コードギアス ~遠き旅路の物語~   作:アチャコチャ

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 満を持して


Re:17 ――― PLAY:00 そして鎮魂歌は鳴り終わり

 歌が終わる

 

 

 陽が沈み、夜の暗闇が徐々に辺りを支配していく。

 昼間、血と銃と激情と。あれ程までに激しく醜い争いを見せていたその場所も、戦闘の余韻を残し、今は静寂に包まれている。

 出来たばかりの真新しかった行政特区の会場は、長い年月をかけて風化したかの如き様相を見せており、それは、もはや人の関心が離れ、忘れ去れ、ただ朽ちていくのを待つだけの代物に思えた。

 ――もっとも、これからのことを思えば、その感想はあながち間違いというわけではないが。

 

 風が吹き抜けた。夜気を孕んだ冷たい風が頬を撫で、濃い血の香りが鼻をついた。

 

 それにコーネリアの顔が不快げに歪んだ。

 

「姫様……」

 声を掛けられ、コーネリアがその声の主の方に視線をやる。そこにいたのは、大きな身体を折り、膝をついたダールトンだった。

「もう、大丈夫なのか?」

「はっ! アンドレアス・ダールトン、これより原隊に復帰致します!」

「ああ。だが、無理はするなよ」

 その声とは裏腹にダールトンの様子は痛々しい。巻かれたばかりであろう頭の包帯はもう血が滲み出しているし、きっちりと着こなした制服の下は幾重にも包帯が巻かれている。

 それはコーネリア達、援軍が来るまで黒の騎士団や暴徒達を相手に孤軍奮闘したが故のことだった。

 自身を労るコーネリアの言葉に、もう一度ダールトンは深く頭を下げた。

 そして、そのまま言葉を重ねる。

「姫様、今回の失態の責は全て私にあります。どうか――」

「よい。分かっている」

「……………は」

 下がれ、と言う言葉に頭を下げて、ダールトンがコーネリアの前から去っていった。

 

 分かっている。―――分かっていた、と言うべきか。

 こうなる可能性は十分あったし、こうなるだろうと思ってもいた。

 あの妹が何を思って、今回の事を思い立ったのか。想像はついた。だが、優しさだけで、それだけで何かが出来るというわけではない。

 自分達は支配者で簒奪者だ。力を至上とし、不平等を善しとした。

 国がそう在るべきと定め、皆がそれに倣った。

 ユーフェミアはそれに反しようとしたのだ。

 だが、足りなかった。何もかもが足りなかった。

 結果、生半可な行為は、ただ無用に血を流しただけに終わった。

 誰の責でもない。ただ、ユーフェミアは弱かった。それだけだ。

 それだけ、なのだ。

「――――――」

 そう理解しているのに、コーネリアは胸の奥に感じる棘みたいな痛みが取れないことに顔をしかめた。

 この暴動が何に端を発するものなのか、コーネリアも聞き及んでいる。

 だが、それに対してコーネリアが思うことはない。

 自分が間違っていたとは思わない。例え、同じことがまたあったとしても、自分はまた同じ手段を取るだろう。

 国家に仇なす反乱分子とそれを匿う存在を粛清しただけだ。軍人として、皇族として、正しいことをしたと言える。

 だから、何も気にしてなんかいない。

 だというのに―――

 

『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ』

 

 何故か、あの男の言葉が耳にこびりついて離れなかった。

 

 

 特区会場内にある施設の一室。

 その一室に黒の騎士団の幹部が顔を揃えていた。

 先の戦闘で多少の怪我をしている者もいるが、大きな怪我は一人もしていない。

 だが、彼らの顔は一様に沈み、とても酷い顔付きをしていた。カレンに至っては、この部屋にやって来てからずっと抱えた膝に顔を埋めて身動ぎ一つもしていなかった。

 ガンッ、と重苦しい空気が漂うその部屋に無作法な音が響いた。

 玉城が苛立たしげに手近にあったものを蹴り飛ばしたのだ。内に溜め込んだ感情の捌け口を求めたが故の行動だった。

「どうすんだよ、これから……」

 その声に、そこにいた全員の顔がさらに暗くなる。

 誰も、その問いに答えない。……答えられない。

 何故なら、もういないからだ。

 彼らの問い掛けに、答えをくれていた存在は、もう―――。

 

 日本人の保護のため、特区会場に突入した当初、黒の騎士団は優勢に事を進めていた。

 ダールトンの声に一部の兵士が呼応したものの、まだ多くの者が混乱の最中にあった。そんな彼らを倒しつつ、逃げ惑う日本人達を特区から逃がそうと騎士団は動いた。

 だが、事が順調に進んだのは最初だけだった。

 混乱していたのは、ブリタニア軍人だけではない。この会場にいた日本人は、訓練などしていない一般人なのだ。そのため、彼らの方がより重度の集団心理に陥っていた。

 助けにきたと、味方だと呼び掛けても、完全にパニックになった日本人達にその声は届かない。

 まったく進まない民間人の避難に黒の騎士団にも、焦りと動揺が生まれ始め、逆に明確な敵が現れたことで冷静さを取り戻し始めたブリタニア軍が徐々に劣勢から盛り返していく。

 それから、間もなくだった。

 両者の趨勢を決める情報が流れたのは。

 

 

 

『ゼロが死んだ』

 

 

 

 最初は何の冗談かと誰もが思った。得体の知れない、しかし、それ故にあった神秘性から、およそゼロに死というイメージを誰も抱いたことはなかったからだ。

 しかし、通信機から流れてくるディートハルトの支離滅裂な発言と、彼に代わって情報をもたらしたラクシャータの何時になく神妙な声に、それが真実だと皆が理解した。

 ――その後、どうなったのか。それは語らずとも分かろう。

 動揺した幹部の迂闊から、情報は一般団員にも広がってしまい、黒の騎士団は民間人の避難はおろか、戦闘すら儘ならない状態に陥った。

 かかしのように立ち尽くす彼らに好機と見たブリタニア軍が襲いかかると、指揮系統が混乱した騎士団は完全に戦闘能力を喪失。

 それでも、藤堂が必死に混乱した騎士団の立て直しを図りながら、特区会場に籠城することに成功したが、それまで。

 援軍として駆けつけたコーネリア率いるブリタニア軍によって、黒の騎士団は特区に封殺されてしまったのだった。

 

「何なんだよ、これ……。訳わかんねぇよ………」

 不満とも愚痴ともつかない発言が止めどなく玉城の口から漏れていく。

「…結局こういうつもりだったんじゃないの?」

 玉城の発言に答えたのか、今まで黙っていた朝比奈が口を開いた。

「どういうことだよ?」

「彼…、やっぱりブリタニア人だったんだろ? 僕達を騙して、弄んでいたんじゃないのかってことさ」

 その言葉に、項垂れていた幹部が数人、ハッとしたように顔を上げた。

「命懸けで日本を取り戻そうとしている僕らをアゴで使って、そうして、必死になってる僕達をあの仮面の下で愉快に笑っていたんじゃないの? そして、飽きたらこうやってブリタニア軍に処理させようとしていたとか」

「おい、こんな時に適当な事を言うな」

 曲がりなりにも自分達の仲間で、さらには死人であるゼロにあまりな暴言を吐く朝比奈を卜部が諫める。

「だが、あながち間違いとも言えないんじゃないか?」

「千葉……、お前まで」

「紅月の話だと、ゼロは唯のブリタニアの学生だったらしいじゃないか。そんな奴が何故日本人に味方して、ブリタニアと戦う必要がある? 朝比奈の言う通り、どこぞの貴族のガキが私達を駒に見立てて、娯楽代わりに戦争ゲームを楽しんでいたと考えた方が納得出来る」

「全部臆測だろうが……! 大体、遊びだったって言うんなら、何でゼロは皇女を庇って死んだんだよッ?」

「さあ? 分かりませんよ。所詮はブリタニア人の考えることなんか」

 ざわざわと部屋の中が騒がしくなる。元々、ゼロに好意的な感情を抱いていなかった騎士団の幹部達は、朝比奈達の穿った考えにも、あっさりと同調し、室内にゼロへの悪意がひしめきだした。

「やめろ」

 手に持った刀で床を叩きながら、藤堂は厳しい目を幹部達に向けた。

 するとゼロを悪し様に罵っていた者達は、ビクリと肩を震わせると、再び押し黙った。

「今はゼロの事をどうこう言っている場合ではない。今すべきことは、ゼロ亡くした我らがこれからどうするか、そして、ここをどう切り抜けるか考える事だ」

 その瞳が扇を捉える。だが、扇はその視線に気付きながらも、顔を上げることはせず、下を向いたままだった。

「とは言うものの、この状況で出来る事はそう多くはありますまい」

 沈黙を貫く扇に代わり、仙波が口を開いた。

「まず戦うか否か……。それから、考えるべきかと」

「否かって、それはつまり降伏するってことか?」

「これ以上、無用な血が流れるのを避けるためにはそれも一つの答えとしてあるということだ」

 疑問を挟んだ南の問いに仙波が頷いた。

「降伏すれば、命は助かるのか?」

 今度は杉山から出た疑問に朝比奈が答えた。

「その可能性があるのは一般団員だけさ。僕達幹部は、高い確率で処刑される。少なくとも、藤堂さんは確実だ」

 だから、僕は反対だね、と言って朝比奈は締めくくった。

「でも、戦って勝ち目があるの? この状況から……」

「ほとんどないな。相手はコーネリア。戦力差もある。さらに、こちらは非戦闘員を抱えている。生き残れる確率などほんの僅かだ」

「何だよ! 結局どっちを選んでも死ぬんじゃねぇか!!」

「そんな事は皆分かってるよ。その上でどうするか考えようって言ってるんだ。君も馬鹿みたいに文句ばっかり言ってないで頭を使いなよ」

「んだと! 誰が馬鹿だ!」

 朝比奈の挑発的な物言いに玉城が反応し、室内が再び荒れ始めた。

 口汚い言葉が口から飛び出し、時に拳を振り上げる者も出てくる始末。

 その光景は、今まで命を懸けて国を取り戻そうと戦ってきた者達とは思えない程に不様な光景だった。

 そうして、皆が激しく言い争うようになっても、カレンだけは一人、一度も顔を上げないまま、ただ蹲っていた。

 

 時折、小さく肩を震わせて……

 

 

 幹部達がいるのとは別の部屋。そこのベッドに仮面が外されたルルーシュが安置されていた。

 血で汚れていたその顔は綺麗にされて、一見眠っている様にも見えるが、整えられただけの服の大部分が血に塗れていることが、ルルーシュが死者であることを証明していた。

 そのルルーシュの傍らにC.C.はいた。

 ルルーシュが安置されているベッドに顔を突っ伏して、片手をルルーシュの片手に添えて、ずっと離そうとしなかった。

『ん~、残念だったわね~』

 そんなC.C.の頭の中に、この場に似つかわしくない呑気な声が響いた。

『結構いい線いってたのに。こんなつまんない結末を迎えるなんて、少し期待し過ぎたかしら?』

 息子の死を以て、その程度のことしか思わないのに、それでも子供達を愛していたと宣う女が心底がっかりしたと言わんばかりに溜め息を吐いた。

 

 自らの耳を切り落とせば。

 この声は聞こえなくなるだろうか――?

 

 もし、C.C.にもう少しだけ気力があれば、本気でそれを実行していたことだろう。

 脳裏に響くマリアンヌの声は、今のC.C.には頭痛よりも酷い。頭の中を何かが這いずり回っているかのようで、とても気持ちが悪かった。

 しかし、人の気持ちを考えることなどしようともしないマリアンヌは、C.C.にお構いなしに好き勝手に喋り続けている。

『ねぇ、もう良いでしょ? 何を意固地になっているのか知らないけど、ルルーシュも駄目だったんだし、いい加減にしたら? シャルルにコードを渡したら、すぐにでもあなたの願いは叶うのに何がそんなに不満なのかしら?』

 結局のところは、それだった。自分達の計画の成就に必要なコードを持ちながら、それを渡すことを拒むC.C.への不満。自分達とC.C.の利害は一致している。C.C.のコードをシャルルが継承すれば、それでお互いの願いは叶えられるのだ。

 なのに、何故拒むのか。

 自分達の理想は正しいのだと疑わないマリアンヌには、それが不思議でならなかった。

『ちょっと、返事くらいしてよ』

 何の反応も示さないことC.C.に不満げにマリアンヌがそう言う。

『……驚いたわ。まさか、そんなにルルーシュに入れ込んでいたなんて』

 目的のために他人を利用することに何の躊躇いもない、非情な魔女。C.C.の人となりをそう解釈していたマリアンヌは、今のC.C.の様子に素直に驚いた。

『なら、なおのことよ。私達にコードを渡しなさい。そうすれば、ラグナレクの先で貴女はまたルルーシュに会えるわ』

 ならばと甘言を用いて、C.C.の気持ちを傾けようとするも、今更そんな言葉がC.C.に届くはずもなかった。

『はあ、もう良いわ。でも、覚えておきなさい。ルルーシュも駄目になって、次の当てもない以上、私達もいつまでも待っていられないことを』

 今のC.C.に何を言っても無駄だと判断したマリアンヌが、呆れたように溜め息を溢した後、そう警告する。

 そして、それを最後に彼女の声は聞こえなくなった。

 

 マリアンヌの声が聞こえなくなって、少しして。

 今まで動かなかったC.C.の身体が、ようやく動きを見せた。

 自らの体温を分け与えるかのように離さずに繋いでいたルルーシュの手をゆっくりと引き寄せる。

 手繰り寄せたその手にもう片方の自分の手を添えて、まるで祈るように両手で強く握りしめた。

 

 状況はC.C.に決して良い訳ではない。

 このまま、ここにいればブリタニア軍に捕まる可能性は高いし、先程のマリアンヌの口振りから彼女達が直接的な手段に訴えてくる可能性もある。

 だから、逃げるべきだと、断片的に働く思考がそう判断を下す。

 でも、C.C.は動かない。

 大切な人が二度も死ぬ現実に直面した少女の心は、もはや限界で。

 

 何かを為す気力が、彼女にはもう、なかった。

 

 もう、――――動けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは何処でもなかった。

 本来なら何処にもその場所はない。人の概念や想像の中に在るものを明確に存在すると定義できないように、そこも確かなものの上に成り立っているとは言えない空間だからだ。

 不思議な場所だった。

 空と呼ぶべきところには灯りとなる光は何もないのに、その空は満月の夜のように明るい。

 地と呼ぶべき場所は漆黒で、綺麗に磨き上げられた大理石の如く、美しく冷たい印象が与えられる。

 その場所の中心に光る何があった。青く、蛍火を思わせるように淡く光るそれは本だった。

 無数の本が空間に浮かび上がり、ゆっくりと螺旋を描きながら、天に向かって昇っていく。

 さながら、それは光る螺旋の樹だった。

 十八年分の記憶で創られた本の樹。

 

 

 ――――そこに男はいた。

 

 

 切れ長の瞳を閉ざし、デッキチェアの様なものに身を預けている。

 服装は白いシャツと黒いスラックスという簡素な身なりで、几帳面な性格の男にしては珍しくシャツを着崩して着ており、その綺麗な肌の胸元が覗いていた。

 その胸元に手が置かれた。男の手だ。

 その仕草はまるでそこにある大切な何かを噛み締めているように思えた。

 いや、事実として男はその身に繋がれた特別な絆を通じて、ある少女に思いを馳せていた。

 わりと泣き虫な、とある魔女に……。

「――――――」

 瞳が開かれた。同時に胸元に置かれた手が何かを決意したかのように、ギュッと握りしめられた。

 男が身を起こす。ゆっくりと、しかし、しっかりとした動作で男は立ち上がると、とある方向へ向かって歩き出した。

 波紋が浮かぶ。

 水もなく、水音もしない地面に男が歩くたびに波紋が次々と浮かんでは消えていった。

 そうして、歩き続けた男はある物の前まで来ると立ち止まった。

 それは扉だった。

 地と同じように磨かれた大理石のように黒く滑らかな大きな扉だけが何もない空間に、ぽつんと浮かんでいた。

 どこにも繋がっていない、しかし、確かに通じているその扉に触れようと男が手を伸ばした。

『いいの?』

 声が聞こえた。

 静かで、抑揚のない女性の声が聞こえてきた。

『本当に、それでいいの?』

 再び声がした。今度はさっきよりもはっきりと。

 男の背後で影が形を作り出す。一瞬の間の後、そこに女性が現れた。

 特徴的な髪の色をした女性だった。濡れ羽のように黒い髪だが、その先端部分は色が抜けたように白かった。その顔には表情らしい表情は見られない。その人間味の感じられない在り方は、どこか男の側にずっといてくれた共犯者の少女の、出会った頃の雰囲気に通じるものがあった。

『現実世界の貴方が命を失った以上、今までのような一時的に意識を同調させる方法は、もう出来ない。それでも戻るというなら、封印を完全に解くことになる。―――それが、何を意味するか。分からない貴方ではないはず』

 男は振り向かない。女の言っていることを聞いていない訳ではない。しかし、男が揺らぐことはなかった。

『世界は決して貴方に優しくなんてならない。運命は絶対に貴方を逃がしはしない。貴方は、再び多くのものを失い、裏切り、裏切られ。苦しみ、悲しみ、怒り、そして、――絶望する』

 答えは返らない。だが、扉に伸ばしかけていた手が再び動き出したことが、女への答えを示していた。

『――何故? 貴方は既に旅路を終えた者。ここで見て見ぬ振りをしても、誰も貴方を責めはしない。なのに、どうして?』

 

 それは。

 結局のところ、男が我慢出来ないからだろう。

 

 

 目の前に理不尽が転がっていたから、我慢することが出来ない。

 皆が見ない振りをして、目を逸らしていく中で、一人逸らすことが出来ない。

 儘ならない事が多すぎる世界で、それらに目を瞑って生きていくことは決して悪いことではない。

 人一人に出来ることなど、たかが知れている。自らが抱え込むものを取捨選択していかなければ、あっさりとその重みに潰されてしまうだろう。

 でも、男には出来なかった。

 だから、抗い続けたのだ。

 人に、国に、父母に、運命に、神に、世界に。

 憤りを感じた全てのものに抗い、――生き抜いた。

 

 だから、今度も同じ。

 ただ、大切に想う人が悲しんでいるのを、黙って見ていることが出来ないだけだった。

『女一人のために、世界が滅ぶかもしれない選択をしようというの?』

 何を今さら、と男は思う。

 元々、たった一人の妹のために世界を変えようとしたのだ。別に驚くに値しない。

 それに、大切に想う存在は少女一人だけではない。

 厳密にはこの世界は男が生きてきた世界とは言い切れない。

 だから、ここで死んでいった者達が生きていても、それは男の手から零れ落ちていった命では、きっとないだろう。

 でも、事ここに至れば、それは些細な事だった。

 例え、別人だとしても、大切なものは大切で。愛しいものは愛しいのだ。

 なら、男に我慢する理由など、一つもなかった。

『よく分からないわ』

 女が首を傾げながら呟いた。

『それは人だから? それとも、貴方だからかしら?』

 問いかける女の声に僅かに変化があった。抑揚のなかったその声音に呆れと興味が少しだけ含まれていた。

『……所詮、私はただ管理するだけの存在。それが貴方の選択だと言うなら、それに否と唱えるつもりはない』

 でも、忘れないで、と女が厳かに続ける。

『完全に封印を解いてしまったら、もう後戻りは出来ない。我々(わたし)は絶対に貴方を逃がしたりはしない。故に貴方の選んだ道は、全てを破滅させる可能性を孕んでいるということを』

 男は何も言わない。女も答えを求めない。

 何故なら、もう解りきっているから。

 それが現実だと、運命だというなら、男がすることはたった一つだけだ。

 クスリ、と女が笑った。どことなく親しげに思える微笑みだった。

『また、会いましょう? コードに至りし者(コードギアス)よ―――』

 最後にそう言うと、微笑みを浮かべたまま女は静寂の中に溶けていった。

 

 

 女が消えたことで、空間には再び男一人しかいなくなった。

 あの女が、何を思って男に手を貸したのか、男には分からない。

 だが、その人間味を欠いた表情や言葉の中に人を思いやる気持ちが時折、垣間見えていたのを男は見逃しはしなかった。

 今も、彼女なりに男を案じてくれていたのだろう。

 そう言うところは本当に似ているな、と男は一人の少女の顔を思い浮かべて苦笑した。

「――――――」

 扉に手を掛けて、瞳を閉じる。

 ピシリ、と扉を等分するように綺麗な亀裂が一つ縦に入った。

 静寂が支配する空間に重苦しい音を響かせて、ゆっくりと扉が開き始めた。

 

 少しだけ迷いがあったのは事実だ。

 女の言う通り、男の旅路は既に終わっている。本来なら男はもう存在しないはずなのだ。

 だから、今まで新たに歩み出すことに躊躇いを覚えていたことは否定出来ない。

 あるいは、このままここで眠り続けるのもいいかもしれないと思った。

 でも、見てしまったから。

 たった一人でも『明日』を望み、定められた未来を変えようと必死に抗う少女を。

 涙を溢しそうになりながら、不安に耐えて運命に立ち向かっていく少女を見てしまったから。

 だから、男も覚悟を決めたのだった。

 

 扉が開かれた。

 

 休息は終わった。足を止めていられる時間は過ぎ去っていった。

 

 

 さあ、行こう。

 

 例え、その旅路がどれ程の地獄であったとしても。

 

 寂しがり屋で、愛されたがりの魔女の元へ

 

 

 約束を、――――――――果たしにいこう。

 

 

 永遠を刻む印が、その胸で緋く光り輝いた。

 

 

 

 そして――――――……

 

 

 

 

 

 

 両手で握りしめた手にコツン、と額をくっつけた。

 体温を失い、無機質なものに変わってしまった手だったがC.C.には何よりも温かく感じられた。

「今さら、思い知らされるなんてな……」

 なあ? ルルーシュ、と共犯者の名前を呼びながらC.C.は儚げな笑みを浮かべた。

 長く生きてきた。だから、理解していた。

 でも、それでも認識が甘かったと思い知らされた。

 ああ、本当に――

「世界はこんなにも思い通りにならないんだな………」

 

 少女の言う通りだった。

 どれだけ二度と失いたくないと思っても。

 ようやく巡り合えた存在との『明日』を願っても。

 一緒にいたいと祈っても。

 世界はそれらを嘲笑い、あっさりと踏みにじっていくのだ。

 残酷で、薄情で、理不尽で、悲しみと苦しみに満ちている。

 何一つ儘ならない存在を、きっと世界と呼ぶのだろう。

 

 もう、無理だった…………。

 

 そっ、と瞳を閉じる。

 暗闇に支配された感覚の中に底冷えするような感覚が混じる。

 どこまでも落ちていくような、暗く冷たい水の底に沈んでいくような感覚。

 それは死の感覚だった。

 長きを生きた魔女ですら、初めて感じる死。

 

 心の死。

 

 沈みきってしまったら、もう二度と浮かんでは来れない。

 これから先、何も感じず、何も思わず、誰を想うこともなくなるだろう。

 人形のようにただ朽ちるのを待つだけの存在になる。

 でも。それでも……。

 

「すまない、ルルーシュ……」

 そう呟く魔女の眦から涙が音もなく流れ落ちた。

 

 

 

 確かに少女の言う通りだった。

 

 でも。

 

 一つだけ。

 

 一つだけ、忘れていることが少女にはあった。

 

 それは。

 残酷な現実を踏み越え。

 儘ならない運命を凌駕し。

 薄情な神を支配して。

 理不尽な世界を壊した男が。

 

 ――――自らの魔王(きょうはんしゃ)であることを………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

「――らしくないな。魔女のくせに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな手が

 

 

 

 

 

 

 

 

 そっと握り返された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦おう」

 長らく沈黙を貫いていた扇が口を開くと、今の今まで言い争いをしていた幹部達は言葉を止めて扇を見た。

「どちらを選んでも死ぬしかないなら。……戦おう」

 普段は優柔不断で言い淀むことの多い扇がはっきりとそう口にしたことに幹部達は驚き、顔を見合わせた。

 そんな中で玉城が一歩進み出ると扇に向かって口を開いた。

「だ、だがよ、扇――」

「分かっている。ゼロがいない以上、勝ち目なんてないことは。でも、生き残れる可能性までないわけじゃないはずだ」

「確かにそうだが、でもよ」

「少しでもいいんだ。一人でも。そうやって生き残った奴が後を引き継いでくれれば、それでいい」

 扇の顔に笑みが浮かぶ。情けない弱々しい笑みだがそこに諦めは見えなかった。

「何より俺自身、まだここで終わりたくない」

 その脳裏に一人の女性の姿が浮かんだ。

 自分のために日本人になっても良いと言ってくれた最愛のブリタニアの女性の姿が。

(そうだ。こんなところで死ねない。帰るんだ、千草の元へ……ッ!)

 握り拳を作り、強い決意を示す扇に皆が戸惑い、どうするか悩む。ただ、藤堂だけは扇の決意を聞いた後、同じように強い決意を秘めた瞳を静かに閉ざしていた。

「私も、………戦う」

 口を開いたのはカレンだった。

 部屋に入ってから、ずっと蹲って顔を上げなかったカレンは立ち上がると、髪と同じくらい目を真っ赤にしながらそう言った。

「私もここで終わりたくない。何より、お兄ちゃんも、……ゼロも、最後まで戦った。私だけ逃げるようなことはしたくない」

「カレン……」

 一番年下で少女でもあるカレンの言葉に感化されたのか、幹部達も一人一人、ゆっくりと頷いたり、同意の言葉を口にし始めた。

「決まりだな」

 悲愴な覚悟が部屋に満ちたのを見てとった藤堂がそう口にした。

 それに扇が頷いた。

「ああ、やろう! 例え、奇跡が起きなくても、俺達は―――」

 

 

「違うな、間違っているぞ」

 

 

 力ある言葉が悲愴感漂う部屋に響いた。

 それに部屋にいた全員が弾かれたように、一方向に顔を向けた。

「確かに状況は最悪だ」

 そこにいたのは一人の男だった。その服装は彼等が見慣れたものだった。しかし、その人物が何者なのか、一瞬誰も分からなかった。

 それは、その顔にいつもの見慣れた仮面が無かったからだ。

「相手はコーネリア率いるブリタニア軍。対して、こちらは士気も落ち、瓦解しかけのにわか軍隊に多くの民間人を抱えている。……絶望的だな」

 くつり、とその口元に笑みが浮かぶ。

 黒く美しい髪が揺れ、強い光を湛えた紫紺色の瞳が部屋にいる全員を見渡した。

「だが、奇跡は起こる。起こしてみせる」

 およそ少年の顔立ちをした男の言葉に、しかし、誰も反論しなかった。いや、出来なかった。

 全員が呑まれていた。藤堂でさえも。

 その仮面の下に隠されていた圧倒的な存在感に、皆が呑み込まれていた。

「何故なら、私はゼロ」

 絶望を越え、死の運命を覆し。

「奇跡を起こす男だ」

 奇跡がここに舞い降りる。

 

 

 

 

 それを何と言えばいいのだろう。

 それを何と呼べばいいのだろう。

 

 善か、――悪か。

 正義の革命家か、――はたまた、悪逆なる皇帝か。

 

 その姿は一つなのに、その在り様は万華鏡の如く数多に移ろう。

 その本当の姿を知っているのは一人だけ。

 たった一人の魔女だけ………

 

 

 皇歴2017年、その日。

 かつて、世界が辿った未来、――より僅かに早く。

 

 

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア

 

 

 その名が再び、歴史の表舞台に姿を現した。




 逆行ルル様、ご登場。

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