艦娘が伝説となった時代   作:Ti

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工廠の守人 -呉鎮守府にて-

――――――呉鎮守府。

 呉は広島県中南部に位置し、大戦期には戦艦「大和」や「長門」を建造した造船所があり「東洋一の軍港」として太平洋戦争終結まで繁栄した場所であった。

 戦後には、海上自衛隊の呉基地として後方支援、人材育成の拠点であったが、深海棲艦の襲来により半壊。本土において初めての敵空母機動部隊による空襲があり、大きな傷跡を残すが、深海棲艦との大戦が艦娘たちの誕生により勃発。妖精の優秀な技術により日本海軍最大の工廠が置かれていた西の最大拠点として、艦娘たちの戦いの中核を担っていた。

 現在は、呉鎮守府として造船技術の拠点として、多くの護衛艦やイージス艦を建造。深海棲艦との大戦以前に存在していた護衛艦よりもより性能のよい艦艇を後継として幾つも造り上げた。

  

 先月の横須賀鎮守府を中核とした敵空母機動部隊迎撃戦。

 たった五隻の駆逐艦で空母機動部隊を編成した二艦隊に勝利した戦いよりも以前から、これから幕を開ける新たな時代に大本営が腰を上げた。

 「海軍条例」を公布し、五つの海軍区と軍港を置くために旧海軍鎮守府の整備が始まった。

 ただの海軍の拠点としてではなく、「艦娘たちを迎える母港」としての大規模な改装が始まったのだ。

 同時に、現海軍大臣、御雲月之丈(つきのじょう)大将により四人の提督が選抜され、横須賀、呉、舞鶴、佐世保に配備。大湊警備府は間に合わず、配属されるはずだった駆逐艦を横須賀に配備。

 その中心として動いたのが呉工廠。佐世保、舞鶴の整備を一か月で終わらせ、呉には四つの入渠ドック、四つの建造ドック、更には復元不可能と言われていた『大型建造システム』の復旧まで行った。

 

 その全ての活動の前線に立ちながら、自らも工廠班の一員として奔走していた司令官が一人。

 

 証篠 明(あかしの あかり)。階級は特務大佐。唯一の女性として提督に任命された。

 

 海軍士官候補生学校を首席で卒業する実力を持っていながら敢えて手を抜いて第三席で卒業したのではないかと言われているほどの頭脳を持っており、何より手先がかなり器用だと言うことで有名であった。艦艇の整備をやらせればあっという間に終わらせ、更に勝手に修理まで行う。一方でドライバー一本握らせたら、山を登る船を作る、と言った鬼才ぶりから問題児としても扱われていた。

 寝ぼけながら自動小銃をバラし、組み上げて、を繰り返していた時には教官も呆れかえったと言われている。

 そんな彼女は本来、工作科を志していたために士官学校に行くつもりなど毛頭なかったのだが、ひょんなことから同期のある友人に引きずり込まれるようにしてぶち込まれた。友人曰く、「目の届くところに置いていた方がまだこの国にとって安全だ」とのこと。

 

 実の話、そのひょんなことは、今まで人類が成し得ないことであったため、海軍がその管理下に置かざるを得ないことであったのだ。

 

 まだ幼さを残した童顔ながら十分に美女と呼べる端正な顔立ち。気さくな性格で少数ながらいた女学生に慕われていたのだが、不思議と異性からアプローチを受けたことは一度もなかった。

 唯一、髪を伸ばすことを許されて(黙認されて)いたために、いつも肩にかかるくらいの桜色の髪を二つのおさげにしていた。

  

 そんな満面の笑みの彼女が目の前にいる状況で、呉鎮守府に配属されていた艦娘、初期艦の少女は困惑していた。

「あ、あの……提督」

 

「んー、どうしたの~?それと私のことはご主人様って呼んでくれないの~?」

 

「いや、そ、そのですね……」

 ピンク色の髪をツインテールにしているセーラー服の少女は、少し青ざめた表情でプルプルと震えていた。

 

「こ、腰が……」

 駆逐艦《漣》の背中に取り付けられているコンパクトな艤装が見るも無残な姿をしている。取り付けられているのは、それだけで漣の躯体ほどの大きさを持つ巨大な主砲『46㎝三連装砲』。かの大和型の艤装であるはずなのにそれをどういう訳か背負わされている漣の心中は穏やかなわけがない。

 死ぬ。人間としても、船としても。背骨がマズい。腰がマズい。

 そもそも、艦娘のシステム上、乗せられない艤装は受け付けないのだ。それを無理やり搭載すれば、艦娘の機能が一時的に停止し、ただのか弱い少女に戻る。

 つまり、クレーンでまだ吊っている状態だからいいものの、漣の身体はこの巨大な鉄の塊の重さをもろに身体に受けている状態だった。

 

「し、死ぬ」

 

「はーい、上げてー……やっぱ無理かぁ。まぁ、無理だと言うことが分かっただけ成果はあった、っと」

 手元のバインダーに閉じた資料にペンを走らせていた証篠提督の目の前を小さな拳が空を切って飛ぶ。

 

「あ、あまり…ぜぇぜぇ、あまり調子乗ったことばかり…ぜぇぜぇ、ちょ、ちょっと待っ、待って」

 

「かなり疲れてるみたいだけど、そうやって司令官に手を上げるのはよくないなぁ……」

 

「さ、漣は提督のおもちゃじゃありませんので……次あんな無茶なことさせたらぶっ飛ばしますよ、マジで」

 そう言って、工廠を去ろうとした証篠は漣の肩に手を置いて引き留める。

 

「どこにいくのかなー?漣ちゃん?」

 

「どこって……バカみたいな実験に付き合わされて心も体もボロボロなので入渠でもしようかと。かなり汗かきましたし」

 

「まだ終わってないよ?そこにあるの全部試すまで終わるつもりないよ?」

 

「……えっ?」

 そう言って、目を向けた先にあるのは一〇〇を超える装備の山。

 小口径、中口径、大口径の主砲、魚雷発射管に機銃の山。高角砲、高射装置、電探、ソナー、爆雷投射機。タービン、缶、バルジ、偵察機。

 

「今ので主砲が終わったから、次はそうだねー……漣ちゃんは駆逐艦だから魚雷をつけてみよっかー?あっ、とっておきがあるんだよっ!この『試製――――、ん?どうしたの?」

「……」

 どさり、漣は膝から崩れ落ちて頬を冷たいコンクリートの地面に摺り寄せた。

 

「はぁ……マジつれーっすわ」

 

「はいはい、じゃあ立ち上がってさっさと終わらせちゃおうねー。ほら、分からないことは分かるまでやらなきゃ。それで何か見えることがあるかもしれないじゃん?」

 

「なんで漣がこんなことに……ぅあああああああああ!!横須賀に帰りたいぃぃぃぃぃいい!!!」

 

「かーえーさーなーいーよー?こんな可愛い子あんな仏頂面のところに返すなんてかわいそうだからね~」

 工廠内で少女の叫び声が響き続ける。それを見ながら笑顔を絶やさない女性が一人。

 

 呉鎮守府、駆逐艦漣、配属五日目の光景である。

 

 

  *

 

 

 横須賀での一件の後、五人の駆逐艦娘はしばらく横須賀鎮守府で訓練を行い、十分な練度を身に着けて、およそ一か月後、呉、舞鶴、佐世保へと配属されることになった。

 本来は大湊にも設けるつもりであったが、整備が追い付かなかったこと、駆逐艦娘側の都合上、後回しとなり北方は横須賀を中心として警戒が行われる体制となった。

 

 

 

「じゃあ、まず服脱ごっか?」

 簡単な挨拶を終えて証篠が放った言葉はそれだった。心の底から軽蔑する表情をぶつけてやった自覚はある。

 まあ、女性相手であったし、なんだかんだで医務室で服を脱ぐことになり、周りをぐるりと歩きながらまじまじと観察された。

 

「なるほど……接合部のようなものはない……跡も見当たらない。見た目はどこからどう見ても、普通の人間……だけど」 

 

「あの、もういいですか?流石に恥じらいというものが漣にもあるので――――」

 溜息を吐いてそう問いかけながら、証篠の方をちらりと見る。

 天井の蛍光灯の光が反射して見えた。鋭利な金属の先端が白く光って真っすぐ向かってくる。

 

 

「――――っ、何を、するんですか?」

 カラン。音を立ててハサミが床に落ちる。静かな空間に金属音の乾いた音が響く。

 刃先が肩の辺りにぶつかり、薄く赤い痕を残す。

 

「ちょっと試しただけだよ?でも、刺さらないんだね?少しの打撲痕程度で済むのか…少しだけ人間より強いって評価かな?」

 

「何のつもりですか?いい加減、漣も怒りますよ?」

 漣は床に落ちたハサミを拾い上げながら証篠を睨みつける。

 じっと睨みつけてくる漣を睨み返す訳ではないが、じっと見つめる証篠。

 

「《FGF(Fleet Girls Frame)》、和訳できないその概念は二つの概念の存在から始まる。インナーフレームとアウターフレーム。内部からと外部から、二つで押し付けることによって『艦娘』という『形』をこの世界に刻み、人知を凌駕する技術を人類にもたらした」

 

「は?」

 静寂を切るようにして彼女の口からつらつらと流れ出る文章に漣は首を傾げた。

 

「インナーが骨だとしたら、アウターは皮膚だ。人間というものはある程度の経験則から、その形をしているものがそこにあれば、それは特定のあるものだとして固定観念を己の中に作ってしまうものなんだ。人の形をしていれば、それの中身がどんなものだとしても、人、だとね」

 

「いったい、何の話をしてるんですか?」

 

「……あぁ、ごめんごめん。それでアウターフレームはそういうものだから保持するエネルギー量が若干多いんじゃないかっていう仮説があったんだ。つまり、頑丈。人間のように見えて人間よりも強い結合を働かせていれば、人間の皮膚同様の柔軟性を持ちながら破れにくい皮膚としての装甲が完成する」

 証篠は漣に歩み寄り、ハサミを受け取ると机の上に置いて話を続ける。

 

「時速八〇㎞くらいで君にハサミを投げつけた。君の皮膚に鋭利な刃先が当たるように計算してね。人間だったら刺さるか、掠っても皮膚が裂けているが君の肩は少し赤くなっただけ」

 そのまま、何を考えたか腰のホルスターから一瞬で拳銃を引き抜き、漣の額に銃口を向けた。

 漣は怖気づくことなく、拳銃越しに証篠に、不快だ、と視線を突き刺す。

 

「きっと、この距離から撃っても、銃弾は君を貫くことはないだろう。ライフルの弾だったら分からないが、私たちに支給されているこの豆鉄砲風情の小銃なら耐えられるはずだ。私の仮説が正しければね」

 

「……じゃあ、撃ってみますか?引き金を引けば簡単に試せますよ?その代り一生提督への信頼は実らないものとなると思いますが」

 フッと証篠は笑うと、手を緩めて人差し指でくるくると拳銃を回して遊ばせる。そのままホルスターに納めると、

 

「冗談だよ」

 そう言って、椅子に掛けてあった漣の服を投げ渡した。

 

「大事な私の艦娘なんだ。そんな危ない真似はあまりしないよ。少なくとも、私の頭の中で考え付いたものに関しては」

 

「目に当たってたら、また結果は別だったかもしれませんよ?」

 漣は服を着ながら、そう言い返してみる。

 

「なるほど。でも、これ以上君から信頼を失いたくないからね」

 

「カンストどころか、もう0振り切ってマイナス行ってますけど?」

 

「アハハッ!そいつは困った。何か許してもらえる手立てはあるかな?」

 

「そうですねぇ……間宮羊羹でもくれたら考えます」

 

「またお高い要求だねぇ……時間はかかるかもしれないけど善処してみるよ」

 

「……まあ、だったら許さないこともないですよ」

 

「じゃあ、決まりだね!これからよろしく頼むよ」

 

「で、次は何をすればいいんですか、提督?」

 

「……早速だが、訓練でもしてみよっか?工廠に艤装がある。それを着けたら正面海域でちょっと動いてもらおうか」

 

「ほいさっさー、装備はデフォで?」

 

「うん、一〇分後にしよう…………漣ちゃん」

 そう伝えて走っていき漣を、ふと証篠は呼び止めた。

 

「なんですか?」

 

「私は自分が知らないことは自分の手で確かめるのが性なんだ。付き合っていく上でこればかりは許して欲しいなぁ」

 その眼に先程までの冗談を含んだふわふわとした感じはなかった。

 顔は笑っているのだ。だが今まで見た中で一番真剣で……一番怖い顔だった。

 

「できれば、君もそうなって欲しいな。君には長生きしてほしいから」

「長生き?」

 

「常に自分から探求して欲しい。分からないことがあれば分かるまで何度でも試せばいい。その為だったら私はどこまでも付き合うよ。それが延いては君のためになる日が必ず来る」

 

「……漣には少し難しいですねぇ。ゲームの攻略本並みに簡単な言葉で伝えられるようになったらまた忠告よろです」

 そう言い残してパタパタと走っていく。その後ろ姿を最後まで見送りながら、慣れない軍帽を脱いでふぅ……と一息吐いた。

 

「……楽しくなりそうだ」

 

 

 

  *

 

 

 

「――――提督って、どうして艦娘の艤装を弄れるんですか?」

 工廠で漣の艤装を妖精たちと一緒に整備しているときに、ふと近くに座っていた漣からそう尋ねられた。

 

「んー、何でだろうね?それはずっと考えてきたけど分からないや」

 

「ありゃ、提督にも分からないことってあるんですか」

 

「生きている限りこの世界には分からないことばかりだよ?」

 

「……深いですねぇ」

 

 証篠はふと、中学時代を思い出していた。

 あの頃から問題児だったが、紛れもない天才であった。

 

 中学を卒業して、卒業旅行で呉を訪れた時、そこで艦娘の艤装に触れた。

 それをばらばらに壊してしまったのだ。

 そして、綺麗に組み立て直した。

 

 周囲の人々からすれば一体何が起こっているのか分からないような動きをしていたらしい。多くの人の目に触れていて、ミュージアムの人にもすごく怒られたが、卒業旅行から帰った後に海軍省から召喚された。

 

 艦娘の艤装は人の手ではどうもならないものだった。解体も建造も改装も修理も全て「妖精」と言う謎の存在、もしくは艦娘自身の手で行われてきたもので、人間には運搬や管理程度の事しか干渉できない領域だったのだ。

 

 それをいとも簡単にぶち破った。

 しかも、完全に「修理」した状態で組み立て直した。

 

 その異常な才能を、いや「異能」と呼ぶに相応しい能力を海軍は放置できなかった。

 ちょうど同級生に、海軍の幹部の息子がいた。

 彼自身から説得を受けて、彼女は推薦で決まっていた高校を急遽辞退。海軍管轄の士官候補生学校へと叩き込まれることになった。

 

 証篠は両親の影響もあり、ゆくゆくは軍関連の研究所にでも進むつもりだった。

 機械を弄るのも幼い頃から得意だったため、高校を卒業してから工作科にでも志望して海軍に入るのも悪くないとも考えていた。

 

 海軍に召喚されて家に帰ると、久し振りに父に会い、全てを聞かされた。

 別に驚くことではなかった。でも、知らないことだったので気になるまで調べ尽した結果、自分がこの世界でどんな人間なのかを知った。

 

 

「……漣ちゃんはさぁ、提督がどんな存在か知ってる?」

 

「あー、妖精が見える能力を持ってる云々ですかー?」

 

「まあ、それは必須なんだけど。どんな存在が妖精を見れるか知ってる?」

 

「えー……まぁ、艦娘は当たり前ですけど見えますよねー……」

 

「そうそう、一〇〇年前までの昔の提督たちは本当に希少な人材だったんだ。天性の妖精を観測できる存在で、法則性もなく、見つけ出すのも難しかった。数も当然少なかった」

 証篠のつなぎの袖で額の汗を拭って一度手を止めた。

 

「今の提督は、艦娘たちの子孫なんだよ」

 

「……は?」

 

「妖精が見える存在、艦娘の子孫ならば、同様に妖精を観測することができるのではないか?そう言う仮説を昔立てた人がいて実証された。結果、成功したから提督の供給は安定したものとなった」

 

「なるほどー……つまり、提督も艦娘の子孫なんですか?」

 

「うーん、そうだねー……」

 もう一度手を動かし始めながら、珍しく考え込んでいる姿を不思議そうに漣は見ていた。

 

「漣ちゃんはどう思う?艦娘の子孫って」

 ふと、証篠が放った言葉はそんなものだった。

 

「どうって、まあ不思議っちゃ不思議ですよ……自分たちがどうやって生まれてきたか知ってますからねぇ」

 無機物と有機物。

 それを一定の割合で配合して、変な機械にかけるとあら不思議。

 

 まるで魔法みたいな、謎技術で生み出されてしまっている自分たちの存在は考えてみれば見るほど奇妙なものだ。

 

「私は怖かったよ」

 証篠はそう答えた。

 

「不思議なんて思えなかった。ただ怖かった。人間だと思っていた自分が人間じゃないかもしれないような気がして」

 淡々とした口調で証篠はそう言ったが、

 

「でも、それって知らなかったからなんだと思ってる」

 すぐにそう切り返した。 

 

「艦娘って存在についてあまり知らなかったんだ。なんでだろう。みんな知ってるような有名な存在だったのに、本能的に遠ざけてたのかもしれない。でも、知ってみたら人間離れしてたけど、どこまでも人間らしかった。確かに船の記憶なんてものがあって、彼女たちにとっては自分たちが人間であること自体、おかしいことなのかもしれないけど、少なくとも私の眼には彼女たちはどこまでも人間だった」

 

「でも、それって人間の形してるから。提督は前にそう言いましたよね?」

 

「私が士官学校に入るまで、艦娘の姿を私は見たことはないよ。私が見てきたのは誰かの手によって描かれた彼女たちの姿。第三者の手で描かれてるし、海軍の検閲も入ってるかもしれないから、本質は違うのかもしれないけど、分かるものは分かるんだよ。人間特有の泥臭さや意地汚さ、貪欲さ、そして正義感」

 

「あまりいい姿じゃないですね」

 

「そこがいいんじゃない?艦娘たちの核はかつての英霊たちの魂だって言われてるでしょう?だとしたら、彼女たちの魂は結局のところ人間なんだなって思ったから、私の中に受け継がれてきたのはどんな形であっても人間の心なんだって思って安心した」

 

「……違うかもしれませんよ?」

 

「違ったら漣ちゃんが教えてくれるよ。私はそれで知ることができる」

 よしっ、と声をあげて証篠は立ち上がった。

 どうやら艤装の整備が終わったらしい。散々弄られ続けた漣の艤装はようやく原型を取り戻した。

 

「でも、分かるでしょ?」

 

「何がですか?」

 

「知らないことの怖さ。知ってれば何も怖くないのに、知らないととことん怖い。だから、私は知らないままでいることをやめた」

 

「……まぁ、別にいいですけど、あまり漣たちを巻き込まないで欲しいですね」

 

「うん!善処するよ」

 そう言って満面の笑みを浮かべる。

 どういう訳か、この提督にはあまり強く言えなくなる。結局はすべて弾かれてしまいそうな、そんな強さを感じるからだ。

 

 本当に最悪の鎮守府に配属された。漣は溜息を吐きながら立ち上がっていると、急に目の前に証篠の顔があって、悲鳴をあげながらまた尻もちを突いた。

「ななな、なんですか!?」

 

「いやぁ、それで早速一つ気になることがあるんだよねぇ」

 じーっと座り込んだ漣を見下ろす証篠。いったい何をされるのかと怯えながら次の言葉を待つ漣は、口の中に溢れだす固い唾を飲み込んだ。。

 

 

「なんで、私のことは『ご主人様』って呼んでくれないの?」

「……は?」

 

「いや、だってさ!御雲君のことは『ご主人様!』『ご主人様!』って呼んでたのに、私にはずーっと提督って呼んでるでしょ?私も『ご主人様』って呼ばれたいな」

 

「……気持ち悪いですよ、提督―――ぶっ飛ばす」

 

 立ち上がる勢いを乗せたボディブローが証篠の腹部にめり込んだ。

 

「なんでッ!?!?」

 くの字に折れ曲がって少しだけ体が浮く。

 

 そのまま、コンクリートの地面に倒れ込み、腹を抱え込んで悶え転がる証篠に冷ややかな視線が突き刺さっていた。

 

「いや、流石に気持ち悪いですよ、提督」

 

「なんで?なんで??」

 

「いやぁ、ねえわ。うん、ねえわ」

 

「何が悪かったの?ちょっと待って。私武道に関しては成績悪かったから、まともに捌いたりできないから、ちょっとこれは深刻過ぎる……」

 

「まったく……ほら、艦娘を指揮する者がそんなんでどうするんですか?早く立ってください。じゃないと踏みますよ?」

 

「ちょ、本当に待って……あっ」

 

「ん?どうしたんですか?」

 

「いちご」

 

 グシャァ。

 

 漣の足は証篠提督の顔面に叩き込まれた。

 

 

 

  *

 

 

 

 超人的スピードでデスクの上の書類を片付けていく。

 主にチェックと捺印とサインとをしていく簡単な作業だが、無駄に優秀な工廠であり、造船所でもある呉には多くの発注が寄せられるため、書類の量が尋常ではない。

 一つの山があっという間になくなって、一息吐いた証篠は椅子に背中を預けてぼーっと天井を見つけていた。

 

「失礼しまーす……って、どうしたんですか?なんだか元気がないですね」 

 軽快にノックをして許可をもらう前に入ってきた漣は、目線の先にいた覇気のない証篠提督の顔を見て不思議そうに首を傾げた。

 

「あー、分かる?分かっちゃう?」

 証篠は両肘をデスクに突いて、手を組んで神妙な気配を漂わせながら、例のポーズをして漣を見た。

「いや、理由まではさすがに分かりませんよ?」

 

「……ほら、漣ちゃんがなかなか『ご主人様』って呼んでくれないじゃん?」

 

「ええ、そうですね。提督」

 

「それで他の子はもしかしたら、『ご主人様』って呼んでくれる子がいるかもしれないって期待してたんだよね?それで昨日と一昨日に建造して、いい具合に駆逐艦の子、三人くらい来たけどね」

 建造というものは、各鎮守府独断で行われるものではない。

 大本営の管理下で特定の条件を付与して行われるものであって、それによって建造の成功率を高めている。

 一〇〇年前より受け継がれている方法により、建造の成功率はほぼ一〇〇%であり、これに従わずに建造を行うと失敗して「大変なこと」になる。

 ここ三日ほど連続して建造が行われており、呉鎮守府にも三人の駆逐艦が着任した。本日に限ってはいまだ建造ドックが稼働中で結果が出ていない状態である。

 

 だが、証篠の心を苦しめているのはその結果であった。

 

「一人目にはさぁ、何もしてないのに『クソ提督』って呼ばれちゃうしさぁ……」

 

「いや、出会い頭で、『じゃあ服脱いで』とか言えば普通ですよ?」

 一人目は駆逐艦《曙》であった。証篠の第一印象はやや強気そうな少女であったがそんなことは関係ない。あろうことか服を脱いでと指示し、なかなか脱がなかったため神速で背後に回り込み、上着をひん剥いたところ、頬に綺麗な紅葉と一緒に『クソ提督』と呼び名が定着した。

 しかし、証篠はそれがいわゆる『ツンデレ』だと解釈し、現在秘密裏に『どんなツンデレも素直になる装置』を開発中である。面白そうなので漣も協力しているのは、二人の間の絶対的な秘密である。

 

 

「二人目は、握手しようとしたら『触らないでください』だし……」

 

「そりゃ、あんなにまじまじと胸を見ながら近づいてくる変態に触られるのは嫌でしょうし」

 二人目は駆逐艦《潮》であった。曙とは対照的に明らかに弱気そうな印象だったため、証篠としても優しく接したつもりだったのだが。

 

「いやぁ、あんな立派な胸部装甲してたら何が詰まってるのか気になるでしょ?知的好奇心と言うか、探求心が抑えきれなくて…」

 体躯にしては見事な胸部装甲をしていたために、思わず目が行ってしまった。同じ女性としても、思わず目が吸い込まれてしまった。主に証篠の脳の構造がおかしいだけであるが。

 

「てか、提督貧乳ですもんね」

 

「漣ちゃん、後で胸部装甲の点検しようね♪」

 

「ちょ……で、三人目は」

 三人目は駆逐艦《朧》であった。ショートボブに整えた綺麗な茶髪の髪に、きりっとした目つき、気合いに満ちた顔つき。曙や潮とはまた違った魅力のある子であった。

 

「あのね、朧ちゃん、めっちゃいい子……あの子だけだよ」

 少し涙目になりながら証篠は語る。

 若干ふざけ気味の証篠の行動すべてに真面目に受け答え(当然脱いだ)し、更には無茶な兵装の実験にも真面目に付き合った。ちょっと無理させたかな、と心配すると「強くなるためですもんね、負けません」と弱気を見せることもない。

 同じ女であるが、惚れそうになるほど誠実であった。

 

「……でも、ぼーろ、提督のこと怖がってますよ」

 

「なんで!?えぇ!!なんで!?!?」

 勢いよく立ち上がりすぎてデスクの上のマグカップが倒れる。運よくその先に書類はなく、少しフローリング汚れた程度で済んだが、証篠の顔は驚きを隠せていなく、いつもの笑顔は消えていた。

 

「ほら、提督ぼーろの蟹を解剖しようとしたでしょ?」

 

「えっ……あっ」

 先日の事である。

 漣のうさぎに興味を示し、追い回していた矢先、朧の艤装に住み着いている蟹を発見し、これはもしや『からくり』なのでは、と確保して、ドライバーで解体しようとしていたところを、曙に見つかり事なきを得た。

 曙経由で朧に蟹は返却され事の顛末は伝わり、今に至る訳だ。

 

「あぁ……」

 証篠はデスクに倒れ込んだ。最後の希望さえ崩れ去った瞬間であったからだ。もはや、この鎮守府に漣の代わりに『ご主人様』と呼んでくれそうな艦娘は存在しないが、元を辿ればいったい何の戦いなのか全く分からない。

 勝手に挑んで勝手に敗れている提督の姿がこちらである。

 

「……ところで、何の用で来たの?」

 唐突に思い出したかのように首だけを起こして漣に尋ねる。呆れかえった漣は溜息を吐くと、ようやくかと言うように口を開いた。

 

「工廠の妖精さんが、建造が終了したって。今日も新入りが来たみたいですよー」

 

「あー、はいはい。今日はどんな子が来たのかなぁ?」

 すべての仕事を放り投げて、椅子に掛けていた上着をつなぎの上から適当に羽織る。漣を連れて執務室を後にした。

 

「……四人での生活はどんな感じ?」

 

「珍しいですね。提督がそんなこと訊いてくるなんて」

 

「第七駆逐隊だっけ?昔のお仲間さんだったんでしょ?」

 

「……色々ありましたからねー、軋轢もありましたし。でも、こうやって人間の姿になって再会して……言葉で伝えられるようになって、少しだけ」

 漣は証篠から少しだけ顔を逸らして、

 

「よかったかなぁ、なんて思ったりしてます。わっ」

 漣の髪を証篠の手がぽんぽんと軽くたたくように撫でる。

 ちらりと見上げた証篠提督の表情はいつもの満面の笑みと言うよりかは、優しく見守る保護者のような温かい微笑みがあった。

 

「……そっか。今日来ることも仲良くなれるといいね」

 その言葉に、少しだけ照れるように漣の表情にも笑みが生まれた。

 

 さて、工廠前に到着した一行。

「今日こそ、『ご主人様』と呼んでくれそうな子が来そう!」

 

「来ませんよ。それと妖精さん曰く、軽巡の方みたいですよ」

 

「へぇ……初軽巡だね。また兵装の開発に幅ができて面白くなってきたなぁ……」

 そんなことを言いながら工廠の扉を開けて中へと足を進めていく。

 多くの装備が格納されている保管庫を抜けて、クレーンやコンベアの動く内部の方まで歩みを進めていく。一番奥まで辿り着くと、壁一面にパイプと配線が張り巡らされて、巨大なディスプレイといくつもの計器が並んでいた。

 その正面で小さい小人たち―――「妖精」が一人の少女の周囲をぴょこぴょこと動き回って、彼女の艤装を最後まで面倒見ていた。

 

「やぁ、ようこそ。私たちの鎮守府へ」

 そう呼びかけると、ぴくりと顔が持ち上がって反応し、ポニーテールを揺らしながらこちらへ振り向いた。

 

「あぁ、ここは提督が女性なんですね。お待たせしましたー!」

 髪もスカートも、頭の大きなリボンも緑色をして、対照的にオレンジ色のスカーフをリボン結びにして胸の前で結んでいる。少し丈の短いセーラー服の為、へそがちらちらと見えている。スカートからすらっと伸びた脚が美しい脚線美を描いている。

 カツン、と踵を揃えてビシッと海軍式の敬礼。

 柔らかい笑顔を浮かべて自身に満ちた表情をしていた。

 

「兵装実験軽巡の《夕張》です!ただいま到着しました!!」

 よろしくお願いしますね、提督、と軽巡洋艦《夕張》は言うと敬礼を解いた。

 しかし、すぐに証篠の表情を見て首を傾げる。

 

「ど、どうされましたか、提督?私、なにかしましたか……?」

 

「……なるほど、夕張か。面白くなってきた」

 証篠の顔には今までにない、少し狂った感じの笑みが浮かんでいた。

 

「えっ?」

「あぁ!よろしく頼むよ!!私は証篠 明。階級は大佐だよ。あぁ、パーフェクトだ!!」

 さっと近づいて両手で夕張の手を取ると、ぶんぶんと大きく振り回して、どうやらかなり喜んでいるようである。

 大層な歓迎をされて、若干夕張も戸惑っている様子であったが、その様子を見ている漣の心中はかつてないほどに穏やかではなかった。

 

(あっ……これ多分ダメな奴だ)

 

 漣の心中に嫌な予感が生まれた。

 残念なことに、その予感は見事に的中することになる。

 

 

 駆逐艦漣、呉鎮守府に着任して二週間を迎えた日の事である。

 

 

 

 

 

 

 




今回も読んでいただき、ありがとうございます!

少し形式を変えて「」が続くところでは改行するようにしました。
理由は単に、私が見やすいからです。
もしかしたら、今まで投稿したものもそうするかもしれません。


「異能」とかいう言葉を使いましたが、提督たちは別にそういう異能力者とかじゃないです。血筋こそ少し訳アリですが、それ以外は普通の人間です。

証篠 明(あかしの あかり)。
彼女は少しマッドサイエンティスト気質で、自分が知りたいことの為には何でもしますが正義感と言うものは持っており、彼女なりに守るべき者のために戦うと言う意志は持っています。
ぶっ飛んでいるように見えて、根底にあるのは意外と普通で真面目な性格です。
口調がやけに軽く見えますが、実際のところは寂しがり屋なので誰とも分け隔てなく話せるようにした結果です。その辺りは少し、漣と似通ってます。
あと、絶壁ではないですが大きくもない程度です(何がとは言いませんが)。


恐らく、年中に投稿するのは最後となります。
また来年度もよろしくお願いします。

では、良いお年を。

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