ハッ、と鋭く息を吐く音と共に意識が覚醒する。
意識の浮上に従って思考がはっきりするよりも前に、C.C.は半ば反射的に身体を起こした。
「ここは…」
思考が次第にはっきりしていく中、何が起こったのか、と思いながら周囲に目をやったC.C.はぽつりと呟く。
そこは先程まで自分がいた礼拝堂ではなかった。
廃工場か使われていない倉庫か。
人気の無さと所々から光が漏れる天井や壁の寂れ具合からC.C.はそう考える。
つん、と鼻を刺激する血と硝煙の臭いに視線を前にやれば、そこには血を流し倒れている―、死んでいる軍人らしき連中がいた。
自分を襲った、そして、恐らくここに運んできたであろう人物の姿はない。
「死んだと思って、捨てていったか?」
そう言いながらC.C.は自嘲気味に笑う。
腹部に手をやってみるが特に違和感はない。
むしろ、額の方がむずむずするので、そちらに手を持っていけば、ベッタリと手に血がついてきた。
「額でも割れたか…?」
手についた血を見ながら、C.C.は先程のことを思い出す。
自分を襲った相手によって行われた行為と、自分に齎された異変。
全身を引き裂くような痛みと、その中で確かに感じた感覚。
その感覚を思い出したC.C.は、信じられない気持ちになる。
ありえない、と思う。
だが、しかし。あの時起こったことを冷静に受け止めれば、やはりその結論に達する。
信じられないが、あの男は――。
「私のコードに、……干渉した?」
どうやったのかは分からない。
何が目的なのかも分からない。
だが、あの男は間違いなく自分の持つコードに触れた。
「一体、誰だったんだ? アイツは……」
全身を覆い隠していたが、額を覆った手の大きさから恐らく男だと推察できる。
だが、分かるのはそれくらいだ。
C.C.の知る限り、どんな形であれコードに干渉できる存在は『達成人』と呼ばれるまでに至ったギアスユーザーだけである。しかし、その『達成人』も、もういないはずだ。
C.C.の知る『達成人』は二人。だが、一方はしばらく前に継承したコードと共にCの世界に溶けて消え、もう一方は先程――。
そこまで考えてC.C.は思考を止める。まるで今考えていたことを振り払うように頭を振るい、思考を切り替える。
(色々気になるのは確かだが、考えたところで答えは出ない。とにかく、今はここを離れなければ)
コードに何らかの干渉ができる奴が、その不死性について知らないわけがない。何かイレギュラーからここに放置したのか、別の目的があるのかは分からないが逃げられる以上逃げないという選択肢はない。
少し前ならいざ知らず。今は、死ぬことも殺されることも全力で拒否する。何かに利用されることなんて論外だ。
「お前がせっかくくれた『明日』なんだ。無駄にするつもりはないさ」
頭に思い浮かべた人物に語りかけながら、C.C.は身体に異常はないかチェックし始めた。
外傷については問題ない。腹部の傷も、割れたであろう額も元通りで傷一つない。
すっ、と目を閉じ身体の内側に意識を向けてみる。こちらも問題ない。先程は身体が裂けんばかりに揺さぶられたコードも、今は腹立たしいくらいいつも通りに我が身に根付いているし、アイツとの繋がりもちゃんと―。
「――え?」
あまりにいつも通りだったために、素通りしかけた感覚に思考が止まる。
「なんで…?」
ポツリと漏れる呟き。半ば呆然とした状態でC.C.はもう一度、自らの内に意識を向ける。
まさか。ありえない。だって、アイツはさっき―。
そんな考えが次々に浮かぶ中、再び確認したC.C.は先程の感覚が間違いではないことを知る。
あるのだ。
自らの内に。
アイツとの、ルルーシュとの契約の繋がりが。
「――ッ」
内から沸き上がる衝動のままに、C.C.は自らの胸をギュッと掻き毟るように押さえ込む。
混乱と驚愕に思考がまとまらない。ただ、両手で強く胸元を抱き込む。まるで、そこにある何かが零れ落ちないようにとでも言うように。
「――ルルーシュ…、ルル、…しゅ」
無意識に何度もその名を口にしながら、大切な繋がりを確認する。何度も何度も。
荒れ狂っていた感情の波が少しずつ凪いでいき、同時に戻ってきた理性が徐々に現実を認識し始める。
どうしてと思う。都合のいい夢を見ているのではと考える。しかし、この身に宿る感覚が嘘ではないと告げている。
つまり。それは――、
(ルルーシュが、……生きて、いる)
覚悟と信念を持って世界に挑み、それに殉じた。自分の存在を祝福してくれた最愛の、そして恐らく最後の契約者。
先程確かに喪ったはずの存在が、まだこの世界にある。そう思うだけでC.C.は、自らの感情が昂るのを感じた。
色々と疑問に思うことはある。だが、今はその全てがどうでもいい。
(会いたい…)
ただ、会いたい。その姿を確認したい。自分を見て、出来れば名前を呼んでほしい。
そんな思いが次から次へと溢れてくる。
その沸き上がる想いに急かされるように、C.C.が立ち上がろうと腰を浮かせた時だった。
『C.C.! ちょっと聞こえてる!?』
「ッ! …マリ、アン…、ヌ?」
突然、頭に響いた声にギクリと身体が固まる。
それは、最近までよく聞いていた人物の声。かつて、袂を分かった友人の声だった。
『ああ、ようやく繋がった。ちょっと、C.C.! 貴女、今まで何処にいたの? ルルーシュに会いに行くと言ったきり、全然応えてくれなくなるんだもの』
「お前、どうして――」
あの時消えたはずだろ、と思うC.C.。
今、話しかけてきているかつての契約者マリアンヌは、Cの世界でルルーシュと対峙した際、ルルーシュのギアスに掛かった集合無意識によって皇帝シャルルと共にCの世界に呑み込まれていったはずだ。
最後までルルーシュの悲しみを、怒りを理解することなく、自らの行いを正しいものだと妄信しながら消えていったのをC.C.もまた、悲しみと憐れみを持って確かに見送ったのを覚えている。
(だと言うのに、何故? ルルーシュの事といい、ひょっとして、私はいつの間にかCの世界に来てしまったのか?)
だとしたら、困る。こんな後を追うかのように死んでしまったとしたら、アイツに何を言われるか分かったものではないとC.C.は顔をしかめる。
まぁ、死後の世界がこんな殺伐とした場所だとは思えないから、それはないだろうと考えてもいるが。
ちなみに、未だマリアンヌが頭の中でごちゃごちゃと話しかけてきてはいるのだが、C.C.はまったく聞いていない。完全に意識の外である。
(あるいは、やはり夢でも見て、……夢?)
そこで何かに気付いたのか。ハッと顔を上げたC.C.は辺りをもう一度よく見渡した。
死んでいる軍人達。…よく見れば、その軍服に覚えがあった。そして、この廃倉庫にも。
(間違いない。ここは…!)
「おいッ、マリアンヌ! 今日は何日だッ!」
『はぁ? いきなり何よ。それよりル――』
「いいから、答えろッ!!」
イライラとしながら、マリアンヌに怒鳴る。すると、マリアンヌはブツブツ言いながら、今日がいつかを教えてくれた。
それを聞いたC.C.は、あぁ…と小さく息を漏らし、ゆっくりと瞼を下ろした。
なんとなく分かっていた。そうじゃないかと。
教えられた日付は、よく知っているものだった。
当たり前だ。だって、この日は……。
魔神が生まれた日。
王が目覚めた日。
全ての終わりと始まりの日。
―ルルーシュと私が契約した日なのだから。
(つまり、ここは過去。私は時間の流れを逆巻いたということ、か)
あり得ないと思う。幾百の時間を流れ、コードやギアス、Cの世界という神秘を経験してきたC.C.を以てしても尚。
だが、マリアンヌの言葉に嘘は感じられず、そも、そのマリアンヌの存在自体が、この事態の証明と化している。
そっ、とC.C.は自らの腹部に手を当てる。思い出すのは先程の事。コードに干渉してきた正体不明の男の事。
十中八九、この事態にはあの男が絡んでいるのだろう。
(しかし、私を過去に戻したとして、その目的がわからないな…)
ここにきて、新たな面倒事に直面しC.C.は頭を抱えたくなる。
ルルーシュの想いを受け、新たに一歩を踏み出そうとした矢先にこれだ。やはり、自分の業はかなり根深いものらしい。
だからといって、前を向くことを諦めるつもりはC.C.には毛頭ない。これぐらいでへこたれる程、魔王が魔女にかけた願い(ギアス)は弱くない。
そこで、はたと気づいた。ルルーシュは? ルルーシュはどうなのだろうと。マリアンヌには記憶がない。ルルーシュも同じである可能性の方が高い。
(だが、ルルーシュなら、…ルルーシュならば、と思ってしまうのは浅ましい願いなのかもな…)
ふっ、と自嘲気味に笑う。根拠も何もないのに、そう願わずにはいられない。らしくない、普通の人間のような感情に苦笑を浮かべたC.C.は、今度こそ腰を上げると廃倉庫の外に出た。
目の前に広がったのは、倒壊しかけの建物群。舗装されていない孔だらけの道。
一見廃墟に思えるそこは、しかし人の息づく気配が感じられた。
だが、響き渡る怒号と銃撃の音。そして、後に続く悲鳴が、それ等が刻一刻と数を減らしていることを物語っていた。
シンジュクゲットー。始まりの場所。
とても懐かしさを覚えるような場所でも光景でもない。なのに、胸を締め付けられるような気持ちになるのは懐古か、あるいは感傷故か。…きっと、そのどちらでもあってどちらでもないのだろうとC.C.は思った。
『ちょっと、無視しないでよC.C.! ルルーシュはどうしたの? 契約出来たんでしょ?』
「お前が気にするようなことは起きていない、マリアンヌ。ルルーシュとは契約出来たがはぐれただけだ。今から会いに行く」
だから、静かにしていろとC.C.は言う。久しぶりに話せたからか、あるいはルルーシュとの契約により自分たちの計画が再び進められるようになると思っているからか。マリアンヌのはしゃぎようは今のC.C.には煩わしかった。
前回もそうだったろうか、と思い出そうとするがよく思い出せない。…計画に反対していることを悟られないように当たり障りのない会話しかしていなかったからかもしれない。
まぁ、いい。とC.C.は意識を切り替えて、ルルーシュの下に赴こうと踏み出そうとしたが、その直前で足を止める。
ルルーシュのいる場所は前回の記憶からおおよその見当はつく。停戦命令が出てないことから、おそらく、クロヴィスとの接触はまだのはず。先回りすれば、合流することも可能だろう。
だが、とC.C.は考える。
クロヴィスのいる場所に行くのはリスクが大きすぎる。捕獲対象である自分が行けば、捕まる可能性はかなり高い。さらには、マリアンヌに現状をある程度知られている今、捕まってしまえば全てが終わる。マリアンヌを通してシャルルに伝わり、自分はあいつらの元に無理矢理連れていかれコードを奪われてしまうだろう。
「…………」
そっ、とC.C.は視線をルルーシュがいるであろう方向に向ける。
本当は今すぐ会いたい。だが、全てを台無しにするような危険は犯せない。それは、『明日』を望んだルルーシュの意志を無にしてしまうことだからだ。
あいつの意志に寄り添い、そして、同じように『明日』を望む自分がそれを踏みにじることは許されない。
だから、とC.C.は踵を返し歩き始めた。ゲットーの出口に向かって。
今は会えないが、すぐに会える。だから、今はこの胸の思いを抑えて―。
C.C.は逆巻いた時間の中を前に向かって歩き出した。
基本設定はアニメ準処で考えています。一応。