コードギアス ~遠き旅路の物語~   作:アチャコチャ

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 イベント消化。女の子編。


PLAY:27

 清潔に保たれた白い部屋に、小さな電子音が短く周期を刻みながら鳴り続く。

 それより少し長い間隔で呼吸音。

 口に付けられた人工呼吸器が、深呼吸のように男の胸を上下させ、その度に大きめのくぐもった呼吸音が電子音を掻き消し部屋に響く音を支配する。

 意識もなく、己の生命すら満足に維持出来ない彼がこのような状態になってから、もうどれくらい経っただろうか。

 一命は取り留めたものの、いつ容態が悪化するか。予断が許されないまま、集中治療室の窓越しに妻と娘が祈るように男の様子を見守る姿も日常になって久しい。

 いつ起こるか分からない奇跡を期待しつつ、何も変わらない現実の冷たさに歯噛みし、希望を持ちつつも変わらない日々に悲しみよりもある種の納得のような気持ちを抱いて病室を後にする。

 その日が訪れたのは、そんな諦観にも似た感情で日々を過ごすようになってから少ししての事だった。

 

 連絡を受けて、程なく。

 東京、――かつてのトウキョウ租界で一番大きな病院にシャーリーの姿があった。

 余程、急いでいたのだろう。最近、世間を大きく揺れ動かした事件の影響か、渋滞に巻き込まれ遅々として進まなくなったタクシーに痺れを切らし、部活で鍛えた己の足を頼りに此処に辿り着いた彼女は、息は元より髪も乱れてぐしゃぐしゃで、途中制服とタイを外して、尚、汗で張り付けてしまったシャツの上から、その健康的に引き締まった肉体と共にうっすらと下着の色まで晒してしまっている。

 およそ、周囲の目を特に気にする恋多き女子高生の姿ではなかったが、今のシャーリーには気にしている余裕はなかった。慌てて病院に飛び込んできた様子に何事かと集まる周囲の視線に気付く事もなく、受付で二言三言何かを話すと直ぐにエレベーターに乗ろうと足と目を向け、――待ち人の多さと上の階層を示して止まったままの表示パネルに、その隣の階段に足の向く先を変えた。

 目指す階層は上。正直、あそこで大人しくエレベーターを待っていた方が早く着いたかもしれない、そんな上の階だったのだが、逸る気持ちを抑え切れないシャーリーは此処に来るまでに酷使した足に鞭を入れ、目指す階、通い慣れた病室の一つに飛び込んだ。

「お母さんッ!!」

 入ると同時に、中に居た母親に叫び掛ける。

 いつものように集中治療室と見舞い室を隔てる窓ガラスに手を添え、いつもとは違ってハンカチで口元を覆い隠して泣き濡れていたシャーリーの母親は息を切らして飛び込んできた娘に気付くと、再び瞳から大粒の涙を零した。

「お母さん………!」

 娘の姿を見て、気が抜けたのか。膝から崩れ落ちそうになる母親を慌てて支える。ぶつかるように泣きはらした顔が胸元に預けられ、溢れる涙が汗で濡れたシャツをまた濡らしていく。

「お……ッ、お父、さん、は……?」

 落ち着かせるように母の両肩に手を置き、肩で息をしながら、シャーリーは集中治療室の厚い窓ガラスの向こうを凝視する。

 人工呼吸器に、心電図の電極。肌を隠す包帯と点滴の管。動かせない左半身は何かの拍子に滑り落ちないよう拘束され、つい最近まで首やら手首やらをギプスで固定していた父の姿。

 事故当初の顔や指の先にまで包帯が巻かれていた姿よりも幾分マシになっているとはいえ、未だ大怪我の跡を色濃く残す姿は痛々しく、また()()()()()()()()()()シャーリーはそれ故に物も言えず苦しむ父の姿に罪悪感を覚え、見舞いに来る度にその胸を痛めていた。

 そんな父の姿が、――見えない。

 ガラス一枚隔てた室内は、駆け足とはいかずとも、足早に病室の内外を複数の人が行き交い、容態を確認しているらしい医師と、医師からの指示を受けて器具の準備やデータチェックをしている看護師が壁のように父の周りに立って、その姿を隠してしまっている。

 かろうじて見えるのは、腕や胸や喉元だけ。

 何とか無事な姿を確認しようと首を動かし、意味なく背伸びをしてみたりするも全て無駄な努力に終わり、シャーリーは容態が確認出来ないもどかしさと、良否が分からない不安に表情を悲痛に歪めた。

「大丈夫よ………」

 すん、と鼻を啜り、まだ僅かに震える声で母親は視線を下ろしてきた娘にぎこちなく微笑む。

「さっき、お医者様がね………」

 言われた事を思い出したのか。目端から流れた涙をハンカチで拭う。それでも止めどなく流れる涙に拭うのを諦め、ちょっとだけ目線を上げた母親の表情は、やはりぎこちなくはあったが、父が事故に遭って以来久しく見ない穏やかなものだった。

「もう心配いらないって――――」

 その言葉を飲み込むのに、シャーリーは数秒の時間を要した。

 そして、数秒後。

「ぁ――――」

 くしゃり、と表情が崩れるのに合わせ、同じように微笑みながら泣き出した母親が、自分より少しだけ背が高くなった娘を力一杯抱きしめた。

 

 

「危険な状態は脱したと言って良いでしょう」

 シャーリーの父、ジョセフ・フェネットがほんの少しだけであったが意識を取り戻した日の夕方。

 いつものように、つぶさに夫を見守っていた母がいち早くそれに気付き、連絡を受けて慌ててやって来た娘と人目も憚らず泣き腫らしてから数時間後。

 より正確な容態を報告するべく、診察室にて母娘と向かい合った担当医の第一声がこれだった。

「完全に意識が回復するには、もう数日要するでしょうが容態は快方に向かっています。この様子ですと、意識が戻る頃には一般病棟に移す事が出来るかと」

 漸く聞けた吉報に、シャーリーは、ほっ、と安堵の表情に滲ませ、母親も深く息を吐き出すと胸を撫で下ろした。

「ただ、左半身の麻痺を始めとした骨折や裂傷の治療、全身の矯正にはまだ多くの時間を必要とします。リハビリと合わせ、ご主人が完治するのは数年は先だと考えて下さい」

 一転して、まだ道半ばな現実を突き付けられ、母親は重苦しく頷くが、担当医の言った内容に疑問を感じたシャーリーは首を捻って、尋ねた。

「完治? ……あの、父の身体はまた動くようになるんですか?」

 思い出すのは、とある兄妹の片割れの事。

 動かせなくなった原因も症例も違うから一概に同じとは言えないが、あの二人を身近に知っていたシャーリーは父の左半身は二度と動かないのものだと勝手に思い込んでいた。

 だが、そんなシャーリーの疑問に、担当医は、ええ、と頷く。

「ブリタニアの医療技術は、ここ数年で飛躍的に発展していますので。難しい治療にはなりますが回復の見込みは十分にありますよ」

 皮肉な事であるが。

 ブリタニアに端を発した戦火が世界中に飛び火し、燃え上がるにつれ、数を増やしていく負傷兵をより多くより早く戦場に送り返さんとブリタニアの医療は尻に火が付いたようにその技術を大きく発展させていた。

 尤も、そんなブリタニアの医療でも件の治療は最先端技術である為、治療出来る人間はブリタニア本国にも数名とおらず、治療費も貴族御用達かと思う程、膨大であるのだが。

「スペイサー公爵の方から治療費に関しては心配いらないと連絡を受けています。それと……」

 そう言うと、担当医はジョセフに関する検査結果等をまとめたファイルから、封蝋の施された真白い便箋を抜き取ると、シャーリーの母親に手渡した。

「同じく、公爵からです。とあるインド人技師への紹介状だと仰ってました」

「インド人技師……?」

 何故インド人の技術者が? と思う母親に担当医が説明する。

 曰く、その科学者は一時期医療サイバネティックスの分野を賑やかした、かなりの傑物であると。

 戦争が始まって久しく名前を聞く事はなかったが、助力を得られれば、ジョセフの治療の大きな助けとなるだろうと担当医が説明すると、シャーリーの母は受け取った紹介状を大切そうに握り締め、そっと目を伏せる。

 どこまでも援助の手を伸ばしてくれる、とある貴族に感極まる母親を横目にシャーリーは名前しか知らない貴族の事について考えると複雑、……もとい不機嫌そうにそっぽを向いた。

 

 それは、突然の出来事だった。

 ジョセフが事故に巻き込まれて、数日。病院で担当医からジョセフの容態について話を聞いていた母親の元に、スペイサー公爵の遣いと名乗る人物が現れたのだ。

 一庶民には、縁もゆかりもない貴族。その遣いの突然の登場に面食らう母親をよそに、遣いの青年は公爵がジョセフの参加していた事業を取り仕切っていた人物であると説明すると、巻き込んでしまった責任としてジョセフが完治するまでの治療費の全額を負担する事を強引に取り付け、向こう数年、フェネット一家が豪遊しても使い切れないだけの額が書かれた小切手を置くと、驚きから回復した母が何か言うのも聞かずに、あっさりと去っていったという。

 おかげで、主収入を失った今でもシャーリーも母親も以前と変わらない暮らしが出来ている訳だが、その話を聞いた時、シャーリーは感謝よりも先に呆れてしまった。

 足長おじさんでもあるまいし、たかが一般人の不幸にここまで親身になる貴族なぞ、広い帝国を探しても()()()()()()()()()

「………………ばか」

「何か言ったかしら?」

 どこぞのあんぽんたんの心情に、ついつい小言が口を突いて出てしまったシャーリーは、何でもない、と慌て気味に手を振って否定する。

「大丈夫? やっぱり、タクシーを拾った方が良いかしら?」

 病院からの帰り道、モノレールまでの道を数歩先に歩いていた母親は、その歩数分、娘の方へ歩み寄ると薄闇を掻き分けるように顔を覗き込んだ。

「平気。それにタクシーじゃ、いつ家に帰れるか分からないもん」

 苦笑を浮かべ、誤魔化すように顔を車道の方へ向ける。

 時刻は既に夜の手前。夕闇に浮かぶ車のヘッドライトが蛇のように車道を埋めつくし、右から左へ見えなくなるまで途切れる事なく続いている。

 もう夜に差し掛かろうとする時間帯になっても一向に減る気配のない交通量。大型連休もかくやのこのうねりに巻き込まれれば、帰り着くのは日が変わる頃になってしまうだろう。

 そう言い訳しつつ、心配しないで、と念押しすれば、一応は納得したのか母親は再び家路を歩き出す。

 ……尤も、娘を心配してか、今度は二人並ぶようにだが。

「お父さん、良かったね」

 二人して黙々と歩く事に耐えかねた訳ではないが、何となく思った事を口にしたシャーリーに、母は、ええ、と頷く。

「………本国に帰るの?」

 少しだけ、言葉が喉に引っ掛かった。

 ジョセフが完治する為には、ブリタニアでも最先端の治療に掛からなければならず、その治療を行える人物が本国にしかいないとなると、必然的に答えは決まってくる。

 だが、そうなると。

 そうなれば…………。

「そうね、……貴女はどうしたい?」

「え?」

 まさか、この選択で話を振られるとは思っていなかったシャーリーは、少しばかり困惑した様子で隣を歩く母親の横顔に質問の意図を求める。

「先方の事情にもよるけど、今は何かと慌ただしいでしょう? あの人だって、動かせるまでに体力が戻るには時間が必要でしょうし。なら、貴女の卒業までは此方でリハビリに励んで、それから本国に戻っても良いかと思って」

 つい最近、遂に独立を果たした日本の影響で、元エリア11におけるブリタニア人の国内外への出入りは激しくなっていた。

 ゼロがトウキョウ租界を占拠していた時は、彼の策略と他エリアや本国の情勢不安から中々腰を上げるブリタニア人はいなかったが、完全に独立し、ブリタニアの属国でなくなるとなれば、流石に先行きに不安を覚えるのだろう。

 日本を離れ、本国に戻ろうと考えるブリタニア人は、その数を増しつつあったが、逆に、先の国内情勢で貴族やエリア総督府の暴走、クーデターやテロに見舞われた人々の一部が、比較的情勢の安定している他エリアや日本へ逃げ場を求めて入って来ている事もあり、現在、日本国外へ通じるルートはどれもパンク状態に陥っていた。

「それも貴女が卒業する頃には落ち着いているでしょうし。確か、大学は本国のを希望していたわよね?」

「え? あ……、うん」

 そうだった、と、シャーリーは遠い昔のように思える記憶を引っ張り出す。

 思い起こすのは、かつて書いた進路希望の調査票。まだ父や彼の事を知る前に書いたそれの第二、第三希望には、確かに本国にある大学の名前を書いた記憶があった。

 とはいっても、特に思い入れや志望動機があった訳ではない。単純に自分の学力で行ける一番良い大学だとか、水泳で有名だとか、その程度の理由だった。

 ……ちなみに、第一希望が空白だったのにも特に理由はない。

 単に、彼の志望する大学が何処か分からなかった。それだけ。

 そう。それだけだ。

 (それ)だけを理由に、彼女は自分の進むべき(みち)を定めたのだ。

 昔も、…………今も。

「シャーリー?」

 唐突に足を止めた娘に、数歩進んで足を止めた母親が訝しげに呼び掛ける。

「……お母さん」

 固く結んでいた唇を緩めると、代わりとばかりに肩に下げた学生鞄の持ち手を両手がきつく握りしめた。

 気持ちがせめぎ合う。娘としてのシャーリーが、言ってはならないと首を横に振っている。

 だって、あんなに泣いていたのに。小さな背中が、更に小さくなる程、憔悴し窶れたのに。

 そんな母に、更に重荷を背負わせるのかと。漸く父が意識を取り戻したばかりの母に、更なる苦労を押し付けるのかと。

 これ以上、母を家族の事で泣かすのかと。

 母を、家族を想う自分が、自分勝手な自分を責め立てる。

 言われなくても分かってる。一番近くにいたんだから、一番よく分かっている。

「……………お母さん」

 だけど、でも、それでも、なのだ。

 それでも、この胸を燻る想いに目を背けたまま。

 誰もが抱くこの熱を、誰もと同じように吹き消して。

 賢しく大人になる(歩む)事が、今の自分にはどうしても出来なかった。

 

「相談したい事が、あるの」

 

 

 

 

 

「どっ、こいっ、せっ、と!」

 どさり、と両脇に抱えた荷物を下ろし、淑女にあるまじき台詞と行儀の悪さで、ミレイはソファに腰を下ろした。

 場所は東京に位置する、何処ぞに雲隠れしたとある貴族が残していった貴族邸。

 持ち主不在から日本政府に接収され、その後、ユーフェミアが親善大使に任命されたのを受けて、ブリタニア大使館として改修される事が決定した旧貴族邸の応接間の柔らかいソファに身を沈めたミレイは、大荷物に強張った肩をトントンと叩くと、んぁぁぁ、と変な声で呻いた。

「はー、ちょっと前までならこれくらいの荷物、どうってことなかったんだけどなぁ……、あーあ、私も年かなぁ」

「何言ってるの、ミレイちゃん……」

 言葉とは裏腹に機嫌良さそうに伸びをするミレイの様子に呆れながら、ニーナは持ってきた冷たい飲み物をミレイの前に置くと、大きめのテーブルを挟んだ向かいのソファに、ちょこんと腰を下ろした。

「ごめんね? ミレイちゃんも忙しいのに、わざわざ来て貰っちゃって……」

「へーき、へーき。最近、息が詰まる事が多かったから、丁度、息抜きしたいと思ってたところだし。それに、久しぶりに友人の顔も見ときたかったし?」

「うん……、ありがとう」

 ちょっと前までは、毎日、嫌でも顔を合わせる間柄だったのに、今ではこうして会おうと思わなければ会う事もない。

 広がってしまった距離を改めて感じて、少し寂しく思うニーナだったが、変わらない友人の明るさと温かさにはにかむと、照れを隠すように自分の飲み物に手を付けようとして、―――言わなければいけない言葉がある事を思い出した。

「それと、遅れちゃったけど……、卒業おめでとう、ミレイちゃん」

「――――ん。アリガト」

 つい先日。

 一般の卒業シーズンから遅れに遅れて、ミレイ・アッシュフォードは通い慣れた学園を卒業した。

 学園占拠に、首都占拠。後に、世界すら巻き込んで吹き荒れる大嵐に一番最初に巻き込まれ、一時は休校も余儀なくされたアッシュフォードだったが、教職員含め生徒に被害はなかった事もあり、巻き込まれた事件の割には早く学園を再開させていた。

 その為、大半の生徒は補習枠を使い、本来の日程に間に合いこそしなかったものの、そこまで遅れる事なく卒業していく事が出来ていたのだが、諸々の事情であちこちを駆けずり回っていたミレイは、この時期になって漸く出席日数に目処が立ち、先日、青髪の男子生徒に惜しまれながらも、晴れて愛しい学舎を巣立っていった。

「ホントなら卒業式に行きたかったんだけど……」

「ああ、良いわよ、そんなの。卒業式って言っても、ただ卒業証書を渡されて終わりのつまんないものだったし」

 ケラケラと笑いながら、ミレイは用意された飲み物に口を付ける。

 そもそも、式と呼ぶのも烏滸がましいだろう。

 何せ、卒業生は自分一人で、卒業証書も学園長室で学園長から手渡されただけ。

 その学園長も、出席日数を満たす生徒が現れる度に繰り返される行程に辟易していたのか、読み上げる声も手渡す動作も機械的で、もはや作業と呼んだ方が良い感じであった。

 正直、どうしてもと言って参加してくれた生徒会の可愛い後輩二人と、彼等の盛大な拍手がなかったら、感慨すら浮かばなかったであろう。

 今、思い返してみても、胸の一つも震えやしない。

 そんな自分の卒業に立ち会わせても、ただ時間を浪費させてしまうだけだ。

 そう思う。思うが……。

「……うん。やっぱり、来て欲しかったかな」

 不意に過った面影に、自然と想いが零れ出た。

 あそこに皆が居てくれる、そんな光景を夢想したミレイはしんみりとグラスの中の氷をかき混ぜ、―――何を口走ったのかに気付いた。

「―――って、私の事はいーのよッ!!」

 赤く染まった顔を誤魔化すように、ストローを取って中身を一気に飲み干すと、空のグラスをテーブルの脇に叩き付ける。

 そして、ふん、と鼻息荒く、持ってきたトランクケースの一つをテーブルの上に載せると、ロックを外して中身を広げた。

「ちょっと前に着ていた物だから、少しデザインは古いかもだけど、質は保証するわ」

 そう言って、身体に宛がいながらミレイが広げて見せたのは、桜色の綺麗なパーティードレス。

 ピンクのシルク生地にレースの刺繍が入った、スカートの裾が白波のように白くふわりと靡くドレスは触り心地も一流で、ミレイから受け取ったニーナは、その滑らかさから、うっかり床に滑り落としそうになった。

「とりあえず、着れそうで似合いそうなの片っ端から持ってきたんだけど、……うん、大丈夫そうね」

 檸檬色、若草色、水色、紺色。

 次々と多種多様なドレスをニーナの身体に宛がい、ミレイは満足げに頷く。

 袖や胸元は少し詰めなくてはいけないが、概ねサイズを外さなかった自らの眼力に、流石は私! と胸を張ったミレイは皺になるのも構わずに、次から次へと慌てるニーナの腕にドレスを積み重ねていく。

「それとヒールと、後、必要になるかもと思ってコルセットとか。一応、一通り揃えておいたから」

 それはアッチね、ともう一つのトランクケースを指差し、つい、とその隣の鞄に綺麗に伸ばした指先を移す。

「それで、あっちに入ってるのが頼まれていたマナーの教本。それと紅茶指南書に、ダンスのレッスン書。あ、あと、シャーリーが良ければってメイク本くれたから、それもね」

「わ、わ……、一杯あるね」

 どさどさ、とテーブルの上に積み重ねられた書物の数は、ざっと数えただけでも三十以上はある。

 マナー本だけでもビジネスで初級から上級、そこに社交編にロイヤルマナーと複数あり、ダンス本に至ってはジャンル毎に細かく分かれている為、更に数が多い。

 自分で頼んでおいてなんだが、この本の山を全て読破出来るか、ちょっぴりニーナは不安になった。

「凄いなぁ。ミレイちゃんも、ユーフェミア様も。こんなに沢山色んな事が出来るんだから」

「まあ、私達にとっては嗜みみたいなもんだし、小さい頃から少しずつ身に付けていったからね。……だから、今から、それも独学でとなると、結構しんどいと思うわよ?」

 大丈夫? と言って、ミレイは両手でニーナの顔を挟み、自分の方へ向かせる。

「……顔色悪い。それに、酷い隅。今だって、大分無理してるんでしょ?」

 ずばり、自分の体調を言い当てられ、ニーナは誤魔化すように、えへへ、と笑う。

 日本政府の人材不足が原因か、何処かの兄の差し金か。もしくは、ユーフェミア自身が勝ち取った成果か。

 親善大使という名の人質。鎖を付けられ、改めて日本という国に押し込められたユーフェミアだったが、重要な手札の割に特に行動に制限を受ける事なく、むしろ前よりも増えた仕事に従事する日々を送っていた。

 その役目は、変わらずの折衝・仲介役。

 様々な理由から日本に残ると決めたブリタニア人と、ナンバーズとしての立場から本来の権利と自由と名前を取り戻した日本人。

 遺恨が残りまくる二つの人種を噛み合わせるには、優秀な緩衝材が必要だった。

 実際、ユーフェミアの存在は大きかった。特に、圧倒的なまでの情報収集能力と情報解析能力を持つゼロとの組み合わせは強力で、彼女の仲立ちのおかげで本格的な暴動に発展する前に鎮火した問題も多い。

 ユーフェミア自身、場数と成功を重ねて自信が付いたのか。

 持ち前の行動力と度胸、人柄とゼロに苛め抜かれ、鍛え上げられた才覚を存分に発揮して、あらゆる方面で成果を出し、活躍の場をどんどん広げていた。

 だが、そうなってくると、やはり人と、――立場の高い人間や上流階級の人間と交流を持つ場面が多くなってくる。

 加えて、ユーフェミアは肩書きとして与えられた親善大使としての仕事もこなすつもりでいるので、尚更機会は増えるだろう。

 そんな彼女の隣に立つ為には、いや、それがなくとも、これから先もユーフェミアの力になるつもりなら、礼儀作法や社交界の定石を身に付けなければならない。

 そう思ったからこそ、ニーナはミレイに助力を求めたのだ。

 だから。

「無茶かもしれないけど……、でも、私、決めたから。この道を歩くって」

 無茶も無謀も重々承知。

 それでも、ユーフェミアに付いていくとニーナは決めたのだ。

 罪の重さと現実の非情さにのたうち回るあの人を、全身全霊で支えようと決めたのだ。

 なら、こんなべっこで弱音を吐いていられない。

 そう心情を吐露するニーナの笑顔は昔のまま弱々しかったが、昔とは違って輝いているようにミレイには見えた。

「全く……、敵わないわね」

 あの夜を共にした中で、一番最初に足を踏み出した仲間の成長した姿に苦笑する。

(こりゃ、私も負けてらんないわね)

 あのニーナが、と思うと少々置いていかれた感があるが、それが逆に励みになった。

 気持ちを新たに、うん、と気合いたっぷりに頷けば、ニーナの頬を挟む手首に巻かれた時計が目に入った。

「あり? もうこんな時間なの?」

 まだ大して話もしていないのに、気付けば時間が差し迫っている事に唇を尖らす。

 出来れば、もう少し話をしていたいが、遅れたら遅れたで、ごちゃごちゃ言われそうなので諦める。

 全く。

 少しでも自由に動ける時間を確保する為に、祖父に頼んで()()()()()()()()()()()()()()、そのせいで時間が潰れては話にならない。こちとらタイムリミットも迫っているのに、何が悲しくてする気もない見合い話に耳を傾けなくてはならないのか。

 失敗したなぁ、と疲れた顔でこっそり呟き、それから笑顔を作るとミレイはニーナに手を合わせた。

「ゴメン。時間なんで、私、行くわね」

 慌ただしくてごめんね、と拝めば、ニーナは、ううん、と首を振る。

「こっちこそ。ありがとう、助けに来てくれて」

 変わらず頼りになる友人の行動力と好意に破顔し、腕の中のドレスを見せるように持ち上げる。

「じゃあ、暫く借りているから―――」

「ああ、良いわよ。あげるあげる」

「え、……って、えぇッ!?」

 あっけらかんと言い放たれた言葉に、変な声が出てしまう。

 目を白黒させながら、腕の中のドレスを見て、ミレイを見て、わたわたと口を開く。

「そんな、受け取れないよッ、私………!」

「良いから良いから。…………どうせ、私が着る事は、()()()()()()()()()、さ」

「――――? ミレイちゃん?」

 違和感を、覚えた。

 長い付き合いだから分かる、微かな齟齬。言葉の引っ掛かりに驚きも忘れて、名前を呼ぶ。

 確かに、少し前に着てたというなら、もうサイズも合わないだろうし着る事もないだろうが、何故かそういう意味ではないように思える。

 それは、もっと……、行為そのものを過去にしたような―――?

(そういえば、髪型………?)

 自分の事で一杯一杯だったのと、お洒落に関しては無頓着だった為、気づくのが遅れたがよく見ればミレイの髪型が今までと違う。

 前よりも大人びたイメージ。ドレスを着て社交界で踊っているより、スーツを着こなして颯爽とあちこちを飛び回っている方がしっくりくるような髪型に、ニーナの違和感が強くなる。

 だから、だろう。

 そんな事を口走ってしまったのは。

「ミレイちゃん……、何か企んでる?」

「―――――――」

「ひぅ…………ッ」

 うっかり聞いてしまった己の愚かさが恨めしい。

 ミレイは笑顔だった。とんでもなく笑顔だった。

 その笑顔をニーナは知っている。思い出すだけで身体が震えるくらい、よく知っている。

「それじゃ、またね♪」

 汗をダラダラ流しながら、小刻みに震えるニーナを置いて、ミレイはご機嫌な様子で手を振ると、すたこらと部屋を出ていってしまう。

 残されたニーナは動かない。もとい、動けない。

 当たり前だ。だって、あの笑顔は地獄への片道切符だ。

 長い付き合いでなくとも、生徒会役員なら誰でも分かる。生徒会長がその笑顔を浮かべたら、生徒会役員はとんでもなく苦労させられて。

 

 

 優秀な副会長が頭を抱えるんだ。




 リヴァル「(そろそろ女難が)行くぞ、ルルーシュ。胃薬の貯蔵は十分か?」

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