艦娘が伝説となった時代   作:Ti

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色彩

「我、第一次攻撃成功、艦攻隊帰投ス。第二次攻撃を要請ス……うまく行ったようですね」

 第二次攻撃隊の矢を手に取ったとき、翔鶴の目にこちらに迫る黒い影が映った。

 艦戦隊の活躍もあり、艦攻隊は攻撃に成功。しかし、敵艦爆隊を取り逃がし、翔鶴の元へと接近していた。

 後を追う艦戦隊の努力も敵艦戦隊の妨害を受けむなしく、はっきりと翔鶴の目にその形が映る距離まで接近を許していた。

「――――電さん!お願いします!!」

「はい、なのです!!なのです!!」

 艤装を修復した電による対空砲火。

 たった一人の駆逐艦で空母の護衛を行わなければならない、その重圧はただならぬもの。

 しかし、それでも電は落ち着いて主砲の照準を艦爆隊に合わせて砲撃を行っていった。

 

 一機、二機、少しずつ削っていったところで、敵艦爆隊が散開。四方から迫り、急降下を始める。それでも、電は目を逸らすことなく、逃げることなく、迫りくる黒い機体にまっすぐ意識を向けて、砲撃を放つ。

 三機、そして反転して四機。爆弾の投下を許してしまった残りの二機からは回避行動を行い、そのまま翔鶴の元へと向かった四機に砲撃する。

 一気に二機を落とし、爆弾を落とそうとした残りの二機は戻った艦戦隊が真横から蜂の巣にする。

 すぐさま翔鶴は振り返ると艦戦隊に手を振った。

「私は大丈夫です!攻撃隊の援護に回ってください!!」

 それを聞いて零戦はくるりと旋回すると、戻ろうとする艦爆隊の背後を突いて確実に落として前線へと戻っていく。空中で爆発した破片が海上に散らばる。

 電はそんなことに意を介さず、両舷最大船速のまま、海上を駆ける。敵艦隊に目を向ける。すでに目視できる距離にまで迫っている。

 ならば、次は――――

 

「翔鶴さん!!回避を―――」

 轟音が鳴り響いた。海が割れ、弧を描いて迫る巨大な砲弾。

 海面に着弾すると同時に周囲の海さえ揺らすほどの巨大な水柱を上げ、まるで陸地で地震にでもあったかのように身体が揺れる。

 だが――――高速で海上を進む翔鶴には掠りもしない。

 白い髪を靡かせながら、そこに残像でも残しているかのように敵の照準を合わせさせない。

 狭叉も許さず、翔鶴の目は敵艦隊をまっすぐに見据えながら、次の矢を弓に番え、一拍置いて放つ。

「第二次攻撃隊、発艦。お願いします!」

 流れるような動作、一切無駄なく、そこに残るのは残心まで怠らない潮風に純白の髪を靡かせる美しい姿。

 欠けることのない冷静さを纏い、かつ冷たさばかりではなく航空隊を見送る優しい眼、一方で一切の手加減を許さないと現れる厳しさ、対峙する者に向けるは憎悪や遺恨ではなく、敬意を持ち全力で、全ての意識を集中させて一矢を放つ。

 あぁ、凛々しい。あぁ、美しい。洗練された動き、静寂を切り裂いて猛々しく鳴り響くエンジン音。強く風を切って飛ぶ姿は勇ましい。

 彼女の手から放たれるその艦載機一つ一つまでが、まさしく彼女であり、どんな翼であれ、彼女へ必ず帰ると誓いを立てて空へと羽ばたいていく。

 思わず、戦場であるのに敵から眼を逸らして彼女に見惚れてしまう。

 

 

「ガァァァァァァァァァァァ!!!!」

 小破状態のタ級が吠える。全身から黄色い炎が燃え上がり、目から憤怒の焔が噴き出す。

 そのまま、ちらりと装甲空母姫を見る。もう待ちきれない、と。

 そのことを装甲空母姫も理解していたかのように、手を横に振った。

 輪形陣を組んでいた艦隊が散開し、ヲ級の護衛に駆逐ハ級flagshipと中破状態のリ級eliteが付く。

 タ級flagshipは飛び出して、電へとまっすぐ牙を剥いて海上を猛進していく。

「――――――――っ」

 自分が標的になった。そう予感した瞬間に、電は動きを変えた。之字運動をやめ、やや弧を描きながら全速でタ級の方へと向かっていく。

 

 駆逐艦とは何か。駆逐艦とはどう戦うべきか。

 船団護衛。空母や戦艦の護衛。輸送物資の運搬、遠征。対潜哨戒。防空警戒。邀撃etc。

 時に護衛などという防衛的な仕事から外れ、敵に真正面から突っ込む水雷屋の仕事も当然ある。

 仕事なんて腐るほどある。技術だっていくらでも身につけなければならない。

 空母や戦艦のように特別視される訳でもなければ、持て囃されることもない。

 だからこそ、駆逐艦は誰よりも勝利に貪欲でなければならない。

 誰よりも、好戦的で、生に貪欲でなければならない。

 駆逐艦同士では互いに研鑽を積み、その強さを認め合う好敵手であらねばならない。

 弱い火力を補う知恵を身に着けなければならない。当然技術も。そのために努力を重ねる。

 そして、その燃費から誰よりも扱きを使われるが、その分練度は高くなっていく。当然沈む確率も高い。

 だが、多くの戦場を駆け、そうして生き延びていく。

 そうして、生まれた駆逐艦は一騎当千の価値を持つ。誰よりも頭が回り、誰よりもうまく動け、誰よりも周囲を把握し、誰よりも被害が少なく、どんな戦場でも生き延びる。

 多くの駆逐艦を束ねる屈指の司令艦として、誰もが欲する駆逐艦となれる。

 かつて、吹雪、陽炎、雪風、磯風、霞、時雨、皐月、といった艦娘史に名を残す駆逐艦娘たちがそうであったように。

 

 たとえ、戦艦相手でもかちこむ度胸。そしてそれに勝利する技量。どんな戦場でも仲間を生きて連れて帰る覚悟と、戦い抜く勇気。

 

 電は自分自身を試した。そこに至れる実力を自分が持っているのか。

 死にに行くのではなく勝利に貪欲で生き延びるだけの運と技術を持っているのか。

 逆境?最高の舞台だ。

 いつだって駆逐艦が駆逐艦として最も輝くのは、小さな体が巨大な敵を屠るその瞬間。

 タ級とすれ違う。

 恐ろしいくらいの至近距離。向けるのは小さな主砲。向けられるのは巨大な大砲。

 タイミングは一度だけ。互いの一発分の砲音が重なり、衝撃が海を走る。

 黒煙が広がり、外れた砲弾が海を割り、全ての音が舞い上がった水の音に掻き消されていく中、電の小さな体はスモークを切り裂いて海上に飛び出した。違う方向からタ級も飛び出して互いに姿を探し合う。それで視線が合って再び船速が上がる。

 駆逐艦が戦艦い追いつかれるようなことはあってはならない。だが、自分自身の射程から外れれば、長射程の戦艦に嬲り殺されるだけだ。

 艦娘とは数奇なものだ。人間の身体をしていながら、船の記憶に捉われるためにその可動性と駆動力を活かしきれない。

 最も大事にすべき艦の記憶を一度捨て去ることで得られるのが、人間らしい泥臭い戦い方だ。

 これは横須賀にいた頃にある駆逐艦にこう戦えるように叩き込まれたものだった。

 

 電は反転すると一度タ級と距離を取って、こちらを折ってこようとタ級が反転させた瞬間に魚雷を四発放った。

 雷跡を残さず伸びていく魚雷。当たれば戦艦の装甲を抉るほどの威力はある。

 それでも一発で沈むようなやわな装甲じゃないことは分かっている。

 

 だったら、沈むまで当てる。やるなら、勝つなら、徹底的に。電はふと笑みを浮かべた。

 タ級が水柱の中に飲み込まれる。同時に電は再び舵を切ってタ級に向かっていった。

 

 立ち込める水煙の中から姿を現したタ級の主砲の一部は吹き飛んでいた。中破状態。破損した部分から怨嗟の黄色い炎が溢れだしている。

 両舷一杯。思いっ切り身体を捩じって、渾身の力で、タ級の顔をめがけて―――

「ああああああああああああああっっっ!!!!!」

 

 ―――――錨を叩きつけた。

 真正面からまともに受けた衝撃で仰け反って海面に背中から落ちていくタ級。

 電はそのまま止まることなく、残っていた魚雷を叩き込む。

 避けることなどできるはずもないタ級の身体が爆音と同時に炸裂。炎に包まれて力尽きる。

 

「はぁ……はぁ……やった……やったのです!!やったのです!!!」

 今湧き上がってきたのは喜び。駆逐艦としての本懐、下剋上。

 溢れ出す歓喜の想いを、電は突然抑え込んで、ふと息を整えて目を閉じた。

「……安らかに眠ってくださいなのです」

 弔い。

 深海棲艦は決してしない、人の正しき心を持ち合わせた艦娘だからこそ向ける祈祷の念。

 同じ命であった。だが、葬り去った。その邪悪に囚われた一生があまりにも悲しいものであったから。

 もう立ち止まることはない。電が目を閉じていたのはほんの一秒ほどであったが、ありったけの祈りを捧げた。

 その命が次に生まれ変わってくる世界では、平和な世界であるように、と。

 穏やかで優しい心を抱いた健やかなる生命であれ、と。

 

 電は進んだ。前へと。次の敵を探して、救済するために。

 帰る場所はもうある。だから、道に迷うことはない。

 もう逃げることはない。自分は駆逐艦として、艦娘として、深海棲艦と戦い続ける。

 

 

「――――――――電さんっっ!!!!!」

 

 

 そんな少女の強い決心さえ嘲笑うかのように「邪悪」がそこにはあった。

 翔鶴の声が届くよりも先にその砲弾が電の周囲に散らばめられて、顔を覆った少女の正面に一つの影があった。

 

 止まるはずのなかった電の足が止まった。

 正面に現れた巨大な影。圧倒的な存在感。威圧感がタ級などの並ではない。恐怖心を鷲掴みにされるような、純悪の白。

「あっ……あぁ……や……」

 首をぐるりと回して、装甲空母姫の顔が電に向けられた。

 赤い瞳が大きく開き、電の姿がそこに映される。その奥に燃える激しい負の感情の焔。それと目を合わせてしまった電の身体から力が抜けていき、ただ怯え震えるだけの少女にしてしまう。

 

 さて、始めるか。そう言うかのように装甲空母姫の表情がニタリと歪む。

 閉じていた鉛色の鋼がギギギギと軋み始め、ガンッと大きな音を立てて幾門もの主砲が開いた。

 同時に艤装の並んだ牙が開き、赤い瘴気が噴き出して、装甲空母姫の身体が赤い炎が纏っていく。

 他愛無し。怯える小さな体を圧倒的な力は蹴り飛ばした。

 海面を跳ね、転がり、水飛沫が上がる。五〇メートルほど飛んだ小さな体は俯せのまま動かない。

 

 

「――――くっ!!」

 翔鶴は冷静さを保っていた表情を焦りに歪めた。

 対峙していたヲ級eliteはこちらに隙を与えてくれはしないだろう。

 だが、どちらを選べばいい?舐めてかかればヲ級でさえ脅威になる。こちらに全力を注げば、電はいともたやすく葬り去られる。

 

 考えている暇などなかった。

「全航空隊っ、発艦始め!!!!」

 矢筒の中の矢を全て手に取り、航空隊の援護を受けながら正確に発艦していく。

 艦攻隊、艦戦隊が一気に展開し、ヲ級に向かう部隊と装甲空母姫に向かう部隊に分かれて、隊列を組んで飛んでいく。

 

 装甲空母姫の艤装の口から小さな火の玉が飛び出した。 

 白くて丸いものが燃えているようなそれは、風を受けて火の粉を撒き散らしながら上昇する。そして巨大な口を開いた鬼のような造形が姿を現した。

 そのまま装甲空母姫の傍らにそっと降り立つ。艦載機ではない、あれは対空砲台だ。

 そう把握した艦戦妖精隊は敢えて前に出て、急上昇、急降下、旋回を行いながら、機銃を放って装甲空母姫の意識をこちらに向ける。

 だが、癪に障るかのように表情が少し不快の色を浮かべると、虫を叩き落とすような音で16inch連装砲が火を噴いた。

 一気に水面ギリギリを飛んでいた艦攻隊の一部を薙ぎ払う。

 そして、艤装の口からさらに火の玉が吐き出され、それは球体ではなく歪めた円盤のような艦載機へと姿を変え、囮になっていた艦戦隊に襲い掛かった。

 

 一方で、空母ヲ級eliteに向かった攻撃隊は急降下爆撃に成功していた。ヲ級の格納庫内部に爆弾を叩き込み大爆発。

 一気に誘爆して炎上し、その身体は爆散した。

 その最期を看取ることもなく、翔鶴は電の元へ向かった。横たわるその体を抱き起し揺する。

「電さん!!目を開いてください!!電さん!!」

 翔鶴の姿を見て、自分隊の役割を把握したかのように、ヲ級撃沈を終えた攻撃隊と艦戦隊は装甲空母姫を狙う雷撃隊の援護へと向かう。

 一撃、一撃でも入れば状況は好転する。

 だが、消耗が激しい駆けつけた部隊は敵艦載機にさえ苦戦を強いられていた。

 

 一部隊の艦戦隊の隊長機が攻撃隊へと向かっていき、一度着艦するように促した。

 その意を汲んだ攻撃隊はその隊長機の艦戦隊の護衛を受けて、翔鶴の元へと戻っていく。

 一度、電を仰向けにして寝かせ、飛行甲板をまっすぐに構えた。

「……分かりました。補給と換装を終えたらもう一度お願いします」

 飛行甲板に彼らを順次着艦させながら、矢に戻っていく艦載機たちを矢筒に納める。

 

 艤装内部で妖精たちが忙しなく動き始めた。攻撃隊への航空魚雷、爆弾、燃料、弾薬の補給。

 艦戦隊には燃料と弾薬の補給が終わり、攻撃隊より早く一部を残して発艦した。

 空母の妖精たちは少し特別だ。空母である彼女たちとの強い信頼と互いの意志の尊重をする。

 意見具申も行うために、非常に好戦的な者たちは何度も戦場へ出ようとするし、疲れを訴える者たちは休息を要求する。

 今は、全てのパイロットたちが一刻も早く戦場に戻るために動いていた。だが、ろくに休息もとらずに飛び続ければ当然精度は落ちていく。

 翔鶴は不安だという旨を伝えたが、彼らは首を横に振って、カラン、と矢筒で音がした。

 

「分かりました。ですが、決して特攻などはなさらぬようにお願いします。発艦っ、始め!!」 

 矢が空を切って飛び、白い翼を抱く零戦部隊が展開する。

 雷撃機が再度出撃可能となったとき、その時に制空権を勝ち取っておくことが今の艦戦隊に求められている。

 まだ、装甲空母姫は全力を出してはいないだろう。次々と艦載機が発艦されている。

 

 逆に翔鶴航空隊は次々と帰投している。確実に戦局は不利になりつつある。

「……翔……鶴、さん…?」

「電さんっ、目を覚ましたのですね。大丈夫ですか?」

 うっすらと瞼を起こした電。ぎこちなく状態を起こして、ふらふらと立ち上がろうとする。

「な、なんとか、大丈夫そうなのです……咄嗟にシールドで」

 電の肩の辺りを守っている装甲板がかなり大きく凹んでいた。

 我を失いかけながらも、彼女の中に眠る英霊たちの魂が、彼女を守らんと身体を動かしたのか。

 電の身体そのものに大きな損傷はなく、主砲も魚雷管も健在であった。

「それはよかった……ですが、あまり状況はよくありません」

 装甲空母姫と奮闘する航空隊の姿を見て電は咄嗟に状況を把握した。

「電が……もう一度、陽動するのです。その間に翔鶴さんが……いや、その前に止まっちゃいけないのです」

「ダメです。電さんを囮にするのはもう……えっ?」

「とにかく、動くのです……翔鶴さんは特に……間に合わないのですっ」

 電は翔鶴の制止を振り切り、思いっ切り前へと飛び出した。凹んだ装甲板のシールドを切り離すと前方へと投げやって、錨を持って両腕で顔を覆った。

 砲音。飛ぶ砲弾。宙を舞う装甲板を貫き、勢いこそ弱まったが、電に直撃する。

 

 崩れ落ちる少女の向こうで白い顔が怪しく笑みを浮かべていた。

「―――――電さんッッ!!!」

 

 翔鶴は咄嗟の事で忘れてしまっていた。あってはならないことであった。

 どれだけの覚悟をして自分はそこに立っていたつもりだったのか。どれほどの決心でここにその少女は立っていたのか。

 装甲空母姫の射程は戦艦に匹敵する。

 そのことを焦りに本分を忘れていた自分が忘れてて、傷ついても朦朧とした意識の中漢書だけが覚えていて、護衛という本分を果たした。

 カランカランカラン、と立て続けに矢筒に矢が装填されていった。怒りのままにそれを手に取ることはない。

「もはや……あなたに同情などしませんっ!!ここで、完全に叩きます!!」

 いや、始めからそうすべきであったのだ。

 長い眠りの中で忘れてしまっていた。『鬼』と『姫』の名を冠する者たちと、イロハと級を与えられる者たちの違いを。

 

 両者ともに悪であることに変わりはない。人間の中に宿る負の感情が形を成したものだ。

 後者は、意思無き悪意だ。ただ、その身体に宿る悪意に衝動的に突き動かされている。

 

 だが、前者は意思のある悪意だ。

 それは自ら考えて、自ら命を奪い、合理的に動く。合理的に殺す。

 そこに艦娘が抱くのは償いなどではない。弔いなど考えない。純粋に醜い殺し合い、あるのはそれだけだ。

 

 人間の悪の本質と言ってしまえばそれだけなのかもしれない。

 イロハ番を与えられている者たちはその本質の周囲を漂う埃のようなものに過ぎない。

 姫級に情けも償いも無用。討ち取らねばならない、その気持ちだけでいい。

 

 それが分かっていればもっと違う戦いができたのか?あの時の方が上手く戦えていたのではないか?

 どうしてあの少女は傷ついた?どうして私は守られた。

 ダメだ。これ以上、この名に恥を残すな。この名を誇りに思う者たちの名を汚すな。

「私は……翔鶴型航空母艦、一番艦《翔鶴》……」

 

 さあ、もう一度、生き抜く意味を見いだせ(覚悟を決めろ)

 

「ここで沈むわけには行きませんッッ!!」

 三本の矢を手に取り、一本ずつ弓に番えていく。テンポよく、丁寧に艦攻隊、艦戦隊を空へと放っていく。

 損傷した機体はそのまま格納庫に残して矢にはしない。休める妖精たちには少しでも多く休ませる。

 あぁ、気持ちよく眠っていた古兵たちを叩き起こしている。だが彼らは力を貸してくれる。こんな惨めな自分にも拘らず。

 まだ終われない。

 ここであの悪の権化を葬らなければならない。そして、帰るのだ。あの青年の待つ場所へ、電と共に。

 

「全機、突撃!」

 再び爆弾と魚雷を抱えて攻撃隊が空を翔けていく。戦闘を離脱した一部の艦戦隊がその直掩に就き、敵機と対空砲火から彼らを護り抜く。

 それでも装甲空母姫の主砲が唸る。艦戦も艦攻も関係なく、海面ごと抉り取られるように吹き飛ばされる。

 放った魚雷も、落とした爆撃も、掠めることもなく外れていく。機銃を放っても、その分厚い装甲に傷をつけることすらできない。

 

 翔鶴は電をもう一度抱き起すと、今度はまだ意識が残っていた。

「……上手く、行ったのです」

 そう言って彼女は笑ったのだった。だが、本当にうまく行っている。あの砲撃を真正面から受けて中破状態。

 浸水も最小限で止めているために今の状態ではまだ沈むことはない。

 この子は相当やれる。そんな確信が生まれていたのは、きっと今ではない。

 彼女と向かい合ったあの時からその片鱗はあった。

 

「あなたは素晴らしい駆逐艦です……きっと、想像できないほどの努力を重ねてきたのでしょう」

「電は……他の子より何もできなかったのです……だから、訓練も勉強も人一倍やるしかなかったのです」

 なるほど。この少女はきっと他の駆逐艦娘より訓練も勉学も成績が悪かったのだろう。

 恐らく、それは彼女が悪いのではなく、彼女の中にあったあの気持ち。この戦いを良しとしない気持ちが邪魔していたのだろう。

 それを実力不足だと思い、人一倍修練を積んだが、それでも彼女の想いは自身にリミッターをかけていく。

 そんな彼女の練度は、きっと彼女の実戦経験以上に積み上がっていただろう。屈指の名駆逐艦と呼べるほどに。

 

「その想い、その心構え、本当に素晴らしいものです。あなたはここで失われていい存在ではありません」

 先達に恵まれ、その性能に恵まれ、始めから期待を背負っていた。

 思えば、勘違いをしていた時期があった。自分はもっとやれるのではないかと。いや、主にそう思っていたのは妹の方だったが。だが、自分の中に少しばかりあったのは認めざるを得ない。

 それを見事に射抜かれた。「五航戦にはまだ早い」と姉妹揃って説教を受けた。母には「バカですね」と優しく言われた。

 それからだった。努力を重ねて、血反吐を吐いて、身体に鞭を打って、ようやく認めてくれた。

 私たちの憧れが認めてくれたあの瞬間は……いや、その時の作戦で努力が実を結んだ瞬間はとても嬉しかった。

 だから今、彼女の努力を認めなければならない。他の誰にも気づけない彼女のその価値を。

 

 手を貸した、少女はゆっくりと立ち上がった。まだ戦えると。まだこの炎は消えちゃいないと。

 あの化物の中で燃える邪悪な炎よりももっと強く鮮やかにこの魂は輝いているのだと証明するかのように。

「まだ、戦えるのです……」

 そう言って、また笑った。別に強いられて笑っている訳でも誤魔化すために笑っている訳でもないだろう。

 この少女は心の底から笑っている。駆逐艦として、駆逐艦らしく戦い抜くことを楽しんでいる。

 全く、駆逐艦の子たちは血気盛んな子が多い。それは一〇〇年前から変わりはしない。

 

 だが――――この子はそれだけじゃない。

「電さん、今のあなたはきっと誰の目にも頼もしく思えますよ……ありがとうございます」

「え?……ほわわぁ……なんだか、少し…恥ずかしいのです……でも、嬉しいのです」

 これから先も彼女は自分の実力を驕ることは決してないだろう。

 そして、その純粋さを失うことも、まっすぐな気持ちを忘れることも、この戦いに疑問を抱かなくなることも、きっとない。彼女は問い続ける。自分の意味を。

 それこそが、彼女をただの駆逐艦という枠に縛られない、最高の艦にしていく。

 この戦いを生き抜く最高の駆逐艦に。 

「ですが、後は私がやります。電さんは少し距離を取っていてください」 

「で、でも、それだと、翔鶴さんが電の囮になってしまうのです……」

「大丈夫ですよ。囮には慣れてますし……それにもう終わらせるつもりですから」

 そう言って微笑んだ翔鶴がちらりと装甲空母姫を見た瞬間、電の背筋に冷たい汗が走った。

 その目に映る彼女の横顔はいつに変わらず美しい。しかし、冷たい。いや、深海棲艦の浮かべる笑みとはまた別だ。

 負の感情が持ちうる冷たさ。

 それとは異なり、今の翔鶴が纏うのは正の感情が放つ極限の冷たさ。

 その冷たさの芯に、いまだに微かな温もりを隠している。

 

 鉄血。

 

 

 空になったはずの矢筒に、カラン、と一本の矢が装填された――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――少しだけ、昔の話をしましょうか?」

 翔鶴はその矢を手に取りながらゆっくりと口を開いた。

「私には尊敬している二人の先輩がいました。その片方は当時の空母機動部隊総旗艦、一航戦《赤城》。私の師であるお方です。私の最期となったその戦いで、赤城さんが私の武運を祈って、一つ航空隊を私に貸してくださりました」

 一航戦、赤城。

 艦娘史について勉強していない者でも、その名を知らぬ者はこの時代にはいない。

 葬り去った深海棲艦は艦娘の中でも頭一つ抜けており、さらに参加した作戦も最多。破壊した敵泊地、陸上基地は数知れず。

 彼女が通った後には、一匹の深海棲艦も存在しない。そう言われたほどの、艦娘史最強の一人。

 その他にも大飯喰らいで三桁くらいの飯屋を潰したとか、こっそりと大衆食堂で食事をしておじさんたちと談笑していただとか、こっそりフードファイターの大会に出ていたとか、何かと都市伝説の多い人ではあるが、後継育成にも尽力し、戦後の復興にも大きく貢献。特に今の軍の体制が平和な時代でも形を成したこと、できる限り穏やかな軍縮を行ったことなど、海軍周りのことについて多大な成果を残している人である。

 何にせよ、艦娘の伝説であった時代に伝説であった存在なのだ。

 

「まあ、知っての通り、借りたまま返すことができなかったんですがね……まだ私の中に残っているとは思いもしませんでした」

 そう言い残すと、翔鶴は電を後方に残して一杯で前へと飛び出した。

 矢を番えて、弦を引き絞り、まっすぐに標的を睨んだ。

 

「もう一度、お力を貸していただけるとは思いもよりませんでいた……ですが、こうして現れてくれたのはそういうことなんですよね?」

 矢に宿る魂に語り掛ける様にやや笑みを浮かべながら翔鶴は呟いた。

 

「ありがとうございます……そして、お願いしますっ!!発艦してください!!!」

 パシュン、と勢いよく矢が放たれて一瞬で遥か遠方まで飛んでいく。

 一気に矢が左右に展開して、光の一つ一つが航空機へと姿を変えていく。勢いよく始動するエンジン。風を切る緑色の翼。

 

 九七式艦上攻撃機の後継機。不具合の多かった《天山》の改良型《天山一二型》。火力、性能については《流星改》にこそ劣るものの、見るべきところは機種ではなく、その尾翼。

 

 記された文字は「EⅠ-301」、意味は「第五航空戦隊翔鶴艦攻隊一番機」。

 胴体後部に識別帯白一本、尾翼に白三本。

 

 

 翔鶴航空隊飛行隊長、その率いる最強の雷撃隊《天山一二型(村田隊)》―――――――

 

 

 その隊長機が率いる五機の攻撃隊は怒涛の勢いで、装甲空母姫へと向かっていった。

 

 零式艦上戦闘機熟練部隊の隊長より艦戦隊全体に指令が伝わった。

 『ブツヲ援護セヨ』と。たった一つの司令で一気に艦戦隊の動きに火が付いた。

 三機一体、編隊を組み確実に敵機を撃ち落としていく。

 

 装甲空母姫の方にも動きに変化があった。異様な気配を撒き散らしながらこちらに迫ってくるあの雷撃隊。

 あれを撃ち落とせ。そう砲塔を動かした一瞬の隙を、重い荷物を背負って逃げ延びていた《流星改》の爆撃隊は見逃さなかった。

 三機が急降下爆撃を仕掛けて、爆弾の投下に成功。砲塔に命中し、炸裂。左舷側の砲塔全てを破壊に成功する。

 しかし、対空砲台の放った砲撃が離脱する爆撃機を撃ち抜いた。直掩機を回していたために、満足な状況での離脱が不可能だった。

 火の玉になって、海面に叩きつけられる艦載機たち。それでも与えた損害は十分すぎるほどに大きかった。

 

 隊長機より周囲の雷撃機に「もっと高度を落とせ」と手で指示が行く。ただでさえ低空を飛んでいるのに、さらに高度を落としていった。

 海面すれすれを飛ぶ五機の雷撃機が完全に雷撃有効射程範囲へと入る。やや散開し、広がって五方向から航空魚雷が投下された。

 

 回避しようとした装甲空母姫の意識の隙を突き、さらに《流星改》と《零戦二一型》が機銃による攻撃を仕掛けて逃げ場を失くしていく。

 

 そして、逃げ場を失った装甲空母姫の脇腹を抉る様に、翔鶴航空隊の総力を賭けた魚雷が突き刺さり、その船底を吹き飛ばした。

 機関部、弾薬庫、側部装甲、全てに魚雷がめり込んでいくのを確認し、全機がその場を離脱。

 直後、全ての魚雷が炸裂し、周囲の海水を蒸発させるほどの爆発が起こった。

 

 

 

「や、やった……やったのです!!電たちが勝ったのです!!」

「ふぅ……皆さんのお陰ですね。すべての艦載機のみなさんのお陰です。そして、電さんあなたのお陰です。」

「電は……何もしてないのです。ただ、そうですね……」

 沈みゆく強敵の姿を遥か彼方に臨みながら、少しだけ悲し気な笑みを浮かべた。

「これが、この場所で沈めた命が、いつか報われるのならば、電はここにいてよかったと思うのです。その祈りさえ沈みゆく方々に届けることができるのならば」

「……そうですね。きっと次生まれてくるときは素敵な世界になっているはずですよ。電さんが望む未来なのですから」

 

 海上に登る大きな爆炎。それの行く先にある暗雲を見上げながら、翔鶴は飛行甲板を水平に構えた。

 次々とボロボロの機体たちが戻ってきて、矢へと姿を変えていく。

 本当によく戦ってくれた。自分にできることは彼らの帰る場所となることそれだけなのに、本当に頑張ってくれた。彼らがいてこその航空母艦なのだ。そして、電のような駆逐艦や多くの艦娘たちがいるからこその私なのだと。

 今になって再び強く思った。この新しい時代で。変わることのない想いを。

 

「電さん、一つお願いしてもいいですか?」

「はい?なんですか?」

「着艦作業にはしばらく時間がかかります。その間―――――」

 翔鶴は海面に目を向ける。浮き輪に掴まって、ぷかぷかと浮かぶ小さな者たちがたくさん。

 

「トンボ釣りをお願いします」

 みんなで帰るのだ。誰かが待つ、帰るべき場所へ。

 

 

 

 

   *

 

 

 

「おかえり。俺、待つ、イナズマ、ショウカク」

「はい。ただいまなのです!」

「ただいま帰投しました。電さんお疲れ様でした」

「……勝つ?」

「大勝利なのです!翔鶴さんの大活躍なのです!」

「ショウカク、すごい」

「凄いのです!!翔鶴さんはとても凄いのです!!」

「ちょ、ちょっと電さん!!私はそんなに……お気持ちは受け取ります。ですが、電さんは自分の成果も素直に認めてみてはいいんじゃないですか?戦艦タ級flagshipとの一騎打ち、見事でしたよ」

「あー、そうですね……電も頑張ったのです!」

「イナズマ、がんばる、すごい」

 そう言うと、青年は手に持っていたバケツの中身を再び、電の頭から浴びせた。

「はにゃあああああああああああ!!!!」

 再び訪れた突然お出来事に、当然のように悲鳴が上がる。

 だが、その驚きの甲斐あって、傷ついた電の身体は元通りになっていき、傷は全て癒えていった。

「それは……高速修復材ですか?」

「……?」

「これの名前はそういうものなのですか?」

「あら?今の時代には存在しないんですか?」

「電のいた鎮守府では見たことがないのです。でも、名前は聞いたことがあるのです」

「まあ、希少価値の高いものですからね……ですが、どこから」

 青年は肩をぴくりと跳ねさせて、振り返ると二人を手招きした。

 一度互いの顔を見合って首を傾げた電と翔鶴。とりあえず、艤装を下ろすことなく、そのまま砂浜を歩いていこうとした。

「これ」

 そう言って青年が二人に手渡したのは、片方に板切れの付いた蔦であった。

「え、えーっと……」

 困惑の表情を浮かべる翔鶴に、青年は真顔で、

「海、行く」

 そう言った。これには電も思わず、

「えぇ……」

 少し驚くような、それはないだろ、というような表情で声を漏らしていた。

 

 

 だが、本当に海で行けばすぐの場所だったのだ。

 と、言っても、青年は板切れにしがみついている状態であったので、そこまで速度は出せないのだが、先の見えない密林の中を進むよりかははるかに速いだろう。

「あれ」

「あっ、ここは……」

 そこは電が見つけたコンクリートでカモフラージュされた岩壁だった。

「コンクリート、ですね。では、ここは……電さんお願いできますか?」

「はい、なのです!電の、本気を、見るのです!!」

 駆逐艦の主砲が火を噴いて、コンクリートの壁に命中する。白い砂煙が上がるが、風でそれが晴れていくと少し削れたくらいで穴は開いていない。

「なかなか分厚いみたいですね……」

「うーん……じゃあ、やり方を変えてみるのです」

 そう言うと電は岩壁に接近していき、魚雷管に装填していなかった予備の魚雷二本を手に取った。

 ある駆逐艦から教えてもらった方法なのだが、魚雷はやろうと思えば手動で時間まで指定、時には方角も指定して、起爆させることができるものらしい。流石に戦闘中には行えるようなものじゃないが。

 岩壁の高いところに一箇所、低いところに一箇所。蔦が生い茂っていたため、その一部を利用して、器用に巻き付けて、時間をほぼ同じになる様にセット。

 

 その場を全速で離脱して、翔鶴の場所に戻ると、ちょうどその頃にセットした魚雷が炸裂した。

 

 大量の白い煙が立ち登り、その奥からガラガラと瓦礫が次々と崩れ落ちていくような音がしていた。

 そして、煙が晴れるとそこには五メートル弱四方ほどの巨大な穴がぽっかりと開いており、一気に内部に海水が流れ込んでいっていた。

 電は恐る恐るその内部へと進んでいく。

 なんだか青年を海水に浸けているのが申し訳なった翔鶴は、意外と軽い青年を抱きかかえて(お姫様抱っこ状態)、電の後を追っていった。

 

 暗闇の中でも薄く光る誘導灯が、トンネルの内部に続いていた。それに沿って微速で進んでいく二人。

「翔鶴さん……ここはいったい?」

「分かりません。ですが、こういう通路は大体の場合……」

 

 そして、急に視界が開けて、巨大な暗闇の広がる空間が現れた。

「く、暗くてよく分かりませんね……」

「……照明弾があるのです」 

「流石に室内と思われるここでそれはやめた方がいいと思うます」

「……なのです」

 だが、その奥の方までしばらく水の張った場所は続いているらしかった。深さもそれなりにある。

 天井の高さも結構あり、無音の空間はまるでこの暗闇が無限に続いているのではないかと錯覚させる。

 

 かつん、と爪先が何かに触れた。

 電は恐る恐る足元を見ると、そこには境界線があった。水と、コンクリートの陸地の。

「翔鶴さん、ここから先は歩いて行けるみたいです」

「では、ここから上陸しましょう」

 そう言って、二人は上陸し、青年をゆっくりと地面に立たせると、彼は徐に辺りを見渡して、

「こっち」

と言ってひとりでに歩き始めたのだった。

「隊長さん、この暗闇の中で歩き回るのは……」

「イナズマ、こっち。道、ある、俺、見る」

「……あの方には見えているのでしょうか?この暗闇の中で」

「わ、分からないのです……でも、着いていくしかないのです」

 青年の背中を追い、暗闇の中を進んでいくうちに徐々に二人の目も慣れてきた。

 だが、クモの巣やネズミとコウモリの死骸で彼女たちが悲鳴を上げたのは数え切れなかった。

 

 その後、いくつか扉を開けて、階段らしきものを上って、ようやく光のある場所に着いたと思えば、闇に慣れ過ぎたせいで光を受け付けることができず。ただ陸地を進んでいるだけなのに、どうしてこれほどに疲れているのだろうか、と二人は疑問に思った。

 

 スライド式の鉄の扉が開いて、彼女たちは建物の外に出ると、そこに広がっていたのは驚くべき光景だった。

 

 木造の横長い学校の教室のような場所がある建物。

 赤いトタン造りのプレハブのような建物。

 彼らが出てきたコンクリートの壁の建物。

 

 そして、中央奥に巨大な岸壁を背に位置するレンガ造りの大きな建物。

 

「こ、ここは……」

「鎮守府……いえ、泊地と呼ぶのが良いのでしょうか?」

「ハクチ?」

「え、えーっと……どうやってここに……えっ?」

 翔鶴が思わず言葉を止めたのは、自分たちがやって来た道、つまりこのコンクリート造りの建物の内部から小人たちが駆けて飛び出していったのだ。

「よ、妖精さんなのです……あっ」

 その妖精はいつの間にか青年の肩にも乗っていた。

 それだけじゃない。木造の建物の中にも、赤いトタン造りの建物の中にも、レンガ造りの建物の壁をよじ登っている者も、多くの妖精たちがあちらこちらに存在していた。

 青年にとっては、面白いものを見つけた、程度のものであって、翔鶴を見つけた時に同じものがいたからきっと喜ぶと思って二人を連れてきた訳であったのだが。

 

 

「「えぇ~~~~~~~~!!!!!!」」

 

 島全土に響き渡るくらいの驚愕の声が二人の口から吐きだされた。

 無人島と思っていたこの場所に、こんなにたくさんの妖精がいれば、まあ当然の結果ではあったのだが……。

 

 

 

   *

 

 

 一日の残った時間で三人は探索を始めた。

 その結果、木造の建物は宿舎(もしくは会議や勉強を行う場所)。

 赤いトタン造りのプレハブのような建物は、資材庫。

 コンクリート造りの建物は工廠で、地下にあったのがドック。

 赤いレンガ造りの建物が、本部のような場所であるらしい。

 

 驚いたことに、この場所。鎮守府として十分に運用可能な場所である。

 工廠の方に行って妖精たちに訊いてみたところ、建造さえ行える設備が整っているらしい。入渠ドックこそ二つしかないが。

 資材庫の方だが、妖精の力も借りて調べてみたところ、各資源、艦娘史における各資材の基準単位に沿って表すとちょうど三万ずつ程。残りは劣化が激しくてとても使用できる状態ではなかったが、妖精に訊いてみたところその鋼材等で建物の補強や修繕を行ってくれるらしい。燃料に関しては蒸留して別のものに使えるかどうか試すとも言ってくれた。

 艦隊運営となると心許ないが、ここにいる艦娘はたったの二人である。

 恐らく当分の間は十分だ。

 本部の方に行ってみると、大きく分けて部屋が五つほど。 

 執務室、通信室、資料室、医務室、そして酒保。

 三階建てなので結構広い。しかし、例に漏れず劣化とネズミが酷い。

 木造の建物だが、床がかなり腐っているうえに一部野生に帰っていた。

 

 だが、一番驚いたのは、宿舎裏の広場だ。

 

 畑があった。井戸があった。自給自足可能である。

 

 

 

 

 

 な ん だ こ こ は。

 

 

 

 

 

 唯一掃除した一部屋の椅子に腰を下ろし、机に肘をついて両手を組んだ状態で項垂れて二人は心中そう叫び続けていた。

 畑の方に関しては、結構荒れてはいるが、土壌に関しては問題なさそうだ。

 井戸の方はまた妖精たちが水質の調査を行ってくれるそうなので。

 

 

 にしても、妖精が万能すぎる。

 普通妖精と言ったら、装備妖精、工廠妖精などなのだが、ここにいる妖精たちはオールマイティだ。というか、職の幅が広い?というべきだろうか。

 まるで、ここがいつの日か大規模作戦の泊地となるために、その時やってきた艦娘たちの面倒を見るために、あえていろんな妖精たちを置いておくことで作戦の円滑な進行を送るため、つまりいずれここに艦娘たちが訪れることを見通していたかのような場所だと思いながら、それが確信なのだと自己完結してしまって机に二人は突っ伏した。

 

「……翔鶴さん」

「何ですか?私今とても疲れていて」

「……こんなこと言うのもなんですけど……無理して本土に急いで戻るよりかこっちである程度安定した生活を確保して戻る方がいいんじゃないですか?」

「……それだけは言わないで欲しかったのですが」

 

 住める。

 

 二人の中で生まれた確信だった。

 

「とにかく今日は戦闘で疲れ切っていますし、できる範囲で掃除をして、後は明日考えることにしましょう」

「そうですね。頑張るのです」

「あの方には……」

 窓の外で妖精たちをしきりに観察している。なんか楽しそうだ。

 放っておこう。言わずとも二人の中でそう決まった。

 

 

 その後、適当な時間に一度拠点に戻り、そこに置いていた荷物全てをこちらに移し、地下にあった自家発電機を動かし、電力を確保し、それなりの食料を掻き集めて、二人は入渠ドックに入って、そのまま寝床もないので適当な場所で横になって就寝した。

 余談だが、酒保に行ってみたが、一〇〇年も保つ食料などあるはずもなく、ほとんど廃棄かと諦めていたところ、未開封のワインが転がっていた。

 一〇〇年もここにあったんだからきっといい感じに熟成されているはずなのです!!年代物なのです!!

 長い間保管されているほどに熟成されると思っていた電は喜んでそれを翔鶴のところにもっていったが、彼女は首を横に振った。

「南国と思われるこの場所でワインセラーでもない場所に転がっていたものは、ただの毒物です」

 窓から放り投げた。以上である。

 

 

 

 

 望もうが望むまいが朝というものは夜が終わった後に新しい日と一緒に訪れるものだ。

 それが日本より若干遅く感じるのはここが日本じゃないからだ。

 結構暗い空だが、いつも通り起きてしまう電は、軽く伸びをして固い床の上で寝転がっていた身体を解す。

 昨日は入渠できたため疲れはあまり残っていないが、やはり寝違える。

 ボロボロになった服はすぐに妖精たちに新調してもらったのだが、すでに結構埃まみれだ。昨日はここを大掃除並みに掃除したのだから仕方ない。

 とりあえず、外に出たのだが、驚くことにボロボロだった建物が結構綺麗になっていた。徹夜で妖精たちが頑張ってくれたのだろうか?そう言えば、彼女たちは甘いものが好きだとか資料で読んだことがある。正直妖精という存在を上手く理解できないのだが、まあ果物でもあげることにしよう。

 

 工廠の扉が少し開いていたので覗いてみると、青年はそこで眠っていた。

 電の艤装、翔鶴の艤装、翔鶴の航空隊の艦載機がずらりと並べられていて、どれもが新品同然にぴかぴかだった。

 起こさないようにそーっと工廠の中に足を進めていった電は、ふと青年の側に書かれてあった数字の羅列に目が行った。

 電にはよく理解できなかったのだが、何かの数式のようにも思える。

 ここに元々残っていたものだろうか?それとも、青年が書いた……いや、彼がこんなことできるはずがない。

 しかし、彼の側に転がっているのは、大量の大きな紙。巻き癖のついているものが多く丸まってしまっていた。電はその一つを手に取ると、そーーっと開いてみた。

「……『天文学的観点から考察するFGF形成の可能性分布及び投入資材の割合による関係性より導出された波動関数の収束に関する報告書』?訳が分からないのです……」

 とりあえず、かるーく目を通してみたが、どうやらこれは艦娘に関連するものらしいのだが、根本的な理論は理解できなかった。どこからこんなもの引っ張り出したのやら。

 25013020030……この数字にも何か意味があるのだろうか?起きたら訊くことにしよう。

 

 宿舎の方に戻ると、目を擦りながら欠伸をしている翔鶴を目撃した。

 電の存在に気付き、慌てて誤魔化していたが完全に手遅れである。

「おはようございますなのです。今日はどうしますか?」

「おはようございます。そうですね……一応私は偵察機を飛ばしてみます。ですが、昨日あれほどの艦隊を叩いたのですから当分敵襲はないと思われますし……」

「じゃあ、今日もお掃除なのです!」

「では、今日はとりあえず執務室の整理から始めて本部を中心にやっていきましょう。終わったら、畑の方にでも行ってみましょうか?」

 そう言って、電は箒と雑巾を取ってきて翔鶴と二人で簡単な執務室の掃除を行った。

 少し空が白み始めた頃に翔鶴は一度工廠に向かい、青年を起こさないように艤装を妖精に取り付けてもらい、地下の出撃ドックから海へと飛び出していった。

 

「あら?」

 ちょうど日の出間近となった空を見て、翔鶴の表情に笑みが浮かんだ。

「……よかったですね。今日はとてもいい天気です」 

 水平線から日が昇る。海の裾が白く輝いて、鮮やかな空の色を映す大海の波に光が反射して白く輝いてさざめいていた。

 新しい朝が訪れる。

 それは一人の青年の待ち焦がれた夢の景色を乗せて。

 

「隊長さん!!こっちに来るのです!!」

 細い腕を引きながら電は出撃ドックに青年を引っ張り出すと、曳航策を取り付けた小さなボートに彼を乗せて出撃レーンから海へと飛び出した。

「イナズマ、なに?」

「おはようございます」 

 その先では艤装を取り付けて二人を待っていた翔鶴の姿があった。

 寝ぼけた目を擦りながら、青年は二人を見て何事かというような顔をしていた。

「隊長さんの夢は何でしたか?」

「夢……?空、色、知る」

「ほら、見てください!とてもきれいな青空と青い海ですよ!!」

 二人が指し示す正面に広がる雲一つない澄み切った青空。

 昨日までの曇天の影さえ見せないその青いキャンパスの下に広がるのは、澄み切った美しい青に染まる広い海。

 目覚めたばかりの朝日がその全てを明るく照らして、輝かせていた。

 

 ボートの上で揺れる青年はその眼をじーっと二人の指し示す広い空間に向けていた。

 その表情はまるで何もかも忘れ去っているかのようなもので、真っ白に何も考えていないような表情をしていた。

 

 まさに、今彼が望んでいた光景が目の前にあるのだ。

 その命を賭けて国を飛び出し、いつも空を覆っていた化学物質の雲や煙のない自由な空の色が知りたくて。

 色彩のない町から、世界から抜け出したくて、必死にもがいて惨めに生きてきた。

 夢が叶ったのだ。彼を人間たらしめた存在が今、目の前に広がっており、まさに彼の魂は今一番激しく燃え上がっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、言うのが二人の予想だった。

 

「……イナズマ、これ、何?」

「えっ?」

 青年の口から飛び出した言葉は電の予想を外れたものだった。その声色も表情も、何もかもが、とても夢を叶えた人間のものとは思えない。 

「何、俺、ここ、ある、理由?」

「ど、どうしたんですか、隊長さん……?今、空の色、見えてるじゃないですか?」

「色……?空……?」

 青年は首を横に傾げて、何度か目を擦って空に目を向けていたが……

 また少し首を傾げて不思議そうに空を見つめていた。

 

 

 

「同じ、色、昨日、空」

 青年の口から零れ出した言葉はとても悲しい現実であった。

「国、見る、同じ、色、変化、ない」

 二人は呆然としたまま、彼の身に起こっていることを理解できずにいた。

 

「理由、何?」

「隊長さん……えーっと、この色!翔鶴さんのこの部分の色と……電の髪の色はどう見えますか?」

 翔鶴の袴の赤と、電の茶髪。明確にその二つの色は違う。

 

「似る、二つ、同じ」

「じゃ、じゃあ、翔鶴さんのこの色とこの色は……」

 今度は翔鶴の袴の赤と、その下の脚部の艤装の黒い鋼の色。

「同じ、少し、違う、似る」

「……電たちの肌の色と、空の色は似てますか?」

 青年はその問いかけにも首を縦に振った。

 

 

 二人はこのとき悟ったのだった。

 

 この青年の世界からは既に―――色が失われているのだと。

 

 

 

 

   

 




いやぁ、申し訳ないです。結構、長くなりました。
くぅ~疲、を使っていいと思うほどに無駄に駄文を連ねていったと思います。

書く前にはいろんな伏線を張ろうとか頑張ってみましたが、結局張れたのか、張ったはいいが回収できていたのか。そもそも、伏線の話とかしちゃっていいのか。

本当はもっと長いです。僕個人としては10000字前後で一話一話区切っていきたいので途中から区切って、まるごとエピローグにぶちこみました。で、エピローグに書こうと思っていたものを投げました。

次回、第三章最終話です。とか言いながら、ほぼ同じ時間に投稿してるんですけどね。

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