マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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最終話 マミさんの歩く道に祝福がありますように

 

 

 その日の夜。

 マミにしては珍しいことであるが、勉強中に他事に気を取られた。

 ごそごそとソウルジェムを取り出し、机の上に置く。

 

「佐倉さん、すごくソウルジェムにこだわっていたけど……」

 

 マミにとってソウルジェムは、「変身に必要なとても大切なアイテム」。失えば変身することも、ひいては街を守ることもできなくなる。逆に言えば、それだけの認識だった。

 そういえば、子供の頃に見ていた魔法少女作品だと、一年に一回くらいは変身アイテムを紛失してドタバタするお話があったな、と思考が脱線気味になり、口元が緩む。

 ソウルジェムは大切なものであり、ぞんざいに扱っていいものではない――その理解はもちろんマミにもあるが、それにしても杏子のこだわりは桁がひとつ違うように思えた。

 

「と、思えばぶつけたりするし……」

 

 ふたりのソウルジェムを、割れよとばかりの勢いでぶつけたことを思い出す。

 あの時は本当に割れるかと思って、心臓がばくばくした。思い返すだけでも脈が速くなりそうだ。

 傷でもついていないかしら、とソウルジェムを指で弄ぶ。

 お皿でも洗うかのように、指の腹を押し付けながらくるくると回転させる。

 表面はなめらかで違和感はなかった。擦過傷(スクラッチ)ひび(クラック)はなさそうだとマミが安心したタイミングで、ころりとソウルジェムがこぼれた。

 花をかたどったアクセサリーからこぼれたソウルジェムは、机の上をころころと転がり、そしてカーペットの上に落ちた。

 小さな悲鳴をあげたマミは、ソウルジェムが無傷であることを確かめながら拾い上げ、アクセサリーにはめなおそうとする。

 

「あれ」

 

 アクセサリーの基部、ソウルジェムを受けて置くところに、折りたたまれた小さな紙片が挟まっていた。

 紙片を取り出し、丁寧に広げる。

 

「ん……写真? プリクラかしら? 私と、佐倉さんと、夜宵さん……?」

 

 撮った覚えのないものだった。

 撮った覚えのない写真が、入れた覚えのないソウルジェムに収められている。

 少しの気味の悪さ、なにかを忘れているような居心地の悪さ、そういった感情がわきあがり、マミはまじまじと写真をみつめた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 その日の夜。

 教会の地下室に戻った杏子は、数日ぶりに心が軽かった。

 諦めて気が楽になった、などという後ろ向きなものではない。

 不本意なことも悲しいこともあるとしても、今のありようを受容して、その中に幸せや喜びを見つけた、穏やかで晴れやかな気持ちだった。

 

「腰を据えて、ここで生活していかないとな」

 

 今までは、ここは仮の住まいという意識があった。だが、今は違う。ここを生活の基盤として、新しい道を歩いて行かないといけないと認識している。

 教会はひどく荒れ果てていて一朝一夕に手入れが行き届くものではなかったが、とりあえず一歩を踏み出そうと、彼女は地下室の掃除から始めた。

 

 

 

 

 

 ようやく床に棚にと層を成していた埃がひとところに掃き集められ、まずは最初のめどがついた頃。

 たんたんたんっ、と階段を駆け下りる音がした。

 次いで、ドアが勢いよく開かれる音。

 

「杏子ちゃん!」

 

 張りのある声が、地下室に響いた。

 

「あれ、どうしたの、マミさん。こんな時間に」

「もう一度勝負よ。私の実力、思い知らせてあげるんだから」

「……なに言ってんの?」

 

 呆れ顔を見せる杏子に、マミは同じように呆れ顔を見せる。但しマミの方には、はにかみが強く含まれていた。

 

「察しが悪いわね……杏子ちゃんは」

 

 そう責めるのは酷だ。数時間前の杏子ならすぐに気付いただろうが、今の彼女はその望みを完全に断ち、この世界を前向きに生きていこうと考えていた。そのため、その可能性自体を思考から外していたのだから。

 だが、二度目の「杏子」呼び、しかも強調するような言い方に、彼女はその可能性に思い至った。

 

 言葉を紡ぐよりも早く、身体が動いた。

 弾丸のような勢いでマミに飛びつき、彼女をそのまま押し倒す。衝撃に、掃き集められていた埃がふわっと宙に舞う。

 

「いたっ」

 

 石の床にしたたかに背中を打ちつけ、悲鳴めいた声をあげるマミ。

 

「マミさん、本当にマミさん?」

「あら、偽物の私がいるのかしら? 私はファンタズマは使えないわよ」

「ほんとうに?」

「えぇ。ごめんね、寂しい思いをさせて」

 

 杏子の瞳にマミが微笑む顔が映る。それはすぐに涙で滲み、見えなくなる。

 

「マミさん……マミさん……マミさん……」

 

 涙で視界を失った次は、言葉を失ったかのように同じ単語を繰り返す。それはふたつともマミに伝播し、マミもただ相手の名を呼んだ。

 ふわりと舞い上げられた埃が、ゆっくりと時間をかけて落ちてきた後も、ふたりはしばらくそうしていた。

 やがて――濡れた瞳を袖口でごしごしと拭い、杏子はすっくと立ち上がった。手を引いてマミも立たせる。

 

「よし、じゃぁ行こう、マミさん」

「え、どこへ?」

「戦うんでしょ?」

「それは冗談のつもりだったんだけど……」

「知ってる。なにかきっかけがないと、起き上がれそうになかったから」

 

 もう、と非難するようにつぶやいた後、マミは涙を拭って笑ってみせた。

 

「強くなったのね、杏子ちゃん」

「そうだね。戦ってみる?」

「もう……そういう意味じゃないわ」

 

 杏子も笑った。迷いのない、晴れ晴れとした、そして温かく優しい笑顔だった。

 ひとしきり笑うと、また袖口で目元を拭った。今度は、笑みからこぼれた涙だった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 しばらく、笑ったり泣いたり、抱き合ったり転んだり、話し合ったり黙ったりしていた。

 その中で、今後について話し合うのは、自然なことだった。

 冷たい石の床にシートを敷いただけの地下室で、マミは正座し、杏子もまた正座していた。

 

「もちろん、うちに来るわよね。杏子ちゃんの知っているうちとは……ううん、私の大切な記憶の中にあるうちともずいぶん違うんだけど、一緒に、模様替えしていきましょう」

「うん……」

 

 ためらいがちに拒否するような杏子の態度に、マミが「なにか、ダメかしら……一緒に暮らすのは嫌?」とおずおずと問うた。

 

「イヤじゃないよ。でも、大丈夫なのかな、って」

「大丈夫って、なにが?」

「過去のいきさつとかしがらみとか、あたしはさっぱり分からないんだ。そんな状態で周りは大丈夫かな。迷惑かけたりしないかな」

 

 マミが視線を上に向けてしばし黙る。返答を思案するためだったが、沈黙を嫌った杏子が続けた。

 

「マミさんは、以前の世界のことも、この世界のことも、両方おぼえてるの?」

「うん、さっき思い出したわ。忘れていてごめんなさい。忘れていたことだけじゃなくて、いろいろ謝らないといけないわね……」

「あたしさ、どうだったの?」

「この世界では、杏子ちゃんとはご家族のご不幸のときに別れて、そのあとはあまり……。だから、この世界で杏子ちゃんがどうしていたか、私もよく知らないの」

 

 実際は「あまり」ではなく「まったく」であったが、それをそのまま告げるのは申し訳ない気がして言葉を濁す。そして、それについてもごめんなさいと結び、マミは視線を落とした。

 杏子はそんなマミをおもんばかってか、ことさらに軽く笑った。

 

「たぶん、ろくなもんじゃないと思うから、知らないでいてくれて良かったと思うよ」

「そうは思わないわ。ワルプルギスとの戦いで、見滝原まで救けに来てくれていたんだもの。たとえ世界が違っても、ひとの魂はきっと同じものだから、杏子ちゃんは杏子ちゃんだと思うわ」

「だといいんだけどさ、それにしちゃこの教会の荒れっぷりはね」

「一緒に綺麗にしましょう、それじゃダメ?」

「あー、いや、それは嬉しいよ。ただ、そうじゃなくって……」

「言いたいことは分かるわ。他のひとから見れば、今の杏子ちゃんも昔の杏子ちゃんも同じひとだものね。なのに自分では過去のことは分からない。不安になって当然だわ」

「うん……」

「でも、大丈夫」

 

 笑顔で太鼓判を押す。気休めや慰めではなく、心からそう信じていると思える笑顔だった。

 

「だって、私だけは知ってるもの、なにが本当の杏子ちゃんか。それじゃ足らない?」

「充分だよ。でも、それが原因でマミさんに迷惑をかけるかもしれないじゃん」

「ううん、たとえ何があっても、それは迷惑なんかじゃないわ。私と杏子ちゃんのふたりだけが覚えていることなんだから、ふたりで背負わないとね」

 

 結局、マミに請け負えることは自分がどう思うかだけであり、そして、それで充分なことであった。杏子が納得した笑顔を見せたことで、地下室の気温が一℃ばかり上昇したようにマミには感じられた。

 夜も更けており、空気の弛緩に伴い眠気が首をもたげた。小さめのあくびをすると、今度はマミが真剣な表情で語りかけた。

 

「実は、私もひとつだけ不安があるの」

「マミさんに?」

「うん。あのね、魂はきっとひとつ、同じものよ。でも、心って、魂に記憶が積み重なってかたちづくられていくものだと思うの。今の私は、この世界の記憶も前の世界の記憶もどっちもあるわ。だから、もしかしたら、杏子ちゃんの知っている私と今の私、少しだけ違うところはあるのかもしれないの。もしそれで嫌な思いさせたら、ごめんね」

「大丈夫」

 

 今度は、杏子が笑顔で太鼓判を押した。

 

「そんなことに気を遣ってくれるのは間違いなくあたしの知ってるマミさんだし、それに」

「それに?」

「もし違っても、良くなる方向だよ」

「あら、そうかしら?」

「だって、こっちのマミさんの方が優しいしね。あたしとの戦いで一発の魔弾も撃たなかったじゃない。前の世界のマミさんなら、ぱしゅんぱしゅんって撃ってたよ」

「そ、それは、そうしないと訓練にならないじゃない……」

 

 しどろもどろに抗弁するマミを見て、杏子はまた笑った。

 笑う杏子を見て、マミもまた笑った。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 かつて、女神は祈った。

 全ての魔法少女の笑顔を。祈りは力ある言葉となり、全ての世界、全ての時間に伝播した。

 祈った一点で救済がなされるわけではなく、全ての世界、全ての時間で救済がなされる。

 魔法少女が懸命に生き、そして末期を迎えるときにようやく円環に導かれ、その魔法少女にとっての世界の改変がなされる。

 

 であるならば、それは魔法少女にとっての救済はいつまでもなされない――見方を変えればそうとも言えるし、むしろ救済されないことが幸福であるとさえ言える。

 

 それは、女神の不備ではない。

 女神は、全ての世界を尊重した。全ての世界に生きる全ての魔法少女を尊重した。それが故に、祈りによって改変されたたったひとつの世界に全てを統一することなく、全ての世界、全ての時間に存在する魔法少女をあるがままに肯定した。

 

 おそらく、この世界に生きる巴マミも、今この瞬間に世界が改変され救済されることは望まないだろう。

 いつの日か、彼女も救済されるのか、それともされないのか、それは分からない。分かっていることは、彼女のこれからに、歓びと幸福が――。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 いつの日かの、夕飯のあとのティータイム。

 そういえばさ、と前置きして杏子は問うた。

 

「ワルプルギスのとき、あたしどうして見滝原に?」

 

 幸いというべきか、この世界の過去の杏子は、どの魔法少女誰とも没交渉だった。そのおかげで今マミとともにいても、過去を知る何者かに違和感を持たれることもないし、過去の諍いに起因する厄介な人間関係に巻き込まれることもない。

 そのことは、マミを含む他の魔法少女たちと話をするうちに知ったことだ。それだけに、ワルプルギスの夜に襲われた見滝原に戦いに赴くという行動は、過去の彼女のイメージから乖離して見えた。

 

「私も経緯は詳しくは知らないの。キュゥべえを通じて、杏子ちゃんと夜宵さんが協力に来てくれるって。本当に助かったわ、ありがとう」

「いや、あたしに礼を言われても、身に覚えのないことだからさ……」

 

 礼を要求したように思われるのも不本意で、杏子は頭を掻きつつ続ける。

 

「たださ、聞いた話だと、こっちのあたしがマミさんの手助けに来るような殊勝な奴には思えなくって」

「そんなことはないと思うけど……」

 

 そう思うものの、強く言い切ることもできず、マミの語尾が小さくなる。消え入るような語尾に重ねるように、明るい調子のテレパシーがふたりに届いた。

 

『なんだ、記憶喪失にでもなったのかい、杏子』

 

 良好な関係を維持できていると思っているキュゥべえに対して、杏子の返事はすげない。

 

「まぁ、そんなもんだよ」

『ふむ、そんなものか。まぁいい。ワルプルギスの夜との戦いの時のことなら、杏子、キミがマミを助けに行くと言いだしたんだよ』

「ほんとか? マミさんとは喧嘩別れしてたんじゃないのか?」

『ボクはウソはつかないよ。マミと別れた後も、キミは折にふれてマミのことを気にしていたしね』

 

 キュゥべえが語った事実は杏子にとって吉報と言えるのだろう。喜色が面に出そうになるが――それ以上に喜色を満面にたたえたマミを見て、あえて表情を殺した。殺した表情がうっかり出てこないように、ティーカップを運んで口元を隠す。

 

「やっぱり杏子ちゃんは、優しいのね」

「……記憶にないけどなぁ」

 

 そして喜色に満ち満ちた声音で、うっとりと漏らすマミにもすげなく応えた。

 それが拙い照れ隠しであることはマミには一目でわかる。そのことがさらにマミの喜びを高めた。

 

『記憶がないのは厄介だね。必要になったらボクに確認するといい。必要なことを、一言一句違わずに教えてあげるよ』

「いや、いい。そんなに楽しい記憶じゃなさそうだしな」

『そうかい? 記憶がないとなにかと不便ではないかと思うが……』

「いいのよ」

 

 反論しようとするキュゥべえの額を、白く細いマミの指がたおやかに押さえた。そして誰に言うでもなく、しっとりとした声を漏らす。

 

「だって、これまでより、これからの方が大事だもの」

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 と、言っておきながら、なんで早く教えてくれないんだと怒るのは理不尽ではないか。さすがにキュゥべえもそう思った。

 

 半月ばかり経過したある日の昼下がり、キュゥべえは杏子に問うた。今月はモモに会いに施設に行っていないが、いいのかい、と。

 どうやら杏子はそのことも完全に失念していたらしく、キュゥべえの首を絞めんばかりに掴みあげ、興奮したように彼を左右に振り回した。

 

『マミは……そういえばキミは知らないことだったね』

 

 そんなに大切なことならマミから教えてあげればいいじゃないか、と言いかけて訂正する。杏子がかつてマミと袂を分かつにあたって、マミに余計な心配をさせたくはないからとモモが存命の事実は伏せていたし、またキュゥべえに固く口止めもしていた。

 

「本当なのよね……? キュゥべえ」

『ボクはウソはつかない。連絡先を教えるから、自分で確かめてみるといい』

「そうね、そうするわ。杏子ちゃん、私から電話していい?」

 

 杏子の同意を確認すると、マミはスマートホンで教えられた番号に電話する。

 丁寧に、しかし急ぎ気味に事務的な会話を続け、本題を切り出す。

 

「今日、これから伺うことは出来ないでしょうか?」

「夕方の六時半まででしたら。風見野にお住まい? 見滝原ですか、見滝原駅からだと、循環バス(ぐるりん)一本で大丈夫ね。バスで四十分程度よ」

「あの、佐倉モモさんに代わって頂くことはできませんか?」

 

 職員は快諾し、少し待つように告げる。しばしオルゴールの音が流れる。マミはオルゴールのリズムに合わせて、指を遊ばせた。

 実際は一分程度、マミの体感ではもっと長い時間を経て、モモが応答する。マミの名乗りと挨拶を受けて、モモが少しの間をおいて応えた。

 

「マミお姉……巴さんですか? お久しぶりです、懐かしい声が聞けて嬉しいです」

「本当に懐かしいわ、ずっと連絡してなくて、ごめんね」

「いえ、杏子姉から、巴さんとはもう会えないと思えって言われてましたので」

「これから、そちらに伺うわね。杏子ちゃんも一緒に」

「杏子姉も一緒なんですか? 良かった、しばらく連絡がなかったので心配していました」

「うん、代わるわね、ちょっと待って」

 

 肩を寄せて待機していた杏子にスマートホンを差し出すと、彼女は奪うようにしてスマートホンを取り、大きな声を出した。

 

「モモか?」

「モモか、じゃないよ! もう約束の日から十日以上過ぎてるよ、本当に心配だったんだから!」

 

 姉に負けず劣らず、妹も大声で返す。隣にいるマミにも会話内容が細大漏らさず聞き取れるような、よく通る声だった。

 

「そっか、ごめんな。あたし、ちょっと軽い記憶喪失みたいな感じになってて……」

「えーっ! 大丈夫なの、杏子姉?」

「日常には支障ないかな。でも、連絡できなくってごめんな」

「いいよ、事情があるんなら。それより、ほんとうに大丈夫?」

「あぁ、平気平気。これから顔見せに行くからさ、元気なとこをその目で確かめなよ」

「いや、体調的なものじゃないんだし、顔見てどうこうじゃないよー」

 

 しばらくお互いの近況について歓談していた杏子だったが、マミが代わりたそうにしていることに気付き、彼女にスマートホンを渡す。

 マミはそれを受け取ると、少しの前置きのあと、本題を切り出した。

 

「そちらの職員の方の許可も得ないといけないけど……モモちゃん、私の家で一緒に暮らさない?」

「巴さんのお宅でですか? でも、ご迷惑じゃ……」

「モモちゃんも知ってると思うけど、私は両親を亡くしてひとりだから、一緒にいてくれると嬉しいわ。もちろん、杏子ちゃんも一緒よ」

「杏子姉も! 良かった、巴さんと杏子姉、ケンカしてたわけじゃないんですね」

「喧嘩なんてしてないわよ。ただ、私の思い遣りがちょっと足らなかっただけ」

「いえいえっ、杏子姉と巴さんなら、どう考えても杏子姉の方が悪いですから。あっ、でも、たとえ杏子姉の方が悪くても、わたしは杏子姉の味方ですよ!」

「ふふ、そうね。かけがえのない姉妹だものね。……それで、どうかしら? 私の家で」

 

 逡巡しているのか、少し間があいた。マミは瞳を閉じ、口を噤んで、急かさないように穏やかな吐息だけを漏らす。

 

「ご迷惑じゃなければ、そうしたいです……」

「良かった、もちろん大歓迎よ」

 

 やがて、モモがそう応えるとマミは顔を綻ばせた。同じように顔を綻ばせた杏子が、頬をマミに擦り付けるように近づけてして横から話に加わる。

 

「一緒に住むことになったら、姉としていろいろ教えてやるからな。料理も勉強も」

「えー、杏子姉よりは家事全般上手だと思うよ、わたし」

「姉を甘く見るなっての。じゃぁ今度料理勝負するか?」

「審判を巴さんがしてくれるならいいよー」

「なんだよ、その条件は」

「だって、ちゃんとした審判がいないと、杏子姉負けを認めないでしょ」

「はぁ? なんだよそれ。そもそもなんであたしが負ける前提なんだよ、モモ相手に負けるわけないっての」

「ほら、ぜんぜん認める気ない。杏子姉、お料理で負けたくらいで姉の威厳は傷つかないから、意地にならなくていいんだよ」

「だから、なんであたしが負ける前提なんだよ、おかしいだろ」

 

 押し殺した笑いを漏らすマミに杏子が抗議するような視線を向けると、マミは芝居がかった咳払いをひとつした。

 

「マミさんが笑ってるから、この話はまた今度な」

「うん、いーよー」

「じゃぁ、準備してすぐ行くから、待っててね、モモちゃん」

「はい、楽しみに待ってます」

 

 

 

 

 

 

 

 そして、施設を訪れたマミと杏子は、モモと再会する。

 彼女たちにとっては実に二年半ぶりの再会であり、マミと杏子は涙をはらはらと流しては、「モモ」「モモちゃん」と、それしか言えなくなったように繰り返す。

 一方のモモも涙ぐんではいたものの、彼女としては杏子とは一ヵ月半ぶり。彼女は、

 

「二年ちょっとぶりの巴さんはともかく、杏子姉は大袈裟すぎ。可愛い妹にあえなくて、そんなに寂しかったの?」

 

 と少し湿った声で返した。

 だが、その光景を見守っていたキュゥべえは、温かな再会のシーンに相応しくないことをひとりごちていた。

 

『……マミと杏子との接触で、佐倉モモの魔法少女としての素養が大幅に向上した。これはいったい……』

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 時は流れる。

 マミが女子大学のキャンパスに慣れ、杏子が神学校に通い始めた頃、佐倉モモは見滝原中学の制服に袖を通した。

 その容姿は――巴マミの髪型を真似た佐倉杏子、といったところであり、その性格は――少しお転婆になったマミ、あるいは少しお淑やかになった杏子、といったところであった。

 

「マミ姉、また宿酔い? 大学休んじゃダメだからね。杏子姉、お弁当作ってあるから、忘れずに持っていってね。それじゃ、いってきまーす」

「はいはい、いってらっしゃーい」

 

 言いたいことを言って出かけていくモモを玄関まで見送ると、ネグリジェ姿のマミはあくびをかみ殺しながらリビングに戻る。そこで朝食をかきこむ杏子に語りかけた。

 

「しっかりした子よねぇ、モモちゃん」

「まぁ、あたしの妹だからね。マミさん、今日は大学は?」

「二コマ目からだから、あと二時間はゆっくりできるわね。シャワーでも浴びて目を覚まそうかしら」

「それがいいね」

「あ、食器いいわよ、私が片付けるから。制服汚れちゃ大変だもの」

 

 食べ終えて食器を運ぼうとする杏子をマミが制する。

 神学校の制服は白いスーツであり、汚れがひどく目立つ。杏子は頓着しないが、保護者を自任するマミとしては杏子にみっともない格好はさせたくはない。――ちなみに、モモも杏子の保護者気取りである。

 

「ありがと。学校終わったら連絡する」

「うん、私も都合いい時間を連絡するから、一緒にパトロールしましょう。美樹さんや鹿目さんも都合が合うといいのだけれど」

「まどかはともかく、さやかは忙しいみたいだからね」

「音大って大変なのねぇ」

 

 などと会話しているふたりがいる部屋を、マンションの外まで出たモモが見上げる。もちろん彼女は普通の少女であり、遥か高層のマミの部屋まで見る視力は持ちあわせていないが、それでもなんとなく、姉ふたりがのんびりと会話している様子が想像できた。

 

「大丈夫かなぁ、ダラけてないかなぁ」

 

 実際のところマミも杏子も、モモが心配するように不真面目でも自堕落でもない。しかし、一二歳の少女から見上げると、彼女たち大人の生活は、いささか以上に弛んで見えた。

 

 

 

 そんな少女らしい潔癖さと生真面目さを持ったモモが、後に魔法少女となる際になした祈りが、杏子とマミ――のみならず、この世のすべての魔法少女への大いなる福音となり、魔法少女たちに幸福をもたらすのだが――それは佐倉モモの物語であって巴マミの物語ではない。

 

 巴マミの物語としては、このあとも波乱はあれど優しさに包まれて幸せに暮らしたことを記して終わりとしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 完結です。
 ここまで読んでくださった方に、深く感謝いたします。

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