眼を開けた時に、目の前はまったく変わっていなかった。モモンガとバナナはサーバーダウンの所定の時間が過ぎたにも関わらずログアウトされず自分たちの見慣れた部屋と病室ではなくナザリック地下大墳墓の玉座であったことに疑問の声を上げてしまう。
「あれ、モモンガさんとっくに時間過ぎてますよね」
「え、えぇそうですね……サーバーダウンが延期になったんでしょうか」
だとしたらなんらかの通知が来るはずなのだがその気配はまったくなく、二人は同時にコンソールを確認するため通話回線をオンにしようとするが、その手が止まる。コンソールは全く開く気配はなく、二人に焦燥が走る。
「ちょっ、モモンガさんやばいです!コンソールがまったく開きません!!」
「私の方もです、GMコールはどうですか」
「……駄目っす、まったく反応がありません」
「……」
二人同時に起こった異変に沈黙が生じてしまう。いきなり起こった不可解な状況に二人の脳内は混乱が起こる。デバイスの故障か、もしくは運営側の不備か、あらゆる不確定要素に考えを巡らせこの事態の解決をしようとするが、あまりの情報の少なさにモモンガとバナナはどうすることもできない。と、その時である。
「モモンガ様、バナナ様、どうかなさいましたか」
モモンガとバナナを除く第三者の声――それも聞いたこともないほど綺麗な音色であり、モモンガとバナナは声がした方向へ視線を向ける。そこには、先ほどまでただ玉座の横に控えていたNPCのアルベドが、心配そうな表情で二人の様子をうかがっていた。
そのことにモモンガとバナナの思考回路がショートした。モモンガは下顎の骨が外れるくらい口をポカンと開けており、鼻も口もないバナナもまたポカンという効果音が聞こえそうなほどアルベドを見つめていた。二人の様子にアルベドは首を傾げ再び声をかける。
「何か問題がございましたか、モモンガ様」
首を傾げ、モモンガに問いかける。そして当のモモンガの鼻腔に芳しい香りがついた。本来ユグドラシルはシステム上嗅覚や痛覚、触覚などを感じることはできない。なのにアルベドから漂う女性特有の甘い匂いにモモンガはますます混乱してしまう。すると――。
「き――」
「き?」
「キェェェェェェェェェェァァァァアアアアアアアアアアアアアシャベッタァァァァアアアアアアアアアアア!!!」
モモンガの隣にいたバナナが悲鳴に近い奇声を上げてしまう。その声にモモンガやアルベドだけでなく玉座に居合わせていた執事のセバスやメイド達もびくっと身体を震わせてしまう。バナナは余程動揺しているのかモモンガの肩を掴んでガクガクと頭がい骨が外れてしまうのではと思わせるほど揺らしてしまう。
「モモモモモモンガさん、アルベドが、アルベドがあんなイキイキとしゃべってててどどどどどうなってるんすかこれぇぇえええっ!!!」
「おおおおおお落ち着いてくださいバナナさん、気持ちは分かりますが落ち着いてください!!」
「でででででもこれいったいどうなってるんですかぁぁああっ!!」
よっぽどの非常事態にバナナは混乱状態で言葉が震えてしまっているが、淡い光が彼の身体を包むとなぜか急に動揺がすっと抜け出てしまったかのような感覚に陥り、突然ぴたりと動きが止まって長い溜息をついてゆっくりと身体をモモンガから離した。
「すいません取り乱しました」
「い、いえ私の方は大丈夫です、それより今は現状の確認を……」
「バナナ様、いかがなさいました……もしや私になにか至らないところでも」
「(会話しているっ!?)……い、いや俺は大丈夫だ……それよりモモンガさん」
「う、うむ」
モモンガは乱れた服を戻して咳払いをしつつ、現状の確認のためにひとまず先手を打つことにした。
「セバス」
「はっ」
モモンガにセバスと呼ばれた執事は玉座の階段下まで歩み寄り片膝を落として頭を下げる。その表情までもが生き生きとしており、とてもゲーム内のNPCとは思えなかった。しかしモモンガは今度は慌てることはなく的確に指示を出す。
「
「了解いたしました、モモンガ様。直ちに行動を開始します」
モモンガの言葉にセバスはメイドの一人と共にその場から姿を消す。本来NPCが本拠地から外に出ることは不可能なのだが、それが今は可能になっている。また新たな謎ができたことにモモンガはさらに頭を悩ます。
「モモンガさん、なにがあったんすかね……もしかして大幅に改良されたユグドラシル2の先行体験……ってことすかね」
「いや、それでしたら真っ先に運営から連絡が来るはずなんですけど……GMコールがきかないとなると
「……ってか、魔法って今普通に使えるんですかね」
「それじゃあちょっと試してみますね……《メッセージ/伝言》」
異常事態の前にモモンガは冷静に対処するため今はどんな状況なのか、なにができるのかを思案しつつ、魔法が使えるかの確認を行うため補助魔法を使うことにした。するとバナナとの間に何か、細い糸のようなつながりが出来たことを感じて頭で語り掛けるように念じる。
『どうですかバナナさん、聞こえますか?』
『はい、どうやら魔法はゲームと同じように使えるみたいですね……ってか、なんか感覚的に繋がった感じがしたんですけど、これも新要素の一つなんですかね』
『う~ん……そもそもこれって本当にゲームの中なんでしょうか』
『えっ……それってどういう――』
「モモンガ様、私はいかがいたしましょう?」
二人は魔法の使用ができるか、使った時の感覚などについて伝言にて会話をしていたが、そんなモモンガに対しアルベドは自分にも指示がないか確認をしてくる。
「お前は……うむ、そうだな……私の元へ来い」
「はい」
「触るぞ」
「あっ」
モモンガはしばし思案すると、自分の元へ歩み寄ってきたアルベドの手首を掴みあげる。細いとか白いなどの男としての感情がモモンガの沸き立つがそれを追い払い、彼女の脈を調べた。
そしてトクン、トクンと確かに脈をうつ感触がモモンガの骨の腕に伝わっていた。そしてそれを感じたモモンガの心中は、ありえないその事象に呆然となっていた。ゲームの中に登場するNPCはどんなに精巧に動いても所詮はAI……それが生物と同じく脈が存在することなどあるはずがない。
本当にこれはゲームの中なのか、それとも……仮説と予測が飛び交いモモンガはそれを確かめるため覚悟を決めると再びアルベドへ声をかけた。
「む、胸を触ってもいいか」
「……」
モモンガの発言に、空気が固まる。モモンガ自身もこの発言に悶絶しそうになるほど後悔してしまうがそれでも今自分とバナナに起こっている状況を確認するため、すべての予感を確信に変えるために必要なことだと言い訳をする。自分に強く言い聞かせて精神を安定させると上位者としての威圧を込めて再び言葉を紡ぐ。
「構わにゃ……ないな?」
噛んだ……緊張と後悔により上手く話せなかったが、そんなモモンガの言葉にアルベドは花が咲いたかのような輝きを持って、胸をぐっと張ってモモンガの方へ差し出す。
「もちろんです、モモンガ様。どうぞ、お好きにしてください」
アルベドの言葉に、モモンガは何度も緊張と動揺が走る中で妙に冷静な部分もあり震えそうな手を必死に抑え込んで手を伸ばす。そして、モモンガの手がアルベドの胸にふれる。ドレスの下にはわずかに固い感触があり、わずかに力を加えると柔らかいそれは形を変える。
「ふわぁ……ぁ……」
胸の形が変わるたびにアルベドから甘く濡れたような声が聞こえる。しかし今のモモンガにはその言葉は耳に入ってこない。なぜなら今の行為で彼の中にあった疑問が確信へと関わりつつあった。ユグドラシルは18禁に触れる行為は禁止されており、ひどい時は公式ホームページに違反者の名前を公開した上でアカウントの停止と言う厳しい裁定が下る。先ほどのモモンガの行為もまたそれに触れるし、行おうとする前に運営から止めるための報せが来るはずである。
なのに、それが来ない……つまりモモンガの中で自然と自分たちに起こっているいくつかの仮説が確信に繋がっていく。
「アルベド、すまなかったな」
実験を終え、アインズは今の行為は仕方なかったことだと何度も言い訳をしてアルベドに謝りつつ胸から手を離そうとした。しかし、アルベドはそんなモモンガの手を掴み逆に強く自分の胸へと押し付けていく。
「えっ!?」
「モモンガ様、ここで私は初めてを迎えるのですね?」
突然の行為にモモンガは先ほど以上の動揺が起こる。アルベドはというと頬を赤く染め、至福と言わんばかりに顔を輝かせる。
「服はどういたしましょうか……自分で脱いだ方がよろしいでしょうか?それともモモンガ様が?着たままですとあの……汚れて……いえ、モモンガ様がそれが良いとおっしゃるのであれば、私に依存はございませんが」
モモンガの反応や行為にモモンガは焦りを覚え慌てた様子で彼女を押さえる。
「お、落ち着けアルベド……今はそのようなことをしている時間はない」
「はっ……も、申し訳ありません……何らかの緊急事態だというのに、己が欲望を優先させてしまい」
モモンガの言葉にアルベドははっとなって飛びのくと、アルベドはひれ伏そうとするがそれをモモンガは手で押さえる。
「よい、諸悪の根源は私である。お前の全てを許そう、アルベド。それより……今私はバナナさんと個人的な話し合いを行う。それが終わり次第、各階層の守護者に連絡を取れ。六階層のアンフィテアトルムまで来るように伝えよ。時間は……そうだな、三時間後、それとアウラとマーレには私から伝えるので必要はない」
「畏まりました。復唱いたします。六階層守護者の二人を除き、各階層守護者に今より三時間後に六階層のアンフィテアトルムまで来るように伝えます」
「よし、行け」
「はっ」
アルベドはモモンガの命を聞き、早足で歩き去っていく。それを見届けたモモンガははぁっとため息をつく。しかし、すぐ横から感じる冷気にも似た悪寒にびくっと身体を震わせて恐る恐る横を見ると、そこには全身から冷たいオーラを放つバナナがモモンガを見つめていた。
人間の姿とはかけ離れた人狼姿のバナナの眼は瞳もなく瞳孔も存在しない。瞼だってなく、ただ無機質な目があるだけだがその眼からは明らかな侮蔑が伺え、まるでゴミを見るような冷たさをモモンガは感じていた。
バナナは何も言わずゆっくりと玉座の階段から降りると、モモンガに向かって呟いた。
「さようなら突然女の胸を触るという変態行為を行ったリア充のモモンガさん……あなたとはここでお別れです」
「ちょちょちょっ、待ってくださいバナナさん誤解です!!」
「今のをどう見たら誤解になるんですか、アルベドもまんざらではないようでしたし……俺が横にいるのを知っていながらよくあんなことができましたね、見せつけてたんですか」
「本当にすいません!あれは単純に実験の一つなんです、他意はないんです!!」
「実験で女の胸を触ったんですか……今度やまいこさんとぶくぶく茶釜さんに伝えよう」
「本当にすいません、本当に誤解なんですってばぁぁぁぁあーーーーっ!!」
その場からいなくなろうとするバナナを押さえ、必死に弁解するその姿は支配者としてはあまりにシュールであった。彼がモモンガの話を聞くようになるまでしばし時間がかかったのであった。
バナナが落ち着き、ようやくまともに会話できるようになった二人はギルメン達至高の41人が使っていた円卓の間へ移動し今現在自分たちの状況について整理を始めた。
「……で、どう思いますかモモンガさん……これ、明らかに異常事態ですよね」
「はい、まず俺達の身に起こっていることはかなり大変な状況です」
バナナの問いにモモンガはややうつむきながら今自分達の状況についていくつかの仮説を説明する。先ほどの守護者達の行動や会話などからとてもゲーム内のAIやキャラメイキングで表せるものではない。コンソールが表示されず運営と連絡できないこと、ユグドラシルでは現実とゲームの混合や依存防止のために停止されているはずの嗅覚や触覚が働いていること、18禁行為につながるモモンガの行動に対して何のお咎めもないこと……このことから考えられるのは大きく二つである。
一つは新しくバージョンアップされたゲームの中……はっきり言ってこれは限りなく低い可能性みたいなものだ。そもそもゲームであったならばログアウトができない時点で社会的にも大きな問題だ。
そしてもう一つ……それはユグドラシルに非常に近しい現実であるということだ。これはかなり可能性が大きい。何よりキャラクターだったはずのNPCが生きている時点でほぼ確定に近いだろう。
「ゲームに近い現実、か……ということは俺達もその影響でこんな恰好になっちまったわけですかね」
「そうかもね……なんかこの体になってから色々と違和感が拭えないよ……なんというか、食欲とか眠気とかそんなのが起こらないっていうか」
「あぁ~確かに俺もですね……なんか、こう感情の起伏が激しくなると急にふっと冷静になったりとか」
「ゲームでの種族とかアイテムが関係しているのかもね……俺の場合はたぶん種族に関連しているかと思うんだけどバナナさんは確か食事睡眠不要のアイテムと対精神操作用の鎮静化アイテム装備してましたよね」
「はい、まぁ俺の場合は食欲とかはたぶん種族的に残ってはいると思うんですけど……ちなみにモモンガさん、アルベドの胸触った時とかどうでした……こう、性欲的な……」
「……なんというか、ほんのり残っている感じですかね。触った時ドキドキはしたけど、ムラムラしてこないっていうか」
「……」
「さっき確認したけど、やっぱ全身骨だからか実戦投入前のアレも消え失せていたからたぶん必要はないと思うんだけどさ……」
「……本当に童貞で魔法使いになっちゃいましたね」
「うるさいよっ!……あぁでもどうしよう、アルベドのあの反応ってたぶん俺が設定変えちゃったからだよね……タブラさんの作ったキャラに俺はなんてことを……」
「大丈夫でしょ、タブラさんむしろ嬉々としてお祝いすると思いますよ」
「だといいんだけど……いや良くないけどね俺の精神的に!とにかく今は情報が欲しい所だね、色々と確かめたいことだってあるし……ここではゲームのように魔法やアイテムが使えるのかとか、ゲームとはどんな差異が出てるとか」
「それは当面の仕事っすね……」
「「はぁ……」」
自分達の状況や状態にやや辟易してため息をつくと沈黙が続き、二人は考えるように顔を伏せる。しかしすぐに思い立ったようにバナナは顔を上げてモモンガに声をかける。
「でも俺、モモンガさんと一緒で良かったと思ってます」
「えっ?」
「いや、俺ってモモンガさんやぷにっと萌えさんみたいに頭良くないし、こんな状況で俺一人だったら絶対やっていけないですよ」
「……それは俺も同じです……ゲームの時だってバナナさん体が辛いのにギルドのために俺によく付き合ってくれたじゃないですか。それにこんな状況だと俺一人だったら確実にテンパってますよ」
「ははっ、ですね……」
「……さて、それじゃあやることも多いし俺はそろそろ六階層の方に行きますね。ちょうどこれを試してみたいところでしたし」
話を切り上げたモモンガは椅子から立ち上がり、左手に握ってあるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに視線をやる。ゲームの時よりも鮮明でより神々しくも禍々しさを感じる。
「それなら俺は宝物殿に行ってから後を追いますね、俺の装備はあそこに突っ込んでますから」
「バナナさんの装備……ということはあれですか」
バナナの装備という言葉にモモンガの眼孔の赤い光がギンッとわずかに輝いたかのように感じたため、バナナは内心苦笑いを浮かべる。モモンガは
「今の状況で何があるか分からないから一応最強装備にしとかないといけませんしね」
「分かりました、それじゃあまた後で会いましょう」
そういって立ち上がり、それぞれの目的の場所に向かうため円卓の間を出ようとする。と、その時バナナは何を思ったのかくるりとモモンガの方へ振り返る。
「そういえばモモンガさん、宝物殿で思い出したんですけど」
「……はい、どうしましたか」
宝物殿という言葉を強調するバナナに対してモモンガは嫌な予感を抱きつつどうかしたのかと聞き返してしまう。するとバナナはその場で両足を揃え、キビキビとした動きで身体を真っ直ぐにしてモモンガに向かって敬礼をした。
「
「ヤメテェェェェェエエエエエエエエエッ!!!」
モモンガにとっての黒歴史をピンポイントで抉り、バナナは笑い声を上げながらかけていく。モモンガの方は精神の鎮静化が起こってしまうほどの絶叫を叫び、過ぎ去っていくバナナの後姿を眺めながらこれから彼と本当にやっていけるのかと不安を抱いてしまうのであった。