アイちゃんリアルへ行く   作:シュペルロ・ギアルキ

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第2話 アイちゃんリアルに居る

 魔神が断末魔にあげた魔法の光に包まれたイビルアイは一瞬の浮遊感のあと、硬いような柔らかいような、というか人間の上のような感触がするものの上に墜落した。

 

「ぐへぇっ!?」

 

 下敷きにしてしまった男性が潰れたような、それでいてなんとなく聞き覚えのあるような声を上げる。私はそんなに重くないはずだ、という不満が心の何処かに湧き上がってくるが、とりあえず心の底に押し込める。

 あの魔神の光で何が起きたのかはまだわからないが、ひとまず死は免れたようだ。

 生きてさえいればどうとでもなる。長年の経験からそれを知っているイビルアイはひとまず現状を確認しようと身を起こし…。

 

「は…?」

 

「あ…」

 

 イビルアイの想い人、漆黒の英雄モモンと対面した。

 眼と眼があったその瞬間イビルアイの動かない心臓が爆発したかのように熱くなり、全身に電撃が走る。

 普段フルフェイスヘルメットを被っているモモンの素顔を見たのは数えるほどであり、最後に見たのも随分前だがそれでも愛しい男の顔を間違えたりはしない。

 

「モモン様ぁ!!」

 

 感極まり、モモンの胸に飛びつくイビルアイ。まだダメージが抜けきらず力の入らない身体を必死に動かしモモンの身体を抱きしめ、グリグリと体を擦り付ける。

 

(あ~~っ! 鎧を着ていないモモン様に抱きついてる! 意外に細いぞ! 硬いぞ! 汗の匂いもする! 温かい! ファァ~~~ッ!!)

 

 大分頭がぶっ飛んだようだ。世界間移動の後遺症の可能性もあるが。

 

「ええっと、たしかにモモンガですけど!? というかどなた!? どうやって部屋に入ってきたんだよ!?」

 

 モモンが困惑したように声を上げるのを聞きイビルアイはほんの少し冷静を取り戻す。ちなみにイビルアイの耳はモモンガですけど、という言葉をモモンですけどに脳内変換して認識した。

 

(いけない…こんな幸せ…もとい、嬉し恥ずかし…じゃなくてなんだっけ…)

 

 撤回。イビルアイの頭は完全に茹だっていた。

 

「良かった…モモン様…。もう会えないのかと…。私はもう駄目なんだと…。会えて…会えて…モモン様ぁ…」

 

 事情の説明も忘れ感極まったように胸に顔を埋めプルプルと歓喜に震えながらやたら小刻みに呼吸を繰り返すイビルアイ。

 

 そんな様子に困惑しつつ悟は時計を見る。0時09分。正直なところもう今すぐにでも寝たい。今日は特に精神的にも弱っているのだ。

 何かを考えて解決するだけの気力がない。

 

「とにかく、ちょっと落ち着いて」

 

 強い口調で言うと少女の肩を掴んで引き離し、奇妙な仮面と視線を合わせる。

 

「申し訳ないんですが。明日4時起きでもう寝ないと辛いんです。話の続きはまたの機会にしてもらっていいですか?」

 

 悟の意識はすでにかなり限界に来ていた。そうでなければこの状況で睡眠を選択はできないだろう。

 だが、とにかく寝たいのだ。それをもう譲れないレベルで。

 

「えーと、家までは自分で帰れますか? 結構遅い時間ですけど…」

 

「あ、あぁ、もちろんだ! こちらこそこんな時間に押しかけてすまなかった」

 

 流石にイビルアイも眠いから寝かせてくれという切実な要求には我に返った。

 事情を知らないモモンにしてみれば今の自分はいきなりやってきて睡眠を妨害した邪魔者だ。事情を聞いて欲しいという思いも少しあったが、幸せすぎて事情を話すタイミングを逸したのは自分だ。

 自分ばかり喜んで。これではモモンの心証にはかなりのマイナス点になるだろうと少し凹むイビルアイ。

 モモンの口調も以前のような気安い感じではなくなっているし…。

 ――プライベートな空間ゆえなのか普段の重々しい威厳ある雰囲気も減じていて、そんな姿を知れたことに関してそれはそれでお得感も感じているが。

 

「では、とりあえず玄関まで送りますんで…」

 

「あ、あぁ、ありがとう…痛っ!」

 

 床に降り立った瞬間全身に走る痛みにイビルアイは悲鳴を上げうずくまった。

 いかにイビルアイが高い再生能力を持つ高位の吸血鬼といえど魔神との死闘で受けた傷はそうたやすく回復するほど浅くはない。

 

 悟も身体が離れたことによって初めて彼女が全身に火傷を負っていることに気付いた。

 

「なんですかその傷!? いや、そんな傷で何やってるんだ!?」

 

 医療や怪我について詳しくない悟が見ても明らかに重傷だ。子供が、いや、大人であっても先程までのように平然としていられるようなものではないだろう。

 

「あぁ、いや…私は大丈夫だ!」

 

 痛みに引き攣りながらもイビルアイは健在をアピールする。アンデッドであり痛みなどの感覚が鈍っているイビルアイにとってこのくらいの傷の痛みは耐えられないほどではない。

 むしろモモンが必死に自分を心配している様子にムニムニと口元が緩みそうなほどである。

 そしてすぐに慌てた。

 

「ちょっと待っててください! 何か薬を持ってきます…!」

 

 悟は買い置きの常備薬箱の置き場所を思い浮かべつつ立ち上がる。

 救急車を呼んだり、病院に連れていくといった選択肢はない。

 社会保障など疾うの昔に消滅した2100年代ではアーコロジー外への救急車の出動には悟の月給が数カ月分まとめて消し飛ぶ程の費用がかかるし、そこに夜間救急外来に掛かる費用も併せれば年収にも匹敵する。

 常備薬でどうにかなる傷とは思えないが他に出来ることはない。

 

「待って! 大丈夫だから!」

 

 イビルアイが立ち上がって薬を取りに駆け出そうとするモモンの裾を慌てて掴んで止める。

 アンデッドは治癒ポーションを使われたらダメージを受けるのだ。今のダメージ状況でモモンが持っているような高級ポーションを使われたりしたらせっかく生き延びたのに最悪死ぬことになりかねない。ポーション死とか冗談ではない。

 

「大丈夫なワケ無いでしょそんな傷!」

 

 たしかに。ぐうの音も出ない正論だ。アンデッド以外には。

 イビルアイはとにかく止めなければと思いとりあえず思いついた言い訳を深く考えずに叫ぶ。

 

「私はアンデッドだから大丈夫だ!」

 

 言ってしまってから慌てて仮面の上から口を押さえる。

 

「アンデッドって…」

 

 ゲームじゃあるまいし、とモモンが呟くが自分のうっかりにショックを受けて硬直したイビルアイの耳には入らなかった。

 しかし、イビルアイは自分の迂闊さを呪いながらも少しずつ穏やかな気持ちが胸に湧き上がってくるのを感じていた。あるいはもうどうにでも成れというやけっぱちな感情かもしれない。

 モモンは突然の告白に困惑しながらもそれ以上に気遣わしげな表情で自分だけを見つめている。

 ――どの道、いつかは知って欲しいと思っていたことでもある。

 仮にモモンが本当のイビルアイを受け入れてくれなくても、あらゆる種族が共栄する魔導国から追い出されるわけでもない。

 思いがけないこの二人きりの瞬間は覚悟を決める良い機会なのではないだろうか?

 

「モモン様…。本当のことなんだ。私はアンデッド…吸血鬼なんだ。その証拠に、ほら…」

 

 左手を見せつけるように持ち上げると魔力を循環させ左手の甲の傷に再生能力を集中させる。見る間に回復していく手の甲にモモンは目を見開く。

 そして持ち上げた左手をそのまま仮面に掛け、仮面を外し()()()()()()()()意識しながら、微かに笑った。拒絶される恐怖に怯えながら。

 

「あ、あぁ…」

 

 モモンは衝撃を受けたようによろめく。その動揺にイビルアイは微笑みをさらに深める。

 あのモモンがこれほどの動揺を見せてくれるなんて、この姿を見られただけでも今回の件は価値があったのかもしれない。なんていうどうでもいいことが現実逃避気味に脳裏をよぎる。

 だが、悟が受けた衝撃はイビルアイの考えていた衝撃とは別の衝撃だった。

 

(なんて綺麗なんだ…)

 

 その少女の美しさと比べれば見る間に傷が癒えていく異常現象も些細な事に思えた。

 少女の顔立ちだけではない。

 紅玉の瞳が湛えた憂いや寂しさ怯えなど様々な感情と、それら全てを呑み込むような優しく切ない透明な微笑に悟は心を奪われたのだ。

 

 そしてすぐに我に返る。

 

(な、何を考えているんだ俺!? こんな小さい子に見惚れるなんて…。これじゃまるでペロロンチーノじゃないか!)

 

 色々と致命的な事態を考えないようにしつつ衝撃から気を取り直していると、少女の微笑みが更に優しいものになったように感じ慌てて目をそらし、少女の身体に目を落とす。

 急速再生した左手に限らず、先程までの痛々しく生々しい火傷はこの短時間の間に確かに回復している。完全回復にはまだ時間がかかりそうだが、かなりの場所は焦げた皮膚が剥がれ、その下に柔らかそうな皮膚が再生しつつあった。

 そう、たとえば焼け焦げた服に空いた穴から覗いた少女の身体のなだらかな部分とか。

 

(――って! いったいどこを見ているんだ俺! いかん、本格的にペロロンさんに毒されていたのか!?)

 

 うっすらピンクとかそんなことを知りたかったわけじゃないんだ! と脳内に浮かんでこっちへおいでとばかりに手招きをする鳥頭の幻影にパンチを喰らわせて追い払う。

 

「アンデッドとか吸血鬼とかはともかく…。まあひとまず、怪我が大丈夫ならそれでいいです…」

 

 ため息を吐くように少し力なく言葉を吐き出す悟。

 

「とりあえず、えぇっと…。次はどうしたら良いのかな…」

 

 一つの問題が解決した安堵に気が抜けた瞬間、悟に猛烈な睡魔が襲いかかり、よろよろとふらつく。

 あ、ヤバイ。眠い…という言葉を漏らした悟を少女が慌てて支える。

 

「ああっ! すまない! モモン様はお疲れだと言うのに私のことばかり…。寝室はここか?」

 

 もう既に身体の痛みは無視できる程度にまで収まっている。モモンを支えながら、思ったより殺風景で粗末な寝室へと足を踏み入れ、随分シンプルなベッドにモモンを横たえる。

 

 

「えっと…その…君は…」

 

 抗えぬ睡魔の中、おやすみなさいと囁く少女の微笑みが悟の目にまぶしく、そしてとても暖かいものとして映っていた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 寝室から退室したイビルアイは己の体を抱きしめ飛び跳ねたくなるような衝動を必死で抑えていた。

 

(アンデッドとか吸血鬼とかのことなんかより私の怪我が大丈夫で良かったって…!)

 

 受け入れられたというより、そんなことはどうでもいいというニュアンスだったが少なくともモモンはイビルアイがアンデッドであると知ってもなんら隔意を抱かなかったということが分かった。

 そしてそれより自分を心配してくれた。

 嬉しすぎて身体が羽になって何処かへ飛んでいってしまいそうだ。

 

(――と…。いかんいかん…。いい加減帰らないと…。ラキュースたちにも連絡をしたいし…)

 

 仮面をかぶり直しつつ《メッセージ/伝言》を使用して蒼の薔薇に自分の無事を知らせられるか試してみたが、繋がらない。エ・ランテルと例の遺跡は距離がかなり離れているため仕方ないだろう。

 そして《テレポーテーション/転移》を使えるほどの魔力は回復していない。

 

(明日の朝になったら冒険者組合に顔を出して中継による長距離メッセージを送ってもらい、魔力の回復を待って転移で合流するか)

 

 イビルアイは今までモモンの住む邸宅に入ったことはなかったが、なんとなく構造上外へ向かうであろうと思われる廊下を進む。

 邸内だと言うのに鍵が3つもついた金属の扉に多少の違和感を覚えつつも甲高い悲鳴のような軋みを上げる扉を開いて一歩踏み出し、異様な臭気に顔をしかめた。

 

(なんだ? 毒のトラップ・ゾーンか? 館の中に?)

 

 アンデッドであるイビルアイに毒は効かないがそれでも悪臭には顔をしかめる。本来は必要ないのだが普段から偽装の一環として常に呼吸をしているのが仇になった、などと思いつつ呼吸を止め、眉をしかめながら 《コンティニュアル・ライト/永続光》の魔道具に照らされてなお薄暗い廊下に歩を進める。

 

(なんだここは? 風が流れているし屋内の空気ではないな…。中庭にでも繋がっているのか?)

 

 少しずつ大きくなる違和感。そもそもモモンが住む邸宅の内部にしてはモモンの部屋は随分薄汚れた雰囲気があった気がする。舞い上がっていてあまり観察出来ていなかったが。

 

(なにかおかしい…。床は漆喰か? すごい硬さだ…。でもなんだ? この脂が混じった煤が塗りたくられたような汚れは…)

 

 突如として見知らぬ世界に迷い込んでしまったような心細さ。先程までの浮かれた気分は冷水を浴びせられたかのように急速にしぼんでいた。

 

(どこの建築様式だこの建物は? 殺風景というか、すごい無機質だ。住んでいる人を人として扱っているとは思えない…)

 

 コツリコツリと虚ろに反響する足音。アダマンタイト級冒険者が何を怯えているんだと冷静な自分が言う。

 

(生き物の気配がないな。人や動物はおろか、虫の鳴き声もしなければ植物の面影さえないぞ…)

 

 ――気付いた。壁や柱に木が使われていない。まるで牢獄のように無機質な鉄の扉と薄汚い漆喰の壁だけが狭い間隔で並んでいる。

 

(落ち着け…。誰も居ないわけじゃない。私なら集中すればここからでもモモン様の気配くらい感じられる…)

 

 立ち止まり耳を澄まし、気配の察知に集中する。吸血鬼の鋭敏な感覚は立ち並ぶドアの向こうに数多くの人間が就寝しているであろう寝息や鼓動を察知する。

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 全身に鳥肌が立ったような気がした。

 ここで寝ている人間たちは誰だ? そもそも今までいたのは本当にモモンの部屋だったのか?

 

(馬鹿なことを! 私がモモン様を間違えるわけがない! 声も、姿も、仕草も、間違いなくモモン様だった!)

 

 頭を振り、再び歩き出す。慎重に曲がり角を曲がるとようやく採光用の窓が視界に現れた。イビルアイは急くように窓を覗き込む。

 そして、窓の外に広がる光景に目を疑った。

 

(なんだ…この街は…?)

 

 暗い。

 夜だから、などではない。吸血鬼であるイビルアイの目は闇夜を見通す《ダーク・ヴィジョン/闇視》を持っているのだから。

 

(まるで汚泥に覆われているようだ…)

 

 先程トラップ・ゾーンかと思った黒い靄のような毒の大気はその街のすべてを覆い尽くすようにどこまでも続いており、空を見ることも出来ない。

 街に立ち並ぶ建造物にはほとんど窓もなく、全て炭を溶かした泥水をぶちまけたかのような汚らしい雨だれ汚れによって覆われている。

 木や草と言った植物は一切生えていない。建物の他は油の混じった砂利を押し固めたような道と、インクを撒き散らしたように真っ黒になった土と泥に覆われた空き地が所々にあるだけだ。

 命の気配などどこにも感じられない。

 

(ここは人が…いや。生き物が住むような場所じゃない…)

 

 当然モモンが常駐しているエ・ランテルの街などでは断じてない。

 アンデッドである自分さえも鼻白むような致命的汚染に満ちた世界。

 ここは…。

 

「私の居た世界じゃない…」

 

 イビルアイの呆然とした呟きが腐り穢れた空気に溶けて消えた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 なお、そのころ悟は綺麗なお花畑でペロロンチーノと手を繋いで輪になって楽しく踊るという悪夢を見ていた。




人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にある。
ということで誰も知らない知られちゃいけない秘密を意を決して告白する女の子は美しく尊いと主張する回でした。

二人が怒涛のごとく勘違いを積み上げていく様子を描写するために悟サイドとイビルアイサイドを交互に書いてみたけどあまりいいやり方ではなかったかも…。
精進しよう。

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