マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第四六話 マミさん、ワルプルギスの夜を射抜く

 大身槍を横に薙いだ。

 その一撃で、ワルプルギスの夜の防御障壁が斬り裂かれる。のれんを潜るように障壁を越えて、杏子はさらに肉薄する。

 既に彼我の距離は二五メートル、指呼の間――いや、彼女たち魔法少女にとっては、殺傷圏内とさえ言える。

 

「来やがったか」

 

 杏子がつぶやいた。頭上より迫る、多数の影を認めて。

 右に、左にと杏子が跳ねる。ファンタズマではなく、高速機動で生じた残像。その残像を討つように、刀や槍を手にした少女のかたちをしたものが飛来した。

 去年の戦いで歯車上部にいた銀河のテクスチャをまとった影色の魔女。それが三〇ほど、急降下攻撃をしかけてきた。杏子の巧みな回避に、魔女たちの得物はむなしく土を食む。

 

「ファンタズマ!」

 

 ワルプルギスの夜には通用しないと思われるロッソ・ファンタズマだが、この影色魔女にならばどうか。それを確認するために杏子は分身を展開する。二〇ほどのファンタズマが瞬時に生み落とされるが――

 

「まぁ、そうだろうな」

 

 ファンタズマには一顧だにすることなく、影色魔女は攻撃を杏子本人と量子分身であるクアンに集中させた。

 ワルプルギスの夜が吐き出す熱線と、影色魔女の多角的な攻撃。それらを飄々とかわす杏子には、影色魔女をつぶさに観察する余裕さえあった。

 傘状の大盾を持った魔女、二丁拳銃を構える魔女、エプロンドレスをまといクロスボウと短刀で武装した魔女。

 

 ――どいつもこいつも、去年いた奴らだな。動きそのものも去年と大差ない――お、こいつ改めて見るとかおりに似てるな。

 

 そういう目で見ると、帽子やエプロンドレスのシルエット、右手のクロスボウのかたちなど、共通点が多く見られた。

 

 ――この場にいない魔法少女をコピーでもしてんのか? あたしやマミさんに似たのは……いないみたいだね。

 

 良かった、と口元を歪める。たとえ偽物であろうと、マミに似たものに槍は向けたくはなかったから。

 しかし、遠目に見るマミには杏子のそんな余裕は伝わらず、逸る気持ちを抑えきれない。

 逸る気持ちと抑える気持ち、それらがせめぎあい、彼女のほつれ毛を汗が濡らした。

 

 

 

 長い時間を経て、ようやく砲塔が完成する。

 マミはそれに、ゆっくりと魔力を注ぎ込む。

 従来のティロ・フィナーレより小型の白銀色の砲塔。砲身に刻まれた直線的な線溝から、淡いオレンジイエローの光が溢れだす。

 溢れた光は徐々に強まり、マミの頬をその色に染めていく。

 それは、砲身に込められた魔力のたかぶりを示している。同時に、ワルプルギスの夜の攻撃対象となる可能性も高まるが――

 

「行けッ! アパシュナウト!」

 

 最前線の杏子は、大身槍を決戦状態へと展開し、魔力を惜しみなく放出した。

 三叉となった槍が先端から魔力をほとばしらせ、ルビーレッドの輝きがかがり火のごとく煌々と揺らめく。

 純粋な魔力量ならば砲身内部で増幅を繰り返しているティロ・フィナーレ・ヴェルシオーネ・イリミタータに軍配が上がるのだろうが、至近距離にいるためか、ワルプルギスの夜の攻撃は依然として杏子に集中していた。

 

 

 魔力をたかぶらせて囮を全うする。己の目論見通りの推移に、杏子には微笑みを浮かべる。彼女のよく見せる、好戦的な笑みだ。

 そして彼女の優れた知覚力は、激しい攻撃にさらされながらも、後方で肥大化しつつあるマミの魔力を感じていた。

 故に、合図はいらなかった。

 

「ティロ・フィナーレ・ヴェルシオーネ・イリミターッタ!」

 

 細い閃光が走る。

 それは、狙い過たずワルプルギスの夜、逆さ吊りの巨大魔女の首に突き刺さった。

 間をおかず、閃光が膨張する。

 一本の針のようだった閃光はその身を膨張させ、若木の太さへ、大樹の太さへ、さらには千年の樹齢を誇る古樹の太さへと――その成長を阻むため、ワルプルギスの夜が熱線を吐き出した。マミへ、そしてヴェルシオーネ・イリミタータへ向けて。

 

「もちろん、予測済みよ!」

 

 基盤を成していた黄金色のリボン。その幾つかがが鎌首をもたげるように動き、大砲の前面に防御壁を築く。全体を護るドーム状のものでなく、狭い範囲を密にガードする手の平ほどの盾。それが六枚、熱線を防ぐように形成された。

 絶対領域を容易く貫通するほどの熱線、狭く密に守護する防御壁であっても受け止めることはできない。それはプラスチックの板で炎を受け止めるような、はかない抵抗だった。

 一枚、二枚と、黄金色の防御壁は破られていく。六枚あわせても、五秒と保たなかった。

 それでも、白銀の大砲が溜め込んだ魔力の過半を放出するには、充分な時間だった。

 

 六枚すべての防御壁が破られ、ついには熱線が砲塔に届く。暖炉で炙られたチーズのように、砲塔は溶かされて崩れ落ちる。

 しかし防御壁が時間を稼いだ間に放たれた閃光は、刺し違えるように逆さ吊りの魔女に痛撃を加えていた。魔女の首に着弾していた細いレーザーは砲塔が果てる直前に古樹へと至り、広い範囲を薙ぎ払った。

 

 

 今や逆さ吊りの魔女は、首を中心として腕部、胸部、そして頭部を蒸散させ、胴だけの存在と成り果てていた。逆さ吊りの魔女の胴の破断面から、銀色の砂がさらさらと散って落ちていく。

 

 

 

 

「さすがだね!」

 

 快哉をあげた杏子が大身槍を旋回させる。

 熱線の脅威がなくなったことで本来の冴えを得たか、それとも精神の高揚によるものか、鋭さを増した槍はふたりの影色魔女を捉え葬り去った。

 影色魔女を倒す、その事象を観測行為として、ふたりいた杏子がひとりに収束する。

 杏子への数少ない確実な攻撃機会。

 しかし、やはり影色魔女の攻撃は空を切る。動きの速さにおいても緻密さにおいても、杏子は影色魔女をふたまわりは上回っていた。

 そして、マミが前線に到着する。

 

「パロットラ・マギカ・エドゥ・メテオーラ!」

 

 駆け付けると同時、雲霞の如くマスケットを浮かせ、上空へ向けて魔弾を放つ。

 かつては手ずからの射撃でしか為しえなかった≪流星の魔弾≫を、事もなげに浮遊マスケットから繰り出す――その結果として、≪無限の魔弾≫に匹敵するほどの流星が生み出される。

 数多の魔弾を様々な角度から降らせる≪流星の魔弾≫、それは数百人の弓兵による一斉射撃を思わせる密度で戦場を制圧した。

 ふたりの影色魔女は致命傷を負い、さらにふたりの影色魔女はその身をグリーフシードへと変えていく。

 

「お待たせっ」

「あとはここを片付けて、上だね!」

 

 どちらからともなく背中を合わせた。烈風で巻き上げられる異なる色彩の髪が、溶けるように混ざりあう。

 もとより隙などなかったが、こうなっては攻防は無窮自在にして金城鉄壁、天に浮く歯車から降り立った三二の影色魔女を殲滅するためにさして時間は必要としなかった。

 最後の一体――夜宵かおりに似た影色魔女――をパロットラ・マギカ・エドゥ・シークローネ、《竜巻の魔弾》で囲み、そのまま魔弾の旋回半径を狭めていって圧殺する。

 

「去年より、確実に強くなってるわね」

「あたしらの方が、もっと強くなってるけどね」

「そうね、頼もしいわ」

「もっと頼って、後ろで二発目を作ってくれてても良かったんだよ」

「あ、それもそうね……」

 

 心配が勝ちすぎて、初弾で逆さ吊りの魔女の体躯に痛撃を与えると、何も考えずに前線へ走っていたマミ。落ち着いて顧みると、杏子に指摘された行動に利があることが分かる。

 複数の感情を込めてマミは微笑んだ。

 互いに背中をあずけたままにしているため、その笑顔を杏子が見ることはなかったが、空気は伝わった。

 

「司令塔も杏子ちゃんに任せようかしら」

「ムリだよ。マミさんとふたりならともかく、かおりがいたらアイツ絶対あたしの言うこと聞きやしないよ」

「そうかしら。ちゃんとした指示なら従ってくれると思うけど」

「どうだかね」

 

 意に沿わぬ会話を打ち切るように、杏子はおとがいを上げて空を仰いだ。マミも倣う。

 高みに浮く歯車。

 そこから逆さ吊りにされた魔女は、胴の半ばより先を失っている。

 晒された破断面はプラスチック・モデルのように中は空虚で、そこから間断なく銀色の砂粒を降らせている。もっとも、ワルプルギスの夜を中心として発生する烈風のために砂粒は彼方へと散っていき、直下にいるふたりには届かないが。

 

 真下からティロ・フィナーレ・ヴェルシオーネ・イリミタータで中央を射抜けば、それで倒せる。見上げる杏子にはそのように思われた。その旨を口にしようとした瞬間、ワルプルギスの夜が動きを見せる。

 一瞬の動き。ワルプルギスの夜の巨大さを考えると、非現実的なまでに一瞬の動作だった。

 

 

 歯車の表と裏がひっくり返るように、反転した。

 すなわち、逆さ吊りになっていた魔女は歯車の上に正しく立ち、直下より見上げる魔法少女からは歯車に隠れ見えなくなる。

 魔法少女の瞳に映るのは、先ほどまでは天の側にあった歯車表面。

 

「来るッ!」

 

 その動きから杏子が連想したものは、上空からの影色魔女の一斉降下。

 同じ結論に至ったマミはふたりを包むように絶対領域を展開する。

 しかし、予想された魔女の降下はなかった。それ以外の動きもなく、ふたりの魔法少女はワルプルギスの夜の意図が奈辺にあるのか推し量れずに、僅かな空白が生じる。

 

 

 動きは、地上からは見えないところであった。

 今や天の側にある歯車裏面、そこにやはり今や正の位置に立つ魔女の体躯が、瞬く間に再生されていっていた。胸部、腕部、頸部、そして頭部と、一〇秒もかからずに元の姿を取り戻す。

 同時に、マミと杏子が倒したはずの影色魔女三二体も再生されていく。

 

 それらが終わると、ひとつの事象が生じた。

 ワルプルギスの夜を中心とする、今までとは比較にならないほどの烈風の発生。

 

 

 

 

 真上から吹きおろされる激しい烈風は、月か太陽が落ちて来たかのような圧力をもって、魔法少女たちの身体を大地に押し付けた。

 抗するすべはなかった。

 瞬時に膝が砕け、そのまま崩れ落ちた身体は大地にはりつけにされる。

 重力が数千倍になったような圧力。

 先ほどまで吹き荒んでいた烈風など、これに比べればそよ風と言える。

 身体がきしむ、などという過程すら経ずに、彼女たちの全身の骨はことごとくが砕け、眼球は爆ぜ、臓物は例外なく押し潰された。

 ふたりの魔法少女の身体を壊したあとも、風は止むことなく数分ほども荒れ狂う。

 

 

 やがて、烈風は止む。

 烈風が止んだ時には、ワルプルギスの夜の直下にあった山は、もはや原形をとどめていなかった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 もちろん、ワルプルギスの夜から離れれば烈風は弱まる。

 

 夜宵かおりの住む街は、人里としてはワルプルギスの夜に最も近い位置にあった。距離にして、約七キロメートル。

 七キロメートルの距離を経てかおりの街に到達したとき、烈風の威力は半減以上に衰えていた。

 それでも、ひとの営みを破壊するには充分な力を、その烈風は備えていた。

 

 

 二階建ての駅舎が倒壊した。

 七階建ての駅ビルが、二階部分から崩れて横倒しになった。

 路上に放置されていた自動車両は飛ばされ、家屋に激突して炎上した。

 送電塔が根元からへし折られ、ハンマーのように近隣の民家を叩き潰した。

 

 そして、夜宵かおりが避難していた小学校の体育館は、二階より上の部分を失った。

 失われた部分は、瓦礫となって避難していた住民たちに降り注いだ。

 その時、夜宵かおりは窓際に立ち、マミたちが戦う山の方角を祈るように見つめていた。

 その時、夜宵かおりの母親は、夜宵かおりの施した睡眠魔法による眠りの中にあった。

 

 

 多くの命が瓦礫に圧されて散った。

 その中には、夜宵かおりの母親も含まれていた。

 

 

 

 周りのひとも、周りの状況も目に入らなかった。

 夜宵かおりは母親の身体にすがりつき、ありったけの治癒魔法を流し込む。蒼銀色の魔力が立ちのぼり、陽炎のように揺らぐ。霊感を持たぬひとにさえ、温かな光を感じさせるほどの癒しの力。

 彼女はそれを、四半刻も続けた。

 

 しかし、蘇生はかなわなかった。

 治癒と蘇生は異なる、それは当然のことであったが、今回に関してはそういった魔法の種類によるものが理由ではない。

 夜宵かおりの魔法は、本人も周りも治癒魔法と称しているが、実態は異なる。本来ならば、蘇生を成すことも可能とする魔法である。しかしながら、死者の蘇生を行うに足るだけの魔力を彼女は持たなかった。

 故に蘇生はかなわず、彼女は泣き崩れることしかできなかった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 禿山、いや、禿げた窪地と成り果てた大地に、マミと杏子はあった。

 彗星が落ちた痕のクレーターのように窪んだ大地、その窪みの中心位置にマミと杏子はあった。

 ふたりとも、意識の連続性は保っていた。

 だが、身体は機能を完全に停止していた。動けるようになるまで、どれほどの時間を要するか、すぐには見当もつかないほどだ。

 だから、ワルプルギスの夜の追撃があれば、防御することも回避することもかなわなかっただろう。

 

 

 視力は失われていたが、魔力で感じられた。

 上空に、ワルプルギスの夜の存在――少なくとも魔力がないことを。

 僅かに残った触覚情報も、風が凪いでいることをふたりに教えた。それと、互いの腕が互いを庇うように、身体の上にあることを。

 治癒を自らに施すのみならず、触れている手を通じて相互に治癒魔法を送り込む。そのため、治癒のスピードは平坦化され、ふたりが身体機能を取り戻していくタイミングはほぼ同時となった。

 幾つかの部位の回復を経て、やがて視力を取り戻したとき、彼女たちの視界には、雲ひとつない青空が広がっていた。

 

「どこかへ、移動したのかしら……?」

 

 ようやく取り戻した声でつぶやく。そして、同じタイミングで声を取り戻した杏子が応えた。

 

「でも、動くような感じはなかったよ。どこへ行くにせよ、あれだけの魔力が動けば、分からないはずはないよ」

「結界を作った波動もなかったわよね。そもそも、ワルプルギスが結界を作るとは思えないけど」

「なんにせよ、攻撃がなくて助かったよ。運が良かったね」

「そう、ね……」

「どこに行ったか、隠れたかしらないけど、回復したら倒さないと」

 

 

 さらに時間を経て、自らの足で立てるようになった。

 まだコンディションは万全ではなく、ワルプルギスの夜と再び戦うには明らかに尚早ではある。

 しかし、だからといってゆっくり治癒していられる精神状態でもない。ワルプルギスの夜を捜索し、そして倒すために、彼女たちは行動を開始しようとする。

 そんなふたりを、テレパシーが止めた。

 

『マミ、杏子、急ぐ必要はない。時間は気にせず回復すればいいよ。いま現在、世界中のどこにもワルプルギスの夜は存在していないからね』

 

 テレパシーの主は、マミの足元にたたずんでいた。

 死力を尽くした魔法少女を労うでもなく、変わり果てた景色を嘆くでもなく、涼しげな顔で。

 

『もちろん、全ての魔女の動向を知ることなどボクにはできない。しかし世界中にボクはいるからね、ワルプルギスの夜がどこかで顕現していれば、いくらなんでも分かるからね』

「じゃぁ、どこに行ったんだよ」

『それはボクも分からない。いなくなったとしか言えないね。印象で語れば、キミたちに追い詰められたワルプルギスの夜が逃走したようにも思えるが……。現れた時と同じだよ。何故現れたのかが分からないのと同様に、何故いなくなったのかも分からない』

「追い払った……なんて言えそうもないわね」

 

 草も木も失い、地形すら変動している大地を見つめ、マミは力なくつぶやく。

 鳥のさえずりも、小川のせせらぎも、羽虫の気配さえ絶えていた。

 

 それでも、今マミが見ている景色は、まだましだった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 ひとの営みが思う様に壊されていた。

 ワルプルギスの夜の戦闘箇所にもっとも近い街、すなわち夜宵かおりの住む街に到着したマミと杏子は、その惨状に言葉を失った。

 建造物の半数は倒壊し、倒壊を免れたものも無傷とは言えない状況。

 幸い、他の街はワルプルギスの夜との距離がより遠かったことから被害は小さかった。そのため、消防や自衛隊の人員はほぼすべてがこの街に向けられており、各所で様々な救助活動が行われていた。

 

 言葉を、そして表情も失ったマミたちであったが、持てる能力を使い尽力した。

 瓦礫を除去して生き埋めになったままのひとを救け、リボンで密閉空間をつくり酸素を断つことで火災を鎮めた。姿を消したままの行いのため、余人の目には奇跡かなにかに映ったが、災害直後の混乱のなか、騒ぎになることはなかった。

 それを日が暮れるまで繰り返した後、ようやく言葉を吐きだした。

 

「夜宵さんのところに行ってくるわ、杏子ちゃんは先に戻ってて」

「あたしも行くよ。マミさんひとりが背負うことじゃない。それに、いつワルプルギスが現れないとも限らない、一緒にいた方がいいよ」

「そうね、ありがとう……」

 

 

 訪ねた家は無人だった。

 意外なことではない。避難指示が出ていたうえに、街は控えめに言って半壊といった状態なのだから、自宅にいることはないだろうとマミたちも思っていた。

 それでも訪ねたのは、避難場所が分からないことと、家屋の状態を見たかったからだ。

 彼女の家が無事なことを確認して少しだけ気が楽になったふたりは、街角の案内板を頼りに近隣の小中学校を回った。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 平手の音が響いた。

 半壊した体育館から講堂へと人々は移動していた、その講堂の入り口で、マミはかおりの詰りにひとことの反論もせずこうべを垂れる。

 

「あなたがたは仰いましたわよね。魔女は自分たちが倒すと。それでこのザマですの?」

「ごめんなさい……」

「あなたがたの言葉に従ったわたくしが馬鹿でしたわ、こんなことなら力及ばずともワルプルギスを……」

「すまないとは思うけどさ。かおりがいたって何も変わりはなかったよ」

「それでも! 自分のできる限りをやっての結果と、やらないでの結果を同列に扱えるはずもないでしょう!」

 

 睨む瞳には涙があふれ、放つ怒号には嗚咽の色が濃く出ていた。

 それは彼女の精神が平衡を失っていることを示唆していたが、だからといって言われっぱなしになる謂れは杏子にはない。

 反駁すべく前のめりになろうとする杏子。それを、マミが肩をつかんで押しとどめた。

 目を伏せたまま首を左右に振り、杏子に沈黙を促す。その上で、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「本当にごめんなさい。自分たちだけでどうにかできるって、うぬぼれていたわ。謝ってすむとは思っていないけど、本当に……ごめんなさい」

「謝っていただいても、母は帰ってはきませんわ!」

 

 それはもはや悲鳴だった。

 そして、その内容に杏子は絶句し、マミは魂が引き裂かれたような沈痛な表情を見せた。

 時間をおいて、ようやく絞りだしたマミの声に、即座に叫びが重なる。

 

「ごめんなさい……できることなら、どんな償いでもするわ」

「では、母を生き返らせてください! あなたがたがママを……!」

「ごめんなさい……」

「できないなら、わたくしの前から消えてください!」

 

 号泣をはじめた夜宵かおりを前に、マミにも杏子にも、紡ぐべき言葉はなかった。

 

 

 

 

 

 

 


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