艦娘が伝説となった時代   作:Ti

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※ シリアス成分注意!!!





申し訳ない。作ってたらなぜかこうなった!


Answer

 

 答えは既に決まっていた。

 私が護りたいものは、あの日私に初めて夢を見せてくれたあの子が作る世界。

 艦娘が守り、作り出した平和な世界なんて必要ない。

 私の命はそれでいい。私の人生はそれでいい。

 

 例え、私の願いのために今はあなたに嘘を吐くことになったとしても、全てあなたの未来のためになるのならば、今はこの苦しみも罪悪感も耐えてやる。

 

 

 

「艦娘記念館に……あっ、行っちゃダメだって言われてるんだった。ラクちゃん何か知ってる?」

 

「何って何を?」

 

「お父さんから何か聞いてない?港に行っちゃダメだって。その理由とか」

 

 ええ、知ってるわ。

 この町の沖合に浸蝕域が出たのよ。危険だから近寄らないでおきなさい。

 

「何も聞いてないわよ。てか、軍の問題を娘といえど話すわけないでしょ?」

 

「ま、まあ、そうだよね……」

 

 嘘よ。全部知っているわ。一度私は近海まで偵察に行ってるのだから。

 まあ、もう少し時間はあるわ。大丈夫、あなたが逃げるくらいの支度はしてあげるわ。

 

 

 あなたが港に近づいたと聞いて椅子から転げ落ちた。

 頭の中が真っ白になった状態で喚き散らしていた。自分で何を言っているかも分からないで。

 終わった後に覚えていたのは明日あなたを殴ると言う約束をしたことくらい。

 脚の力が抜けて床の上に情けなく腰を落とした。気が付くと頬を涙が伝っていた。

 

 お願いだから、危険な真似はしないで。

 

 

 

「待って……待ちなさい!!」

 あなたと身体でぶつかったのはきっと初めてだった。それが私にも怖くて思うように力が入らなかった。

 あなたの言葉に耳を傾けている余裕なんてなかった。

 準備がまだ整っていない状態で、こんな事態に陥ってしまったことに対する焦りが、後悔が私の身体を走らせていた。

 そのせいで身体をうまく使えずに、突然あなたが離した手に戸惑ったまま、背中に地面の冷たさを感じていた。

 

 私にあなたを傷付けることなんて無理なんだと理解した。

 でも、あなたが傷付くことはもっと無理だ。

 

 私の、人間の部分が痛む。

 

 

 何でも利用してやる。彼女を守るためなら、親も兄弟も。

 父との縁を切るような真似をしたのは私だ。力を貸せと言ってもきっと聞く耳を持たない。

 

「―――――兄さん、聞こえる?」

 頼りは兄だけだった。私が兄を頼ったことは一度もない。優秀だと周囲はもてはやすがそれほどでもない小さな男だ。

 

「……一生のお願い使ってもいいかしら?」

 でも、私の頼みはきっと聞き入れるだろう。父を説得して協力してくれるはずだ。

 

「そう……私の友達を助けたい。力を貸して」

 見つけないと。護らないと。私があの子を守らないと。そのために手段がいる。力がいる。

 

 例え悪魔にこの身を売り渡し、過去の産物に縋りつくような力を得たとしても。

 

「―――――すぐに迎えに来て。私の艤装をもって、あの子たちも連れて今すぐ」

 

 

 栄光なんていらない。名声なんていらない。

 待ってて、今行くわ。

 

 

 そして、あなたの家で意外な出会いをした。

 私の中に宿る他の艦娘とは違う、戦船ではない先代の艦娘の記憶。

 彼女が一生を共に過ごした伴侶の他に、愛した朋友の記憶に触れた。

 いつでも、彼女だけは頼り続けた。彼女の声にだけは耳を傾け続けた。彼女と一緒に夢を語り合い、背中を預けて戦った。

 

 何よりも信頼し合う、友さえ超えた相棒という存在。

 羨ましいと思った。こんな存在に出会えた私の祖先が。

 

 私はあの子を戦場に立たせたくはない。夢を語り合うことはきっとできない。彼女に私の背中を守らせることなんてできない。

 あの子が私の心の支えであったとしても、この穢れた背中を無垢な背中で支えてもらうことはできない。

 

 

 あの子の夢を守ることができても、私には――――

 

 

 

 

 

 兄に貸しを作ってしまい、しばらくの間兄の指示に従うことでなかったことにすることになった。

 癪ではあるがこの男の指揮に従ってやろう。こんな縛りなければ、いますぐあの子のところに向かうのに。

 

 などと考えながら、兄の部下と話をしていたところに偶然あなたがやってきた。

 

「す、すみません」

 移り変わるその表情が、慌てふためくその声が、こんな状況でも笑顔のあなたを見て、ようやく私は安心することができた。

 後ろに倒れそうになるのを必死に堪えて、この感情を悟られないようにゆっくりと立ち上がる。

 

「いえ、その必要はないわ」

 少し声が震えてしまう。誤魔化すために少し怒ってる風に表情を整えよう。

 

 とりあえず、この子と2人になる時間が欲しい。

 少し仕事をさぼることになったが、どうでもいいか。この町には私以外にも艦娘がすでにいる。

 

「まったく……本当に無事でよかったわ」

 私の差し出した手を申し訳なさそうに掴む弱弱しい力が生きている、夢じゃないという証明だった。

 あなたを抱きしめた時に、この両腕に感じる柔らくて細いあなたの感触がそこにいると言う証明だった。

 

 このとき発した言葉に一切の嘘はなかった。

 本当に無事でよかった。もう今日という日がこれで終わってもよかった。

 なんの不安も心配もない明日になってもいいとさえ思った。

 

 そう言えば、あの子が鞄を投げ捨てていったのは予想外だったのだ。

 彼女の携帯端末から現在地を特定することができたのに、鞄ごと投げ捨てていくからどこにいるか全く分からない。

 今度はちゃんと離さないように返しておかないといけないわね。

 

 

 

 まさか地下水道を知っているとは思いもしなかった。この子は一体どこまでこの町を調べ上げているんだろう。

 

「そんなことまで調べてたの?あんたは勉強熱心ね……」

 

「ははは……実は、その、途中でイ級に襲われちゃって」

 

「はぁ!?!?!?!?」

 まさか深海棲艦を目にしていたとは驚きだった。あれと遭遇して無事でいられる人間なんて滅多にいない。

 

 トラウマになっていないだろうか?

 ふとした拍子に恐怖で怯えるような精神疾患に陥ったりしていないだろうか?

 

 こんな危険な目に合わせてしまったのは私が遅かったからだ。躊躇ったからだ。

 ごめんなさい。あなたに怖い思いをさせてしまって。

 

 

「そ、そうだ!ラクちゃん!ラクちゃんは知ってたの?海軍が艦娘の研究をしてたこと?」

 

 話を逸らすのが上手いわね。艦娘のことになればあなたが黙っている訳がないだけかもしれないけど。

 

 えぇ、知っていたわ。海軍はずっと艦娘の研究をしているわ。

 あの戦争が終わってから100年、ずっと。

 

「艦娘はすでに用意されてたってことだよね?じゃあ、海軍は深海棲艦が復活したことに気づいていたの?」

 

 その通り。私という艦娘の成り損ないが存在していたの。復活していたことに気付いていたのは海軍じゃなくて私。

 

「私がそんなこと知ってると思う?娘にそんなこと教えないわよ……」

 

 嘘よ。全部私が海軍に教えて、急いで準備が始まったのだから。

 

「まあまあ。それより、実は海軍は終戦の時艦娘を全部解体してなかったんじゃないかな?いくらなんでも対応が早すぎると思うんだ」

 

 あら? 半分正解よ。全部解体したことにはしたのよ。

 でも、一部は引き継いでいった。次の世代に、その時代の海を守る艦娘として。代々私の家が継いでいったの。

 

 海外では恐らくまだ起こってないわ。対応が早かったのは――――私がいたから。

 

「海軍はずっと前から備えていた。再び訪れる戦いに。それはきっと報告が先なんかじゃない」

 

 前々から勘の鋭い子だったけど、ここまでの洞察力があるとは思ってなかったわ。

 

「海軍はずっと艦娘を抱えていた。外部に漏れないようにごく少数。そして、彼女たちが再び戦いを予期した」

 

 大正解。

 でも、これが正解だとはあなたには言えないわね。いいえ、誰にも言えないわ。

 あなたたちが信じた艦娘の伝説も歴史も変わってしまうもの。

 夢は美しいままの方がいいでしょ?

 

「でも、おかしいわ。もしその仮説が正しかったとしたら、どうしてこの町は被害に遭ったの?もっと早く艦娘を配備していたんじゃない?」

 

 これは私からの意地悪。これ以上あなたは歴史の真実に…いいえ、私の家が抱えている闇に近づいてはいけない。

 

「……たしかに。なにかそうできなかった原因があるのかもしれないけど」

 

 その原因はまさしく私よ。私が妖精の召喚を拒み続けたのだから。

 だから、この問いかけは私自身に対する皮肉だったのかもしれない。

 

 私がもっと早ければ、この町は被害に遭わずに済んだ。そういうこと。

 

 あなたがこの町を好いていたのは知っているわ。だから、ごめんなさい。

 罪悪感が私の胸を締め付ける。的確に秘密の裏を突こうとしてくるあなたの眼差しにいつか見透かされてしまいそう。

 

 でも、そんな風に純粋に疑問を抱き、真剣に考えて向き合おうとするあなたのその姿勢は嫌いじゃないわ。

 

 

 見覚えのあるノート。

 この世界が大っ嫌いだった幼い私の記憶に鮮明に残るあなたとの記憶。

 

「……ふふっ、懐かしいわね、そのノート。私と初めて会った時にも持っていたわ。まだ捨ててなかったのね」

 

 あの頃よりもずっと分厚くなって、ボロボロになって、汚い字で書かれた表紙の文字が懐かしい。

 

 いつかその中にある仮説のすべての真偽を確かめる、か。

 私が一つ一つ答えを教えてあげてもいいのだけれど。

 

 あなたの夢を奪っても面白くないわよね? 

 私は見守らせてもらうわ。あなたがどうやってこの世界の真実に近づいていくのかを。

 

 艦娘が護った世界で、もう一度戦いが起こる。

 その中であなたは否応なしに触れていくはず。

 艦娘という存在がどれほどこの世界からして歪なものであるのかを。

 でも、あなたが打ち立てた仮説と、あなたが私に誓った夢に何の問題もない。

 

 あなたの武器であるその真っすぐな心と強い好奇心、真摯に向き合う誠意、そして愛する者のために尽くそうとする勇気。

 

 試してみなさい。そして、私に見せて。

 あなたが答えを見つけ出して、この世界の上に新たに描いたあなたの世界を。

 

 それまで私は、あなたの行くべき道の上に転がった汚物を払ってあげる。

 壁はあなたの力で乗り越えなさい。

 

 その時は私は人間でなくなって、あなたの隣に立つことはできないかもしれないけど。

 

 大丈夫、私はあなたをちゃんと見守っているから。

 

 

「あんたは逃げなさい。今度は逃げるのよ。多分すぐに誘導が始まるわ、その波に乗って逃げなさい。今度こそ、危険なことはしないで。おじさんやおばさんに心配かけちゃいけないわ」

 

 懲りずにまた来たのね、この世界のゴミどもが。

 あなたたちはこの世界に要らない。あの子が未来を描くキャンバスに落ちる黒い染みだ。

 全て沈めてやる。海の底で物言わず眠っていろ。

 戦いは全て私が背負う。あなたが背負うのは私との約束。

 だから、生き延びなさい。

 

「わ、分かった……ま、また、無事に会おうね」

 

「そうね……また」

 

 走り去っていくあなたの背中にふと不安を覚えた。

 あの子があの子じゃないかのように。いつの間にか知らない背中になっているようで。弱弱しさを感じない強い芯の通った背中。嫌な予感が私の脳裏を過る。

 

 いや、そんなはずがない。あの子は幼いころに出会ってずっと人間だった。

 この世界には人間を化物に変える技術は残っていない。あんな不安定なプロトタイプは全て壊してしまったはずだ。

 

 

 大丈夫。何も心配することはない。

 

 この世界に戦火を持ち込んでしまった者として、あの子の愛するこの町を護るだけだ。

 

 

 

 

 

 穢れ役は私でいい。

 あの子の目に映る世界も、いつかあの子が誰かに差し伸べる手も、全て綺麗なままで。艦娘などという化物の本質にあの子が触れれば、きっと何もかもを失う。

 

 そんなに美しい世界じゃない。

 故郷を守りたい。大切な者を守りたい。そんな祈りや願いが紡ぎ出した存在なんていうのは海軍が外部に彼女たちの力を正当化するための嘘だ。

 在りし日の彼女たちが戦った、その原動力となりえたものはそんな綺麗なものじゃない。

 

 誰もが、自分たちと対を成すあの深海棲艦(ばけもの)と対峙した時に気が付くのだ。

 どうしてこの世界に生まれ落ちたのかを否応なしに理解させられるのだ。

 

 自分たちが生まれ落ちた瞬間から背負わされた「罪」を――――

 

 

 

 私は艦娘が嫌いだ。

 

 こんな不完全な艦娘として生まれてしまった、私が嫌いだ――――

 

 こんな不完全な私の背中を彼女に守らせるわけにはいかない。そのためには人間でも、艦娘でも、深海棲艦でも、何でも利用する。

 私の理想のために、あの子の未来のために、道徳も倫理も人道もない修羅の道にこの身を落とそうとも、幾度となくこの身体が吹き飛び、この身体に傷が刻み込まれようとも、いつかこの海の上で誰の目に触れることなく力尽きることになったとしても。

 

 私が生まれたこの意味を、あの子という存在に見出すことができるだけの生き方を私ができれば、それでいい。

 

 

 歪んでしまった私をあの子は許してくれるだろうか?

 

 

 

 青さを失った黒い海で、全てを焼き払う圧倒的火力を誇る敵を前に、私たちは出会った。

 戦闘に雑さは目立っていたが、実力こそ確かだった。自然発生した艦娘にしてはよく戦える。

 私の背中を任せてもいいだろう。実力さえあれば誰でもいい。私は使えるものは全て利用する。

 少しだけ様子を窺えば、損傷している。肌がところどころ破けて血が滲んでいる。

 それでも臆することなく戦い続けるこの子の芯は何だろうか?

 

 

 そして、私を幾度となく救って見せた。

 重巡リ級eliteの弾着観測からも、《ちょうかい》に向かった空母ヲ級flagshipからも。

 

 最後は私に合わせて魚雷を放つところまで見せた。それも私が見た中では放った魚雷はほとんど命中させている。

 思えば、私と出会ったあの瞬間にチ級eliteをはっきりとしない視界の中撃ち抜いて見せた。重巡リ級の機関部を的確に打ち抜き、戦力の低下までさせるとは、かなりの実力者だ。

 

 あの子とは違った魅力を感じた。私を信頼しきって、私は信頼しきっていた。

 こういう子と肩を並べて戦うのは悪くはない。是非とも同じ艦隊で幾多の戦場を駆け回ってみたいと思った。

 

 いつか先代の愛した《吹雪》のような相棒になってくれるかもしれないわね。

 艦娘という世界で生きる私の相棒として、この戦いの終わりまで戦い抜いてくれるかもしれない。

 

 一体、どんな子なの?どうやって艦娘になったの?

 

 

 

 そして、私の目に映った彼女の姿は、私の中にあったすべてを滅茶苦茶に壊し切って見せた。

 

 

 

 私の穢れた背中を守らせてしまった。

 もう拭うことのできない血の道を歩ませてしまった。

 

 壊れていく。私が壊れていく。

 

 始まった崩壊が止まらない。世界の色さえ失われて、音は全て奇妙なトーンに歪んでいく。上も下も右も左も分からずに、自分が本当にこの世界に存在しているのかどうかさえ怪しくなってきた。

 

 これは夢ではないのか?

 いつも見ているようなあの予知夢。そうなのかもしれない。

 

 だとしたら、早く覚めてあの子のところに向かわなければいけない。

 ダメだ。こんな未来肯定しない。全て否定してやる。

 

 夢じゃないのならば―――――――――――

 

 

 

 ねえ、教えて。

 

 どうしてあなたがここにいるの?

 

 どうして海の上に立っているの?

 

 どうしてそんなものを身に着けているの?

 

 どうしてそんなに怪我をしているの?

 

 

 ねえ、教えて?

 

 私が護ろうとしたあの子はどこなの?答えてちょうだい?

 

 あなたは――――誰?

 

 

 これは夢でしょう?

 

 覚めるなら覚めなさい。

 

 私の機嫌を損なう前にこんな質の悪いことやめた方がいいわよ?

 

 ……いいわ、分かったわ。そっちにその気がないのならば。

 

 壊してあげる。こんな世界(ゆめ)――――

 

 

「――――――――――――――え?」

 まずは、私の大事な人の真似をして今一番私の機嫌を損ねているこの物体から。

 

「―――――消えなさい」

 

 

 

 

     *

 

 

 

 モニターに映るマーキングされたヲ級の反応が消えた。どうやら彼女たちは成功したようだ。

 前回とは違い、襲い掛かってきた艦隊を殲滅。圧倒的な数の不利にも拘わらずに勝利を飾ることができた理由はいくつかあるだろうが、何よりも「彼女」の存在。

 

「一刻も早く接触をはかる必要がありそうだな……」

 昨晩のル級を仕留めたその実力に加え、敵艦隊を単艦で奇襲し、見事に本土への意識を削いで見せた巧さ。

 合流後に上手くこちらの艦娘と連携を取ることができた柔軟性。

 既に艦娘として完成されつつある彼女の実力が――――欲しい。

 

 上手く叢雲たちが彼女を説得して連れて帰ってきてくれればいいが……まあ、失敗しても彼女の拠点は既に抑えている。

 まさか元横須賀鎮守府の工廠の一部であった施設を改築して造った艦娘記念館にあんな場所があるとは。噂にこそ聞いていたが、あの場所だけで艦隊運営をギリギリ行えるほどの設備が整っていると報告があった。

 

 しかし、誰が彼女を作り出した?

 艦娘を生み出すためには、妖精と対話することができる能力―――提督となる素質のある者が必要だ。

 いや、それだけじゃ足りない。もっといろんなものが必要だ。

 

 報告だけでは分からないことが多すぎる。後で直接赴くしかないようだ。

 一番良いのは、彼女が快く叢雲たちに同行してくれることなのだが。

 

 

 そんなときに突然通信が入った。

 叢雲と謎の艦娘の援護に向かった《漣》からのものだった。

 どうしたのだろうか?秘密保持のために必要以上の通信は避けろと言っているはずだ。

 

 戦況はこちらからでも窺えるため、戦勝報告は必要ない。万が一、誰かが負傷して戦闘続行不可能な場合や、予想外の敵襲を受けた時、自分に指示を仰ぐ際に開くようにしているはずだが。

 

『――――あっ、ご主人様!』

 

「どうした?戦闘は終了したはずでは……?」

 

 

 

『それどころじゃないですよ~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!!』

 

 

 

 突然の大声に指令室にいた者たちが全員耳を塞いだ。この馬鹿ッ……

 だが、ふざけているような声ではない。本当に困惑しているようなトーンだ。

 

「どうした?落ち着いて説明しろ」

 

『どうしたも何もっ!叢雲が激おこぷんぷん丸で……あっ!サミィが吹っ飛んだ!やべっ――――プツン』

 

「お、おい!!ちゃんと説明しろ!!何が起こっている……くそっ!!」

 椅子に腰を下ろして頭を抱えた。ぐちゃぐちゃに掻き乱された思考を何とかしてまとめようとする。

 漣は叢雲が怒り狂っているようなことを言っていた。五月雨が吹っ飛ばされたということは、敵味方なしに暴れているということでいいのだろうか?

 

 

 あいつが?

 

 まさか、そんなことをする奴じゃない。常に冷静に物事を判断でき、客観的に戦場を見ることができる。時に厳しく切り捨てる判断も、味方を守るための的確な判断も取れるあいつの実力は正直自分が司令官として必要ないくらいにある。

 

 そんな叢雲が同士討ちをしている……馬鹿な、ありえない。何度考えても――――

 

 

 ――――まさか、謎の艦娘が原因か?

 

 

「―――《みょうこう》と《ちょうかい》に繋げ!!」

 今は何が起きているか明瞭に把握する必要がある。戦場の近くにいる者たちに把握してもらうしかない。

 だが、叢雲が砲を向けたらどうする?あいつの実力ならば、イージス艦2隻程度造作でもない。

 

 万が一の場合は――――

 

 

 

 

     *

 

 

 

 どうしてラクちゃんがこんなところにいるのかが分からなかった。

 見間違いだと思って、自分の目を何度も疑い、夢か現実か何度も確かめた。

 

 背中に背負う艤装、主砲と魚雷管を接続するアーム、頭部に浮かぶユニット。槍のような武器。

 それを除いてしまえば、つい先ほどまで言葉を交わしていた彼女に寸分違わない。

 

 風に靡いて空に溶けていきそうな青い髪。整った凛々しい造形の顔立ちに浮かぶ赤い瞳。頬の横の髪を赤い紐で束ねて広がらないようにしているのはいつもと違うが。

 

 どこからどう見てもラクちゃんなのだ。

 

 

 どうして海に立っているのか。どうしてそんな格好でここにいるのか。

 私は冷静だったのかもしれない。信じられない事実よりかは確証なる説を信じられるだけの余裕があった。

 

 ラクちゃんは――――御雲 楽は、艦娘だった。

 ありとあらゆる要素を除外していって残った事実がそれならば、それが真実だと。

 

 それでも私の頭はどこか彼女が艦娘であることを否定しようとしていたのだ。

 何よりも、私が危険な真似に走ることを拒み続けた彼女が、私がまさに危険な真似に走っている場所に、同じように危険な真似に走っていることが受け入れられなかった。

 

 非日常というものならば、私が艦娘になった瞬間から訪れていたのかもしれない。

 ただ、すでに歴史上に艦娘も深海棲艦も存在しているこの世界で、それは非日常と呼ぶに能わないのかもしれないが、少なくともラクちゃんとの日常を積み重ねてきたはずの私の日常はこの瞬間に非日常になり替わってしまった。

 

 そして、もう1つ。約束した。二度と危険な真似はしないと。

 

 ラクちゃんを含め、この町の人たちにばれないように戦い続ければいいとは思っていなかった。

 いつかこの想いをちゃんと伝えて、父も母もラクちゃんも説得して、私はこの町のために戦うつもりだった。

 それでも、タイミングが悪すぎるのだ。もう少しだけちゃんと戦えるようになってから自信が付くというものだ。今の私はまだ不完全過ぎて誰にもこんな事実を打ち明けられる実力がなかった。

 

 それなのに、約束を破った場面に友人が存在していたのだ。

 彼女を裏切ってしまったという罪悪感が胸を締め付けていき、呼吸がままならなくなる。

 

 もはや誤魔化すことなどできない。だが、確かめることはできるはずだ。

 先程から様子がおかしいが、私の声は聞こえるだろうか?

 もしかしたらラクちゃんの親族なのかもしれない。

 

「――――も、もしかして……ラクちゃん?」

 反応はなかった。私の声が届いている気配もない。

 少し俯いて目元に陰りができており、一体どこを見ているのかも分からない。

 

「ね、ねえ……ラクちゃんなの?」

 一歩踏み出してそう尋ねてみた。

 いや、確かめるのならば、もっと近づいて声を届けなければならない。

 

 私が聞こえたつもりになっているだけで、もしかしたらこの声はか細くて聞こえていないのかもしれない。そもそも私は声を発せていないのかもしれない。

 

「ら、ラクちゃん……どうしてこんなところに?」

 歩み寄っていき、あと2、3メートルというところまで近付いて、その肩に手を触れようとした時の事だった。

 

 アームが動き、その砲口が私に向く。真黒な点が私を見つめている。

 

「――――――――――――――え?」

 

「消えなさい」

 私の知らない彼女の声。

 まるで深海の底、光の届かない水の中にこの身体を落とされたかのような、一瞬で全身を凍えつかせる冷たい声。

 

 声が出ない。喉の奥が凍り付いているかのようで空気が行き来しない。

 全身から嫌な汗がに滲み出したのを感じながら、私は必死に身体に命令し続けた。

 

 光のない赤い瞳が私をまっすぐに捉えていた。

 その眼を見てしまった瞬間に、恐怖が身体を縛り付けかけた。

 

 咄嗟に目を閉じて横に飛んだ。

 

 砲撃音。私がいた場所を薙ぎ払う。

 

 音が聞こえた瞬間に目を開けた。

 周りの状況をちゃんと把握しながら、足元をちゃんと確認して着水する。

 

 だが、その眼は私を見逃すことはなかった。

 足で海に落とした槍のようなものを踏みつけて、拾い上げると、そのまま私に躍りかかった。

 この両脚に溜まった疲労も限界だ。

 連続してあんな素早い反応できる訳もなく、慌てた足が縺れて尻もちを突いた。

 

 

「――――ッ!!」

 水面にお尻を打った痛みに怯んでいる間もなく、顔を上げた私を見る鋭い眼光。殺意と狂気、その両方を持った光のない瞳。

 

 艦娘がこんな眼をすることがあるのだろうか?

 いや、私の知っているラクちゃんがこんな眼をするのだろうか?

 

 槍が振り上げられた。

 その先端がどこか分からないが、狙うのは首か腹か足か、大穴狙って目だろう。

 

 こんな危機的状況の時に限って、切った額から流れ出した血が私の目に流れ込もうとする。

 

 それを拭った瞬間、視界が暗転する。

 反射的に体を横に転がした。どちらに逃げれば助かるか、50%50%の賭けに託すしかない。

 

 冷たい海水に身体を浸しながら、それでも沈むことのない私の身体は海面で転がる。

 直後、海を割るような音が聞こえて、すぐさま血を拭ってラクちゃんを見た。

 

 グリン、と首が回ってこちらを見る。槍の先端を海面い突き刺したまま、こちらに駆け寄ってきて海面を切りながら私にその切っ先を振るった。

 咄嗟に身体を倒しながら顔を守った左腕を先端が掠めて皮膚が裂ける。

 

「いっ―――たぁ……」

 

 どうしてこんなことになっているんだろう?理解できない。痛みが混乱する私の頭の中を逆に鮮明にしていく。

 

 説明が欲しい。どうして殺し合っているのか。

 

「ラクちゃん!どうして――――」

 

「喋らないで」

 真正面に立っていた彼女の足が腹部にめり込んで、尋常じゃない力で海面上を吹き飛んだ。

 

 

「その声で、その顔で、これ以上喋らないでちょうだい。耳障りだわ」

 

「がっ……あっ、かはっ……ごほっ、げほっ……おえっ」

 

 お腹に穴でも開いたかと思ったが、割と頑丈にできているようでよかった。それでも腹と胸を押し潰した加減の一切ない蹴りは空気も胃の中身も全部押し出してしまった。

 海に胃液を吐き出しながらも、私は必死で頭の中を整理し続けた。

 

 どうして、ラクちゃんは私を殺そうとしているのか?

 顔を起こした瞬間に黒い穴と目が合う。火を噴く寸前にもがくように這って何とか1発目を避ける。すぐに起き上がって前に転がって2発目を避ける。

 

 起き上がると顔に迫ってきたのは脚。

 鼻を潰す勢いで顔面にめり込んで私の背中を海に叩きつける。

 

「――――どうしてよ……ッ!?」

 

「はぁ…はぁ…」

 

「どうしてあなたがここにいるのよ……ッ!?」

 視界が真っ白に染まってぐるぐると何かが回っている。

 輪郭のようなものは見えるが、何が起こっているかが全く分からない。

 

「これは夢、きっとそう。そうに決まっているわ」

 

「ゆめ……?何を言っているの!?」

 

「じゃあ、あなたは何者?私の大切な人の形を上手く真似ているようだけれど、何の目的なの?」

 

「私は……私だよ……私は―――――」

 

 あぁ、もう。またこれだ……

 

 自分の名前が思い出せない。こんな脳震盪でも起こしてそうな状況だと尚更だ。

 私が何者か、そんなもの私が聞きたいくらいだ。

 

 

「答えられないってことはあの子じゃないんでしょう?だったら、目障りよ。ここで沈みなさい」

 ガシャン!と彼女の艤装が動いたような音がした。

 だが、どこを狙っているのか全く分からない。

 起き上がろうにも身体が全くいうことを聞かない。

 

「どうして……私を沈めようとするの?」

 

「あなたがここにいるのは私の理想に反するのよ。本来あなたはここにいるはずがない。だから、あなたは偽物」

 

「理想?そんなの……何だって言うの?」

 

「あなたに馬鹿にされる筋合いはないわ。私はあの子を守ろうと誓ったあの日から、あの子がいつか作り出す未来と夢のために全てを擲つと誓ったの。艦娘などという穢れた世界に踏み込まないように、代わりに私がいつかあの子が夢を描くこの世界を守ることで」

 

「……ははっ、その艦娘嫌いなところ。私の知ってるラクちゃんにそっくりだよ」

 

「……もう一度だけ訊くわ。あなたは何者なの?」

 

「私は―――――」

 

 私の名前は――――何だろう? 

 

 ダメだ。

 

 私の名前を背負った私という存在が、私でないかのように、私の中に彼女の記憶が存在しないかのように、「私」という名前にノイズが走ってしまっている。

 ラクちゃんの言う通り、私は彼女の知る私ではないのかもしれない。きっと全く違った存在。きっとそうなのだ。

 だったら、もういいや。人間だった時の私の名前なんてきっと関係ない。

 

 この海の上に立っている私の名前は――――なんだ?

 

 それははっきりと覚えている。

 

 

 

「――――吹雪型特型駆逐艦一番艦《吹雪》、それが私の名前だよ」

 

 

 

 

「……吹雪」

 

 この海の上にいる以上、私は艦娘だ。

 だったら、背負う名前は艦娘としての名前でいい。

 郷にいては郷に従え。海の上にいる以上、海の上にいる者としての名を名乗れ。

 今の私はそれでいい。少なくとも今だけはそれでいい。

 艦娘としての名を誇ることこそが、この名を守ってきた者たちに対する敬意だろう。

 

 

 

 2人の間を流れる静寂を裂くように、砲撃音が響き渡った。

 

 

 

 




一つは、楽と彗のやり取りの中にあった答え合わせ。

もう一つは、艦娘として導き出した彗の答え。


きっと誰も間違ってはいなかったはずだった――――

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