◇
夢を見ていた。幼い頃から何度も見る夢。とても懐かしく、でもどこか寂しい夢。そして起きてしまえば忘れてしまう夢。
俺は子供で友達がいた。照れ屋で素直じゃない俺の友達。
「なぁ、俺たち、いつまでも友達だよな?」
その友達にしては珍しく不安げな質問だった。
何か悩みでもあるのかもしれない。でも俺は馬鹿だからその悩みが何なのか分からない。だからせめて、俺は友達の不安を取り除くことしかできない。
だから、
だから、
だから、
気が付くと目が覚めていた。何か夢を見ていたかもしれないが、もうその夢を覚えていない。
「ふぁ」
欠伸を一つ。重い瞼を擦りながら布団から出る。
「腹、減ったなぁ」
俺は顔を洗いに洗面台へと行く。
◇
「哲也様、折り入ってお話があります」
俺は洗面台で顔を洗っていると、いつの間にか後ろでボタンさんが座って頭を下げていた。何故だろう、何故この人はそこまで俺に畏まってしまうのだろう。俺は大した奴でもないのに。
「あのボタンさん。そこまで畏まらなくても…」
「いえ、私は哲也様の従者です。不敬があれば腹を切るつもりでございます。故にこのカタチこそが正しいのです」
「…そ、そうですか」
ボタンさんは意地でもそのスタイルを変えるつもりはなさそうだ。それなら俺だって意地でも俺のスタイルを貫くぞ。
「それでボタンさん、話ってなんですか?」
「はい、哲也様が正式に【お役目】を継ぎましたので、哲也様の花神をこの世に顕現する儀式を執り行おうと思いまして」
「へ?俺はてっきりボタンさんが花神なんだと思っていたんだけど」
「厳密に言えば違います。私は先代の、鉄次郎様の花神。故に哲也様に仕える花神を作らないといけないんです」
あれ?じいちゃんの花神?なんだろう、この違和感。
考えたいけど…腹が減った。
「ボタンさん」
「はい、なんでしょうか?」
「ゴメン、俺腹減っちゃってさ。食べながらでもいいかな?」
「!!」
そう言うとボタンさんは顔を真っ赤にしていた。
「ご、ごごご、ごめんなさい!!私ったら何も考えずに!今すぐお作りいたしますので居間で待っていてください!!」
ボタンさんは早口で喋り、逃げるように台所へと行ってしまった。
「悪いことしちゃったかな」
◇
「先ほどは大変失礼いたしました。遅めの昼食となってしまったので、軽めの物を作りました」
目の前には様々なサンドイッチが並んでいた。ボタンさんって和服を着ているから、和食しか作れないって勝手に思っていた。まさか洋食も作れるなんて思ってもいなかったので少し驚いている。
「あの、もしかしてサンドイッチがお嫌いでしたか?」
不安そうに上目遣いで俺を見てくる。あ、やばい。完璧美人が不安そうな上目遣いとかギャップがすごすぎる。写真に残しておきたい。
「う、ううん。全然。サンドイッチ大好きだよ。ありがとうね、ボタンさん」
「ああ、よかったです」
時刻はもう15時を過ぎている。じいちゃんを見送った後に俺はすぐに眠ってしまった。それまで俺は寝続けていたのだ。なので朝も昼も食べていないから腹が減りすぎて気持ち悪くなっていた。
「それじゃあ、いただきます」
レタスとハムが挟まっているサンドイッチを手に取り口に運ぶ。
シャキシャキのレタス、ハムに隠れていたチーズが相まって旨みが口に広がる。それにレタスにかかっていたフレンチソースがまた全体の味の一押しとなっていって、非常に美味しい。今までで一番美味しいサンドイッチなんじゃないだろうか、これ。
「お、美味しい。美味しすぎるよボタンさん!」
「お口に合うようでよかったです」
ボタンさんはふんわりと優しく笑ってくれた。
あ、これヤバい。ボタンさんみたいな美人で料理も完璧な奥さんが欲しい。というかボタンさんが奥さんになってほしい。
じゃなくて、ボタンさんは何か話があっただろう。これ以上ボタンさんを待たせちゃ悪い。
「それで俺の花神だっけ?」
「ええ、【お役目】は常に危険と伴わせ。なので哲也様を守る花神が必ず必要となります」
昨日のじいちゃんの話にもあったように、お役目はかなり危険な仕事だ。何故ならお役目とは霊を成仏させること。霊との距離が必要以上に近くなってしまうからだ。
その霊には三通りの種類が存在する。一つは自分が死んだことを理解している霊、二つは自分が死んだことを理解していない霊、そして最後は強い怨念により悪霊となってしまった霊。
実は危険なのは三種類の内二種類ある。悪霊は言わずもがな、人を
じいちゃんも初めの頃は不用意に自分の死を気付かせてしまい、憑り殺されそうになったと笑いながら話していた。
「でも花神を作る、というかこの世に召喚?顕現?だっけ?それをするにはどうすればいいの?」
「必要な工程は二つ。花神の
ぎ、儀式ですか。まあ顕現なんて言葉使ってるくらいだ。それに神様を召喚するんだもんな。
「でも依り代の木か…」
「それについては心配ございません。すでに私が手配しました」
流石ボタンさん。仕事が早すぎるね。俺もうボタンさんに血を分けるだけじゃない。全然仕事してないよ。
「なんかすみません、何から何まで用意してもらって」
「いえ、哲也様が謝ることは何もないです。本来の木では依り代となることは出来ません、私たち花神が一から育てないと依り代にならないのです」
「そ、そうなんですか。その木って種類とかあるんですか」
「はい。【
おお、なんかすごく多いぞ。四種類もなの?
「その四種類が俺の花神になるんですか?」
「はい、実はもう哲也様のすぐそばでこの世に顕現する時を今か今かと待っております」
「え?もういるんですか?」
辺りを見渡してもそんな四人もいるはずない。それに気配すら感じないというのに。
「まだこの世に顕現しておりませんから哲也様からは見えませんよ」
「うーん、そうか。ねぇ、どんな人たちか教えてくれないかな?」
「ふふふ、それは駄目です。この子たちがまだ教えるな、と」
「その時が来るまでお楽しみですか」
まあ仕方ないか。それに最後、俺の血が必要なんだっけ?
血か。どれぐらいいるんだろう。病院とかでやる血液採取ぐらいならいいんだけどな。
「それと、血が必要なんですよね。どれぐらい必要なんですか?」
「大変申し訳ないのですが、四滴ほどいただければ十分です」
「へ?四滴でいいの?」
思っていた以上に少ないな。儀式なんだからもっと必要だと思っていたのに。まあ、少ないで済むならそれでいいか。
「ただですね、経口摂取で血をいただかないといけないのです」
「経口摂取?」
「はい。私の口に直接血を流すことです」
まじですか。
「まじですか?」
「大マジです。ここに刃物がありますのでスパッとやってください」
流石ボタンさん。仕事が早いよ、早すぎるよ。
うん、早いとこやって終わらせよう。
その刃物で俺は人差し指を少し刺し、少量の血が出てくる。
「それでは失礼いたします」
そしてボタンさんは俺の人差し指を躊躇せず口に咥えこむ。
「ん…っちゅ……ちゅる…」
これは…想像以上にクル。目をつぶれば、何ていうか……
「ちゅる……ちゅ……ん、ちゅるる………」
やばい、これは非常にヤバい。そろそろ俺の息子が戦闘態勢に入るぞ。これ以上はもたない。
「んん、……ちゅるるる………じゅるるぅ…」
ん?
なんか変だぞ。血は四滴ぐらいなのにそれ以上吸っているような気がするんだが。それにボタンさんの顔が赤らんでいるような。
「あ、あの、ボタンさん?」
「ん、ちゅ、ちゅ、ちゅるるるる………あ、……じゅるる…」
なんかすっごく無我夢中なんですけど。それに何だかもじもじしているし、いつの間にかボタンさんの片手が……その…
え?というかこれ、もしかして…発情していらっしゃる?
「ちょ、ストップ!ストォォォップッ!!」
これ以上はいけないと思い俺は強引にボタンさんの口から指を引っこ抜く。
「ああ!もうちょっと、もうちょっとで」
「落ち着いて、ボタンさん!落ち着いて、お願いだからマジで落ち着いて!!」
「……っは!」
俺の必死な呼びかけでようやく我に返ったようだった。顔を真っ赤にしながらうつむいてしまう。
「す、すみません。私たち花神は少々、その…主人の血をいただくと、その…………ょう、してしまうんです」
「うん、早めに言ってくれると良かったかな」
「も、申し訳ありませんでした!!私は準備に取り掛かりますので、では!」
またしてもボタンさんは逃げるように居間から出て行ってしまった。
よかった、なんとか正常な思考が戻ってきて。
◇
その頃、ボタンさんは……
自室で布団をかぶり、もぞもぞと何かをしていました。
そして時折苦しいような艶のあるような声をあげていたとかなんとか。