コードギアス ~遠き旅路の物語~   作:アチャコチャ

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 遅くなりました。出来れば一ヶ月以内に投稿したかったのですが、二月は空中庭園でチョコ量産したり、マンションで立ち退き要求除霊したり、どうして空は蒼いのかと悩んだりしていたもので……。はい、スミマセン。

 ※今回、双貌キャラが少しばかり出てきます。とはいえ、ゲストのようなものなので、知らない方はそんな人もいるのね、くらいに思っておいて下さい。


PLAY:19

 カチャリ。

 

 歯車が音を立てる。

 

 

 切れ間一つない曇天が、空を覆っている。

 熱病に侵されたように活気に溢れ、行き過ぎた自由が闊歩していた街並みが、灰色にくすんでみえるのはこの空模様のせいだろうか。

 常春の都、栄華の象徴、世界の中心。

 以前ならば、十人中十人がそう答えただろう。だが、果たして今はどうか。

 そんな、最近、雰囲気が変わり始め、落ち着かない空気が流れつつある、帝都ペンドラゴンで、一人の男が人目を避けるように街の中を通り過ぎていこうとしていた。

「聞いた? エリア11のあの噂……、やっぱり本当みたいよ」

「ああ。ネットでも上がってる。嘘も混ざってるかもだが、ヤバイのが多いぜ」

「動画も上がってるぜ。動画見たけどエグすぎ。数秒でトイレに駆け込んだわ」

「動画? 流石に捏造でしょ? そんなものある訳ないじゃん」

「それ、本物らしいぜ。貴族がコレクションとか言って、撮影してたって、もっぱらの噂。しかも、本国の貴族」

「マジかよ……、やっぱ、イカレてんじゃん、貴族」

「ナンバーズも悲惨だな。……まっ、オレには関係ないけど。だって、ブリタニア人だし」

 噂話が聞こえてくる。

 深刻に見えて、何処か無責任に思える発言にしかめた顔を帽子で隠しながら、男は一つの雑居ビルの中に入っていく。

 キィィ、と正面玄関の扉が閉まる。中と外が隔てられ、外の喧騒が遠のく。すん、と鼻を鳴らせば、カビ臭さが鼻腔を通り抜けた。建物自体は古くない。しかし、戦争による繁栄で次々と目新しい建物が乱立するペンドラゴンでは、数年で人気が失せるビルなど珍しくもなかった。

 カ、カカン、カ、カン。カ、カカン、カ、カン。

 コンクリートの色が目立つビルの廊下に、男の靴音が寒々しく響く。規則正しいとは言えない、スキップでも踏んでいるかのような不規則な足音を立てながら、男は廊下を進んでいく。

 乱れた歩き方の割りに、真っ直ぐな足取りで、とある部屋の前まで来ると、男はピタリとその足を止めた。

 ノックはしない。必要はなかった。人気のないビルに響いた特徴的な足音がノックの代わりとなり、()()()となっていた。

 数秒、待つ。カチャリ、と小さく音がしたのを確認すると男はドアノブに手を掛けた。

 

「確認してきた。エニアグラムはもう本国にはいない」

 廊下と同様、部屋の中も殺風景だった。

 元は店舗か何かが入っていたのか、間取りは広く取られているが、それが却って、部屋の寂れ具合を助長させて、ひどく物悲しい気持ちになる。

 部屋にいたのは、広い部屋の割りに僅か数人。

 申し訳程度に置かれた破れて中身の綿が飛び出しているソファに腰を下ろし、テーブル代わりに置いたのか、段ボール箱の上のショットグラスの中身を舐めるようにちびちびと飲んでいた。

「コーネリア皇女は?」

「まだ本国にいる。だが、エリア方面を抑える為に近日中にはそちらに発つようだ」

 仕入れてきた情報を話しながら、男もソファに腰掛けた。ふう、と一息いれながら、コートの前を開く。コンクリート築の部屋は、冷気が厳しく脱ぐ事はしなかった。

「ほらよ」

「すまない」

 部屋にいた男の一人が差し出したグラスを受け取る。とぷとぷ、と注がれた鮮やかな色の液体を男は一息に煽った。

 喉を通った瞬間、カッ、と燃えるように身体が熱くなる。

「お、良い飲みっぷり」

「相変わらず、酒に強い奴だな」

 はは、という笑い声が上がる。懐かしい雰囲気、変わらない空気。何時だって、この空気が自分を温めてくれた。

「……そちらはどうだった?」

 胸に込み上がる哀愁を振り払うかのように話題を切り出すと、仲間の一人が何とも言えない表情で答えた。

「……あの男の言っていた通りだった。コーネリア皇女に加えてラウンズまで現れたのが効いたようだ。軍は尻尾を見せた貴族の動向を追うのに必死で、此方に見向きもしない」

「タレイランの翼の残党とも接触出来た。連中もこのまま終わりたくはないとさ」

「各地の反貴族派や反シャルル派の主義組織とも連絡が取れた。俺達が本気で行動を起こすつもりなら、こぞって参加すると言っている」

「そうか……、これで一応形にはなった訳だ」

 小さな点と点が繋がる。かろうじてではあるが、線となった手応えは、成果を実感するには十分だった。

 はぁ、と疲れとも安堵とも取れる溜め息が白い息となって男達の間に広がる。ふと、視線を落とせば、グラスの底に僅かに酒が残っているのが見えた。一舐め程度だが、重くなりそうな口の潤滑油とすべく、舌の上に滑り落とす。

「……で? やる、……で良いんだな?」

「ああ」

 空になったグラスを段ボールの上に置く。口の中を満たしたアルコールの刺激が、彼の口から決定的な一言を押し出した。

「この混乱が、いつまで続くか分からない。今を逃せば、行動を起こす機会は二度と巡ってこないかもしれない」

 

 主義者、と呼ばれる者達がいる。

 国是の批判、現社会体制への反感、戦争の是非。細かい理由は多岐に渡るが、反社会的な主義主張を抱く者をブリタニアでは、一口にそう呼んでいた。

 同時に、蔑称でもある。

 表面上は、上手すぎる程に上手く回っているブリタニアで、主義者の主張は偽善と蔑まれ、また現在の社会体制、――つまりは貴族社会を否定するような言動は貴族達に睨まれ、突き詰めていけば、現状を促した現皇帝シャルルへの不敬と取られかねないため、今日まで彼等の考えが世間に浸透する事はなかった。

 しかし、消える事もなかった。

 声を大にする事は出来ずとも、潜在的主義者と言える存在は、ブリタニアの繁栄の影に隠れた歪みが大きくなればなるほど、広大な国に撒かれた砂粒のように、点々とあらゆる場所で息づくようになっていった。

 学生、報道関係者、企業人。

 そして、軍人………。

 

「このままでは、この国は終わる」

 固い表情のまま、熱のある言葉を吐き出した男に、他の者達も黙って頷く。

「他国から富を奪う事に味を占めて、そればかりに夢中になり、自分達の足元を見ようともしていない。軍拡に伴い横行する軍の専横。貴族達の常軌を逸した行い。自分達の身近に闇があるというのに、殆どの市民は危機感も抱かずに、他人事のような感想ばかり口にしている」

 今のブリタニアは、まるで風船である。

 何も考えずに、(空気)を入れ過ぎて、パンパンに膨らんだ風船。

 膨らみ過ぎた風船が、どうなるのか。

 それは、子供にも分かる事だ。

「だというのに、皇帝は何もしない。搾取されるのは弱いからだと無責任な台詞をほざき、国を省みようともしない」

 よくある話である。

 貴族出の指揮官が功を焦るあまり、無謀な作戦を敢行。孤立した戦場から逃げ出す為に、平民の軍人を捨て石に戦地から逃げ帰る事など。

 自らの失態の責任を全て下級士官に押し付け、罪を免れようとする事など。

 そして、生き残った者達が死罪を覚悟で皇帝に直訴し、しかし、些事であると冷たく切り捨てられる事など。

 よくある話なのだ。

 でも、そのよくある話のおかげで男は気付けた。

 この国の王が、民の事を本当は何も考えていないと。

 弱者なんて存在(ブリタニア人)は、何処にでも存在する(強者なんかではない)のだと。

 気付いた。――気付いてしまった。

 だから、この国の目を覚ましてやらなければならないと思った。

 そう――…

「誰かが声を上げねばならない。ユーフェミア様やウィルバー・ミルビルのように」

 後ろ指を指されようと臆する事なく、イレブンとの平等を説いたユーフェミア。

 若手将校を率い、自らをブリタニアという国の喉元に突き立てる刃とする事で、国防の甘さを訴えたウィルバー。

 共に方法は違えど、ブリタニアに背いた者達である。

 男も、彼女達のようになりたかった。

 この国は間違っていると、いい加減目を覚ませと平和ボケした奴等の横っ面をぶん殴ってやりたかった。

 でも、男には力がない。

 ユーフェミアやウィルバーのように、社会的地位も権力もない、唯の平民出の軍人である。

 幸い、仲間はいたが、それも数名。いくら、現在本国の戦力が手薄だと言っても、これでは羽虫の羽音よりも小さな声を上げるだけで終わるだろう。

 

 そこに奇跡が介在しなければ。

 

 キン、とボトルとグラスがぶつかる音が響く。

 空になっていたグラスに、再び酒が注がれ、半分以上まで減ったボトルが、トン、と段ボールの真ん中に置かれた。

「少し残っちまったか」

「勿体ないな。飲みきっちまおうぜ」

「だな。もう飲めるとも思えんしな」

 馴染みのある空気が肌に触れる。死を当然のように受け入れながら、しかし、その恐怖を笑い飛ばせる軍人特有の空気。

「しっかし、最後に一矢報いれれば、と思っていたが、まさかな」

「ああ、正直、軍人崩れの俺達に協力してくれるもの好きなんていないと思ってたぜ。……奇跡サマサマだな」

 そう言って、仲間の一人が段ボールの上、無造作に広げられていた紙の一枚を手に取った。

「もう存在が知られている組織はともかくとして、まだ旗揚げ前の組織や、個人でひっそりと活動している主義者のリストアップなんて、どうやったんだか」

「さぁな。ひょっとしたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「まさか」

 思い付きの軽口が仲間の内から溢れ、その有り得なさに皆が声を上げて笑う。つられて、男の口元にも笑みが滲んだ。確かに有り得ないと思う。本当に、そんなことが出来るなら、どう転ぼうがブリタニアの未来は真っ暗だ。

 でも、だからこそ、今は頼もしかった。

「おい、どうした? 気分でも悪いのか? 全然飲んでねぇじゃねぇか」

 手に取ったまま、何時までも口を付けない男の様子を訝しんだ仲間の一人が問い掛けてくる。

 いつもは人一倍飲むくせに、と続いた小言に苦笑しながら、いや、と男は首を横に振って、思い付いた事を口にした。

「その酒……、今度に残しておこう」

 顎をしゃくり、段ボールの上のボトルを示す。

 次なんてないだろう、と皆が思い、だから、ここで飲んでしまおうと思っていた酒を。

「折角、奇跡が味方してくれたんだ。最後まで肖ってみようじゃないか」

 もう一度、全員で酒が飲める。そんな奇跡を信じてみようじゃないか、と言いながら、男はグラスを掲げた。

 その発言に、ポカン、とする仲間達。だが、直ぐに苦笑したり、大きく笑い声を上げると、楽しそうに揃ってグラスを突き出した。

「んじゃ、……戦友(とも)に」

「国に」

「同志に」

「仲間に」

「…………奇跡に」

 

 キキィ…ン、と。

 澄んだ硝子の音が部屋の中一杯に響き渡った。

 

 

 カチャリ。

 

 歯車が音を立てる。

 

 

 

「――ズ、オーズッ!」

「ッ」

 突如として、意識に割り込んできた明るい声に反応して、反射的に身体が跳ねた。

 よっぽど、明後日の方向に意識が出掛けていたのだろう。戦場において、爆音が響こうが指一つ震えない身体が、其処らの少女のようにびくんと跳ね上がり、手に持ったペンが書きかけの報告書に盛大な心電図のグラフの如き鋭角を描いた。

「あぁ……、折角ここまで書いたのに……」

 ただ整備士に渡すだけの報告書ならいざ知らず。まだ試験運用中の域を出ない次世代機に関わっている以上、知らない人の目に触れる可能性が高い。

 であるならば、マリーベル・メル・ブリタニアの筆頭騎士としては、みっともないものは提出出来ないし、したくない。

 書き直しだぁ、と机に突っ伏したオルドリンは、ぐぐっと引き締まった細い腕を、まっさらな用紙に向けて伸ばした。

「あ、や、えぇと………、ごめん?」

 悪気はなかった、というか、寧ろ心配して声を掛けた事が逆に裏目に出てしまい、気まずそうにソキアが謝罪を口にする。

「気にしないで。ぼんやりしていた私が悪い」

 謝罪に笑顔で返答し、気を引き締める為にピシャリ、と頬を両手で叩く。

 そうして、むん、と気合いを入れ直して再び報告書に向き直るオルドリンだが、暫くするとまた同じように筆の進みが鈍くなり始める。

「オズ……、その、差し出がましいようですが、体調が悪いのなら医務官に診て貰った方が………」

 ソキアと同様、明らかに集中力を欠いているオルドリンの様子を見かねたレオンハルトが驚かせないように静かに声を掛けると、そうだな、と賛同する声が隣から上がった。

「疲れているなら休んで欲しい。マリーベル様がいない以上、指揮官である君の不調は、そのまま部隊の生存率の低下に繋がる」

 最後にティンクが諌める。落ち着きのある性格から声の起伏が少ないせいで淡白に感じられるが、そこにある厳しさと優しさは、しっかりとオルドリンには届いていた。

「ごめん、でも、大丈夫。疲れている訳じゃないの」

 度重なる出撃に遠征。そして、報告書の山。

 休む暇がない程に多忙なオルドリンではあるが、ぼんやりしていたのは疲れているからではない。

「ちょっと思う事が、ね。いけないと分かってはいるんだけど、色々考え過ぎちゃって」

 淡く笑みを浮かべ、椅子の上で身体を伸ばす。強張っていた身体から力が抜けていく感じに合わせて、オルドリンの唇から、ふう、と物憂げな息が零れた。

 その様子から、オルドリンの物思いに耽っていた理由を察したレオンハルトが困ったように眉を寄せながら、口を開いた。

「無理もないです。最近は色々ありすぎましたから」

「……だね。私でさえ、色々と考えちゃうもん」

 ギッ、と音が鳴る。元競技者として、人の目に映えた長い足が床を蹴り、その度にゆらゆらと揺れる椅子の上でソキアもまたぼんやりと天井を見上げた。

「……私はさ、まあ、今は他にも理由はあるけど、元々は前みたいに皆がKMFリーグを楽しめるように、って思って騎士団に入った訳じゃん」

「ソキア?」

 唐突に、ぽつりぽつりと呟きだしたソキアに訝しげな表情を向けるレオンハルト。

 他の二人の視線も集まる中、ソキアはかつての情景に思いを馳せる。

 血と硝煙ではなく、汗と歓声。

 生死を懸けた戦場ではなく、純粋に勝ち負けを懸けた競技の中で躍動するナイトメア。

 何の不安もなく、皆が楽しみ、熱狂したその光景は、今はもう何処にもない。

 活発化するテロに、人々の中には常に不安と恐怖が付きまとい、激化する戦争によって、ナイトメアはただの兵器として塗り固められていった。

 そんなのは嫌だった。記憶の中に消えていこうとしているその光景を、もう一度、現実に引っ張り出したいと思った。

「だからさ。騎士団に入って、テロをなくして、全部のエリアが平定されたら、また、皆が楽しめるようになるって思ってた」

 そこで一際強く床を蹴る。後ろに倒れるのでは、と思う程に傾いた椅子は、しかし、後ろに倒れる事なく数秒間、奇跡的なバランスを保つと勢いよく前へと戻っていく。

「けど、さ」

 前へと戻る椅子の勢いに逆らわなかったソキアの身体が前に折れる。俯くように、今度は床に視線を落とした彼女の口から続く言葉は出てこなかった。

 しかし、それでも何を言おうとしていたのか、此処にいる全員が分かっていた。

 エリアを平定する為にテロを無くす。だが、エリアを混乱させているのはテロリストだけなのか。

 無関係な人を傷付け、無用な血を流し、命を奪う行為をテロと呼ぶのなら、貴族達の、いや、ブリタニア人のナンバーズに対する仕打ちは何と呼べば良いのか。

 皆が楽しめるように? なら、その皆とは何処から何処までを言うのか。

 テロが蔓延する、そんな世の中にしてしまったのは、果たしてナンバーズか、それとも――……?

 そんな考えが、その華奢な身体に渦巻いているのを語られずともオルドリンには分かった。

 いや、オルドリンだけではない。レオンハルトもティンクも。

 おそらく、真っ当な正義と信念を掲げ、それを貫いてきた軍人であれば、誰もが同じ苦悩を抱え、苦しんでいる事だろう。

 倫理に悖る行いを犯している者達と同じ側に立っている事に。

「それでも」

 それを理解した上で、レオンハルトが口を開く。それでも、と。

「それでも、テロは間違っています。確かに大元の原因は僕達ブリタニア人の身勝手な振る舞いのせいなのかもしれない。でも、それはテロという行いを正当化して良い理由にはならない」

「……そうだな。ナンバーズの怒りは当然かもしれん。主義者が今の国の在り様に嫌悪を覚えるのも分かる。だが、彼等の行いは自分で自分の首を締めているだけだ」

 軍や貴族の非道も事実なら、活発化するテロリズムによって、他の事に手が回らなくなっているのも事実。

 もし、こんなにもテロが横行していなければ、ブリタニアは内部の自浄に力を注ぎ、貴族の非道や汚職、腐敗の蔓延を見逃す事もなかったかもしれないのだ。

「そりゃ、そうかもだけどさ。でも、結局、ブリタニアが戦争を始めたから、こんな事になってるんだし……」

「ソキア、それは主義者の考え方です。戦争による恩恵を受けている以上、僕達に戦争を始めた事をどうこう言う権利はありません」

 類を見ない程の大国であるにも関わらず、次から次へと兵器、ナイトメア等を造り出せるだけの資源。

 各種行政機関を潤し、軍事力を維持出来る膨大な資金。

 巨大な帝国を不足なく流通する物資、労働力。

 普段は何食わぬ顔で、そんな数多の犠牲の上に成り立つ社会の恩恵を甘受しておきながら、都合が悪い事を突き付けられた時だけ、間違っていると宣う。

 それは正しく偽善であり、恥ずべき行いだ。

 それに気付いたソキアが、苦虫を潰したような顔で口を閉ざし、レオンハルトもティンクも何とも言えない表情で黙り込んだ。

 オルドリンも、また同じく。

 テロは間違っていると、それだけはハッキリと言える。それを止める為に力を振るう事に躊躇いもない。

 だが、間違いを正しているから、正義は我等にありとは口が裂けても言えない。根本的なところで、どうすれば良いのか、その答えがオルドリンには見えない。

 仲間達と同じ悩みを抱え、それに対する答えを持たないオルドリンには、彼等に掛ける言葉が見つからなかった。

(マリーなら、何か言えたのかな?)

 忠義と親愛を捧げた主君は、今、此処にはいない。

 正確にはオルドリン達がいない、と言った方が正しいか。

 各地で頻発する暴動、テロ、友軍の支援に駆り出されているグリンダ騎士団だが、その全てに対応出来るという訳ではない。

 それでも、テロを撲滅せんとする主の願いを少しでも叶える為にオルドリンは、時折、少数で部隊を離れ、本隊で対応しきれなかった問題を対処して回っていた。

(マリー……)

 こうして、ラウンズでもない自分達が単独行動を取らねばならない程に首が回らなくなってきている軍も悩みの一つではあるが、最近のマリーベルの様子もオルドリンの尽きない悩みの一つとなっていた。

 元々、テロの事となると目の色が変わるマリーベルではあったが、最近は更にその傾向が強い。

 昨今の情勢は、確かにマリーベルの心情的に宜しいものではない。テロによって人生を変えられ、テロを憎むマリーベルが躍起になるのも分かる。

 だが、実際に、より多く、一つでも多くと鬼気迫る様子でテロを潰して回るマリーベルの姿を見てしまうと、頼もしさよりも心配が上回るのだ。

 人間、余裕のない状態で、多くのものを望めば、その先に待っているのは大抵が破滅だ。

 テロを憎むあまり、マリーベルの心に魔が差さないか。()()()()()()()()()()()()()()()()()。それがオルドリンには心配だった。

(ちょっと、連絡でもしてみようかな……?)

 考えていたら心配になったオルドリンが、離れて半日も経っていない親友の声を聞こうといそいそと携帯の端末に手を伸ばしかけた時だった。

 ビーッ、という音が艦全体に響いた。どうやら、後少しで次の目的地に着くようである。

「……………」

 伸びかけた手の、その指先がきゅっ、と握り締められた。

 はあ、とがっかりしたように息を吐き出すと気持ちを切り替え、瞳に戦意を宿す。

 悩みはある。迷いもある。気に掛かる人もいる。

 でも、それでも自分はマシな方だとオルドリンは考えていた。

 今回の事に限らず、現実において、何が正しいかなんて、そうそう分かるものではない。それでも、回り続ける現実を前に何の答えが出ずとも動かなくてはならない時があり、何も分からず動けない者だっている。

 その点、オルドリンには足を止める理由はなかった。

 仮に自分達の立ち位置が究極的には間違っていたとしても、剣を手にした理由だけは間違いないと言えるからだ。

 その嘆きを知っている。その涙を知っている。その怒りを知っている。その憎しみを知っている。

 過去に囚われ、かつての業火に焼かれ続ける彼女の心が僅かでも健やかであるようにと。

 人一人の人生をあっさりと狂わすような悲劇が、力なき無辜の民に降りかからないようにと。

 剣に込めたその願いだけは、絶対に間違いではない。――間違いとは言わせない。

 そして――…

「んー、もう到着かー」

「予定よりも大分早いな。まあ、スケジュールが前倒しになった分、グランベリーとの合流が早まったと思えば有り難いか」

「そうですね。此方も中々大変ですが、本隊も随分と無理をしていると聞きます。最近の情勢を考えれば、早めに合流出来るに越した事はないでしょう」

 立ち上がり、座りっぱなしで強張った身体を解しながら、いつも通りの会話をしている仲間達を視界に収め、微笑む。

 どんなに悩んでも、迷っても、こうして自分を信じて、付いてきてくれる仲間がいる。

 それだけで、自分は十分に恵まれているのだ。

「そうね。早く終わらせて、そして、マリーに最高の戦果を持って帰ろう。私達、全員一緒に」

『イエス! マイロード!』

 

 

 そうして、駆け出していく。

 

 何が正しいのか、何が間違っているのか。

 善悪正誤が、今までよりもっと、しっちゃかめっちゃかに成りつつある世界で、今、自分に出来る、正しいと思った事を為す為に。

 

 悲劇が新たな悲劇を生み出さぬよう、その連鎖を断ち切る為に。

 力なき人々を守る。それだけは正しいと信じて……。

 

 

 だが。

 

 

 だが、血を流す悲劇(方法)は何も一つではない。

 世界は、常に守るべき者と守らなくてもよい者が線引きされているようには出来ていない。

 もし、これから先。

 力なき守るべき人々の中から、刃を手にする者が現れた時。

 力がなくとも何かを守る為に、守るべき人々がお互いを傷付け合う時が来た時。

 

 

 彼女の切っ先は、果たして誰に向けられるのだろうか――――?

 

 

 カチ……、リ。

 

 歯車が回る音がする。

 

 

 

「………………」

 ペラリ、と束ねられた書類を一枚捲る。くわえた葉巻を苛立たし気にもみ消し、一枚。また一枚。

「…………クソ!」

 やがて我慢が限界に達した、とあるエリアの総督は一言吐き捨てると、手に持っていた報告書を真横に投げ捨てた。

 報告書を束ねていたクリップが外れ、バラけた書類が紫煙に煙る会議場に散らばる。

「……状況は芳しくはありませんな」

 その様子を黙って見ていたこのエリアを統括する役人の一人が、疲れたように溜め息を吐きながら、そう切り出した。

 それを皮切りに、集まった要人達が次々に報告を行っていく。

「エリア内の事業は、どこも生産効率が落ちてきています。特にナンバーズを多く使っていた採掘業関連は他よりもその傾向が顕著です」

「どの企業も、ナンバーズの雇用条件の見直しに応じる様子はありません。このまま雇用状態の改正がなされなければ、今年度の総生産率は絶望的かと」

「前回、会議に上りましたナンバーズのストライキを支援しているであろう組織の割り出しですが……、駄目です。関連があると思われた団体、会社、企業48件、全てがダミーでした」

 書類でもたらされた報告と共に口頭で述べられる最低の国内事情と全く進まない状況改善の徒労ぶりに、新たな葉巻に火を着けようとしていた総督は、オイルが切れかけて、中々火種を生まないライターごと葉巻を投げ捨て、頭を抱えた。

「……軍の方もよろしくはありません。掌を返した名誉ブリタニア軍人によって戦力は縮小、日増しに拡大していく反抗勢力に、最近は敗走する事が多くなってきています」

「加えて、軍に関しましては、この頃は統制が取れているとは言い難い状態です。例の貴族問題が取り上げられて以降、明らかに貴族将校と一般軍人の間で不和が生じ、足並みが乱れております」

「報道機関の抑え込みも難しくなりつつあります。これ以上、反乱分子を付け上がらせない為に情報操作を試みているのですが、真実を暴こうと暴走しつつある報道のせいで規制すらままなりません」

「その事で貴族から苦情が。周囲を嗅ぎ回る報道関係者が多くて鬱陶しいから、早く何とかしろと催促が」

「同じく、総督府に多く出資してくれている貴族の方達からも最近の規制と取り締まりの強化で、満足に()()も楽しめなくて困っていると連絡が……」

 止まる事なく続く報告を、もう総督は聞いていなかった。

 恐いものをやり過ごそうとする子供のように頭を抱え、ただ呻くばかりである。

「……このままでは、矯正エリアへの格下げは時間の問題かと……」

 最悪の報告は、その言葉を最後に終わりを告げた。

 それは聞こえていたのか、総督はひたすら頭を掻き毟り、苦悶の声を漏らす。

「クソ……ッ、矯正エリアだと? そんなものになろうものなら、私の評価は…………ッ!」

 矯正エリアは、各エリア毎に振り分けられる評価の中で最低のものになる。

 評価が低ければ鞭が多くなり、しかして、高い評価を得るにも犬の真似が上手くなければならないという、ナンバーズにとってはろくでもないの一言に尽きるシステムだが、総督にとっても場合によっては最悪なものになる。

 もし、任されていたエリアが最低の評価を受ければ、総督も躾も満足に出来ない無能という謗りを免れないからだ。

「……何とかしなければなりませんね」

 総督の呻き声だけが聞こえる会議の場に、そんな呟きが溢れた。

 会話の糸口を探しての事か、沈んだ空気を少しでも浮かせようとしたのか。

 誰かが漏らした呟きは、しかし、望んだ結果をもたらしはしなかった。

「そんな事は分かっているッ!!」

 バンッ、と机を叩き、頭を抱えていた総督が怒りの表情で立ち上がった。

「揃いも揃ってクソみたいな報告ばかりしおって!! 芳しくない? 不味い状況? んな事は言われなくても分かっておるッ!! 分かりきった報告ばかり持ってこないで、少しは改善案も一緒に持ってこられないのかッ、この無能どもが!!」

 もはや、言葉を取り繕う余裕もないのか、口汚い言葉を唾と共に吐き出し、どっかりと総督は椅子に腰を下ろす。

 懐を探り、葉巻を取り出そうとするが、先程ライターを投げ捨てた事を思い出し、舌打ちを鳴らすと、トントン、と机を指先で叩き出した。

「………やはり、状況改善を図るにはナンバーズをどうにかしなければならないかと」

 苛立ちを露に、早く何か改善案を出せと言わんばかりの雰囲気を醸し出している総督を刺激しないように、一人が口火を切った。

「ストライキを起こしているナンバーズを国家反逆罪として処刑してみては? 幾らか見せしめに殺せば、奴等も従順になるのでは」

「得策とは言えん。今の状況でそれを行えば、逆にナンバーズの反抗心に火を着けかねない。これ以上、反抗勢力の勢いが増すのは避けねばならない」

「ならば、先にテロリスト共を駆逐しては? 奴等を根絶やしにすれば、ストライキをしている者共も考えを改めるのでは」

「どうやって? このエリアの重要度はそう高くはない。本国からの援軍がいつになるか分からない以上、手持ちの戦力だけでテロリストの駆逐は不可能だ」

「では、軍事力の増強を。いざというときの為にも配備するナイトメアの数を増やすべきです」

「資料を読んでいないのか? まず、金がない。ナンバーズからの税収を得られない今、これ以上軍備に割く余裕は、このエリアにはないぞ」

「………いっそのこと、ナンバーズの条件を受け入れてみれば? ある程度、雇用条件が改善されれば、彼等も納得し、大人しくなるかと」

「企業側が納得しないだろう。ナンバーズは使い潰せるから価値があるのだ。使い捨てられないナンバーズなんぞ、誰が雇うと言うのだ」

「それに、少しでも甘い顔を見せれば、それまでだ。エリア11のように調子に乗って、平等やら自由やらを宣うナンバーズの姿が目に浮かぶわ」

「では、どうしろと!? あれも駄目! これも駄目! それで、どうやって状況を改善しようと言うのです!?」

「そちらがまともな意見を言わないからだ! いい加減な妥協案ばかり口にしてないで、もっと頭を使いたまえ!」

「そちらこそ、否定するばかりでしょう! 偉そうに人の案にケチを付けてないで、案の一つでも出してはいかがです!? もっとも、貴方ごときの頭でまともな案が出せるとは思いませんが!」

「何だと!? もう一度、言ってみろ!」

「何度でも言ってやる! この役立たずが!」

 喧々囂々。

 限界だったのは、総督だけではない。

 追い詰められた理性が破綻し、沸騰した感情によって室内が荒れ始める。

 もはや、議論をしているのか、相手を罵っているのか、それすらも分からない。

 一つだけ言える事は。

 もう、誰もまともではなかったという事だけである。

 圧迫された精神は錯乱を起こし、次第に悪化する現実は常識を溶かした。

 倫理観が消失し、理知が押し潰され、思考が締め付けられる。

 正常という言葉を見失った状態。

 

 そんな時にこそ。

 

「税率を―――」

 

 悪魔は囁くものだ――――。

 

「税率を上げては如何です?」

 ピタリ、と室内が静まり返った。

 どうしてかは分からない。殊更、大きい声でもなかった。

 でも、何故か、口元を歪に歪めたその男の、その闇から這い出てきたような声音は、ここにいる全員の耳朶を打った。

「税率を上げてみては如何でしょう?」

 もう一度、同じ発言が繰り返される。

 それを聞いた役人の一人が、浮かせていた腰を下ろし、発言主に対し、反論を口にした。

「何を言い出すかと思えば。ナンバーズからは既に絞り取れるだけ絞り取っている。これ以上、税率を上げても効果は出まい。何より、今の奴等は我々の法など気にも―――」

「いえ、そうではなく」

 反論に口を挟み、男は首を横に振る。

 何が言いたいのか。

 発言の意味が分からず、首を捻る役人達を見回し、男は口元を更に歪め、言葉を重ねた。

「ナンバーズではありません。……()()()()()()()、です」

 その発言に、ここにいる全員が目を見開いた。

「今の我々には状況を立て直すだけの力、……特に資金面が圧倒的に不足しています。ナンバーズから絞り取れないなら、ブリタニア人から徴収するしかないかと」

 唖然とする面々を無視し、男は畳み掛けていく。

「ついでに労働法も改正いたしましょう。私は常々、ここのブリタニア人はもう少し勤労に勤しんだ方がよろしいと考えておりました。よい機会です、これを機に色々と改正するのが良いかと」

「いや、……だが、しかし……」

 ようやく我に返った一人が、切れの悪い反論を口にしようとするが、それより先に男が口を開く。

「何か悪いことでも? 今はエリアの存亡に関わる危機、それにお忘れかもしれませんが、我がブリタニアは戦争中であります。であれば、国民が国家の為に尽くすのは当然の事かと」

「む…………」

「確かに……、言われてみれば」

 戦争中。国家の為に。

 並べ立てられる言い訳に都合の良い言葉に、役人達の顔にも男と同じ表情が浮かび始めた。

「確かに一理ある。聞いた話だと本国の貴族達も成果の振るわない軍や上層部に見切りをつけ、自らの領地で徴収を行い、力を蓄えているとか。我々も彼等に倣い、本国を頼りにせず、一致団結して事に当たるべきではないかと」

「賛成です。我々だけが苦労していても意味がありません。平民達とも苦労は分かち合うべきです」

「同じく。今のエリアの法はブリタニア人に都合が良すぎるように定められていますからね。このエリアに住むブリタニア人からナンバーズと同じだけの税収、労働力を期待出来るなら、状況の改善は十分に可能だと予測出来ます」

「なら、反対する理由はないな」

「ええ、国の為に苦労するのは国民の義務です」

 歪な笑みを貼り付けて、次々と賛成の声が上がっていく。

 その視線が、全員が賛成の声を上げると同時に総督に向けられた。

 理性を失い狂気に濁った瞳が向けられる。

 しかし、そんな視線を向けられた総督はというと。

「そうだな」

 笑んだ。

 向けられる狂気以上に表情を狂気に染めて。彼等以上に口元を歪に歪めて。

「今まで我々のおかげで甘い汁を吸ってこれたんだ。……少しは我々の役に立って貰うとしようか」

 嗤った。

 

 

 

 

 神聖ブリタニア帝国。

 皇帝シャルルの下、強い者こそ正しいと国是を掲げ、一人の名も無き革命家が現れるまで、絶対の強さを誇ってきた世界最大の大国。

 しかし、元は他と変わらない国家であったこの国が、何故世界を相手にここまでの大立ち回りをする事が出来たのか。

 多くの才が集まっていたから。技術面で抜きん出ていたから。矜持があるから。それもあるだろう。だが、果たして、それだけだろうか。

 思うに、彼等の本当の強さは、もっと純粋かつ単純に、その飽くなき欲望にあるのではなかろうか。

 人はより良き、を求めるものである。

 シャルルも言っていたではないか。競い、奪い、獲得し、支配せよと。

 他者よりも強く。他者よりも多く。他者よりも裕福に。

 誰よりも、何よりも、もっと、もっと――――。

 人の根源に巣食うその衝動は、それを許したシャルルによって、何の躊躇いもなく膨れ上がっていき、世界という矛先を得た事で、より鋭く強靭に鍛え上げられていった。

 欲望という人が持つ最も強い力を最大限に活かし、原動力にしてきたからこそ、ブリタニアは他国に先んじる事が出来てきたのだろう。

 

 だが、気付いているのだろうか?

 

 その力は、強大な分、歯止めが効きにくい事に。

 食べてはいけないと分かっていても食べてしまうように。してはいけないと思っていてもしてしまうように。

 一度、贅沢を覚えた者がそれを抑えなくてはならないと言われて、抑える事が出来るのだろうか。

 

 気付いているのだろうか?

 

 強さなんてものは、定義と枠組みが変われば、簡単に立場を変える事に。

 ブリタニア人とナンバーズだけではない。

 大人と子供。武器を持つ者と持たない者。貴族と平民。

 自分達こそが強者だと思い上がっていた者達は、すぐ傍で肩を叩く弱さに、気付いていたのだろうか。

 

 気付かなかったのだろうか。

 

 膨らんだ欲望のその矛先が、強さの定義と枠組みを変えた時、何処に向くのかを。

 飢えた獣が、最後には何に噛み付くのかを。

 人は平等ではない。他者の手を取らず、踏みつけ、その上に立つという強者の理がもたらす現実を。

 果たして、本当に理解していたのか。

 

 

 その答えは。

 

 すぐ傍まで迫ってきていた。

 

 

 パキ……ン、と。

 

 歯車が壊れる音がした。

 

 

 

「うーむ……」

 ブリタニア本国、皇宮の執務室にて、唸り声を上げながら、書類とにらめっこしている男がいた。

 オデュッセウスである。

 豊かな髭が生えた顎を撫で擦り、難しい、というよりは困ったような表情をしながら、机に広げられた世界地図を所々指差しながら、地図と書類を交互に見比べている。

 帝国第一皇子の肩書きを持ち、今も国の大事に関わる仕事をこなしている最中なのだが、如何せん、その姿からは覇気というものを感じられず、むしろ、カタログを広げ、娘の誕生日プレゼントに悩む父親だと言われた方がしっくりする程だった。

「失礼します」

「オデュッセウス兄様、いらっしゃいますか?」

 そんな書類と格闘中のオデュッセウスの執務室の扉を叩く音が聞こえた。合わせて、二人の女性の声が扉の向こうから聞こえてくる。

 それだけで、誰か分かったオデュッセウスは顔を上げるとにこやかな表情で二人を招き入れた。

「勿論。入ってくれて良いよ」

 そう言って、入ってきたのはオデュッセウスの予想通りの二人。

 異母妹であるギネヴィアとカリーヌだった。

「やあ、二人とも。いきなり、どうしたんだい? あ、ひょっとして、お茶会にでも誘いに来てくれたのかな。いやぁ、それは嬉しい。最近は息が詰まる事が多いからね。妹達とお茶を一緒に出来るなら、願っても―――」

「違いますわ」

 バッサリと。

 願望が先立ったオデュッセウスの発言をカリーヌが切り捨てた。

「まったく……。オデュッセウス兄上は、こんな時でも相変わらずですね」

 その隣ではギネヴィアが、ともすれば自らお茶を入れようとするのでは思う程に、うきうきとしていたオデュッセウスの皇族らしからぬ反応に眉間を揉みしだいていた。

 予想が外れて肩を落とすオデュッセウスと、別の意味で肩を落とすギネヴィア。

 そんな二人に構わず、カリーヌは、そんな事より、とオデュッセウスの近くまでやって来ると、ここに来た目的を切り出した。

「単刀直入に伺います。兄様、議会や私達に内密でお金を使用しておりませんか?」

 その質問に、ギクリ、とオデュッセウスの身体が強張った。

「あ、いや、違うよ? 農耕用ナイトメアを数台、民に卸したけど、アレに国のお金は元より家のお金も使ってないからね? アレは私がTVに出演して貯めたお金で買ったものだから―――」

「もう良いです」

「この様子ではシロですわね。まぁ、分かっていた事でしたが」

 しどろもどろになって、弁解するオデュッセウスに溜め息混じりにそう答える二人。

 訳が分からないオデュッセウスは、何があったのかと思いながら、二人に質問の意味を訊ねた。

「実は、近頃のエリアの状況を鑑み、不必要に使われていたり切り詰められる面がないか、大臣達と予算の見直しを行っておりましたら、使途不明の金が国外に流れている事が分かりまして……」

「調べてみましたら、結構な額でした。小さな国一つ賄える金額です」

「それは……、随分と穏やかではないね」

「ええ。一応、流れは差し止めましたが、今は時期が時期ですからね。国の中枢で良からぬ事を企てている者がいるかもしれないと、相談してきたカリーヌと二人で調査を行っているところです」

「ちなみに、オデュッセウス兄様は、今のお話でピン、とくる事はございませんか?」

 カリーヌに問われ、オデュッセウスは腕を組み、暫く中空に視線を彷徨わせながら、記憶を探っていたが心当たりはなかったのか、申し訳なさそうに首を振るとカリーヌに視線を戻した。

「……すまない。力になりたいが、思い出せる範囲に思い当たる節はなさそうだ」

「お気になさらず。これは私達の仕事ですから。もし、何か思い出したり、気になる話を耳にしたら教えて下されば、それで十分です」

「ああ、勿論。覚えておくよ」

 本当に申し訳なさそうに思っていそうなオデュッセウスの反応に苦笑しながら、答えを返したギネヴィアとカリーヌに、安堵の表情でオデュッセウスは頷く。

「それにしても、二人ともご苦労だねぇ。特にカリーヌはまだ年若いのに」

「私は別に……。それに、ご苦労と言うなら、オデュッセウス兄様の方こそではないですの?」

 広げられた世界地図と、机の上に所狭しと積み上げられた書類の山にカリーヌが渋い顔をする。

「……各地の戦況報告の確認など、兄様が直接する必要はないように思われますが」

 部下に纏めさせて持って来させれば良いのに、と呟くカリーヌにオデュッセウスは、頭を掻きながら困ったように笑う。

「いやぁ、皆、忙しそうだったからね。それに、これはこれで楽しいものだよ?」

 やはり、皇子らしからぬ発言に、今度は揃って肩を落とす二人。

 やれやれ、と首を振るギネヴィア。そのギネヴィアの視線が、机の角、他とは分けられるように寄せられている書類の山を捉えた。

「オデュッセウス兄上、これは……」

「ん? ああ、それは、意見書というか嘆願書だね」

「嘆願書?」

 興味を持ったのか、書類の山から一枚引き抜きながら、カリーヌが訊ね返した。

「うん。最近、少しずつ増えてきてね。和平派というか、これ以上戦火を広げる事を良しとしない人達がね、他国と歩み寄る方法を模索してはどうかって、意見を出してきているんだ」

「下らない」

 同じように、嘆願書を手に取っていたギネヴィアは、さっと中身に目を通すと、パラリ、と床に投げ捨てた。

「目を通す価値もありませんよ、兄上。状況が少し悪くなって、逃げ腰になっている臆病者が日和見な事をつらつらと並べてるだけです。こんな弱音を吐く輩に、兄上が時間を割いてやる必要はありません」

「手厳しいね」

「事実ですので」

 キッパリと、そう言い切るギネヴィア。

 温厚なオデュッセウスを味方に付けようとする魂胆が見え隠れする為、兄が変な気を起こさないよう、少し語気を強めて訴える。

 カリーヌも同意見なのか。興味がなくなったように嘆願書を書類の山に戻すと、話題を変えるかのように、そう言えば、と口を開いた。

「オデュッセウス兄様、例の中華の天子との婚約の件、どうなりましたか?」

「ああ、それについては――――」

 その時だった。

 兄妹の会話を遮るように、バタンッ、と勢い良く扉が開き、数人の兵士が転がり込むように部屋に入ってきた。

「し、失礼しますッ!」

「何事かッ、騒々しい! 第一皇子のいる部屋に、ノックもなしに……ッ、無礼であろうッ!」

 オデュッセウスしかいないと思っていた兵士達は、他に皇女が二人いたことに驚き、次いでギネヴィアの怒気に当てられ、ビクリ、と身体を震わせた。

「も、申し訳ありません! 至急、お伝えしなければならない事が…………!」

 辿々しく敬礼を取る兵士に、厳しい視線と冷たい視線を向ける皇女二人。

「ギネヴィア。カリーヌ」

 苦笑しながら名前を呼ぶ。そこに咎めが含まれている事を悟った二人は、小さく息を吐くと態度を軟化させた。

「すまないね。それで何だい?」

 皇女二人の視線が切れ、オデュッセウスの穏やかな声に少しばかり緊張が解れたのか、兵士の一人が一歩前に進みると、焦る気持ちと戦いながら、彼は報告を口にした。

「ぼ、暴動が、エリアにて暴動が起こっていると報告が入ってきております!」

「暴動? それだけ?」

 一緒に聞いていたカリーヌが、キョトン、とした顔をする。

 確かに、由々しき事態ではあるが、今の情勢ではそこまで慌ててやって来るような問題ではないと思ったからだ。

「まったく、またナンバーズですか。それで、どこのエリアだと言うんです?」

「い、いえ…………」

 ギネヴィアの問い掛けに、兵士は首を何度も横に振りながら、言葉を紡いだ。

「ナンバーズではありません。ぶ、ブリタニア人です! ブリタニア市民が暴動を…………!」

「な――――ッ!?」

 流石に予想外だったのか、普段は落ち着き払ったギネヴィアの口から、驚愕の声が飛び出した。

「重ねて、申し上げます!」

 声を上げて、後ろに待機していた兵士が報告をしていた兵士の横に並ぶ。

「ブリタニア本国、貴族領地にて市民が騒ぎを起こしていると報告が。領地内にてデモ行進が行われ、領主官邸を市民が取り囲んでいると!」

「貴族領地でも……、げ、原因は何なの?」

 驚きを隠せないカリーヌの上擦った問い掛けに、兵士の一人が答える。

「詳細はまだ分かりませんが……、どうやら、強引な法改正と徴収が行われ、それが原因となったと思われ……」

「そ、そんな…………、そんな報告、一度も……」

「どうやら、何処かで隠蔽が行われたようだねぇ」

 伸びた手が、豊かな髭ごと口元を隠した。

 先程とは打って変わり、普段は穏やかなオデュッセウスの表情が、今は苦悩に歪んでいた。

「……合わせて、申し上げます」

 そんなオデュッセウス達に止めを刺すかのように、最後の一人が口を開いた。

「先程、ブリタニア本国内、複数の場所にて、主義者によるクーデターが確認されました。犯行声明を出している組織は現時点で八。その他にも複数の組織の活動が確認されています」

「まさか、テロまで……。それも同時多発? しかも、このタイミングでなんて……」

「これは……、中々に不味いねぇ」

 ショックを受けているギネヴィアの声に重なるようにオデュッセウスの苦い声が響いた。

「ラウンズもマリーベルもいないし、コーネリアも本国を発ったばかりだ。……領地内の暴動は領主に対応を任せたいところだけど………」

「それは、……正直、不安が残るかと。状況を考えれば下策に出る可能性は否めません。虐殺なんて起ころうものなら、鎮静は不可能になるかと…………」

「だね。それに、そっちは何とか出来ても主義者のクーデターの方は厳しい。例のグリンダ騎士団も苦戦したという、タイレランも噛んでいたりしたら、現在の戦力では対抗しきれるかどうか……」

 何にしても、情報が足りなかった。此処であれこれ悩んでも推測の域を出ないと判断し、オデュッセウスは報告を持ってきた兵士達に指示を飛ばす。

「とにかく情報が欲しい。クーデター、暴動、共により詳細な情報を集めるよう、皆に伝えて貰えるかい?」

『イエス! ユアハイネス!』

 指示を受け、敬礼を取ると、兵士達は慌ただしく部屋から退室していった。

「兄上、私はこれから大臣や関係者を集めて、緊急の議会を開く準備を行います。整い次第、兄上にも参加して頂きたいのですが」

 ギネヴィアのしっかりとした声に頷く。ショックを抑え込んだのか、単純に持ち直したのか。皇女の顔付きでそう言ってきた妹を、オデュッセウスは頼もしく思った。

「ああ、分かった。準備が終わったら呼んでくれ」

「……私は皇宮守護隊や警邏隊の責任者に会ってきます。少しでも人を出せないか聞いてみようかと」

「そうだね……、よろしく頼むよ、カリーヌ」

 ギネヴィアに比べれば、まだ少し動揺が見られるカリーヌの言葉に頷くと、二人はきびきびとした動きで部屋から出ていく。

 そして、妹二人が出ていくと、オデュッセウスは疲れた様子で椅子に腰を下ろした。

「やれやれ……、炎は消えるどころか勢いを増すばかり。我が国のしてきた事を思えば、当然の事かもしれないが、些か………」

 額に手をやり、天井を仰ぐ。

 元々、穏やかな性格故、強行な国の方針に思う事がなかった訳ではないオデュッセウスではあるが、別に愛国心がない訳ではない。

 だから、転げ落ちるように傾いていく国の情勢に胸を痛めていないなんて事はなかった。

 ふう、と息を吐き出し、身体を起こす。その視線が、机の角、先程の嘆願書に向けられる。

 ギネヴィアは下らない、の一言で切り捨てたがオデュッセウスには一つの懸念があった。

 実際に和平やら国の舵を大きく切る必要があるかは、まだ分からない。問題はそういう意見が増えてきているということだ。

 今までブリタニアは積極、消極の差はあれど、結局は戦争賛成という一つの意見でまとまってきていた。

 だが、そこに反対、和平という相反する意見が生まれた。

 すると、どうなるか。

 一つの集合体で、相反する意見が両立する事は、まず有り得ない。そこに生まれるのは対立と分裂だ。

 戦争派と和平派。強硬派と穏健派。貴族派や改革派なんてものも出てくるかもしれない。

 そうやって、対立と分裂を繰り返され、国家としての意志の統一性が失われでもしたら。

 もし、ブリタニアという大国で、意志が千々に乱れるような事になれば、行き着く先は―――。

「内乱、……いや、しかし」

 口に出した最悪の想像に、しかし、とオデュッセウスは疑問を挟む。

 果たして、そうトントン拍子に話が進むだろうか。

 このブリタニアという国が、世界最大の国家が自分達で自分達を終わらせるような状態にまで陥るだろうか。

 そう考え、首を横に振る。

「有り得ない………、筈だ」

 頭の中ではないと確信していた。

 でも、オデュッセウスは有り得ないと言い切る事が出来なかった。

 どうしてか。それは、オデュッセウスにはもう一つ、懸念があったからだ。

 いや、それは懸念と呼ぶには曖昧なものだった。

 部下の負担を考え、ずっと、地図を見ながら、各地から寄せられる戦況報告を確認していたオデュッセウスだけが感じる、喉の奥に小骨が刺さったような、チリ、とした感覚。

 ふと、彼は感じたのだ。

 日本の復活に始まり、各エリアでのストライキ、各戦線の攻勢、貴族の問題と不和、そして、今回のブリタニア市民の暴動と、主義者のクーデター。

 この一連の流れ、些か、()()()()()()()()()()()()()

 例えば、各エリアのストライキが始まる前より、日本の復活に後押しされた各国の攻勢が早かったら、まだ散らばる事のなかったラウンズによって押し返す事が出来ていたかもしれない。

 貴族の問題から来る士気の低下も、タイミングが早ければ、もう少し戦況に余裕があれば、こんなにも傷が広がる事はなかった筈だし、今回のクーデターも、一歩間違えれば、コーネリアや彼女に会いに戻ってきていたノネットによって、即時殲滅させられていたであろうし、貴族領内の暴動も、クーデターが発生していなければ、軍を派遣して、直ぐに鎮圧出来ていた筈だ。

 偶然と言えば、それまでかもしれない。だが、あまりに狙ったようなタイミングで起こる問題に、作為的なものをオデュッセウスは感じていた。

 そして、もし。

 もし、本当に、この流れが誰かの手によって引き起こされているのだとしたら、そんな事が可能なのは…………。

「いや………、それこそ有り得ない。……有ってはならない」

 その視線が、地図上、とある小さな島国に行きそうになるのを無理矢理止める。

 有ってはならないだろう。

 エリアだけではない。ブリタニアを含めた全ての国々が、――世界が、一個の意思によって、都合良く動かされているなんて、考えるだに不可能だ。

 もし、本当にそんな事が出来るのなら、それは、もはや、人智を越えている。

 そんな化け物がいると仮定するくらいなら、まだ偶然の方が素直に納得出来た。

「とはいえ、偶然なら偶然で、我がブリタニアは随分とついてない事になるけどね……」

 偶然なら、ブリタニアは天に見放されている。運命だというなら、悪魔に好かれ過ぎ(呪われ)ている。

 はぁぁ、と重い溜め息がオデュッセウスの口から盛大に溢れた。

「果たして、敵は、偶然という名の神か。運命という名の悪魔か」

 それとも。それとも―――?

「私達は、一体、誰と戦っているんだろうねぇ………」




 ゼロ「私だよ!!!!」

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