生温い風が頬を撫でる。
鼻につくのは、土と木の匂い。
なだらかに続く緑の平野には見渡す限りには獣も鳥も見えない。
それは、これからここで起こることを予期してのことだろうか。
ナリタ連山。
これより、ここで起こる事に備えてC.C.はこの地を訪れていた。
ブリタニア軍と日本解放戦線、そしてそれに介入する黒の騎士団の戦い。
その戦場に立つゼロことルルーシュが窮地に陥った時に助けに入るためだ。
C.C.の記憶の通りであれば、ここでルルーシュは枢木スザクが駆るランスロット―この時はまだ、白兜だったか―に後一歩というところまで追い込まれ、自分の助けにより事無きを得ている。
そして、その後は。
その後は――――
ありがとう
「っ!?」
まるで耳元で囁かれたみたいに、あの時の言葉が思い出されてC.C.は反射的に耳に手をやった。
何を動揺しているんだとC.C.は自分に言い聞かせる。
確かに、あの時の通りになればまた同じような展開になるだろう。
それはやぶさかでないのだが。
同時にあの時の思い出はあの時感じた想いと共にそっと胸にしまっておきたいと思うのは、はたして誰の影響だろう。
もっとも、今のところ本当に前回のようになるという保証はないのだが。
サク。
C.C.のブーツが柔らかい音を立てる。
テンポこそ一定だが、どこか重い足取りを思わせるのが彼女の心境を物語っていた。
サイタマゲットーの戦いから、かなりの時間が流れた。
その間に、ルルーシュは『前回』と同じように自分の手足となる武装組織、黒の騎士団を結成。今日まで地道な地下活動を行いながら、組織の拡大と地盤固めに奔走していた。
あれから、ルルーシュの様子に変わりはない。
ルルーシュにかつての『ルルーシュ』の面影を見たのは、あの時だけ。
注意深く見ていたが、結果は変わらず。
ルルーシュはこの当時のルルーシュのままだった。
行動も。……C.C.への接し方も。
むしろ、後者はあまりじっと見ていたため気味悪がられていたかもしれない。
(やはり気にしすぎだと言うことか……)
吹き抜ける風に煽られる髪を押さえながら、C.C.は思う。
ここが過去だとして、全てが同じになるという保証はされない。
現に自分の行動は以前と全く同じというわけではないのだ。なら、他の所で細かい差異が生じても不思議ではない。
あの時のことも、その一つとC.C.は考えている。―考えるようにしている。
だって、そうでないのなら―――。
そこでC.C.は考えるのは止める。
その可能性を、C.C.は考えないようにしていた。
あり得ないから、とかではない。
単純に怖いからだ。
微かな希望に縋って、あの夜のように打ちのめされるのが、怖いのだ。
それに、今はルルーシュと絆を深めなければならないのだ。
別人の面影を探している場合ではない。
だから、考えない。考え、たくない。
「…っと、こっちだったか」
道を間違えそうになり、C.C.は目的地の場所を思い出して、その方向に向きを変える。
目的地は、ルルーシュがいるログハウスではない。
この戦いでルルーシュの心に影を落とすことになる事件が起こる場所。
ただ、それを変えることが本当に正しいのかC.C.の心には迷いがあった。
岩肌の目立つ山の頂きをコーネリアは険しい表情で見つめる。
その眼差しは、まるで敵を睨み付けるかのように鋭く厳しい。
事実を言えば、確かにその山にはブリタニアと敵対する大勢力の中枢とも言える拠点がある。
しかし、コーネリアがその視線の先に思い描いているのは、もはや遺物となりかけているその組織ではなく、得体の知れない仮面の男ただ一人だった。
「コーネリア総督、全部隊の配置完了致しました」
「ああ」
返ってきたのはそれだけ。
報告に来た自らの騎士を一瞥することなく、コーネリアは変わらず前を見つめたままでいる。
そんな主にギルフォードは憂いを帯びた表情を見せるがすぐにそれを引き締めると、報告を続ける。
「姫……、コーネリア総督のご指示通り部隊の三割を予備兵力として編成し後方に配置、待機させました。これで戦況がどのように変化しようと敵に後れを取ることはないかと」
「で、あれば良いがな」
そこでようやくコーネリアはギルフォードの方へ向き直り、彼の持ってきたデータに目を通し始めた。
「不満か?」
「はっ、いえ……」
「良い。少々過剰だとは私も思っている」
部下が物言いたげな視線を向けてくるのもわかる。
コーネリア自身、いささか過ぎると思っているくらいだ。
この状況下で部隊の三割も遊ばせておく理由はない。
今回は、敵の数も質も決して悪いというわけではないのだ。頭数が減れば、その分損害が増えるのは分かりきっている。
只の保険にしては物々しい。慎重と言えば聞こえはいいが、これでは臆病と捉えられてもおかしくはなかった。
「だが、必要だ。奴が現れた時に、な」
「総督は、今回の戦いにゼロが加担しに来ると?」
「私が奴ならこの機会を逃しはせん」
だが、助太刀に来るというのは些か違うとコーネリアは考える。
ゼロはブリタニアの敵で、日本の解放を謳う者かもしれないが日本解放戦線の味方ではないのだ。
ゼロにとって、これから起こる戦場は敵と利用できる駒が転がっている場所くらいにしか思っていないだろう。
だからこそ、警戒が必要なのだ。
「しかし、であれば、ユーフェミア様を連れてこられたのは……」
「戦場を見てみたいと言うのがアレの希望だ。それに近くにいた方が有事の際に対処しやすい」
そこでコーネリアは、はたと思い出す。
「あの件、結局進展はなかったか」
あの件というのは、サイタマゲットーでのことである。
最後のビルの倒壊に巻き込まれたコーネリア達は、ギリギリでしがみついていたナイトメアを引き剥がす事に成功。辛くも離脱に成功したが、突然の出来事にパニックになった部隊の半数近くが倒壊に巻き込まれた。
その時、コーネリア達の離脱の邪魔をした味方のナイトメアに搭乗していた者達の割り出しをコーネリアは命じていた。
はい、とギルフォードが頷く。
「全員倒壊に巻き込まれており、現場を捜索しましたが恐らく身元に繋がるようなものは……」
「死をも恐れなかったか、それとも我等に一矢報いるために命を捨てたか…」
あるいは、それだけのことを為せる何かがあの男、ゼロにあるのか。
その底を見通せない不透明さをコーネリアは危険視していた。
ゼロという男の今日に至るまでのその行動の中で、その存在感に違和感を覚えたのはサイタマゲットーでの対峙の時のみ。
もし、あの事がなければコーネリアも他の者達と同じように、こそこそと小賢しい真似をする男だと思って終わりだったかもしれない。
果たして、読み間違えているのは自分か、――他か。
答えは分からないが、コーネリアは自分の直感を信じた。
あの時、肌に感じた戦士としての自分の本能を。
だから。
(来るなら来るがいい)
ギュッ、と手袋ごと握り込まれた拳が音を立てる。
もう、戯言に惑わされたりしない。
その仮面の下の口が大層な言の葉を紡ぐ前に、その命を終わりにしてやる。
戦場を前に昂る気持ちを感じながら、コーネリアは戦意を研ぎ澄ましていった。
「フェネットとかいうのはお前か?」
「は?」
聞き慣れない声に名前を呼ばれて、ジョセフ・フェネットは振り返ると、飛び込んできた光景に目を見張った。
珍しい色の髪をした拘束服を着た少女がいたからだ。
年の頃は娘であるシャーリー・フェネットと同じくらいだろうか。
最近は仕事が忙しく、中々顔を合わせられない娘の姿が目に浮かぶ。
その娘が怖い目に遭ったばかりだというのに、満足に側にいてやれない不甲斐無さと、娘に嫌われたくない子煩悩さから、ちょっとしたご機嫌取りという名の贈り物をしたのは記憶に新しい。
「おい、聞いているのか?」
先程より苛立ちの色合いが目立った声にジョセフは現実に立ち返る。
「えっと、君は…?」
「質問しているのは、こちらだ」
その出で立ちに困惑しながらも、ひょっとしたら、娘の知り合いなのかと殆ど無い可能性について尋ねようとしたジョセフの発言は、少女ににべもなく断ち切られた。
「確かに、私がフェネットだが……」
目上に対する礼を感じられない少女の立ち居振舞いに、ジョセフは僅かばかり不快感を覚える。
…もっとも実際のところ、少女の方が遥かに年を重ねてはいるのだが。
「そうか。なら、すぐに逃げろ」
そんなジョセフの様子に気にした様子も見せず、少女はここに来た本題をさっさと切り出した。
「……さっきから何だと言うんだ? いきなり現れて名乗りもしないで、今度は逃げろ? 何から? なんのつもりか知らないがふざけているなら――」
「もうすぐ、ここは戦場になる」
その言葉に、一方的に用件だけを話す少女に苛立ちを覚え始めていたジョセフの頭が一気に冷えた。
「ここにいたら巻き込まれる。だから逃げろと言っている」
そう言われて、困惑するジョセフだが、確かに今日、山の中腹に大部隊の軍隊が向かうのを見かけていた。
何か大規模な作戦でも行われるのかと思い、軍からの通達を待っていたが何の沙汰もなかったため、軍事演習か何かと考えていた。
「いや、だが……」
仮に戦場になったとしても、それはここから遠く離れた場所でだ。今から慌てて逃げる必要をジョセフは感じなかった。実際ここからは、戦いを彷彿させるものは何も見えない。いきなり銃弾が降ってくるわけでもなし、雲行きが怪しくなってからでも避難は十分間に合うだろうとジョセフは考える。
これは彼の危機感が足りないわけでも、状況を甘く捉えているというわけでもない。
彼らブリタニア人にも、仕事があり生活がある。この情勢の落ち着かないエリア11という場所で仕事をする以上、些細なことで避難などしていたら、とてもやっていけない。
だから確たる証拠がなければ、彼らはもっと状況が逼迫してからでないと動くことはなかった。
だが、そんな彼らの事情など少女には興味がなかった。
用件を告げると少女は早々に踵を返し、この場を去ろうとしていた。
「きみ――」
「警告はした」
後は好きにしろ、と振り返らずに少女が告げる。
その日常とはかけ離れた奇妙な存在感に、少女の言葉がジョセフの中で重みを増した。
背中に感じる視線が消えたところで、C.C.は一度だけ後ろを振り返った。
動いたのか。動かなかったのか。
天秤がどちらに傾いたのか、それによって今後の道程が変わってくるのだが、その結果を確認する気はC.C.にはなかった。
そもそも、C.C.は、先程話した男のことなど始めからどうでもよかった。
ただ、あの男の死は、後にルルーシュに大きな影響を与える出来事への引き金となっている。
シャーリー・フェネット。
C.C.にとっては、先程の男と大して変わらない、面識のない女の名だ。
名前だけはよく耳にしたが、話したことはもちろん、姿とて遠目に何度か見たくらいだ。
そんなC.C.にとっては遠い女が、C.C.が一番側にいた男に多大な影響を与えるのだから、人の繋がりというのは分からない。
そして、この件に関わるべきかどうか、C.C.はずっと悩んでいた。―否、今も悩んでいる。
この時のルルーシュはまだ現実を、世界をよくわかっていなかった。
俗に言ってしまえば浮かれていたのだろう。
ギアスという力を手に入れ、黒の騎士団という軍事力も手に入れた。
危機的な状況に陥りはしたものの、ここまで決定的なものは何も失いはしなかったルルーシュは、どこかゲームをやっているような感覚で戦っていたのだろう。
作戦が的中した時の達成感。生死の境目で生をもぎ取った時の充実感。そして、勝利という名の甘美な快感。
ルルーシュは戦いに酔った。
そんなルルーシュを、父を喪った少女の涙が現実に引き戻した。
違う、そうじゃない、と雨の中泣きじゃくる少女の悲痛な叫びが彼に現実を教えてくれた。
結果、それはルルーシュにより一層の覚悟を固めさせ、甘さを消させる要因となった。
もし、ルルーシュがあのまま戦っていたら、どこかでもっと取り返しのつかない目にあっていたか、それこそ志半ばで命を落としていたことだろう。
そういった意味では、これらの出来事はルルーシュにとっては必要なことなのかもしれない。
だが、この時、僅かとはいえルルーシュの運命に触れてしまったシャーリーは、それに絡め取られてしまった。
何度心を歪められても、変えられても、そこから抜け出せず―抜け出さず―その命を落とした。
そして、それはきっと、ルルーシュにゼロレクイエムを決意させる遠因になってしまったのだろう。
だから、C.C.には判断がつかなかった。
どちらがマシなのか、と考えるも、どちらに転んでもルルーシュに喜ばしい展開には、きっとならないだろう。
色々悩んで。考えて。
結局答えが出なかったC.C.は、流れに任せてみることにした。
C.C.がするのは警告だけ。
それを信じるも信じないも、生きるも死ぬもジョセフ次第。彼自身の行く末を、C.C.は彼自身に手に委ねることにしたのだった。
そして、今、選択はC.C.の手を離れた。
もはや、ここでC.C.がやるべきことは、たった一つだけ。
大気が緊張に染まる。
戦火の足音が聞こえてくる。
この感覚をC.C.は、よく知っている。
戦いが、始まる。
C.C.「(攻略難度が上がってイベが潰れた? ならば、他の奴らのも潰すしかないな)」
とか思っていたりはしません、きっと、多分、……はい(目逸らし)
モチベーション維持のために五千字前後で投稿していこうかと。
地の文を長く書きがちなので、あまり話が進まなかったりするかもですが、長い目で見ていただければ有難いです。