約束の刻限が迫り、コーネリア達、ブリタニア軍も開戦まで秒読みの段階に入っていた。
「―――よし」
これより、決戦の場で命を預ける自身の愛機の最終調整を終わらせ、コーネリアが満足そうに頷いた。
ナイトメアから外に出て、身体を解す。
いつもより、念入りに、そして、集中していたためか身体が随分と固くなっていた。
「コーネリア総督」
名前を呼ばれ、振り返る。
そこには、いつもと変わらずにギルフォードが控えていた。
「コーネリア総督。部隊の展開、もう間もなく完了します」
戦いを前にしたコーネリアに感化され、呼び方を改めたギルフォードの報告に身体を解しながら、頷きだけで答えた。
「また、先程、解放されたブリタニアの特区参加者達ですが、疲労と緊張から、憔悴しておりますが怪我は見られません。ただ……」
「何だ?」
「は。本来の予定では、この戦いの後に彼等の護送が予定されておりましたが、その………」
「ごね始めたか?」
「はい……」
苦々しい表情で頷くギルフォードに、コーネリアは舌打ちをする。
「まったく、解放されたらされたで面倒な奴等だ」
「いかが致しますか?」
「仕方ないな。ここで騒がれて、後を引かれても困る。一部の兵を彼等の護送に回せ」
「分かりました。それと、特派から今しがた――」
「コーネリア様! 部隊の配置、完了致しました」
報告を続けようとしていたギルフォードだったが、割り込んできたその声により、中断させられてしまう。
「分かった。そのまま、全軍待機せよ。……すまんな、それで何だ?」
「いえ、大した報告ではありませんので、お気になさらず」
そう言って、頭を下げたギルフォードに、コーネリアも特に気にした様子も見せず、そうか、と頷く。
「ならば、護送の手配のみ頼む。それが済み次第、開戦の最終確認に入るぞ」
「イエス、ユアハイネス」
―――時を同じくして。
諸々の準備を終え、後は最終配置に着くだけとなった黒の騎士団の幹部達の前にルルーシュが姿を現していた。
「全員、いるな?」
数時間前に、初めて晒した紫紺色の瞳が緊張の面持ちを見せる幹部達を一人一人確認し、全員がいることを確認する。
いつもなら、この時点でさえ作戦に不満を漏らす者がいるのだが、今回ばかりは全員何も言わずに黙り込んでいた。
そんな幹部達の様子に、普段からこうなら助かるのにな、とそんな感想を抱きながら、ルルーシュは視線を藤堂に向けると口を開いた。
「藤堂。戦術の方は問題ないか?」
既に把握している内容だったが、確認の意味も兼ねて、ルルーシュは藤堂に報告を求めた。
「問題ない。今回の作戦に合わせて、臨機応変に対応出来るように組んである」
頷き、答える藤堂に、ルルーシュも頷いてみせる。
「ラクシャータ、ナイトメアの修理はどうなった?」
「補充物資が無かったからねぇ。全部、万全とは言えないけど、紅蓮を始め、主だった面子のものは完璧よぉ」
「カレン、身体の調子は?」
「問題ありません。何時でも行けます、ゼロ」
「扇、他勢力の協力は取れたか?」
「ああ。君がリストアップした組織全てから、今回の作戦に協力するという回答を得ている」
「ディートハルト、全体の進捗状況は?」
「99%が完了しています。特区参加者達の避難も既に。六家の面々からは、神楽耶様と桐原公が我々に同行致します」
「よし」
報告と作戦行程に抜けがないことを確認したルルーシュは準備は整ったと言うかのように、最後に大きく頷いた。
そうして、ルルーシュは固唾を飲んでいる幹部達に、最後の号令を下そうとして――――、
「おい、ルルーシュ」
後ろから聞こえてきた空気を読まない魔女の声に、その出鼻を挫かれた。
「何だ、―――――って、オイ!」
眉間に皺を寄せながら、不機嫌そうな声を出して、ルルーシュが振り返ると、こちらに向かって何かが投げ渡された。
咄嗟に手を出して、それがぶつかるのを避ける。固い衝撃が受け止めた掌を叩いた。
危ないだろッ、とC.C.に怒りの声を上げようとしたルルーシュだったが、投げ渡されたものの正体に気付くと口から出かけた言葉を飲み込んだ。
「必要だろ? 黒の騎士団には」
そう言って、鼻を鳴らすC.C.に答えず、ルルーシュはじっ、とその手のものを、―――ゼロの仮面を見つめていた。
少しだけ、複雑な気持ちだった。
何故なら、ルルーシュにとっては、この仮面もゼロの名も既に他者に託したものなのだ。
それが数奇な運命を辿り、こうして再び自分の手の中にあることに、思うことがないとは言い切れない。
ましてや―――…
「ゼロ?」
仮面を手にしたまま、固まって動かないルルーシュにカレンが声をかけてくる。
他の面々も、何かあったのか、というように不思議そうな顔をして、ルルーシュを見ていた。
ましてや、黒の騎士団のメンバーに正体を知られて、それでも、仮面を被るなんて事を、ルルーシュは夢にも思っていなかった。
(まだ、誰かに託すのは早かったということか……)
手放して、尚、この手にあるということは、つまりはそういうことなのだろう。
世界も。『明日』も。
まだまだ、果たすべき責任も、願いも、お前にはあるだろう、とそう言われたような気がした。
(スザク……)
それを託した人物の名前を心の中で呼ぶ。
(すまないな。今暫く、この仮面は返してもらう)
仮面を顔に宛がいながら、脳裏に思い浮かべた
そうして、死を越えて、時の流れを遡った先。
本来なら、あり得なかった三度目の復活を経て。
始まりのゼロは、ここに甦った。
――――――………
夜も深まり、時が日を跨ごうという頃。
決戦の舞台となるこの場所も、多くの人の気配がひしめくのとは裏腹に静寂が場を支配していた。
少しのことで揺らめくこの水面を思わせる、あらゆる感情を、思いを胸に秘めて黙する静けさ。その静けさが、コーネリアは好きだった。
この、静から動に変わるこの瞬間が。
一気に熱する鉄のような、この冷たさがとても心地よく、好きだった。
コックピットブロックに立ち、眼下に見える部下達を睥睨する。
準備の時から覇気が高められていたコーネリアに当てられたのか。
皆、一様に良い面構えと気迫に満ちていた。
心身共に鍛えぬかれた一流の兵士が、今、コーネリアの下に集っている。
いつものコーネリアなら、それを見ただけで勝利を確信し、勝者の笑みを溢していただろう。
しかし、今日は違った。
一瞬の弛みもなく、その心は、ただ勝利を得ることのみに専心していた。
「諸君、長らく待たせた」
玲瓏な声が淀みなく、夜に響いた。
「潰しても潰しても、いなくならない虫の駆除を思わせる、このエリアのテロリスト狩りは、これより、ここで終わりを告げる」
八年間。
敗北して、それでも、こんなに長くブリタニアに歯向かい続けてきた国は他にないだろう。
そのしぶとさだけは、コーネリアも認めていた。
しかし、それは敵としてではない。
コーネリアの、ブリタニアの敵は唯、一人。
「敵は仮面の反逆者、ゼロ! そう、奴を倒せば、全てが終わる!」
バッ、とコーネリアの片手が振り抜かれ、その指先が夜の闇の向こうにいるであろう仮面の男を指し示した。
「初めてアレが現れた時、ふざけた男だと誰もが思ったことだろう。だが、認めねばならん。奴は敵だと。この世界で、たった一人、我等の喉元に噛み付き、我等の命を脅かす事が出来る、明確な敵だと」
何度、あの仮面に出し抜かれた事だろう。
どれ程の命が、あの男によって奪われただろう。
その存在は、まるで運命がブリタニアに用意した天敵のように思えた。
「故に、これ以上、奴を放置する訳にはいかん」
常勝を続けた神聖ブリタニア帝国に、傷を負わせ、血を流させた孤高の反逆者。
放っておけば、これから、どれだけの血が、涙が流され、どれだけの命が失われるか分からない。
「ここで、討たねばならない。そのために、皆、この一戦に命を懸けてもらう」
その一言が、ここにいたブリタニア軍人達の心に火を着けた。
「そして、必ず勝つ」
水面を思わせる空気が少しずつ揺らめき出す。
「祖国の為、家族の為、仲間の為、……何より、自分自身の為に」
誰かが拳を握り締めた。
家族を思い、目を伏せていた男の目が強い意思を宿して開かれた。
隣の仲間と頷き合う姿があった。
「今こそ、我等、神聖ブリタニア帝国の国是を示す時! 真の強者の尊厳を、奴に知らしめてやるぞッ!」
そう高らかに吼えたコーネリアが、拳を突き上げた。
「行くぞッ! オール・ハイル・ ――――ブリタニアァァァ!!!」
そして、その声が轟いた瞬間。
空気が一気に熱を帯び、――爆発した。
《イエス! ユア! ハイネス!!!》
《オール! ハイル! ブリタニア!!!!》
ブリタニア軍が布陣する場所からは、遠く離れていたにも関わらず届いた、全身の毛が総毛立つような気勢と雄叫びに、黒の騎士団の団員達は震えそうになる身体を何とか抑え込んだ。
ここにいるほとんどの者は、まともな訓練を受けていない素人上がりの民兵のようなものだ。
しかし、そんな彼等でも、この大気に満ちる気迫がどれ程のものかは理解出来た。
本気だと。
ブリタニア軍が、自分達を駆逐しようと本気になって攻めて来ると。
否が応でも肌を刺し、胃を締め付けてくる気配が、そう彼等の心に訴えかけてきていた。
本来なら、恐慌に駆られ、逃げ出しても可笑しくなかった。
只でさえ、劣勢な状況にあるにも関わらず、遂に本気になったブリタニアの軍勢が押し寄せてこようとしているのだ。
軍人でもない彼等に、それに耐えろと言うのは、あまりに酷だろう。
だが、にも関わらず、誰も逃げようとはしない。
逃げる素振りさえ、見せなかった。
恐怖は感じている。気を抜けば、不様に悲鳴を上げて、逃げ惑ってしまうくらいに。
しかし、皆、それに耐えていた。
鳴りそうになる歯を食い縛り、震えそうになる足を奮い立たせ、その場に留まっていた。
何故なら、此処にはあるからだ。
その時、頭の上の方でカツン、と音が鳴った。
思わず顔を上げる。そして、見上げたその先に、―――希望が
そう。此処に希望があるからだ。
それを信じるからこそ、彼等は恐怖に打ち克つことが出来たのだ。
「多くは問わない」
夜の闇に浮かび上がる漆黒のナイトメアフレームの肩に立ち、黒き仮面がそう告げる。
この状況にあって、少しの乱れも感じない、芯の通った力強い声に、それを聞いた団員達の心が幾分和らいだ。
「一つだけ、覚悟を問おう」
いつもと同じ声。いつもと同じ口調。しかし、いつもとは何かが違うその声に、黒の騎士団の団員達は、静かに耳を傾けていた。
「問おう。これより先の地獄を、―――私と共に駆け抜ける覚悟はあるか?」
しん、と辺りが静まり返った。
誰も口を開かない。気付けば、呼吸の音すらしなかった。
問いかけに、答える声はない。
しかし、微塵も揺るがぬ空気が、その問いに是、と答えていた。
「良い覚悟だ」
いつになく引き締まった空気と士気に、ルルーシュは仮面の下で満足そうに笑んだ。
「ならば、その覚悟に、私も応えよう」
バサリ、とマントが翻る。
その下から伸びた腕が前に向かって差し出され、その掌が何かを掴むようにギュッ、と握り締められた。
「奇跡をもって」
ぶるり、と団員達の身体が震えた。
恐怖からではない。心が沸き立つその昂りは歓喜だ。
ゼロによってもたらされたその感情は、一瞬にして彼等の心に染み渡り、周りに伝播していくと、一気に弾けた。
歓声が沸き上がった。
割れんばかりのその中に、奇跡をもたらす男の名が何度も叫ばれた。
何度も、………何度も。
黒の騎士団とブリタニア軍。
日本とブリタニア。
二つの国の戦士の雄叫びが、高く、遠く、夜空に響く。
我等の決意を、我等の覚悟を聞け、とばかりに轟いたその声は、期せずして始まりを告げる鐘となった。
幕が上がる。
一人の皇女の想いから始まった、この長く続いた運命の時。
その最後の章が、遂に、始まった。
流れや勢いもあって、普通にゼロを名乗っていましたが、仮面を見て、少しだけ複雑な心境になったルルーシュでした。
次回、開戦です。