ずっと昔。もう当事者は生き残っていない時代。歴史の一部となってしまった時代。
第二次世界大戦という大きな戦争の中で、多くの命が散り、大地に 海に、沈んでいった。
私たちは歴史の授業でその程度のことしか習うことはない。
後にこの世界を呑み込んだ戦いに比べれば、その戦いは余程ちっぽけなものだったのだろう。
深海棲艦との戦い。
人類は制海権を失い、日々海から迫り来る脅威に怯える生活を強いられた。
それは大戦の中で散っていった在りし日の戦船のその魂、そして共に散った英霊たちの魂。その中で渦を巻く怨念、未練、恐怖、絶望、怨嗟。黒い感情が沈んだ鉄の塊と結びつき、
人類を破滅に導かんとした黒き存在。
大戦時よりもはるかに進んだ技術力を持ってしても、私たち人類は深海棲艦の侵攻を止められなかったのだと言う。
暗黒の時代の中に生まれた微かな光。
在りし日の戦船の魂、その記憶を持ち、唯一深海棲艦と対等に戦うことができた最後の希望。
それが「艦娘」―――怒涛の大戦期の海を駆け抜けた戦船の力を持った少女たちだった。
彼女たちは各地に散らばり、日本から世界へと戦線を広げていき、数十年に渡る長き戦いの末に、深海棲艦に勝利。
再び、この蒼い海に平和と自由が舞い戻った。
それから、100年後。この時代に艦娘は一人もいない。
海の平和が取り戻された後に、全ての艦娘は解体となり、戦いの日々から解放された。
艦娘は伝説となった・・・・・・
「はぁ~、かっこいいなぁ・・・・・・」
食い入るように目を向けていた文章から離れ、背もたれに曲がった背筋を伸ばすように凭れ掛かりながら、私は湧きあがった感嘆の声を思いっきり吐き出した。
そっと閉じてその本を机に置くと、私の隣で呆れかえった目を向ける者が耐え切れずに溜息を吐いていた。
「何?またその本読んでるの?もう何度目よ・・・・・・?」
「100から先は数えてない」
中身を全部暗記しているレベルだが、何度読んでも同じような反応をしてしまう。
「呆れた…ホント物好きね」
「だって、英雄だよ?海の女神だよ!?神様なんだよ!!カッコいいじゃん!!!」
「はいはい・・・・・・あんたの艦娘オタクはもう飽き飽きしてるわ」
「えー…ラクちゃんはつまらないなぁ…」
わざとらしく唇を尖らせながら、積み上げられた本の山からまた一冊手に取った。
が、その本は奪われて、
「だって、おかしいじゃない」
「……何が?」
何を言っているか分からない。首を横に倒すと、友人はガクリと肩を落とす。
「あんたねぇ…よく考えてみなさい。戦争に女が駆り出されて戦ってたのよ?そんな世界だったら、私自分で死んでるわよ」
「でも、海軍には女の人もいるよ?」
「そういう問題じゃなくて……もういいわ。あんたに何言っても無駄だってわかるくらいには付き合い長いから」
持っていた本を私に返すと、受け取った私はその本の表紙のシルエットを真似てみた。
「私は艦娘になってもいいけどなー、こう、艤装を操ってずがーん!って」
右手を伸ばして指鉄砲を作る。ラクちゃんに向けてバーンと言ってみた。狙いを付けてるみたいに片目を閉じて。
「あんたのそれは男子のあれと同じね。ロボットに乗って戦いたいとかいう…死ぬのは自分かもしれないのに呑気なものね」
銃口のように向けていた人差し指を掴まれる。あろうことか曲がらない方向に曲げ始めた。
「痛い痛い痛い!…ったくもう夢がないなぁ…そこは自分が主人公だって思わないと」
「そんな都合のいい世界だったら、艦娘なんて生まれてないわよ」
「?」
「その反応にはそろそろ飽きたわ・・・・・・それで、いい加減に帰らないとさっきからあの人睨んでるわよ」
理解できない風な様子を察したのか、突いていた肘を伸ばして背伸びをすると、席から立ち上がった。
ラクちゃんがちらっと向けた目線の先で図書館の受付の人がこっちをじーっと見ていた。
咄嗟に立ち上がり時計を見る。
「えっ!?今何時?わあああっ!もう閉館時間すぎてるっ!!」
「私がここに迎えに来た時点でとっくに過ぎてたわよ……こんなに本の山を作ってるし」
またラクちゃんが溜息を吐いた。溜息の分だけ幸せが逃げる、と前に教えたら、じゃあ、あんたの友達辞めることになるわと言われた。
未だによく意味が分からないが、今日だけでもすでに二桁は溜息を吐いている。
「ご、ごめんなさい!!ラクちゃん、片付けるの手伝って!!」
頼もうとした前に本の山を崩してタグを見ながら本を手に取っていた。
「はいはい……まったく、あんたみたいに後先考えないやつが艦娘になってもすぐに沈むわよ」
「どうしよう……お店のお手伝いあるのに……」
「もう……先に借りる本の手続きしてきなさい。あんたの手際の悪さだとかえって遅くなるわ」
しっし、と追い払うように手を振る。我ながら手際の悪さには自信があるので言い返す言葉がない。
「ご、ごめん……すみませーん!!」
「まったく……なんでこんな奴の友達やってるのかしら、私は…?」
頭を押さえながら横に振って、ラクちゃんは片付けに入った。申し訳ないと思ってる。本当に。
受付に付くと何度も頭を下げると「いつも熱心に読んでますもんね」と苦笑いを浮かべながら、手続きをしてくれた。
手続きが終わった頃にはすでに本の山はなかった。ラクちゃんにありがとうと言ったら返事の代わりに思いっきりでこピンされた。
私が大の艦娘好きだということは、皆が知っている。
そのオタクっぷりにはすでに両親も諦めているし、女なのに過去の兵器に興味があるなんておかしい。だから奇異の目に触れることも度々ある。
それでも、理解者はいる。ラクちゃんだって否定はしているものの、私が艦娘オタクだということを知っててもずっと友達でいてくれてる。
私が艦娘に憧れるのは、ただ彼女たちの残した栄光に縋りつきたいためじゃない。
私は知りたいのだ。ラクちゃんが言ったように、少女たちが立った戦場のことを。
なぜ、彼女たちだったのか。なぜ、少女たちでなければならなかったのか。
いや、それよりも、なぜ彼女たちが生まれたのか。
幾多の謎が私の目の前にある。それが私の好奇心をくすぐる。
手に届きそうにない存在だからこそ、憧れる。未知だからこそ近づきたい。
いずれは、彼女たちを知ることでこの世界に何かもたらせる存在になりたい。
何か、という漠然な夢。でも、確かに世界を守った少女たちは存在した。彼女たちになりたい。
この蒼い海を見渡せる港町一つくらい守れる存在になりたい。
まだ大人になり切れない、淡い私の幼い夢。