マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

52 / 59
第四七話 マミさん、ソウルジェムを浄化する

 大規模な震災などと比べれば、被害は非常に局所的なものであった。

 そのため、ライフラインを含めた復旧は早く、家屋が健在なものは自宅での生活を始める迄に、さして時間を必要とはしなかった。

 駅舎及び高架線路に被害があったため、いまだ電車の開通はなっていない。しかし、迂回路線への送迎バスも出ており通勤通学を行うことも可能となっていた。

 もっとも、幹線道路含む道路はひび割れや復旧工事のため、通行止めや車線削減が多く、充分な交通量は確保できていないこともあって、近隣の学校は実質休校状態に近かった。

 

 

 

 マミは、風見野のパトロールを終え、夜宵かおりの家を訪れていた。杏子は「行きたくない」と少し離れた場所で待っている。

 門戸は固く閉められており、マミのテレパシーにも開かれる気配はない。

 塀の外に立つマミは、辛抱強くテレパシーを繰り返して送る。

 

『夜宵さん、こんばんわ、巴です。もし、良ければ応えてもらえると嬉しいわ』

 

 二階にあるかおりの部屋は鎧戸が閉じられている。マミが知る限り、あの日以降は開いていたことはない。

 一階からは明かりが漏れている。彼女の父が帰国しているからだが、やはりマミが知る限り、彼女の気配が自室から出て一階にあったことはない。

 自室にこもって彼女が何をしているのかマミは知らない。

 しかし我が身に照らして考えれば、彼女が嘆き悲しむ姿は容易に想像できた。

 

 

 

 

 三〇分ばかり断続的にテレパシーを送ったが、一切の反応は得られなかった。

 

『風見野は夜宵さんのテリトリーだものね。こちらで入手したグリーフシードは置いていきます。知っているとは思うけど、魔法を使わなくても魔力は少しずつ失われていくの。これ、忘れずに使ってね』

 

 最後にそう告げて、門の前の小さな花壇に今日入手したグリーフシードをそっと置く。既に置かれていた一〇個ばかりのグリーフシードに接触し、小さな金属音が響いた。

 風雨にさらされ、土に汚れたグリーフシードはひどく汚れていた。マミはそれを悲しげな瞳で見つめる。

 

『いくら魔法を使わなくても、そろそろ魔力あぶないと思うの。気をつけて……ね』

 

 先に置いてあったグリーフシードを拾い上げ、ついた汚れを払って落とす。ふっと小さく白い息を吐きかけ、指で拭うと花壇に戻した。

 涙こそ流していなかったが、マミの顔は泣き顔のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 街はずれで待っていた杏子に合流すると、マミは笑顔を作って言った。

 

「おまたせ。遅くなってごめんなさいね」

「どうだったの?」

 

 作った笑顔は長くはもたないものだが、彼女は大切な妹に心配をかけたくない一心で笑みを維持する。

 そして、穏やかな表情のまま首を横に振った。

 

「もう三週間になるわ。このままじゃ、本当にどうなってしまうか……」

「こればっかりはアイツ次第だし、どうしようもないよ。マミさんは、充分以上によくやってあげていると思う」

「ううん。どんなにしても充分なんてことはないわ。だって私は、夜宵さんのお母様を」

「そんなのマミさんのせいじゃないよ」

「だけど……私が前に出ずに、すぐに二発目のイリミタータを撃ち込んでいれば、倒せたかもしれないわ」

「そんなこと言ったら、あたしだって時間を稼ぐような戦い方をせずに、最初っから全力で行けば。だけどさ、あたしもマミさんも精一杯戦ったじゃん。手は抜いてない、全力を尽くした、それでダメだってんなら……あたしたちはスーパーマンでもなけりゃ、街のひとの奴隷でもないんだよ。そこまで何でもかんでも、背負えないよ」

「そうね、でも、なかなか割り切れないわ。……帰りましょうか」

 

 話を打ち切る。

 笑みを作っていられるうちに、という意識が働いてのことだろうか。事実、移動を開始してからはマミは考え込むような難しい顔をしていた。

 月面を飛び跳ねるかのごとき軽やかな移動。しかし、内面は反比例するかのように、重く沈んでいる。

 話しかける言葉が見つからず黙っていた杏子だが、見滝原市に入ったあたりで口を開いた。

 

「もうさ、窓を破って入っていっちゃえばいいんじゃないの」

「杏子ちゃんらしいわね。でも、夜宵さんが受けいれる気持ちになってくれていないと、意味がないと思うわ」

「そう? もしソウルジェム浄化してないようなら無理矢理浄化しちゃえばいいし、それでとりあえずは安心でしょ」

「そうね……たしかにソウルジェムの浄化はなにより大切な問題よね」

「なんなら、あたしがやろうか?」

 

 杏子とて、多少の痛痒はおぼえていた。

 それでも、自分たちは精一杯やったという自負があった。加えて、己の経験を鑑みれば、夜宵かおりの態度は甘えに思えた。それになにより、マミに心労を与え続けて良しとする彼女への憤りがあった。

 

「うん、もしかしたら、お願いするかも」

 

 その返事が遠い間柄の人間にする類いのものに感じられて、杏子は奥歯を噛み締めた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 花壇に転がるグリーフシードが、さらにみっつ増えた。

 やはりテレパシーでの呼びかけに応えはない。むなしい時間を三〇分ばかり過ごした後、マミは肩を落として杏子の待つ街はずれへ向かった。

 かおりの家を離れるときに見せていた焦燥した顔は、杏子と合流する頃には普段の、柔和な表情へと塗りかえられている。

 少し暗めの街灯に照らされた街はずれの路地で、お互いの表情もはっきりとは見えなかったが――杏子にはマミの柔和な笑みが仮初めのものであることは、理解できていた。

 

「今日でひと月だね」

「えぇ。きちんと浄化していてくれればいいのだけれど」

「そうだね。でもさ……」

 

 言葉を飲み込む。

 逡巡する。

 そして、心の秤にいろいろなものを載せて傾けて――吐き出すように言った。

 

「死にたいって言うんならさ、死なせてやりゃぁいいんじゃないの」

「杏子ちゃん……?」

「だからさ、死にたがってるんだから、もう放っておけばいいんじゃないの」

「だめよ。どうしたの、そんなひどいこと言うなんて」

「だって! マミさんはもう充分償ってるじゃないか! いや、償う必要なんて最初からないじゃないか!」

 

 吐き出してしまった言葉の熱気に自ら煽られるように、語気は強くなっていった。

 言い過ぎているという自覚はあったが、言葉は既に彼女の制御を離れている。感情の熱が上昇気流をつくり、言葉はそれに乗せられて手の届かないところまで舞い上がっていった。

 

「風見野のパトロールをするのはいいよ。取れたグリーフシードを全部渡すのもいいよ。そんなことは気にしない。だけど、それ以上はあたしたちの知ったことじゃないよ! あいつが生きようが死のうが、あいつの勝手じゃんか! なんでマミさんが責任もたないといけないの!」

「……心配かけてごめんなさい」

「そうじゃないよ! あたしに心配なんていくらでもかけていいよ! そうじゃなくてさ……!」

 

 突如、マミが杏子を抱き寄せた。

 彼女の顔を乳房に埋めるようにして、強く抱き締める。

 言葉を遮られた形になった杏子は、発言を続けようと顔をあげようとした。しかし、マミのおとがいが頭頂に乗せられてそれを封じた。

 顔をあげることはやめて、両手をマミの背中に回す。

 少し間が空いて、頭上から声が降ってきた。

 

「決めた。無理にでも、ソウルジェムの浄化だけはしてくる」

「そうだね。それがいいと思うよ」

 

 しばらく、そのままの姿勢で抱き合っていた。

 やがて、両者の背中に回していた手はほどける。

 マミは、深呼吸するように息をした。

 

「じゃぁ、行ってくるわね。もう少し待っててくれる?」

 

 微笑むマミに、杏子は微笑みで返した。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 平日のため夜宵かおりの父は不在のようで、一階に灯りはともっていなかった。

 好都合だと、マミは思う。

 幾つかのグリーフシードを花壇から拾いあげてぎゅっと握りこむと、二階の鎧戸に向かって跳躍した。存在の希薄化を受けているため、姿も音も余人には認識できないが、そもそもにして物音ひとつ立てない静かな動きだった。

 

『夜宵さん、開けて。開けてもらえないなら、無理矢理にでも開けます』

 

 声をかけながら、鎧戸を軽くノックする。

 予測した通りの結果ではあるが、やはり一切のリアクションは返ってはこない。

 三〇秒程度のインターバルを挟んでそれを三度くり返し、反応がないことを確認。マミは小さく嘆息したのち、鎧戸に両手をかける。

 

『ごめんなさい、乱暴にして』

 

 魔法少女にとっての、ちょっとした力が鎧戸に加えられた。

 わずかな、ペットボトルのキャップをねじる程度のほんのわずかな抵抗の後、鎧戸をレールに固定していた金具が弾ける音がする。

 金具による保持を失った鎧戸は、乾いた音をたててスライドした。

 鎧戸が開いた先はガラス窓、そしてだらしなく閉められたカーテン。その奥には、灯りの消えたかおりの部屋があった。

 窓と窓の隙間からリボンが侵入し、マジックハンドのようにくねる。ロックに絡みつき、器用に開錠する。

 

「夜宵さん」

 

 呼ばわりながら、靴を脱いで部屋に入る。こもった空気のためか、水面を潜るような抵抗をおぼえた。魔女の結界に侵入する際と似た抵抗に、マミは背筋に冷たいものを感じる。

 暗い部屋だった。

 灯りはつけずとも、魔法少女の視力ならばすぐに部屋中を認識できた。ベッドにひとの膨らみを認めたマミは、そちらに駆け寄ると顔を近づけて囁く。

 

「夜宵さん、勝手に入ってごめんなさい。お顔、見せてもらえないかしら」

 

 やはり返事はない。

 少しの間待ってから布団をめくる。すると、少し嫌な臭いがした。それが現実のものか、魔法的なものか、マミには分からなかった。

 めくられた布団の下に、胎児のような姿勢で居るかおりを認める。

 瞳は薄く開かれていたが、茫としており焦点を結んでいないように思われた。

 名前を呼ぶが、視線を動かすことさえしない。

 マミは彼女の指からリングのかたちをしたソウルジェムを抜き取った。

 リングから宝石へとかたちを変えた夜宵かおりのソウルジェムは、黒く濁っていた。もとの蒼銀の輝きの面影はなく、錆び果てた酸化銀を思わせる鈍色をたたえていた。もし百分率で濁りを表示できるなら、九〇を超えているはずだ。

 マミが手早くグリーフシードを近付ける。

 化学反応のように、ソウルジェムを侵していた穢れはふわりと浮きあがり、渦を描いてグリーフシードに吸い込まれていく。

 

「良かった、間に合ったわね」

「……なんの御用ですの。よくもわたくしの前に」

 

 ソウルジェムが浄化されたことで意識がはっきりしたのか、彼女は顔だけをマミの方に向け、呪詛めいた言葉を投げつける。

 敵意しか感じられない声音だった。それでも、ともかく生に属する彼女の反応を得たことで、マミは安堵した。

 

「ごめんなさい。このままだと、夜宵さんのソウルジェムが限界を迎えそうだったから。でも、良かっ……」

 

 そこでマミの言葉が途切れた。

 息が止まり、目が見開かれる。

 かつて見た反応が、再現されたからだ。

 美樹さやかのソウルジェムがかつて見せた反応、浄化された直後に再び濁るという反応。美樹さやかが魔女となる直前に起こった現象が、そこにあった。

 

「あぁ……」

 

 マミの四肢から、すうっと力が抜けていった。

 嗚咽を漏らし崩れ落ちるマミだったが、その情動はかおりには理解できなかった。いや、そもそもマミが繰り返し訪ねていた理由、今日侵入した理由、そういった根本の部分から、彼女は理解を拒んでいた。

 

「なんですの? 突然押し入ったかと思えば今度は泣き崩れて。迷惑ですので出ていってくださいませんか。あなたの顔は見たくありませんの」

「夜宵さん、お母さんのこと、本当にごめんなさい。でも、お願い。希望を捨てないで。絶望に負けないで」

「よくも勝手なことが言えますわね。あなたが……」

 

 上半身を起こすと、自分の腰にすがりつくように抱きついているマミを殴打する。力のない、幼子のような打擲だった。

 

「お願い、夜宵さん」

「でしたら、母を生き返らせてください!」

「それは……ごめんなさい……」

「母を返してください!」

「他のことならなんでもするわ。お願いだから」

「……でしたら、母のかわりにあなたが死んでください」

「夜宵さん……」

「天国へ行って、母に詫びてください!」

 

 怒っているのか泣いているのか、声からも表情からも判断できなかった。ただ、どちらであってもそこに意志の光があるとマミには――多分に希望的観測だが、感じられた。

 

「そうしたら、希望を持ってくれる? 前を向いて生きてくれる?」

「えぇ、お約束しますとも」

 

 かおりの腰をかき抱いたままに、すがるように問うマミに、彼女はあしらうように応える。誠意もなにもない、口約束とさえ言えないような態度だったが、その言葉を信じる以外に、マミにできることはなかった。

 

「約束よ、夜宵さん」

 

 悲しげな表情のまま笑顔をつくると、マミはかおりの手をとり、小指を絡めた。そして、指切りをするように上下させる。

 それを面白くもなさそうに見つめるかおりに視線を向け、静かに微笑む。

 

「天国にいけるかは自信ないけれど、もし行けたら、きっとお詫びするわ。約束する」

「はい」

「夜宵さんは元気に頑張ってるってお母様に報告する。だから、本当にお願いね」

 

 幾つか持ってきたグリーフシードを、彼女の手のひらに押し付ける。

 彼女の手にグリーフシードを握らせるように、ぎゅっと両の手で包み込んで彼女の拳を固めさせる。

 そういった所作に並行して、召喚されたマスケットがマミのソウルジェムを照準した。

 

 軽く乾いた炸裂音。

 次いで、陶器が割れるような甲高い音。

 砕け散り、小さな破片となって舞い散るソウルジェムは、灯りのない薄闇の中でもきらきらと輝いてみえた。

 

「約束、忘れないでね……」

 

 それが、夜宵かおりが聞いたマミの最後の言葉だった。気圧され、かおりは何度も首を縦に振った。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 杏子が窓から飛び込んできたときも、かおりは状況を正確に把握できていなかった。

 それはある意味で幸いだったのかもしれない。

 

「てめぇ……!」

 

 杏子が首を絞めるようにして、彼女の身体を引きずり揚げた。

 黒く濁ったソウルジェムがこぼれ落ち、杏子の足下に転がる。それを一瞥し、杏子は吠え叫んだ。

 

「あん? 魔女になんならさっさとなれよ! 介錯してやんよ!」

「……約束、しましたから」

 

 喉を締められたまま掠れた声で言うと、彼女は手に握っていたグリーフシードをひとつ落とす。それは床にあるソウルジェムのそばへ転がり、ゆっくりと浄化を行った。

 

「くそッ!」

 

 憎々しげに浄化の様子を見つめた杏子は、叩き付けるように彼女の身体をベッドに投げ捨てた。

 そして、マミの亡き骸を抱え上げる。

 投げ捨てられたまま、金縛りにあったように硬直している少女を蔑みのこもった目で見下ろすと、窓へと大股に歩く。

 半身を窓から外へと乗り出し、振り返って告げる。

 

「マミさんは連れて帰る。二度とあたしの前にツラ出すなよ、殺すからな」

「いま、そうすればよろしいでしょう。いいですわよ、抵抗しませんわよ」

「……お前の抵抗なんか、抵抗になるかよ」

 

 吐き捨てるように言うと、真剣な表情を見せる。次につぶやいた言葉は、一言一句を確かめながら紡ぐかのように、ゆっくりだった。

 

「……あたしは、あたしの感情よりマミさんの想いを優先したい。だから、今はお前を殺さない」

 

 同意を求めるように、両腕で抱いたマミに視線を落とす。

 変身が解け、普段着に戻ったマミは、しかし当然のことながら意志を示すことはない。

 

「帰るよ、マミさん」

 

 凪いだ湖面を思わせる静かな口調だった。

 それ以上の言葉は紡ぐことなく、杏子は窓から身を躍らせる。

 ちょうど雨が降り始めた。降り始めから大粒の雨が降る、ひどい雨だった。

 マミに雨粒がかからないよう、ワインレッドの衣裳を槍で裂いて彼女の身体にかける。

 外傷はひとつもないマミの亡き骸だったが、杏子には、茨の冠に苛まれた擦り傷や、鞭うたれた打ち傷、そしてわき腹を槍で貫かれた刺し傷があるようにも思えた。

 彼女の亡き骸を抱きかかえて歩いた。

 魔法少女としての移動――軽快な跳躍による高速機動――を行うには杏子の心は重く沈んでいたし、公共の交通機関を利用するには、杏子の顔はひどく泣き崩れていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 降り始めた雨が、開けたままの窓から飛び込み、窓際のカーペットを充分に濡らした頃。

 夜宵かおりはようやく身体を動かした。

 床に散らばるキラキラの破片を、手を箒のようにして寄せ集める。尖った部分が肌を刺して血を滲ませたが、痛みは感じなかった。

 花をかたどった外枠のアクセサリー部分は傷ひとつない。アクセサリーの中心に破片をいれて、団子をこねるように手で弄ぶ。

 かすかにオレンジイエローの輝きを残していた破片は、その作業のうちにやがて硝子のような透明なものとなっていった。

 それがマミの魂が失われたことを示す気がして、ようやく彼女は涙を流し始める。

 涙はすぐに嗚咽となり、どうしようもない後悔と自己嫌悪が胸中を占める。

 そして、魔力のムダでしかないと理解しながらも、かき集めたソウルジェムの破片に、彼女の固有魔法を使い続けた。

 そうすることが、罰であるかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。