コードギアス ~遠き旅路の物語~   作:アチャコチャ

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 血が熱いものだと、その時、初めて知った。

 

「え……?」

 ピッ、と雫のようなものが頬にかかった。

 何となしに触れて、それが血だということにユーフェミアは気付く。

「誰、の………?」

 ぼんやりと自分の身体を見下ろしてみるも、身体はどこもなんともなかった。

 なら―、と思って視線を前に戻せば、ぐらり、と傾く兄の姿が。

 どさり、と音を立てて倒れて、そのまま動かない。

 ゆっくりと広がる血の赤が、やけに目に痛かった。

 

 

 最初に聞こえたのは、悲鳴か。怒声か。罵声か。

 

 凶弾を放った男は、その銃を下ろすことなく構えている。その目には、自分が命を奪おうとしている皇女の姿しか映っていない。

 先程、誰を撃ったのか理解していない。理解しようとしていない。ただ、ターゲットが生きているなら、もう一発撃つだけだと、男は引き金を引き絞る。

 だが、その銃が撃たれることは叶わない。

 身体が引き摺り倒される。数人のブリタニア軍人が、男の身体にのし掛かり、動きを封じる。

 倒された衝撃で、男の手から銃が離れてしまった。身体も押さえつけられ、もう、男には皇女を殺めることは出来ない。

 他者の体重で肺が締め付けられ、まともに息も出来ない。ぐ…、と呻き声を漏らしながらも、前を向いた男の視線の先にユーフェミアの姿が見えた。

 血を浴びて、白桃のドレスが赤にまみれており、動揺が激しいのか、何処か不安定な雰囲気を醸して出しているが、怪我は見えなかった。

 

 その事実に、ほんの少しだけ安堵した。

 

 目蓋を下ろす。そこに、愛した家族の姿を思い浮かべようとしたが、思い出せたのは、あの日の家族の姿だけだった。

 きっと、一緒の場所(てんごく)には自分は行けないだろうと思い、少しだけそのことを残念に思った。

 罪人の行き先など決まっている。

 ならば、悪人は悪人らしく。

「くたばれ。ブリタニア」

 怨嗟を撒いて、地獄に落ちよう――――…

 

 

 爆炎が吹き荒れた。

 ユーフェミアを撃とうとして失敗し、ブリタニア軍人に押さえつけられていた日本人の男がその身体に巻き付けていた爆弾を作動させたのだ。

 誰かの血と誰かの肉が、周囲に飛び散らかる。

 それは突然の出来事に混乱していた人々に錯乱を生んだ。

 水面に波紋が立ったように、それは一気に広がっていく。

 そして、不幸なことに波紋は一つではなかった。

 

 狂乱は続く。

 

「ブリタニアの皇族に死を!」

 混乱する人ごみから抜け出てきた男が刃物を手にユーフェミアに向かっていく。

「ブリタニアに呪いあれ!」

 また、別のところからも、凶器を手にした人間が。

 次から次へと、何の罪もないユーフェミアを血に染めようと殺到する。

 しかし、それを黙って見ている程、ブリタニア軍人は馬鹿ではない。

 声を張り上げ、制止を促す。しかし、止まらない。なれば、強制的に止めねばならない。

 軍人の機銃が火を吹いた。

 ユーフェミアに殺到しようとしていた内の一人の身体に穴が開いた。致命傷である。即死してもおかしくない傷だった。

 だが、そいつは止まらなかった。死を覚悟し、憎しみに支配された精神が肉体を僅かながら生に繋ぎ止めた。

 肺に溢れた血でゴボゴボと水に溺れるみたいになりながら、声を上げ、さらに前へ突き進む。

 しかし、それも二回目の掃射で終わりを告げた。

 もはや、これまでだった。だが、その生の終わり際、その顔にあったのは笑みだった。嘲り、人を囀ずる卑しい笑み。

「し…………ね」

 その手に持ったスイッチを押す。爆発が起こり、一人の人間の身体がその形を忘れた。

 そして、それに巻き込まれたブリタニア軍人の身体も。

「ひ、……あぁ」

 運よく爆発から逃れた軍人が尻餅をついた。その全身に同僚の血を浴びて、その精神は恐慌状態に陥っていた。

「おい。大丈夫か?」

 その状態を気遣う声が聞こえた。自然、そちらに目を向けると心配そうに近寄ってくる特区参加者の男の姿があった。

 そう、日本人の姿が……。

「あ、あああ、ぁぁ」

 日本人の男は気付かない。軍人の恐怖が、何に変わったのか気付かなかった。

「―――るな」

 カタカタと震えながら、軍人が地面に転がった銃に手を伸ばした。

 そして。

「来るなあああぁぁぁぁ!!!」

 狂乱が悲劇に変わった。

 

 情報が混乱する。思考が混濁し、感情だけが迸る。

 

 人の本音・本性というものは、平時ではなく命の危険が差し迫るような状況で表れるという。

 平和、そして、平等の名のもとに、この特区に多くの人々が集まったが、それを真に望んでいるのはどれだけいたのだろうか。

 仮面が外れ、暴き出されたその本質はユーフェミアが望んでいたものとは程遠いものだった。

 

「ブリタニアが撃ってきた!」「畜生! 結局それがアイツらのやり方かよ!」「イレブンごときが!」「甘くするべきではなかったのだ! 奴等は管理しないとすぐ付け上がる!」「黙れ! 卑怯者ども!」「口を謹め! 下等な人種が!」「強欲な豚ども!」「薄汚い家畜!」「死ね!」「殺せ!」「死ね!」「殺せ!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」

 

 負の連鎖。終わらないイタチごっこ。

 それを、断ち切れる存在はここになく。

 故に。

 

 

地獄の釜が開かれた。

 

 

「なに? 何が起こってるの!?」

 突如として、騒然とし始めた特区会場にカレンは紅蓮の中で戸惑いの声を上げた。

「どうなってるんですか!? 扇さん!?」

『分からない! 此方にも何の情報も……』

 怒鳴るように通信機に噛みつくも、返ってきた反応は芳しいものではなかった。

 他の騎士団幹部からも、動揺や戸惑いの声が聞こえてくる。専用の回線内はたちまち多くの声が入り交じり、情報が乱れ飛んだ。

 その中にディートハルトの声が混ざった。

『ディートハルト! ゼロと連絡が取れたのか? 会場はどうなってるんだよ!?』

 誰かがディートハルトに問い詰めた。それを受けて、ディートハルトが口を開く。いつになく、戸惑った声で。

『どうやら、暴動が起きているようです。仔細は分かりませんが、会場内にいた日本人がユーフェミア皇女殿下の暗殺を謀ろうとしたのが原因らしく……。会場内は既にパニックに。指揮系統が混乱し、恐慌状態に陥ったブリタニア軍によって、関係ない一般参加者にも被害が出ているようです』

「そ、そんな……」

 暴動。しかも、日本人が発端となったその事態にカレンはショックで声を詰まらせる。

 しかし、本当のショックを受けたのは、この後だった。

『それと…、未確認ではありますが、件の皇女殿下を庇おうとして、ゼロが撃たれた、らしいと……』

 その時の感情をどう言い表せばいいのだろう。

 血が凍る。視界が真っ暗になる。……違う。

 宙に浮いているような感覚だった。

 それほどまでに圧倒的な、――不安。

 地に足がつかない。どこにも、何にも繋がっていない。そんな不安定で心許ない感覚がカレンの中で溢れ返った。

『ど、どういうことだよ!? ゼロが何でブリキの姫なんか――』

「そんなこと、どうでもいい!!」

 いまだ、情報を処理しきれずにいる幹部達にカレンは吠えた。

(もしゼロに万一なことがあれば、私達は、……私は!)

 居てもたってもいられない。だから、そんな些末事に拘っている暇なんて一秒とてない。 

「会場に向かいましょう! 助けないと、日本人の皆を。――ゼロを!」

 

 

「ユフィ!」

 混乱し、他者を呪う言葉と銃弾が飛び交う会場内を突っ切り、漸くスザクはユーフェミアの元に辿り着くことが出来た。

 事が起こった時、その直後こそ、発端となったのが日本人による凶行だということにショックを受けていたスザクだったが、ユーフェミアが危険だと自覚すると直ぐに立ち直り、動き出していた。

 だが、一直線にユーフェミアの元へ向かおうとする()()()のスザクに錯乱状態にあったブリタニア軍人が発砲。同じ様に疑心暗鬼に取りつかれた味方によって行く手を遮られてしまう。

 下手なことをすれば、彼らの敵意を煽りかねないと判断したスザクは極力彼らとの接触を避けて動き、どうにかユーフェミアの元へ来ることに成功したのだった。

「ユフィ! ここは危険だッ、急いで離れよう!」

 いつ、銃弾が飛び込んでくるかもしれない状況に、スザクは最大限に周囲を警戒しながらユーフェミアに呼び掛ける。しかし、スザクの足元でへたり込むユーフェミアからは何の反応も窺えない。

「ユフィ! 急いで………ッ」

 ユーフェミアの様子がおかしいことに気付いたスザクが彼女の方へきちんと視線をやって、そこでようやく理解する。

 ユーフェミアはへたり込んでいたわけではなかった。

「スザク…………」

 自分を呼ぶスザクの声が耳に届いたのか、ノロノロとユーフェミアがスザクに顔を向ける。

 理性の溶けた瞳がぼんやりとスザクを見詰める。

「ね、…スザク、どうしよう……? 血が…、血が止まらないの…………」

 汚れを知らなかったであろう彼女のその手は真っ赤だった。

 柔らかい手を包む白いグローブは血を吸いすぎて、ビチャっと不快な音を立てている。それに包まれた手はとても嫌な感触を感じているだろうにユーフェミアはそんなことが気にならないかのように、ある一点に両手を置いて離さない。

 彼女を庇い、凶弾に倒れたゼロの胸元から……。

「ユフィ………」

 どう答えていいのか、スザクは分からなかった。

 応急手当の心得などあるはずもないユーフェミアは、ただ必死に傷口を押さえている。しかし、それで血が止まるはずもない。流された血はどんどん広がり、彼女のスカートをも、赤黒く染め上げていく。

「そんな…、ダメよ……、だって、……ようやく、また………」

 何かを呟いたユーフェミアだったが、声が小さすぎてスザクには聞こえなかった。

 ユーフェミアがゼロに何を見て、そして、ゼロが何を思ってユーフェミアを庇ったのか、スザクには分からない。

 だが、ユーフェミアを安全な場所に連れていこうにも、彼女はゼロをここに置いては離れないだろうことは理解できた。

 故にスザクは動けなかった。

 いくらスザクとて、ユーフェミアを守りながら重傷の男を連れて、この銃弾の雨の中を移動することは出来ない。

 ランスロットがあれば、二人まとめて安全な場所に連れていくことは出来ただろうが、生憎ここにあるのは己の肉体だけだ。

 状況は刻一刻と悪化していっている。

 これ以上、ここにいることは出来そうになかった。

「………ッ」

 判断を迫られたスザクが、後で主に責められるのを覚悟で決断しようとした時、後ろから声が聞こえてきた。

「ユーフェミア様! 枢木!」

「ダールトン将軍!」

 数名の部下を引き連れて、こちらに向かってきているその姿にスザクはホッ、と安堵の息を漏らした。

「何をしている! 何故ユーフェミア様を避難させない!?」

「申し訳ありません! ですが……」

 ダールトンに頭を下げたスザクの視線がユーフェミアに向かうのを見て、ダールトンも彼女の様子に気付く。

 その血染めの姿と脂汗を滲ませながら、周りの状況が目に入っていないかのような一心不乱なユーフェミアの姿にダールトンも瞠目したが、すぐに気を取り直しスザクに命令を下す。

「とにかく、枢木。お前はユーフェミア様をお連れしろ。ゼロは私が――」

「イエス、マイロード」

 了承の体を取り、スザクは座り込んでいるユーフェミアの肩に手を掛けて彼女を立たせようとする。

「さ、ユフィ。ここから離れよう?」

「あ、や…。待って、スザク。私……」

「ゼロのことなら大丈夫。ダールトン将軍がいるから。だから、ね?」

 そこでユーフェミアはダールトンがいることに気付いたようだが、少し考える素振りを見せた後、ゆるゆると首を横に振る。

「だめ……。だって、他にも日本人の人達がケガしているのに……」

「ユフィ」

「私、……私が。……違う、違うの。こんなことになるなんて、私……」

「大丈夫。分かっているから。僕は分かっているから……」

 ゼロの負傷。そして、日本人の凶行と暴動。

 それらは、世界が広がったばかりの無垢な少女が受け止めるには、とてもではないが重すぎることだった。

 ショックに心が麻痺してしまった愛しい少女に何度も大丈夫と言い聞かせながら、スザクはユーフェミアを立ち上がらせる。

 そうして、ゼロの元から離れた二人と入れ替わるように今度はダールトンがゼロの側に立った。

 仮面でその表情は見えないが、時折痙攣するその身体からゼロの容態が見て取れる。

 そんなゼロを暫し見下ろしていたダールトンだったがおもむろにゼロに向かって目を閉じた。

 数秒。まるで目礼するかのように目を閉じていたダールトンだったが、それが済むと、懐から銃を取り出してゼロに向かって構えた。

「将軍!? 何を――!」

 スザクが驚きの声を上げたが、ダールトンは答えない。

 それは温情だった。

 忠義を尽くすべき存在を命を賭して救ってくれたゼロに対する。

 こうなってしまっては、もう特区が成功する目はなかった。これから先、ブリタニアの弾圧は激しさを増し、日本人の抵抗も同様に激しくなるだろう。

 そうなれば、ブリタニアにとって、ゼロは最大最悪の脅威となる。

 例え、ここで治療を施し一命を取り留めたとしても、その先に待っているのは想像を絶するような拷問であり、見せしめとしての惨たらしい死だけだ。

 ならば、ここで楽に死なせてやることが、せめてもの慈悲だった。

 苦しませないようにと、頭に銃口を合わせる。仮面の上からだが、この距離からならそれを貫いて届くだろう。

「将軍!」

 鋭い声が後ろから掛かる。その声にハッ、と顔を上げれば、突如として陽が遮られた。

 上空から、黒い巨体が降り立つ。降り立ったその巨大なナイトメアフレームは、慌てて飛び退いたダールトンや警戒し銃を構える軍人達を無造作な腕の一振りで払うと、直ぐ様飛び去っていった。

「――――、――――」

 飛び去っていくその姿に手を伸ばして、ユーフェミアが誰かの名前を叫んだ。それは、混沌とし、阿鼻叫喚の坩堝となったその中に飲み込まれ、誰の耳にも届くことはなかった。

 

 

 再三の突入を望むカレンの声にも答えることが出来ず、扇はコックピットの中で黙り込んでいた。

 ゼロと連絡が取れない以上、現時点での黒の騎士団の行動の決定権は扇にある。なので、扇が何かしらの采配を下さないと騎士団は身動きが取れない。

 扇もそれは分かっている。分かっているが、その口は固く閉ざされて開かれずにいた。

 通信機から自分に指示を求める幾つもの声を聞きながら、扇は葛藤し続けていた。

 このような状況に立たされた時、ゼロなら間違いなく直ぐに突入の指示を出すだろう。

 扇とて、そうする。……そうしたい。

 だが、扇はゼロではない。ゼロと同じことは出来ない。

 突入するまではいい。しかし、その後どうすればいい? どうやって、日本人達を助ける? どうやって、荒れ狂うブリタニア軍を止める? その後は? 逃げるのか? 何処へ? なら、戦うのか? 戦えない者を守りながら?

 ゼロなら、その全てに答えを出せるだろう。だが、扇には出来ない。最善の答えが、最適な行動が彼には思い付かない。

 ふと、昔のことが頭に過った。

 ナオトがいなくなり、自分が暫定的なリーダーになってからの事を。

 あの時のパッとしない作戦でさえ、負傷者が毎回出て、時に命を落とす者もいたのだ。

 今はもう、あの時とは何もかもが比べものにならない。

 自分の一声で、多くの者が命を落とすかもしれないという重圧が彼の口から言葉を奪っていた。

『……突入するぞ、扇』

 そんな扇に助け船を出したのは藤堂だった。

『このまま、日本人が殺されるのを黙って見ている訳にもいくまい。指揮は私が執る。突入の許可を』

 扇の気持ちを慮ばかったのかどうかは分からないが、その一言に呼吸が楽になるのを扇は感じた。

「あ、ああ。そうだな、……ですね」

 自分には出来ない。だが、奇跡の藤堂と呼ばれた彼ならば、上手くやってくれるだろう。

 そう思った扇が、遂に指示を下した。

「よ、よし! 黒の騎士団は特区会場へ突入。ブリタニア軍から日本人を守るんだ!」

 命を賭ける戦場に向かうには些か弱すぎる声に導かれて。

 黒の騎士団もまた、運命の地に足を踏み入れた。

 

 

「黒の騎士団か」

 純日本製のナイトメアフレームが会場内に乱入してきたのを見て、ダールトンは小さく呟いた。

「こんな時に………ッ」

 同じくナイトメアを確認したのであろうスザクが苦汁に満ちた声を漏らした。そんなスザクを一瞥すると、ダールトンは会場内に視線を巡らせた。

 平和を望んだその場所は、今や地獄と成り果てていた。

 至るところに弾痕と血痕が刻まれ、絶えず響く銃声から生まれる硝煙によって、まるで靄がかかったかのように白く霞んで見える。

 銃を乱れ撃つブリタニア軍人が日本人の逃げ惑う背中に穴を開け、奪った銃を構えた日本人がそんなブリタニア軍人の頭に華を咲かせる。

 会場の中心にあった日本とブリタニアの国旗も、いつの間にか地に落ち、血と炎に巻かれていた。

(もはや、止まらぬか)

 その光景にダールトンはそう思い至る。

 言葉で穏便に済ますには、もう、ここは血と狂気で溢れ過ぎていた。

 ならば、ダールトンも決断を下さねばならない。

「枢木、お前はユーフェミア様を連れてこの場から、―特区から離脱しろ。後のことは、私がやる」

「待って下さい! 黒の騎士団が現れたのなら自分も―――」

 そう告げようとしたスザクだったが、その言葉を言い切る前にダールトンに胸ぐらを掴まれ、最後まで言えなかった。

「間違えるなよ、枢木スザク」

 その気迫と声に、思わずスザクは押し黙る。

「貴様は何だ? ユーフェミア皇女殿下の騎士だろう? 主がこのような状態だというのに、貴様はその側を離れ、己の正義を満たすために戦おうとでもいうのか?」

「じ、自分は―――」

「忘れるな。もはや、貴様の全てはユーフェミア様のためにあるのだ。その身も心も、力も。己の全てはユーフェミア様に捧げるためだけにあると思え。―――それが、皇族の騎士、と言うものだ」

 言いたいことを言い終えたダールトンが、勢いよくスザクを突き放す。その勢いに押されてスザクは数歩たたらを踏んだ。

「行け。己が忠を全うしろ」

 スザクに背を向けて、最後にそう言い添えた。

「…………、イエス、マイロード」

 噛み締めるようにそう言ったスザクが、ユーフェミアを伴ってその場を離れていく。

 その気配が遠ざかっていくのを感じながら、ダールトンはその口元に笑みを作った。

 

 叩き上げの生粋な軍人であるダールトンは、皇族や貴族達ほどにはナンバーズに対しての偏見はない。

 その上で言わせてもらうならば、アンドレアス・ダールトンという男は枢木スザクという少年が嫌いではなかった。

 多少、歪に捻れていると感じなくはないが、若者らしい不器用で青い夢を抱く生き方には、素直に好感が持てた。

 ユーフェミアにしても、そうだ。幼い夢だったかもしれないが、それでも彼女は胸を張ってそれを口にし、拙いながらそれを形にしてみせようとしたのだ。

 それを笑う者もいるだろう。だが、その在り方をダールトンは素直に賞賛した。

 

 だからこそ。

 

「この声が届く全てのブリタニア軍人に告げる」

 

 今は自分が泥を被ろう。

 

「これより、我々は暴動の鎮圧ならびに反乱分子の排除を開始する」

 ダールトンの力強い声に正気を取り戻したのか、一部の軍人が銃撃を止めるのが見えた。

「必ず降服勧告と武装解除を呼び掛けろ。それに応じた者には決して危害を加えるな。だが、応じない者、不穏な動きを見せるものには容赦の必要はない」

 そこで、一度言葉を区切り、ダールトンは最後の命を下した。

 

「――――殲滅しろ」

 

 

 

 震えが止まらない手が仮面にかかる。

 定まらない指先に唇を噛みながら、C.C.は何とか仮面を外すのに成功した。

 そうして、仮面の下、ルルーシュの顔が露わになった。

「―――――」

 悲鳴を上げることも出来なかった。

 自らが吐いた血で顔を真っ赤に染めて、呼吸も糸のように細く弱い。いつもは強い意思を感じさせる瞳も虚ろで何も映していなかった。

 それがどういう状態なのか、分かってしまう自分が恨めしかった。

「だい、じょうぶ、…だから、な?」

 弱々しい笑みを浮かべながら、C.C.は何時になく優しい声でルルーシュに語りかける。しかし、その声は震え過ぎていて、もはや言葉としての意味を為していなかった。

「すぐに、よく、…っ、なる、から…………」

 誰に言い聞かせているのだろう。ルルーシュか、それとも自分自身にか。それも分からないまま、C.C.は言葉を紡いでいく。

「大丈夫……、こんな所で、お前、は、…死なないさ。だって、お前は、世界を……っ、変えるん、だろ?」

 片手で優しくルルーシュの頬を撫で、もう片方の手で彼の痛々しい傷口を覆い隠す。

「ナナリーが、……待っている。早く、……かえ、ろ、な……ッ」

 ルルーシュの意識が途切れないように懸命に言葉をかけ続けていたC.C.だったが、込み上げてきた想いに遂に言葉を止めてしまった。

「――――――」

 そんなC.C.の頬にルルーシュの血塗れの手が触れた。

「――ぃ、――っ」

「ルルーシュ……?」

 微かな呼吸音と共に漏れた声にC.C.はルルーシュが何か言おうとしているのに気付く。

 よく聞こえるようにと、その耳を口元に寄せた。

 そして、その耳に声が届いた。

「ぁ―――、ぅ」

 ありがとう

 

「―――ぃ―――」

 お前がいてくれたから

 

「ぉ、ぇ――――、ぉ」

 お前のおかげで、俺は――――

 

 その瞬間、C.C.は弾けた。

 

「やめろッ! ……言うなッ! そんなことを言うな―――ッ!」

 両手をルルーシュの頬に添えて、C.C.が叫ぶ。

「また置いていくのか!? また、……ッ、私を置いていくというのか!? 許さないぞ! もう、そんなことは………!」

 溢れる感情のままにC.C.はルルーシュに呼びかける。

 しかし、C.C.の激情に反してルルーシュの瞳はゆっくりと閉ざされていこうとしていた。

「瞳を閉じるな! ルルーシュ……ッ、私の声を聞け! 駄目だぞ、駄目…………ッ、いやだ! ルルーシュ!!」

 遂に堪えきれなくなったC.C.の瞳からポロポロと涙が零れた。

「いやッ! やだ……! ………しない、で、……ひとりに………ッ、――――私を一人にするな!! ルルーシュ!!」

 泣きじゃくり、何度もかぶりを振りながら必死にC.C.はルルーシュに呼び掛け続ける。

 しかし、それに返る答えはなく。

 泣き叫ぶC.C.をその瞳に映しながらルルーシュの瞳はゆっくりと閉ざされていった。

 

 

 目蓋を開けているのも辛くなり、ルルーシュはそれを閉じた。

 そうして、閉じてみるとさらによく分かる。

 手足の先から、自分が希薄になっていく感覚が。

 自分の中から何かが抜け出ていく実感が。

 

 なるほど、これが死か、とルルーシュは他人事のようにそう感じるのだった。

 

 死の淵に立ったルルーシュだが、何故か心は穏やかで、思考もハッキリしていた。

 だからなのか、沢山の事が頭の中に思い浮かんだ。

 

 心残りは沢山あった。

 

 結局何一つ為せないまま、自分は死ぬのだ。思うことは沢山ある。

 その中でも一番に想うのは、やはり最愛の妹のことだった。

 目も足も不自由な妹。自分がずっと守ってきて、ずっとその将来を憂いていた。

 でも、何故だろうか?

 いざ、死に別れることになると分かると妹のことはあまり心配に思わない自分がいることにルルーシュは驚いた。

 死を前に思考が可笑しくなったか? と一瞬思ったが即座にそれを否定した。

 ずっと思ってはいた。例え、自分がいなくなってもナナリーならきっと大丈夫だろう、と。

 大人ですら、絶望し俯いて生きるこの世界で、あの娘は、一人で生きていくことすら難しい身体であっても、絶えず微笑み続けてきた。

 そういう強さを持っている少女だ。

 それに、自分がいなくなっても一人ではない。ナナリーを気に掛けてくれる存在は他にもいる。妹の世界は自分一人ではないのだから。

 だから、きっと大丈夫………………。

 

 終わりが近い。

 意識に靄がかかり始め、とてつもなく眠くなってきた。

 その眠りに身を委ねたら二度と目覚めぬ予感があった。

 

 ふと、青い空が見たくなった。

 

 遠いあの日。戦火に曇る夕焼け空の下で幼い決意を口にしたあの日から。

 自分はロクな死に方をしないだろうと思っていた。

 それでも叶うなら。最後くらいは青空の下で死にたいと願った。

「―――――――」

 最後の力を振り絞り、僅かに目蓋を開けた。

 霞む視界には残念ながら、青空は映らなかった。

 代わりに緑が見えた。

 視界を埋め尽くす鮮やかなライトグリーンが。

 

 それは、まるで木洩れ日を浴びた新緑のようで。

 

 ――――これはこれで悪くないか……

 

 最後にそう思いながら、ルルーシュは二度と覚めぬ眠りについた。


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