理想⇔夢 PROLOGUE
ほとよく冷たい風が頬を撫でる。耳の奥でさざめく波の音が響く。
見上げた夜空に白い月の浮かぶ蒼い海の上。
随分と沖合の方なのか、瞼を起こして周囲を見渡しても島一つ見えない。完全に孤立した世界で私の身体は揺れていた。
薄っすらとした意識の中で何かのリズムをとるように揺れる身体は不思議な感覚に包まれていた。
沈むはずのこの身体は海面で反発する。水中と世界に拒まれるかのように。
背中、脚、腕、そのすべてに人間の体にはない重みを感じた。足にも海の冷たさではなく、お湯の中に入れてるかのような温かみを感じた。
頭の中でトーントーンと不思議なリズムを刻んだ甲高い音が絶えず鳴っている。
その音に不快感はないが、そのリズムに合わせて目と耳の感覚が冴え渡っていくような心地よさはあった。
そして、全身の肌に感じる強い圧迫感は、静かな海の上で起こっている異常を知らせていた。
ここは恐らく戦場。殺気立った特有の緊張感が喉の奥に形容しがたい息苦しさと不快感を与える。
あぁ、またこの夢だ。
何かの本で読んだが明晰夢というものだろう。そして、決して悪い夢でもないということも知っている。
軽く前に体重を傾けると、この身体は少しずつ波を立てて動き出す。
心臓の鼓動のように機関が動き始め、波を裂いてこの身体は加速していく。
転びはしないだろうが、バランスを我なりに取ってみたりする。実際、転びでもしようなら大変だろう。
我ながら稚拙な考えだが、まさか記念館で見たものそっくりに組み上げるとは私の脳も面白いことをする。
背中に背負ってるそれも、脚に取り付けられたこれも、足に履いているこれも、手に持っているこれも。私の知識から想像したものならば、まあ上出来なのだろう。
きっと彼女たちはこんな感じだった、という私の妄想の果てに見ている光景なのならば、こんな出来になるのは当然だ。
ふと、頭の中で響いていた不思議なリズムにノイズが走る。導かれるように右を見た。
何か黒いものが浮いている。形ははっきりとしない。なにか黒いものだ。そういうに尽きる。
反射的に手に持つそれを掲げて、遠くに見据える黒い何かに意識を集中する。
目標と照準が合致した、という感覚と同時にトリガーを引いた。
まあ、このトリガーを引くという感覚も私の意識がそう判断しているだけであって実物がどうであったかは知るところではない。
全身に衝撃、耳に爆発音、眼に黒煙と火花、鼻に硝煙の匂い、順を追って認知していく。
遅れて数秒後、遠方に見据える黒いものが爆発する。
ふぅ、と小さく息を吐くと腕をだらりと下ろした。
風が再び頬を撫でて頬にかかる髪が揺れた。火照った体を静かに冷ましていく。
月を見上げる。綺麗な満月だ。明かりのないこの海の世界を隈なく照らす道標。
その丸い月が放つ真っ白な光が徐々に私の世界を包み込んでいく。
そろそろ、起きようかな、と思ってすぐに目覚めた私は跳ねるようにベッドから降りた。
すぐに向かいにある私のデスクに座り、本棚から一冊の本を手に取った。
付箋の貼ってあるページを開いて、感嘆の溜息を漏らす。堪らなくなって本を顔に押し当てて悶えるまでが一連の流れ。
彼女たちに出会った幼い頃から、私の日課は変わることはない。
カーテンを開き、窓の外を見ると今日も港の方から朝日が昇る。
この街に朝が来る。この国に朝が来る。
彼女たちが、かつて艦娘が護った私たちの世界に朝が来る。