マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第三二話 マミさん、魔女を蹴散らす

 魔法少女の運命に関係する者にしか知覚できない血痕や肉片が校庭に飛び散っていた。

そして、量的にはそれと同等以上の、一般人にも知覚できる血痕が同じく校庭の表面を赤く染めていた。

 前者はほぼ夜宵かおりのもので、後者はしおんに斬られた一六人の被害者のものだ。

 被害者は全て止血され、救急車で病院へと運ばれた。

 余人にはしおんの姿は認識できない。そのため、生徒たちのうち証言ができるほど気丈なものは『突然に傷が発生したように見えた』と異口同音に答えた(大部分は泣き喚いたり嘔吐したりで、証言することなど不可能だった)。

 授業はすぐに中断され、集団下校を行うこととなる。

 しかし、クラスを取りまとめて指揮すべき夜宵かおりの姿は教室にはなかった。

 

 

 

 

 マミと杏子には、血痕が魔法少女のものかそうでないものか、見分けることはできない。

 それでも、マミの膝の上に頭をのせた夜宵かおりの惨状を見るに、多くがかおりのものであることは推測できた。

 

「遅くなってごめんなさい」

 

 マミは連絡を受けてから八分強で到着している。遅いとの表現は適切ではなかったが、彼女は自分を責めた。もう少し早く到着していれば、と。

 そして言われた夜宵かおりは首を横に動かした。

 彼女は極度の衰弱で時間間隔が希薄になっていたため、マミの到着が早いのか遅いのかわかっていなかったが、それは問題ではなかった。実際に遅参であろうがマミを責める気などなかったし、そもそも詫びるべきは待てという指示を無視した自分自身だと思っていたからだ。

 

「マミさん、右腕が見当たんないよ」

 

 飛び散った左手と右足を運んできた杏子が告げた。魔法で無から再生することも出来るが、切れた四肢があるなら接続して治癒した方が楽だ。

 

「右腕は、フローズンで粉々になりましたわ」

「そう……ごめんね、独りで戦わせて」

「詫びるより、誉めてくださった方が嬉しいですわ」

「そうね。よく頑張ったわ」

 

 こんなになるまで、という言葉は飲み込んだ。賞賛のつもりの言葉でも、受け取り方は相手によるのだから。

 

「あたしとマミさんも手伝うから、身体治そうか」

「すみません、お手数かけますわ」

 

 

 

 

 

「本当にわたくし達、もう人間じゃないんですのね……トカゲみたいですわ」

 

 三者の魔力を受けて、肩口から失われていたかおりの右腕が徐々に再生していく。

 欠損箇所にまばゆい光が集まり、それが凝集して血肉となっていく様を見つめながら、他人事のようにかおりは呟いた。

 

「あ、もしかして、再生の時に、スタイル良くしたり美人にしたりできるんじゃありませんの?」

 

 軽口を叩く余裕がある、と示すための言葉だ。彼女自身の本音としては、そのようなことが可能であってもする気はないが……。

 

「夜宵さんは充分にスタイルいいし可愛いでしょう」

「い、いえっ、巴さんには遠く及びませんわ」

 

 否定するかおりの頬に朱が差す――全身の血液を多量に失った状態でも、魔法少女の身体はこういった変化を可能とするらしい。マミとかおりのやりとりに疎外感を感じたのか、杏子が混ぜっかえした。

 

「あたしにも遠く及ばねーよ」

「佐倉さんにはワンパンで勝てるレベルと思いますわ」

「は? 自分でそんなこと言うなんてどういう神経してんだ?」

「そっくりお返ししてよろしいでしょうか。でも、ご安心ください、美醜の基準なんて地域や時代でいかようにも変わりますわ。過去か未来のどこかには佐倉さんの方が美しいと言われる場所もあるでしょうから」

「どう安心しろってんだよ、それ」

 

 ふたりとも本気ではないのだろうが、放っておくと険悪な雰囲気になりそうだなと、マミが話題を変えようとする。既に手首まで再生した右腕を見やり、感じ入るような口調で漏らした。

 

「すごい治癒のスピード。夜宵さん、治癒魔法得意なのね」

 

 マミの魔法であるオレンジイエローの癒しも、杏子の魔法であるルビーレッドの癒しも、魔法少女の一般的な水準を遥かに超える治癒効果をみせていたが、夜宵かおりのメタリックブルーの癒しは、ふたりの癒し以上の効力を発揮している。

 それは、治癒に準ずる魔法が夜宵かおりの契約に由来する固有魔法であるからだ。

 

「ええ、母の怪我を治すことで契約しましたので、そのようになっているみたいですわ」

「そうなの、立派な願いね」

「もし失礼でなければ、巴さんがどのような願いで契約したのか、教えていただけませんか」

 

 指先まで再生した右手で口元を覆うようにして、かおりは問うた。目も伏せる。奇跡の願いとは即ちその人物の根源的な欲求であり、安易に聞いて良い事柄ではないと、彼女も理解しているのだろう。

 本来にして夜宵かおりは、他人の心の聖域を気安く覗こうとする人間ではない。

 好奇心を抑え込むなど彼女の自制心からすれば造作もないことであるし、そもそも他人の心を知りたいと思うこと自体が過去にないことだ。

 今回に限って生じたこの希求がなにに由来するのか、彼女は明確に自覚することはできなかった。

 

「私は……事故に遭ったときに、自分だけが生き延びるっていう、とても利己的な願いをしてしまったから……」

「利己的ではありませんわ、自分の命を守るのは当然のことですもの」

「でも、事故に遭ったひと全てを救うって願いも願えたはずと、今でも後悔するわ」

「それは机上の空論ですわ。わたくしなど、以前の戦いで腕を斬られただけで何も考えられなくなってしまいましたわ。魔法少女にしてそうなのです、普通の少女ならば、生命にかかわる事故に遭ったのでしたら、そんな判断ができる状態ではないでしょう」

「そうね……ありがとう」

 

 かおりの慰撫に表面上の理解を示すと、マミは表情を和らげた。

 もちろん、同様のことは杏子からも過去に幾度となく言われており、かおりの言葉が改めてマミの負担を軽くすることはなかったのだが。

 杏子もマミの態度の意味は分かっていたが、それでもやはり面白くはなかった。彼女は、再び混ぜっかえす。

 

「あたしの契約内容も教えてやろうか?」

「いえ、佐倉さんには聞いておりませんわ」

「私は杏子ちゃんの願いは知ってるもの」

「いや、そこは聞こうよ、ふたりとも……」

「はいはい、どうぞ存分にお話しください。できれば砂場に穴でも掘ってそこでお話し頂ければ嬉しいですわ。必要でしたら案内しましょうか? 防音がよろしければ視聴覚室にも案内しますわよ」

「いらねーよ」

 

 憮然とした口調の杏子だが、目は笑っていた。その瞳が、突然に険しいものになる。

 杏子だけではない、マミとかおりも表情を厳しくする。

 大気中の魔力が、波打ったからだ。

 つい先日、千尋早苗が近距離で魔女となり結界を構築した時の魔力震動に似ている、が、それよりも大きく緩やかであった。

 千尋早苗のそれを至近で自動車のタイヤが破裂したものとすれば、これは彼方にそびえる巨大な活火山の鳴動にも思える。

 

「大物だね……」

「そうね。一体、何が……」

『ボクから事情を説明するよ』

 

 マミと杏子の言葉を継いだのは、尻尾をくねらせて木陰にたたずむ一匹のいきものだった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 時を僅かに遡る。

 フローズンシューターの生み出した堅氷の圧により、毬屋しおんのソウルジェムが砕けたまさにその時、しおんの病室に保管されていたグリーフシードのひとつが膨張した。

 肥大化したグリーフシードは容器を砕き、ガラス容器にたたえられていた液体がキュリオケースの戸に棚にと飛散する。

 このタイミングは偶然であったのか、それとも持ち主であるしおんを失ったことで、何らかの抑圧から解放された帰結なのか、あるいは、別の何者かの思惑によるものなのか。

 しおんが、自らの穢れを吸い上げさせたグリーフシードたち。

 彼女はそれをキュゥべえに処理させることなく、病室に保管していた。穢れを十分に吸ったグリーフシードは再び魔女になる『危険性』がある――彼女にとってそれは『可能性』だった。

 自らの穢れを処理させ、魔女として孵れば倒して再び穢れを吸わせる。しおんは、そんな永久機関を夢想していた。

 まさに、それが現実となった。

 

 

 最初に、ひとつのグリーフシードが孵った。

 産まれた魔女が放つ瘴気が、周りのグリーフシードに影響を与え、孵化を促した。

 あとはその連鎖だった。しおんが蓄えた二七のグリーフシードは、瞬く間に二七の魔女と化した。

 

 

『こういったケースは過去に例がない。近距離で連鎖的に生まれた魔女たちは、自他の境界もない状態で混ざり合い、単一の結界を築いた。彼女たちは二七の魔女であると同時にひとつの魔女。≪渾沌の魔女≫とでも呼ぶべきだろうね。恐らくはその魔力は足し算ではなく……』

「場所は?」

 

 キュゥべえの長広舌を遮ってマミが問う。

 感情を持たないので当然のことではあるが、キュゥべえは嫌な顔ひとつ見せずにそれに応じ、風見野南の都市名と結界の発生地である病院名を告げた。

 

「じゃ、行こうかマミさん」

「わたくしも参ります」

「あなたは残りなさい。いくら治癒したとはいえあんなになったのよ、まだ充分には動けないはずだわ」

 

 その言葉は的を外している。魔法少女にとって身体は魔力で制御するデバイスに過ぎない。治癒が完了しており、制御する魔力に不足がなければ問題なく動ける、いや、動かせるはずだ。

 だが、尊敬する巴マミの言葉を受け入れることで、夜宵かおりの魂は、今現在は充分に動けない状態であると思い込んだ。そのために彼女の身体はよろめき、片膝を地につけた。

 

「大丈夫だって。しょせん結界を張る程度の魔女、あたしとマミさんの敵じゃない」

「そうね。ワルプルギス未満なのは間違いないわね」

「……申し訳ありません」

「ううん。夜宵さんはもう充分頑張ったもの。あとは私たちに任せて」

 

 逡巡するように目を伏せたかおりは、ひと呼吸の後、微笑んで顔を上げた。

 

「分かりましたわ。佐倉さん、帰ってきたら魔法少女になった理由を聞いてあげますわよ」

 

 言葉では応えず、笑みを返すとマミと杏子は跳んだ。跳んだ先に魔法で足場を作り、さらに跳ぶ。それを何度か繰り返すと、魔法で強化されている夜宵かおりの視力でも捉えられない程の距離となった。

 

 ふたりの消えた方向を瞬きもせずに見つめている少女に、白いいきものが話しかける。少女は、視線を僅かに動かすこともせずに応えた。

 

『留守番か、キミはそれでいいのかい』

「あのおふたりでしたら、心配はいりませんわ。佐倉さんが仰っていたように、結界を張る必要がある魔女です。ワルプルギスの夜を倒したおふたりが後れを取ることはありませんもの」

『それはどうだろうね。確かに結界を張っている。しかしそれは必要だから張っているのだろうか。さっきも言ったように、あの魔女は通常の魔女の集合体だ。個々の魔女がかつて結界を張っていたから、その習性のままに結界を張っている可能性もあるんじゃないかな。そうだとすれば、結界を張っているという事実は魔女の力量を必ずしも示すものではないよね』

 

 キュゥべえの誘導に促されるままに、かおりはマミと杏子を追いかけようとする。が、マミの言葉は彼女にとって非常に大きく、マミの指摘の通りに身体は正常に動かない。

 その結果、彼女は前のめりに倒れ込んだ。口腔に砂埃が入り込み、咳き込んだかおりを、キュゥべえは冷ややかな目で見つめる。

 

『その様子ではキミは無理そうだね。ボクはふたりを追いかけるよ』

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 キュゥべえが名を告げた病院――結界の発生地へ、マミと杏子が辿り着くことはなかった。

 総合病院の手前数百メートルの地点で、彼女たちは正面から迫る≪壁≫を見た。左右に果ては見えず、上にも果ては見えない≪壁≫だ。

 歩くような速度で迫る≪壁≫は、地面から垂直に噴出する魔力を帯びた粒子で構成されていた。

 マミと杏子は≪壁≫との衝突に備え、前面に魔力を集中させて突っ込んだ。

 

 

 しかし、予測していたような衝撃は発生しなかった。

 薄い暗幕をくぐり抜けるような微かな違和感だけを残し、ふたりの身体は≪壁≫の向こう側に抜けた。

 抜けた先には、先程まであった青空とビル街はなかった。

 曇天の空の下に、建造物はおろか植物さえ見えない、赤土が剥き出しになった何もない大地が広がっていた。

 今まさに≪壁≫を抜けて侵入したのだから、背後には≪壁≫があって然るべきなのだが、マミがちらと視線を後ろに向けると≪壁≫はなく、荒野がどこまでも広がっている様が見てとれた。

 そして、視線を上に向けると黒雲の中に、禍々しい魔力を放射する球体が太陽よろしく鈍く輝いていた。

 

「マミさん、ここは」

「えぇ、そうみたいね」

 

 ふたりは諒解した。先ほどの≪壁≫は結界の外壁であり、既にふたりは結界の内部にあることを。

 そう判断したふたりは、再度視線を巡らせる。幸いにして、結界に取り込まれた犠牲者は見当たらない。魔女や使い魔の姿も見えず、進むべき指針となる構造物もないが、ふたりは直感的に直進することを選んでいた。

 

 

 

 

 

 結界に入って、ゆうに五分は駆けた。

 その間、犠牲者や使い魔、魔女といった動くものは一切おらず、風景にも変化は見られなかった。

 

「だだっ広い結界だな、魔女はいないのか?」

 

 杏子の言葉が呼び水となったように、高空にたなびく黒雲の中に無数の煌めきが生まれる。

 高度にして五〇〇メートルほどに存在する層積雲、そこで生じた煌めきは雨粒のような密度と速度で地上へと降り注いだ。

 煌めきの正体は、≪委員長の魔女≫の使い魔が履いたスケート靴の刃の照り返しだ。その刃が狙うは、ふたりの魔法少女。

 

「パロットラ・マギカ・エドゥ・インフィニータ!」

 

 上空を見上げるマミの周囲に、天へ銃口を向けた大量のマスケットが生み出され浮遊する。古代ギリシャの方陣を思わせるマスケットの群れは、召喚主の意志に従い次々と白煙と炸裂音をあげた。

 そして放たれた≪無限の魔弾≫は、大瀑布の如き勢いで落下してくる使い魔のことごとくを爆散させる。

 

「尋常な数じゃなかったね」

「そうね。魔女数匹分の使い魔ってところかしら」

「でもさ、あたしたち相手に数で攻めても、無駄だよね」

「ふふ、そうかもね。それより、上に向かいましょうか」

 

 使い魔の落下軌道から上空を敵地と判断したマミが垂直に跳ぶ。

 遅れずに杏子が追い、互いに背中をカバーするように寄り添って螺旋を描く様に駆け上がる。伝承にある比翼の鳥というものが実在するのならば、このように翔ぶのだろうか。

 魔力の足場を蹴ること数十回、ふたりは層積雲に到達する。

 黒雲により視界が制限されることをきらった杏子が、居合切りを思わせる鋭さで大身槍を一閃させて雲を斬り裂いた。

 

「お見事。まさに雲散霧消ね」

「魔女もこんな感じでやっつけちゃおうか」

「頼りにしてるわ」

 

 黒雲が千切れ飛んだ後の空には、禍々しい魔力をたたえた漆黒の球体のみが浮かんでいた。

 ふたりの斜め上、垂直距離にして二〇〇メートル、水平距離にして五〇〇メートルほどの位置にある球体は、その距離をもってなお夕焼けの太陽のような巨大さを示している。

 闇色の太陽の表面に変化が生じた。表面の一部が盛り上がり、プロミネンスを思わせる勢いで一本の長大な異形が迸り出る

 

 異形は《お菓子の魔女》だ。

 顎を広げ一直線に突っ込んでくる《お菓子の魔女》は、その質量、速力ともにリニア式の高速鉄道を想起させる。

 だが、練達の魔法少女であるマミと杏子にとって、速いだけの突進など避けるに易い。

 ふたりは左右に散り、魔女の体当たりを躱す。躱すだけではない、杏子は槍の穂先を寝かせた状態で魔女の突進軌道に固定した。

 穂先が魔女の牙と衝突し、甲高い音が響く。

 この衝突は槍が勝った。

 次の瞬間には、牙を砕いた穂先が、敵の突進の勢いを利して魔女の細長い胴体を上下二枚に下ろしていく。

 

「一丁あがりっと!」

 

 得意げな笑みを見せる杏子は、上下に二分され地に落ちていく《お菓子の魔女》に一瞥をくれた。そして視線を先――いまだに《お菓子の魔女》の尾がつながる、闇色の太陽へと向けた。

 

「これが二七か。油断するつもりはないけど、いけるね、マミさん」

「気が早いわね。……次、来るわよ」

 

 太陽から新たにふたつの魔女が姿を現す。

 ブラウン管型の旧式モニターに羽を生やした姿の《ハコの魔女》、巨大なシャレコウベから一本の足を伸ばした姿の《趣の魔女》。それぞれが黒髪のようなものを後方へなびかせており、それはヘソの緒よろしく闇色の太陽へとつながっている。

 精神攻撃を得意とする《ハコの魔女》とマミ、トリッキーな攻撃を得意とする《趣の魔女》と杏子、それぞれが速度を落とすことなく交差した。

 だが、精神攻撃もトリッキーな攻撃も、それを行うに足る時間があればこそ、だ。マミも杏子も、そのような巧遅に属する攻撃を許しはしない。

 交差の一瞬で攻防は終結し、その天秤は魔法少女側に完全に傾く。

 《ハコの魔女》はモニターを蜘蛛の巣状に砕かれ、《趣の魔女》は落ちくぼんだ眼窩に備えた一対の仮面を貫かれ、力を失い落下していく。闇色の太陽へと伸びた黒髪を、煙のようにたなびかせながら。

 

「どうよ!」

「融合だの渾沌だのキュゥべえに脅かされたけど、個々の魔女の強さは変わらないみたいね」

 

 闇色の太陽から幾筋ものワイヤーが放射状に伸びる。

 それはちょうど、太陽、マミ、杏子を同じ平面に落とし込むような角度で広がり、即席の床となるレイヤーを形作った。

 等間隔に夏物のセーラー服を吊るしたワイヤー。それを足場に、ワイヤーの所有者である《委員長の魔女》が現れる。

 その数は五。横一列に並んだ《委員長の魔女》は六肢を蜘蛛のように蠢かせて歩を進めた。

 マミの眉が、ひそめられる様に歪んだ。

 同じ魔女をこれだけ倒している以上、夜宵かおりから聞いたように、使い魔の養殖が行われていたのだろう。そしてその過程で犠牲になった人の数を想い、マミは唇を噛んだ。

 睨みつけるような視線を魔女の群れに向けると、マミは両腕を伸ばして跳躍する。竜巻を思わせる勢いでくるりと舞うと、マミの上下左右に、無数のマスケットが銀幕ほどの広さをもって整列した。

 

「パロットラ・マギカ・エドゥ・インフィニータ!」

 

 マミの歌うような詠唱に応えて、おびただしい数の魔弾が放たれる。

 《委員長の魔女》一体につき、四〇〇を超える魔弾が相対した。

 マスケットの白煙が霧散する頃には、≪委員長の魔女≫の集団は、六肢の力を失いワイヤーを握ることも出来ず落下していく。

 

 既にふたりの意識は≪委員長の魔女≫を離れ前方へと向いている。

 主である≪委員長の魔女≫を失っても依然として残るワイヤー。その上を跳ぶように駆ける魔法少女の視界に、新手が映った。

 モーターサイクルを一〇台ばかり潰して、その残骸を獣のかたちに組み立てたような姿を見せるのは≪銀の魔女≫だ。魔女の外見にたがわぬ重量に、ワイヤーが軋みをあげて沈み込む。

 

「この魔女、まだいたのね……」

 

 独りごちるマミは、潤みを帯びた目で魔女を見つめる。

 魔法少女になりたての頃、≪銀の魔女≫を倒すことが出来ず、結果として犠牲者を出してしまった苦い記憶が彼女の胸を締め付けた。過去の苦い記憶は、しかし乾いて風化しておらず、今なお湿った傷痕として彼女を責め苛む。

 巴マミは信じている。生命はかけがえがなく、自らの過失で失った生命はどのように償おうとも償いきれるものではないと。だからこそ、償い続けなければいけないと。

 

 ――この魔女が消えたからって、私の罪が消えるわけじゃないのにね。

 

 それでも、≪銀の魔女≫をこの世から根絶すれば、少しは償える気がしていた。そして、事実として一年以上、≪銀の魔女≫を見ることはなかったのだが――

 

「たあぁぁぁぁっ!」

 

 化鳥の如き気合を発し、杏子が跳んだ。

 大上段に構えた槍が、小気味良い音を立てて幾つもの分節へと分かたれていく。分かたれるだけではない、いかなる魔法か、大身槍はその柄を分かつたびに長さを増していった。

 身の丈に十倍する槍を、鞭のようにしならせて振り下ろす。振り下ろした勢いで分節を繋ぐ鎖が伸び、さらにその全長は増していく。

 穂先は言うに及ばず、柄の半ばの時点で槍の速度は音速を超えている。その速度は、なだらかな曲線を描く柄の部分にさえ、刃と見紛う切れ味を与えた。

 

 ざくり、と大包丁が骨付き肉を斬り落とすような音が響いた。

 それは鋼の強度を誇る≪銀の魔女≫の巨躯が、ただの一撃で両断された音だった。奇妙なのは、槍が命中した箇所から半メートルばかりずれて切断面が走ったことだが……。

 

「マミさんばかりに、獲物は取らせないよ!」

「もう、競争してるんじゃないんだから」

 

 伸びきった槍を引き戻すべく、上体を反らし腕を後ろに振る。

 その刹那だった。

 下方から伸びた液状の触手が、杏子の両の上腕を捕らえた。

 触手は、虚空下方に浮かぶ≪趣の魔女≫の両の眼窩から迸り出ている。

あP仮面を貫かれた傷痕、そこから溢れ出る赤黒い血液をゲル状に束ねた触手は、あたかもカメレオンの舌のように伸び、杏子の上腕部にぐるりと巻きついていた。

 酸性と毒性を併せ持つ≪趣の魔女≫の血液触手が、杏子の皮膚と肉を焦がしながら締めつける。

 

 そして、音もなく、杏子の両腕は肩口から切断された。

 切断された腕は、風に煽られる紫煙のように霧散していったが、その様子をマミが見ることはなかった。

 彼女の視界を、≪ハコの魔女≫のモニターが遮ったからだ。

 

 先ほど蜂の巣状に砕いたモニターには傷ひとつなく、新品のように輝いていた。そこには、彼女の精神から読み汲んだ様々な画像が浮かぶ。

 マミが≪銀の魔女≫を倒せなかったせいで、不幸になった親子。マミが願いを誤ったせいで、救うことができなかった両親。マミがパトロールを怠ったせいで、犠牲になった人々。マミが魔女と使い魔を狩りすぎたせいで、魔力を維持できなくなった魔法少女たち。

 モニターに浮かんでは消えるそれらの像が、マミの精神を抉るべく辛辣な言葉を発していく。マミの心の奥底から拾いあげたそれらの言葉は、正確にマミの悔恨を射抜いた。

 

「ごめんね……」

 

 視線を逸らすように瞳を伏せると、マミは小さな声で漏らした。

 しかし、それは彼女の心が折れたことを意味しなかった。

 

 ≪ハコの魔女≫の周辺を埋め尽くすように、ムラサキツユクサの小さな花々が開いていく。

 咲き誇るひとつひとつの花弁から、蚕が絹糸を吐くかのように細く鋭い、ピアノ線のようなリボンが噴出する。マミが普段使いにする柔らかく幅広の包み込むようなリボンではなく、鋭利で斬り裂くためのリボンだ。

 

「あらためてあなたに見せられなくても、私、いつも思い出して、いつも後悔しているの……だから効かないわ、ごめんね」 

 

 極細のリボンががんじがらめに≪ハコの魔女≫の体躯を絡め取った。

 魔女の体表に沈み込むように、じりじりとリボンが喰い込んでいく。

 

「なんて、嘘……。やっぱり、ちょっと辛いわね」

 

 告げる言葉がトリガーとなったかのように、リボンが一気に魔女を斬り刻む。

 ≪ハコの魔女≫の体躯は、指先に乗るほどの細かいキューブへと微塵に斬られ、空中に散らばった。

 

 四散する≪ハコの魔女≫の残骸の向こうに、杏子の姿があった。

 無傷な佐倉杏子の姿が。

 彼女は、両の腕で大きく伸びた槍を突き出し、下方に浮遊する≪趣の魔女≫の頭蓋を貫いていた。

 

「杏子ちゃん!」

「お、マミさんも見抜けてなかった? あたしの幻惑も冴えてきたもんだね」

 

 奥歯を見せて笑うと、魔女の体躯にめり込んだ穂先を≪アパシュナウト・トリデンティ≫と称される巨大な三叉槍に変形させ、魔女を内側から爆散させるように粉々に砕く。

 佐倉杏子は、結界に入った時点から、≪ロッソ・ファンタズマ≫で創り出した幻影を身代わりとし、自身は≪幻影の外套≫で姿を隠していた。そして幻影の隣に位置し、幻影が行った攻撃を全て本体で再現していた。

 

「多分そうだろうとは思っていたけど、自信はなかったから……おどろいちゃったわ。でも、それより」

「だね。アイツら、倒したはずだよね?」

 

 疑問への答えは、視線を下に落とすとすぐに見てとれた。

 闇色の太陽と接続されている箇所――≪ハコの魔女≫や≪趣の魔女≫は黒髪、≪お菓子の魔女≫は尻尾、≪委員長の魔女≫はワイヤー、≪銀の魔女≫は黒煙、それらを通じて魔力が供給され、再生を促していた。

 

 既に≪お菓子の魔女≫、≪委員長の魔女≫、≪銀の魔女≫はおおよその再生を果たし、たった今微塵に砕かれた≪ハコの魔女≫と≪趣の魔女≫も細胞分裂を思わせる動きを見せて再生を始めている。

 

「ふうん、あの黒いのが本命ってわけね」

「あれがソウルジェムで、魔女は身体って感じ?」

「もう、いやな言い方だわ……とりあえずっ」

 

 マミが右腕を薙ぐ。その動作に呼応してマスケットが生み落とされ、それぞれが魔弾を速やかに放つ。狙いは、魔女と球体を繋ぐ黒髪や尻尾だ。

 ざしゅり、と鈍い音を残して魔女たちを闇色の太陽と結ぶ命綱が切断される。だが、再生はいささかも速度を減じることなく継続された。

 

「ん……止まらないわね」

「他になんか繋がってるのかな」

『いや、物理的な繋がりではないね。おそらくは霊的世界で結びついている。物理的に切断しても無意味だ』

 

 キュゥべえのテレパシーがふたりに届いた。届いた方向に視線を向けると、少し後方のワイヤーを暢気な様子で歩くキュゥべえが見える。

 

「あら、キュゥべえ。こっちにもいたのね」

『ボクも結界に巻き込まれてしまってね。展開したのちに更に広がる結界というのは、初めての経験だ』

「街は大丈夫なのか?」

『結界に巻き込まれるのはボクや魔法少女、魔法少女候補などの魔法に関わる者だけだ。普通の人間は魔女に魅入られるか、使い魔にかどわかされるかでなければ、結界には入り込まないよ』

「それは良かったわ」

 

 マミは会話しながら、下方から急上昇してきた≪お菓子の魔女≫の突撃を闘牛士を思わせる動きで避ける。獲物を捕らえ損ねた《お菓子の魔女》の牙と牙が勢いよくぶつかり合い、甲高い金属音を響かせた。

 微かに口の端を歪めると、無詠唱無挙動でマスケットを一息に産み落とす。マスケットは、≪お菓子の魔女≫の長い胴体の真横に、ぴたりと銃口を突き付けた形で列をなして築かれた。

 そして魔女が身体をくねらせて避けようとする猶予さえ与えず、乾いた炸裂音が響く。

 蛇のような≪お菓子の魔女≫の体躯の中央線を側面から射抜いた数多の魔弾は、魔女の身体を上下に分割し、その息の根を止めた。

 

「繋がりを断ちきれないなら、もとを断てばいいわよね」

 

 力を失い落下する≪お菓子の魔女≫に一瞥もくれることなく、マミは闇色の太陽へと駆ける。遅れることなく、その周囲を十重二十重に杏子が固める。

 

「魔女はあたしがやるから、マミさんはあれを!」

「助かるわ」

「お安い御用ってね!」

 

 マミの周囲で杏子たちが唱和する。しかし、杏子の実体はそれらにはなく、透明となった上でマミの僅か前方を護るように駆けている。杏子の魔力波動に慣れ親しんでいるマミでようやく知覚できるレベルだ、魔女たちには見破るどころか、違和感を覚えることすらできないだろう。

 事実、新手として現れた魔女たちは幻覚に惑わされ、その牙で、その爪で空しく虚像を切り裂き、マミたちとすれ違う。

 そして、ひとたび交差してしまえば、踵を返して追いかけてもマミと杏子の速力は追撃を許さない。偶然にマミの方向を狙った魔女は、虚空から出現した大身槍の一閃で頭と胴を切断されて地に墜ちた。

 駆けながら、マミは大砲型のマスケットを作り出す。自走砲として併走するタイプであり、足を止めることなく形成することが可能だ。

 

「照準は足を止めてしなよ! 後ろはあたしがやるからさ!」

「ええ、お願い!」

 

 すれ違い、後方に置き去りにした一〇を超える魔女が、スピードを緩めたマミを襲おうと津波のように群がる。

 その魔女たちの前に、≪亡霊の外套≫を脱ぎ捨てた杏子が姿を現した。

 視界を埋め尽くすほどの魔女の群れを前に、彼女は怯むことなく不敵に笑った。

 

「あんたら、ここで通行止めだよ!」

 

 そして、彼女は正しく津波を弾き返す堤となった。

 二〇メートル級の長大な槍をしならせて風車のように振るう。それは魔女という犠牲者を飲み込む死の渦巻きであった。

 近寄る魔女はあるものは体躯を八つ裂きにされ、あるものは頭蓋を打ち砕かれ、次々と死に誘われていった。

 

 一方マミは、意識を完全に前に向けていた。大砲型マスケットの照準を闇色の太陽の中心に合わせ、なお目を凝らす。

 

「――そこね!」

 

 ほの暗い太陽の中に、人間の胎児を思わせる物体があった。

 それが≪渾沌の魔女≫の本体であると直感的に判断したマミは、照準を胎児の頭部に合わせる。

 赤子を撃つように思えてトリガーを引く指が躊躇う――その甘さを彼女は技の名を叫ぶことでかき消した。

 

「ティロ・フィナーレ!」

 

 音吐朗朗たる発声に大砲型マスケットの炸裂音が重なる。

 巨き魔弾の射出により空気が圧され、マミのロールした髪が仰天した猫の尻尾のようにピンと天に伸びた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 太陽が爆ぜ、雨のように飛沫が舞った。

 胎児の形をした≪渾沌の魔女≫はティロ・フィナーレの直撃を受け、産毛しかない頭部は爆散し、未発達な四肢も千切れ飛んだ。

 後方に迫っていた一四の魔女も、杏子の巻き起こした死の旋風に捕らえられ、屍と成り果てている。

 

 

 結界が崩壊しはじめないこと、≪委員長の魔女≫の張ったワイヤーが健在なこと、この二点からいまだ戦闘状態にあることは明白だった。

 ふたりはそれを、わずかに残っている数体の魔女によるものと考え、それらを倒せば事態は収束すると考えた。

 

 

 しかし、事実は異なった。

 いまだ残っている数体の魔女、≪渾沌の魔女≫からすれば枝葉末節に過ぎないはずのそれらが、無惨に散らばった胎児型の≪渾沌の魔女≫に、そして屍をさらす他の魔女たちに、魔力を送り込み再生を促していた。

 

 胎児の腹部が風船のように膨らんだ。

 その膨らんだ肉の下で蠢くようにして、頭部と四肢が形を成していく。

 最後に、空気が抜けていくように腹肉が縮み、胎児のかたちとなった。

 

「あの赤子の様なものからだけでなく、双方向に魔力を供給しあっている……?」

「助けあう魔女ってことかい。笑えねぇな」

 

 無造作に杏子が横薙ぎに槍を振った。

 鞭のように蛇行して伸びる大身槍は、再生途上にある魔女の幾つかを斬り裂き、そして満足したかのように杏子の手元へと収縮しつつ戻る。

 

「だったら、とことんまで叩き潰してやるよ」

「そうね。再生には少なからず魔力を費やしているはずよ。倒し続ければ、いつかは向こうの魔力も尽きるはずだわ」

『マミの推論はおそらく正しい。しかし、ダメだね』

「あ? どういうことだよ」

『結界が広がっているとさっき言ったよね。外にいるボクが観測したところによると、結界の広がる速度は加速度的に増している。今のペースで広がり続ければ、≪渾沌の魔女≫の結界は三分後には見滝原工業団地へ到達する』

「それは、鹿目さんに……」

『魔法少女が攻撃する、なんて事態とは比較にならない影響を《微睡みの魔女》に与えるだろうね。目覚める確率は高いと思うよ』

「マジかよ……」

 

 杏子が呆けたように声を漏らす。多節構造を取りつつも、鋼の芯が通っているかのように振る舞っていた槍が、こうべを垂れるように穂先を下に落とした。マミの言葉がなければ、杏子は手から槍をこぼしていたかもしれない。

 

「そうなると、全部の魔女をいっぺんに、それもソッコーで倒さないとね」

 

 杏子にウィンクを飛ばすと、マミは続けた。

 

「私がやるわ。準備する間、頼めるかしら」

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「ここ、どこですの……?」

 

 その頃、膨張を続ける結界に捕らえられ、夜宵かおりも結界内部に入り込んでいた。

 が、大勢には影響しないことであり、詳細は省く。


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