宜しくお願いいたします。
第1話 「お役目 その1」
◇
俺は所謂「見える」体質だった。
気付いたのは俺が小さい頃。
「あそこに人がいるよ」
「なんであの人は窓からこっちを見ているの」
「ほら、あそこだよ、あそこ」
俺を心配した両親は何度もカウンセリング、精神科へと連れて行った。
俺としては何で誰も俺の言っていることが理解できないのか、それが理解できなかった。
俺の友達を頭ごなしで否定してきて、俺の子供時代は荒んでいた。
だけど、俺の性格が捻くれなかったのも全てじいちゃんのおかげだった。
じいちゃんはちゃんと俺の話を最後まで聞いてくれて、否定もしなかった。
それよりも「怖くなかったか」と俺の身を案じてくれていた。
誰よりも優しくて、俺のことを一番に心配してくれたじいちゃん。
上京して大学に進学し、内定も決まっていた。最後の大学生活を謳歌していた時だった。
滅多に来ないお袋から電話があった。
「
その一言で察した。もうじいちゃんも今年で92歳だったし、覚悟はしていた。
しかし実際にその報せを聞くと頭が真っ白になっていた。
バイト先の店長に事情を説明し、急いで自宅に戻る。最低限の荷物を持ちそのまま実家へと帰る。
電車に新幹線にバスを使って実家に着いた時にはもう夜遅くだった。
お袋から聞いていた病院に着き、じいちゃんの病室まで案内される。
そこにはお袋、親父、親戚の人たちが集まっていた。
そしてベッドには腕に点滴が繋がれているじいちゃん。
そこでも俺は頭が真っ白になっていたと思う。
ヨロヨロとおぼつかない足取りでじいちゃんのベッドに辿り着く。
「じいちゃん…」
俺はじいちゃんの手を取り祈った。
死んでほしくない。
「遅くなってゴメンよ…覚えてる?哲也だよ」
その俺の呼びかけに応えるように手がピクピクと動き始めた。
「じいちゃん!?じいちゃん!!」
「……あぁ…」
そしてほんの微かにだが何かを喋ろうとしていた。
「お袋!医者を呼んで!!じいちゃんが!!」
もしかするとこのまま助かるのかもしれない。
頼みます、神様。
どうかじいちゃんを助けてください。
「…哲…也……?」
「ああ、そうだよ!俺だよ!哲也だよ!!」
「哲也…」
じいちゃんは懸命に俺を探しているようだった。
だから俺はここにいる、と伝えるように言葉をかけた。
「あぁ、哲也」
じいちゃんはゆっくりと俺に顔を向ける。
握っていたじいちゃんの手も、力は弱かったが握り返してくれた。
しかし目は閉じたままだった。
「牡丹…」
「じいちゃん?」
じいちゃんは朦朧としているのか何だかよく分からない言葉を発する。
牡丹?
ああ駄目だ、よく分からない。
じいちゃんが俺に何かを伝えようとしているのに、俺はその意味が分からない。
「哲也に…お役目を……」
「じいちゃん?じいちゃん!?」
ああ、駄目だ。
これ以上は駄目だ。
じいちゃんの力が抜けていくようだった。
「じいちゃんは…ずっ…と………みまもって…………」
「じいちゃん?」
「………」
「嘘だよね、じいちゃん?じいちゃん!じいちゃん!!じいちゃん!!!」
じいちゃんはもうこの世にいないことを悟った。
そして俺は今まで堪えていた涙が溢れてしまった。
その病室のすぐそばに女性が四人、今しがた黄泉路へと旅立った老人の遺体に向けて深々と頭を下げていた。
四人の内三人が着物の喪服を、一人が紫色の着物を着付けていた。
「
四人の内一人がその老人へ心からの労いの言葉をかける。
そして喪服を着た三人が、紫色の着物を着ている女性へと体を向ける。
「【
「はい。我が身に代えても鉄次郎様から承った命、果たしてみせます」
紫色の着物を着た女性は三人に向けて頭を下げた。
「でも、見ないうちにすっかり大きくなったね、テッちゃん」
「そうだね。テツ君なら【お役目】もきっと大丈夫。しっかりサポートしてあげてね【牡丹】」
「はい、畏まりました」
そして喪服の三人は病室へと入っていき老人の遺体へ近づいていく。
しかし周りの人たちはその三人には気付いていない。
いや、そもそも見えていないかのようだった。
三人は老人の遺体が寝ているベットを囲むようにして立つ。
そして一人一人が老人の腕を優しく握る。
「ああ、鉄次郎様。本当に、本当にご苦労様でした。例え黄泉の国でも私たちは一緒ですよ」
「そうだね。そうだ、三途の川を渡る前にさ一杯やっていこうよ。三途の川でも肴にしながらさ」
「風情があっていいと思う。主もきっと喜ぶ」
そして三人は涙を流しながら酒盛りの話に花を咲かせる。
最後まで明るく。三人は努めて自分たちらしくいようとした。
それが主に対して、自分たち三人の手向けの花であるように。
そして三人から光があふれ出す。
「鉄次郎様」
「ご主人」
「主」
「「「今、御身の下へ逝きます」」」
そして三人はそこからいなくなった。
まるで最初からいなかったかのように。
「【
紫色の着物を着た女性はいなくなった三人に深々と頭を下げていた。
一瞬。一瞬だが俺は懐かしい感じがした。
今もじいちゃんが死んですごく悲しいのに、なぜかあの三人の事が頭をよぎった。
そう、じいちゃんが昔雇っていた家政婦さんたち。
三人の家政婦さんが何故かこの病室に、ついさっきまでここに居たような感じだった。
そして不意にじいちゃんの顔を見てみると、何だか笑っているような気がした。
◇
「お初にお目にかかります哲也様、私が先代に仕えていた【
そう言って俺の前で深々とお辞儀をする女性。
年齢は20代後半~30代前半といったところだろうか。紫色の和服を着ており、髪も綺麗な紫色。
そして俺の人生でここまで綺麗な女性と出会ったことが無い。
「あ…え…っと…」
そして未だにこの状況が整理できていない。
なんで死んだじいちゃんの家に行ったらこんな美人がいるんだ?
そしてその美人がなんで俺に頭を下げている?
まてまてまて、ホントよく分かんなくなってきた。
「えっと、ボ…タンさん?とりあえず頭を上げてください」
「はい」
うわぁ…ホント美人だ。こういう人が大和撫子と言うんだろうな。
「哲也様」
「は、はい」
「私めに敬称など不要でございます。牡丹とお呼びください」
有無を言わせぬ強い眼差しだった。
睨むとまではいかないがこんな目で見られてしまうと大人でもたじろいでしまう。
「いや、いきなり会って呼び捨てだなんてさすがに…」
「いえ、私は貴方様に仕える従者です。従者に敬称を付ける当主がどこにいますか」
「へ?従者?」
ま、まずい。頭がパニックになってきたぞ。
この目の前にいる超絶美人さんが従者で、この俺が当主?
というか俺って当主だったの?何の?野球の投手?
いや、野球自体小学校時代からやってきたけど投手じゃなくて……
「……様?哲也様?」
「は、はい?」
脳の処理が追い付けなくて現実逃避していた。
「大丈夫でしょうか?どこか虚ろでしたので。玄関で話し続けるのも哲也様に失礼ですので、中に入りましょうか」
「え、ええ。そうですね」
牡丹さんに促されて玄関を後にする。
じいちゃんの家はお袋と親父の家とはまた別にある。
何でもうちのご先祖様は、その昔この辺りの地主様なんだそうな。
まあ家のことはあんまり気にしていなかったし、全然知らないんだよな。
せいぜい、じいちゃん家は広くて子供の時にはよく泊まっていたな、というぐらいだ。
そういうわけでじいちゃん家は広い。
屋敷といっても十分通じるだろう。
ただかなり古くて廊下を歩くたびにギシギシ音が出てしまう。
とはいっても体重を支えられずに板が抜け落ちるとまではいかないので、まあ大丈夫だろう。
ああでも、ホント子供の頃以来だな。
最後に来たのが小学校の時だから、もう七・八年経つのか。
そうそう玄関から廊下を歩いてきて、左側に立派な庭があるんだよな。
ああホント懐かしい。
これでじいちゃんがいればな。
「さあ、どうぞお入りください」
いつの間にか牡丹さんは居間の襖を開けて俺が入るよう促す。
俺は中に入って座布団が敷いてあるテーブルの前に座った。
そうそう、桜の木で出来たこの大きな縦長のテーブル。
十人以上座れる大きなテーブルだ。
今思うとホントじいちゃんは金持ちだよな。
このテーブルだって相当したはずだぞ。
テーブルにしてもそうだし、この家も大きいし池付きの庭もあるし。
「それでは私はお茶を淹れてきます。少々お待ちください」
そう言って牡丹さんはスッと旅館の女将さんがやるように襖を座って閉めた。
超絶美人な上に礼儀作法までしっかりしているし、すごいな牡丹さんは。
さあ一人になって落ち着けるようになったし少し整理しようか。
じいちゃんが死んだあの日からもう一週間は経った。
その間にじいちゃんが生前書いた遺書が出てきた。
そこには「哲也にお役目を継ぐ」とだけ書かれていた。
この【お役目】っていうのが不明だった。親父やお袋、親戚の人たちに聞いても知らないとしか返ってこない。
じいちゃん家に何か手がかりがあるのかもしれないと思い俺がここに来た。
そしたら牡丹さんが俺を待ち構えているかのように玄関先で頭を下げていた。
それで俺が
「おお、やっと来たか。一週間ぶりだのう、哲也」
「ああ、じいちゃん。お邪魔してるよ」
「おう、もうこの家は哲也のモノだからな。お邪魔も何もないぞ」
「あ、そうなの?やっぱり俺が当主だから?」
「うむ」
「………」
「どうした?」
あれ?
あれあれ?
俺の前にいる人は誰だろう?
何だかすごくじいちゃんに似ているな。
……うん、じいちゃんに似ている人だ。
そうだな、じいちゃんに似ている人。似ている人。似ている人。
「あ、あのぉー、ちょっと、お尋ねしてもよろしいですか?」
「なんじゃ、そんな他人行儀なんかしよって?」
ああ、聞くのが怖い。
でも聞かないと先には進めないぞ、哲也。
気合を入れろ。あの就活の圧迫面接にも打ち勝った男なんだ。
目の前にいる人の名前を聞くぐらいどうってことないだろう。
さあ、行け。行くんだ、哲也!
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「……うぅぅ、孫に顔を忘れられたぁー」
…ん?孫?
「もうダメじゃ~。もう死んでやる~」
「ふふ、鉄次郎様はすでに死んでおりますよ」
あれ、この女性はどこから現れた?
あ、じいちゃんの家政婦さんのサクラさんだ。
懐かしいなー。
「やかましいぞ、この耄碌じじい!」
「やっほーテツ君」
あ、ヒマワリさんとツワブキさんもいる。
相変わらずヒマワリさんの突っ込みはキツイなー。
でもこれで家政婦さんが全員揃ったぞー。
「うぅ、孫以外にもヒマワリまで…サクラー!」
「よしよし鉄次郎様。私はいつだって鉄次郎様の味方ですからね」
「サクラだけじゃよ、そう言ってワシを慰めてくれるのは」
「まぁ、ご主人の死を受け入れ現世の未練を断ち切った私たちの覚悟は踏みにじられたんですけどね」
「うぐぅ」
うんうん、いつもの寸劇が始まったぞ。
じいちゃんがヒマワリさんに叱られて、それをサクラさんが慰めて、最後にツワブキさんがトドメを刺すんだよね。
あははははははは。
懐かしー。
「お待たせしました哲也様、それに鉄次郎様。お茶でございます」
「ありがとうございます」
「うむ」
牡丹さんからお茶を受け取る。
ああ、緑茶のいい香りだ。
これを飲んだら少し叫ぼう。
訳の分からんことが続いているんだ。冷静さを取り戻す意味でちょうどいいと思う。
うん、それがいい。
ズズズ
うん、緑茶はこの苦味がいいんだよな。
この体に染み渡るような感じも好きだ。
「そういえば哲也は緑茶が好きだっt――」
じいちゃんが何かを聞いている。
だけど俺はそれを手で制した。
そして――
「じいちゃんが生きてるぅぅぅぅッ!!!」
今まで抑えていたものが爆発した瞬間だった。