深い静けさが耳に痛い。
深夜と呼ぶにはまだ一刻程早い時間ながら、いつもより夜の静寂が深まって感じるのは、周りの賑やかさを感じさせる造りの建物が沈黙を保っているからだろうか。
クロヴィスランド。
営業時間はとうに過ぎ、人が完全に捌けた無人の娯楽施設に、C.C.は一人ポツンと佇んでいた。
『前回』もマオはこのクロヴィスランドを再会場所に指定していたので、こんな場所に呼ばれたこと自体は別段驚きはしない。だが、人がいる場所が苦痛なくせに、何故人が多く訪れるイメージのある場所を指定したのだろうとC.C.は少しだけ疑問に思った。
単純に人がいなかったからか、再会を演出したかったからか。――または、誰もが童心に返り、無邪気にはしゃぐこの場所に、自分の有り様を見たからか。
まぁ、何でも良いか、と思い、C.C.は時間を持て余したが故の思考を閉じる。
園内のあちこちに設置された無駄に背の高い時計に目をやれば、約束の時間になろうというところだった。
ガチン、と遠くに音が響いた。
それを皮切りにC.C.の周りが明るくなり始める。
園内にある全てのものが無理矢理叩き起こされ、輝き、軽快なリズムを奏で出した。
「C.C.~~!」
声が聞こえた。
メルヘンの象徴とも言える遊興装置から、マオが此方に声をかけてきていた。
その光景に、C.C.の眉が不快げに寄った。
過去に遡るにつれて、かつてと同じ情景を、体験をしたことは何度もある。
だが、ここまで、まるで絵画をもってきたかのように、かつてと違わない光景を見たのはこれが初めてだった。
まるで出来の悪い映画を二度も見せられたような不快感がC.C.の胸に広がった。
そんなC.C.の様子に気付かず、マオは造り物の白馬から降りると嬉々とした様子でC.C.に近づいていく。
「ゴメンね、C.C.! 待たせたよね? C.C.が一人で僕が迎えに来るのを待ってたのは分かってたんだよ? けど、ルルーシュの奴が汚くてさぁ。僕が苦しむのが分かってるから、ずっと人ごみに隠れてるんだ」
酷い奴だよね? と心底自分の正しさを疑わず、マオは滔々と語り続ける。
「きちんとルルーシュを殺してから、C.C.のこと迎えに行きたかったんだけど、まあ、もうどうでもいいよね! C.C.は僕のところに帰ってきてくれたんだから!」
「勘違いするな。お前を待っていたのは共に行くためじゃない」
さっ、と懐から抜いた銃をC.C.はマオに向けて構えた。
「殺すためだ」
「あはは~! ダメダメ! そんな嘘を吐いたって。C.C.は僕がだ~い好きなんだから! その証拠にほらっ!」
片手に音量のボリュームの調節を持ち、もう片方の手で頭に掛けていたヘッドフォンをC.C.に差し出すように突き出す。
音量の大きくなったヘッドフォンから、かつての自分の声が流れ出す。
自らの願いを叶えさせるために、甘言を繰る魔女の声が。
「ね? 分かったでしょ? C.C.は僕のことがだ~い――」
続く言葉を銃声が掻き消した。
放たれた銃弾は、マオの手にあったヘッドフォンを正確に撃ち貫き、C.C.は耳障りな自分の声を止めることに成功する。
カシャ、カシャン、と軽い音を立てて、ヘッドフォンだったものが地に跳ねた。
一瞬の沈黙。その後、絶叫が響き渡った。
「あ、ああ、あぁぁぁぁ! C.C.! ああ! 僕のC.C.が!!」
悲痛な叫びを上げて、まるで愛しい人の亡骸を抱くかのように、マオは砕けたヘッドフォンを胸に掻き抱いた。
「ひ、酷いよ! 何でこんな酷いことするのさ、C.C.! 僕のC.C.が、こんな……ッ! やっぱり、ルルーシュが――」
激しい感情がC.C.に向けられる。
ずっと自らの内でのみ完結されていた感情が、激情が外に向けられた。
そう、今マオは初めてC.C.を
「違う、ルルーシュは関係ない。言っただろう、殺しにきたと」
「嘘だ! C.C.はそんな事言わない! 僕のC.C.はずっと僕を愛してくれてるんだ!」
叩きつけられるような感情に、しかし、C.C.は静かに首を横に振り、凪いだ瞳をマオに向ける。
「嘘じゃない。マオ、これが私だ。自らの願いを叶えるためなら、他人の人生を狂わせることも厭わず、利用できなくなったら躊躇いなく捨てていく、傲慢で冷酷な魔女。それがC.C.という女だ」
まるで自分で自分を告発するかのように、無機質な声でC.C.は言う。
そして、口唇を戦慄かせ、小さく首を振り続けるマオに最後の一言を告げた。
「それは、お前とて例外ではない。マオ」
「違う、C.C.は、僕のC.C.は、……僕の事が好きで、……愛して……」
ブツブツと呟きながら、がくりと頭を落としマオは項垂れる。先程まであった炎のような感情は消え失せ、燃え尽きた灰のような雰囲気がマオから漂っていた。
後悔の時間も、躊躇の時間も過ぎ去った。だから、後はもう……。
C.C.はゆっくりと銃口をマオに合わせた。
「マオ、私は――」
「違う」
「マオ?」
突然、声質の変わったマオに訝しげにC.C.が声をかけた。
「違う、違う違う違うちがうちがう! お前はC.C.じゃない! お前は、僕のC.C.じゃなあぁぁい!!」
「な――ッ」
絶叫し、雄叫びを上げながら飛び掛かってきたマオにC.C.は驚きながらもその場を飛び退いて躱す。
しかし、反応が遅れたため、がむしゃらに振り回していたマオの腕が銃を持っていた手に当たり、その衝撃でC.C.は銃を手放してしまった。
警戒し、マオから距離を取るC.C.。しかし、マオはそんなC.C.を見ることなく、虚ろな表情でどこかに向かっていく。
「言わない、……僕のC.C.は……、僕の、……ああ、そうか。ルルーシュか。ルルーシュのギアスでC.C.はおかしくなっちゃったんだ………」
「マオ、私にギアスは―――」
「煩い煩いッ! 偽者が喋るな! 僕のC.C.じゃないC.C.が、喋るなああぁぁぁ!!」
ギャン、と甲高い音が鳴る。雄叫びと共にマオが物影から取り出したのは、前の時と同じ、チェーンソーだった。
それを正面に構えて、マオは恍惚とした表情で謳う。
「待っててね、C.C.ぅ~。今、僕が
C.C.は何も言わない。ただ静かにマオを見据えていた。
結局、何も変わりはしなかった。
多少の変化はあれど、やはりここに行き着いてしまった。
きっと、もうとっくに手遅れだったのだとC.C.は気付く。
優しさも、憐憫も、悲嘆も。
とうの昔に、C.C.の声が目の前の男に届く時は過ぎ去っていたのだ。
マオの姿がC.C.の瞳に映る。その狂気とも狂喜ともつかない笑みが。
その中に一瞬だけ、幼い頃の彼の笑顔を見た。
自分の名前を呼び、無邪気に駆け寄ってくる彼の笑顔を。
その姿に情を抱いた。
弟のように、息子のように思っていた。
だが――。
「――――――」
すっ、とC.C.は目を閉じた。まるで、今しがた見た過去の情景を断ち切るように。
例え、どれ程の過去があっても。
もうC.C.は選んでしまったから。
共に在ろうと思う相手を。そして、約束を交わした『明日』を。
だから―――
「さようなら、マオ」
一度、その手で訣別した相手に、今一度別れを告げて。
C.C.はその身に魔女を纏った。
数メートルの距離を置いて対峙しているマオに、注意を払いながら、C.C.はポケットから携帯を取り出した。
予め登録していた目的の番号を選び、通話ボタンを押す。その行動に笑ったのはマオだった。
「あはは! 何のつもりだい? C.C.! ひょっとしてルルーシュでも呼ぼうとか考えてる? でも、ざぁんねん! アイツの行動は把握済みだよ。ここには来ていない!」
「勘違いするな。これの目的は別だ」
その答えはすぐにやってきた。
マオにより叩き起こされ、夜の静寂に輝いていた園内が、糸が切れたように再び闇に包まれたのだ。
「なッ! こんな、……クソッ、C.C.! どこにいるの!?」
突然の暗闇に、C.C.の姿を見失ったマオが彼女を求めて、声を上げる。
その返答は、銃声だった。
ヂュン、という銃弾が跳ねる音と共にマオの足下で火花が散った。
慌てて後ずさるマオの耳に軽い足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「どこに行くの? 逃がさないよ、C.C.ぅ。君は、必ず僕が
遠ざかる足音を、狂気が追随した。
クロヴィスランドの特徴の一つに、ミラーハウスがよく挙げられる。
大抵の遊園地においては、こじんまりとした小さなもので場所によっては申し訳程度に置かれていたりするものだが、ここクロヴィスランドでは大きく外装も豪華な三階建てとして、園内中央付近に配置されている。
というのも、このミラーハウスはその名が冠せられた、今は亡きクロヴィス・ラ・ブリタニアの肝入りだったからだ。
設計から携わり、施工中も何度も足を運ぶという入れ込みように、当時のクロヴィスはこう語った。
『一階は男性が最も美しく、二階は女性が最も美しく映るように鏡が配置されている』と。
では、三階は、という意見にクロヴィスは一言だけ、言い添えた。
『そこは、ある者達が最も美しく映ったであろう』
その言葉に当時の世間はしばし沸いたものだった。
殿下には既に意中の相手がいる。いやいや、『達』と言うからには、よもやお子ももういるのでは。しかし、『あろう』ということは、既に別れているか、亡くなられている?
様々な憶測が飛び交うなか、不敬罪を覚悟した幾人かのマスコミ関係者が、この事についてクロヴィスに質問してみたのだが、その全てにクロヴィスは微笑みを浮かべるだけで口を開くことはしなかった。
ただ、その都度、彼の視線が政庁の屋上付近に向けられていたことをごく僅かな人間だけが気付いていた。
来場者の気持ちを高めるための、愉しげな音楽が止まったミラーハウスに暴力的な破壊音が響く。
「C.C.ぅ、…C.C.!」
もはや、呪詛を呟くようにC.C.の名前を呼びながらマオは片手に持ったチェーンソーを振りかぶった。
ガシャン、と一際高い音を立てながら、また一つ鏡が割れる。
ガシャ、とその鏡を踏みつけてマオは耳を研ぎ澄ませた。
ドッ、ドッ、ドッ、というチェーンソーの脈動音だけが場を支配する。その中に、パキ、という何かが割れる音が混じった。
素早く顔を上げれば、目的の人物の姿が鏡に乱反射しながら映るのが見えた。
「C.C.ぅぅ、みぃつけ、―――ガッ!?」
壊れた笑みを浮かべ、C.C.に飛び掛かろうとしていたマオだったが、顔を中心に全身を襲った痛みに、もんぞりうって倒れこむ。
眼前にあったのは鏡だった。反射して映ったC.C.の姿を本物と思い、飛び掛かってしまったのだ。
無理もない事だった。元々、視覚を惑わすことを目的とした場所であるのに加えて、照明が一切消えた状態なのだ。余程感覚に優れているか、鏡の配置を覚えていない限り、ぶつからずに歩くことすら困難だった。
再び、パキ、と音が鳴る。同時に鏡の中に魔女が現れた。
「くそ、くそくそくそ! C.C.ぅぅぅぅ!」
掛けていたバイザーをかなぐり捨てて、マオはC.C.に向かって叫んだ。
(ここまでは予定通り……)
二階にある鏡の死角になっている場所に、小柄な身体を押し込みながらC.C.は長い息を吐いた。
荒くなりつつある自分の息を整えながら、マオの様子を窺い見る。
一方的にマオが消耗させられているかと言われれば、そうでもない。
事前にミラーハウスを調べて、ある程度鏡の配置等を頭に叩き込んでいたC.C.だったが、あくまである程度だ。
意識を集中して、鏡の配置に気を配らないと逆にC.C.が追い込まれかねない。
一歩間違えれば全て終わりという状況がC.C.の気力と精神力を容赦なく奪っていっていた。
(バイザーも捨てた。どうする? そろそろ仕掛けるか?)
両手で握りしめた銃を見ながら、C.C.は考えた。
C.C.は自分の事を過大評価していない。特に、長年付き合ってきた己の心の弱さ、――甘さ加減をよく分かっていた。
決意を固め、覚悟を決めたとはいえ、何度もマオに向けて銃を撃てば、すぐに自分の弱い心が顔を出してくるだろう。
だから、必要だった。確実に一発で終わりにするための策が。
そのための作戦だった。携帯を使って遠隔操作で主電源を爆破し照明を落としたのも。このミラーハウスに誘い込んだのも、全て。
打てる布石は全て打った。
後は――。
「みぃぃぃぃぃつけたぁぁぁぁぁ!! しぃぃぃつぅぅぅぅぅ!!」
感情のメーターを完全に振り切った、そんな歓声とまがう絶叫が聞こえた。
驚き、声がした方に視線をやれば、探し人が見つかったマオが、他の物が目に入らないと言わんばかりの勢いでC.C.に向かってきていた。
「くっ!」
凶器が一閃する。暴力的な音色がC.C.の頬を掠め、肉の一部を削り取っていった。
「みぃつけた! C.C.! もう、逃がさないよぉ?」
ニタニタと狂人の笑みを浮かべたマオが、追いつめた獲物をなぶるために近付こうとする。
「―――――」
そんなマオから、その鋭い視線を外さずに、C.C.は廊下の奥へと身を翻した。
「アハハ! 無駄無駄ぁ。もう、逃げられないって、 C.C.ぅぅ」
はたして、その通りだった。
C.C.が身を翻した先にあったのは、小さな部屋だった。数人が入っても余裕があるくらいの円形に鏡張りされた小部屋。他に入口はない。一つだけだった。
そのたった一つの入口からマオが姿を現した。
「つ~かまえ、たぁ」
入口を背にジリジリと部屋の奥、マオに背中を向けているC.C.に迫る。
「待っててね? C.C.ぅ、今僕が
ブンブン、と手に持ったチェーンソーを振り回し、その嬉しさをアピールする。
もはや、これまで。C.C.に逃げ場はなく、もうすぐにでもこの手の凶器の餌食になろう。
もし、マオにまともな思考力が残っていたらそう思った事だろう。
だが、振り返ったC.C.の顔にあったのは笑みだった。
冷たく涼やかな魔女の笑み。その笑みを浮かべながら、C.C.は今まで黙して語らなかった口を開いた。
「こういう時、アイツなら。……ルルーシュなら、こう言うんだろうな」
ルルーシュの名前がC.C.の口から出たことでマオの顔色が変わる。その手の凶器を強く握り締め、今にもC.C.に襲いかかろうとしていた。
だが、そんなマオより早くC.C.が動く。
ヒュ、と片手に持っていた物をマオに向けて投げ放った。
「条件は――」
カツン、と音を立ててコロコロとマオの足下にソレは転がった。
思わずソレを注視したマオがその正体に気付くより早く。
「―――全てクリアした」
音の無い爆発がマオを襲った。
閃光弾。
C.C.が投げたものの正体は、それだった。
光の爆発がマオを襲う。
暗闇に慣らされ、ミラーハウスの中、酷使され続けた目に光が威力となって突き刺さる。
それは暴力だった。
光という一点で極められた情報量が、目を通して脳を侵し、マオの意識を奪い去ろうと襲いかかった。
「カ――――……」
悲鳴を上げることも、のたうち回ることも許されない。
意識が混濁したマオが、白目を剥いてガクンと膝を折った。
カチャリ、と銃を構える。
目を瞑り、腕でガードしたにもかかわらず、影響をもたらされた視力が回復し、銃口が無防備なマオを捉えた。
「…………ッ」
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
謝罪も。別れも。もう語るべき言葉は何もない。
暗闇に浮かぶ、かつての契約者をしっかりと見据える。
その姿から決して目を逸らさずに、C.C.は、その心臓に向けて引き金を引いた。
多分、次くらいでマオ偏は終わりです。