「…………」
腹に響く重低音を響かせた軍用車両が遠ざかっていくのを確認し、C.C.は大きく息を吐いた。
あの日から数日が経過した。
軍に見つかるわけにはいかないC.C.は、前回の記憶を頼りに人目につかないようにゲットーからトウキョウ租界に移動していた。
ルルーシュと逃げた地下水道を使ったり、人が通らないような瓦礫の中を進み、なんとか見つからずにゲットーから脱出することは出来たが、問題はそこからだった。
何せ、C.C.が身に着けているのはブリタニアの囚人服。自分は犯罪者です、と言っているも同然の格好なのだ。軍の取り締まりが緩くなった代わりに、人目が多くなった場所を闊歩するには問題ありまくりな格好である。
とはいえ、着替えようにも替えの服などあるわけもなく、それを調達しようにも騒ぎが起きてしまうことを考えれば実行することも出来ない。
なので結局、C.C.は人目が少なくなる夜の内にしか移動することが出来ずにいた。だが、その夜間でさえもクロヴィスの一件故か警戒レベルの上がった警戒体制に引っ掛からないように移動するには慎重に時間を掛けなければならず、結果、数日経った今でも目的地に辿り着けずにいるわけである。
はぁ、とC.C.は何度目かも分からないため息をこぼした。
そも、租界に入った当初はここまで苦労するとはC.C.は考えてもいなかった。前回の記憶があるのでそれを頼りに行動すれば、あっさり目的地に辿り着けると思っていた。
だが、過去の、―ある種、未来の記憶とはいえ、所詮記憶は記憶である。どこぞの共犯者であれば、過去のどの時点の事柄でも仔細に記憶しているかもしれないが、残念ながらC.C.は彼ほどの記憶力を持ち合わせてはいない。精々が「こっちの道は危なかった」とか「ここに隠れていた時に気付かれそうになった」とか、その程度である。
結果、大きな危険は回避することは出来たが、警戒して進まなければならないのは変わらず、また、心の在り様が変わったせいか、前回よりも捕まらないようにしなければという思いが強くなり、必要以上に慎重になってしまったため、気付けば前回と変わらないくらい時間が経過していた。
『別にそんなに警戒しなくてもいいんじゃない?』
頭の中でマリアンヌの声が響く。
「これ以上、面倒がかかるのはごめんだ。ただでさえ、予定外な横槍が入ったせいで接触に遅れたというのに」
『ふ~ん? まあ、捕まってもシャルルに言って、ちゃんと助けてあげるから心配しなくてもいいわよ?』
「ああ」
そう返事をしながら、内心で嘘つきめ、とC.C.は思っていた。そんなつもりないくせに、と。
そもそも、マリアンヌ達は自分達の計画が成就出来さえすれば、他のことは全てどうなってもいいと考えている連中である。そんな連中がC.C.やルルーシュの心情を慮り、ただ傍観している訳がない。
おそらく、彼女達にとってはルルーシュとC.C.の契約はルルーシュにコードを引き継がせようとするのと同時に、C.C.の動きを把握し隙あらば彼女を捕まえるためのものでもあるのだろう。
実際に前回、ルルーシュがシャルル達の手に落ちてC.C.を誘き出すために使われた際、V.V.を誤魔化すための演出とか色々言っていたが、C.C.が撃たれた時、ルルーシュがC.C.を受け止めようと側にやってこなければ。自分が蘇生する前にルルーシュが殺されていたら、C.C.は捕まっていた可能性が十分にあったし、C.C.はマリアンヌから別人の身体に精神を潜ませていることを教えられても、それがアーニャ・アールストレイムであることは中華で接触するまで知らなかった。そのことからも、戦場で機会があれば捕らえるつもりでいたと窺いしれる。
つまり、彼女達にとってはC.C.を捕まえることが出来ればそれに越したことはないのだ。手間が省けたとばかりにコードを奪おうとする姿が容易に想像出来る。
とはいえ、そんなことはずっと前から分かりきっていたので今更どうこう言う気はC.C.にはないし、相手を騙しているという点ではこちらも同様なのでお互い様だと思っている。
ただ、かつて友人関係にあり、嘘のない世界をと志を共有した相手との成れの果ての、嘘と偽りに満ちた在り方に皮肉を感じずにはいられなかった。
人目を掻い潜り、セキュリティの死角を突いて敷地内に忍び込む。学舎にしては、少し意匠の凝った造りのキャンパスの正門路を横に外れて、しばらく。見えてきた建物に、C.C.は目を細めた。
アッシュフォード学園、クラブハウス。
共犯者たる彼のかつての世界の中心。そして、自分にとっても、その彼との旅の半分以上とその終わりの時間を共に過ごした場所。
「………っ」
思わず込み上げてきた熱い感情をC.C.は何とか抑え込む。自身の体感時間的には、僅か数日前まで過ごしていた場所なのに長く離れた故郷を目の当たりにした郷愁感に似た何かと、決して色褪せない『思い出』がもたらした懐古がC.C.の感情を揺さぶり続ける。
(我ながら重症だな…)
その向ける感情の色はともかく、ルルーシュという存在が自身の中で占めるウエイトの大きさは分かっていたつもりだが、ここまで感情を持て余すとは思っていなかったとC.C.は苦笑する。だが、そのことに対して不快感は感じない。むしろ、嬉しいとか感じているんだから最悪だ。
お互いに利害が一致した利用し利用される共犯関係。だが、その在り方は対等という立場を生み、色眼鏡のないお互いの姿をさらけ出させた。決してお互い踏み込もうとは思ってなかったのに気付けば理解を深めていき、最後には完全に心を許し受け入れられた。
長い人生の中で初めて育まれた強く温かい絆。それは、確かなものとしてC.C.の世界に色を付けていた。
「~~~~~~ッ!!」
そこまで考えてC.C.は首を振る。さすがにセンチメンタルすぎる。自分らしくない。どこの乙女だ。
先程、マリアンヌ達の事を考えていた時は魔女らしく思考も感情もきちんとコントロール出来ていたというのに、アイツの事になった途端、まるで焼きたてのピザのチーズのように蕩けてしまう。不味い。いくら何でも恥ずかしすぎる。
(おのれ、ルルーシュめ……!)
ぐるぐる回る思考と恥ずかしさの出口を求めて、頭の中のルルーシュに悪態をつく。完全な八つ当たりである。
頭の中でルルーシュが不機嫌そうに眉根を寄せる姿が思い浮かぶ。その姿をはっきりと想像出来ることが、今は逆に腹立たしかった。
コツ。コツ。と靴音を響かせながらC.C.は明かりの落ちたクラブハウス内を歩く。
僅かに灯る常夜灯と外から差し込む少しばかりの明かりしかない視界は、ほとんど見えていない。
だが、C.C.にとっては、もはや勝手知ったる―この時間の流れでは初めてだが―場所である。僅かな光源の中であっても、その足取りに淀みはなかった。
ギアスの気配から、今、ルルーシュはここにいないことは分かっていた。力を手に入れた、しかし、一人でしかないルルーシュが、この時期忙しなく動き回っていたことをC.C.は後から聞いて知っている。
とりあえず部屋で待つか、とルルーシュの部屋を目指していたC.C.だったが、その耳に物音が聞こえて足を止めた。
音の発生源を探そうと前方に意識を向けたところ、ドアから僅かに光が漏れる部屋が目についた。近づき部屋の前に立てば、中に人の気配を感じられる。
中にいる人物の予想はつく。この時間にこのクラブハウスにいる人物など三人しかいない。
どうするか、と少しばかり悩んだC.C.はルルーシュと合流するまでの暇潰しも兼ねて、中の人物に会おうと決めて部屋の扉を開いた。
内外を遮断していた扉が消えたことで、部屋から漏れていた物音がより鮮明に耳に届くようになった。
聞こえていた物音は、どうやらTVの音だったようだ。
照明の落とされた室内の唯一の光源になっており、その前にいる人物の後ろ姿がうっすらと見えた。
そこにいたのは、やはり予想通りの人物。TVから流れる情報を得ることに集中しているのか、普段は気配に聡い彼女がこちらに気付いた様子はない。
その彼女の様子と、どこか覚えのある光景にTVに意識を向けてみれば、これから先、幾度となく聞くことになるとある存在の名前が繰り返し聞こえてきた。
(ああ、そうか。今日、だったのか……)
その名前を聞き、今日がいつなのか理解したC.C.はその名と仮面に隠された人物に思いを馳せる。
そして、心配していた人物がとりあえずの窮地を脱したことを察した少女もまた、自分の後ろに人の気配があることにようやく気付き、数時間後、兄とのことで爆弾発言をする人物の方をゆっくりと振り返った。
今日は、厄日だったんだな。
目の前にいる少女から視線を外し、頭を抱えながらルルーシュはそう思った。
今から数時間前、ルルーシュは後に世界にその名を轟かせる奇跡の男として、大々的に世界に反逆を開始した。
中々にリスキーで綱渡りな部分もある作戦ではあったが、敵味方ともに予測した行動から外れることはなく作戦目的であった親友のスザクを無事に奪還することができた。
犠牲者もなく、しかも、たった3人で衆人環視の中、ブリタニアから罪人扱いされている人物を救出。自身の演出も含め、『ゼロ』は一躍有名人になったことだろう。
デビュー戦としては文句ない。大成功と言ってもいいくらいだった。
そこまでは良かった。
問題はその後であった。
まず、せっかく救い出したスザクが、あろうことか戻ると言い出したのだ。
国を奪われ、名誉ブリタニア人だということだけで軍でも粗雑に扱われ、挙げ句下らない体裁を取り繕うために無実の罪を押し付けられ殺される。
そんな理不尽に、スザクも怒りと不満を感じていると思っていた。だから助け出せば、その後は、『ゼロ』と、ルルーシュと共に来てくれるとそう思っていた。
なのに――。
『――間違った方法で手に入れた結果に、価値なんてないと思うから』
パチ、と頭に過った言葉と光景を断ち切るようにルルーシュは閉じていた目を開いた。
視覚からもたらされる情報がルルーシュに現実を訴え、先程までの感傷に浸る自分を制止させた。
ハァ、と一つ溜め息をついてルルーシュは思考を切り換える。スザクのことは今はどうにもならない、命は助かったのだから、今は良しとすべきと自分を納得させる。
だから、今、どうにかしなければならないのは目の前の女についてだった。
逸らした視線を再び前に移せば、こちらをじっと見つめる少女の視線とかち合った。
命懸けの作戦を終えたことと、スザクのことで肉体的にも精神的にも疲労困憊になったルルーシュは、その重い身体を引きずるようにしてクラブハウスに戻ってきた。
協力させたテロリストグループとの会話を適当なところで打ちきり、正体がバレないように尾行を警戒し、ギアスによる情報操作で足がつかないように慎重に慎重を重ねた結果、帰宅した時にはもはや何かをなす気力もなかった。
ひとまず、部屋に戻って仮眠しようと考えていたルルーシュだったがクラブハウスの一室に明かりがついているのを見つけて考えを改めた。
帰りが遅くなることは事前に通達している。また、今日は付き人の篠崎咲世子も彼女の都合から、夜はいつもより早く辞することを知らされていた。
故にこの明かりが誰のものか自然と正解に辿り着く。
妹のナナリーのものだ。
本来であれば、夜に彼女が一人になるときはいつもなら自分が付いているのが当たり前なのだが、今日はそうはいかなかった。
一緒にいられないことを謝り、早く帰ることを約束すると、優しい妹は寂しそうにしながらも了承し早くに休むと言ってくれた。
普段から、そう約束したならばきちんと先に眠っている妹が、どうやら、今日はそうせずにさらに何時もなら寝ている時間になっても起きているようだ。
「………」
仕方ないか、とルルーシュは苦笑した。
そもそも、ただのTV中継とはいえスザクの事を窺い知れるのに、彼を心配していたナナリーが大人しく眠りに入れるとはルルーシュも考えていなかった。
加えて、ゼロによる救出劇が行われたことでスザクがどうなるか、分からなくなった。
期待と不安、困惑。
それらを少しでも分かち合いたくて、抱える悩みを解消したくて自分の帰りを待っていたのだろう。
そう、考えていた。
だから、少しでも不安を与えないようにリビングの前で疲労を押し込め、今出来る最大の笑顔と優しい声で扉を開けて、――その女を見て、時間を止めた。
(まったく…)
思い出すだけでも頭痛がする。
リビングには確かにナナリーがいた。だが、ナナリー以外の存在もあった。
得体の知れない少女。その姿には見覚えがあった。だが、決してここにいるはずもない少女だ。
何故なら、彼女は自分の目の前で死んだのだから。
疑惑。警戒。
長い間、暗殺等から自分と妹を守り通してきたルルーシュの理性がこの状況の危険性を訴えてくる。
しかし、あまりにあり得ない事実に身体はまったく反応してくれなかった。
その間にも、女―C.C.というらしい、…名前か?―はナナリーと会話を繰り広げ――。
ルルーシュが再起動に成功したのは、自分との関係に言及する妹に爆弾を落とされた後だった。
とりあえず、これ以上余計な事を言われてはたまらなかったので、自分の部屋に連れてきたのだが……。
(何なんだ…?)
ナナリーといたときは、軽薄な態度で適当なことを言っていたのに、部屋に連れてきた途端、何も喋らなくなった。
何も言わずにただ、じっとこちらを見つめてくるのだ。
埒が明かないと、名前についてや、どうして生きていたのか、何者なのか、そして、恐らく少女が与えた力、―ギアスについて問い質してみたが、少女の反応は芳しくない。
はぐらかしている、というより何処か上の空な感じな反応なのだ。
要領を得ないことと、何故か不自然な少女の反応に何度目かの溜め息が零れたのが、つい先程のことだった。
もういっそのこと、このまま叩き出してしまおうか。
溜まりに溜まった疲労とどうにもならない現状に苛立ち始めたルルーシュはそんな事を考えて、少女に再度視線をやれば再び二人の視線が絡まった。
(本当に何なんだ…?)
何も喋らず、こちらを見つめる不自然な態度の少女。
とりわけ、不自然なのがこの少女の自分を見る瞳の色だった。
自分を観察するような無機質なものではない。
自分の利用価値を測るような冷たいものでもない。
少女の自分を見る瞳には確かな熱が感じられ、その視線に含まれる感情は、あえて言うなら――。
(懐古? いや、だが……)
その視線に宿る意味合いを、僅かながら感じ取ってみるものの、ますます当惑が増すだけだった。
懐かしさに似た何かを感じられているみたいだが、当のルルーシュにはそんな感情を向けられる理由が思いつかない。
何処かで会ったことがあるのかと記憶を辿ってみるも、やはり心当たりはない。そもそも、このような特徴的な髪の色の少女を忘れるはずもない。
ひょっとしたら、髪の色は違っていたのかもしれない。あるいは髪型が違ったか、直接会わなかったか…。
少女の正体について考え始めた頭が次々と可能性を提示してくる。それらについて思考を巡らせていく内にルルーシュの思考は深みに嵌まっていく。
だから、その思考の元となっている少女がいつの間にか目の前に立っていたことにもルルーシュはすぐには気付けなかった。
「………、っ」
柔らかな手に頬を捉えられ、そこでようやく目の前に少女が立っていることにルルーシュは気付く。
驚きに声を上げそうになるのを何とか堪え、何のつもりだと言わんばかりに少女を睨む。
しかし、そんなルルーシュの視線にも少女は怯んだ様子も見せない。
両手で頬を取られているので顔を逸らすこともできず、吐息が届きそうな距離で少女と見つめ合う。
そして数秒後、僅かに揺らめいていた少女の琥珀色の瞳が不意に閉じられたかと思うと――。
「!?」
少女の唇がルルーシュのそれと重なった。
突然すぎる出来事にルルーシュの身体はビクリと固まる。
少女も動かず、ただルルーシュにその熱を伝えてくる。
数秒か、それとも数分か。
ゆっくりと離れた少女の唇の感覚に、ルルーシュはようやく我に返った。
「何をするッ!!」
目元を真っ赤に染め、握った拳を口に当てる。そのまま、口を擦らなかったのは男の意地か。
ルルーシュの怒声にも、少女はどこ吹く風というように動じない。ただ、変わらずにルルーシュを見つめるだけだ。
「いい加減に――」
「何か感じないか?」
「何?」
痺れを切らしたルルーシュが声を荒らげようとしたのを遮るように少女が口を開いた。
「何か…、内側から、こう、沸き上がるものとか、思い出せそうなこととか、ないか?」
「一体、何を言って――」
「いいから、答えろ」
要領を得ない少女の発言に、困惑の声を上げるルルーシュだが少女はそれを両断する。
「別に、……何も感じない」
ようやく口を開いたかと思えば何なんだ、とそう思いながらルルーシュは答えた。
「そう、か……」
絞り出すような声でそう呟くと、少女は俯き再び黙ってしまう。
長い髪がハラリ、と顔にかかり少女の表情を隠す。
どことなく、先程とは違い悲しげな雰囲気を纏いだした少女にルルーシュは僅かにたじろく。
「おい」
別に悪いことをしたわけでもないのに、何となく居心地の悪さを覚えたルルーシュは躊躇いがちに少女に声をかける。
どこに触れていいのか分からないまま、おずおずと伸ばされた手が、とりあえずの着地点を肩に見定めて、その手を置こうとしたとき、おもむろに少女が顔を上げた。
「寝る」
「は?」
脈絡なく飛び出した少女の一言に、思わずルルーシュは間抜けな声を上げてしまう。
しかし、そんなルルーシュに構うことなく少女は着ていた拘束服を脱ぎ捨てるや、ルルーシュのベッドに潜り込んだ。
そんな少女の行動に慌てたのはルルーシュだ。
「おい! まさか、ここに泊まる気か!?」
「他に行く場所なんてない」
「だからって…ッ!」
「うるさい。疲れているんだ。男は床で寝ろ」
ルルーシュの言葉に耳を貸さず、傲慢にそんな事を言い切ると少女は最後に、「お休み、ルルーシュ」と言って毛布を被ってしまう。
そんな少女にルルーシュは尚も言い募ろうとするも、完全に無視を決め込んだ少女に彼の声が届くはずもなく――。
やっぱり、今日は厄日だったんだな。
ついには諦めたルルーシュは、疲労困憊な身体をベッドの横に投げ出しながら、改めてそう感じたのだった。
「…………」
夜中、明かりが消された室内でC.C.はむくりと身体を起こした。
暗がりの中、目を凝らせば月明かりの中に眠るルルーシュの姿が浮かび上がる。
その姿を確認したC.C.は、極力音を立てないようにベッドの中から抜け出すと、静かにルルーシュの方に近付いていく。
ひたひたと裸足の足が僅かに立てる音以外はルルーシュの小さな寝息のみ。
やがて、ルルーシュの側まで来ることに成功したC.C.はルルーシュの顔を覗き込んだ。
余程、疲れていたんだろう。警戒心の強いルルーシュがこんなに近くに人の気配があっても起きる様子を見せない。
だが、その寝顔は安らかとは程遠い、苦しげなものだった。
寝ているのに、眉間に皺を寄せ、時折苦悶の声を漏らす。
穏やかな寝顔などほとんどしない。これがC.C.が見てきたルルーシュの基本的な寝顔なのだ。
そう、ずっと見てきたのだ。
誰よりも一番近い場所で。
誰よりも多く。
「ぅ、――っ、…ぁ」
こみ上げてきた嗚咽を噛み殺す。小さく息を吐きながら呼吸と感情を整える。
涙でぼやけそうになる視界でルルーシュの姿を捉える。
息をしている。呼吸している。――生きている。
…………でも。
ナナリーと共にいたリビングに入ってきたその姿を見た時、感じたのは喜びだけだった。
もう会えないと、聞くことは出来ないと思っていたその姿を、声を感じられるだけで泣き出しそうな程だった。
あまりの嬉しさに頭が回らなかったから、ナナリーとのかつての会話を反芻しながら、落ち着けと自分に言い聞かせ、なぞるようにその会話を繰り返した。
その時のルルーシュの反応があの時の全く同じで。可笑しくなって笑いそうになった。…だが、同時に、自分と同じような記憶はないという確信を得てしまった。
でも、生きている。生きて、ここにいる。なら、充分だ。そう思った。そう、思っていた。……はずだったのだ。
でも。
――素直ではないが自分への信頼を感じられていた瞳が、得体の知れないものを見るように自分を見るたびに。
――投げやりのように思いつつも、自分への気遣いを帯びていた声が、敵意を孕んだものとして自分の耳に届くたびに。
――自分の存在を、その罪ごと受け入れてくれた男の姿に、自分への拒絶を感じるたびに。
C.C.は、自分の心が色を失っていくのを感じた。
「――、ぁ、…るるぅ、しゅ……っ」
ついに抑えられなくなった感情が目の前の、しかし、そうじゃない男の名を、まるで求めるかのように震える唇から紡ぎでた。
何を今さら。
分かっていたことだろう?
自分の中の理性的な部分がそう自分に語りかける。
そう。わかっていた。
けれど、夢を見てしまった。浅はかに希望を持ってしまった。
長い時を流れてきた自分にすら初めてのこの事態に小さな望みを願ってしまった。
あり得ないと、希望を持つなと、そう考える一方で心は強く、自分でも驚くほど強くそうあって欲しいと思い続けていた。
もう一度、生きて『ルルーシュ』に会いたい、と。
だけど、それはやはり夢でしかなかった。
叶わぬ望みだと言わんばかりに、現実は分かりやすいカタチでC.C.の望みを否定し、彼女の心を砕いた。
それでも、諦めきれなくて。
目の前のルルーシュに『ルルーシュ』を見出だそうとその面影を探し続けて。だけど、見つからなくて。
最後の望みと言わんばかりに口付けという形で接触による記憶の更新を行うも互いのコードにもギアスにも何の反応もなかった。
それは当然の帰結で。C.C.も自分のしていることの無意味さを理解していた。
けれど、夢を見てしまった。だから、もう一度事実を認めることが怖かった。だけど――。
(分かっていた……)
あの教会で確かに感じた喪失感も。
(分かっていた……っ)
あの胸が張り裂けんばかりの悲しみも。
(分かって、いたんだ……!)
嘘ではないのだから。
(アイツは、ルルーシュは…………)
―――お前が魔女なら、俺が魔王になればいいと言ってくれた契約者は。
―――俺が必ず笑わせてやると、そう約束してくれた共犯者は。
―――お前がいてくれたから、と祝福をくれたあの男は。
「――――っ」
そう認識した瞬間、C.C.の瞳から止めどなく涙が溢れた。
一度はきちんと受け入れ、前を向こうとした矢先に淡い夢を見せられ、もう一度現実を叩きつけられたC.C.の心はボロボロだ。
まるで、今この瞬間にルルーシュを失ったかのようにC.C.の思考も感情もグシャグシャになっていく。
涙で揺れる視界の中に眠るルルーシュの姿が映る。
無意識に伸ばされるC.C.の白い手。その細い指先がルルーシュに触れようとして、――とまる。
すぐ届く距離に求める人がいる。なのに、永遠に届くことはない。その矛盾した現実がC.C.を苛む。
それに耐えられなくて。ともすれば、今にもみっともなく泣き散らしたくなりそうになったC.C.は、弾かれるようにその場を離れた。
何処かに行こうと言うわけではない。だけど、今はこの場にいることが辛くて、C.C.は逃げるように部屋から出ていこうとドアノブに手をかけた時だった。
「っ、……ザ、ク」
「――――」
悲しみに震える、誰かを呼ぶ声が聞こえた。
ドアノブを回そうとした手が止まる。そのまま、ゆっくりとC.C.は声のした方へ振り返る。誰も味方のいない、ひとりぼっちな世界への反逆者を。
すっ、と波が引くようにC.C.の中で荒ぶっていた感情の熱が引いていく。
それと共に涙の雫が全て零れ落ちた凪いだ瞳がルルーシュを捉えた。
ルルーシュ。C.C.にとっての、――恐らく最後の契約者。
(此処にいるルルーシュは、私の『ルルーシュ』ではない)
だが、いつか『ルルーシュ』に、――アイツと同じ場所に辿り着くかもしれない少年である。
大切な者のために、たった一人で世界に抗い、絶望し、苦悩し、信じていたものに裏切られ、誰にも理解されず、されど世界のためについた嘘を最期まで貫き通し、独り死んでいった孤独な魔王。
そして、同じく一人ぼっちな死にたがりの魔女に、『明日』をくれた唯一人の男。
今はまだ違うが、そうなるかもしれない。また、色褪せた自分を彩ってくれるかもしれない、そんな少年。
もっとも、そうなってもやっぱりそれは私の魔王ではないのだがなとC.C.は悲しげに微笑む。
(何を考えているんだか……)
堂々巡りを繰り返す自分の思考に苦笑しながら、C.C.はそれを断ち切るように軽く首を振った。
そうして、もう一度、目の前のルルーシュを見つめる。
今のは唯の可能性、そして、願望。
故に不確かで起こりえない、かつてと違う可能性に辿り着くこともあるだろう。
唯一つ言えることは。
もし、C.C.が逃げ出したら。
ルルーシュは独りになってしまうということだけだ。
(『ルルーシュ』…)
自分がいたから、ルルーシュは最後まで歩みきることが出来たなどと自惚れるつもりは毛頭ない。
(もう一度、お前と共に歩んでも良いか?)
だが、必要だと言ってくれたのが本当なら。
(もう一度、お前と契約を交わしても良いか?)
お前がいてくれたから、という言葉を信じていいなら。
(もう一度だけ、約束を望んでも良いだろうか…?)
笑顔をくれると言った、その約束の叶う明日を――。
問いかける想いに答えはない。
しかし、問いかけた魔女の瞳には光が戻っていた。
冷たい光ではない。
魔女が魔王の隣で一番多く灯した不遜で横暴で、どこか優しい光だ。
「これは契約」
紡がれた小さく細い声が空気を震わす。
「力を与える代わりに、私の約束を必ず叶えてもらう」
見送るのは、一度だけだ。
だから、もう見送ってなんてやらない。
魔女の白く小さな手が静かに動く。
その指先が、先程はどうしても触れることの出来なかったルルーシュの、その前髪に触れた。
「『ルルーシュ』の代わりに、私との約束を果たしてもらうぞ、ルルーシュ」
そっと前髪を掻き分けた指先はゆるゆると滑り、唇に触れて離れた。
そうして、満足したのかC.C.はルルーシュの元を離れて再びベッドに潜りこんだ。
改めて潜り込んだ久方ぶりのベッドは共犯者の匂いがした。
その事に気付いたC.C.はふふ、と小さく笑うと押し寄せてきた睡魔に従ってまぶたを下ろした。
――おやすみ、ルルーシュ
それがどちらのルルーシュに向けられた言葉なのか。
半ば微睡みに身を浸した魔女には、もはやわからなかった。
シンジュクゲットー。そのとある地区。
先に虐殺の行われたこの場所にも、等しく夜は訪れる。
貧しく辛い生活を強いられるこの場所ではあるが、それでもついこの間までは、人の気配と生活感に溢れる場所であった。
しかし、今はもう誰もいない。
人が居たことを示すものは、ところかしこに咲いた血の華と、無惨に打ち捨てられた生活用品だけ。
故にあるのは静寂だけだ。
しかし、静けさだけが支配するその場所に、突如ノイズが響いた。
ガガ、ザザ、という砂を思わせる雑音に混じりながら人の声を届けているのは壊れかけたラジオであった。
捨てられたか、あるいは持ち主を失ったか。
誰の手にもないそのラジオは、しかし、主なくともその役目を果たさんと電波に乗った情報を拾い届けていた。
誰に聞かれることもないその音声は、虚しく鎮魂歌のように流れ続ける。
《次のニュースです。昨夜、裁判所に護送中だったブリタニア軍の前にゼロと名乗る男が現れました。ゼロは現在行方不明中であらせられるクロヴィス・ラ・ブリタニア殿下を殺害したと供述。同じくクロヴィス・ラ・ブリタニア殿下の誘拐の最重要参考人である枢木スザク容疑者を連れて逃亡した模様です。この件を受けて、ブリタニア軍並びに政庁各関係部署はゼロの発言の裏付けをとると共にクロヴィス殿下の安否の確認――――…………》
誰も聞くことがない。
故に。
その綻びに気づくものも、――――誰もいない。
初キスが 上書き されました
なんやかんやあったC.C.ですが、少しだけ浮上しました。
そして始まるC.C.によるルルーシュ調教物語(違う)