つまらないかもですが、ご容赦を。
暗闇が薄く、変わり始めた。
夜の黒と朝の白の狭間。昇らぬ陽の光で青に染まる時間。
夜に生きる者の時間ではない。
昼に生きる者の時間でもない。
誰もが眠りにつくであろうこの時間は、その幻想的な青と相まって、まるで世界そのものが眠りに落ちているかのようだ。
しかし、数多の音が息を潜めるこの時間も、今日ばかりは違う。
この時間を越えて、夜明けを目指す者達が此処にいるからだ。
「くそッ! クソォぉぉぉッ!!」
怒声よりも、泣き声に近い声を上げて、ブリタニア軍に属する男がナイトメアの機銃を斉射する。
だが、繰り出されるそれは、もはや、攻撃ではなかった。
迫る恐怖から逃れる為に、銃という確かな凶器のもたらす安心感に依存しようと、ただ闇雲に発砲しているだけである。
少なくとも、この間断なく鳴り響く銃撃音が手元から聞こえている間は、男は完全に恐慌状態に陥る事だけは避ける事は出来るだろう。
「畜生ッ! おいッ、援軍はまだなのか!?」
規律が徹底される軍人とは思えない程に、荒々しく感情的な発言を通信に垂れ流す。
本来なら、厳罰に処されるべき振る舞いではあるが、その判断を下す上官からして、彼と同じようなものなのだから、どうしようもない。
援軍は必ずやる。それまで耐えろ。
早口で聞き取りにくい、司令部からの口先だけの希望と無茶な命令に、くそったれが! と男は吠えた。
それまで耐えろ?
たった一人で、どうやって。
数多くいた仲間は既に、其処らでナイトメアを棺桶にして、覚める事のない眠りに就いている。
いつ、彼等と一緒にそこに寝転がる事になるか分からないのにふざけた事を抜かすな。
心の中でか、それとも、口に出してか。
そんな事を思いながら、その間にも、残弾数と共に心がすり減っていく。
「クソッ、クソクソクソクソクソォ! 畜生! 何で俺がこんな目にッ!」
自分はブリタニア人だ。そして、ブリタニア軍人だ。
強者の筈なのだ。
なのに。
なのに、何でこんな目に遭っているのだろう――?
強さとは麻薬である。
その甘美なる蜜の酒は、人を狂わせる。
この男も、軍に入った当初は、真っ当な軍人だった。
国の為、国民の為。
立身出世の欲はあったが、身を壊す程のものではなく、彼は日々軍人として邁進していた。
変わったのは、このエリア11に配属されてからだった。
高みから、圧倒的に弱者な存在をいたぶる快感。
人の命と運命を自身の思うがままに出来るという全能感。
そして、搾り取った富と贅沢。
国の支柱となることを夢みた男は、夢見心地を与える現実を前に堕落し、軍人として腐っていった。
「畜生ぅ、畜生ぅ……」
終わりを感じるからか。
もはや、男の恨み言は、完全に泣き言に変わっていた。
上手くいっていたのに。満たされていたのに。
これからも、愉しく楽に生きていけると思ったのに。
こんな終わり方、想像すらしていなかった。
カタカタ、と震えながら、それでも操縦桿を握り、銃撃を続けていく。
無意味でも、もう、その行為だけが、彼を軍人たらしめていた。
「―――――――ひ」
そして、遂にその時が来た。
死の宣告のように、残弾数が残り僅かを告げるアラートが響く。
もう、まもなく、弾は切れるだろう。
そして、その時が男の終わりである。
「……ぃ、だ、いや、だ」
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
死にたくない。死にたくない。生きていたい。
今までずっと、飽きるくらいに聞いて、嘲笑い、踏みにじってきた者達と同じ願いを、彼は胸中で呟いた。
「ふざけるなッ! イレブンなら
最後には完全に逆上し、罵詈雑言を吐き出し始める。
散々食い物にしてきた存在に、最後は路傍の石を蹴飛ばすように殺される。
その屈辱に、男の顔が真っ赤になった。
そんなのは嫌だった。
「ん?」
何とかして、生き延びようと必死に思考しながら、生存の光を求めて、視線を巡らせていた男は、レーダーに味方の認識反応があることに気付く。
数は六~七機。反応の動きは滅茶苦茶で、恐らくあちらも逃げ惑っているのだろうことが窺い知れた。
「……………」
それを見た男の顔に卑しい笑みが浮かんだ。
(アイツらに、敵を上手く押し付けることが出来れば………)
助けようとは、一切考えない。
軍人としてはもとより、人間としても誇れない考えを実行に移すことに男は躊躇いもしなかった。
即座にその場を放棄する。命令違反という言葉は、もう彼の頭には存在しなかった。
ただ、助かるために。生き残る為に。
再び、他人を食い物にしようと走った。
だが――――。
「は――――?」
間の抜けた声が上がった。
理解できない事が起こった。
レーダーに映っていた複数の味方機の反応。
それが、いきなり、消えたのだ。
蝋燭の火を吹き消すように、ふっ、と。
あまりに唐突な事だったため、男は呆けたような顔をする。
自身が助かる事のみ考えていた男は気付かなかった。見落としていた。
何故、複数で固まっていたナイトメアの集団が、あんなに隊列を乱して、不様に逃げていたのかを。
その答えを男は知る事はなかった。
生涯最期の時を、血が沸騰しそうになるほどの熱の中で過ごすことになった彼には、答えあわせをする余裕なんてなかったからだ。
『エナジーフィラー保管施設、防衛ラインを突破。これより、制圧に入ります』
『通信施設、こちらは間もなく制圧を完了する』
進軍を続ける黒の騎士団の戦況報告が届けられる。
虫食いのような敵のお粗末な防衛網を悉く蹴散らし、黒い駒が次々とチェックを掛けていく。
『敵軍、航空戦力の発着場は抑えた』
『TV局の制圧は、今暫く時間を下さい、ゼロ』
頭にトウキョウ租界の地図を浮かべ、報告に合わせてそれを塗り潰していく。
「敵工廠施設と都市ライフラインの関連施設はどうなっている?」
ルルーシュが通信機を通して、それらの制圧部隊に状況報告を求めると同時、彼の視界に赤い光が映った。
ちらり、とそちらに目を向ければ、敵軍の残り少ない航空戦力の一部がハドロン砲に薙ぎ払われているところだった。
『工廠施設は、後、数ヵ所で叩き終わる。敵が逃げ腰になっているから予定より早く上がりそうだ』
『ライフラインの掌握も問題ないよ。現状の制圧率、八割を越えた、ってところかな』
順調そのものである。
首都攻略も半ばを過ぎれば、流石に敵も躍起になってくるだろうかと思い、本陣であるアッシュフォードを扇に任せ、再びガウェインで前線に戻ってきたルルーシュだったが、予想に反し戦況は危なげなく黒の騎士団が優勢のまま、大詰めを迎えようとしていた。
有効打を打ち出せない指揮者にも原因はあるだろうが、それ以上に、このエリアに長く駐屯しているブリタニア軍の脆さが目に付く。
甘い汁ばかり吸い、弱者の相手をする事に慣れてしまったエリア駐屯軍には、この圧倒的不利な状況は想像以上に堪えるらしい。
逆境で奮う誇りも気概も忘れ、薄皮程度しかなかった軍人としての皮が剥がれ落ちれば、我が身が可愛いとばかりに自分勝手な行動を取る輩が出てくる始末。
敵の事とはいえ、見るに耐えないその有り様に、ルルーシュの口から思わず溜め息が出てしまうのも仕方ないと言えよう。
そんな彼等にこれ以上、時間をかけてやる程、ルルーシュは暇でも寛大でもなかった。
「C.C.、どうだ? ここに俺達以外のコードやギアスを感じるか?」
念押しのように、ルルーシュがC.C.に確認を求める。
一応、今はルルーシュもコードを保持してはいるのだが、勝手が違うのか、まだ、ルルーシュにはコードやギアスの気配を読み取る事は出来なかった。
「…いや、コードもギアスも近くにはない。だが、私が感じ取れるのは、あくまで純粋なコードとギアスの気配だけだ。そこから派生した存在の感知については、かなり曖昧になる」
「そうか。なら、まだ、イレギュラーが発生する可能性は残っているな……」
ここまで、懸案事項を悉く潰してきたルルーシュの、最後の心残り。
『前回』の最後、自分達を追い詰めた厄介極まりない忠臣の存在。
もし、彼が出てくるのであれば、やはり、これ以上ブリタニア軍で遊んでいる訳にはいかない。
夜明けも近い。
そろそろ、幕を引くときだろう。
「全軍に通達。これより政庁並びに敵軍司令部の制圧に入る」
いよいよである。
それを理解してか、黒の騎士団全体の興奮と緊張が高まっていく。
「防衛部隊は、現時刻をもって防衛線の維持を破棄。制圧部隊と合流せよ。同時に部隊を再編。通常の部隊編成に再編後、補給を行い、制圧拠点の防衛に部隊の一部を配置。残りは速やかに最終攻略目標へ進軍を開始しろ」
最終局面の作戦を指示をし、続けてルルーシュは勝利を確実なものにするべく布石を打っていく。
「南、杉山、井上、吉田。お前達は小隊を率いて、今から言うポイントに向かえ」
幹部から四人を指名し、あるポイントを口にする。
戦闘区域から離れた一見して関係なさそうな場所を告げられ、四人は首を傾げた。
「念の為、策を一つ用意しておく。お前達はそこに向かった後、それを実行するための準備にかかれ」
相変わらず、意図の読めない指示が下されるが、この時ばかりは、どうしたのか四人とも特に何も言わず、直ぐ様動き出した。
そして、その後、他にも色々と細かな指示を出した後、ルルーシュは最後に藤堂と扇に通信を繋いだ。
「藤堂、扇。しばらく指揮を預ける。作戦進行の指揮は扇が。現場指揮は藤堂が取れ」
それに二人の目が大きく見開かれた。
これから、首都解放の最後の戦いを行おうとしているこのタイミングで、最高司令官が指揮権を放棄しようとしている事に藤堂と扇は疑問を隠さずに問い返した。
『どういうことだ、ゼロ。此方が強く攻勢に出れば、敵もその隙を突いて、反撃に出てくる可能性が高い。制圧した主要施設を奪い返されたりでもしたら、敵が勢いづくぞ』
外縁部と中央区画を分断していた防衛線を破棄すれば、敵はおのずと中央に集まってくる。
もし、最終攻略に手をこまねいている間に、背後からやってきた敵にせっかく制圧した施設を奪還されでもしたら、黒の騎士団は袋の鼠に陥ってしまう。
それを避けるためには、最速で政庁と敵の司令部を落とさねばならない。
それには、やはり、ゼロの天才的な手腕が必要だった。
『そ、そうだぞ、ゼロ。これからが正念場だろう? なのに、いきなり、どうして……』
「正念場なら、もう過ぎている」
二人の疑念と懸念を断ち切るように、ルルーシュが断言する。
「敵の底は見えている。これ以上ブリタニア軍が何かを仕掛けてくる事はない。断言しよう。此方が最終目標に手を掛ければ、まず間違いなく奴等は戦力を集中して守りに入る」
戦い方。立ち回り方。軍の動き。
それらを通して、ルルーシュはブリタニア軍の指揮官の本質を見抜いていた。
典型的な自己保身、自己愛の強い人間、――つまりは、三流指揮官だと。
今、刃を交えているブリタニア軍の大半も同様だろう。
そんな彼等が、我が身を危険に晒してまで僅かな勝機に賭けて反撃に出てくる事は、まず有り得ないと言える。
「わざわざ烏合の衆が一ヶ所に集まってくれるというんだ。そこをまとめて叩けばいい。それで終わりだ」
私がいなくても問題ない、とルルーシュが締め括る。
『……話は分かった。此方は、我々で何とかしよう』
『ああ、それでゼロ。君はどうするんだ?』
「私は、先に政庁に向かわせてもらう」
すっ、と視線が動き、ルルーシュの紫紺の瞳がトウキョウ租界で最も高い建物を捉えた。
捉えると同時。その瞳が如何なる感情からか、少しだけ細くなる。
「……話をしておきたい相手がいる」
黒の騎士団の動きが変わった。
攻勢の色合いが増し、明らかに政庁と軍司令部を狙っている。
その報告を受けて、現在、トウキョウ租界のブリタニア軍の指揮官である男の顔色が目に見えて青くなった。
「何をやっている! この愚か者どもが!」
口を衝いて出てくるのは、罵倒。それのみ。
他の言葉は一切口から出てこない。
「たかだかイレブンの集団にいいようにされおって! それでもブリタニア軍人かッ!」
一番いいようにされているのは、果たして誰か。
それを誤魔化したいのか、指揮官は絶えず、唾を吐き続ける。
黒の騎士団が奇襲を仕掛けてきた当初は、この男の顔にも余裕の色があった。
むしろ、チャンスだと考えていた。
どういう小細工を使ったのかはしらないが、敵がコーネリアを出し抜いてきたのは事実。
彼女の失態で危機に陥ったトウキョウ租界を、自分の采配で見事護り抜く事が出来れば、自分の評価は確実に上がるだろう。
そんな甘い面持ちで、戦闘に臨んだ彼を待っていたのは、圧倒的な黒い蹂躙。
自信を持って打ち出した策は裏目に出て、白紙に墨滴を垂らしたように広がっていく黒の騎士団の侵攻に何も出来ないまま、ズルズルと追い詰められていってしまった。
「くそッ、何でも良いから、早く何とかしろッ!」
混乱が極まり、額に脂汗を滲ませた指揮官は、既に自分で考える事をやめ、ひたすらに他者に事態の収束を命じるだけだ。
そうこうしている間にも、もたらされる報告は事態の悪化を知らせてくる。
このままでは、全てを失う。
地位も名誉も。それどころか命さえも。
そんな事が思い浮かんだ指揮官が取った行動は、まさしくルルーシュが予見した通りだった。
「全軍に命じるッ! 全ての戦力を政庁と此処に集めよ! 何としても、此処が落とされるのだけは防ぐのだッ!」
「ま、待って下さいッ!」
保身の為に、何も考えず、ひたすら己の周りを固めようとする指揮官に、まだ、まともな思考が残っていた軍人の一人が反論した。
「ただ守りに入ってもジリ貧ですッ。勝つには、敵に奪われた施設を奪い返さなければ!」
例え、本丸たる政庁が無事でも、都市機能を敵に掌握されてままでは状況は好転しない。
嵐の海でポツン、と小舟が沈まずに浮かんでいたとしても、それにどれだけの意味があるのか。
現状を打破するには、危険でも此方も打って出るしかない。
そう必死になって、軍人は指揮官に進言するが、返ってきたのは血走った目で睨み付けてくるその視線だった。
「ふざけた事を抜かすなッ! そんな事をしている間に此処を落とされたらどうすると言うんだ! 政庁にはユーフェミア様もいるんだぞッ。適当な作戦を立てて、もし、何かあれば、責任を取れるのか!? えぇ!?」
「―――――ッ」
軍人がきつく唇を噛みながら、黙り込む。
責任、という言葉を出されれば、もう、彼には何も言えなかった。
「とにかく、守れ! 何としてもだ! そうすれば、――そう、そうすれば、必ずコーネリア殿下が助けに来てくれる!」
ふと、浮かんだ考えをそのまま口にする。
だが、その発言は、今までの無意味なものに比べれば、程々に効果はあった。
窮状を知らせてきたコーネリアは、全力でトウキョウを目指していると言っていた。
だとすれば、耐え続けてさえすれば、いずれコーネリアが駆け付けて、助けてくれるだろう。
皆がそう思った。
…もっとも、その発言をした当の本人は、コーネリアが来れば、全ての責を彼女に押し付けられる、とそんな浅ましい事を考えていたが。
それでも、希望が見えるからか。司令部内がにわかに活気づいた。
仮にコーネリアが間に合ったとして、どうやってこの状況をひっくり返すのか。どうやって黒の騎士団に半ば奪われたトウキョウ租界を取り戻すのか。
そんな事は考えない。そんな不安に向き合える程、彼等の心に余裕はない。
だから、祈る。
普段は祈るどころか、神の存在すら笑い飛ばしているのに、今だけは都合よく、真摯に。
早く助けが来るようにと。
早く救いがあるようにと。
―――だが、その祈りが神に届く事はない。
何故なら、彼等が相手にしているのは、魔王ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
神すら支配してみせた男を前に。
神への祈りなど、通じる筈もなかった。
土煙が舞う。
戦場となっているトウキョウから離れた山道の一つ。
普段はあまり、人の通る事はないが通行に不便を感じない程度には整備が行き届いているトウキョウに通じる道の一つ。
そこを全力で抜けようと脇目も振らず、疾走する集団があった。
コーネリア軍である。
火急の報せを、本国とトウキョウ租界に入れたコーネリアは、速やかに残存兵力をまとめ上げ、一路、トウキョウに向かって突き進んでいた。
そして、そんなコーネリア軍を遠くから見ている存在が一つ。
「来た、本当に来たぞ……!」
双眼鏡片手に見張りをしていた日本人の若者が、地平に地鳴りを上げて、此方に向かってきているコーネリア軍を確認して、鼻息を荒くしながら、離れた場所にいる仲間達に通信で報告を入れる。
彼等はレジスタンスのグループだった。
この界隈に拠点を置き、日々、日本奪還の為に活動していた。
とはいえ、黒の騎士団や日本解放戦線のような大それた組織ではない。
本格的にブリタニアと事を構えるには、今一つ覚悟が足りない。
精々が、名ばかりの、と付かない程度に活動している極小規模な組織だった。
そんな彼等に、黒の騎士団の副司令から連絡があったのは、数時間前の事になる。
「よし。……ッ、おい、準備は出来てるのか?」
「ああ、バッチリだ……ッ」
いつもの嫌がらせのような活動とは違う。
これは紛れもなく日本の奪還に通じる作戦の一端である事。
そして、相手が其処らの軍人ではなく、天下のコーネリアである事。
本当の戦争に身を浸しているという実感に、リーダー格の青年や応じる仲間の声が、緊張で上ずった。
地響きが強くなってくる。
刻一刻と浮き彫りになっていく、軍列の先頭を走るブリタニア製のナイトメアの姿。
それは、八年前のあの日から、日本人にとっての恐怖の象徴。夥しい量の血をこの国の土に染み込ませてきた虐殺の象徴でもある。
今までのレジスタンス活動では見ることのなかった、そんなナイトメアが数え切れない程に含まれた、ブリタニアの大軍。
それは、元を辿れば、唯の一般人でしかないレジスタンスのメンバーからしてみれば、見ているだけで戦意が挫かれてしまいそうな程に、暴力的な光景だった。
「―――――」
でも、挫けない。
恐怖と緊張で身体が震えるのを誤魔化せなくとも、振り上げる手の動きが鈍る事はない。
意地があるのだ。彼等にも。
願いがあるのだ。この国に生まれた命には。
そう。
例え、花を咲かすことは出来なくても。小さく芽吹き続けてきた意思がこの国には無数にある。
で、あるならば。
それを拾い上げずして、何が奇跡か。
「―――今だッ!」
タイミングを見計らっていたリーダーが、勢い良く腕を振り下ろす。
それに合わせて、爆弾から伸びたケーブルが繋がっている起爆装置の取っ手に手を添えていた仲間の男が、思いっきりそれを押し込んだ。
爆音が響く。
崖が崩れ、岩が雪崩れた。
ブリタニア軍が巻き起こした土煙とは、また、別の土煙が、もうもうと視界を曇らせる。
トウキョウへの道。その道の半ばを過ぎたところで起こった、突然の土砂崩れに、先を急いでいたブリタニア軍は慌ててその足を止めた。
「くそッ! またしても……ッ!!」
もう、何度目かになる足止め。
手を変え、品を変え、何度も自分達の道往きを邪魔するイレブンの妨害に、コーネリアは苛立ちの言葉と共に拳を力一杯振り下ろした。
直接的な被害はない。道を塞ぎ、進路を断つだけの単純な策。
だが、それも複数回に渡って続けば、余裕と時間も奪われよう。
「やはり、これもゼロの仕業でしょうか?」
部隊の被害状況を確認していたギルフォードが、憔悴の色が濃くなった顔を懸命に引き締めながら、コーネリアに問い掛ける。
それに、コーネリアは答えない。
だが、否定をしない事が答えだと彼女から発せられる怒り混じりの威圧感が、そう物語っていた。
進軍の勢いを削ぐ絶妙のタイミング。
返すか、進むか。それに迷いが出る絶好のポイント。
そして、個々にあって繋がりのない小さなレジスタンスに渡りをつけ、地雷のようにトウキョウまでの道に配置させた交渉力。
考えるまでもなく、この裏にゼロがいると言えた。
事実その通りである。
コーネリアは迷いなく、己が心に従って、トウキョウに引き返す事を決めたが、ここに至っても「らしさ」を失わない彼女の強さは、それ故に皮肉にもルルーシュの予測にも迷いを与えなかった。
ならば、コーネリアが間に合う、間に合わないは別にして。
何もしないという選択肢はルルーシュにはない。
敵が万が一の可能性に賭けるなら、その一すら刈り取っていく。
徹頭徹尾、敵に付け入る隙を与えない。
その徹底した容赦の無さが、彼を世界の頂きに押し上げたのだ。
だが、手持ちの戦力である黒の騎士団は、トウキョウ奪還で精一杯で、コーネリアの足止めまで手が回らない。
そこで、ルルーシュは、先のような特区・トウキョウ間に数多く点在するレジスタンスグループに白羽の矢を立てた。
本来であれば、所在は元より、存在すると知られる事すら死に繋がるかもしれない、小さなレジスタンスグループを見つけ、連絡を取ることは困難を極めるが、ルルーシュには、『前回』、ブラックリベリオンの時の記憶がある。
その時に、黒の騎士団に合流したレジスタンスの情報を記憶から掘り起こしたルルーシュは、彼等にコーネリア軍の妨害を要請した。
誰あろう、ゼロ直々のご指名である事。
戦闘をするのが目的ではないので、危険が少ない事。
そして、何より、日本を取り返すのに一役買いながら、ブリタニアに一矢報いられる事。
断る理由はなかった。
扇から連絡を貰ったレジスタンスは、皆、一も二もなく頷いた。
「ちぃ……ッ」
ナイトメアから降りたコーネリアが、道を分かつように堆積する土砂の山を見上げて、顔をしかめる。
数十メートルに渡って、道を塞ぐ土の山は崩れたばかりで柔らかく、そう易々と越えていけそうもなかった。
ナイトメアだけなら、周囲の崖を登り、迂回する事も出来なくはないが、フィラーや待機中のナイトメアを積んだトレーラーは、どうやっても無理だ。
必然的に、今、この場における選択肢は目の前の障害物を撤去して進むか、他の道があるところまで引き返すかの二つに絞られる。
どちらを選んでも、時間を多量に消費する以上、せめて、即断し、迅速に行動しなければならない。
だが――――
「……………」
「姫様………」
沈黙を貫くコーネリアに、ギルフォードが声を掛ける。
分かっている。
こうしている間にも時間は流れていく。無駄に出来る時間は、一秒とてない。
それは、コーネリアが一番、よく分かっている。
分かっていて、それでも、コーネリアは沈黙せざるを得なかった。
この極小レジスタンスの足止めが、ゼロによるものだと一度目の襲撃の時に理解していたコーネリアは、勿論、ただ、されるがままでいた訳ではない。
罠を回避するべく、相手の思考を読んで、ルートを厳選していた。
広い道。狭い道。公道。山道。果ては、獣道。
条件を絞らなければ、道など無限にある。
いくら、ゼロと言えど、その全てに罠を張るのは不可能に近い。
準備に掛かる時間を考えれば、コーネリアがルートを選んだ後に手を打つ事は出来ないだろう。
多少、時間を奪われるのは痛いが、これ以上、敵の妨害を受けてやるつもりはコーネリアにはなかった。
だが、ここに来て、その見通しは甘かったと思い知らされる。
確かにコーネリアの言う通り、全ての道に仕掛けを講じる事は出来ない。
限りのある手札で敵の時間を少しでも奪おうと考えるならば、この場合、最短ルートを潰し、なるべく時間の掛かるルートを通らせるようにしようと考えるのが普通だろう。
その辺りを踏まえ、また、逆に時間の掛かり過ぎる道にも罠がある可能性など、考え得るリスクを排してルートを選んだコーネリアに、特に落ち度はなかった。
だというのに。
(何故、こうも行く先々で………ッ)
どの道を選んでも。どれだけルートを模索しても。
一度や二度ならともかく。
何度、道を選び直しても、必ず敵の妨害を受ける以上、偶然で片付ける事は出来ない。
信じられないが、自分の考えをゼロに完全に読まれている可能性がある。
その疑念が、コーネリアから判断の速度を奪っていた。
繰り返すが、コーネリアに落ち度はない。
ただ、今回に限れば、相手が悪かったと言える。
まさか、相手がどう思うか。何を考え、何を話すか。
先んじて言動を予測し、録画した内容で会話を成立させる程に相手の思考・心理を読み切れる人間がいるなんて誰が思おう。
「クソ……ッ」
白い手袋ごと爪を噛み、コーネリアは吐き捨てるように悪態を吐く。
退くのが正しいのか。進むのが正しいのか。
別の道を行くのが正しいのか。
だが、その先で、また、妨害を受けるかもしれない。
なら、多少、時間が掛かっても障害物を排除して、先に進むのが良いのか。しかし、この先に罠がないとは言い切れない。
思考を重ねれば重ねる程、迷いは深くなり、焦りが積もっていく。
「どこまでも、あの男は…………ッ」
積もった焦りが、苛立ちと怒りを助長させる。
こんな所で立ち止まっている暇はないのに。
早く、一秒でも早く、トウキョウに向かわねばならないのに。
直接刃を交えず、陰湿なやり方でこちらを盤上から排しようとするゼロにコーネリアは怒りを感じずにはいられない。
そして、それ以上に―――
「自ら噛みつく牙も持たない雑魚共めッ。狩るまでもないと見逃していれば、付け上がりおって――――ッ」
それ以上に、弱者と見なした連中に手をこまねいているという事が腹立たしく、屈辱的だった。
戦いが始まる前、コーネリアは敵はゼロ、唯一人と定めた。
数いる抵抗勢力など歯牙にもかけず、他は、全て取るに足らない存在だと断言した。
その認識に間違いはない。
事実、その他大勢のレジスタンスなぞ、彼女にかかれば号令の一つで吹き飛ぶ塵の様なものでしかないだろう。
だから、コーネリアは彼等に目もくれなかった。
だが、それこそが彼女の間違い。
彼女は彼女の物差しでしか強さを測れず、それ故に見誤ったのだ。
どれだけ踏みにじられても、芽吹き続ける。
道端に生える雑草にも強さがあることを彼女は知らなかった。
故に、こうして、今。
コーネリアは苦しめられている。
ゼロの手引きがあったとはいえ、コーネリアは、歯牙にもかけなかった者達の小さな強さによって、愛しい妹のいるトウキョウに向かう事も出来ず、遥か遠い道の只中で立ち往生する羽目になっていた。
光の濃度が増す。
夜が途切れ始め、白に染まった東の空が、もう夜明けまで時間がない事を告げていた。
その空を憎々しげにコーネリアは睨みつけた。
本来なら、新しい日の始まりを予感させる、清々しい光景も、今のコーネリアにはジリジリと焦燥を煽る砂時計のようにしか感じられなかったからだった。
カツン、カツン、と明るくなり始めた空の光に照らされた廊下を一人、歩く。
非戦闘員は、我先に逃げ出したのか、エリアにおける権力の象徴である場所にしては、とても人の気配が薄い。
それでも、時折、現れる警備員や兵を散らし、迷いなく目的の場所へ歩いていく。
状況を鑑みれば、もう避難している可能性の方が高い。
だが、きっといるだろう。
愛らしい外見に似合わず、胆が据わっている事は、昔から知っているし、あれでいて、気性の面でも姉と似通っているところがある。
だから、きっと逃げずにいるだろう。
そう、確信していた。
そうして、目的の場所に辿り着く。
ドアをロックしているシステムを持ち前の技術で解除して、扉に手を掛けた。
シュン、と軽い音を立てて、扉が開かれる。
開いた扉の向こう―――。
そこに、半日前に顔を合わせた、二度と会うことの叶わないはずの妹の姿があった。
「ルルーシュ…………?」
突然、ロックされていた扉が開いた事に驚き、警戒心を露にしながら振り返ったユーフェミアだったが、そこに立っているのが誰だか分かると頭が真っ白になってしまった。
黒い衣装を身に纏った黒い仮面の男。
顔どころか、肌すら見えないのに、ユーフェミアにはそれが兄であると確かに分かった。
「本当に、生きて―――……」
ふつり、と眦に涙の珠が浮かぶ。
死んでしまったのではないかと思っていた。
ゼロが生きていた、というのは聞いていた。
でも、自分の手やスカートを真っ赤に染める程の血を流している姿をユーフェミアは直に見ていたから、皆が言うゼロは自分の知る
「……ああ、心配を掛けた」
口元を覆って、嗚咽を漏らすユーフェミアにルルーシュが仮面越しに声を掛けた。
「ううん。……良かった。本当に」
ふるふる、と涙を溢しながら、小さく首を振る。
その顔に笑顔が戻る。
それは、いつものように柔らかくて、温かく、華を思わせる笑みではあるが。
「貴方にまで何かあったら、私は本当に何の為に………」
いつもとは違い、どこか後ろ向きな感情が窺える、まるで、今にも花弁が落ちて、儚く散ってしまいそうな、そんな華を思わせる笑顔であった。
「ユフィ?」
それにルルーシュも気付いたのだろう。
様子の可笑しい妹を窺うように名前を呼んでみるも、返ってきたのは消えてしまいそうな程に弱々しい笑みだった。
ユーフェミアは答えない。
眦に残った涙の滴を指先で払うと、くるり、とルルーシュに背を向けて、窓の方を向いた。
「………皆。皆、分かっていたのね」
視線を窓の外に向けたまま、ユーフェミアが、ポツリ、と言葉を落とす。
高い政庁の建物から、下を見下ろせば、明るくなり始めた空に照らされた街並みが見えた。
トウキョウ租界と、ゲットー。
ブリタニア人と、日本人の住む街並みが。
「お姉様も、シュナイゼルお兄様も。…ルルーシュも、分かってたんでしょう? きっと、こうなるって」
脈絡のない、唐突な話題だったが、ルルーシュにはユーフェミアが何の事を言っているのか理解出来た。
だから、余計な口を挟まず、黙って彼女の吐露に耳を傾ける。
「当たり前よね。私にさえ、思い付いたんだもの。お姉様やルルーシュが思い付かない筈ないわよね」
そんな事にも気付かないで、私……、と言う、その顔に浮かぶ自嘲的な笑みが窓に映る。
正しいと思う事をした、――つもりだった。
喜んで貰えると思う事をした、――つもりだった。
幸せになれると思う事をした、――つもりだった。
熱い想いを胸に、眩しい夢を見た。
それを叶える為に、自分の意思で自らの道を歩み出した。
それが、ただ単に、熱に浮かれ、眩しさに目が眩んでいただけだったと気付いたのは。
全てが終わってからだった。
「取り返しのつかない事をしちゃった」
スザクは、ユーフェミアは間違っていないと言った。
でも、そんな訳がないとユーフェミアは思う。
間違っていたから、失敗したのだろう。
間違っていたから、拒絶されたのだろう。
だから、そんな自分が正しいなんて事はあり得ない。
ユーフェミアが振り返る。
その瞳が、先程とは別の涙で揺れていた。
頬に熱い涙を伝わらせながら、それでも微笑む彼女は、――とても、痛々しかった。
「全部、……ッ、私の、せい。……私、が、間違っていた、……からッ、あんな事が起きた。そう、なんでしょ………ッ?」
私が間違ったから。私がいたから。私のせいで。
私が。
私が。
私が――――。
血を吐くように、自分を否定し続けるユーフェミア。
そこに、幼い少女がいた。
しゃくりあげ、止めどなく涙を溢し、自分が描いた夢を破り捨てようとしている少女が。
でも、出来なくて。
間違っていると思っていても、その夢を、願いを、自分では捨てきれなくて。
だから、誰かに、――いや、ルルーシュに否定して欲しかった。
一度は手を取ってくれて、だけど、そのせいで傷つけて。
自分の夢にいて欲しいと望むルルーシュに終わらせて欲しかった。
自分とは違う方法で、同じ夢を望むルルーシュなら、終わらせてくれると思った。
でも――――
「………………」
「―――るるぅ、……しゅ?」
その首が、しっかりと、そして、はっきりと横に振られた。
その意味が分からず、ぼんやり、とユーフェミアは黒い仮面を見つめる。
「ユフィ。君は間違えたんじゃない。知らなかったんだ」
無機質な仮面に似合わない、優しげな声が響く。
遠い昔、自分や彼の妹の他愛ない疑問に答えてくれていた時のような声で。
「知らなかった? ………何を?」
何を知らなかったのだろう、とユーフェミアは幼子のように首を傾げた。
ブリタニア人の事をだろうか?
日本人の事をだろうか?
苦しみの意味をだろうか?
悲しみの意味をだろうか?
答えは、――全て、否。
「自分自身の事を」
予想外の答えに、ユーフェミアの頭が真っ白になった。
それは、決してユーフェミアだけのせいではないだろう。
陳腐な言い回しになるが、世界は広い。
一歩、今いる場所から踏み出せば、それだけで世界は色を変える。
その色の分だけ、人は仮面を持つのだ。
ルルーシュが、皇族、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアであるように。
学生、ルルーシュ・ランペルージであるように。
奇跡の男、ゼロであるように。
全てに憎まれる、悪逆皇帝であるように。
永遠を生きる魔女にとっての、
人と交われば、交わるだけ仮面は増えていく。
そして、その仮面も。
ちょっと角度を変えれば、光を映す硝子のように、その仮面の色も、誰が見ても同じ色には決してならない。
だから、世界は簡単ではないのだ。
だから、世界は、こんなにも思い通りにならないのだ。
「君は、まず、知るべきだったんだ、ユフィ。たとえ、君の手が血で汚れていなくても、君の名が、既に血で汚れていることを―――」
ユーフェミア・リ・ブリタニア。
神聖ブリタニア帝国第3皇女。
血の臭いとも、硝煙の臭いとも無縁な、可憐な華の姫君。
平和を願い、平等を尊ぶ慈愛の皇女。
そして。
強さのみを是とする皇帝の娘。
虐殺を行い、沢山の命を無為に奪った腹違いの兄と実姉を持つ少女。
今も、日本人を、弱者を虐げ続けているブリタニア。その象徴たる皇の血を引く者。
本人がどう思おうと、どう望もうと、その想いとはかけ離れた色でユーフェミアを見る者もいる。
いや、皇族としての権力を振るい、特区を実現しようとした以上、そこに含まれる業も背負わなくてはならない。
ブリタニア皇族がその力を、地位を、栄誉を得る為に、流した血と犯した罪も、ユーフェミアは負わなくてはならなかった。
でも、ユーフェミアは気付けなかった。
ずっと、変わらない優しい世界にいたから。いさせてくれたから。
自分の預かり知らない所で、自分の意味が変わる事もあると知らなかった。
だから、見落としてしまった。
苦境に嘆き、悲嘆に暮れる日本人達に手を差し伸べる一方で、
間違ったのではない。
ユーフェミア・リ・ブリタニアは、ユーフェミア・リ・ブリタニアを知らなかった。
それだけなのだ。
「そう…………」
話を聞き終えたユーフェミアが、小さくそう呟く。
何がいけなかったのか。その答えが分かっても、いや、分かったからこそ、ユーフェミアの顔に明るさが戻る事はなかった。
結局、大して変わらない。
間違っていたのか。知らなかったのか。
そこに、大きな違いなんてないだろう。
自分が悪い事には変わらないのだから。
「やっぱり、私のせいだったのね。私が、何もしなければ良かったんだ」
ギュッ、と前で合わせた両の手を強く握り込む。
無知なまま、夢を語ってしまったのが悪かったのだ。
皆の言う通りだ。
お飾りは、お飾りらしく。綺麗に飾られていれば、それで良かったのだ。
カタカタ、とユーフェミアの細い肩が震える。
それが、悔しさで震えているのか。
羞恥か、それとも、悲しみか。
震えている本人にも、よく分からなかった。
そんなユーフェミアを、ルルーシュは黙って見つめていた。
少しの間、そのまま黙っていたルルーシュだったが、暫くするとゆっくりとユーフェミアの方へ歩き出した。
「―――前に、言われた事がある」
窓際に立つユーフェミアの側に向かいながら、ルルーシュが口を開く。
「ずっと、ある一人の為に戦ってきて。きっと、俺の戦いが、俺の望みがその人を幸せにすると信じて戦ってきた。でも、俺の戦いはその人に否定された。貴方のやり方は間違っていると思う、と」
その手が仮面に触れる。
ルルーシュの靴の音と、仮面がスライドする小さな音にユーフェミアが顔を上げた。
「もう、俺の戦いに意味はないんだと。俺は必要ない、むしろ、邪魔なんだと。自分のしてきた事が全て意味のない、間違ったものだと思って、自暴自棄になりかけていた俺に、ある女性がこう言ったんだ」
「――――――?」
靴音が止まる。
仮面を外し、ユーフェミアの目の前に立ったルルーシュは悲しみに染まる妹の瞳を真っ直ぐに見つめながら、言葉を紡いだ。
「一度、失敗したから何よ、って」
その言葉に、ユーフェミアの目が大きく見開かれた。
「俺には夢を見せた責任があるって、そう怒られた」
その時の事を思い出して、ルルーシュは小さく笑う。
でも、それも一瞬で。
再び、真摯な、力ある瞳がユーフェミアの瞳を捉える。
「誰かを慮り、何かをしようとする気持ちも、行いも、とても尊いものだ。でも、それを振り払われたからと言って、否定してしまえば、それは、ただ善意を押し付けようとしていたという事になる。それは、悪意と何も変わらない」
「ルルーシュ……」
戸惑いの色を見せるユーフェミア。
ルルーシュが何を言いたいのか、分かるような。でも、分かりたくないような。
そんな曖昧な表情でルルーシュを見つめ返す。
「人は神ではない。失敗しない人間なんていない。答えを間違えずに歩み続ける事なんて、誰にも出来はしない」
その視線が掌に落ちた。
ルルーシュ自身、沢山、失敗した。沢山、間違えた。
その結果、多くのものを失った。多くのものを犠牲にした。多くのものを切り捨てた。
その手に残ってくれたのは、たった一人だけだった。
拳を握る。
その手に残ったものを、噛み締めるように握ると、再びユーフェミアに視線を戻した。
「確かに、ユフィ。君の特区は失敗した。でも、君の夢を、誰も信じなかったのか?」
「それ、は…………」
果たして、あの特区に誰も来なかっただろうか?
皆がくだらないと、そっぽを向いただろうか?
いいや、そんな事はなかった筈だ。
「夢を捨てるな、ユフィ」
ルルーシュの手がユーフェミアの手に触れる。
真っ白になるくらい、強く固く握り込んだ手を解すように、指を一本一本、開いていく。
「失ったものだけを見るな。まだ、この手に残っているものを見ろ。あの時、この手の上にあったものを思い出せ。それが、君の、夢の重みだ」
優しく、兄の手に握り締められた自分の手の平を見る。
そして、思い出す。
あの時の光景を。
あの時、特区に来てくれた人達の事を。
自分の語った夢を、信じてくれた人達の事を。
「でも、……でも、また、失敗したら…………」
怖かった。
また、失敗したら。間違えたら。
また、今回のような事が起こったらと思うと怖かった。
次は、この手の平から全てのものが溢れ落ちてしまうかもしれない。
そう思うだけで身体が縮んだ。
「一人で考えるな」
ともすれば、弱気に踞りそうになるユーフェミアに、ルルーシュが言葉を注ぐ。
「君は一人ではないだろう? ユフィ。自分一人で不安なら、誰かと一緒に考えれば良い。誰かと一緒に頑張れば良い。少なくとも、君には、君と一緒に夢を見てくれる誰かがいた筈だ」
「あ…………」
そう告げられた言葉に、目の前が開けた気分になった。
その人の顔が思い浮かぶ。
誰にも理解されず、一人で戦う人を。
誰に分かってもらえなくとも、一人、足掻いていた人を。
その人の力になりたかった。
その人と一緒に戦いたかった。
そう想う人が、自分のすぐ隣にいてくれた事を。
ユーフェミアは思い出した。
「人を信じる事をやめるな」
それでも、上手くいかない事もあるだろう。
失敗し、間違え、打ちのめされる事もあるだろう。
それでも―――
「人を想う事をやめるな」
人の気持ちが分かるから、人は人に優しくなれるんじゃない。
人を想うから、人を思いやろうとする気持ちがあるから、人は人に優しくなれる。
それが、いつか、きっと、ルルーシュやユーフェミアやナナリーの願う、他人に優しい世界に繋がる。
ルルーシュはそう信じているから。
だから――――
「人を諦めるな、ユーフェミア」
瞬間、ユーフェミアの瞳から涙が溢れた。
顔を両手で覆い隠し、コクン、コクン、と何度も頷く。
「ごめ、ッ、なさ、………ッ」
嗚咽が酷くて、上手く喋れず、途切れ途切れにユーフェミアは言葉を溢していく。
「駄目、ッ、だと、…思った、から、ッ、……諦めなくちゃ、いけ、ない、ッ、て…………」
涙が止まらないユーフェミアの頭に、ポン、とルルーシュの手が乗る。
柔らかく、心地よい肌触りの髪をゆっくりと梳いた。
「構わないよ、沢山、泣くと良い。その涙を拭ってくれる人も、君にはいるんだから」
その言葉が嬉しくて。
また、涙が溢れてくる。
泣き続ける。
半日間、胸に蟠った重い気持ちを吐き出すように、ユーフェミアは大声を上げて、泣きじゃくった。
「ごめんなさい」
そうして、長らく泣いて、落ち着いたのか。
暫くして、ユーフェミアが恥ずかしそうにルルーシュに謝った。
最も、声はまだ、鼻声で。目も真っ赤だったが。
「そんなに気にする事じゃないだろう? 昔は、よくナナリーと喧嘩して、二人でわんわん泣いていたじゃないか」
「もう、ルルーシュ!」
意地悪な事を言ってくるルルーシュに、ユーフェミアが頬を膨らませる。
そこに、先程までの陰はない。
いつものユーフェミアが、そこにいた。
「……どうした?」
その事に安心していたルルーシュだったが、ユーフェミアが何時までたっても、頬を膨らせ、次いでジトッ、と自分を見つめてくるものだから、不思議に思って問い掛ける。
「………ルルーシュは、私の涙を拭ってはくれないのね」
不貞腐れたように、そっぽを向くユーフェミア。
先程、ルルーシュは優しく頭を撫でてくれていたが、涙を拭ってはくれなかった。
ついでに、泣いてる妹に胸を貸してくれる事もなかった。
「……まあ。君に一緒にいてくれる人がいるように、俺にも隣にいてくれる奴がいるから、な」
何となく、不本意な感じが見え隠れする、そんな表情でルルーシュがポツリ、と呟く。
「頑固で意地っ張りな割に泣き虫でね。約束がある手前、俺はソイツの涙を拭うので精一杯なんだ」
困ったように笑いながら、ルルーシュが肩を竦める。
でも、それに反してユーフェミアは悲しそうに眦を落とした。
何気ない会話だったが、気付いてしまったのだ。
それは、別れの言葉。
一緒にはいけないと。一緒の道は歩めないと、そう言っているのだと気付いたから。
「大丈夫だよ、ユフィ」
ユーフェミアの表情から、会話の裏に隠された真意に気付いたのだと理解したルルーシュは、彼女の頭をポンポンと撫でながら、優しく笑い掛けた。
「歩む道は別でも、願う先は一緒だろう? 心配しなくても、辿り着いた
「……本当に?」
「ああ」
疑わしそうに自分を見るユーフェミアに苦笑しながら、ルルーシュは頷く。
でも、納得出来ないのか。
じゃあ、と言いながら、ユーフェミアは小指を差し出した。
それを見たルルーシュが、驚いたように目を丸くした。
「あれ? 知らない? 指切りって言うの。前にスザクに教わったんだけど……」
――この前、教えてもらったの。日本の約束の仕方。
「……離れていても、やっぱり―――」
「? どうかしたの? ルルーシュ」
「いや………」
何でもないよ、と言って、ルルーシュも小指を差し出した。
小指と小指が絡まる。
半日前、しっかりと握手した時とは違って、今回は、指を一つだけ。
まるで、細い糸のような、そんな繋がり方。
(でも、今度は切れない。切れさせない)
楽しそうに、お決まりの唄を歌うユーフェミアを見ながら、ルルーシュは心の中で硬い決意を示した。
「それで、あの、今更だけど……」
指切りを終え、改めて、思うことが出来たユーフェミアが、おずおずとルルーシュの顔を覗き込みながら、尋ねる。
「今、外って、どうなっているのかしら? 黒の騎士団が攻めてきたって聞いたけど……」
「ああ、その事で君に頼みがあるんだ。ユフィ」
ユーフェミアの様子が気になったというのもあるが―正直、そっちの方が本題に思えるが―先んじて、一人、政庁に乗り込んできたのには、ちゃんとした訳があった。
「すまない、ユフィ。この戦いが直ぐに終われるように、君を―――」
そう、用向きを切り出した時だった。
建物が、大きく揺れた。
「きゃッ」
突然の揺れに驚き、バランスを崩したユーフェミアが転びそうになる。
「ユフィッ!」
間一髪のところでユーフェミアを抱き止め、ルルーシュは振動を伝えてくる自分の足下に視線を落とす。
「地震、かしら?」
「いや、地震にしては揺れ方も揺れの強弱も不規則すぎる。これは、もっと―――ッ」
そこで、心当たりに思い至ったルルーシュは、通信機をオンにすると、怒鳴るようにして問い掛けた。
「C.C.ッ! 反応は!? この揺れの原因は――ッ!」
ブツ切れの質問だったが、魔女にはきちんと伝わったようだ。
ルルーシュに頼まれ、ドルイドで超広域サーチを行っていたC.C.が皮肉を利かせながら、答えを返してきた。
『残念なお知らせだ。お前の懸念が当たってしまったようだぞ、ルルーシュ。直下から地上に向けて上がってくる大型ナイトメアの反応がある。このスピードなら、地上まで、あと数秒だ』
「ッ!?」
それを聞いたルルーシュが、窓に張り付くようにして眼下を睨むように見る。
外で戦闘中のブリタニア軍と黒の騎士団も揺れに気付いたのか、戦闘が一時中断していた。
「来るのか。やはり、来てしまうのか………ッ」
出きることなら、避けたかった。
でも、そんなルルーシュの願いも空しく、それは遂に地上に飛び出した。
従来のナイトメアを遥かに凌駕するその巨体。
人の形を忘れ、より兵器としての面影を見せる形状。
今までのナイトメアとは一線を画する、未知にして新なる空飛ぶ要塞。
ナイトギガフォートレス、ジークフリート。
「ジェレミア――――ッ!」
パイロット、ジェレミア・ゴットバルト。
書きたかったのはブリタニアの強さ(弱さ)と、日本の弱さ(強さ)。
自分に優しい世界でぬくぬくしていた連中と、国を、延いては誰かの為にと戦ってきた人達の想いの差。
他人に優しくなれる世界というのは、この小説での題材の一つなので、そんな感じが少しでも出てれば、と思います。
ラストはユフィ。
何か勢いのままに書いてしまいました。後で帳尻合わせが大変になりそうだけど、まあ、……良いかな?
ともあれ。
次回、特区(ルルーシュ復活)編、クライマックス。
……多分。