艦娘が伝説となった時代   作:Ti

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なんかすごくたくさん書いた気分。

不思議。


夢の色

『―――どうしてだ!なぜ私を出さない!!私はまだ戦える!!』

 

 

『……金剛も、赤城も、大和も武蔵もっ、みな戦って死んでいったのだ!!私が…私が出なくてどうする!!』

 

 

『動けない…?だったら、引け!この私を戦場まで連れていけ!!』

 

 

『なぜだ……私は、私たちは、戦うために、守るために生まれたのに……』

 

 

『何が連合艦隊旗艦だ……何がビッグ7だ……何も守れずに得る名など要らない……』

 

 

『誰か私を連れ出してくれ……』

 

 

『―――――――――――――――――――――――――――――』

 

 

『戦艦――――、出撃する』

 

 

『――――よかった、私は海で散れるのだな。最後まで戦えなかったことは残念だが』

 

 

『それにしても珍しい光景だ。これほどの艦を集めて何を……中には私が戦った相手もいるのだな』

 

 

『終戦か……それを歴史に印すための何かの式典でも行うのだろうか?私たちがこの国の代表として選ばれたのならば、胸が熱くなるものだが』

 

 

『ん?なんだあれは―――――――――――』

 

 

『……眼が痛む。身体もあちこちが……こんな痛み戦いで味わったことはない』

 

 

『何が起きているのだ?どうしてこれほど痛むのに私はまだ浮いている……』

 

 

『あぁ…そうか。あなたたちなのだな。私の背中を支えてくれているのは…』

 

 

『本当にすまなかった。私はあなたたちのために何もできなかった』

 

 

『……しかし、金剛、赤城、大和、武蔵、お前たちはこの空を見ることができたのか?』

 

 

『ははっ、今の今まで気付かなかった。世界のどこにいようと見上げる空は同じなのだな。私たちはこの世界にいる限り同じ空の下に、同じ海の上にいたのだな』

 

 

『そうか……美しいな。最期にこんな空が、美しいこの青が見られたのならば……この瞼の裏に焼き付けて逝こう』

 

 

『……本望だ』

 

 

 まただ。朦朧とする意識の中で映るビジョンと誰かの声。

 私の中にある誰かの声。祈りの声。

 目を閉じても広がるその青は永遠のように思えて、終わりを告げる白は全ての希望を断ち切る刹那の終焉を象徴しているように思えた。

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

 覚悟は決めていた。正直、この状況を切り抜ける自信がない。

 どれだけ足掻いても彼女は私の一歩先を行く。

 

 この砲撃音が私の身体を貫いたものだと確信していた。案外、痛みは感じないものだと。

 

 私は死ぬのだろうか?

 

 それとも沈むのだろうか?

 

 沈むのは苦しいのだろうか?

 

 艦娘が沈むとどうなるのだろうか?

 

 死ぬ間際にも拘らず、私の頭の中に浮かんでは消えていく新たな疑問。

 好奇心が探求せよと語り掛けてくるが、生憎私はここで終わりなのだ。

 

 そもそも、「死ぬ瞬間はどんな感じなのか?」などと聞いて答えられるはずがない。

 死ねばそこに残るのは物言わぬ肉塊。いや、今の私は鉄塊になるのだろうか?この際どうでもいいことだが、死というものを明言することはできない。

 

 だが、船としての魂も宿った以上、私自身は死を定義できるのかもしれない。

 ある人が船は何かを乗せて運ぶものだと言った。船は本来、人や物資を海を越えて渡す架け橋なのだと。

 

 戦船も結局本質は変わらない。

 人を乗せて運べるかどうか。それができなくなった時に船は死ぬのだ。

 

 にしてもおかしい。なかなか、この意識も消えないものだ。

 もしかしたらすでに私は死後の世界にいるのかもしれない。幽霊や死後の世界などは非科学的だとはいうものの、艦娘が在りし日の戦船の魂を宿す者たちなのならば、一概に蔑ろにはできない。その存在の否定は今や自分自身の否定になってしまう。

 

 

「―――ッ!!何よ!!」

 突然、ラクちゃんが私の近くから動いた音が聞こえた。海を裂いて進む音と急速に回転したスクリューの音。海に横たわっていると色んな音が聞こえてくる。

 

 そんな私の耳の奥で、何度も砲撃音が響いていた。

 砲弾が海に叩きつけられて水柱があがる音。

 巻き上げられた水飛沫が海面を叩きつける音。

 そして、また響く砲撃音。

 

 

 

「あれ……?」

 私は生きているらしかった。

 

 でも、どうしてだろうか?

 脳震盪は治まり、顔はヒリヒリするが鼻は折れていないらしく、両目も潰れていない。両腕もちゃんと付いてる。両脚も付いてる。お腹にも胸にも穴は空いていない。

 あちこち痛むがまだ沈んではいない。痛いから夢でもない。

 

 何が起こっているのかと、目を擦って辺りを見渡すと、

 

「あぁ~、大分ボロボロにやられてしまいましたねぇ~」

 しゃがみ込んで私の顔を間近から観察している女の子がいた。

 

「あっ、あなたは確か……」

 

「ん?漣を知ってるの?ふふーん、漣もなかなか有名になったものですなぁ~、えへっ」

 あぁ、なるほど。この子はこういう子なのか……

 ピンク色の髪をさくらんぼのような髪留めでツインテールにまとめている。こうやって近くで見てみると、かなり可愛らしい顔立ちをしている。凛々しいといった印象のラクちゃんとはまた違う。

 

 今は頭にピースサイン乗せてキメポーズのような格好をしているが、ゴホンと咳き込んで真面目そうな顔つきに戻ると、また私をまじまじと見始めた。

 よく見たらスカートにエプロンのようなものを付けている。さらに肩に小さなウサギが乗っている。

 

 何だろうこの子……一度見たら忘れそうにないほど印象が強すぎる。

 しかも、肩に乗ってるウサギ…これ生きてないか?

 

「ふむふむ、なるほど。見たところ漣と同じ駆逐艦のようですねぇ~。どこから来たの?」

 

「え、えーっと……それは……元々私は―――」

 答えようとしたときに、どこからともなく悲鳴を上げながら駆け回る声が聞こえる。

 

「ちょっと漣ちゃん!私ひとりに任せないでくださいよ~!!叢雲ちゃんを独りで相手するの無理ですよぉ!!」

 怒り半分、弱音半分でピンク髪の少女の名前を叫んだ青い髪の少女は、降り注ぐ弾丸の雨を華麗に避けながら近づいてきた。

 

「ちょ、サミィ!らくもー連れてこっち来ないでよぉ!!

 

「私にだけ押し付けないでください!!」

 涙目で喚きながらも、ちゃんと逃げるだけじゃなくて撃っているところがしっかりしているなぁ…元々艦艇としての意思があるから戦うことに関して恐れなんかが薄いのかもしれない。

 

 だけど、それを上回るほどの弾幕がラクちゃんから展開されて私たちの周囲の海を裂いていく。

 

 眼ではどこにいるのかさえ分からない。

 ただ、凄まじい勢いで私たちを追い込んでいるのだけが分かる。

 

「――――漣ちゃん、だっけ?」

 

「ん?お呼びですか?」

 

「ちょっとだけ力を貸してくれないかな?」

 そう言って彼女に手を伸ばした。

 その意味を即座に理解して彼女は私の手を掴み、引き上げる。

 何とかして立ち上がった私ではあったが、足がガクガクだった。少しでも動かそうとすると、鞭で打たれたかのような痛みが走る。

 

 右腕は主砲を支えられない。頭から血を流しすぎたせいか、少し眩暈がするが立てないほどでもない。

 

「えー……大丈夫ですか?いやぁ、見たところ大丈夫じゃないですね。曳航するしかないみたいですけどどうします?」

 

「結構無茶したからね……それより、私は」

 

「あー、ちょっと待ってくださいねー。ご主人様に謎の艦娘と接触できたことを報せないと」

 

「いや、今はそれどころじゃ―――――漣ちゃんっ!!」

 視界の隅に映りこんだ雷跡、とっさに伸ばした左手が彼女の腕を掴み引き寄せる。

 真正面で魚雷が炸裂し、大量の海水が吹きかかる。目を覆った次の瞬間に、私は手を引かれ飛び出した。

 

「…けほっ、ちょっとマジでらくもー沈めに来てるっしょ…これ」

 私の手を引きながら全速で海域を翔ける漣ちゃんは今いる場所から距離を取ろうと動いた。

 

「ごめん…多分原因は私にあるんだと思う」

 

「漣には事情はよく分からないけど……さっきまでいい感じに協力してたのに。とりあえず、ご主人様に」

 その時、至近弾が海を割る。

 咄嗟に互いに手を放して目を覆って回避を行ったせいで、私と漣ちゃんの間に距離が開く。

 

「ちょっとサミィ!こっちは曳航してるんだからちゃんと引き付けててよ!」

 

「無理がありますよぉ!!練度が違い過ぎるんですからぁ!!!」

 駆逐艦2隻が撃ち合いをしているとは思えないほどの砲撃音が響き続ける。

 数で言えば一方的なものだが、反撃の砲音も少し聞こえている。練度の差とか言っているが五月雨と名乗った青髪の彼女もかなりの実力があるのだろう。

 

「いや、あの子1人に頼るのは流石に無理があるんじゃ……」

 だが、牽制している程度だ。いや、ラクちゃんは牽制されているとも思っていないだろう。やろうと思えば、私のところまですぐに来れるはずだ。

 

「ん?そうですか?でも仕方ないですね、漣はご主人様からあなたを連れて帰るように言われてるので」

 

「ご主人様って……あぁ、月影さんの事かな」

 

「ご主人様をご存じなんですか?不思議ですね、あなたさっきからまるで元々人間だったみたいですよ」

 

「いや、その私は」

 

「らくもー……叢雲は元々人間、いや艦娘として生まれて人間として生きてきたらしいです。ですが、人間として生きてた頃の話は全くしてくれないですねぇ」

 

「……え?」

 

「漣とサミィと電たんを育てたのはらくもーですよ。艦娘として漣たちの前に立ってました。艦娘が最初なにかも分かりませんでしたが、とりあえず連日で鍛え上げられましたよ……あっ、思い出すと吐き気が」

 

 途端に顔色が悪くなり、手を口で押える素振を見せる。

 だが、すぐにケロッとした表情に戻り、流れ弾を華麗に避けながら私の手を引きつづけた。

 

「いやぁ、随分と漣たちよりも早く生まれたらしくて、練度も歴然の差でしたけどね。人間の学校に通ってるなんてご主人様に聞いた時は驚きましたよ。らくもーみたいな子が人間の学校に通ってわいわいやってる姿なんて思いつかなかったからですねー」

 

「……まるで別人みたい」

 知らない友の姿。知らなかった親友の真実。

 

 何よりも私の胸を打ったのは、彼女が完全に人間であったことを否定していることだった。

 

『ラクちゃんって艦娘のこと嫌いだよね?』

 

『悪いかしら?』

 

 いや、私はもしかしたらずっと……ラクちゃんの本音を聞いていたのかもしれない。

 その言葉に隠れた本当の彼女に気付くことができなかったのは……私の方だったのかもしれない。

 

「ラクちゃん……」

 

 艦娘となり、ただの人であることを止めてしまった私の声はまだ、彼女に届くだろうか?

 

 

 

     *

 

 

 

「叢雲さん!あなたのやってることは間違いです!!」

 

「……」

 

 砲音に紛れて届く遠い声。

 

「どうして、どうしてそんなことをしているんですかっ!?」

 

「……うるさいわね」

 

 知っているようで知らない声だ。

 

「もうやめてください!!」

 

 そう叫ぶ変な形をした歪な物体が私に何かを向ける。

 ガラスを砕くような音が響き、何かが破裂したような音が聞こえる。

 

 紅い海、黒い空、緑色の太陽、正体を現した幻想は姿を歪めていく。

 

 

 海の上に立つ黒い影のような土塊。

 人の言葉で私に語り掛けるその姿はさながら人を惑わすために悪魔が作り出した失敗作だろうか。

 

 躊躇いなく引き金を引く。

 しかし、随分と柔軟に動く泥人形は私の砲撃をするりするりと避けていく。

 

 また舌打ちをしてしまう。

 仕方がないだろう、こうも苛立っていては。

 

 夢には多くの定義がある。眠っている間に見る夢にさえ多くの解釈がある。

 そのうちの一つが夢とは脳が生み出した一つの世界の姿だと言うが、私の脳はこうも歪んだ景色を鮮明に見せるのか。

 

 これが私の脳が導き出した一つの世界だと言うのだろうか?

 

 自分自身さえ歪め続けてきた私が見る夢には相応しすぎてもはや笑えない。

 

 徐々に、間隔さえ浅くなっていく。

 音も熱も風も痛みも遠くへと旅立っていき、私の眼だけが鮮明に世界を網膜に焼き付ける。

 

「何が……何があなたをそこまで」

 

 それを聞くのは野暮でしょう。

 答えは既に知っておきながら、まだ求めるの?

 だから、早く消えなさい。

 

「いい加減にしてください!!」

 砲撃を掻い潜り、急接近してきた何かから腕のようなものが2本伸びて私の身体を掴もうとする。

 

 反射的に腕が動き、片方を掴み強く握り潰そうと力を込めながら捩じったが、それを塞ぐように手首を掴まれて一気に体を寄せられる。

 

「仲間割れしている場合じゃありません!いい加減正気を取り戻してください!」

 

「……仲間?あんたなんて知らないわ」

 右手に持った槍のようなマストで殴りつけたが、受け流すように腕のようなものが上に力を逸らす。

 

 仕方ないので左腕を腕に持ち上げて開いた腹部に前蹴りを撃ちこむ。

 変な声を上げて身体が折り曲がったと思った瞬間、空いた方の腕が何かを手に取って私に向ける。

 左足で蹴り上げてそれを弾き飛ばすと、そのまま振り上げた足を打ち下ろした。

 踵が窪んだ場所に食い込み、バシャンと土塊は人間が膝から崩れ落ちるかのように小さく蹲った。

 

「もう…やめてください。こんなのあなたらしくない」

 

「いい加減黙りなさい…いいえ、黙らせてあげるわ」

 主砲を土塊に向けた。この距離だったら跡形もなく吹き飛ばせるだろう。

 

 いや、跡形も残らなくなるまで撃ち続ける。完全に消してやる。

 

 だが、また邪魔が入る。

 ガラスを砕くような音が遠くから響き、私の身体を横から殴りつけた。

 飛来した蜂のような素早い何かを叩き落とす。だが、2匹いたらしく、もう1匹が頬を掠めたらしいのが分かった。

 

 切れたらしいが痛みがない。熱くもない。何かが通ったという認識があるだけ。

 目の前で蹲る土塊の腕らしきものを離し、一度大きく弧を描くようにして移動した。

 

  そして、眼を向ければ1つの土塊と――――あの顔。

 

 どうして、あなただけちゃんと形を持っているの?

 

 この世界でどうしてあなただけ……

 

 どうしてその顔で、1人だけ美しい色を保ったままそこに立っているの?

 

 まだ夢は醒めない。 

 

 

 

 

     *

 

 

 

 

「おぉ……サミィが体張ってる」

 漣ちゃんが目を向けた先で青髪の子がラクちゃんと組み合っていた。

 あそこまで接近できたのは、すごいのだろう……などと思っていた瞬間に、ラクちゃんの足が少女の小さな身体に食い込んでいく。

 

 いけない……これはマズい。

 

「あちゃー、あれはちっとばかしヤバいですかねー」

 

「漣ちゃん……ちょっと支えてくれるかな?」

 

「ん?何をするつもりー?」

 答える前に私はベルトに固定されてぶら下がっていた主砲を手に取った。

 私は眼を閉じて、海面にクモの巣を張るかのように意識の波を広げていく。

 

「この距離からはさすがに当たらないでしょ…えっ?本気で撃つの?」

 

「うん、じゃあ、お願い」

 ずっと距離を取るように逃げていたため、人間の目から見れば彼女たちは点にしか見えないほどの距離だ。それでも、私たちの目では捉えることができる。どちらかと言えば、感じることができる。

 

 加えて、私のそれは異常だ。

 

 砲撃音、立て続けに2発。緩やかな弧を描いて飛ぶ2発の弾丸。

 反動に大きく後ろにのめった体を漣ちゃんが支えた。

 

「―――っ、はぁ…はぁ…」

 疲労困憊している身体で主砲の反動はずしりとのしかかってくる。

 これだけで息が上がる。

 ラクちゃんの頬を一発掠める。白い肌が切れ、赤い血が流れだして染めていく。

 

「ほえー…ホントに当てちゃうんですね」

 

「それより、このことを月影さんに知らせてくれないかな?あの人なら何かできるかもしれない」

 

「……あっ、そうですね。ご主人様に知らせるのを忘れてましたテヘペロ!」

 

「う、うん……ふぅ…どうしよう。どうすればいいんだろう」

 

 今の私にできることはとにかく考えることだ。

 理論ずくめでも非理論的でも構わない。

 なにか小さな根拠でもあればいいから、考え続けるしかない。

 

 今やるべきことは……もう一度、彼女のことを、私の大切な親友のことを理解すること。

 私は何も知らなかった。知ったつもりになっていた。

 

「こっちに……来るよね。そのくらい私にもわかるよ」

 真っすぐこっちを睨む双眸は私からも窺える。込められたのは殺気。目に映る何もかもを壊してしまおうとする狂気。

 それをまともに受け止めようとすれば、今の私は壊れてしまうだろう。

 

「―――漣ちゃん!雷跡!!」

 

「え?あっ、やべ!ちょっと飛ばしますよ!!」

 伸ばした私の手を掴み、両足の主機が唸り始めて一気に加速する。

 ふとした拍子に視界に映った雷跡。全く気が付かなかった。私たちは一瞬たりとも目を離していないつもりだったのにいつの間に。

 

 まさかと思うが、私が砲撃した瞬間に放ったのだろうか?

 あの一瞬なら、可能だがそんな芸当できるのか?

 

 私たちを逃がさないと言わんばかりに逃げる先々に砲弾が着弾して海水が舞い上がる。

 衝撃波や弾丸の破片が飛び、私たちの身体を打つがい痛みなど感じている暇もなく、ただ焦りと恐怖だけが漣ちゃんの手から伝わってくる。

 

「あっ、ご主人様!」

 どうやら、月影さんと通信が繋がったらしい、随分と時間がかかるものだ。

 

 

 

「―――まだ……まだ……」

 ラクちゃんの動きが突然止まる。機械のように首を動かして見下ろした先に、幾つも痣を作りながらも諦めようとしない闘志の燃える幼い顔があった。

 

「いつもドジしてばかりの私でも……叢雲ちゃんを止めることくらいならできます…正気を取り戻してください」

 五月雨ちゃんが胴に手を回して縋りつくようにその動きを止めていた。

 

「出会って一か月も経っていませんが私にだって分かります…叢雲ちゃんは優しい人だって…きっとこんなことをしているのも誰かの為なんですよね…?でも、こんなやり方は間違ってます。顔を見るなり撃ち合うだなんて…同じ艦娘なのに」

 

「……同じ」

 ほんの一瞬だけ、ラクちゃんの気が逸れた。その一瞬を待っていたかのように五月雨ちゃんの手が動いた。

 腕を解き、大きく後ろに跳びながら取り出した主砲でラクちゃんの足を撃ち抜く。

 

 機関部を狙い行動不能にする…私がリ級に対してやったことと同じことだ。

 だが、ラクちゃんの思考はそんなこと気にすることもなく、アームを動かして魚雷を放つ。

 1発が右足を掠めたが、構うことなくラクちゃんの身体は前に飛び出した。

 まだ宙にある五月雨ちゃんの着水地点をめがけてまっすぐに伸びる雷跡。

 苦境に顔を苦く歪めながらも、五月雨ちゃんは狙いを澄まして海面に照準を合わせてトリガーを引く。

 直撃する瞬間に五月雨ちゃんの放った弾丸が魚雷を打ち抜く。直撃こそしなかったが破片と衝撃が襲い、なにより巻き上がった海水に視界を奪われる。

 その瞬間、黒いグローブが薄い水の壁を突き破り、少女の首に伸びた。

 

「―――あ゛っっ!!」

 鷲掴みにした瞬間に凄まじい握力が細く白い首を締めあげていく。

 苦痛に歪んでいく表情を冷たく見る赤い瞳。

 

「……ラクちゃん」

 私の知っている友人じゃない。

 彼女はひねくれてはいたものの、歪んではいなかった。

 それなのにあんなに歪んでしまった彼女は一体何者なのだろうか?

 

 私の知らない彼女の姿。知ったつもりでいた彼女の本質。

 暗い海の底から湧き上がったように溢れだす彼女という存在の本質。

 

「邪魔よ……」

 そのまま五月雨ちゃんの身体を後方に投げる。激しく咳き込みながら海に着水しようとしたその瞳を黒い穴が覗き込んでいた。

 

「――――くっ!!」

 伸びたアーム、その先にある主砲が至近距離で宙に浮いた身体を狙い火を噴いた。

 咄嗟に守るように体を丸め、顔を腕で守ったように見えたが、一瞬で吹き飛ばされる。

 

「あっ、サミィが吹っ飛んだ!!!」

 漣ちゃんが驚きの声を上げた瞬間に、冷たい狩人の瞳が私たちを捉える。

 

「やべっ……ご主人様と話してる暇なんてないや……逃げますよ!!」

 そう言われ腕を引かれた私は、漣ちゃんの顔を見た。冷や汗を浮かべた真剣な顔。その眼には私だけじゃなく、ラクちゃんの姿もちゃんと捉えている。

 

「ほら、何を迷ってるんですか!!早く早く!!」

 私とラクちゃんを交互に見ると、焦りの色が徐々に増していく。

 確かにラクちゃんは強い。私が予想していた艦娘という存在の姿を遥かに凌駕している。もはや、船としての本質を失くしているかのように。その常識に抗ったのは私も同じなのだが。

 

 だが、この子はどうだろう。きっとこの子の中にあるのは、「駆逐艦」として在った時の記憶と誇りと意地。それが私たちの違いだ。決して埋めることのできない記憶の相違。

 今の私ですら、その記憶に支配されようとしているのだ。冷たい白銀の記憶に。

 

「待って」

 腕を振り払う。自分の拍動でさえ痛みを感じるこの身体をもう一度まっすぐ伸ばして、漣ちゃんの顔を見る。

 

「私が止めなきゃ」

 別に自分の実力を過信しているわけではないし、自分が特別だとは思ってもいない。

 ラクちゃんのことを理解しているとは思わないし、艦娘の事を知り尽くしているとも言えない。

 それでも、きっと彼女を止めることができるのは―――

 

 いや、止めなければならないのは他でもない私だ。

 

 こんな場所で彼女と出会ったのは私も驚いていた。

 そりゃ、ラクちゃんが艦娘だなんて私は知らなかったし、なにより彼女は艦娘のことを嫌っていた。

 

 そして、誰よりも私の未来を、夢を、応援してくれていたはずだ。

 そこは確信がないが。

 

 考え尽した私が出した答えは、ラクちゃんは私が艦娘に近づくことを拒もうとした。

 だが、それでも私の夢を応援してくれていた。私の夢は否応なしに艦娘に近づかなければならない道だ。

 

 だとしたら、それは矛盾なのだ。

 

 だから、彼女は――――

 

 

「いや、止めるとは言いましてもねえ……」

 そう言うと、漣ちゃんは私の足元を指さした。

 

「機関部がほとんど機能してないんでぶっちゃけ無理だと思いますよ? 独りじゃろくに航行できないと思いますよ?」

 

「ここで迎え撃つよ。少しくらいなら動ける」

 

「でも……」

 

「ラクちゃんは魚雷も撃たない。砲撃もしない。絶対、私に直接身体をぶつけてくるはず……五月雨ちゃんのところに行ってあげて」

 

「……今まで運が良かっただけで、あんまり調子に乗ってばかりいると、こてんぱんにぶっ飛ばされる羽目になりますよ?」

 

「運がよかったのは確かかもしれない。でも、それだったらまだ賭けを続ける余地はある」

 

「……漣は知りませんよ」

 私を置いて海を疾走していく漣ちゃんの背中を見送りながら、私は一度顔を拭った。

 血が固まって気持ち悪い。

 額の傷は塞がり始めたが、生臭い鉄の匂いが鼻腔を掠める度に眩暈のような意識の混濁が起こる。

 ゆっくりと屈んで海水を掌で掬うと顔にかけて擦る。赤茶色い液体がしたたり落ちていき、海面に異色の水たまりを広げていく。

 

 ぱしゃり。

 その水溜りに波紋が広がって崩れていく。

 

 

「……悪い夢でも見ているみたいね」

 

「夢なら見飽きたよ。憧れるだけももうやめた。私はここにいる」

 切れた頬から滲む血をグローブの掌で拭うと、まっすぐに私を見下ろしていた。

 対等の目線で語り合うためによろめきながらも私は立ち上がる。まっすぐに背筋を伸ばして、狂気に捉われた彼女の目に真っ向から立ち向かった。

 

「嘘じゃないの…?すべてが夢で、目が覚めれば私たちはあの教室にいて」

 

「……あなたは誰?あなたはラクちゃんであってラクちゃんじゃない。私たちはもう、私のままで、ラクちゃんのままで、あの教室に戻ることはできない」

 

「私…そうね、私は人間だった私が最も忌み嫌っていた存在よ。いいえ、違うわ。私はこの姿である私が嫌いだった。私をこんな姿で定義してしまった過去の存在が嫌いだった」

 

「艦娘が嫌いになった訳はそうだったんだね。じゃあ、艦娘のあなたは―――人間であった頃のあなたを嫌っているの?」

 

「違うわ、その記憶は美しかった…嫌いになんてなるはずがない。ただ……」

 

「ただ?」

 

「その美しい記憶が穢れないように否定しただけよ。艦娘である私と人間である私。海の上に立つ私とあなたの隣に立つ私。それが同一の存在であることを拒み続けてきただけ」

 

「……どうしてそこまでして艦娘を嫌うの?」

 

「じゃあ、あなたはどうしてそこまで艦娘の肩を持つの?この世界は確かに一度艦娘の手によって救われた。彼女たちを崇め奉り信仰することで英雄視し、この平和の尊さを知り、彼女たちの存在を伝説として語り継ぐ。艦娘崇拝を説き続ける海軍は彼女たちの威光を利用して権威を握った。それを人々は知りながらも彼女たちがどうしようもない絶望の中で存在した唯一の希望であったために、それを否定しない。だからこそ、あなたのような存在は生まれ続けた。世界はその色に染まり続けた。彼女たちを悪だと呼ぶ者はいない。彼女たちこそが希望で正義だった……そんな世界に異を唱える者は歪んでいる」

 

 悲し気な笑みを浮かべる顔が私に問いかける。これは間違っているのかと。

 

「事実だよ。彼女たちの存在がなければ私たちはこの海に立ってはいない」

 

「そう、事実。だから誰も疑わない。その身にその災厄が降り注ぎ、自身の行く道の果てにあるものがはっきりとわかってしまうこの宿命を実感するまで人々はその本質を理解することができない」

 

 胸に手を当てて、その眼は鋭く私を射止める。

 

「私こそ、艦娘よ。この歪みこそが艦娘の本質なの。100年前から変わることはない」

 

「そんなはずはない。ラクちゃんは間違っている。艦娘は在りし日の英霊たちが望んだ祈りや願いだったはず」

 

「祈りや願い?違うわ、この力は、この存在は、古来から人類が積み上げてきた罪のそのすべてが収束して生み出された史上最悪の――――呪いよ」

 

「―――ッッ!!」

 

 呪い……?この力が?嘘だ…そんなはずはない。

 

「人類は争うことをやめられない。それはいつの時代でも変わることはない。古代の大戦で沈んだ戦船に宿った正義の魂も悪の魂も、元を辿れば愚かな人類が始めた闘争の果てにあるもの。そんなものがなければ私たちなんて生まれなかった。深海棲艦なんて生まれなかった。ただ私たちは受け継いできただけ。人類が積み上げてきた罪のその償いを延々と。その最たる災厄こそが深海棲艦。体現した贖罪の形こそが艦娘」

 

 ようやく私は理解した。

 ラクちゃんは……いや、この叢雲という艦娘は、一歩でも道を踏み間違えれば―――艦娘史上、最悪の艦娘になる可能性があると言うことに。

 

 この世界を憎んでいる。

 その憎しみは本来私たち艦娘の中にあってはならないはずのものだ。

 人間を否定することは、艦娘の根源たる人の正の力の否定に繋がる。

 

 私たちの存在は否定される。

 だからこそ、呪いなのか。

 

「それは……否定しちゃいけない。今のラクちゃんは人類に完全さを求めている傲慢な考えに過ぎないよ。人類の歴史は多くの過ちがあったからこそ後世が学び、受け継いできた償いの遺産なのかもしれないけど……それでも」

 

「そう、あなたは綺麗な世界だけを見てればいいわ。綺麗な夢を描いて、綺麗な憧れを抱き、綺麗な世界を紡げばそれでいいわ。私はそう思ってきた。私たちの背負う呪いは私たちだけが背負えばよかった」

 

「私は呪いなんか背負ってない。私の中にそんな声はない」

 

「本当かしら……? その力は呪いよ。あなたを蝕み始めるわ。徐々にあなたは自覚する。あなたのその力の原動力が善悪のどちらでもないことに。過去の艦娘たちが繰り返してきたのは救済じゃない。人類が繰り返してきた闘争、同じことの繰り返し。歴史は繰り返す。あなたはそのことを知っているはずよ?彼女たちのことをあんなに必死に調べてきたんだから」

 

「人間の本質が善だろうが、悪だろうが、救済だろうが、闘争だろうが、この際構いやしないよ…それでも」

 

 

 

 

 

「――――願いは確かにそこにあった」

 

「語るだけ無駄ね」

 

 

 

 アームが音を立てて動き、私に黒い砲口が向く。

 同時に魚雷発射管も私に向けられた。

 

 砲口のが私の目を覗く。

 その奥から硝煙の匂いが吐き出されているような錯覚を覚える。

 

 鉄の匂い、血の匂い。

 同じように感じるのに、この胸の奥に語り掛ける意味は全く異なる。

 

 どちらにせよ、昂揚させる。

 この身体に宿る生存本能が、ただひとつの命令を身体に送り出す。

 

「私を沈めてどうするの?」

 

「何もかも終わらせる。この夢が覚めるまで」

 

「卑怯者」

 

「あなたの為にやっていたことだったわ」

 

「違う。私は憧れを憧れのままにはしない。ラクちゃんは理想を理想のままにしようとしてるだけ。それは逃げてることと同じだよ」

 

 左手が足をなぞる様に滑っていき、脚の魚雷発射管に触れた。

 

「ラクちゃんの言う艦娘の姿が正しいとしても、私は私の中にある艦娘の姿を追い続ける」

 

「……ホントにあなたは真っすぐね。どうして私はそんな真っすぐになれなかったのかしら?」

 

「私は艦娘としてラクちゃんの隣に立つ資格はないの?」

 

「あなたは人間であった私の友達……私は艦娘。本来ならあなたは私の―――」

 風が強く吹きつけた。雲が空を覆い始める。強かった風が徐々に強くなっていき、波が高くなり始めた。

 バッと広がったラクちゃんの薄青色の髪。透き通った空の色のようなその髪が、逆立った獅子の鬣のようで、私の全身を震わせる。

 連装砲が遠く叫ぶ。顔を逸らす。熱気が肌を焼く。背後で海が割れる。

 

「―――知らない誰か、よ…」

 魚雷が海に突き刺さり、まっすぐに私に飛んでくる。この距離で避けるのは難しい。

 腕に響いたとしても撃たないといけない。主砲を海面に向け、がむしゃらにトリガーを引く。

 

 水柱が上がり、足から全身に衝撃が走る。

 のけぞりながら、眼だけは《叢雲》の姿を追った。

 

 正面にはいない。

 

「……距離50、方位1-8-5…15秒セット。発射」

 魚雷管から1本魚雷を抜き取ると手動で時限式に切り替える。脳内のコンパスと身体の方位を合わせそっと放つ。

 

 カウントする。そして、彼女の気配は私の背後に回り込むような航路を描く。

 左舷、丁字有利を保った状態で叢雲は移動をしながら、砲撃3発、魚雷2本。

 

 15秒、この目で捉えた方角で爆発が起こり、叢雲の身体を吹き飛ばした。

 いや、直撃はしていない。当たる寸前で避けている。

 

 その一部始終を見ながら私はゆっくりと叢雲とは逆周りに弧を描くように動いていく。魚雷を2本発射、歯を軋ませる叢雲の表情から怒りはまだ冷めない。

 

 残り酸素魚雷4本、弾薬5発。いずれにせよ長期戦は無理だ。

 そもそも長期戦になる心配はないだろう。今の彼女はそこまで頭は回ってない。

 

 冷静さでは私がこの海で唯一保っている。

 そのアドバンテージを使わないわけにはいかない。

 私の身体を狙う砲撃は距離と仰角、砲撃音から勝手に頭がどこに来るかを割り出して、少しの動きで避け続けた。

 

 問題は魚雷だったが、叢雲はあまり魚雷は使うことなく私に向かってくる。

 

 私が放った2本の魚雷を撃ち沈められ、海中で爆発が起き海面が盛り上がった直後、私が迎え撃つ形で人間としての領域の戦いが再び始まる。

 

 逆手で持った槍が私の太ももに突き刺さる。一気に足の力が抜け、膝を突く。

 そのまま真上に振り抜いた。頭を大きく後ろに逸らして間一髪のところで避けたが、見上げるようになった顔を拳が浮いた下顎を抉る様に撃つ。

 

 揺れる脳。歪む視界。その中にぽつりと浮かぶ黒い点。

 

 咄嗟に身体を捻る。槍を持った手を左手で叩き上げる。

 近付かせまいと放った膝蹴りを右手を犠牲に押し出して背中を完全に叢雲に向ける状態になって私は主砲を、叢雲のアームにつながった魚雷発射管に向けて間髪置かずトリガーを引く。

 

 反動で腕が大きく後ろに下がり、カタパルトから放たれたように肘が脇腹に食い込む。その衝撃が叢雲の身体を走った直後に魚雷発射管が爆発。私にも等しく襲った爆風と魚雷管の破片が肌を焦がし切り裂いていく。

 

 だが、怯むわけにはいかない。

 ろくに脚は動かない。左手に持った主砲を離し、背後の叢雲の服を掴む。

 片足で跳ぶように体重を一気にかけて押し倒した。

 

 顔を向かい合わせる。

 頬が黒く煤けて、腕は血塗れ。

 服はズタズタになっていたが、それは私も同じようなものだろう。

 トドメと言わんばかりに、彼女の目を覚ますように、額を彼女の額に打ち付けた。

 

 星が飛ぶ。

 左手から零れ落ちた主砲が右手の指先に触れた。

 指先で引っかけて右手が掴む。

 

 持ち上げることはできないが、そのまま彼女の胸に虚勢ではあったが砲口を突き付けて支えた。

 

 

「どう? 目は覚めた?」

 

「……ええ、お陰でやっぱり駄目だったわ」

 そう言って、槍を手放すとその腕で目元を隠した。口元をグッと真一文字に固めて、でも震えて垣間見える歯は砕けるほどに食いしばられて。

 

 彼女を見てはいけない。

 なぜかそう思って空を見上げた。黒い空だった。いつの間にか黒雲が広がっている。

 

 まだもやもやが晴れない。

 そんな私の心模様を写すようなその空を見ながら、ジワリと額から何かが滲み出るのを感じ、私の身体は真後ろに倒れていった。

 

 

 

 

 

「……何ですか、今の戦いは?」

 

「……多分、喧嘩ってやつだよ。人間がするやつ」

 

 2人の声がする。きっと漣ちゃんと五月雨ちゃんの声だ。

 首を回して顔を向けると、片方が片方に肩を支えられながらこちらに向かってくる誰かの姿が見えた。

 

「とりあえず、この方を起こしましょう。私の方は大丈夫ですので?」

 

「ほいほい、でもよく沈まないで浮いてたねーサミィ」

 腕を抱えられ少し後ろに引きずられるような、そんな感覚で背中を押して持ち上げられた。上体を起こしてうっすらと目を開けると、顔を擦りながら起き上がる叢雲の姿があった。

 

「……ごめん、立たせてくれるかな?」

 

「大丈夫ですか? 足からも顔からも血が……」

 

「いいよいいよ、この人頑丈だから。じゃあ、支えてあげるよ、ほら」

 

「は、はいぃ…」

 2人の肩を借りてもう一度足の裏を海面に立てる。

 自力で立とうと思ったが、貫かれた太ももから下の足の感覚がぼんやりとしている。

 

「それで、訳を聞かせてもらいますか? 今回は漣たちにも聞く権利があると思うんですけど?」

 

「ちょ、ちょっと漣ちゃん…で、でも確かに教えてほしいです。一体どうしたんですか?」

 

「…………」

 叢雲は何も答えずに、真っ赤に腫らした目を私に向けたまま歩み寄ってきた。

 思わず身構えた2人に、大丈夫だと言い聞かせるように右手を小さく上げる。

 私の真正面にまで来て、数秒。口元を拭ってから、乾いた口を開いた。

 

「……あなたが描きたいキャンバスの色は何色?」

 

「え?」

 彼女の言葉は私に対する問いかけだった。

 

「あなたの夢が描かれるべきこの世界(キャンバス)の色は白がいいに決まっている。何もない無垢な白の上にあなたが落とした色がゆっくりと滲んで広がって…美しい世界を作り出す。それが……その先に完成した1枚の絵が……あなたの夢の答えを見ることが私の理想だった、夢だった」

 

「…………」

 

「でも、この世界は真っ白じゃない。この青い海さえ黒く染め上げる化物がいる…いいえ、海だけじゃないわ。この世界は既に汚されてしまっているのよ、人間という黒よりも深い色を持った腐った存在に」

 

「…………」

 

「私の目に映る世界はいつだってそうだった。己が内に秘める色に飲み込まれて褪せてしまった人間たちが往来する世界。そんな世界であなただけが鮮やかな色を持っていた。純真無垢で、非論理的で、馬鹿で、まっすぐで―――愛を知っているあなたが」

 

「私だけが……?」

 一体、この少女は―――叢雲という名を背負わされてしまった少女は、人間であった時に私に何を見ていたのか。

 

 その答えがここにあったような気がした。

 友情や愛情、信頼、絆、そんなものではなかった。

 

「あなたの鮮やかさを守るために、あなたが描く未来が他人の黒で汚されないように、あなたの目に映る色や形が、あなたにとってずっと美しいものであるように。例外は私が全て消すつもりだった。私の手だけを汚すつもりだった。艦娘という下らない化物なんかに生まれ落ちた私が唯一、艦娘として以外に見出すことができた生きる理由……」

 

 漣ちゃんと五月雨ちゃんがいる前で、「艦娘は化物」だと彼女は言った。

 2人が少しだけ狼狽したのが分かった。

 

 左手が拳を握っていく。

 どこから湧き出したか分からない力が、私の手を丸めていく。

 

「……やめてよ」

 

「勘違いしないで、これは私の為なのよ。あなたの夢の辿り着く場所を見たいと願った私の夢のために……あなたのせいじゃない。でも、もう私の理想は崩れ去った。あなたが同じ海に立っていたと知った瞬間から、穢れた私の世界に踏み込んでしまったと知った瞬間から……その時にはもう手遅れだったわ。何かのために全てを捨て去る覚悟はあったとしても、既に捨て去られていた何かのために戦うことはできないから」

 

「…………もう」

 

「いったい私はどうすればいいの?もう分からないのよ。戦う意味さえ、生きる理由さえ分からないの……どうして私の目の前に現れたの?あなたがそんな姿で…自分の名前さえ忘れるほどにその呪いに汚されて……どうして…どうしてよ」

 

「もういいよっっ!!」

 気が付くと私の身体は動いていた。

 強く握り締めていた拳を振るう訳でもなく、勢いよく飛び出したまま血塗れの額を、思いっ切り彼女にぶつけた。

 

 塞がり始めていた傷口が再び大きく開き、噴き出した鮮血で視界が赤く染まる。

 互いによろめいて何歩も下がり、倒れそうになった体を漣ちゃんと五月雨ちゃんが受け止めてくれた。

 

「誰が頼んだの……?」

 引き留めようとする2人を振り払って私は歩み出した。

 開いてしまった彼女との距離を詰めていく。

 額を押さえた左手は真っ赤に染まっていく。掌に感じる生暖かい鼓動が気持ち悪い。

 それでも、彼女を捕まえる。襟元を血塗れの手で掴み、崩れ落ちた体を引き上げた。

 

「誰も頼んでないよ……そんなこと」

 

「ええ、私が勝手にやったことだもの……誰にも頼まれてないわ」

 

「これは私の夢だった……ラクちゃんがそんなことする必要はなかった」

 

「……もう遅いのよ。こうなることはきっと私が生まれた時から決まっていたの」

 

「ふざけないでよ!!」

 喉が切れたかと思うほどの声が腹の底から飛び出した。

 気管から喉にぶち当たり、その衝撃が脳を耳を揺らして、私さえも震わせる。

 

 怒り――――久しく感じたことのなかった感情が私の身体を突き動かした。

 

 でも、その激情の中で私の脳内に広がる光景は真っ白に染まって、そこに一人の少女の姿を描き出す。

 

 これは誰の……いつの記憶?

 長らく忘れてしまっていた私の記憶だ。美しいと思える記憶の一つだ。

 今決まった。彼女にぶつけるべき私の言葉を。

 

「生まれた時から決まっていた? じゃあ、ラクちゃんと私が出会ったのは運命だったのかもしれない。私が生まれたことにも罪があるのかもしれない。でも、私はそれを罪だと思ったことはない。この世界に産まれてよかったと……多くの人々を愛し愛され、そして艦娘という憧れを見つけて、彼女たちの足跡を追いかけて、今私はこの場にいる。私の人生に後悔も罪悪感もそんなものなかった!!小さなものはあったかもしれない。でもそれを上回るほどの記憶が、思い出が、愛があったっ!!」

 

「あなたに…罪はない。すべては私たちが」

 

「ラクちゃんも関係ないでしょ!自分のため?違う、全部私の為だよ!いや、それも違う。ラクちゃんは自分自身を否定する理由が欲しかった。この世界に生きる理由が。そして私に出会って、私を利用した。そうでしょ!?」

 

「だから…何よっ!!だったら私を見限って捨てなさい!あなたの目の前にいる資格は私にはないでしょう!?だったら、捨てなさいよ!私なんて身勝手な女一人捨ててあなたの道を行きなさい!!」

 

「それは嫌だ。これは私のただの我儘だけど……それは絶対に嫌だ」

 

「じゃあ、どうして…っ!?」

 

「そもそも、要らないよ。真っ白なキャンバスなんか要らない……私が欲しいのは…私が欲しかったのは…」

 彼女を掴んでいた手の力が抜けていく。限界が近いみたいだった。

 

「ラクちゃんが笑ってくれる…そんな絵が描けるものなら何でもいいよ。別にいろんな色が混ざってもいいよ。お父さんが、お母さんが、お婆ちゃんが、町のみんなが、ラクちゃんが、漣ちゃんや五月雨ちゃんや電ちゃんや月影さんが、いろんな人が生きている世界なんだから、ぐちゃぐちゃになって当たり前だよ。真っ白なんかになるはずがない、なっては…いけない……」

 

「そんな……そんなもの」

 

「ねえ、ラクちゃん覚えてる?一度だけ…一度だけラクちゃんが私に夢を話してくれたことがあったって」

 もうずっと昔のことだ。掠れかけた思い出が混濁する記憶の中でふわりと浮かび上がって私の脳内で鮮やかに広がる。

 

 いつの出来事かは忘れた。意外と近かったようで、私たちがまだずっと幼かったような時代。

 

 鮮やかで青さもなかった、透明な私たちの時代。

 

 

『私の夢?そうね……』

 

『見上げて思わず溜息が出てしまうほどの青い空の下で何も考えずに昼寝でもできるような……そんなところかしら?』

 

『え?変な夢ですって?まあ、確かにそうかもしれないけど…』

 

『……ねえ、スイ。空って言うのはね――――――』

 

「私が描きたいのは、青空みたいなキャンバスだよ……ラクちゃんが夢見たその青い色の中でみんなのいろんな色を混ぜて、例えぐちゃぐちゃになってしまってもそれでもみんながこんな世界でも、こんな色でもいいや、って笑ってくれるようなそんな絵が…そんな世界が…私の夢だよ」

 

 在りし日の、まだ純粋だった私たちが語り合った言葉をなぞるように、

 

『肌の色が違っても目の色が違っても髪の色が違っても、話す言葉が違っても。艦娘が伝説となる前の世界でも、伝説となった世界でも変わることはない……』

 

 紡いでいく言葉は、きっとどこまでも夢に憧れていて、

 

『生まれた時代や国が違ったとしても』

 

 きっと自分たちの行く先に広がっている世界(ゆめ)に、

 

『同じ空の下にいる限り、見上げる空は一つなの』

 

 想いを馳せる希望に満ち溢れていて、

 

『空の色はいつも青とは限らないわ。でも、いつかはきっと青になる。それは人と一緒。色んな感情や表情、夢にその人自身の色は何度も何度も塗り替えられて行ってしまう』

 

 ありとあらゆる境界を越えてすべてを包み込むような、

 

『でも、みんな同じ空の下にいるの、同じ空を見上げて生きているの。そんな多くの人たちが未来を願って見上げているその空の色は、その下で生きる多くの人たちの色を映して混ざり合ってそうして生まれた鮮やかな夢の色』

 

 確かな優しさがあった。

 

『そう考えると素敵じゃない?私はそんな空の下で昼寝でもできるような未来を生きることができるのなら、それでいいわ』

 

 

 

 

 

「……そんな言葉吐けた気障な時代が私にもあったのね……ホント馬鹿みたいだわ」

 

「そうだね……ねえ、否定しないでよ。隠さないでよ。諦めないでよ。同じだよ。ラクちゃんは人間であろうと艦娘だろうと、私の大切な友達だよ」

 

「違うわ。私があなたの友達であれるわけがない」

 

「お願いだから――――私を拒絶しないでよ……」

 

「――――――ッッ!!わ、私はっ!!」

 

「人間でも、艦娘でも関係ない…私はラクちゃんにも同じ絵の中にいてほしい。かつてこの世界を救った艦娘も人たちもその両方の願いが、色が紡がれて描かれた今をもう一度、私たちが色褪せないようになぞっていきたいんだ」

 

 互いを知らなさ過ぎた。

 どちらが悪いなんてどうでもいい。

 どちらが悪いと思っているかなんてどうでもいい。

 

 今この一瞬で過去に積み重ねてきた彼女との時間を失うよりは、これから彼女と歩んでいく時間を手放すよりは。

 

 どちらが悪いかなんてどうでもいい。ただ、私は許してほしい。

 

 ずっと艦娘に憧れていたことがきっと彼女の苦しみだった。

 知らず知らずのうちに自分が忌むべき存在に惹かれていく友人をただ見ておくことはできなかった。それが彼女を動かせてしまった。

 

 人間として、私の隣に立つため艦娘である自分を否定し、

 

 艦娘として、私の隣に立ち続けた人間である自分を否定し、

 

 一体、誰が彼女を認めることができるのか。

 

 もし、私の願いが彼女に届くのならば、私が彼女を彼女たらしめることを、認めることを、そのことを許してほしい。

 

「ラクちゃんを知ろうとしなかった私を許して。お願い……私をあなたの隣に立たせて……お願いします。力を貸してください」

 

 もう一度、歩み出すべきだ。

 艦娘であろうと、人間であろうと、共に歩みたいと思う友と一緒にもう一度。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……お願い、もう一度でいいから……スイ、あなたの隣を私に守らせて。友としてもう一度…あなたの夢を見守らせて」

 

「うん……よかった。よかっ―――」

 

 最後の糸が切れる。全身の力が電源を切ったかのように抜けていった。

 

 

 

     *

 

 

 

「――――スイっ…スイッ!!!」

 

「え?なにこれ…?」

 

「たたたた大変ですよ!この方浸水してますよ!!」

 

「そ、そんな……」

 

 その時、海を裂いて巨大な鉄の塊が2つ。

 彼女たちを挟み込むように現れ視界を遮っていく。

 目の前に広がる鋼鉄の壁。一変した状況に誰もが混乱する中、テンションの高い女の人の声が響き渡った。

 

『はいはーい!聞こえるかなー、艦娘諸君!』

 

「……は?」

 

『こちらー海軍特殊災害対策部呉支部第一艦隊旗艦《ちょうかい》、面倒だから自己紹介とかいろいろ省くけどー、とりあえず、御雲君からの命令、武装解除して私たちに投降してくださーい』

 

「く、呉……? 提督の命令……?」

 

「呉の艦隊、ってことはこっち側は舞鶴ですかー……ほえーやっぱりおっきいなぁ」

 

「……これは好都合ね。ねえ、こっちの声は聞こえてるの!?」

 叢雲は声の主に向かって必死に叫んだ。

 

「早くボートを下ろしなさい!!大破、1。沈む寸前なのよ!!急ぎなさい!!」

 

『……ん?あーはいはい、ってことでボート下ろしてー。え? 武装解除が先? もういいよ、めんどくさいし。あっ、ちょっと待っててね。すぐに私が行くから』

 

「……なんか不思議な人ですねー」

 

「漣ちゃんがそれを言いますか?」

 

「でも……ひとまず安心ね。私はともかくこの子は」

 

 バシャンと音を立ててボートが下ろされ、4人とも回収されていく。先に乗り込んだ叢雲が私の手を引いて、ボートの上に引き上げた。

 

 一度がくんとボートが沈み込みかけたが、五月雨ちゃんと漣ちゃんがボートを支えて押していき、無事に2人の回収が終わる。

 

 随分と日が傾いた午後。その日も窺えない暗雲に立ち込めた空の下。

 強かった風が降り始めた雨を激しく吹きつけて静かだった海は一気にざわめき始める。とても苦しい戦いだったけど、また私は大切なものを護ることができた。

 

 力を使い果たした私の身体を強く引いてくれたのは友の手。

 薄れていく意識に死ぬのか、そんな不安があったが少しだけ私は落ち着いていた。

 いつの日か忘れたが、こんな風に私の手を取り、強く引いてくれたラクちゃんの姿を思い出したのだ。

 あの時と変わらない温もりが私の手を包む。

 

 

 その温もりがなにより、また護れたのだという実感に変わり私の中で膨らんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 




※ 多くの誤字訂正ありがとうございます。
恥ずかしい誤字脱字を繰り返して、悶えながら自分の文に目を通しました。
一応投稿前に目は通しているのですが、偶にテンション上がってしまって勢い投稿してしまうため、このような事態になってしまったと思っています。
今後とも、よろしくお願いします。




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