波を割って進む少女の頬には生ぬるい風が妙に気持ち悪く感じた。
知らない海。知らない空。進むべき航路さえ皆目見当つかず、導いてくれる者もいない。
魂こそ歴戦の戦船かもしれない。しかし、その精神は勇ましさこそあれど幼い。
分かるのは船としての自分。船として重要なものを失っている自分は今は致命的に船として欠陥だ。
苦しめるのは人間としての自分。不安、恐怖、焦り。緊張感が常に身体にまとわりつき、艤装がいつもより重い。
「……大丈夫でしょうか?ここがどこなのかもわからないのです」
雲が晴れていていれば、ここがどこか知る方法もあった。天測が行える機能はまだ電の中に生きていたが、空は灰色の厚い雲で水平線の向こうまで覆われている。
今できることと言えば、この島で生き延びる手段を考えること。
「もし、こんな時に深海棲艦に襲われたら……」
小破状態ではあったが、機関、電探、ソナー、主砲、魚雷管、ほとんどが正常に動く状態だった。少しの敵襲ならばまだ満足に戦える。
しかし、補給ができないため考えて戦う必要がある。艤装の補給も、身体の補給も、その両方を考えなければならない。
それでも、不安は治まらない。
その一番の理由は彼女の足下に広がっているこの海が原因なのだ。その色は青ではなく黒。空の色を映しているために少し灰色に見えるのは分かるが、この水は濁っているかのように黒い。
これは『浸蝕域』―――つまり、ここは本当ならば敵陣のはずなのだ。
いつ会敵してもおかしくない状況下で、緊張感を絶やす訳にはいかなかった。生きて還れるかすら分からないというのに……
最悪の結末ばかりを考えてしまう頭を大きく横に振り、電は顔を上げた。
「きっと大丈夫です!隊長もちょっとおかしな方と言うか……ぶっちゃけ犯罪者なのですが、今はそんなことどうでもいいのです!司令官さんのところに帰るのです……あれ?」
島の周りを少しだけ沖の方に出てぐるりと回っていた電はふと今の一部に開けている場所を見つけた。
すぐに向かってみると、どうやら桟橋らしきものもあり、人がいるような気配を感じだ。
「桟橋ですか?やっぱりここには誰かが―――――あっ」
しかし、近くに来てその姿を見ると、希望は淡く散っていった。
「……ボロボロなのです。もう長い間誰も使ってないみたいなのです。これじゃ……」
誰かがここを使おうとすれば、すぐに板が抜けて壊れるだろう。そして、連鎖的にこの桟橋そのものが沈んでいく。
そう予想できるほどにボロボロな木で作られた桟橋だった。
しかし、一つだけはっきりとしたことは、かつてここに桟橋を必要として作った人がいたということだ。
……それが一〇〇前よりも昔なのかどうかは定かではないが。
「はぁ……」
突然疲れがどっと押し寄せて、電は溜息を吐きながら肩を落とした。
思えば、危険な海に出て燃料を消費するより、地道に外周を歩いて捜索すればよかったのでは…浜からでも魚群は見えるのだし。
確かに海に出た方が艦娘としての本来の力を存分に発揮できるし、島の形を把握することもできる。
今後のことを考えるならば……いや、考えるのはやめよう。今更こんな小事で後悔していては先が保たない。
そろそろいい時間だ。戻って青年と合流し、密林の中で食糧になりそうなものでも探そう。
不幸中の幸いか、ここには果物が豊富にある。キノコなども探せばありそうだし、ヘビやカエルも青年は喜んで食べるだろう。
桟橋から上がるのは避け、普通に浜辺に上がろうと機関を止めてスクリューを止めようとしたとき。
トーン…トーン…トーン…ピピッ
「―――――ッッ!!!!」
耳の奥でそんな音がしたような気がした。感覚的に分かる。急いで機関をもう一度動かし、主機が唸りをあげ、全速で自分が来た道を海路で戻っていく。
その途中で、視界の端に見えた黒い影。黒い海に点々と浮かぶ、黒い頭をもった魚のような生命体。
目の前を横切っていくその黒い姿は島の影の方へと消えていく。
「敵…深海棲艦…そんな―――――隊長さん!!!」
両舷一杯、残っている燃料などもはや頭になかった。
ただ、一人の命を助けるためだけにこの身体は激しい衝動に突き動かされた。
機関車の音のような鼓動が耳奥に低く響く。
距離はあったが、深海棲艦が青年の存在に気付けば、いくらこちらが近くにいたとしてもかなり接近される。
砲撃されれば、砂浜一帯など青年が逃げる前に根こそぎ吹き飛ばされる。
青年と別れた場所を通り過ぎ、島の外縁をぐるりと回っていく。あの青年の姿を探して。
そして、巨大な崖のように切り出した岸壁を越えていった先に広がっていたのは、船の墓場。
思わず、言葉を失い、身体がこれ以上この領域に進むことを拒むかのように足が止まった。
目に映るのは船の死骸たち。二度と進むことはできない鉄屑と化した同類の姿。
断末魔のような叫びが轟く。鉄を擦り合わせたような嫌な音。
鼓膜を劈き、脳内に澱んでいた記憶の拘束を吹き飛ばす。
止まっていた呼吸が戻り、喉奥で詰まった空気を一気に吐き出した。息が乱れて視界が眩む。
船の死骸の奥に見つけた青年の姿。何かを見つけたかのように沖の方に目を向けている。
「来る…船?…魚?」
その視界の先にあった黒鉄の肉体を持つ異形。
駆逐ロ級、三。駆逐ハ級、二。軽巡ホ級、一。
水雷戦隊、旗艦は恐らく軽巡ホ級。決して強敵ではないが、数的不利と状況的不利。
電は我を取り戻し、一気に機関をふかすと喉の奥から避けんだ。
「隊長さぁぁぁぁん!!!逃げて下さぁぁぁぁぁいいいい!!!」
「……逃げる??」
こちらに近づいてくる少女の姿に目を向ける。手に持っていた板切れを一度地面に置き、自分の存在を示すように大きく手を振った。
すぐ側にまで近づいてきていた敵の存在に気付かずに。
六隻はまっすぐ青年のいる場所へ向かっている。
先頭にいたホ級の顔がふと電を見た。焦燥に駆られた形相でこちらへと接近してくる。
大きな口のような艤装から半身が覗いているような船体をしているホ級の飛び出している腕がゆっくりと持ち上がる。
ぬめりと持ち上がった手が人差し指を除いて折り曲げられ、電を指差した。
ロ級とハ級が進路を変える。二隻が電目がけて飛び込んできた。
それと同時にホ級が砲撃する。続くようにロ級二隻とハ級一隻が砲撃した。
その弾道が向かう場所は無人島。船の墓場に着弾し、半身を沈めたタンカーの残骸を砕いた。
海水が飛び散り、鉄が砕け散る音が響き、爆音が空気を揺らして、黒煙が上がる。
「―――――隊長さぁぁぁぁん!!!!!!」
黒煙に隠れた彼の姿に目を取られていると、正面の海水が突然盛り上がり、全身に覆いかぶさる。
ロ級とハ級の砲撃。目の前に立ち塞がる二隻の駆逐艦。
そんなものに目もくれずに、電は迂回するように舵を切りながら、本体へと接近していった。
「やめて……やめてください!!!」
海に一度沈んだ船たちの墓場が荒らされていく。
残った形は失われていき、海面に覗いていた船体は砕かれていき、小さなクルーザーなどは跡形もなく消し飛ばされていく。
「ぐわああああ!!」
砲撃音の轟く中で、人間の悲鳴が上がった。掻き消されそうなその声が微かに電の耳に届く。
「――――――ッッ!!!!」
その瞬間、電の中で何かが切れた。
砲撃をやめた深海棲艦たちの横顔は満足げに笑っているように見えた。
その狂気が電の中にある何かを切った。狂気に当てられた電の表情から徐々に色が消えていく。
「ガァァァァァァ!!!」
背後に置いていかれて、無視されたことが頭に来たかのように咆哮を上げて迫るロ級とハ級。
その口から放たれた砲弾は放物線を描いて、まっすぐ電へと向かっていく。
ふと、どこにあるのか分からないホ級の目と目が合ったような気がした。
破壊した。命を破壊した。人間を殺した。憎き人間を殺した。
そして、目の前にいる艦娘も沈む。沈め、沈め、沈め。
見えない目がそう語っているように思えた。とても満足げに、歓喜しているように。
電の両手が動く。
右手にシールドを引き寄せ、左手に錨を握り締めた。太刀で斬り払うように振り返り、二発の砲弾を羽虫でも落とすかのように叩き落とす。
空中で巨大な鉄の塊に叩きつけられて爆発四散する砲弾。爆風とその破片がシールドに激しくぶつかり、彼女の白い制服は黒く焦げて汚れていたが、そんなことに構いもせずに背中の主砲が回り、照準がロ級に合わせられる。
「……許さないのです」
砲撃が二発。ロ級に狭叉する。続けて放たれた砲弾が命中、半身が吹き飛びロ級はそのまま沈んでいく。
「電がやるのです!!!」
すぐに照準をハ級に合わせ、二発。狭叉なしに命中させる。砲弾が身体にめり込み、体内で爆発。黒い肉体が四散し、海の上に残骸が浮かぶ。
ぐるりと弧を描きながら回頭すると、怒りに満ちたその目を軽巡ホ級、並びに駆逐艦三隻に孕んだ感情を叩きつけた。
主砲が火を噴き、海を割っていく。
ホ級の指が動き、残ったロ級とハ級が電目がけて突撃してくる。
電は一度沖の方へと敵艦隊を引き付けながら、ジグザグを描くように進みながら砲撃を避けていく。
タイミングを見計らって反撃するが、ロ級とハ級も回避する。
「魚雷発射なのです……」
静かに魚雷管から四本の魚雷が雷跡を残しながら伸びていく。
ロ級とハ級が回避するように動いた瞬間に、それは命中する直前で炸裂した。
大量の海水が宙を舞い、水飛沫が冷たい深海棲艦の黒い身体に降りかかる。
ハ級の一つ目が上がった水飛沫の中に光っていた。それが的。
三隻の視界を遮っていた水の壁を突き破って電の身体が飛び込んできた。
「――――ッ!!!」
至近距離、丸い目に目がけて一撃。さらに海水を蹴ってロ級の脇腹に錨を叩きつけ吹っ飛ばす。剥がれた側面の装甲に追い打ちをかける前に、少し離れた場所にいたもう一隻のロ級に魚雷を放ち、振り返るとこちらに顔を向けていたロ級の目の当たりにもう一度錨を叩き込み、そのまま体を捻って側面に回り込むと体を押し付ける様に接近してほぼ零距離で二発。
連鎖するかのように三隻が立て続けに爆発していく。一瞬でただの残骸となった三隻の深海棲艦。
その最期に目を向けることなく、電の航路はまっすぐに軽巡ホ級に向いた。
一瞬で随伴艦が消えていったことに驚きを見せる様子もなく、逆に激昂したかのように叫び散らす。
一方で不気味なまでに冷静に映る電の姿。
慄く様子もなく、焦る様子もなく、先程まで滾っていた怒りを露わにすることもなく、冷たい表情のまま迫ってくる電にホ級は堪らず砲撃を繰り返した。
幅は小さいが、電は少し速度を落としてジグザグに動いた。ホ級の砲撃をすべて躱しながら、主砲を動かして砲撃を放って牽制する。
そして、確実に距離を詰めていきながら、横に大きく動いて一度大きく沖の方に出ると、ホ級の側面が目に映る。
「電の本気を――――見るのですっ!!!命中させちゃうのです!!!」
次発装填は終わっていた。二つの四連装魚雷発射管が同時にすべての魚雷を撒き散らした。
船の残骸に命中し、錆びた鉄屑が飛び散る。黒い海の上が鉄火に包まれて赤く染まっていく。
そして、一発の魚雷がホ級の船底に突き刺さり炸裂。機関部を吹き飛ばし、その体はほとんど海に沈もうとしていた。
「…………」
ゆっくりとその側によると、小さく震えて伸びる真っ白な血の気の感じない腕が伸びてきた。
口のような艤装の中に埋まった顔がこちらを見上げていた。目も鼻も口もどこにあるか分からない化け物。
こんな異形が、ただ破壊だけを繰り返すこんな怪物が、命を簡単に奪っていく、こんな化物が――――
こんな穢れた命さえも救いたいと心のどこかで思ってしまう自分が、どうしようもなく憎たらしい。
伸ばされた手を錨で弾き飛ばすと主砲の照準をホ級の身体の中央に合わせて、一発撃ちこんだ。
そのまま、その場を離れて随分と見晴らしの良くなった浜の方へと向かっていく。
浸水して沈んでいくホ級の身体。その全てが海面の下に消えた時、大きく海面が盛り上がって黒い鉄が散らばった。
「はぁ…はぁ…隊長さん!!」
上陸すると、青年の姿をすぐに探した。先程までの不気味な冷静さはどこに行ったのやら、あわあわと動き回る電。
穴だらけの海岸に、薙ぎ倒された樹木の数々、穴の開いた密林、砕けて瓦礫を落とす岸壁。
「―――いたのです!!」
奇跡的に五体満足の青年が浜辺に俯せで倒れていた。
身体に大量の砂が覆い被さっていたので、青年の腕を引き、砂の中から引っ張り出すと、仰向けにひっくり返してその肩を揺らした。
「隊長さん!!隊長さん!!大丈夫ですか!!」
「……うぅ」
何度か耳元で叫び続けると、弱弱しいが声を返した青年の姿に電の表情に笑顔が戻る。
「はわわっ、よかったのです」
電の腕に支えられながら状態を起こす青年は頭を押さえながら、ぼんやりと電を見て口を開いた。
「う、うぅ……俺、ある?」
どうやら、自分は生きているのか、という内容の質問だったのだろう。
「はい、見たところ大丈夫みたいなのです……」
青年の身体を一通り見てみたが、頬に切り傷、膝に擦り傷、腕に切り傷がある程度で、骨折もないほどの軽傷だった。
その奇跡的な容態に電は驚いていた。軽巡級と駆逐級の砲撃だったが、それでもこの小さな砂浜を消し飛ばすほどの破壊力を深海棲艦は見せるのだ。
集中砲火を受けたにも拘わらず、青年は五体満足で、もはや無傷と言えるレベルの傷しか負っていない。
不思議そうに青年を見ていた電に、青年は脇に抱えていたものを持ち上げた。
「……これ、俺、守る」
そう言って、見せられた電の身長ほどの大きさの縦長い木の板。
こんなものが、と言おうと思った瞬間に、電はすぐに言葉を抑え込んだ。
これはただの木の板ではないと、木のように見える特殊な材質でできた装甲だ。
まさかと思い、電はその木板を手に取ろうとして、両手で掴んだ。
ブザー音のような警報音のようなものが耳奥で響いたような、そんな幻聴を聞いたかのような、耳鳴りのような気持ち悪いものが頭の中で渦を巻き、両腕に静電気が走ったかのような痛みを感じ、咄嗟に電は手を放して一歩後ろに下がった。
「……いなずま?」
「だ、大丈夫なのです……」
今度は掴まずに掌でその表面の砂と汚れを払っていった。
塗装は剥がれていたが、これと似たような形をしたものを鎮守府の資料室で見たことがある。
「これは……飛行甲板ですか?」
「ヒコ…カンパ?」
青年は首を傾げた。
「電たちと同じ艦娘の艤装なのです。でも、空母の方たちの艤装のはずなのに……どうしてこんなところに」
もし、これが本当に艦娘のものであり、航空母艦の艦娘の艤装であるのならば、何かしらの痕跡があるはずだ。飛行甲板には個人識別の文字が刻んである。
しかし、
「文字も掠れて読めないのです……それにかなり劣化も激しいのです……これは」
劣化が激しい。ここ最近に作り出されたものではない。
となると、考えられるのは一つだ。
「――――一〇〇年前に沈んだ方のものがここに流れ着いたんですね……」
「カンムス、死んだ、ここで?」
「ええ、恐らくそうだと思います。艤装が流れ着くなんてことは珍しいのですが」
電は改めて周囲を見渡した。
もうほとんどが先程の戦いで砕かれてしまったが、ここはこちら側まで来ないと、この場所があると分からないような隠された地形になっている。
それは恐らくなるべくしてなったものなのだ。彼女たちが静かな眠りに就くように、彼女たちの聖域を何者にも侵されないように。
自然が作り上げた、鉄屑たちの墓地なのだ。
「……お墓だったんですね、ここは」
同じ船であった電にはこの場所の尊さが理解できた。ここは容易に荒らしていい場所ではなかったのだと、今になって少しだけ後悔した。
「おはか……人、死ぬ、埋める?」
「はい、そのお墓です」
「おはか……俺、掘る」
「だ、ダメですよ、隊長さん。ここはここで眠っている人たちの大切な場所なんです。掘り返すような荒らす行為がしちゃいけないですよ」
「いなずま」
そう言って、青年は不意に立ち上がると、波打ち際まで歩いていった。
「隊長さん?」
海水に打たれながら、砲撃のせいで埋まってしまった穴を手で掻いてもう一度掘る青年。
電は青年の後を追うようにして波打ち際まで来、何かを必死で掘って探す青年の様子を見ていた。
そして、青年の両腕が穴の奥に突っ込まれて、勢いよく立ち上がった。
「いなずま!これ!!」
海水でびっしょりの両腕を電に突き出す。その両手に何かを掬うようにして。
「な、なんですか……?」
恐る恐る青年の両手の中にあるものを覗き込む。
「――――はわっ!!!!!!」
そんな声を上げて飛び跳ねる様に驚いた電を見て、青年はびくりと肩を跳ねさせた。
「たたたたたた隊長さん!!こ、これは……」
慌てふためいた声で両腕をしきりに振りながら驚きを隠せない電を見て、青年はもう一度自分の両手の中にあるものを見た。
それは宝石のようで、仄かに光り輝いており、眼には見えないが、キューブかそれとも二十面体のような多面体かはっきりとはしないが、格子のようなものがあり、箱のような形をしていた。
そして、その中央に、静かに寝息を立てて眠る小さな人型の生き物。
可愛らしい顔立ちに頭には捩じった鉢巻を巻いている。
黄色いつなぎの様な服に青い法被のようなものを羽織っており、薄い茶色のくせっ毛のある髪の毛からぴょこりとアホ毛が立っていた。
妖精―――まさにそう呼ぶに相応しい小さなその生き物は青年の両手の内側で静かに眠っていたのだ。
電が驚きを隠せないのも仕方がない。妖精は艦娘と共にあるものなのだ。
それがこんな場所に存在している。人気の感じないこんな場所で妖精が存在している。
しかし、なぜこの妖精は眠っているのだ?
それに彼女を守る様に、いや、彼女を納める様に存在しているこのはっきりと目に見えない箱のようなもの。
そして、この妖精は一体……?
「……食える?」
「は?」
突然、青年がそんなことを言いだしたので思わず変な声が出てしまった。
「食うもの、これ、掘る、出てくる。俺、掘る、これ、たくさん」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってください隊長さん。これは食べるようなそんなものじゃ……」
「違う…食べ物…違う」
電の言葉に食べ物じゃないと気づいたのか、あからさまに残念そうな表情で肩を落とす。
少し可哀想に思えてしまって電は小さな手を振って慌てていた。
「これ……」
青年は見つけてしまったはいいものの、食べれないと知ってどうすればよいか分からなくなった妖精を電に突き出した。
「え、えーっと、どうすればいいのですか……?」
妖精なのだから艦娘である電が回収しておくのが確かに得策ではあるものの、電は少し戸惑っていた。
この存在に何かの因果を感じるのだ。それと、この場所に。
ふと、考え込んでいた隙に青年はいつの間にか浜辺の方に戻っていた。横に寝かしていた飛行甲板であった板を拾い上げる。
「ど、どうしたんですか?」
「埋める。食えない、要らない」
「い、生き埋めですか……」
少し引き攣った顔で電はそう答えた。どうしてそんな顔をするのか青年は不思議そうに見ていた。
青年はもう一度、波打ち際まで歩いてくると、しゃがみ込んで板で穴を掘った。波が覆い被さり穴の中が海水で満たされては、波が引いて。
「―――――――――」
白い閃光が一瞬で二人の視界を包み込んだ。
「はわわわわわわ!!!!!!」
「………?」
青年は思わず飛行甲板を手放す。それは波にさらわれて流されていった。
空いた両手で側に置いていたその小さな生命体を掬いあげると、開いたその小さな眼と目が合った。
強い風が吹き荒れていき、電の小さな体が突風にぶつかられて吹き飛んだ。
『――――システム起動。破損した《
激しく渦巻くように広がっていくその風が砂浜の砂を吹き飛ばしていく。
一〇〇年の間、ここで眠り続けた者たちの目を醒まさせるかのように。
砂の下より現れた鉄の塊たちは風に乗って、海へと吸い込まれて行き、波を失った海面は徐々に渦を巻き始め、周囲の船の残骸さえも飲み込んでいく。
『損傷した艤装を回収、再構築。損傷肉体改修不可、再錬成開始』
海面から龍のように海水が伸びて踊り始める。砂浜の中に埋もれた金属がすべて水流の中に引き寄せられるかのように吸い込まれていく。
「た、隊長さん!!そこを離れてください!!!」
その風の中心に彼はいた。妖精を手に乗せてその姿に目を囚われていた。
「隊長さん!!!」
電の声は届かず、彼の足は渦の中央の方へと進んでいく。
この墓場で眠る全ての船たちの残骸がそこに集っていく。死んでしまっていたはずの鉄屑たちが、二度と船として動くことのできなかった鉄の骸たちが。
再びこの海を旅立つかのように、もう一度、この海の上で生きようとするかのように。
「……光」
青年の目に映るのは、この黒い海の中を翔ける白い光。
DNAの二重螺旋のように紡がれて、空間を漂う光の紐のようなものが青年の周囲に浮かんでいる。
そして、それは編み込まれるように渦の中へと溶けていく。
『――――再起動開始。応急修理女神プログラム、起動』
両手の中で妖精の姿が光に溶けていき、紐の一部となって海の中へと消えていく。
刹那、渦が消え、海面を覆っていた海水全てが吹き飛ぶように、激しい閃光と爆発音と共に宙に浮きあがった。
「―――――ッ!!」
「はわぁぁぁ!!!!」
炸裂した光に咄嗟に二人は目を覆った。その光景はさながらビッグバン。
そして、青年の意識は青い海の中へと溶けていく……
*
目を開いた青年の視界に映っていたのは明かりのない黒い世界。
肌に感じる冷たさと、上方から差し込む微かな白い光。ふわりと浮いているような自分の身体。
地面に足を付けると、砂がふわりと広がる。口から空気が漏れると、泡になって浮かんでいき、やがて消えていく。
煙のように海底の砂が舞い上がり、流れて広がっていく。
青年は辺りを見渡す。全く見たことのない世界だった。
何もない。音も、光も。青年はゆっくりと前へと進み始める。ふわりと砂が浮かび上がり、白く光って消えていく。
ふと、青年は上を見上げた。そこに空はない。彼が求めていた空の色はない。
だが、青年の目は初めてその色を瞳に刻んだ。
広く、深く、美しく、差し込む光が乱反射し環を描く、透き通った青を。
その色に見惚れていた。その色に時を奪われていた。その色に、この命が―――
暗い海底に突然光が生まれた。目を軽く覆いながらその白い光の方へと身体を向ける。
すぐ目の前にあった巨大な壁―――いや、光を放つ巨大な鉄の塊。
自らの存在を青年に示すかのように、強く、強く、光を放っていく海底に横たわる白銀の戦船。
許されるのか、分かりもせずに、その手を伸ばしていた。その船が眠りから醒ましてくれと呼んでいるような気がして、触れようとしていた。
指先が光りに包まれて、吸い付くように掌が金属のその身体に温もりを感じていた。
「光……命……これは……」
腕が光りに包まれて、青年の身体は徐々に白い世界に飲み込まれていく。
だが、それは不快感は一切ない。まるで、両腕に翼を携え、あの分厚い雲の向こう側を自由にかけているかのような心地よさが、乾いた心を満たしていった。
空へと飛び立つ白い光に抱かれて、青年の意識は白い世界で再び眠りに就いた。
*
「――――さん!!隊長さん!!」
少女の懸命な声に青年の意識は呼び覚まされた。
ゆっくりと開いた目。なにか視界が歪んで見えるし、身体が浮いているようにも感じる。足が地面を追い求めてもがくがそこには何もない。腕を動かそうとするとなにか大きな抵抗を感じる。
息ができない。口を開いた瞬間に、大量の海水が口内に流れ込んで、塩辛さが舌を焼いていく。
青年の身体は海面に生まれた巨大な水柱の中に飲み込まれていた。
息苦しさ、眼の痛み、色々と感じるものはあったが、青年はただ一つを探し求めて、もがいていた。それはあの世界で青年が触れたあの光。青年は目覚めさせなければならなかった。ここに眠る者を。
そして、その光は目の前に現れた。
青年は必死に手を掻いた。せり上がっていく水柱の壁を突き破り、その手を伸ばし、並ぶように立っていたもう一つの水柱に指先が触れた瞬間、
青年の身体は水柱から解放され、ふわりと海面に足を差し込み、両足を付けると、顔を上げた。
目の前にある水柱に触れている右手が何かを掴んでいた。
そっと引いてみると、目の前にあった水柱が四散した。
宙を舞う海水は不思議と光輝いて見え、広がった白銀はまるで広がった翼のようにも思えた。
右手はまるでエスコートするかのように、美しい彼女の手を取っていて、眠る彼女を目覚めさせる。
白い道着、赤い袴。はっきりと見えた眠る彼女の容姿は儚さを残す美しさであり、迂闊に触れれば消えて光か泡になって溶けてしまいそうな幻想さえ感じる。
水柱の中から現れた白髪の少女。長く伸びた髪は銀色にも輝いているようにも見え、朝に水平線で揺れる波のように風に揺れていた。
青年はそうすべきであることを理解していたかのように、舞い降りた彼女を抱き止めると、静かに海の上に足を付けさせる。
海面から水流が伸びて彼女の足を纏い、それは鋼鉄の具足、波を切り裂く形状をしたブーツへと変わっていく。浮力が生まれ、彼女の足は沈むことなく、海面に降り立った。
そのまま、海は生身の彼女をあるべき姿へと変えていく。
煙突、艦橋、高角砲、胸当、矢筒。紅い鉢巻が彼女の髪に結われていき、そして、和弓を手に、最後に飛行甲板を腕に取り付けて、波紋が海面を広がっていく。
波紋が消えた瞬間に、海は本来の姿を取り戻し、再び波が寄せては引き始める。
「……一体、何が起こったのですか…?」
目の前で起こった突然の出来事に、電は困惑しながら青年の下へと駆け寄っていった。
「いなずま……」
「た、隊長さん…こ、これは一体…?」
電の声にピクリと白髪の少女の眉が動いて、瞼がゆっくりと持ち上がっていった。
「あっ、起きちゃったのです」
「…………」
青年の身体に支えられて、海の上にゆっくりと自分の足で立ち上がる少女は、目を擦りながらよろよろとふらついて、最後にはぱっちりと目を開いて二人を見た。
「……」
「……」
「……」
沈黙。
何を思ったのか白髪の少女はにっこりと笑って、二人を見る。
「……えーっと……その……」
にっこりと笑ったかと思うとその少女は、少し困ったような表情を浮かべて口を開いた。
「ここは一体……どこでしょうか?」
「それはこっちが聞きたいのです……」
「えっ……えぇ……困りましたね」
少女は辺りを見渡して、自分の知らない場所であることを一度確認すると、ちらりと電を見て、その後青年を見て、もう一度電を見た。
「あなたは……艦娘ですよね?」
電を見てそう問いかける。その質問がしたいのはこっちだ、と思いながらも、
「はい、そうなのです!特Ⅲ型駆逐艦暁型四番艦の電なのです」
とはきはきと答えると、少女は「え?」と声を上げて、何か腑に落ちたような感じの声を上げると微笑んだ。
「あら?電さん?じゃあ、ここは……金剛さんたちのいる第三号鎮守府……呉ですか?」
少し自信がなさげに尋ねる少女。この光景を見て、分かり切っていることではないのだろうか?
「見ての通り、違うのです。呉はここまで野生に帰ってはいないのです」
「ですよね……この方は提督ではありませんよね?」
「テイトク?」
知らない言葉に青年が反応したが、今は構っている状況ではない。
「違うのです。ちょっと複雑な事情があるのです……一つ訊いてもいいですか?」
「はい」
「あなたはどちら様なのですか?」
「……えぇっ!!!」
少女は驚いた声を上げると、ちょっと必死な様子で電に顔を近づけた。
「電さん、私のことを忘れたんですか……?」
「電は空母の方に会うのは初めてなのです……」
「そ、そんなはずはありません!一緒に大規模作戦にも参加したじゃないですか!!暁さんや響さん、雷さんも一緒に!!」
「大規模作戦?何ですか、それは?」
「……本当に知らないのですか?」
電は少し考え込んだ。そして、ハッとすると少しだけ真剣な顔つきになって少女の顔を見た。
「質問を変えるのです」
それはきっと今日起こったすべての不可解な出来事を紐解く、答えなのだという確信が心のどこかにあった。
「――――――あなたは一体、いつの時代の艦娘なのですか?」
「いつの時代って、それは……」
少女は質問の意味をまだ理解できていなかったらしいが、小さく息を吐くと目を閉じて胸に手を当てた。
「私は―――ナナマル艦娘建造計画、通称『丸三計画』で建造された航空母艦」
「―――翔鶴型航空母艦一番艦、『翔鶴』です。第四号舞鶴鎮守府所属、第五航空戦隊の旗艦を務めています」
「……やっぱりなのです」
確信を得たような真剣な表情をすると電は一歩前に歩み出た。
全て納得がいった。辻褄が合うのだ。電の知らない技術がここに存在していたことも、電が知らない電の事を知っていることも。『丸三計画』が行われたのも、第○○号と鎮守府が呼ばれていたのも、通称「五航戦」が健在であったのも、大規模作戦と呼ばれるものが行われていたのも、全て、全て、全て。
「あなたは……翔鶴さんは―――――伝説の時代の艦娘なのですね?」
一〇〇年前―――伝説の時代の出来事なのだから。
少女なのか女性なのか悩むけど、まあ、翔鶴くらいならまだ少女でいける…はず。
あと、艦これの劇場版観に行きたい…
それと、翔鶴嫁の人ごめんね、なんか不穏な扱いで