航空戦書くのは初めてなので、ちょっと頑張ってみたら、かなり長くなった挙句、
電の水雷戦の方が書いてるんじゃないのって思ったら、戦いに関しては大した文量無くて、
首を捻っているのが今。
「――――おはようございます。眠れましたか?」
この島の海岸に朝日の光は届かない。今日も空は一面分厚い雲に覆われていて、まるでこの島だけ別の空間に閉じ込められたかのような錯覚に襲われる。
「はい、一晩中見張りをお願いしてしまってすみません」
「いいんですよ。昨日は交戦したみたいですし、修復できないこの場所じゃ身体と心の疲労を取ることくらいしかできませんからね」
海を臨む翔鶴の横顔をしばらくじっと電は見つめていた。
今は静かに真っすぐ流れている白い髪。傷のない美しい肌。眼には凛々しさ。幼い少女が追い求める大人の女性としての気品を持つ彼女の横顔が、電にも魅力的であったが今は別だった。
その視線に気付いたらしく、目が合うと翔鶴はにっこりと笑った。
「私の顔に何かついていますか?」
「い、いえ……昨日の答えが、まだはっきりとしなくて」
「焦る必要はありませんよ。ですが、いつか決断する時は来ます。その時に、はっきりと答えを揃えておけるか、それだけです……あの方は?」
「密林の中にいると思うのです、食糧調達か、ただの捜索なのか、どっちかは分からないのです」
「不思議な方ですね。昨晩、少しお話をしましたが、空の色を知りたい、ですか……」
そんなもの空を見上げればいつでも知ることができる。
二人の中では、その程度の色なのだが、彼にとっては貴重な宝石のように手を伸ばして手に入れたいものなのだと。
そのために、自分の意志でもがくように生きている彼は、何とも人間らしく、その魂と命は今、激しく燃え続けている。
彼という人間はどこか惹きつけられるところがある。人間臭さというか、なんというか。
「晴れるといいですね」
「はいなのです。電もそろそろ曇り空には飽き飽きしてきたのです……」
だが、翔鶴は一つ気になっていた。
彼はこの空の色を知った後はどうするつもりなのか。今こそ、激しく燃えている彼の命だが、夢を掴めば燃え尽きてしまうのではないか。
生きる意味を、人としての価値を、ひたすらに追い求める。だが、その答えを掴んだ後に道が続いていなければ、その先にあるのは崖なのだ。
彼にはその道も、その崖から飛び立つための翼もない。
「電さん、一つちゃんと言っておきますね」
「はい?」
「苦しみから解放する。それは綺麗事に他なりません。あなたの言う通り、命を奪うことに違いはないのです」
「それは……分かっているのです」
「かつての私たちはそれでも戦うことを選びました。それが未来に進むための唯一の手段だったからです。やらなければやられる。本質はそれでしかなかったことに違うはありません」
「もう、大丈夫なのです。電も戦いの一つの見方が増えてよかったのです。後は、電自身の問題なのです」
「ですが……そうですね、余計な言葉を並べ過ぎても、かえって迷惑ですよね。後は電さんにお任せします」
先に進みすぎた者が不用意に答えを与えすぎるのは決して正しいことではない。
人に個性がある様に、人の身体で生まれた艦娘たちにも当然個性はあり、進むべき道も違う。
迂闊に影響を与えすぎれば、最悪自らと同じ道を歩ませることになる。
それは……あまり喜ばしくない。
それなのに、どうしようもなく後輩たる存在を導きたくなるのは……憧れの姿を追っているのだろうか?
教えを乞う身であり、いつかはその教えを誰かに受け継いでいく先達となるべきだった道をそれてこんな場所に来てしまった。
誰かを導く者、そうなれなかった少しの惜しさがまだ揺らいでいるのだろう。
あさましいものだ。我ながら。
「では、昨晩話していた通りに私は偵察機で周囲を警戒しながら、できる限り地形などの特徴から現在地を掴んでみようと思います、ただ、天候次第で中断せざるを得ない可能性もありますし、万が一会敵したとしても私はお力にはなれません。このまま曇り空でもってくれることを祈りましょう」
翔鶴は風を読みながら、矢を放ち、姿を変えた三機の偵察機が三方向に展開していく。
「燃料や弾薬は極力温存する方向でお願いします。徒歩で行ける場所は極力歩いて、とりあえずこの島の反対側に行くことを目標としましょう」
「はいなのです!」
「会敵した場合は通信で知らせてください。私の方から航空部隊を送り援護します。では、行きましょうか」
二人の少女は波風を裂いて、颯爽と海上を駆け出していった。
*
青年は顎に手を当てて首を傾げていた。目の前にあるのは高い岸壁。ところどころに草木が生え、苔のようなものも生い茂っており、登るのは青年では無理そうな高さはある。
だが、この岸壁に手を当てた青年は違和感を拭いきれずにいた。何かがおかしい。
昨日は海岸沿いをずっと歩いていったが、海に関しては彼女たちの方が長けているために青年は内陸の探索を始めていた。
そして、電も踏み入れていない密林の奥地へと足を進めていったのだが、道がある訳でもなく、地面が平らな訳でもなく、ここに辿り着くとすぐに座り込んだ。
密林で生きてきた訳でもなければ、ここで生き延びるための技術を誰かに教わったわけでもない。
慢性的な栄養失調で今にも折れそうな青年を動かしているのは、激しく燃えている魂の炎、それだけである。だが、そんなものに関係なく、体力は消耗するし、疲労は蓄積する。足の皮は擦り切れ、掌の皮はボロボロになり、腕や足には切り傷も目立つ。
青年は猛烈な眠気に襲われた。だが、おかしい。ずっと数えてきた周期に合わない。こんな数で眠くなるはずがない。
あぁ、そうか。昨日襲われて意識を失っていたのだった。
だが、あれはそんなに長い時間ではなかったはず。ここまでの誤差が出るものなのだろうか。
青年は身体を何とか動かそうとして、全身にまとわりつく違和感に気付いた。
全身が痛い。動こうとする度にだ。
青年は筋肉痛というものを知らなかった。今まで仕事以外ではエネルギーの消耗を極力抑えてきたのだ。
だが、昨日はかなりの距離を歩き、そして穴を掘った。そう穴を掘る作業。これが厄介だった。
あぁ、眠い。何とか身体を引きずって岸壁に背中を預けた。
しかし、なんだこの切り立った地形は。海岸でもないのに、突然こんな岸壁が現れるのはおかしくないか?
ちょっとした疑問からわき出した好奇心が、再び青年に活力を与えた。
本当にここで一生分の活力を使ってしまいそうな勢いで青年は無尽蔵に好奇心と活動力を動かす。
壁に凭れ掛かるようにして立ち上がると、掌でその岩壁をぺたぺたと触っていく。
ゆっくりと右の方にずれていきながら。触っていってみるが、どうも昨日海岸沿いで触ったものとは違う。
それは微細な違いであったが、初めて岩壁というものを昨日触れて、その感触がまだ体の中で新しい青年にはよくわかった。
硬さ、いや密度か。質感、それと表面の粗さと温度。
不器用なほどに自然過ぎて、不気味すぎるのだ。
あぁ、不気味だ。青年は顎に手を当てて首を傾げた。
ふと浮かび上がった疑問はこれは自然のものではないというものだった。
しかし、ここまで成功に作り上げることが人間に可能なのだろうか―――そんな疑問は湧かなかった。
青年の目の前にある者は全て未知。分からない、できないかもしれない、ありえない。そんなもの今までいくらでも目にしてきて、その度に新しい世界が青年の中に広がっていった。
人間の中の常識というものは変化し続ける。それは経験則や情勢などに基づいて変わっていくのだ。
なるほど。ここにはかつて人間がいて、人間にはこういうものも作り出せるのか。
そう言えば、あのショウカクとかいう少女がここにいたんだ。あの不思議な現象を起こせるほどの人間がここに住んでいたのならば、この島一つ作り上げてしまうくらいの技術があってもおかしくはない。
おや?だがしかし待て。
あの小人のようなものがこの島の住民だったとしたらどうする?
もし、そうだとしたら、人間の目線でこの島を歩くのはおかしいのではないか?少なくとも、この島で出会った人間のような文明を形成できる存在はあの妖精だ。
イナズマは外から来たみたいだ。ショウカクも人間とは少し違うらしい。
じゃあ、少し視点を変える必要がある。青年の視点はずっと低くなっていき、膝を突き、頬を地面に擦らせ、岩壁と地面の境界の辺りをじーっと見て行った。
まあ、そこは剥き出しになった岩盤の上に、草木が生い茂ったり、蔦が茂っていたりするだけなのだが。
あまりにも偶然だった。青年はこの岩壁の「ほころび」を見つけた。
小さな穴だった。青年はこれが妖精たる存在が出入りする穴だと勘違いしていたのだが、それは本当に偶然だった。
上から枝垂れる蔦の束と、岩盤に根を下ろす背高草、それに隠されていたのだが、青年の目はその奥にあるものまでしっかりと捉えていた。
穴に近づくと、最初は近くに落ちていた細長い葉の芯のみにしたものを奥の方まで入れてみた。
大きさが一メートル弱のその葉の芯はしっかりとしていて、その奥で何もぶつからない。
すなわち、その奥は空洞になっているという事実を青年にもたらした。
それが分かるや否や、青年は腕を突っ込んで―――――途端に岩壁が崩れ落ちた。
背中と後頭部に衝撃を喰らい、青年の意識は暗転した。
*
『空母は、字の如く空の母です。どんな絶望が訪れようとも、あの空の青さを、自由を守り続ける者です』
『だから、沈んではいけません。あなたが放った子たちが帰るべき場所を失うだけではありません。あなたの後ろにある守りたかったものさえも失われてしまいます』
『だから、沈んではいけません。守ろうとしたものを遺して、逝ってはいけません』
『その為に強くなりなさい。赤城さんや加賀さん、多くの先輩たちがあなたにはいるのです。きっと力を貸してくれます』
『自分が死ねば、守れる。それは間違いですよ。特攻など馬鹿なことはしてはいけません』
『守りたいのならば、生きなさい。生きて護り抜くのですよ』
母は―――母のように慕っていたあの人は私が艦娘として着任した時にそう仰った。
空母であるものは誰も彼女には逆らえない。誰も彼女を嫌いにはならない。誰も彼女を厳しい人だとは言わない。
優しい人だと。
だから、絶対に彼女を裏切ってはいけないと。死は裏切りだと。
それが私たちの暗黙の了解であり、先輩後輩問わずただ一つの共通した約束でもあった。
トン、トーン、その二つの音だけが翔鶴の耳奥に響く。軽快なリズムで打たれている楽器の音のような二つの音。
途切れることなく連続で続いていくモールス信号を読み解いていって、翔鶴の表情はやや険しくなった。
沖合一〇㎞地点、翔鶴の現在地であったが、そこからさらに離れた沖合四〇㎞。
敵艦隊発見。数、六。旗艦、姫級。
たった二人しか戦力がない状況でまさに最悪とも呼べる状況。恐らく南西諸島か南部海域であろうこの場所は確かに激戦区ではあったが、話に聞くには姫級が出現するのにはやや疑問を感じる。
ここはあの時代ではない。一〇〇年後の平穏な時代で、そこに突然脅威が再び現れたばかり。
電が艦娘として生まれてから、まだ一年も経っていないこの状況下で、すでに姫級が出現している。
いや、一〇〇年前も変わりはしない。結局、始まりはどちらが先かは分からないのだ。何が現れようとも今ここでやるべきことは一つ。
こちらに接近中。その艦隊を叩く。ここで敗北し、本土への侵攻が始まることだけは二度と許されない。
詳細な情報が送られてくる。
装甲空母姫、空母ヲ級、戦艦タ級、重巡リ級、軽巡ホ級、駆逐ハ級。強敵ぞろいではあるが、幾度となく対峙してきた敵だ。
航空戦力でならば、練度があの頃から変わっていない飛行隊ならば十分戦える。
二対六、一人は小破の駆逐艦。やや心許ないか?いや、彼女ならば大丈夫だろう。
願わくば、この戦場、この戦いで、彼女が答えを見つけてくれればいいのだが、多く望みすぎれば破綻するか。
「苦しいですね…本当にこういう逆境は」
思えば、この瞼の裏に刻まれた最後の戦場もこんなものだったか。圧倒的な数的不利。加えて突如出現した『
全滅するはずだった艦隊の殿を務め、増援が来るまで必死で持ちこたえて……でも、あの戦争はそんなに優しいものじゃなかった。
増援が来たところでどうにもならなかった。あの敵艦隊は誰も止められなかった。全員が生きて還ることなど不可能だった。
だから、犠牲になることを選んだ。
あぁ、ホントに馬鹿馬鹿しい。すべてを捨てる覚悟をした私はとても強かった。
破竹の勢いで艦載機を放ち、敵艦隊の大半を葬り去り、黒い空に銀の翼を放ち続けて、希望の軌跡を描こうとした。
惨めだ。退けば生きていられたものを。あの時代で死ねたものを。
こんな時代までズルズルと生きたかったのか、私は。
違う、そんなはずはなかった。
でも、結局私がここにある理由はただ一つで、誰かの願いなのだろう。
あまりにも多くの願いを、自分の願いさえも背負い過ぎた体は沈んでしまった。
今の自分が背負っている願いは何だろうか。
答えを追い求めるのは電だけではない。つまるところ自分もそうなのだと納得した。
「二度と、死ねません。私は―――」
先頭に臨むにあたって、一度鉢巻を解き、少しだけきつくなるように巻き直した。
再び訪れた数的不利。そして、望みのない先に希望を掴む試練。
一度、恥を晒した身、顧みることは何一つなく、落ち行くは修羅の道。
「赤」を継ぐこの魂。今再び劫火を灯そう。
空に広がる白き鶴翼に、烈火を灯して舞い戻った自分はさながら不死鳥だ。
二度と墜ちることはない。
「私は―――――」
覚悟は決まった。逃げぬことが愚かだと分かっていながらも逃げることはない。
死にに行くのではない。生きるために戦うのだ。
全て迎え撃て。そして―――護り抜け。
「―――この空を護る者なのですから」
*
電は海岸から五〇〇mほどの場所を海岸線に沿って高速で進んでいた。
電探に感無し。ソナーにも敵影はない。空は曇り空だが風は昨日よりか穏やかで、気温もそれほど高くはない。
散歩にでも出かけたくなるような気分であったが、生憎そんな気分になれるほど心中穏やかなわけでもない。
あぁ、本当に何なのだろうか。人間の身体を得てから、いや、もうその時点からこの魂は数奇な運命を辿りすぎている。
いつか見つけ出さなければならない答えも、散らばったジグソーパズル。
繋げばそこにあるのは一枚の絵。でも、全然つながらない。完成しない。
ヒントならば腐るほど与えられたというのに、まだ答えに辿り着けない自分はやはり出来損ないなのか。
それとも、この世界そのものが自分という存在を排するようになっているのか。
いや、そんなはずはない。自分は求められてこの世界に産まれたのだ。人体を得て、心を得て、その結果悩んでいるのだ。これは本来ありえぬことであってそれは喜ばしいことなのだ。苦悩する、すなわち生きている。
だが、生きている限り戦いが続くのならば。
あぁ、本当に複雑だ。人間というものはこれほどにまで。
そんな気を紛らわせるようにちらりと沖の方を見た。水平線の向こうには灰色のキャンバス。どんな色で塗ろうがキャンバスの色があんなものじゃ、せっかくの絵も濁った暗い色になってしまう。
なんだか何もかもが自分の気分を落ち込ませていくようなものばかりで少しイライラした。このままじゃ、別の自分が生まれそうだ。
島の方に目を戻した時、電の目があるものを捉えた。
舵を切り、方向を島の方に向けると徐々に速度を落としていき、目の前で止まる。
蔦と苔が蔓延ってしまって緑色にカモフラージュされているが、灰色の岸壁だ。
いや、岸壁じゃない。
「コンクリート…?ここは…人工物なのです」
ようやく見つけた。この島の正体を掴む糸口を。
電は少し離れると、主砲をその場所に向けた。
コンクリート程度ならば駆逐艦の主砲で砕けるはずだ。
が、その時、耳元でモールス信号がけたたましく鳴り響いて、電は主砲を下ろした。
「電さん、敵艦隊が接近中です。合流をお願いします」
言葉が暗号化され信号として空を飛び、遠く離れた場所にいる電の元へと届く。
「えっ…敵襲!?」
振り返る。そこには何もない、電探にも何もかからない。
じゃあ、索敵範囲外。まだ時間はあるか。
続けて伝えられる、敵の編成。
我が耳を疑う。旗艦は姫級。そんなバカな。
焦る。鼓動が早くなる。恐怖が身体を縛っていく。足が重くなる。
主砲も魚雷管も、背中の艤装もシールドも。
落ち着け、と何度も自分に言い聞かせる。
だが、空母も戦艦も同時に相手をして、駆逐艦一隻が何をできる?
じゃあ、逃げるか?何もできないから、沈むのは必至だから、逃げるか?
逃げてどこに行く?行く場所はもうないだろう?
帰る場所がどの方角かもわからずに、どこに向かう?
私は―――どこに帰るのだ?
「電さん」
静かにその声が脳内を埋め尽くす闇の中の隙間を突いて、思考回路に滑り込み、その意識に届いた。
「怖いですよね。こんな不利な状況で、敵を迎え撃つのは」
「……はい。怖いのです」
「無理をする必要はありませんよ?今すぐ上陸していただいて、あの方と一緒に逃げて貰っても」
逃げ場などない。それは既に答えとして出ている。
「しょ、翔鶴さんは……」
「私は戦います。戦わなければいけません。生きるために生きて帰るために」
あぁ、そうだ。この人は国に帰りたいんだったな。あの国に。
でも、ここで死ねば帰ることも叶わない。結局、勝つしかないのだ、この圧倒的な不利の状況下で。
「電は……どこに帰ればいいのでしょうか?」
愚痴を零すかのように不安に押し出された感情が思わず漏れ出した。
小さく息を吐いて、そして吸い込む。そんな音がして、はっきりと不快感のない翔鶴の声が再び電の耳に届く。
「……今、私たちがいる場所は海です。広いですね。とても広くて、どちらに向かえばいいのかも分からない」
「えっ?」
「そんな私たちがこんな広くて先も見えない海に出ることができるのは、帰るべき場所があるからです」
「今、今の私たちが、ここの海に立っている私たちが帰るべき場所はどこですか?いずれ本土に帰るのが私たちの目標であるのは確かです。ですが、私たちが今、護り抜くべき場所は……還るべき場所は、そこではないのですか?」
「……え?」
この無人島が帰るべき場所……こんな場所が?
「せっかく帰るのならば、誰かが待っている場所にしましょう。そちらの方が安心するでしょう?誰かが待つ場所に帰るために戦うのです。それに放置できる相手ではありません。脅威としても、私たちの対である存在としても」
誰かが待っている場所に帰る。
逃げた先で待つのは誰だろうか?そこに誰かいるだろうか?
わがままばかりの自分をどんな形であっても迎え入れてくれる、こんな歪な自分を迎え入れてくれる誰かが。
あの人は無知なだけなのかもしれないし、ただの好奇心で艦娘が珍しくて真摯に向き合ってくれたのかもしれない。
それでも、苦痛でなかった。この島に遭難したという状況こそ過酷であったが。
それに守ろうとした。一つの水雷戦隊規模の敵艦隊に立ち向かい、怒り、悲しみ、無理をして、何とか守ろうとした。
待ってくれている人が艦娘でなくても、提督でなくても、そこに自分が帰る場所がある。また、「いなずま」とこの名前を慣れない言葉遣いで文字を繋ぎ合わせ、呼んでくれる人が確かにそこにはいる。
それに、逃げても何も変わらない。
上手く本土の仲間に合流しても、自分が逃げて、一人の人間の命と一人の艦娘に背を向け見放して帰ってきて、その後の自分はどうなる?
永遠に罪悪感と、逃げ出した恥辱がこの身体と心を蝕み続けるだけだ。
ふと、翔鶴が笑った。ふふっ、と微笑んでいる顔が思い浮かぶような声で。
「それと―――あの方に見せてあげたくありませんか?この美しい空の色を」
ちっぽけな夢だ。何ともない夢だ。
言ってしまえばそんな夢なのに、きっと誰も彼をそうやって笑ったりはしない。
「――――向かうのです。すぐに合流するのです」
「えぇ、お待ちしております。作戦については合流してからお伝えします」
海面に目を落として、グッと瞼を閉じた。
覚悟がまだつかない。どんなに守りたいと思っても、自分にできるのか?
「――――いなずま」
ふとあの声が自分の名前を呼んだ。驚いて顔を上げると、そこに彼はいた。
先程まで壊そうとしていた岩壁の上に青年は立っていた。また腕に青い痣ができている。
「た、隊長さん…っ!!どうしてここに」
「穴、一つ、そこ、ここ、行く。家、ある、置く、下、行く、道、俺、ここ、行く」
「え、えーっと、よく分からないのです…」
青年はしゃがみ込むと、いなずまにもっとこっちに来るように手招きした。それに従って電が近寄ると―――
バシャーン!!!
「はわーーーーーーーーーーー!!!!」
何か緑色の液体のようなものが頭からかけられた。あまりにも突然の出来事に電は海の上に尻もちを突いた。
「なななな、なんですか…っ!?!?」
「怪我、治る、これ、言う」
青年は脇に手に持っていたバケツのようなものを置くと、電に右手を差し出した。
「えっ…?」
青年が差し出した掌の上には、小さな人間が乗っていた。
妖精―――艦娘という存在とは切って離せない謎の存在であり、人知を超えた技術を持つ小さな存在。
「よ、妖精さん……あれ?艤装の損傷が――――体の傷も」
キラキラと液体が輝いて、不思議なことが電の全身で起こっていた。
手当もできずの放置していた擦り傷や、修理もできずに凹んだり欠けたりしていた艤装、流石に弾薬や魚雷の数は増えなかったが、喪失していたコンパスが蘇り、電の脳内に明確な方位が示される。
「戦い、イナズマ、向かう、俺、待つ」
「え、えーっと……」
「イナズマ、強い。俺、守る。シンカセンカ、倒す。イナズマ、勝つ」
「あれはまだ電が何とかできる相手だからよかったのです。今度のはどうなるか分からないのです。だから、これを電にくれてありがとうなのです」
「……ガンバレ、イナズマ」
青年が送る、知っている言葉で伝える激励の言葉。
こんな発音もイントネーションもグダグダの言葉でさえ、電の背中を暖かく押してくれる優しい言葉に思えた。
「隊長さん、もし空の色を見たらその後はどうするおつもりなのですか?」
「……知る、不可能。俺、ある、見る、空、色」
「だったら、ここで待っててもらえませんか?」
「待つ?」
「はい、電と翔鶴さんが、深海棲艦と戦って帰ってくる場所で、待っててもらえませんか?隊長さんがここで待っててもらえると、とても心強いのです」
「……待つ、イナズマ、ショウカク、待つ」
「ありがとうなのです―――じゃあ、行ってくるのです!」
迷っている間に多くの戦いが行われて、失われる命と、命を奪った命が存在し、罪と苦しみが生まれ続け連鎖は終わらない。
自分はその連鎖の中に呑まれないように逃げ続けていたのか。それとも、純粋に同じ命を奪うことはできない理性の叫びがリミッターをかけていたのか。
もうこの際、どうでもいい。矛盾なんてすべて受け入れてでも戦って
―――そして生きて帰ってやる。
対となる魂が行き場を失ってあの姿になったのならば、救わなければならないし、これ以上の破壊で自分の魂を汚させるわけにもいかない。
自分を救いたいのならば、他者を救え。たとえ、それが相手の命を奪うことであったとしても。
救済の一つの形として受け入れる他ない。
命を奪い続ける悲痛の罪に苦しみ続けるだけならば、償いとしてすべての命を返すために戦った方が楽だ。
艦娘がそのためにあるのだとしても、そうでないとしても。
いつか平和な世界を望むのならば、これから生まれ行く新たな命に平和な世界を見せたいのならば。
もし、死にゆく者たちが生まれ変わってみる世界が平和な世界がいいと望むのならば。
今、ここで―――――止まる訳にはいかない。
*
真っ白な肌。触れずとも冷たさを感じさせるその白。
身体を覆う服はほとんどなく、首周りには破れたセーラー服の襟などが残っている。
腕や足はまるでブーツや手袋でも付けているかのように黒く痣のようなものが広がっており、局部にもそれが見られた。
白い肢体、長くボリュームのあるこれまた白い髪がポニーテールのように結われており、その身体を取り巻いている。
小さな顔で瞼を閉じており、彼女はまだ静寂を保っていた。腰の辺りの結合部位から、その身体を守る様に展開されている巨大な鉄の塊も、今は静かに眠っているかのようだった。
残りの敵艦が彼女と、その前のヲ級を守る様に円形の陣形―――輪形陣の状態で海上を進んでいたが、ふとそのヲ級が顔を上げて、眉を跳ねた。
遥か上空を飛ぶ鳥のような影。敵の偵察機。すぐに気付いたヲ級は戦闘機を発艦しようとしたが、正面にいたタ級が目を開き、上空にその砲門を向けた。
まるで美しい女神像のような造形をした女性。ロングヘアの白髪に白い肌。そしてその表情に浮かぶ冷たい笑み。
マントのようなものを纏うその中から腕を伸ばす。伸びた指先に赤い爪。ギギギと金属が擦れ合う音がして艤装が断末魔のような叫び声を上げる。
伸ばした腕で照準を合わせて、タ級の砲門が一斉に火を噴き、空に赤い炎が広がった。
小さな偵察機はいとも簡単にその砲火の中に飲み込まれ、火の玉となって海に落ちていく。
にやりと、笑みを浮かべてこちらを見たタ級に、ヲ級は特に表情を変えることもなく、目を閉じて歩を進めていった。
その背後で、静かに彼女は目を開く。薄く開いたその眼に睨まれたような気がして、タ級はすぐに目線を前方へと戻した。
その眼がちらりと空を見た。暗雲立ち込める鉛色の空。
彼女の艤装の銀色と呼ぶには程遠い鋼の色によく似た色だ。別に何の感情を抱くわけでもないが。
ただ、少しばかり機嫌が悪い。
そんなことを思っていた矢先、前方の空に黒い点が広がっているのが見えた。
ヲ級が冷静に艦載機を発艦していき、迎え撃つ。黒い金属の塊が蟲の羽音のようなエンジン音を響かせながら空に絶望の色を振りまいていく。
キリキリと引き絞る弦が音を立てる。速力を上げて進む翔鶴は目を閉じて頬を撫でる風を感じた。
目を開く、その瞬間に会を解く。真っすぐに風を受けながら飛ぶ一筋の矢が、光を放って三機がその翼を広げる。
風を切って上昇していく美しいフォルム。深緑色の逆ガル翼に日の丸を背負い、背負う武装は艦攻、艦爆、ましてや艦戦すべてを上回る火力を誇る。
加えて、二射目。三射目、四射。合計、十二機の《流星改》、その直掩機に回るのは二〇機の零式艦戦二一型、パイロットは熟練。
翔鶴に配備された航空隊。
船の時代には発艦することも叶わなかった《流星》の上位互換機。
一〇〇年前の戦場でも多くの深海棲艦を圧倒的な火力で葬り去った最強の艦攻。
そして、翔鶴が着任してからずっと彼女と共に空を守り、戦い続け脅威の練度を得た戦闘機乗りたち。
「さぁ、征きましょう!!」
勇ましい翔鶴の掛け声とともに一気に加速していく機体。
半数に近い攻撃隊を発艦。まずは敵の出鼻を叩く。
隊列を組んで迫っていく翔鶴航空隊。その操縦席に腰を置く妖精たちの表情は勇ましく、誰一人として負けるつもりはないという気迫に満ち溢れていた。
敵機と邂逅。
その瞬間に、零戦は大きく旋回し、一部隊が上方から敵機の隊列に機銃を放ちながら突っ込んでいく。一機、二機、三機、墜としてそのまま急降下。その後を追うようにして降下する敵機を正面からの航空隊が叩き、左右に広がって散らばった敵を余すところなく叩いていく。
敵艦隊見ゆ。
艦攻隊が雷撃隊、爆撃隊に分かれて高度を変えていく。
上昇する爆撃隊が対空機銃を掻い潜りながら急降下。
敵艦上方で爆弾を投下。そのまま再び上昇していく。
軽巡ハ級の頭部にめり込み、炸裂。大破状態に追い込む。
上空からの攻撃に気を取られている間に、雷撃隊が低空飛行から航空魚雷を放つ。
そして、離散。
左舷から敵艦隊を薙ぎ払う数本の魚雷が迫り、タ級、ハ級、リ級の脇腹を抉る。
巨大な水柱が美しい輪形陣の一端で上がった。
海上に響く衝撃が装甲空母姫を浅い眠りから目覚めさせた。
一気に決着まで書こうとしたらかなり長くなってしまった……
こんなに長くするつもりじゃなかったのに…四、五話の範囲で終わらせるつもりだったのに
まあ、いっか(錯乱)
次話決着です。もしかしたら、一気に完結まで行くかもです。
それと別に短めエピローグを別に添えておきます。