「私と大和ちゃんの関係について……ですか……」
私は再び、鳳翔さんの所を訪ねていた。
「それはまた……どうしたんですか?」
「詳しく聞きたいんです。私が今……同じような状況にいるので……」
「同じような状況?」
「私の同じ元艦娘の子が、提督の事が好きで……」
阿武隈の事だ。
北上さん、阿武隈、そして私。
三人が提督を狙っていれば、まだ楽だった。
阿武隈は北上さんを意識するだろうし、私に目が行くことは無かった。
でも、北上さんが抜けた今、いずれ阿武隈は私を意識することとなるだろう。
今まで、阿武隈を応援した身としては、どう振る舞ってよいのか分からなかった。
「私は、最初にその子を応援してしまったのです。今でも、相手は私の事を、味方だと思っています」
「なるほどね……」
鳳翔さんは少し困った顔をした。
「私とは少しだけ状況が違うけれど、それでもよければ……」
「お願いします」
鳳翔さんは大和さんとの関係をこと細かく説明した。
思いのほかドロドロしていて、困惑した。
「最後は、大和ちゃんが後押ししてくれる形にはなってしまったのだけれど……」
「そうだったんですか……」
「私と状況は違うけれど、これだけは言えます」
そう言うと、鳳翔さんは真剣な顔をした。
「想いは伝えなければなりません。大井さんが提督の事を本当に好きで、恋仲になりたいと考えているのなら、覚悟しなければいけません」
響ちゃんの時と同じ。
想いを伝える事の大切さを、この人たちは分かっている。
そして、痛感している。
「大和ちゃんは、私にチャンスをくれました。大井さんはどうしますか?」
「…………」
翌日の放課後、阿武隈と二人で話す為に、屋上の踊り場に呼び出した。
「お待たせしました」
「ごめんなさいね。急に呼び出して……」
「いえ……。ここに呼び出したって事は……北上さんか提督の事ですよね……?」
半分は当たっている。
けど、貴女の予想している事とは違うはず。
「えぇ、提督の件でね……」
いつも以上に真剣な私に、阿武隈も表情を固めた。
「まず……北上さんの事だけれど……北上さんは提督の事、好きじゃないそうよ……」
「え?」
「本人がそう言っていたわ」
「でも、嘘かもしれませんよ? 隠しているとか……」
「理由は言えないけれど、本当の事よ。隠していることもないわ」
真実を知ったら、阿武隈はどんな顔をするだろう。
興味はあったけれど、北上さんの気持ちを踏み躙る事は出来なかった。
「じゃあ……北上さんは何故デートを……」
「……気まぐれでしょうね」
「気まぐれ……ですか……」
阿武隈の目が、私をじっと見ていた。
私の嘘が見破られているのか、それとも――。
「でも、それが本当ならば、喜ばしい事ですね。……そのはずなのに、大井さんはどうしてそんなに深刻そうな顔をしているんですか?」
ここからが本題だ。
心臓がはち切れそうなほど、大きく鼓動している。
「その……私は貴女に……」
「あ、分かりましたよ! 大井さん――」
阿武隈の勘違いが飛び出る。
そう思い、言葉を遮ろうとした。
「阿武隈、そうじゃな――」
「――提督の事が好きになっちゃったんですね!」
外で強い風が吹いて、窓が揺れた。
「…………」
私は言葉を失っていた。
それに反し、阿武隈は微笑みに近い顔をしていた。
「驚きましたか?」
そう問う阿武隈の表情は平生であるはずなのに、私は不気味に感じていた。
「どう……して……?」
「だって、提督と一緒に住んでいて、何も思わないわけないじゃないですか」
「そうかもしれないけれど……でも……」
「私はいつだって、色んな想定をしているんですよ。北上さんが提督を好きだという場合、大井さんが提督を好きになる場合……必ずしもないとは言えませんよね。だから、別に予想外でもないし、驚きもないですよ」
驚き以上に、阿武隈に感服していた。
私の知る阿武隈は、ほんの一角に過ぎなかった。
そして私は、それを侮っていた。
「阿武隈……私……」
「応援の事ですよね。別に大丈夫ですよ。それも想定している事です。これからは、恋のライバルですね」
そう言うと、阿武隈は微笑んだ。
私はその微笑みに、安心できなかった。
「大井さんは提督と一緒に住んでいるから、私に勝ち目はないかもしれませんね」
「…………」
「でも、提督を想う気持ちは誰よりも強いと思っています」
「阿武隈……」
「そして、これも想定内だという事を忘れないでくださいね」
そう言って、阿武隈は階段を降りていった。
侮っていた。
北上さんが提督を好きだという想定ばかりしていたし、阿武隈の事はなんとかなると、心の奥底で思っていた。
何よりも、阿武隈の言葉一つ一つが、凄みを持っていた。
そして、圧倒された。
確かな事は無い。
無いからこそ、怖い。
本当の阿武隈の実力が分からない。
何を考えているのか分からないのは、北上さんではなく、阿武隈の方だった。
「ただいま」
リビングからは、提督の話し声が聞こえた。
誰も来ていないし、電話だろうか。
そっと、リビングを覗く。
「ああ、分かった。それじゃあ、次の休日にな。おう、じゃあな」
提督が電話を切るタイミングで、リビングに入った。
「おう、お帰り」
「ただいま。電話?」
「ああ。阿武隈からだよ」
それを聞いて、ぞっとした。
「次の休日に買い物に付き合ってほしいと言われた」
「そう……」
「さて、飯作らないとな。着替えて来いよ」
「うん……」
阿武隈の事が頭から離れなかった。
いつもなら、特に危機感を覚える事は無いだろう。
侮っていたから。
でも、今は違う。
阿武隈の本質。
阿武隈の裏。
まるで何もかもを見透かしているかのような、あの凄み。
動揺一つ見せなかった。
「ふぅ……」
落ち着け、私。
大丈夫よ。
何も怖がることは無いわ。
阿武隈の意外性に驚いただけじゃない。
何かが大きく変わったわけじゃないわ。
「…………」
そう言い聞かせても、ぼんやりとした不安は消えなかった。
「よし、後は待つだけだな」
タイマーをセットし、提督はソファーに座った。
私も隣に座る。
今日に限って、テレビの音がうるさく聞こえた。
「ね、ねぇ……」
「なんだ?」
「さ、最近……阿武隈とはどうなのよ?」
「どうと言われてもな。いつも通りだ」
「そう……」
いつも通り。
それがどれほどのレベルかは分からないけれど、提督にとっては何ともないって事よね。
そうよ、いつも通りよ。
いつも通り……何も変わってない……。
「お前の方はどうなんだ?」
「え?」
「相手、見つかりそうか? クリスマスまでに」
あ……。
「え、えぇ……がんばってるわ……」
「そうか。何なら、海軍の連中でも紹介しようか? 最近の若手は泣き虫ばかりだが、根性あるやつもいるんだ。結構なイケメンだぞ」
「そうね……考えておくわ……」
そう……いつも通り……。
この関係も……何も変わってないんだ……。
そう思うと、胸が締め付けられるように痛くて、涙が出てきそうになった。
「ちょっと部屋に行ってるわね……」
「おう」
暗い部屋で、一人縮こまった。
「そうよね……。何も……変わってないのよね……」
変わったのは私の意志だけだった。
提督が好き。
その気持ちが分かっただけ。
「これからは……提督に振り向いてもらわないといけないのか……」
阿武隈はそれに向かって、ずっと努力して来たのだ。
これから走り始めようとしている自分とは、天と地ほどの差があるように感じた。
服装だって、阿武隈ほどじゃないし、女性としての魅力も、私には……。
「阿武隈の余裕は……そういう所にもあるのかな……」
下の階から提督の呼ぶ声がして、リビングへと戻った。
「どうした? 食欲ないのか?」
「別に……」
これからの事を考えると、なんだか食が進まなかった。
「ダイエットか? 別に太ってないけどな」
「…………」
「……大井?」
「ごちそうさま……」
そのまま、部屋へ戻った。
「あー……駄目だわぁ……」
考えれば考えるほど、駄目になる。
提督にも冷たくしちゃったし、この気持ち……どうすればいいのよ……。
「うー……」
そもそも、私は提督とどうしたいのよ。
提督が好きで、その先は?
阿武隈はその先をちゃんと想像してるんだろうなぁ……。
「…………」
提督と……その先……。
クリスマスを一緒に過ごして……お正月も一緒に過ごして……。
「って……普通……」
じゃあ……キス……とか……?
いや……まぁ……でも、したいって感じではないかも……。
『――俺は……本当に彼女を愛しています』
『俺は……愛してる……』
『大井……愛してる……』
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!」
恥ずかし過ぎて、枕に叫んだ。
「うぅ……でも……そう言う事……よね……」
提督に愛されたい。
好きって言ってもらいたい。
それが、私の思うその先だった。
その為には――。
「私を見てもらう……か……」
阿武隈がそうしているように、私も努力しなければならなかった。
「んで、思いついたのが服装と……。まあ確かに、阿武隈も見た目を凄く気にしてるしねー」
「私の服って、正直どうですか?」
「んー、まあ普通だよねー」
「やっぱり……」
「でも、悪くはないよね。私は好きだよ、大井っち」
「うぅ……嬉しいけど……複雑です……」
「何も服装が全てじゃないと思うよ。内面とかさ」
「内面……」
「男の人って、ギャップに弱いって言うじゃん? 大井っちの場合、性格も力も強いイメージがあるから、その逆を演じてみたら?」
「逆と言うと?」
「例えば、瓶のふたが開かないよー……とか、メソメソ泣いちゃうとかさー」
メソメソ泣くのはもう何度も見せている気がする。
「そん時、開けてー! とか、慰めてー! って言えば、守ってやりたい! って、男の人は思うんじゃない?」
提督に守られる……。
どちらかと言うと、提督を守る立場だったから、あまりイメージが沸かない。
「練習してみる? ほら、このペットボトルの蓋で演技してみなよ」
北上さんからペットボトルを受け取り、反射で蓋を回した。
炭酸の抜ける音がした。
「いやいやいや……大井っち……。開けちゃいかんでしょ……」
「そうでした……。つい……」
「まあ……ペットボトルはしょうがないけどさ……。とにかく、そういったギャップを出してみたらどうよ?」
「ギャップ……」
ギャップねぇ……。
「大井、ジャガイモ剥いてくれ」
「分かったわ」
瓶を開ける機会もないし、提督の前でやる事のほとんどはこなしちゃったし、今更出来ない事と言われても……。
「痛っ……」
考え事をしていたからか、指を切ってしまった。
「大丈夫か!?」
「うん、平……」
あ……。
「い、痛いわぁ……」
「ちょっと待ってろ。絆創膏どこだったかな……」
ちょっと心が痛むわね……。
でも、こういうのが必要って事よね?
「あったぞ。ほら、見せて見ろ」
「う、うん」
提督が絆創膏を巻いてくれた。
「これでいいな。料理は俺に任せろ」
「え?」
「早くその怪我を治せよ」
そう言うと、提督は台所へ戻っていった。
「うーん、ちょっと違うでしょ」
「やっぱりそう思います?」
「まあ……うっかり指を切ったってのは、完璧な大井っちには珍しいことだけれど、可愛くないよ。バイオレンスだよ」
「バイオレンスって……ちょっと意味が違うんじゃ……」
「とにかく、大井っちはもっと、可愛いというものに馴れた方がいいよ。動物とかどうよ?」
「臭そうでちょっと……」
「キャラクター」
「子供っぽくて……」
「じゃあ、何が可愛いと思うとかないの?」
「……北上さんとか?」
「い……や……うん……ありがとう……」
しばしの沈黙。
「まあ……あれだね……。無理だね……」
「うぅ……」
結局、私という人間をアピールする方法にギャップは合わないのかしら……。
そもそも、ギャップって何よ……。
考え過ぎて分からなくなってきたわ……。
「ギャップ……可愛い……」
提督はどんなものを可愛いと思うのかしら。
そう言えば、阿武隈の格好を見て、可愛いとか言ってたっけ……。
「…………」
鏡の前に立ってみる。
もし、私が同じような格好をしたら……。
「絶対、変……」
阿武隈だからこそ可愛い。
――ああ、そうか。
阿武隈は可愛いんだ。
私は可愛くないから……。
思えば、可愛くなくて当然よね。
外見もそうだけれど、中身もそう。
戦時中は、提督に悪態ばかりついてたし……。
阿武隈は提督の事、ずっと追いかけてた気がする。
何をするにも、提督提督って……。
そりゃ、可愛いわけよね。
だからといって、それを真似するにはちょっとねぇ……。
「阿武隈ぁ……なんでそんなに可愛いのよぉ……」
北上さんが聞いたら誤解しそうだ。
学校の帰り、お菓子でも買おうとコンビニによった。
ふと雑誌コーナーを見ると、いかにも今どきの女の子が好きそうな雑誌が目に入った。
「…………」
普段は見逃すものだけれど、少しでも可愛いという感性を磨かないといけない今は……。
悪いと思いつつ、立ち読みを始めた。
「うわぁ……」
どのページも何だかギラギラしている……。
バッグにキーホルダーがわんさかついてる写真とか、アイラインがどうとかこうとか。
これが可愛いというのなら、可愛いって何なのかしら?
って言うか、キモ可愛いって何よ……。
キモイの?
可愛いの?
「うーん……」
しばらく雑誌とにらめっこしていると、急に肩を叩かれた。
「あ……ごめんなさ……」
立ち読みを注意しに来た店員かと思ったら、提督だった。
「よう。外から見えたからさ」
暗くなるのが早くなった空には、点々と星が見えていた。
そんな中、提督と二人、家まで歩いた。
「お前でもああいう雑誌読むんだな」
「ちょっとした勉強よ……」
「勉強?」
「女の子らしさの……よ……」
結局、何も分からなかったけれど。
いや、もしあれが可愛いの全てのならば、私には可愛いを理解する資格はないのかもしれない。
「女の子らしさか」
「私、可愛くないし、可愛いっていう感覚にあまりピンと来てないのよね」
「自分が可愛くないと自覚してるのにか?」
「そういうもんなの」
車が隣を通り過ぎ、ブレーキランプが私たちを赤く染めた。
「あんただって……私の事……可愛くないと思ってるんでしょ……」
きっと、提督は「そんな事ない」と言うだろう。
別に誘ったつもりはないのだけれど、ちょっとだけ期待している自分がいた。
「ああ、そうだな」
だから、そう言われて悲しくなった。
「そうやって自分を卑下する奴は可愛くない。本当に可愛い奴ってのは、そんな事しないからな」
「…………」
そうよね……。
よく考えたら、そうだわ……。
「だが、そう思ってしまうのも無理ない。褒めてくれる奴が傍にいないと、自分一人じゃ分からない事もあるしな」
私の悩む「可愛いの形」についてもそうかもしれない。
「可愛いが何かを知るのが先じゃなくて、誰かが言ってくれてから可愛いを知ってもいいんじゃないか?」
「誰かが……」
「お前の魅力を知ってるやつは、たくさんいるんだろうしな」
そう言うと、提督は微笑んだ。
「……その一人に……あんたはいないの……?」
「もちろんいるよ。だが、俺の意見なんて聞いてもな」
「いいわよ……聞かせて……」
「だが……」
「いいから! 聞きたいの!」
「わ、分かったよ……」
それから、提督は私の可愛いところについて話し始めた。
「時折見せる笑顔が可愛い。出かけてはしゃいでる姿が可愛い。料理している所が可愛い。あと……」
「も、もういいわ……」
「そうか?」
恥ずかしくて顔を反らした。
何よ、料理してるところって……いつもじゃない……。
って言うことは……いつもそう思ってるわけ!?
「あまり自分を卑下するなよ。せっかく可愛いんだからさ」
「わ、分かったから……」
それから、家につくまで提督の顔を見ることは出来なかった。
夕食は提督一人で作る事となった。
まだ怪我の件もあるから、との事。
「…………」
「どうした? テレビでも見てろよ」
「この時間のテレビつまらないし……」
「俺が料理してるところなんて見ててつまらないだろ」
本当は私も何か手伝いたかった。
けれど、それを言うと、さっきの件もあるから、なんだか言い出せなかった。
「早く怪我を治して、また可愛い姿を見せてくれよな」
「だ、だから……もう!」
恥ずかしくなってリビングを飛び出した。
いざ可愛い可愛い言われると、凄く恥ずかしい。
でも、ちょっとだけ嬉しがってる自分がいた。
「……早く怪我……治らないかな……」
可愛いが何かは良く分からないままだけれど、提督が可愛いと言ってくれれば、それだけでいい。
私は私らしくしていれば、それでいいんだ。
『せっかく可愛いんだからさ』
「えへへ……」
翌日。
学校で阿武隈に声を掛けられた。
「大井さん」
「阿武隈……」
「そんな敵を見るような顔しないでください。ライバルではあるけれど、仲を悪くするつもりはありません」
大人ね……。
「もう知ってると思いますけれど、今度の休日に提督とデートします」
「……買い物でしょ」
「表向きは、です」
何だか自慢話を聞いている気分だわ……。
「それで思ったんですけど、大井さんも一緒にどうです?」
「え?」
「北上さん抜きで、私たちと提督で買い物に行くんです」
「な、なんでそんな事……」
「大井さんと私、どっちが提督に好かれているか、はっきりしそうじゃないですか?」
なるほどね……。
しかし、そこまでするなんて、相当自信があるのね、阿武隈……。
「出来るだけ大井さんには、私がどれだけ提督に近づいているか知ってほしいのもありますけどね」
もう十分知ってるわ。
「どうです? この提案」
正直、あまり乗り気はしない。
阿武隈の自信。
阿武隈との差を知っているからこそ、負けるのが怖い。
でも……。
「いいわ。その話に乗るわ」
私だって、提督に可愛いって言われたし、そんな提督が好きだから、逃げたくない。
「ふふふ、燃えてきましたよ。当日は気合いれて行きますからね」
そう言うと、阿武隈は去っていった。
最初こそは、阿武隈を脅威と思っていたけれど、やっぱり阿武隈は阿武隈だ。
決して侮っている訳じゃない。
素直で、可愛くて、いい子だということだ。
「絶対追いついて見せるわ」
そして、当日を迎えた。
――続く。