艦娘が伝説となった時代   作:Ti

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……ふぅ


彗星 -EPILOGUE-

 張り詰めた緊張感が漂う室内で二人が向かい合う。

 近くに控えていた者たちも思わず言葉を口にすることも、口の中で変に絡まり始めた唾を飲み込むことさえ躊躇うほどの重圧がのしかかる。

 

 息苦しい、きっと誰もがそう思っていたはずだ。

 

「それで、なにか他に言いたいことはあるか?」

 

「無いわ。全部私が暴走して起こった事態。責任は私一人にある」

 御雲月影は大きく溜息を吐いて、少なくとも上官である自分の前で壁に凭れ掛かるなどという傍若無人な様を見せている妹から一度眼を逸らした。

 

「あのなぁ…今回は市民に被害はなかったが……万が一のことも考えろ。今の人類の最高戦力はお前なんだ」

 

「あら?そうならお願いする立場と、お願いされる立場ってのがはっきりと分かるわね?別に私はあんたが指揮官じゃなくてもいいのよ?」

 

「お・ま・え・なぁ……」

 叢雲は悪びれる素振も見せずにマストを抱えたまま足をパタパタとさせている。先程から一切月影と目を合わせようとしないところも癪に来るものだった。

 

「……電は?」

 

「ん?あぁ、《こんごう》《きりしま》を本部に返すついでに鎮守府に送った。今頃修理が済んでいる頃だろう」

 

「そう……それならいいわ」

 

「そろそろ話してくれないか?彼女は何者だ?」

 

「艦娘よ。見ればわかるでしょう?馬鹿なの?」

 

「そのくらい俺も分かっている。問題は誰がこの施設を動かして彼女を作り出したか、だ」

 月影が指差す方向にある巨大な装置。綺麗に収まっているが、それがおかしい。どうして埃一つないのか。

 

 ここは『艦娘記念館地下・旧横須賀鎮守府工廠設備保管庫』。

 明らかに誰かがいて、その装置を起動させて艦娘を作り出したことは明らかで、それが何よりも問題だった。

 

「いいか?お前も知っているだろうが、艦娘は誰でも作れる訳じゃない。資格を持った者…俺たちのような提督と呼ばれる存在と、その命令を建造ドックに伝え、艦娘を作り出す妖精を使役、召喚する艦娘のその両方が存在して初めて生み出せる」

 

「妖精ならいたじゃない」

 

「提督はどこだ?」

 

「いないわよ。そんなの……まあ、じきに分かるわ。あの子は特別なのよ」

 

「おい、どこに行く?」

 

「あの子のところ。随分と時間がかかっているようだから。あなたは言い訳でも考えてなさい」

 

「言い訳?誰に対するものだ?親父か?」

 

「私たちの親じゃないわ……」

 そう言い残して奥の部屋へと去っていく。残されたのは部下の前で尊厳を失いかけた月影と、それを固唾を飲んで見守っていた部下たち。

 

 軍帽を脱ぐと少し荒々しく頭を掻き、ふぅ…と息を吐いて帽子を被り直した。

 

「おい」

 

「は、はい!」

 

「今何時だ?」

 

「フ、フタゼロマルゴであります!」

 

「戦闘終了からすでに三時間……見たところ彼女は駆逐艦だったが、長すぎる」

 訳が分からない。月影の頭の中にあるのはそれだけだった。

 

 事は全てうまく運んでいたはずだったのに、突然の叢雲の暴走。

 

 並行して行われていた旧横須賀鎮守府地下工廠の探索。

 

 そして、謎の駆逐艦娘。

 

 一度状況を整理しよう。

 そう、三時間前。彼女たちが『ちょうかい』に連れられて帰投した。

 叢雲中破、漣小破、五月雨中破、そして、謎の艦娘大破。

 すぐにでも処置を施さなければ本体が危ういほどの重症。このままでは彼女が何者かさえ分からずに終わってしまうと狼狽えていたその時、電信回線をジャックして入ってきた謎の声。

 

「こちらに十分な設備がある、連れて来い」と。

 おかしなことにその声を聞いていたのは月影のみ。他の部下たちには全くの無音だったという。

 原因は呼び出された先で分かった。旧横須賀鎮守府工廠。ここの存在を知っている者は海軍の中でもごく少数の者たちだけだ。

 その扉がすでに開かれていた、と先に調査に入っている者たちから聞いたが、誰かがいる痕跡はないとのこと。

 誰かの所持物と思われる女子学生服と靴があったとは聞いたが、それ以外には誰かがいる痕跡が全くない。

 

 だが、その存在を見て納得した。私がそれに目を向けるなり、ようやく気が付いたかというような表情でそれは私に歩み寄った。

 

「呼び出したのは君か?何者だ?」

 

「私は妖精だ。君たちが追っている艦娘がいるだろう?あれを作ったのは私だよ」

 色の褪せた黄色いヘルメット。工廠員のつなぎのようなワンピースめいた服を着ており、一目で工廠妖精だと言うことは分かった。

 だが、この妖精は他の妖精とは明らかに違う。独立した自我を持っている。

 

「なるほど、では君がここを運営しているのか。提督はどこだ?」

 

「提督なんてこの場所にはいない。必要ない」

 

「……まあ、あとで話を聞く。彼女たちを連れてくる。ここにある入渠施設を借りてもいいのだな?」

 

「あぁ、ちゃんと『4つ』準備してある。資源も元々は君たち海軍のもの。使いたまえ」

 そう言うと妖精は床の上を走っていき、奥の部屋へと消えていった。しかし、器用に扉を開けるものだ。

 

「お見通しという訳か……外の奴らに伝えろ、こっちに連れて来い」

 近くにいた者にそう伝え、少ししてから四人の少女がやってくることになる。

 3人は自分の足で歩いていたが、1名は担架に乗せられて奥の部屋まで運ばれていく。

 

 五月雨、漣、叢雲の修理は1時間もかからずに終了した。

 彼女たちを送った衛生兵曰く、突然叢雲に「ここから先はあんたらは必要ない」と言われたらしいので、何が起きていたか詳しいことは分からない。ただ、誰かと話していたというところから、恐らくあの妖精の指示なのだろう。

 謎の艦娘である彼女が、どうなったのかも全く分からなくなったという訳だ。

 一体、何者であるかの調査も解析も行えないまま、このままあの妖精とやらにしてやられでもしたらどうするか。

 今回の件では予測の外で起こったことが多かった。何よりも叢雲の暴走。

 どれだけ問い詰めても白を切るところは何とも彼女らしいが、指揮官たる自分が何も把握できていない状況というのはすこぶるマズい。と言うか、本来あってはならない。

 何はともあれ、海軍所属の艦娘4隻は動ける状態にまで回復したため、こちらとしてはほとんど支障はないのだが……。

 

 

 

 

 もう何度目か分からない溜息をもう一度吐いたとき、背後の扉を誰かがノックし、開いて顔を出した。

 

「入るぞ、御雲」

 

「おぉ、長旅のところ労う暇もなく面倒ごとに手を借りてしまいすまないな、(かがみ)

 

「いや、こういう仕事に従事している以上、仕方あるまい。こちらこそ、遅れて申し訳なかった」

 少し屈んで扉を潜り、顔を見せた白い第二種軍衣を纏った背の高い若い男。軍人らしからぬ腰の辺りまで伸びた長い髪を後ろで低く束ねている。

 中性的な顔立ちだが、声色や口調は寧ろ男らしく、その振る舞いも外見を覗けば軍人の鑑であると知っている。

 幼い頃からの親友である鏡 継矢(かがみ つぎや)は埃の落ちた軍帽を叩いて被ると、広がる空間を見渡して「ほう」と声を上げた。

 

「噂こそ聞いていたが、記録に残る艦娘の工廠の様子が目の前で動いているかのような光景だな」

 

「何を言う。そのままだろう。ここは艦娘がいた時代の工廠で今現在進行形で稼働中だ」

 

「俺が言っているのは、あの時代の様子が見えると言うことだ。時代が違うだろう?」

 

「時代が違うか…今にも、その時代は現代に重なろうとしているがな……舞鶴はどうだ?」

 

「どうもこうもない。貴様から通達を受けて着実と艦娘に対応できる設備を増やしている。もうひと月もかからない。悔しいが、あの馬鹿の腕は本物だ」

 

「……お前が遅れたのは、アイツのせいだと聞いたが」

 

「ギリギリまで引き継ぎに時間がかかったらしい。まあ、あの馬鹿が5徹で工廠でぶっ倒れてたってのが一番の原因だがな」

 

「……後で一緒に殴るか。それか罰走だ。士官候補生時代を思い出させてやる」

 

「あぁ、そうだな。懐かしい」

 

「ふっ…ははっ、そうだな」

 

 

 こうやって肩を並べて友と語る日が明日もあるとは保証されない時代となった。

 いや、その時代が自分たちの世代で還って来たのだ。いつの時代とて戦争は起こる。恒久的な平和など約束されない。

 それでも、束の間の平和でもいい。この100年を守った者たちがいた。

 

 多くの汗を流し肉体を鍛え、多くの血を流し戦場を翔け、多くの涙を流し命を惜しみ、そうやって生まれたこの青き海を、再び守らんと蘇った女神たち。

 それを導くために、受け継がれてきたこの血。彼女たちを守るために彼女たちから受け継がれてきたこの血。

 その血脈を持つ者が友として出会ったのも運命なのかもしれない。

 

 苛々を忘れてそんな感傷に浸っていると、艤装を外して身軽になった妹が奥の方から歩いてきた。鏡の顔を見るなり、珍しいものを見たというような驚いた顔を見せて不敵な笑みを浮かべる。

 

「あら?鏡さんじゃない。相変わらず長ったらしい髪ね」

 

「これは楽…いいや、叢雲と呼んだ方がいいか?元気そうで何よりだ。それで、正気は取り戻されたのか?」

 

「……余計なお世話よ」

 相変わらず、こいつは口が悪いが、今のは鏡が一枚上手だったか。目の前で失態を見られていては叢雲も言い返せまい。

 

「それで?」

 

「それで、って何よ?」

 

「彼女はどこだ?」

 

「あぁ…あの子ならもう」

 そう言って振り返った叢雲の、向かった目線の先を追うようにして顔を上げた。

 

 

「――――申し訳ありません。お世話になりました、えへへ……」

 

「いいや、君にはまだ言いたいことが幾らでもある。そもそも装備を投げるとはどういうことだ?あれを作った私の気持ちを考えてるのか?君たちがちゃんと戦えるように念に念を入れて整備と点検をしているのだぞ?工廠で働く者たちの苦労を君はまるで理解していない」

 

「あ、あの、あの時は必死で」

 

「必死で、じゃない!君はあんな状況で追い込まれるようなスペックじゃないはずだ。そんな不良品を作った記憶は私はないが」

 

「弾切れで……」

 

「どれだけ無駄な弾を使ったんだ?弾薬だって無限にある訳じゃない。艦娘たちが遠征に行き回収したり、提督が頭を下げて配給されているものだ。1発も外さずに次からは撃て」

 

「そ、そんな無茶な…」

 

肩に乗った妖精を何やら言い合っている三角巾を吊った少女が歩いてきた。

 

「……ゴホン」

 

「……あっ」

 

「ん?君たちまだいたのか。先程から荒らしている物音が聞こえないから帰ったと思ったが」

 

「この施設については調べ尽した。後はお前と、彼女だけだ」

 そう言って、その少女を見た。白い布地に黒い襟のセーラー服。袖と襟には赤い線が入っており、作り直したのか損傷は一切ない。

 後ろで髪を1つに束ねており、小さな尻尾のようだ。少し抜けているような表情をしているが元気な子らしい。

 

 だが、何より額に巻いた包帯。頬の絆創膏。右腕を吊った三角巾。

 

 入渠を終えた艦娘の姿とは思えない。うちの艦娘たちの傷は骨折を含め全て回復していた。

 

「痛々しいな。可憐な少女たちの子のような姿を見ると」

 隣で鏡が小さな声でそう言ったが、首を横に振った。

 

「いいや、おかしい。これはどういうことだ?」

 

「え、えーっと、私に訊かれましても……」

 

「まずは自己紹介でもしたらどうなの?この有象無象2匹はあなたのことを知らないでしょう?いや、まずはあんたたちからするべきじゃないの?」

 そう言ってなぜかこちらを睨む叢雲。なにかここまで恨まれるようなことをしただろうか?

 だが、確かに一理ある。彼女たちに対して最大限の礼儀は尽くすべきだろう。

 

「いきなり押しかけて失礼しました。まだ全快ではないところとお見受けしますが、少しばかり私どもの話に耳を傾けてはくれないだろうか?私は―――」

 そう言って名乗ろうとしたとき、彼女はキョトンとした顔で叢雲の方を見て、左手で私を指さした。

 

「え?いや、ラクちゃん。私知ってるよこの人。昼間に広場にいたんだから。そもそもラクちゃんのお兄さんでしょ?月影さん」

 

「御雲月かg――――は?」

 今この子は何と言った?昼間広場にいた?民間人の中に?

 待て。早とちりをするな。艦娘として生まれ落ちて、民衆の中に紛れ込んで私を見ていたのかもしれない。そうだ、それ以外ありえない。

 

 

 

 

 

 

 ラクちゃん?

 

 

 

 

 

 

 

「……おい、妖精」

 

「どうした?」

 

「お前まさか―――――人間を艦娘にしたのか?」

 

 その問いかけに対して、妖精は待っていたと言わんばかりに無機質な表情に大きな笑みを浮かべた。

 

「大正解だ、提督殿」

 

 

 叢雲は驚いた私の様子を見て呆れたかのように大きな溜息を吐いた。

 

「顔を見て分からなかったの?あなたも知っているでしょう?よく私を連れ出してその辺りを駆け回ってた雪代さんのところの彗よ」

 

「は……?あっ……竜さん……竜河さんのところの」

 

「御雲、かなりだらしのない顔をしているぞ。部下が見ている」

 鏡にそう言われて、帽子を深くかぶって急いで表情と頭の中を整理する。

 

「あ、あの~、なんかすみません」

 

「い、いや、君はいいんだ。おい、妖精。民間人を軍事に巻き込むとは…いや、そうじゃない…あー、くそっ!君たちに対しては疑問が多すぎて何から聞けばいいか分からない…」

 

「あははは…なんかすみません」

 

「……妖精、その子は艦娘なのか?」

 

「紛れもない艦娘だ。戦っていたところならば君の隣にいる上背がある青年が知っているだろう?」

 

「艦娘の戦いと言うよりは子どもの喧嘩だったがな。しかし、可能なのか?俺は限りなく成功率も低く、完成度も低いと聞いたが?」

 

「いや、今はそんな問題じゃない……最悪だ」

 人間が艦娘になれるかどうかは本当に今はどうでもいいことだったのだ。

 

 人間が艦娘になってしまったことが一番の問題だ。

 これをどうやって公表する?秘匿にはできない。町から少女ひとりが失踪したなどで済まされては海軍の信用が一気に落ちる。

 それだけは海軍の威信を背負う一族の嫡子として守らねばならない。

 

「叢雲…言い訳とはこのことか?」

 

「何の事かしらね…?」

 

「えーっと、私はどうすれば」

 

「……さて、この提督はどうするか、見ものだな」

 

 提督がいないことにはなんとなく合点が行った。いや、そうなるしかないと割り切った。

 人間を艦娘にできるような妖精ならば、提督の存在など必要ない。

 では、彼女の傷が完治していないのは…それも前例がある、よりにもよって私の一族の祖先と言う前例が。そのお陰で一応の理解は可能だ。

 誰がこの妖精を召喚した?叢雲以外に艦娘は残されていないはず。

 自然発生などあるのか?いや、それだけが分からない。

 

 ひとつの大きな問題に直面すると他の事はもはやどうでも感じてきた。

 私の頭は簡潔に今まで思考領域を埋め尽くしてきた疑問を柔軟に解決していく。

 そうして、ようやく晴れていった脳内に残る巨大な問題。

 

 そもそも私の手の届かないところで起こったことに私がどう言おうと無駄なのではないか?

 だが、民衆は全艦娘の管理は私たち海軍が行っていると思い込んでいる。それに漏れが生じたなどと発覚すれば、一大事だ。

 

「――――ん?御雲」

 

「なんだ?今、考え事をしている。邪魔をしないでくれ」

 

「外で何か起きたみたいだ……」

 

「は?」

 

 この時、俺の中で生まれたとても嫌な予感。

 ちらっと眼を向けた。彼女は申し訳なさそうな顔を、妖精は私を試すような顔を、叢雲は欠伸をしていた。

 小さくばれないように舌打ちをして鏡に「ここは任せる」と一言残し俺は階段を上がっていった。

 

 

 

   *

 

 

 

「ちょ、ちょっと困ります!民間人は立ち入り禁止です!」

 

「黙れ!見た者がいるんだ!!」

 

「お前たちが誘拐したんだろ!!」

 

「誘拐などしてはいません!!あの子は――――うわっ!!」

 記念館前正門。入口に配置していた者たちが何者かともめている声が聞こえた。

 

「何事だ?」

 

「そ、それが、民間人の集団が突然押し寄せてきまして、中に入れろだと」

 

「説明はしたのか?ここは我々が滞在中に海軍の機密事項を保管するために民間人の立ち入りを禁止すると」

 

「どうやらそういう問題という訳でもないらしく」

 

「はぁ…もういい。私が対応する」

 見れば、海兵たちと筋肉隆々の男たちが取っ組み合いをしてなにやら喚き散らしている。

 あの身体つきで焼けた肌。見覚えのある顔たち。漁師の方々かと思えば、それだけじゃない。

 後方に女性の集団もあり、何かを叫んでいる。老人たちも集まり、近くにいる海兵を呼び止めては何か抗議しているらしい。

 

「どけ!もはや話すつもりなどない!」

 

「ちょっとあなた!!」

 

「お前は黙ってろ……あの子は私が取り戻す!!」

 そう言って民間人も海兵も踏みつけて人の壁を越えて一人の男がこちらへと向かってきた。

 

「ま、待ちなさい!ここから先は立ち入り禁止だと」

 

「邪魔だッ!!」

 服を捕まれたが、腕を振り回し、引き留めた者の顔に拳が食い込む。

 

「な、殴ったぞ!遠慮はいらん!拘束しろ!!」

 

「おいおい、小さい子連れ去って、それが軍人のやることか!?」

 そう叫んだ者を太い腕が掴み、引き留める。駆け寄った海兵たちにも男たちが立ちはだかり、その道を阻んだ。

 

「信用していたがちょっと考えを改めないといかんなぁ。まさかそういう趣味があったとは」

 

「お嬢ちゃんに何するつもりか分からんが、とりあえず竜さんの邪魔はさせねえぞ?」

 

「ちょ、ちょっと、みなさん落ち着いてください!!」

 1人だけ冷静に叫んでいる女性がいたが、男たちは聞く耳持たずに暴れ回る。

 日頃の訓練を積んで鍛えているとはいえ、こうも乱闘状態では海兵側にも大怪我が出る恐れもある。

 

「暴動だ!!動ける奴らは全員来い!!」

 記念館の中から声がして、内部で待機していた者たちが一気に飛び出していった。

 それでも怯むことなく向かってくる男たち。狂気すら覚える。

 

「あっ、お父さん……とおじさんたち」

 私の後を追ってきた少女がそう言った。

 そうだ。間違いない。鬼のような形相で私に向かって走ってきているあの男性はこの少女の父親だ。

 

「ちょっと……マズいんじゃないの?早く止めてらっしゃい」

 

「あ、あぁ……おい、お前っ、あいつらを止めて来い!全員中に入れてやれ!!」

 

「た、大佐!ですが……」

 

「構わん。なんの問題もない」

 

「わ、分かりました。お前ら、放してやれ!!」

 

「さて……」

 私の前で止まったその大きな影。荒げた息に肩を大きく上下させながら、キッと私を睨みつけた。

 

「どうもすみません。部下たちが―――――」

 

「――――貴様ッ!!」

 言葉を発したことで糸が切れたかのように、男性の身体が躍りかかる。恐らく、利き手であろう右拳を強く握り締めて大きく引いている。

 

「お父さんっ!!」

 背後で彼女が叫ぶ声がした。だが、男性が止まる気配はない。

 このまま殴られるべきだったのかもしれない。しかし、殴られてはこの男性の怒りは流れるままに私に暴力として振るわれる。

 それはお互いにとってマズいことだ。私は話を聞いてほしいし、一方的に私を殴れば、軍人など関係なしに罪に問われる。

 

「……申し訳ありません。こちらも事情がありまして」

 素人の拳程度ならば簡単に止められる。そうするように教わったし、鍛えられた。

 右手で重々しい一撃を受け止めて強く握り動きを止める。そうすることで私の声を確かに届ける。

 何よりも、私の後ろにいる彼女の存在を確かに知らせて、一時的にその怒りを収めてもらう。

 

「……ッ!……くそっ」

 少しだけ落ち着いた様子を見せたので手を離し、身体を半身にして道を開ける。

 

「お前……大丈夫だったか?変なことはされてないな?……よかった」

 

「お、お父さん……もう」

 

「その怪我はどうした?こいつらに何かされたのか?」

 

「い、いや、これは私が自分でやったことで……逆だよ。海軍の人たちには助けてもらったの。腕は脱臼みたいなもので、おでこのも掠り傷を大袈裟に包帯なんて巻いちゃってるだけだから」

 

「そうか……玄さんところの息子さんがお前が海軍に連れていかれたところを見たって言うものだから駆けつけてきたが…よかった」

 後を追うようにして女性が駆け付けてきて、私の前に来ると頭を深く下げた。

 

「……すみません。止めたのですが」

 

「いえいえ。私どもも全て把握できておらず、準備不足のためこのような事態になってしまっていますので、私たちの落ち度です。申し訳ございません」

 帽子を脱ぎ深く頭を下げた。海軍の落ち度であったことに変わりはない。何より、1人娘を巻き込んでしまったこと、そのことへの謝罪の気持ちは強くあった。

 

「頭を上げてください……それよりも、一体何が起きているんですか?まだ上手く理解できなくて……」

 

「少し複雑であるため、理解されるのは難しいでしょう。順を追って話させてもらいます」

 

「―――俺たちにも聞かせてくれよ」

 女性の後ろから、服が破けたり顔に痣を作ったりした男たちが壁のように集まってやってきた。

 

「……なんとなく分かってるんだ。お前たちが別に悪いことはしてないってことは」

 

「でもな、その子は雪城さんだけが大切に思ってるわけじゃねえ。俺たちはその子がこの町を愛してくれていることを知っている」

 

「だからこそ、ワシたちにとっても大切な実の孫のような子じゃ」

 

「あんたらにも話せない事情があるってのは分かるが、その子が関わっているのなら別だ。全部話せ」

 

「もし、強引にその子を連れて行こうってんなら……分かってるな?」

 

「この町の大人全員を敵に回すと思え」

 正直、驚きを隠せなかった。

 私の目にはただの少女にしか見えないこの子が、これほどにまで大人たちを動かしていることが。

 

 この町を愛している…か。

 旧横須賀鎮守府のお足下であったこの町は艦娘によって守られ続けてきた町。この町に生まれて、この町で生きていることを誰もが誇りに持っている。

 それは長く住めば住むほどに強くなる、と町の爺さんに聞いたことがある。

 この子は…この少女は、どれほどこの町を愛していたのだろうか?

 

「分かりました。では――――」

 

「待ってください」

 私の言葉を遮ったのは、この騒動の根源である彼女であった。父親に肩を支えるようにされて私の前に歩み出ると、少しだけ私の顔を見て、

 

「私に説明させてもらえませんか?ここにいる人たちは私のことを想って集まってくれた方々です。私の言葉で伝えたいことがたくさんあります」

 強い意志を持った目を向けながら私にそう伝えた。

 

「……分かった。君に任せさせてもらう」

 事実を言えば、私が説明してもらいたい気持ちなのだ。

 私の口から曖昧な情報で伝えられるよりも、彼女の口から語られる真実の方が余程真実味のあるものだ。

 帽子のつばを押さえながら、私を1歩下がった。

 

 そして、小さく息を吸い込んだ彼女の後姿をじっと見つめていることにした。

 

 

 

   *

 

 

 

 小さい頃から海の近くを駆け回っていた。

 彼女たちの存在を強く感じられると思ったからだ。

 私はこの町が大好きだった。この町で暮らしている人みんながこの町を愛している。

 そんな町の人たちも大好きだった。その大きな手、小さな手で、私たちの成長を支えてくれて助けてくれる温かい町。

 艦娘について調べていくほどに、不思議とこの町に愛着が湧いていく。

 この町を愛する気持ちは強まっていく。

 それはこの町がかつて艦娘たちが歩いていた町だからではない。

 

 この町で私は艦娘たちと出会い、艦娘たちに触れて育った。

 そこにあったのはいつだって、この町のみなさんの温かい目と温かい手だった。

 

 みなが海を愛し、町を愛し、子を愛し、未来を紡いでいく。

 

 きっと彼女たちが願った理想はこの町なんだと考えた時もあった。

 

 私は全てを話した。

 昨晩、私は艦娘になって、海に出て戦ったことも。今日の昼間の戦闘に私も出ていたことも。

 今日戦闘に加わっていたことは両親だけでなくみんなを驚かせた。恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいだった。

 

 加えて、私が海軍の手によって艦娘になったことではないことを話し、月影さんたちの無罪を証明しておいた。

 満身創痍になった私を海軍が保護して治療してくれたことも話して私がここにいる理由も全て伝えた。

 

 とにかく、これは海軍の意思ではなく、紛れもない私の意思ですべて行われたことだと言うことを伝えた。

 

 

 ひと通りの話を聞いて、父は俯き、母は口に手を当ておろおろとしていた。

 

「……勝手なことしてごめんなさい」

 少し目線を落として私はその時だけ小さく呟いた。誰も言葉を発さない中で、父だけが1歩、月影さんの前に歩み出た。

 

「……君、私の娘をどうするつもりだ?私の気持ちを理解した上で言葉を選びなさい」

 

「この世界の状況は昼にお話しした通りです。今の人類に艦娘という存在は希望そのものです。私たちとしては、希望となり得る戦力をひとつでも多く揃えたいというのが本音です。無論、危険も伴います。艦娘だって不死身じゃない。命を懸けた戦いに身を投じることになります」

 

「……君は昼間に言って見せたな。すべての艦娘を命懸けで守ると。君に私の娘が護れるのか?」

 

「確かにそのように言いました。ですが、この戦いに参加するしないは私の意思には恐らく関係ないでしょう」

 そう言うと、月影さんは私の前まで寄ってきて、帽子を脱いで私を見た。

 

「……君の意思が聞きたい」

 

「……え?わ、私ですか?」

 

「さっきも少し話したね。君は軍属じゃない。これからどちらかの道を選ぶことになる。君次第だ。戦いたいのならば、私たちが君の身柄を保護する。拒むならば、君の艤装を解体しよう。艤装を解体してしまえば、君は艦娘ではなくなる。戦いからも遠ざかり、家族とも一緒に暮らせる」

 

「え、えーっと、その私は……」

 突然答えを求められて少しパニック状態になっていた。みんなに真実を伝えて落ち着くと言うよりも寧ろ心臓が跳ねるように脈を打っていたところにそんなことを聞かれて即答できるほど私の心中は穏やかではなかった。

 

「……」

 

「……」

 無言のまま私の答えを待つ両親と目が合った。

 その瞬間に、不思議と私の拍動は治まっていった。

 

「そ、その……私は」

 

「……どうして」

 

「え?」

 

「どうして、お前は艦娘になったのか話してくれるか?無理やりではなく、お前がなることを選んだのだろう?」

 

「そ、それは……」

 父の質問が私の中で響いていく。

 目を閉じて思い出していく。

 そうだ。きっと伝えるべきことはこれなんだと。忘れてしまっていたのは初日に決めたはずの強い想い。

 

「――――――っ、ふぅ……」

 

 余計なものは吐き出して必要なものだけを残す。そして、伝えたいことだけの空気を吸い込んで、私はゆっくりと閉じた目を開いた。

 

「お父さん、私はお父さんが大好きだよ。お母さんも大好き。お婆ちゃんも大好き」

 

「ラクちゃんも、学校のみんなも、うちに来てくれるおじさんたちも、市場の人たちも、商店街の人たちも」

 

「みんな大好き。そんなみんながいるこの町が大好き。そして、私が憧れた艦娘が護ったこの町が大好き」

 

「私が艦娘に憧れていたのは知ってるよね?でも、それは所詮憧れだったんだ。彼女たちのように戦えるわけじゃない」

 

「昨日、本当はお父さんのところに向かってたんだ。心配だったから……それで深海棲艦に襲われた」

 

「何もできなかった。私は無力だった。必死で逃げてある場所に着いたんだ」

 

「そこで知ったんだ。私は本当にこの町が大好きなんだって。そして、私に足りないものが何かを」

 

「私は――――私が大切だと思うものを、かけがえないものだと、愛していると思うものを」

 

「この命に代えてでも守りたい。私の大好きなものが詰まったこの町を失いたくない」

 

「私にも戦える力があるのなら戦いたい。だから、艦娘になった。私が生まれ育ったこの町を護り抜きたいから」

 

 

 

「私が、みんなを護りたいからっ!」

 

 

 

 全てを吐き出した私の中にふっと生まれた満足感。

 目を閉じて、ひと息吐くと私は父の顔を見た。私のこの答えを聞いて父が何を思うのかが知りたかった。

 

「…………」

 だが、父は無言だった。表情を変えることもなくじっと私の顔を見下ろして固まっていた。

 母も同じ感じだった。グッと目を閉じて……もしかしたら、父の言葉を待っていたのかもしれない。

 

 

 

「――――なぁ」

 

「え?」

 ふと父の口から何かの言葉が漏れ出した。強張っていた表情が解れて優しい笑みが父の顔に浮かぶ。

 

「私が知らないところで、お前はずーっと強くなったなぁ」

 

「えぇ、本当に……少しこの間までちゃんと見ていないと心配だった子がここまで」

 父と母の表情は険しいものではなく、温かみのある笑顔に溢れていた。父の大きな手が私の頭を撫で、母の小さな手が私の頬を撫でる、

 

「……私はお前を戦場に送ることは反対だ。それは私が親として当然に考えることだ。しかし……まさか、母さんのその言葉に納得してしまう日が来るとは思いもしなかった。それも我が子の姿を見て、な」

 その言葉を聞いて、私は大衆の前で祖母が言い放った言葉を思い出した。

 

『確かに姿こそ幼い。だけどね、まっすぐと芯が通っている』

 

『逞しいじゃないか。一端の男よりずっと逞しい。強いよあの子たちは、大人の心配なんかいらない』

 

『いつか子は巣立っていくんだよ。私たちの知らないところで、私たちが知っている姿よりずっと逞しくなって』

 

 きっと父も同じだ。祖母の言葉を思い出して、あの場に並んでいた強い光を持った少女たち、そして祖母の姿を私に重ねているんだろう。

 

「……私の目を見なさい」

 

「う、うん……」

 言われるがままに、顔を近づけた父の目を覗く。

 いつもは厳しさを形にしたような鋭い眼をしているが、今はそんなものはない。

 柔らかく、目に映るものすべてに温もりを与えるような優しい目。その目と目を合わせている間、私の中で安心感が湧き上がってきて、不安や焦りが徐々に薄れていった。

 

「私が知らない輝きがある。力強い光が。強さの他に、目にはちゃんと優しさがある……強くなったんだな、彗」

 

「そ、そうかな……?」

 

「ええ、彗は強くなったわ。ずっと見てきたんですもの。私たちの子どもの成長を2人で…いいえ、町の皆さんと一緒に」

 

「でも……少し早すぎやしないか?お前が私たちの元から巣立っていくのは?」

 

「そうね。てっきり、いい人でも見つけて飛び出していくものだと思っていたけれど」

 思わず肩が跳ねてしまったが、それは目の前にいた父も同じだった。それを見て母は悪戯に小さく笑いを零した。

 

「なっ……こんな時に冗談はよせ」

 

「ははは……、……お父さん、お母さん」

 うん、きっと大丈夫だ。

 私は胸を張って2人に気持ちを伝えていいんだ。何も迷うことはない。

 父も母も、町のみんなも、私を否定することはない。ずっと私を見てくれてて、こうやって自分の足で立っている私を認めてくれる。受け止めてくれる。支えてくれる。

 もう隠す必要はない。悩む必要はない。伝えればきっと応えてくれる。

 それが私の行くべき道なのかどうかを認めるか、諫めてくれるはずだ。

 

「私がお父さんたちにとってどんな存在かは分かってるよ。それでもね、たとえまだお父さんたちから見たら幼くても、私は自分にできることをしたい。我儘かもしれないけど、未熟な私が見た夢なのかもしれないけど」

 ちらっと月影さんに目を向ける。

 

「この人たちの力になりたい。きっとそれが私が大切なものを護れる近道なんだと思う」

 ぽんぽんと父の手が私の髪を撫でる。

 

「……未熟な夢なんかじゃない。危険な賭けをしたが、お前は昨日も今日も、この町を護ってくれた。本当は叱ってやりたいところだが……よくやった。お前はお父さんの誇りだ。今、そう思える」

 

 

「―――――――――お前は相変わらず面倒くさい男だ。つまらないねえ……」

 カラカラと音がして、町のみんなの壁が割れていった。

 その奥にいる車椅子に座った一人の老婆を見て父は露骨に表情を苦くした。

 

「げっ」

 

「お婆ちゃん……!」

 呆れたように溜息を吐くと、車椅子を転がしながら私たちの方へと寄ってきた。

 

「とっくに認めてるんだろう。その子の姿見ればお前も認めざるを得ないだろう。すっかり変わってしまった」

 そして、その皺だらけの顔に浮かぶ鋭く強い眼が私を射抜く。思わず、背筋がぴんっと伸びてしまった。

 

「悪い方にじゃなく、良い方に。逞しく、真っすぐに芯の通った、いい女になった。もうお前が教えることはなぁんにもないよ」

 

「くっ……」

 

「お義母さん、本当にいいのでしょうか……?このままで」

 

「……分かるよ。お前さんが腹痛めて産んだ子だ。大事に育ててきたのもずっと見てきた。しっかりとお前さんの良いところを受け継いでいる。でも、分かってるんだろう?女には引けない時ってのがあるんだ。それと同時にどうしても耐えなきゃならん時もある」

 祖母はふと海の方を向いた。私も釣られるようにしてその方角を向いた。

 雨が上がった空に向かって私の背中を押すような優しい風が吹き抜けていく。

 

「少し早いかもしれないが、この娘にとっては絶好の船出の時なのかもしれない。そっと背中を押すのが親というものだ」

 

 船出の時。

 私が艦娘として踏み出すべき第1歩はここじゃない。いや、生まれたのはここだし初陣もここなのだけど。

 私はまだ艦娘としてきっと未熟なのだ。

 もう1度、きちんと船出をする必要があるんだと思う。

 

 それはきっと……愛するものから離れてしまうことになるのだけれど。

 それでも、この町に下ろし続けた錨をそっと巻き上げて背中を押してくれる温かい手を無碍にはできない。

 

 

「……しかし、私はお前たちに謝らないといけないね。私の子だったが故に、子に嫁いだが故に、孫として生まれたが故に私が受け継いできた血の因果に巻き込んでしまった……彗や、お前さんはが受け継いだ名前は何という?」

 

 祖母の言葉に私の身体はすぐに反応した。

 

「……特型駆逐艦吹雪型1番艦《吹雪》」

 

「私の祖母も同じ名を持った艦娘だった。つまりはそういうことだ。お前さんは生まれながらにして艦娘になる素質があった……そう言われなかったかい?」

 

「え、う、うん。言われた……って、お婆ちゃんが艦娘の孫だったって今日の昼間のあの時に初めて知ったんだけど……」

 

「だが、素質があるのと、実際になるのは大きく違う。自分で選んだんだろう?艦娘となり戦うことを。もう親が敷いたレールの上を歩いていくときじゃない。お前さんは自分で進む航路を定めた。お前さんの行く道だ」

 

「……うんっ!」

 私は振り返った。父に、母に、祖母に、町のみんなに背を向けた。

 その背中にそっと手が当てられるような気がした。私を支えてくれる多くの人たちの想い。

 

 私の進むべき航路(みち)は決まった。

 

「月影さ……い、いや、し、司令官さん、かな?し、司令官!」

 待っていたかと言うように、月影さんは私の前にまっすぐに背筋を伸ばして立つ。じっと私を見下ろす手には私を試すような威圧感が籠っていた。

 

「……では、答えを聞かせてもらってもいいかな?」

 

「私も――――私にも護らせてください!お願いします!私を海軍に入れてください!!」

 

「危険な道だ。生半可な覚悟で海軍の名を背負わせることはできない」

 

「それでも、私、やります……艦娘として戦います!もっともっと頑張って、いつか平和な海を取り戻します!それが今ここで、私が愛する者たちに向けて立てる私の誓いです!!」

 少しの沈黙。そして、カンッと響いた軍靴の音。

 目の前で優しい笑みを浮かべて敬礼を浮かべた月影さんに続いて、周囲にいた海軍の方々全員が一斉に私に向かって敬礼をした。

 

「……ありがとう。君の勇気に敬意を抱くよ……私の艦隊に加わってもらいたい。お願いできるかな?」

 

「――――はい!」

 不思議と身体が動いて私は敬礼を返した。と言っても左手でやったため少しぎこちないものになっってしまったのだが。

 ちょっとの間をおいて、キレのある動きで気を付けに戻ると、月影さんは私に左手を差し出した。

 

「よろしく頼む。駆逐艦《吹雪》」

 

「はい!よろしくお願いしますっ、司令官っ!!」

 

「ふふっ、まったく馬鹿ね、あんたは……」

 後ろで小さく笑ったラクちゃんに少し照れたような笑みを向けると、優しく笑い返してその後呆れたような表情になった。

 なんだかんだで、いつものラクちゃんだ。

 

「あなた……ほら、ちゃんと見て」

 

「分かってるよ。我が子の旅立ちの時だ」

 

「お、お父さん!お母さん!お婆ちゃん!」

 

 そう言えば、私は重大な問題を抱えていた。その解決方法を今のうちに両親に訊く必要があった。

 何よりも、その問題は両親の想いを無碍にしてしまうようなものなのだ。

 

「あぁ、分かっているよ、彗。自分の名前が朧げになってきているんじゃないかい?」

 と、訊こうとした瞬間に祖母に見事に言い当てられた。

 

「え?ど、どうして分かったの?」

 

「名前を呼ばれたときに、どこか反応がぎこちないからねえ。それにお前さんの中には《吹雪》の記憶がある。その記憶が混濁して自分の名前が分からなくなっているんだろう?」

 祖母の口からそう聞いて、両親はかなり驚いているらしかった。同時にショックを受けているように思えた。

 それもそうだ。大事な我が子のことを想い、様々な祈りや願いを乗せてつける名前。ひとつの命に与える名前だ。

 それを忘れたなどと聞けばショックを受けるのも仕方がないだろう。

「そ、そういうことなんだ。それで……忘れないように聞いておきたいことが1つだけあるの」

 

「彗、あなたは彗よ。1000回頭の中で『私は雪代彗です』って呟きなさい」

 

「い、いや、ここは忘れないように名前を織り込んだ御守でも持たせれば……」

「いや、ちょ、ちょっと待って」

 流石にパニックになりすぎだ。

 

「今まで訊いたことがなかったんだ。逆にどうして今まで訊かなかったのか不思議なんだけど」

 

「なんだい?なんでも言ってごらん?」

 

「私の―――その『彗』って名前の由来はあるの?」

 父と母のキョトンとした顔を見て、あぁ、この2人は夫婦だなって思うほどにそっくりな反応をした。

 

「あ、あれ?今まで話したことなかったか?」

 

「う、うん。なんかお婆ちゃんと話し合って決めたってのは聞いたかもしれないけど」

 

「そうね……じゃあ、忘れないようにここで教えてあげるわね」

 2人はしゃがみ込んで、ちゃんと私に声が届くように顔の高さを合わせてくれた。

 そして、紡がれていく『私』と言うかけがえのない存在を刻むその名を。

 

「お前の名前の由来はな―――――――」

 

 結われていた願いを、そっと言葉に乗せて教えてくれた。

 

 

 

   *

 

 

 白い窓枠に囲われた綺麗な窓。ワックスが綺麗にかけられてきらめいている廊下。

 優しい緑色の壁に木造の天井。その途中にある上質な木材に金色で文様が描かれている両開きの大きな扉。

 上に掲げられているプレートに「提督執務室」と書かれてあるその部屋の扉を軽く4回ノックする。

 

「……入りなさい」

 

「失礼します!」

 声に従ってきびきびとした動きで入室し、踵を揃える。

 掲げられた額縁に勢いよく書かれた文字。青色の絨毯に大きく開く窓からは青い海と赤いクレーンが見える。

 両脇にある書棚と、小さな給湯設備。そして正面に置かれた大きな執務机。

 

 真っ白な軍装を身に纏い、私をじっと見るその姿に私は治った右手を額にかざし、敬礼をして大きく口を開いた

 

「本日より、横須賀鎮守府配属となりました吹雪です!よろしくお願いします!」

 

「私は横須賀鎮守府の御雲月影だ。階級は大佐。この鎮守府の提督を務めている。待っていたよ、駆逐艦吹雪……よろしくお願いする」

 そう言って返礼をした提督に大きな声で返事を返す。

 

「はいっ、司令官!」

 

 

 あれからいろいろとあった。本当にいろいろと。話すと長くなりそうだから機会があったら話しますね。

 とりあえず、私は横須賀鎮守府に着任することになりました。

 ……言っては何ですが、車で30分かからないくらいの場所です。威勢よく出てきたのに、帰ろうと思えば帰れます。

 ですが、簡単に帰られる日々を送れるはずもないでしょう。その覚悟だけは決めてきました。

 

「では、君とこれから共に戦っていく仲間たちを紹介することにしよう」

 

 すでに執務室には4人の艦娘がいた。床に座る子、壁にもたれかかる子、棚の中を整理してる子、窓の外を見てる子。

 皆がやってることをやめて、私に近づいてくる。1歩手前で止まると、4人は顔を見合わせていた。

 

「綾波型駆逐艦《漣》です……あーこんな感じでいいですか?まあ、よろしくねー」

 ピンク色のツインテール。少し変わった印象だが愛らしい顔をしていてチャーミングな子だ。肩にウサギがいた。

 あの時は見かけによらない力強さで私を守ってくれた。表情こそ少し笑っているが、私を試すように見る目には強い光が宿っている。

 

 

「《五月雨》って言います!よろしくお願いします!吹雪ちゃん、一緒に頑張りましょうね!」

 青いロングヘア―。明るい印象でとても元気そうな子だ。グッと握っている拳が可愛い。

 ちょっとどこか抜けていそうな感じで元気が空回りしないか心配だが、彼女の勇姿はこの目でちゃんと見ている。

 

 

「《電》です。どうか、よろしくお願いします、吹雪ちゃん。一緒に頑張るのです!」

 茶髪を後ろで束ねてる。おろおろしていて少し気弱そうな子だけど、全体的に可愛い。

 言葉を交えるのはここが初めてだ。しかし、溢れ出すやる気を感じる。瞳の奥にある強い光も彼女の見かけによらない頼もしさを物語っている。

 

 

「……そして、私ね」

 彼女のことはよく知っている……つもりだったが、どうも知らないことも多いみたいだ。

 

「特型駆逐艦吹雪型五番艦の《叢雲》よ。ま、せいぜい頑張りなさい、吹雪(・・)

 

「あははは……」

 吹雪と強調して呼んだところはちょっと皮肉を込めていたのだろう。水色の髪を靡かせるクールな印象を抱かせる子。

 でも、優しい目で見守ってくれる私の親友だった子。その目は今も変わらない。

 

 

 どれだけ部屋を見渡しても、これだけである。

 ここにいるのは、駆逐艦5隻のみ。これが人類の持つ最高戦力。

 戦力としては心もとないかもしれない。装甲も火力も低い私たちは駆逐艦だ。

 

 でも、私たちは鉄の塊なんかじゃない。人の形をした艦娘だ。数を埋められるだけの可能性がある。

 私はそれを信じている。きっと私たちはかつての彼女たちのようになれると。

 

 まずは、5人でのスタートだ。ここから始めていこう。1歩ずつ仲間と。

 

 

 100年前の伝説と化した艦娘たちとなんら遜色のない力を持つ艦娘の艦隊をいつの日か。

 

「みなさん、よろしくお願いします!」

 

 今1度、私たちが伝説をこの海に甦らせるその1歩を、まずはここから。

 

「よろしくー!」

 

「よろしくお願いしますね!」

 

「よろしくお願いします、なのです!」

 

「……よろしく」

 

 

 踏み出していこう――――――この、始まりの5人で。

 

 

 

 

 

『――――彗星だ。まあ、若干意味合いは違うが流れ星のような意味で』

 

 

『流れ星は宇宙で見れば、ただの塵などが動いているようなものだ。でも、夜空に煌めくその光に願いを託す人たちもいる』

 

 

『流星群の中ではその光さえ霞んでしまうかもしれない。それでも、自分の中にある光を大事に守り』

 

 

『願わくば、その光に誰かの願いを背負って、他の光に負けないほどに強く輝いてほしい』

 

 

『一瞬の煌めきではなく、誰かの願いを背負い、誰かの心の中に残り続けるような光をもって強く、強く』

 

 

『夜空のような暗闇の多い世界でも輝けるように、迷った誰かを導ける光になれるように』

 

 

『例え、燃え尽きてしまったとしても、俯いた誰かがふとお前の光を思い出して空に目を向けてお前の光を探すような』

 

 

『そんな人生を送れるように……私たちの願いを込めて空に放ち、大海を翔ける彗星となれるようにと』

 

 

 

 私の名前は雪代 彗。

 

 

 私の名前は特型駆逐艦吹雪型1番艦《吹雪》。

 

 

 

 私はこの海の上で、誰かの願いを背負い生きている『艦娘』。

 

 この光が途絶える前にその願いを紡いで見せる。

 

 誰も俯かずに空を翔ける彗星を大切な誰かと一緒に見上げることができるように。

 

 

 

 

 私はこの名を背負って生きていく。

 

 

 

 

 

 

 




読んでくださりありがとうございます。

第二章「始まりの五人」完結でございます。いやぁ、長々と申し訳ありません。
「一章の半分くらいで済むかなぁ~」などと考えたらこんな感じになりました。

さて、一章に引き続き、簡単な反省と解説、告知をさせていただきます。

反省についてはあれですね。叢雲が暴走したあたりですね。
例の友人と二次創作について話していた時に「キャラが勝手に動き出す」という話をしたことがあります。SSなどを書いてある程度キャラを作っていくと、そのキャラが勝手にストーリーに沿って動き出す、と言う経験がある方もきっと居られると思います。私の未熟さゆえかもしれませんし、そこで軌道修正するのが技量の見せ所なのでしょうが…見事に振り回されました(笑)。つまり、あの辺りから少し当初のストーリーが歪みました。軌道修正するのに時間がかかり、今週までかかりました。申し訳ありません。


解説ですが、作中で妖精がぽろっと出した『FGF(Fleet Girls Frame)』は自分が艦娘の構造について設定を決めていくに当たって生まれたこの作品でも結構重要な設定です。また時間があったときに、まとめさせていただきます。

主人公の雪代(ゆきしろ)という名字はかーなーり、適当です。
提督の親友、鏡 継矢(かがみ つぎや)に関しては結構考えました。
あと、何やら濃いキャラ残して消えたもう一人の友人(女性提督)は、多分ずーっと後に出てきます。
この作品では、基本的に提督(妖精を観測できる能力を持つ者)は100年前の艦娘の子孫です。名前などに面影を残しているので、誰の子孫か暇だったら考えていただくのもまた一興かと。

さて、以前告知しました第三章ですが、この章「始まりの五人」のくせに、と突っ込みたい方もおられると思いますが、

「電ちゃんの活躍シーン少ねえじゃねえか!もっと出せ!!」

などと思われている方。安心してください、第三章のサブメインは電ちゃんです。
少し横須賀を離れます。というか日本を離れます。そのため、主人公不在です。

この章については思いついたときに、個人的にものすごく愛着が湧いてお気に入りですがだからと言って完成度が良くなるとは限りません。
それと私の都合がかなり混み合っておりまして更新がしばらく先になりますm(__)m
ここで次章の名前言っちゃうんで、ぶっちゃけ誰が出るかは予想できると思います。

では、第三章『銀翼の翔跡』でまたお会いしましょう。


ありがとうございました!!



※ 3月13日 
 雪城 → 雪代 に変えさせていただきました。すみません


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