「大井、まだかー?」
「ちょっと待って!」
鏡の前で何回か着替えてみた。
どれもしっくりこないと言うか、可愛くない。
「うぅ……もういいわ……これで……」
結局、いつもの服で部屋を出た。
提督と二人で駅へと向かう。
「早めに行こうと思ったんだがな」
「悪かったわね……」
提督の服装は、いつもよりちょっとだけお洒落に見えた。
……いや、私が意識し過ぎなだけか。
「今日、北上はいないんだな」
「えぇ」
「珍しいこともあったもんだ」
提督の中では、私たちはいつも三人でいるイメージなのだろう。
まあ確かに、北上さん無しで阿武隈と二人ってのは、あまりないけれど。
待ち合わせ場所では、既に阿武隈が待っていた。
「こっちです!」
「遅れてすまんな」
「いえ、私も今来たところなので」
そう言うと、阿武隈はニコッと笑った。
あまり意識してなかったけれど、この子の笑った顔、結構可愛いのね。
笑顔が可愛いって、凄い武器なんだろうなぁ……。
「じゃあ、行くか」
「はい!」
移動している間、阿武隈はずっと提督と話していた。
「今日の私の服装、どうですか?」
「可愛いな。この前買ったやつだろ」
「そうなんです! まだ早いかなって思ったんですけど、思い切って着てみたんです」
この前買ったやつ。
一緒に買いに行った時のやつって事かな。
「大井さんはどう思いますか?」
「え? えぇ、可愛いと思うわ」
「良かった。ちょっと不安だったんです」
どうして私に話を振ってくれたんだろ。
今日は私と貴女の勝負みたいなものでしょうに。
「それで、今日は何を買うんだ?」
「お父さんが誕生日なので、何か買ってあげようかなって。男の人の意見を聞きたかったんです」
ああ……そうか……。
「そうだったのか。偉いな」
阿武隈はいい奴なんだ。
私が黙ってるのを見過ごせなくて、話を振ってくれたんだ。
いい奴だから。
もし、私が同じような立場だったら、阿武隈に話を振れただろうか。
「えへへ」
可愛くて、いい奴で……。
そんな阿武隈を、私は利用しようとした。
そして挙句の果てには、その好きな人を奪おうとしている。
ショッピングモールについて、何を買おうかと言う話になった。
「どのお店がいいですかね?」
そう言うと、阿武隈はモールのパンフレットを見せた。
「どれどれ?」
提督がそれを覗きこむ形。
距離が近付く二人。
「お、すまん」
「いえ」
「なんかいい匂いするな」
「分かります? 香水つけてみたんですよ」
「ほう。何の匂いだろうか?」
「首筋に塗ってあるんで、どうぞ」
「どうぞってお前な」
「えへへ」
何この会話……。
…………。
私も香水つけてくればよかったかな……。
それから、いくつかのお店を回った。
「うーん……難しいですねぇ……。提督的にはどうなんですか?」
「そうだなぁ……」
阿武隈と提督は、二人同じ格好で悩むしぐさを見せた。
こう見ると、やっぱり二人がお似合いに見えてくる。
お洒落な格好で、同じように悩み、一つの事に真剣になれて……。
私なんか、それとは別の事で頭がいっぱいなのに。
「…………」
ふと、近くにあった縦鏡を見た。
そこには、私たち3人が映っていた。
けれど、まるで私だけが他人のようだった。
服装も、距離も、何もかもが。
「大井さん、どう思いますか?」
「え? そうね……」
まただ。
気を遣われている。
ライバルなのに。
本当であれば、邪魔だと考えるはずなのに。
「阿武隈、これなんかどうだ?」
「ちょっと地味じゃないですか?」
「男はこういう方が好きなんだよ」
「提督もそうなんですか?」
「まぁ、そうだな」
「じゃあ、これも候補にします! えへへー」
「何が可笑しいんだか」
そう言って、提督も笑った。
「はぁ……」
トイレの鏡には、疲れた顔の私が映っていた。
駄目駄目だ……。
阿武隈と提督の隙間に入る余地がない。
それどころか、気を遣われて……。
「大井さん」
「阿武隈……」
「大丈夫ですか? なんだかお疲れのようですけど……」
「えぇ、大丈夫よ……」
「すみません。色々歩かせちゃって……。そろそろ決めようと思いますので」
これじゃ、私がお荷物みたいじゃない……。
……いや、お荷物なんだわ。
こんな事なら、着いて来なければよかった。
「そう言えば、大井さんは提督のどういう所が好きになったんですか?」
「え?」
「一緒に暮らしたら、好きになる気持ちは分かりますけど、大井さんをその気にさせるなんて、相当だと思うんです」
「提督の好きな所……」
挙げればたくさんある。
けど、どれがって言うのは……。
「あ、そう言うのは言い出した人が先に言わないといけませんよね」
そう言うと、阿武隈は洗面台に寄りかかりながら話し始めた。
「私、子供の頃から、すぐ恋しちゃうような子だったんです。幼稚園の先生とか、スーパーのバイトの人とか」
普通の女の子と言う感じだ。
「我が儘だったなぁ。幼稚園の先生を独り占めしようとしたり、スーパーのバイトの人を困らせたり、色々やりました」
「…………」
「そんな事ばかりしていると、相手は振り向くどころか、離れていくんですよね。それに気が付いて、私は我が儘を言うのをやめました。もっと言えば、恋をしなくなったんです。でも、艦娘になって、提督と出会った。提督は、誰のどんな我が儘にも強くて、それを嫌がらなかった。一番驚いたのは、やっぱり大井さんに対しての態度ですかね。あんなに罵倒されてるのに、嫌な顔一つしなかった」
そうだ。
私がどんなに嫌おうと、提督は私と仲良くしようとした。
「その時思ったんです。この人なら、私の我が儘も受け入れてくれるかなって。恋をしてもいいかなって」
その時の阿武隈の顔は、本当に嬉しそうというか、乙女の顔をしていた。
「ずっと私の気持ちばかりだったけれど、最近は提督の気持ちを考えるようになったんです。あの人を幸せにしたいって」
「!」
「別に不幸じゃ無いだろうけれど、提督にはたくさんの幸せを貰ったから、今度は私の番かなって……。だから、あの人を傍で支え続けていける関係になりたいんです」
提督の気持ち。
私は、それを考える時、ずっと、私に対しての気持ちしか考えてこなかった。
阿武隈は違う。
自分をどう思っているとか、そういう気持ちではなく、提督の幸せを考えている。
そして、それを支えられるだけの覚悟を持っている。
提督を想う気持ち。
阿武隈は、それが一番強いと言っていた。
私は、もっと軽い意味だと思っていた。
違う。
根本的に違う。
想うというレベルが、覚悟のレベルが。
「なんて、ちょっと重いですかね?」
いや……そこまで想われる提督は幸せだろう。
私なんか、他人の人生にそこまで関わる事なんて、愚かだと思っていた。
そんな覚悟、必要ないと思っていた。
好きだと言われたい?
キスして欲しい?
なによそれ……。
今まで散々、提督に迷惑かけておいて、今度はそれ?
我が儘もここまで来ると、怒りを通り越して呆れてくる。
「大井さん?」
もし、こんな私と恋人になっても、提督は不幸になるだけだ。
自分の事ばかり考える私。
これからも、同じことを繰り返し続けるだろう。
けど、この子は違う。
提督を幸せに出来る。
「良いと思うわ。素敵よ」
「えへへ……。なんだか恥ずかしいです……」
そうよね……。
散々、迷惑かけて来たものね……。
恩返しもしたけれど、絶対に足りない。
それでチャラにしようだなんて、都合が良すぎる。
提督のしてくれたことに対して、それに見合った恩返しを、私は出来ないだろう。
けれど、提督の望むことを一つだけ叶えることは出来る。
たった一つ、私に出来る事が――。
「さ、さぁ、今度は大井さんの番で――」
「ごめんなさい阿武隈。ちょっと買わなきゃいけないものが出来たの」
「え? じゃあ、一緒に……」
「そっちの買い物を邪魔できないわ。提督と二人で回ってて。私は私の買い物を済ませてくるから」
「でも……」
「じゃあ、後でね」
そう言って、急ぎ足でトイレを出た。
提督をどうかわそうかと思ったけれど、パンフレットを見ていて、私に気が付いていなかった。
ショッピングモールを出て、少し離れたところにあった喫茶店へと入った。
時間を潰すには最適だ。
「私に出来る事」
提督以外の相手を見つける事。
これが、私が提督に出来る最大の恩返し。
あの人が望む結末。
これ以上、提督に迷惑をかけられない。
「これから、忙しくなるわね」
私は、提督に恋をする事をやめた。
夕方近くになり、阿武隈と提督から心配しているメールが来たので、ショッピングモールへと戻った。
「大井、どこ行ってたんだ?」
「ごめんなさい。ちょっと探し物してて……」
「何買ったんですか?」
「それが、求めている物が無くて……。けど、もういいわ。諦める」
「そうか……」
私、嘘が上手になったわ。
これも提督のお陰なのかな。
「大井さん……」
「阿武隈、お父さんのプレゼントは見つかった?」
「えぇ、ネクタイを……」
「良いわね。きっとお父さん、喜ぶと思うわ」
「はい……」
阿武隈は、私をじっと見た。
何か疑っているのだとすぐに分かった。
でも、そうよね。
ライバルなのに、二人っきりにさせて。
おかしいと思うわよね。
でも、疑っている方が都合がいいわ。
そっちの方が、提督をものにしようと思う気持ちが高まるだろうし。
「そろそろ帰るか」
「えぇ」
帰り道、阿武隈は無言だった。
阿武隈と分かれ、家へと向かう。
「探し物って何だったんだ?」
「秘密よ」
「なんだそりゃ」
冷たい風が二人の間に吹いた。
「……何かあったのか?」
「何が?」
「いや……なんか、いつもと雰囲気が違うなと思って」
「別に普通よ」
「ならいいんだが……」
「それより、阿武隈と買い物したあと、何かしたの?」
「お前を探してたんだよ。電話にも出ないし」
「ごめんなさいね。でも、私なんか気にしないで、遊んでればよかったのに」
「そういう訳には……」
「次からは阿武隈と遊んであげてよね。あの子、いい子なんだから」
良かれと思ってたけれど、むしろ邪魔しちゃったかな。
「次からはちゃんと遊ぶのよ?」
「……あぁ」
空にはうっすらと、オリオン座が見えていた。
夕食を済ませた後、部屋に戻ろうとすると、提督に呼び止められた。
「テレビ、見ないのか?」
「部屋で見るわ」
「こっちでも同じの見るぞ」
「一人で見たいの。やりたい事もあるしね」
「そうか……」
「お休みなさい」
「ああ……お休み……」
そう言って、部屋に戻った。
出来るだけ、提督とはいない方がいい。
阿武隈に悪いし、また私が「変な気」を起こしてもいけないし。
「「変な気」……か」
今思えば、どうかしてたわ。
元々、提督が嫌いだったし、迷惑ばかりかけてきたのに、自分に振り向いてもらおうだなんて。
人間として最低の事だわ。
そんな事も分からなかっただなんて……。
「恋って恐ろしいわね。いや、恋をするのが下手だっただけよね」
これから、また恋をしなければいけない。
今度は、迷惑をかけない恋をしないといけない。
「本当のスタートは、ここだったのかもね」
翌日。
朝食をとっている時、私は勇気を出して、提督にお願いをした。
「この前話してた、海軍若手を紹介しようかって話、あるでしょ?」
「ああ」
「お願い出来ないかしら?」
そう言うと、提督の手が止まった。
「急にどうした?」
「そろそろちゃんとしないとって思ってね。これでも、結構考えたんだからね」
「そうか……。しかし、言っておいてなんだが、意外だな」
「早くこの生活を終わらせなきゃと思って。クリスマスまでには何とかしたいの。機会さえ作ってくれれば、後は一人で頑張るから」
「ああ、分かった……。けど、お前、無理してないか?」
「無理しないといけないでしょ。恋はそんなに軽いものじゃないのよ」
「…………」
「もう時間だわ。行ってきます」
「おう……行ってらっしゃい……」
やっぱり変に思ったかしら?
でも、決心したんだって思ってもらわないと。
「クリスマスまでなんて言っちゃったけど、どうなのかしら?」
恋は簡単じゃないと言っておきながら、簡単に言っちゃったかな?
「北上さん、おはようございます」
「おはよう大井っち。休日、どうだった? 阿武隈VS大井っち」
「ああ、もういいんですよ」
「へ?」
「私、他の相手を見つけようと思うんです」
そう言うと、北上さんは足を止めた。
「北上さん?」
「どうしちゃったの大井っち……。何があったの?」
「何もありませんよ。ただ、提督に恋をしてた自分が変だって気が付いたんです」
「変……?」
「えぇ。でも、阿武隈には内緒ですよ? 私がまだ好きだって思っていれば、あの子だって火が付くでしょうし」
「ちょっと待ってよ……! それじゃ……提督が阿武隈にとられてもいいって事……?」
「はい。応援したいと思ってます」
北上さんは何やら複雑そうな顔をした。
「急な話で混乱するかと思いますが、そう決めたんです。これからは、同棲をやめる為に、他の男の人を探す事にします」
「どうして……?」
「その方が、私と提督の為になるんです」
そう言うと、北上さんは何かに気が付いたかのような顔をした後、うつむいた。
「大井っち……あのね……」
「何ですか?」
「……いや、何でもないよ」
それから、北上さんは黙ってしまった。
私が提督を好きだから、北上さんが振られたみたいな感じだから、複雑な気持ちなのかしら。
休み時間、阿武隈が私に話しかけてきた。
「昨日の感じだと、どっちが好かれてるかわかりませんでしたね」
「そうね。でも、私だと思うわ」
「どうしてですか?」
「なんとなくよ」
「なんとなく……」
こうでも言っておけばいいでしょう。
「でも、大井さんは昨日、ほとんど提督と話してなかったじゃないですか」
「アイコンタクトは取ってたわよ。私たちに言葉はいらないの」
凄く恥ずかしい事言ってるわ、私。
でも、良い感じに煽ってるわよね。
「…………」
怒っているのかと思って阿武隈の方を見たら、あの時と同じように私の事をじっと見ていた。
「大井さん……あの時から少し変です……」
「あの時?」
「私が提督を好きな理由を話した時です……」
そんなに変だったかしら。
嘘は上手についたつもりなのだけれど……。
「そうかしら?」
「……まあいいです。次は私が好かれてると証明します」
「望むところよ」
まあ、次は適当にかわせばいいわよね。
もしくは、それまでに相手を見つけるか、ね。
下校しようと北上さんの姿を探すと、既に帰ったようであった。
「北上さん……」
私のせいかな……。
そりゃそうよね……。
一度諦めた人が、諦める要因を捨てたと知ったら……。
「恋の被害は大きいわね……」
次は失敗しないように気を付けなければ……。
家に帰ると、提督が夕食を作っていた。
「おかえり」
「ただいま。手伝うわ」
「怪我はもういいのか?」
「えぇ」
部屋で着替えてから、台所へ向かった。
「やっぱり二人で料理した方が早くて済むし、気分も違う」
「そうかしら?」
私との行動にあまりいい気を持ってほしくないし、なるべく否定しないとね。
「そう言えば、海軍の件だが、次の休日にどうだ?」
「いいわね。ありがとう」
一瞬の沈黙。
「……本当に良かったのか?」
「何よ今更。提案して来たのはあんたじゃない」
「いや……そうだよな……。だが――」
そう言うと、提督は口を紡いだ。
「何よ?」
「何でもない……」
北上さんと言い、提督と言い、何が言いたかったのだろうか。
とにかく、この状況を脱するには、私が頑張るしかない。
「楽しみね」
「ああ……」
そうは言ったけれど、私の心の中には、ワクワクも恐怖も何も無かった。
自分でも驚くほど、なにも感じなかった。
過去も未来も、現在ですらも、そこには存在していないかのように思えた。
夢を見ているような、そんな感覚。
包丁がまな板を叩く音だけが、全てのような気さえした。
それから休日まで、何をしたのかはあまり覚えていない。
普通に暮らしたのだろうけれど、これと言って思い起こせることは無かった。
海軍の件が明日に迫った日、北上さんから呼び出された。
「話って何ですか?」
「時間、大丈夫?」
「大丈夫ですけど……」
「じゃあ、行こうか」
そう言うと、北上さんはつかつか歩き出した。
その表情は、とても真剣なもので、私はどこに行くのか聞くことすら出来なかった。
しばらくすると、何処に向かっているのか分かって来た。
「北上さん、こっちの方って……」
そう言った時、北上さんは足を止めた。
前を見ると、鳳翔さんと響ちゃん、そして、大和さんが立っていた。
鳳翔さんの家の前で。
「あの……どういう……」
「ごめんね大井っち……。大井っちには……私と同じ道を進んでほしくなかったから……」
「同じ道……?」
鳳翔さん達の方を見ると、誰もが皆真剣な顔をしていた。
「とりあえず、上がらせてもらおうか」
何が何だか分からず、促されるまま鳳翔さんの家へ入った。
――続く。