最低限の行動をしない。

 

「カレー、今日は金曜日だったな」

 

「海軍の金曜日と言えば、カレーですからね。午前中はお暇頂いたので、結構手を掛けてみたんですよ?」

 

「夕立も手伝ったっぽい!」

 

「そうか。由良、夕立、ありがとう。それと、由良は午後から執務の方を頼む」

 

「はい。由良にお任せください。と、言っても五月雨ちゃんほどちゃんとやれるかどうか不安だけど」

 

「そ、そんなっ!由良さんの方が私よりずっと手際良いし、字も綺麗だし」

 慌てる五月雨を見て、由良は少し五月雨を弄るように笑った。

 

「ふふっ、五月雨ちゃんを見てると癒されるっ♪」

 

「五月雨ちゃんは白露型の癒しっぽい!」

 

「だとさ。よかったな五月雨」

 

「えっ、そ、そうですか?えへへー」

 鏡にも褒められたような気がして、五月雨の表情が気が抜けて緩んでしまう。

 

「ちょろいっぽい」

 傍から見ていた夕立は相変わらずストレートな言葉をぶつけるが、五月雨には届いていないようだった。

 

「さて、冷めないうちに頂くことにしよう」

 

「そうですね!いただきます……あっ、美味しい」

 一口。ルウとライスを適度に混ぜてスプーンに乗せ口に運ぶ。

 少し時間が経っていた為、熱々ではなかったがそれがかえって食べやすい温度で温かさがあった。

 ゆっくりと咀嚼してのみ込む。そして、すぐに五月雨の口から言葉が漏れた。

 

「……少し私には辛さが足りないが、それに勝るコクがあっていいな。今まで食った中でも一番かもしれん」

 恐らく、鏡にお世辞のつもりはないだろう。

 嘘が吐けるほどに器用な人間でないと自負しているほどだ。

 

「そう…?よかったぁ…ねっ、夕立ちゃん」

 由良は花が咲いたかのように笑顔になって、夕立と顔を見合わせた。

 

「うぅ…夕立も早く食べたい!!由良さん!!食堂に戻るっぽい!!」

 一方の夕立は美味しそうに昼食を頬張る二人を見て我慢できなくなったのか駆けだしていってしまった。

 

「あっ、夕立姉さん走ると危な……行っちゃった」

 

「なにか隠し味でも入れてるのか?不思議な香りが口の中で広がる」

 鏡も思わず気になってしまったらしい。

 これまで食事は当番制で担当が回っていた。カレーも時々出てはいたが、今日のカレーはいつものとは違うことが五月雨でも分かった。

 まあ、五月雨は料理が不得手なので、いつも姉たちに頼りっきりなのだが。

 

「それは秘密です。ふふっ、戦い以外にも由良のいいとこ、たくさんあるんですよ?」

 口の前に人差し指を当てて、片目を閉じる。

 あぁ、この辺りが本当に大人っぽい。何気ない仕草に五月雨は憧れた。

 

「あぁ、由良にもずいぶんと頑張ってもらっている。これからもよろしく頼む」

 

「はい、提督さん。それと、時雨ちゃんが建造がそろそろ終わりそうだって言ってましたので、食事の後にでも工廠に赴いてみてくださいね?」

 

「分かった。報告ありがとう。昼食がまだなのだろう?食器は自分が持って行くから、もう下がってくれても構わないぞ」

 

「はい、では失礼しますね」

 そう言って、由良は執務室を後にした。去り際に小さく五月雨に手を振る。小さく会釈をして五月雨は返答した。

  

「……提督はカレーがお好きですか?」

 

「好きかと訊かれると、微妙なところだな。嫌いではないが、あまりいい思い出がない」

 

「思い出、ですか…?」

 

「学生時代のキャンプでどこかの馬鹿がボーキサイトぶち込んで酷い目に遭った。そのせいで少し疎遠になっていたかもしれんが、これからはそうでもなくなりそうだ」

 

「あははは……」

 思わず乾いた笑いが出てしまった。カレーに金属を溶かし込むなど常人の考えではない。

 カレーに酢をぶち込んだ五月雨でも、恐らく思いつかないだろう。

 だが、料理が得意な艦娘とそうでない艦娘の違いはいったい何なのだろう?

 艦であった時代に艦娘が料理をできるはずもない。では、主計科の記憶なのだろうか?

 

 そんなことを考えながら、穏やかに流れていく少しスパイスの効いた香ばしい時間が過ぎていった。

 

 

    

    *

 

 

 工廠で魚雷の調整を行っていた時雨の下に、一人の妖精がぴょこぴょこと歩いてきた。

 

「ん?どうしたんだい?」  

 妖精は時雨を見ると、しきりに手を振って飛び跳ねていた。

 どうやら、建造が終わったらしい。妖精の反応を見る限り、「当たり」を引いたようだ。

 

「なるほど。建造が終わったんだね。でも僕はこれから訓練だし、工廠番は村雨に引き継ぐんだけどなぁ」

 当の村雨はまだ工廠に来ていない。

 時雨が昼食を早く食べ終わって、先に艤装の取り付け作業を行っていた為、今交渉には時雨しかいなかった。

 

「仕方ないなぁ。僕が少し説明しておくかな……?」

 時雨は腰を上げると、スパナを近くの机の上に置いて建造ドックの方へと歩いていく。

 

 他の鎮守府の建造ドックがどうなっているのかは知らないが、舞鶴鎮守府は大きく分けて3つに分かれている。

 

 艦娘の本体を作るもの。

 艦娘の艤装を作るもの。

 艦娘に付属するものを作るもの。

 

 最後の2つは合わせて艤装と括られることが多いが、作っている妖精たちからすると違うものらしい。

 今回の建造では、3つ全部が稼働していた為、恐らく特殊な戦闘方法なのだろう。

 

 建造ドックの方へ赴くと、3人くらいの妖精が完成したものを運んでいた。

 

「……弓?」

 弓と言えば、おのずと鏡の事が思い浮かんだ。

 しかし、弓で戦うなどと言う艦種などあるのだろうか?

 

「いったいどんな艦娘なんだろう…?」

 歩みを進めていった先で、新たに生まれた艦娘と時雨はすぐに目が合った。

 

 青い袴の弓道着を纏う女性だった。

 サラサラとした美しい黒髪を横でまとめて、とても綺麗な顔立ちをしている。

 だが、どこか目つきがきつい。100人中100人が彼女を美人だと言うだろうが、その目つきは80人くらい追い払うだろう。

 

 周囲にはたくさんの妖精がいた。

 彼女の身体によじ登り、艤装の取り付け作業に忙しそうだった。

 そのうちの一つ。

 大きな木の板のように思えたが、裏に鋼鉄の板が貼られている。木板の方には白い線が何本も引かれてあった。

 

 見覚えがあった。これは飛行甲板だ。

 

「空母、か」

 時雨はすとんと納得が行ったようにそう呟いて、彼女の方へと歩を進めていった。

 

「……これはいったいどういう状況なの?」

 その女性が時雨に問いかけた。

 

「少し戸惑うかもしれないけど、僕たちは人の身体を得たみたいだ」

 

「人の身体……?そんな、私は船だったのよ?」

 

「うん、僕だってそうだった。でも、こうやって人の身体を得て生まれてきてしまったんだ。混乱するだろうけど、今、君は人なんだ。正確には艦娘と呼ばれてるけどね」

 

「艦…娘…?」

 

「とにかく、後でここの提督が来るからその人から詳しく聞いてよ。とりあえず、名前を教えてもらえるかな?」

 

「名前?私は……」

 女性は少しだけ頭を押さえて思い出しているらしかった。

 建造直後、多少記憶が混濁するのは仕方のないことらしい。船の記憶が人の身体に定着するのには、ちょっとだけ時間がいるらしいのだ。

 

「僕は駆逐艦《時雨》、きっとこれから一緒に戦っていくことになる仲間だよ」

 

「私は……あぁ、そうだった。私はミッドウェーで……」

 女性の目が驚くほどに見開かれて。突然頭を抱えて蹲った。肩に乗っていた妖精が転げ落ちていったが、下で他の妖精に受け止められていた。

 恐らく、自分の最期を思い出したのだろう。

 同じような経験をしたのだから分かる。

 

 

「……そろそろ話せそうかい?」

 

「えぇ、ごめんなさい。そうね、自己紹介だったわね」

 彼女が落ち着くまでそんなに時間はかからなかった。その間に妖精たちの作業は進められて、彼女の身体に全ての艤装が取り付けられた。

 

 時雨と向き合った彼女は、とても凛々しかった。

 駆逐艦とは違う圧倒的な力。その存在感。全てを彼女のその佇まいが表していた。

 

「――――航空母艦《加賀》です。赤城さんと共に、栄光の第一航空戦隊、その主力を担っていました」

 

 まるで解れていた糸を手繰るように、途切れていた糸を紡ぐように。

 

 運命と言う糸は、歯車に巻き取られるかのように。

 

 舞鶴鎮守府に、航空母艦《加賀》が着任した。

 

 

 

 

 

 




 長え。


 ご無沙汰しています。長らく更新無くて申し訳ないです。

 年が明けてからかなり多忙でしたので、なかなか執筆する時間が確保できませんでした。
 ですが、ちょっとした空いた時間に全体の構成を考えたりして、どういった感じで物語を進めていくか考えることができたので、これからは少しずつ更新速度を戻していきたいと思います。


 さて、今回は鏡と五月雨のいる舞鶴鎮守府でした。
 舞鶴鎮守府は前章でも少し話に出ましたが、この世界では《翔鶴》がかつて所属していた鎮守府です。冒頭にやや不穏な文章がつらつらと並んでいましたが、その話もいずれ書こうと思っています。


 鏡 継矢(かがみ つぎや)。
 今回なかなか多く語ることはできませんでしたが、かなり背の高い美男子と言った感じです。髪も長く、女性と見間違うこともありますが、声も性格も男らしい、根っからの軍人気質のある提督です。
 冷静さを決して欠くことがなく、抜群の指揮力で艦隊を勝利に導く優秀な提督です。学生時代は御雲とよく一緒にいて、よく語らっていた親友です。
 鉄仮面に見えて意外と感情豊かです。よく笑います。あと、意外と小食です。
 その育ちから少し独特な思考回路を持ち、独自の艦娘に対する考えもあります。
 生まれながらよく頭を打ちます。
 艦娘の子孫ですが、やや特殊です。そうなってしまった理由は「横須賀編」で明らかにします。


 本当に長い間すみません。これからもよろしくお願いします。
 次回は「佐世保編」です。新しい提督と、電の配属された鎮守府の話です。



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