◇
実を言うと、今でも幽霊に対していい印象を持っていない。
というか俺のトラウマみたいなもんだ。
その霊を成仏させること、それが【お役目】だったなんて。
「じいちゃん、俺がその【お役目】を継がなきゃいけないの?」
「うむ。哲也だけが霊視の力を持っているからな」
そりゃそうか、霊を成仏させるんだもんな。
その相手が見えなけりゃ話にもならないもんな。
「じいちゃん、俺が幽霊苦手なの知っているよね?」
「………」
じいちゃんは何も言ってこない。
ただ黙って俺を見つめてくるだけだ。
「………」
「…そうだよな、哲也は昔から苦手だったもんな」
「!! 鉄次郎様!」
サクラさんがハッとしてじいちゃんを呼びかけた。
それをじいちゃんが手で制した。
「ワシは無理強いするつもりはない。哲也が嫌だと言ったらそれまでじゃ」
「…じいちゃん」
「…一つだけ勘違いしないでほしい。ワシは哲也が霊視の力を持っているから【お役目】を継ぐことは考えてもいなかったよ」
「え?じゃあなんで?」
「哲也が、ワシの知っている誰よりも優しいからじゃ」
「!!」
そう言ってじいちゃんは笑いながら立ち上がった。
「まあなんじゃ。【お役目】のことは忘れて、風呂でも入ってさっぱりとするがよい」
俺にそれだけ告げてじいちゃんは部屋から出て行った。
「鉄次郎様!」
次いでサクラさんたちがじいちゃんを追いかけるように部屋を出ていく。
居間には俺と牡丹さんしか残っていなかった。
「哲也様、お風呂に入られますか?」
「……うん」
◇
鉄次郎は自分の部屋に戻っていた。
ドタドタと慌ただしい音を立てながらこちらに向かってくる三つの足音。
「鉄次郎様!!」
それだけに今回の事はどうしても許せなかった。
今までは散々無茶なことを鉄次郎にやらされていた。
だがそれを苦とは感じていなかった。喜びとさえ感じるほどだった。
正に鉄次郎だけのための花神であった。
故に今回のこれはどうしても認めない。
それがたとえ主たる鉄次郎の命令であってもだ。
「なりません!それだけは絶対になりません!!」
「全くサクラはいつになっても変わらないな」
激昂するサクラを前に鉄次郎は眉さえ動かさない。
鉄次郎はそのままサクラの頭を撫でる。
「いいんだ。ワシの事は」
「いいえ、鉄次郎様のことだからこそ、今回は譲るつもりはありません」
一人は孫のため自分を捨てるもの。
そしてもう一人は主を救うためなら他の全てを捨てるもの。
二人の意見はいつまでも平行線のまま。交わることは無いだろう。
「まあまあ、サクラ落ち着けって」
「これが落ち着いていられるものですか!!今まで鉄次郎様がどれほど頑張ってきたかを知っているでしょう!!自分をどれだけ犠牲にしてきたか、その結果がこれなんですか!?」
「……」
サクラの言葉にヒマワリは黙ってしまう。
いつもは鉄次郎をジジイ呼ばわりで主を主と思っていないような態度のヒマワリ。
しかしヒマワリもサクラに負けずと鉄次郎の事を思っているのだ。
だからこの結末もヒマワリは納得していない。
だけど、これではいつまで経っても話が進まない。
「私だって納得なんかしてるわけないだろ!!嫌に決まってるだろう、私の
そして今まで溜めに溜めたものが爆発した。
それはサクラの怒りよりも凄まじいものだった。
「なら―」
「だけどよ、ジジイがそれで納得しちまってんだ。私等のご主人がそう言ってるんだ。もう何も言えないよ」
怒りを噛み殺し、目にいっぱい涙を溜めていた。
ヒマワリの決断も鉄次郎のことを思ってのことだった。
主が覚悟を持って決断したことに従者が横やりを入れるのは最低の行為だ。
それこそ、主の覚悟を侮辱するもの。
故に鉄次郎の覚悟を尊重し、ヒマワリは引いたのだ。
「ジジイが覚悟を持って決断したんだよ!!」
「だからそれが何だというの!?」
「―テメェ、それ本気で言ってんのか!?」
サクラもそれは十分理解していた。本来ならばサクラも鉄次郎の覚悟を尊重するはずだった。
だがこれだけは譲れない。絶対に譲ったりしない。
それで妹たちから外道と罵られても構わない。
サクラもそれ相応の覚悟をしていた。
故に二人の衝突は避けられないものとなっていた。
「分かった。表でろ、その歪んだもの叩きのめしてやるよ」
「ふん、貴女が私を叩きのめす?いいでしょう、やってみなさい」
プー
まさに一触即発の空気だった。
それを壊したのがツワブキ。先のヒゲめがねをかけ三方向に延びるアレを吹いていた。
流石の二人もそれには少し毒気が抜かれた。
だがそれも少しだけ。逆に二人の矛先がツワブキに向かれた。
「まあ、流石に空気読めなさすぎだよね」
「アンタねぇ!」
ヒゲめがねを外して二人を向く。
二人の睨みは大の大人ですらも背筋が凍るもの。
だがそれでもツワブキは恐れない。
「お二人さんがカッカ熱くなるのはいいよ。どっちとも譲れないものだからね、ぶつかり合うのは当然さ。でも少し落ち着こうよ、私らが喧嘩しても結局はご主人が悲しむだけだよ」
「…」
「うっ…」
そしてツワブキが遠い目をしながら淡々と語り出した。
「いつだっけ?お姉ちゃん二人がマジ喧嘩したのは。もう20年以上は昔だっけ。あれは酷かったもんだよ……」
「お、おいツワブキ」
「………」
二人はどんどんバツが悪そうになっていく。
「原因は何だったけ?あぁ、そうそう、ヒマ姉がサクラ姉のケーキの苺を食べちゃったんだっけ?あはは、ウケる。それでよそ様のお家が三軒全焼だもんね。もう呆れを通り越して笑うしかなかったよね。私も結局ケーキは食べれなかったし」
「そ、そんな昔のこと掘り返さなくてもいいだろう!?」
「でも今マジ喧嘩しようとしてたでしょう?」
「うぅぅ」
「二人ともご主人にしこたま怒られてたよね。それでどうなったっけ?」
「………」
「サクラ姉、私馬鹿だから忘れちゃった。あの時ご主人はなんて言ってたっけ?」
「……私たちの喧嘩の全面禁止です」
「ああ、そうだったそうだった。ようやく胸のつかえが取れたよ。ありがとうサクラ姉」
二人には有無を言わさぬツワブキの言葉。
ようやく二人がその熱が取れたようだった。
「分かったよ。マジ喧嘩しようとした私が悪かったって」
「………」
「サクラ姉?」
「分かりました。喧嘩はしません」
そしてサクラは不機嫌そうに部屋を出て行った。
それにつられてヒマワリも空気が悪いようで逃げるように部屋から出ていく。
今部屋には鉄次郎とツワブキしかいなかった。
「スマンな、いつも面倒な役ばっかで」
「もうホントだよ。さっき二人に睨まれてすごく怖かった」
そのままツワブキは鉄次郎の胸に飛び込んだ。
こここそがツワブキの特等席。
哲也に今まで取られていたが、本来のこの場所はツワブキのものだった。
ツワブキも鉄次郎のことが最優先であることには変わりはない。
その次に鉄次郎を含めた姉妹の喧嘩が何よりも嫌だった。姉妹なのだから仲良くするのが一番だと思っていた。
しかしその一方で信念と信念のぶつかり合いの喧嘩は許容していた。
先のも二人の姉が持つ信念同士の喧嘩だった。でも今のは泥沼になるのが目に見えていた。だから何としてでも止めようと思った。
「ご主人は歩く爆弾だったけどさ、最後の最後でとんでもない爆弾を持ってたよ」
「ははは、ホント迷惑しかかけていないな、お前たちには」
「……ぐすっ」
鉄次郎に頭を撫でられ堪えきれなかった。
姉妹の中で一番心が強いツワブキでさえ、これには耐えられなかった。
「いやだよう、ご主人が地獄に落ちるのはいやだよう」
「………」
鉄次郎は何も言わずにツワブキの頭を優しく撫で続けた。