本当は特区編最後まで書ききりたかったのですが、予想以上に長くなってしまったので(今書き終えてるところまででも余裕の三万字越え)、三つくらいに分けて、投稿しようと思います。
バタバタ、と足音を立てて、皇宮内の至るところで慌ただしく兵士達が駆け回っている。
皇宮に詰めている文官達は、一様に青い顔をしながら右往左往しており、普段は皇族達の顔色窺いや社交に忙しい貴族達も、この時ばかりはそれを忘れ、忙しなく動き回る兵士達を掴まえては、詳しい話を聞こうと落ち着きなく皇宮内を動き回っていた。
ほんの数時間前、余裕の顔色で損得勘定をしていた、ここ、神聖ブリタニア帝国の皇宮。
日本の空に陽が昇ろうという頃。
希望の夜明けまで、後一歩のところまで来ている日本とは反対に、ブリタニアは、その長き栄光に陰りが差そうとしていた。
「く、詳しい情報は入っておらんのか!」
「こ、コーネリア殿下は本当にやられてたのか!?」
「エリア11は!? トウキョウ租界は―――!?」
混乱。焦燥。時に錯乱。
その実、薄氷の上を歩いていた事に気付いていなかったブリタニアの重鎮達は、その氷が割れ、現実という冷水に片足を突っ込んだ事で、ようやく夢心地から覚めたようだ。
状況の確認の為、兵士を走らせ、情報を集め、軍やその他の必要部署に連絡を回す。
取り乱しているとはいえ、状況への対応力は流石は軍事大国の中枢を担う者達と言えよう。
だが、遅い。
もう、何もかもが遅すぎた。
パリンッ、と硝子の砕ける音がした。
先程まで、優雅に嗜んでいたワイングラスが床に落ちて割れ、中に入っていた濃い色の液体が血のように広がっていった。
「と、とにかく、早く援軍を出さなくては……ッ、エリア首都を敵に奪い返されるなんて事が起これば、今後のエリア政策に大きな課題が出てしまう」
「とはいってもねぇ……」
臣下の一人が、とにもかくにも軍隊の派遣を、と気を逸すがオデュッセウスは困ったような顔をしながら、顎を撫でた。
「相手は、コーネリアを負かすような人物だからねぇ。数に物を言わせても返り討ちに遭うだけだろうし」
将としても、武人としても、ブリタニア最高峰の実力を持ち、その彼女に鍛えられた精鋭部隊を擁するコーネリアですら、遅れを取ったと言うのだ。
二流、三流の指揮官に数を与えて援軍に送ったとして、ゼロのいいように料理されてしまうだけだろう。
本格的に対抗するには、ラウンズ級の能力を持つ実力者を二、三人送らないと話にならない。
だが。
「ラウンズも、マリーベルも、皆、任務で不在だからねぇ。それに、ラウンズは父上の勅命がないと……」
ブリタニア皇帝が擁する最強の十二本の剣、ナイト・オブ・ラウンズ。
戦略級の指揮官としての権限と能力を有する彼等は、最前線に配置されており、彼等へ采配を振るえるのは基本としてはブリタニア皇帝シャルルのみである。
「父上は何と?」
何とかしてラウンズを動かせないものかと、オデュッセウスは皇帝への伝令に走っていた近衛兵に問い掛けるも、返ってきたのは申し訳なさそうな表情だった。
「それが、奥の間に入られたままで、依然として、連絡がつかず……」
「―――――」
その報告に、ピクリ、と指を僅かに動かす者がいた。
「なら、ビスマルクに、……う、…ん、いや、どちらにしても、今からじゃ………」
途中まで口に出して、言葉を濁すオデュッセウス。
仮に、ラウンズを援軍に出せたとして、今からでは手遅れな感が否めなかった。
トウキョウの政庁と連絡が途絶えてから、もう、随分経つ。
この時点で、そこまで追い詰められているのだとしたら、エリア11外からの援軍は、どうやっても間に合わないだろう。
そう思い、口を閉ざし、代案を出そうとするオデュッセウスだが、中々、良い案が思い浮かばない。
そうしている間に、周りはその感情の温度を上げていった。
今の状況が不利、いや、もう打つ手がない状況だということには、皆、薄々と気付いてはいた。
でも、だからこそ、彼等の言は熱を帯びていく。
認められない。認めたくない。
認める訳にはいかないのだ。
神聖ブリタニア帝国が、敗者に成り下がるなど。
誰が認められるというのか。
傲りと慢心の下、積み重ねられた高すぎるプライドが邪魔をして、誰もがこの先にある現実を受け入れられずにいた。
だが、だからといって、何が出来る訳でもない。
口数は増し、それに伴って様々な案や策が打ち出されていくも、現実を直視したくないが為に、ただ口から衝いて出ただけのものに光明など見出だせるはずもなかった。
唯々、気持ちは空回りし、熱量だけが増していく。
このままでは、暴発しかねない。
無為な策略の下、狂気と恐慌のままに動き出し、自滅してしまいかねなかった。
―――この男がいなければ。
「皇帝陛下は、いらっしゃらない」
感情が迸る声が飛び交う中で、水面を思わせる静かな声が響いた。
別段、声を荒げたという訳ではない。
たが、その場の誰の、どの声よりも通った声に、言葉のぶつけ合いをしていた重鎮達は水を打ったように静まった。
「シュナイゼル……」
その声は、勿論、オデュッセウスにも届いた。
頭を抱え、必死に打開策を考えていた彼は顔を上げ、普段と変わらない表情の弟に視線を向けた。
「ラウンズが動かせない以上、即応の戦力でこの状況に対処するのは難しい。よしんば、動かせたとしても、援軍は間に合わない。そうなるよう仕向けられています」
一つ一つ、現実を認めようとしない者達に言い聞かせるように、そして、この状況を作り出した者の思考を後追いするように、シュナイゼルはゆっくりと言葉を紡いでいく。
「この状況は、まず間違いなくゼロによって意図的に作られたものでしょう。なら、不測の事態にも対応出来るよう手筈を整えている可能性が高い。今、この状況下で我々が動くのは得策ではありません」
室内がざわつき始める。
勘の良い者達が、シュナイゼルの言わんとしている事に気付いたからだ。
「トウキョウは捨てましょう」
決定的な一言を、しかし、まるで挨拶をするかのように、平然とシュナイゼルは告げてみせる。
「ここで我々が意地になって、杜撰な防衛戦を仕掛けても敵を喜ばせるだけです」
犠牲は最小限に。それは戦争の鉄則である。
なら、ここで増援を送るのも、闇雲に戦闘を長引かせるのも愚策である。
半ば、敵の手に落ちたトウキョウ租界を切り捨てる。
その後、然る対応を講じる。
それが、最も合理的だとシュナイゼルは判断し、そう主張した。
トウキョウ租界にいるブリタニア軍を、民間人を、……ユーフェミアを切り捨てるという発言を淡々と。
「しかし、それでは、我々はイレブンに敗北した事に……」
それでも、やはり、プライドに障るのか。
体裁を気にする者達が渋面を浮かべ、弱々しく否定的な声を上げた。
「たかだか一エリアの首都です。その程度のものにムキになって判断を誤れば、それこそ敗北者の烙印を押されかねません」
「それは、……確かに」
プライドを刺激しないように、皆の思考を巧みに誘導していくシュナイゼル。
これは真っ当な敗北ではない。
我々の目を盗んでこそこそ動いていたイレブンが、小狡い手を使って領土を掠め取っていったのだと。
そんな風に、―――刷り込んでいく。
「彼等の涙ぐましい努力に免じて、トウキョウはくれてあげようではないですか」
あくまでも、上から。
奪われるのではなく、くれてやる。
唯の言葉遊びに過ぎないが、その言葉は甘い毒だった。
自分達の意に沿う言葉に絡め取られ、先程の狼狽ぶりが嘘のように、皆、鷹揚な態度でシュナイゼルの意見に賛同していく。
「兄上も宜しいですかな?」
「…………………仕方ないね」
苦々しい表情のまま、諦めに似た溜め息と共にオデュッセウスは頷く。
感情の上では、納得などこれっぽっちも出来ていない。
だが、他に手がある訳ではないし、下手をすれば、余計な犠牲を出しかねないのも事実。
シュナイゼルの言っている事は何一つ間違ってはおらず、その判断も合理的で正しい。
そう。
感情も私情も一欠片も介在させず、自身を含めた全ての者に平等という名の冷たい判断を下す。
そんな弟が頼もしく、――時に恐ろしい、とオデュッセウスは感じていた。
「では―――」
オデュッセウスの賛同を得て、他の者達からも反論が上がらない事を確認したシュナイゼルが結論を下す為に口を開いた。
「コーネリアに連絡を。……認めてあげようではありませんか」
そう口にするシュナイゼルの顔に微笑が浮かぶ。
大抵の者達には、いつもの涼やかな笑みにしか見えないが、違う。
今、シュナイゼルは、――
どこまでも不敵に。少しも揺るがず。
予想が外れたのは初めてだった。敵を見誤ったのも。
特区での戦いが始まった頃、シュナイゼルはゼロの器量を計り間違え、打ち手を誤った。
油断したのか、それとも、油断させられたのか。
それは分からない。
だが、その事実にシュナイゼルは憤りを感じてはいなかった。
むしろ、――高揚していた。
何しろ、自分が読み間違える程の、つまりは、自分と同等の打ち手が現れたのかもしれないのだ。
絞め殺される程の退屈な中で生きてきたシュナイゼルには、それはとても魅力的で、とても胸が弾む出来事だった。
おそらくゼロの策謀はこれで終わりではないだろう。
自分を出し抜く程の人物が、たかが一エリアの首都をもぎ取った程度で終わるとは、とても思えなかった。
また、楽しめるかもしれない。
また、心が踊る戦いが出来るかもしれない。
―――あの日のあの子のように。
それを思えば、一エリアの行く末などシュナイゼルにはどうでもいい事だった。
むしろ、また、あの日々のような気持ちを味わわせてくれるというなら、エリアの一つ、本当にくれてもいいとさえ思えた。
だから、シュナイゼルは宣言する。
とても軽く、子供を相手に宣言するかのように、内心楽しそうに。
「今回は、我々の――――」
果たして、それは余裕か、―――慢心か。
その答えが出るのは。
今生において、再びブリタニアの最優が魔王と矛を交えた時になるだろう。
地平が光り輝いている。
もう、夜明けまで間もないだろう。
この戦いに参加していた黒の騎士団は、その夜明けを新たに生まれ落ちる気持ちで迎えようとしていた。
かつての自分達の首都を半ば、この手に落とし、張り子の虎も同然の敵軍も粉砕した。
後は、敵の本丸を落とせば、勝鬨を上げられる。
二つの意味で陽が昇るのも時間の問題だと思っていた。
だが、ここに来て光が遮られる。
空と地を分かつ分厚い雲のように夜明けの光が霞む。
終着への長い道程。
その最後の一歩を遮るように、脅威が未知の威容を纏って姿を現した。
「何だよ、アレ………」
呆然と、誰かがそう呟いた。
突如として、地を割って現れたその物体に、黒の騎士団もブリタニア軍も戦闘の手を止めて、驚愕と困惑を胸に空を見上げている。
その現れ方もそうだったが、その異様さにこそ、皆、驚かされた。
空を飛ぶ巨大な物体。
それをナイトメア、と表していいのか分からないが、少なくとも、安全な代物でない事は、一目見れば、よく分かった。
そんな異様な物体が、不気味な沈黙を保ちながら、上から自分達を見下ろしている。
飛躍的な技術革新が行われた一年後ならともかく、まだ、二機しか自律飛行が可能なナイトメアが存在しない現時点において、その存在感がもたらす畏怖と緊張感は測りしれないものがあった。
ピリピリとした、肌を刺すような空気が両軍の間に流れる。
先に耐えられなくなったのは……、黒の騎士団だった。
「何だか知らねぇけど、邪魔するなら………ッ」
緊張に耐えられなくなった団員の一人が空に向かって銃を構える。
それに呼応するように他の団員達も。
今はまだ敵地であるトウキョウの地下から、進行上、両軍を分かつように現れたそれは彼等には障害にしか思えなかった。
後少し。本当に、後一歩。
ゴールまで、直ぐそこまで来ているのに、こんなところで訳の分からない奴に邪魔をされたくない。
そんな思いから、団員達は敵意を持ってそれを排除しようと空に銃を向けた。
「待てッ!」
独断専行に走ろうとする団員達に気付いた藤堂が制止の声を上げるが、遅かった。
機銃が唸りを上げ、空に浮かぶ機体に向けて銃火が咲き乱れる。
その得も言えぬ雰囲気に圧されまいと、全弾を撃ち尽くすつもりで団員達は機銃を放ち続けた。
だが………。
「な………」
「そんな………ッ」
弾を撃ち尽くした団員が驚きに声を漏らす。
止めに入ろうとしていた藤堂や四聖剣も、その光景に思わず息を呑む。
「無傷……?」
同じように不明機を見上げていたカレンが、その機体の装甲に損傷を見つける事が出来ず、小さく呟いた。
いくら、ランスロットや紅蓮、ガウェインといった最新鋭の機体であろうとも、無防備なところにナイトメアの機銃の一斉射撃を食らえば、只では済まない。
少なくとも、無傷という訳にはいかないだろう。
だというのに、その機体の表面にはあれだけの鉛弾を受けても、小さな傷一つ見つけられなかった。
「―――来るぞッ! 全機、警戒!」
その鉄壁の防御に衝撃を受けていた黒の騎士団の耳に藤堂の警戒の声が届く。
空に浮かぶ機体には、まだ何の動きも見えない。
だが、明らかに空気が変わった事を歴戦の戦士たる藤堂は敏感に感じ取っていた。
藤堂の命に従い、黒の騎士団が警戒態勢に入る。
僅かな動きも見逃さないと、全員が空の機影に神経を集中させていた。
―――それでも、反応出来なかった。
グシャリ、という嫌な音が聞こえた。
それに反応して、黒の騎士団の大半がハッとしたようにそちらに意識を向けた。
誰も目を離さなかった。
だが、その鈍そうな巨体とは裏腹な俊敏さと速度に、皆が虚を突かれた。
黒の騎士団の反応と思考をすり抜け、地上に迫った巨体は、そのまま、そこにいた黒の騎士団のナイトメアを数機、まとめて押し潰した。
メキャッ、と押し潰されたナイトメアがその重量によって機体を歪ませて、爆発する。
そこで、漸く黒の騎士団が動き出した。
牽制の射撃を行いつつ、先程の攻撃から遠距離攻撃は効かないと判断したのか、その手に近接武器を持ったナイトメアが次々と攻撃を仕掛けていく。
群がるように四方から襲い掛かる黒の騎士団のナイトメア。
両者が激突し、火花が散る。
砕けたのは、――――黒の騎士団の方だった。
まるでチェーンソーかノコギリのようだった。
攻撃が当たる直前、高速回転をした機体に黒の騎士団のナイトメアが弾き飛ばされる。
空気を裂き、残像すら見える程の高速回転に巻き込まれたナイトメアは、一瞬にしてバラバラになり、無残な姿となって宙に投げ出された。
あまりに規格外。あまりに常識外れな攻撃。
技能の介在する余地もない。
圧倒的な質量と原始的な力による蹂躙。
でも、だからこそ、強く明確に心を抉る。
盤上の駒をまとめて薙ぎ払うようなその暴力に、黒の騎士団が戦慄する。
破壊の嵐が、トウキョウに吹き荒れる。
夜は、まだ終わらない……。
「は、はは……ッ」
突然現れた未確認機が、黒の騎士団を蹂躙している。
その光景に、先程まで追い詰められ、口汚い言葉しか吐いていなかったブリタニア軍の指揮官は、乾いた笑いを溢した。
何事か、と司令部の軍人達が怪訝そうに見つめる中、止まらない笑いは狂笑に変わっていく。
「ハハハハハハッ! 思い上がった屑共め! 身の程を弁えないからこうなるのだッ!」
鉄槌が下った、とばかりに笑いながら、罵倒を繰り返し続ける。
優勢になったと勘違いしたのだろう。
気が大きくなり、増長した指揮官は味方らしき機体に薙ぎ払われていく黒の騎士団の姿に高笑いをしながら、その謎の機体に命令しようと通信回線を開いた。
「おい! そこの未確認機ッ! どこの所属か分からないが、よくやった!」
勝手に味方と決め付け、偉そうな口を開く指揮官。
「そのまま、奴等を血祭りに上げろッ! だが、一思いに殺すなよ? 悲鳴と断末魔を上げさせ、不様に許しを乞わせろ! そうでもしないと、傷つけられた私の名誉が回復せんッ!」
自身の溜飲を下げる為に、敵を徹底的に嬲って殺せという最低極まりない命令を下す。
しかし、それに返る答えはなかった。
「――――? おい」
興奮し、ひたすら一人で喋っていた指揮官も、流石に可笑しいと思ったのか。
眉をひそめながら、再度、通信機に向かって呼び掛けた。
本当に味方なのか。その機体に乗っている人物を味方と認識していいのか。
知らないまま、――知ろうとしないまま。
「おいッ、聞こえていないのか!?
彼は爆弾を投げ入れた。
「おい! 聞こえているなら―――」
『…――ジ』
「ん? 何だ? 何と言った?」
漸く聞こえてきた返答。
それをしっかり聞き取ろうと聞き耳を立てた指揮官が聞いたのは。
狂った、いや、壊された男の声だった。
『…――ンジ、――オレ、…ジ、…オレンジ。オレンジ、オレんジオれンジおレンジおれんじオレンジオreンジオレンジOレンジオレnジオレンじ――――』
延々と。
壊れたスピーカーのように延々と繰り返すその言葉が通信機から流れてくる。
まるで呪詛である。
抑揚もテンポも発音もバラバラ。
硝子を引っ掻いたような生理的嫌悪感を感じさせるその声に、指揮官が顔をしかめながら耳を塞ごうと手を宛がった時だった。
『オレンジでは、――――――ノオオオオオオォォォォォォッ!!!!』
キーン、というハウリングを伴って聞こえてきた男の絶叫が司令部を支配した。
それに、そこにいた全員が耳を塞ぎ、身体を縮ませながら、反射的に目を閉じた。
故に、誰一人気付く事はなかった。
男の絶叫と共に、その機体に付いていた棘のような大型スラッシュハーケンが司令部に向かって飛んできている事を。
直ぐそこに迫る死を警告するアラートが鳴り響いている事に、誰も気付かないまま。
数秒後、司令部にいた人間は、例外なく物言わぬ肉塊に姿を変えた――――。
「手当たり次第か。……やはり、精神に異常をきたしているようだな」
政庁の一室から、ジェレミアの乗ったジークフリートの動きを観察していたルルーシュは、その敵味方の区別なく破壊をもたらす姿を見て、苦虫を噛み潰したように呟いた。
あるいは――。
そう。あるいは、精神が変調していなければ、言葉で穏便に済ませられるかもしれないとも思った。
だが、やはり、それは過ぎた希望に過ぎなかった。
「ルルーシュ………」
その無差別に行われる暴虐の嵐に、ルルーシュの腕の中でユーフェミアが身体を震わせながら、気配の変わったルルーシュを心配して声を掛けてきた。
それにルルーシュは答えない。変わらず眼下のジークフリートに視線を向けたままでユーフェミアを見ようとはしない。
代わりに抱き寄せた腕の力が少しばかり強まった。
『――
通信機から聞こえてきた魔女の声が耳を擽る。
何気ない一言だが、そうではないと分かる。
何故なら、これは魔王と魔女の関係が始まってから、何度となく繰り返してきたやり取りだからだ。
初めて会った時よりも、心配や優しさが多分に含まれるようになったが、その本質は最初の頃と変わらない。
スザクやユーフェミア、ナナリーと言ったルルーシュにとって大切で、しかし、向き合わなくてはならない存在が現れた時、ルルーシュの迷いに切り込み、時に彼の背中を押してきてくれた。
魔王が心の矛先を定められるように、その覚悟を問い掛けてきた厳しくも優しい魔女の審問だった。
「……決まっている」
一拍置いて返された返事。
そこに重苦しさはあったが淀みはなかった。
もとより、問われずとも答えは決まっていた。
こうなる可能性は、……いや、こうなるだろうとは考えていた。
心ではこうならないようにと願いながら、理性はこうなると確信していた。
だから、覚悟は決まっていた。
可能性を信じてはいても、可能性に縋っていた訳ではない。
少なくとも、これで揺らぐような甘い覚悟で
傷つけたくないという気持ちは、勿論ある。
その忠心を知らず、傷つけたからこそ余計に。
でも、だからといって、このジェレミアの凶行を見過ごす事は出来ない。
まして、それが自らの業によるものなら、尚更、背を向ける事は出来なかった。
なら、答えは一つだけだ。
深く、たった一言でルルーシュの心の葛藤に踏み込んできた魔女の問い。
それに答えた魔王の言葉も、――たった一言だった。
「―――止めるぞ」
そう口にしたルルーシュの言葉には、もう苦々しいものはない。
感傷を胸の奥底に沈め、ルルーシュは迷いのない瞳で自分の前に立ちはだかった敵を見据えた。
「ルルーシュ………?」
再び、気配の変わったルルーシュにユーフェミアは兄の腕の中で首を傾げた。
先程、僅かに苦しげな雰囲気を醸し出していた気配は、再び強く芯のあるものに戻っていた。
この僅かな間に何があったのだろうと、ユーフェミアは疑問に思いながらルルーシュの顔を見上げていると、今度は視線を妹に移した兄の瞳とかち合った。
「ユフィ、君は此処にいてくれ」
ジェレミアが狂乱している以上、トウキョウの何処にいても危険な事には変わりない。
それでも、あえて安全だと言うとしたら、この政庁だろう。
例え、自意識が保てなくなっていたとしても、あの忠義の塊のような男が、皇族がいるかもしれない場所を破壊するとは思えなかった。
「もうすぐ、ここに黒の騎士団が乗り込んでくる。彼等が来たら、抵抗せずに身柄を預けて欲しい」
抱き寄せていたユーフェミアの柔らかな身体を離し、しっかりと目を合わせて真剣な表情で告げる。
先程、頼もうとしていたのはこの事である。
指揮系統が杜撰なここのブリタニア軍では、たとえ、政庁を制圧したとしても、末端まで命令や情報が行き渡らず、そのまま、戦い続けてしまう可能性が高い。
仮にブリタニア軍に敗北を悟らせたとして、この質の低さでは、その後の行動にも不安が残る。
トウキョウから逃げ出していくのなら、まだ良い。
だが、もし、奪われるくらいなら、と市街地を破壊しようとしたら。
憂さを晴らす為に、ゲットーで虐殺を始めたら。
無意に流れた血が、何をもたらすのか。それは、半日前の出来事でよく分かっていた。
必要なのだ。勝利の証が。
一目でブリタニア軍に敗北を突き付け、凶行に走らせず、武装解除させられる存在が。
それが可能なのは、皇族ユーフェミア・リ・ブリタニアをおいて他にいない。
だから、ルルーシュは速やかに戦闘を終わらせられるよう、先んじて政庁に乗り込み、安全無事にユーフェミアの身柄を確保しようとしたのだ。
「……それが、一番、皆が傷つかない方法なのね?」
話を聞き終わったユーフェミアもまた真剣な表情でルルーシュを見上げてきた。
そこに先程までの夢と現実の狭間で苦しんでいた少女はいなかった。
今までのように、そして、今までとは違い、簡単には手折れない夢を芯に、これから芽吹かんとする姫が、そこにいた。
その変化を内心嬉しく思いながら、ルルーシュは頷く。
彼女の本気に答えるように、自身の本気を視線に込めて。
「……分かったわ。貴方にこの身を託します。ゼロ」
それが伝わったのか。
じっ、とルルーシュを見つめていたユーフェミアは、一度こっくりと首を縦に振ると、毅然とした態度で自身の命運を兄に託した。
「感謝します。……ありがとう、ユフィ」
「ううん。でも、約束して。どうか―――」
「分かっている。俺の目的はブリタニアを滅ぼす事ではない。このトウキョウ租界に住む一般人はもとより、降伏を願い出た者なら、ブリタニア軍人であっても害する事は誰にもさせないと約束しよう」
「うん。…お願いね?」
それを聞いて安心したユーフェミアは、ホッ、としたように胸を撫で下ろすと、ふんわりと微笑んだ。
「じゃあ、私は此処にいるけど、ルルーシュは………」
どうするのか、と問い掛けようとして、途中でユーフェミアは口を閉じた。
答えを聞かなくとも、再び窓の外に視線を向けたその横顔が答えを物語っていたからだ。
「……行くの?」
「ああ、アレを止めないと。……止めてやらないといけない」
今はまだ、その脅威が十全に振るわれていないが、このまま暴走が続けば、トウキョウ租界はたちまち火の海になってしまうだろう。
それだけは、避けなければならない。
「気をつけてね」
ふわり、と柔らかな感触が手を包んだ。
それに反応して、ユーフェミアを見れば、両手でルルーシュの手を握り締めた彼女に、そう声を掛けられた。
「ああ、……君も。ここも確実に安全とはいえないから無茶だけはしないように」
一度だけ軽く握り返して、するりと温かい感触から手を引き抜く。
そして、少しでも不安にさせないようにと、笑みを絶やさないまま妹に背を向けて。
ゼロは、戦場に向かって歩き出した。
『ゼロ』
『ゼロ!』
ユーフェミアがいた部屋からガヴェインが待機しているところまで向かう途中。
スイッチを入れた通信機から緊迫した藤堂の声と扇の慌てた声が聞こえてきた。
『ゼロッ、戦場に何かッ、……巨大な、空を飛んでる……』
「ああ、此方でも確認した。藤堂、味方の被害状況を知りたい」
混乱し要領を得ない扇の説明を制し、ルルーシュは藤堂に現場の状況を求めた。
『謎の巨大機の出現と攻撃で、部隊の一部に被害と動揺が広がっている。だが、どちらも作戦遂行が困難な程ではない』
「そうか。なら、部隊を一度下がらせろ。多少、戦線が後退しても構わん。アレとの交戦を避けながら、安全域まで部隊を退避させておけ」
『承知』
ゼロに命じられた事を遂行する為、藤堂の声が途切れる。
「扇、全軍の状況と、敵軍の動きを出来るだけ詳細に報告しろ」
『……制圧した拠点は大丈夫だ。時折、散発的な攻撃を受けているが奪われるには至っていない』
命令を無視したのか、暴走したのか。
一部のブリタニア軍は、司令部及び政庁の防衛から外れ、勝手な行動を取っていた。
『先の飛行物体の攻撃で敵の司令部が壊滅したとの報告が上がっている。それのせいか、敵軍の動きが極度に乱れているらしい。……あ、それと、ディートハルトから準備が整ったと』
扇からもたらされる情報を元に、現在の状況を整理する。
状況はそれほど悪い方に転がってはいなかった。
ジェレミアの乱入は最悪の一言に尽きるが、それでも想定の範囲内であり、ここに至っても黒の騎士団の状態は悪くない。
一方のブリタニア軍は、元々の質の悪さに加え、司令部が壊滅した事で、もはや、軍としての体を成していなかった。
つまり、後は、やはりジェレミアを沈黙させられれば、この戦いを終わらせる事が出来る。
そして、今の状況と黒の騎士団の士気なら、二正面作戦を行っても問題ないとルルーシュは判断した。
「よし。―――黒の騎士団、各位に通達」
素早く作戦プランを組み立てたルルーシュが、通信機の向こうにいる黒の騎士団に向かって口を開いた。
「これより、戦場に現れた所属不明機を敵性個体と認識。これの排除を開始する」
足早に階段を上り、ガヴェインが待機している屋上へ向かう。
「敵性機体の排除は、私と零番隊、藤堂、それと四聖剣で行う。以上の部隊の副隊長は隊長から指揮権を継承せよ」
ジークフリートが相手では、数を揃えても意味がない。
少数でも最大戦力のみで当たるのが、一番被害が出ず、戦闘の効率も勝率も高かった。
「壱番隊以下の部隊は、現行の攻略作戦を遂行。政庁を制圧の後、ユーフェミア皇女殿下の身柄を確保しろ。……但し、くれぐれも丁重に扱え。万が一にも危害を加えるな」
幹部達なら迂闊な真似はしないとルルーシュも思うが、他は感情に任せた行動に走るかもしれない。
先の生徒会でのやり取りがあった為、そう懸念したルルーシュは念を押すように強く厳命した。
……悪逆皇帝の顔を僅かに覗かせて。
「扇、政庁の攻略の指揮はお前に任せる」
『わ、分かった』
「それと神楽耶様と桐原公を政庁に。お二人にも準備をお願いするよう伝えろ」
『あ、ああ、了解した』
矢継ぎ早に指示を出していくルルーシュだったが、ふと気付くものがあった。
鼻を擽る甘い香り、……花の香りだ。
屋上が近付くに連れて、それが次第に濃くなってきていた。
「ディートハルト。お前も政庁の方へ向かえ。神楽耶様達と合流しろ」
『了解しました』
「それと、……玉城」
『あ?』
「お前は―――」
屋上への扉に手を掛ける。
ぶわっ、と勢いよく風がルルーシュの身体を撫でていき、一層濃くなった花の香りが彼を包んだ。
庭園がそこにあった。
前総督クロヴィスによって手掛けられたもののはずだが、彼が亡き後もきちんと管理と手入れが行われ、朝露に濡れた瑞々しい花が甘い香りを漂わせていた。
それだけで分かるというものだ。
この場所が、いや、この元になった場所が、一部の皇族や貴族、軍人にとって、どれだけの価値があった場所なのかが。
「――以上だ。出来るな?」
『お、おう! 任せろ!』
そこに何の感慨も見せず、ルルーシュは足を踏み入れた。
甘い花の香りに惑わされず、思わず溜め息が溢れそうになる造形に一瞥もくれる事なく、その足は真っ直ぐに自分を待っているその場には不釣り合いな黒い巨躯の兵器の元に向かっていく。
「井上、南、杉山、吉田。そちらの準備は終わっているか?」
近付くと開いたハッチからガヴェインに乗り込み、事前に仕込みを命じていた四人に現状を確認する。
代表して、答えたのは井上だった。
『もう、間もなくで完了します。ゼロ』
「少し急げ。アレが本格的に暴れ始める前に終わらせなければならない」
了解、という返事に通信を切り、ルルーシュはドルイドシステムを立ち上げる。
「C.C.。俺達も出るぞ。準備しろ」
「……いいんだな?」
確認するような魔女の囁きに、ルルーシュはドルイドを操作する手を一瞬止めて、C.C.を見たが直ぐに何事もなかったかのように作業に戻った。
それを見たC.C.も、それ以上特に何かを言うことなく、前に向き直るとガヴェインの起動準備に入る。
――C.C.の言わんとしている事は分かる。
戦えば、無事で済む保証はない。
スザクの時のような搦め手が通用しない以上、望まぬ結果、最悪の未来も十分有り得る。
まして、相手はジェレミアだ。
ラウンズ級の腕前を持った、最新鋭のワンオフ機が相手なのだ。手加減など出来るはずもない。
対軍制圧能力では、スザクのランスロットにも引けを取らないジークフリートを相手に、手心を加えようものなら全滅の憂き目を見るのは、此方になってしまうだろう。
だから、手加減は出来ない。
だが、それでも、やると決めたのだ。
なら、後は信じるのみ。
「全力でいく。容赦も加減も一切ない。全力でお前を叩き潰そう」
だから。
「死んでくれるなよ、ジェレミア」
難しかった。シュナ兄がとんでもなく難しかった。
この人の場面だけで一週間くらい悩んだかも。
原作の最後にギアス掛けられる瞬間まで崩れなかった余裕を出しつつ、ある台詞を言わせる為に一捻りしつつ、あんまり大物感出し過ぎたら今後に触るから押さえつつ、と頭痛い。おのれ、シュナイゼル!
それに比べてオデュ兄の書きやすさと言ったら。
でも、この人も双貌見ると粘り強く政策を進めていける人っぽいので、作者が終盤まで投げ出さなければ、かなり美味しい役どころを得るかもです。
そんな訳で、次回こそラスバト、オレンジ収穫戦。
次回分は、概ね書き上がってるので近日中には上げられると思います。