マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第二六話 マミさん、魔女の結界に侵入する

 風見野ターミナル駅のはずれの廃工場。

 梢ジュンが自宅ではなくこちらに向かったのは、治癒を得意とする夜宵かおりの存在をあてにしてのことであったが、残念ながら金髪の少女の姿は殺風景な廃工場の中にはなかった。

 ブルーシートの上に仰向けに寝かせられた千尋早苗は、荒い息を漏らし、横にいるジュンの手を強く握りしめて吐き捨てる。

 

「かおりのやつ、どこに行ったんだよ……!」

 

 かなり自分勝手な言い草だと自覚しながら、ジュンは得手ではない治癒魔法を懸命に行使していた。

 心の底からの癒しを願う気持ちが魔法にも反映されたのだろうか。日頃の彼女の治癒魔法からは想像できないレベルで効力が発揮され、早苗の全身に及んでいた火傷や裂傷がゆっくり、しかし確実に回復していく。

 

「ジュンちゃん、……ごめんね」

「いいから、変身解いて、楽にして」

 

 促されるままに、衣服としての用をほとんどなしていない魔法少女衣裳を解除し、濃紺のセーラー服、膝まである同じ色のプリーツスカート、紫紺のスカーフといった中学校の制服へと変化させる。創傷部が見えなくなるが、先程までの治癒で主だった傷は癒えており、あとは時間をかければ滞りなく完治すると思われた。

 

「もう安心だね。痛くない?」

 

 慈しみのこもった声色で問うジュンに対し、早苗はようやく痛みなく動かせるようになった身体を捻り、顔を隠すようにした。合わす顔がない、とその仕草は語っているようであった。

 

「ごめんね。ジュンちゃんに機雷あてたり、自爆して足ひっぱったり……。私がしっかりしてれば、ふたりで勝てたのに。本当にごめん、こんなんじゃ私、いない方がマシだよね……」

「そんなことないよ。早苗はいつもいつも、一生懸命頑張ってあたしを助けてくれてるよ。それに、戦うっていう意味だけじゃない。早苗がいるおかげで、あたしは優しい気持ちになれるんだ。だから、そんなこと言わないで」

「そんなに優しくされても……私、なにも恩返しできないよ、そんなのいやだよ……。ずっと助けてもらってばっかりで、ずっとかばってもらってばっかりで…………」

 

 早苗の声は次第に湿り気を帯び、最後には嗚咽となっていた。

 慰撫するように彼女の栗色の髪を梳きながら、ジュンは目を伏せて思案する。彼女を慰めるにはどうすればいいのか、と。

 その想いは、ジュンの心の底を常に流れていた気持ちと重なり、致命的な決断をもたらした。

 

「謝らないといけないのは、あたしの方なんだ」

 

 

 

 

 

 

 朴訥と自らの過去を語るジュンには、まず第一に、今ふたりの間にある嘘を全て拭い去り、真摯な関係を再構築したいという想いがあった。そして、力不足を卑下して消え入りそうな気配さえ漂わせる早苗に、ジュン自身も過ちを犯しており、早苗ひとりが思い詰める必要はないと理解して欲しかった。

 

「嘘ばっかり……どうしてそんな嘘つくの?」

 

 ただ、彼女たちの認識には幾つかの齟齬があった。

 いじめの事実は、ジュンにとっては既に記憶の領域に格納されている出来事だが、早苗にとっては、まだ一年も経っていない出来事であり、表面上はともかく、内面には生々しい傷痕を残していた。

 そして、ジュンにとってはいじめを使嗾したという事実は、早苗との間に広がる嘘の源泉であり清算したい過去であったが、早苗にとっては、傷痕を癒し覆ってくれていたジュンの優しさを根底から揺るがす一突きであった。

 一言で言えば、加害者と被害者の認識の違いとなるのであろうか。

 今となってはジュンは早苗の理解者であり、保護者であり、恋人でもあったが、それでもなお過去の行いはふたりの間に埋めようのない溝を残していた。

 

「本当のことなんだ。ごめん。許してくれとは言わない、許してもらえるように、これから早苗に誠実に向き合いたい」

「嘘……嘘だよ。あぁ、そうだ、これって優しい嘘ってのだね。私が引け目を感じないようにって」

「……ごめん」

 

 しばらく嗚咽を漏らしていた早苗だったが、やがて静かな声で語った。喜怒哀楽のいかなる感情も含まない、冷たい声だった。

 

「……知ってたよ。あの子だちがそう言ってきたから。でも、信じてなんてなかったよ……」

 

 ジュンによっていじめから助けられて程ない頃、いじめを行っていた少女グループが吐き捨てるように告げたことがあった。そもそも梢ジュンが自分たちに命令したことだ、と。その言葉を腹立ちまぎれの虚言と早苗は信じていた。

 

「ずっと騙していてくれたら、良かったのに……」

 

 しかし、ジュン本人の言葉と重なることで虚言と信じ込むことは出来なくなった。それは、早苗を支えていた想いの根底が崩れることを意味した。

 

「ごめんよ、早苗。これからずっと、一生かけてでも償う」

「……ごめんね、もう遅いみたい」

 

 告げる声には、やはり感情の色は見てとれなかった。既に彼女の心が死んでいるためか、それとも自らの末路を自覚したためか。おそらくはその両方――少なくとも後者は間違いない。

 早苗が力なく広げた小さな掌に、ふわりとソウルジェムが浮かび上がる。

 普段はセピアブルー、暗めながらも青空を思わせる色彩をたたえていたジェムは、漆器に墨を垂らしたような闇の色に塗りつぶされていた。その漆黒のソウルジェムが、胎動するかのように脈を打ち始める。

 

「逃げて――」

 

 それが、千尋早苗の発した最後の言葉だった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 早苗の掌に浮かんだソウルジェムが、痩せ細り捻じくれていく。

 宝玉のような質感を見せていたセピアブルーの珠は、空気を吸い取られた紙風船のようにくしゃくしゃに縮み、やがて巨大な力で搾り尽くされた『こより』のような一本の紐となった。

 早苗はその様を、自らの生命が奪われていく光景だと理解しつつも、身じろぎひとつすることなく静かな瞳で見つめた。

 そしてジュンは、向こうを向いた早苗の背中に頬を預けながら謝罪の言葉を繰り返していたため、この光景を見ることはなかった。

 

 ジュンが気付いたのは、ソウルジェムがグリーフシードへと孵り、自らと早苗の身体が孵化の衝撃で弾き飛ばされた後だった。

 早苗の身体を庇うように抱き締め、ジュンは薄汚れたコンクリートの床を数メートル転がる。

 

「なんだこれ……大丈夫? 早苗」

 

 古ぼけた工場だけに、何か引火性のものでもあって爆発したのかとジュンは理解しようとしていた。しかし――

 

「早苗……?」

 

 腕の中で眠るようにしている少女が息をしていないこと、先程まで自分たちがいたところに――瘴気に包まれて確とは見えないが――軽トラックほどもある異形が蠢いていること。

 その二点から、ジュンは突如現れた魔女が早苗を殺めた、という理解をした。そして、その理解を否定するように、呼吸を止めた早苗に治癒の魔力を注ぎ込む。

 

「大丈夫、まだ間に合うよ」

 

 心肺停止も、ふたり関係も、まだ回復できる。自らの言葉で自分を信じ込ませ、ひたすらに治癒を施していたジュンだが、不意に背に痛撃を受けた。

 瘴気に覆われていた魔女が、巨躯を露わにして攻撃を仕掛けてきたのだ。

 魔女は、動くことを拒むかのように地に根を下ろし、饅頭を思わせる楕円の体躯を蠢かせる。

 体躯から伸びるものは、ひとつの頭と幾つかの触手のみ。

 伸ばした触手を鞭のようにしならせてジュンの背を打つ、が、その攻撃は威力に乏しく、駄々をこねる嬰児の印象を与える。

 

「取り込み中なのが分からないのかよ! ……てか、お前が早苗をやったんだよな……」

 

 ぎらり、と彼女の瞳が光を宿した。抱き締めていた早苗の身体をそっと床に寝かせると、あやすような優しい口調で呟く。

 

「一撃でぶっ殺して、すぐに戻ってくるから……」

 

 早苗の抜け殻に声をかけ、早苗の成り果てたものに向かって大鎌を構える。

 彼女の思考は麻痺していた。

 早苗が絶命している事実を受け入れられず、眼前の敵を倒せば『ご褒美』として彼女の蘇生が叶うという、根拠のかけらもない思い込みを支えに幽鬼のように立ち上がる。そして、やはり幽鬼のように音もなく空を舞った。

 速さも鋭さもない跳躍だったが、魔女はそれ以上に鈍かった。

 触手による迎撃を受けることなく魔女の至近に降り立ったジュンは、皮膚も体毛も持たない魔女の首筋に大鎌の刃を力なくあてがう。

 威力をもって斬る必要はなかった。

 

「ぶったぎれ……。アダマス・ハルパー」

 

 ジュンの呟きに呼応して、《絶対切断》の魔法が効力を発揮する。

 魔女の腐肉のような首筋に、するりと、なんの抵抗もなく刃が沈んでいく。炎であぶったナイフでバターの塊を抉るように、易々と、深く。

 程なく刃は魔女の首を両断する。ごとり、と音をたてて頭部が床に落ち、首の切断面から赤い体液が溢れてくる。

 

 だが、魔女にとっては首という器官の切断は必ずしも致命傷とはなり得ない。

 床に転がる魔女の頭部をジュンが蹴り飛ばし、横たわる早苗の抜け殻に振り向いたタイミングで、魔女の魔法が発動した。受けた手傷をそのまま相手に返す、千尋早苗が≪等価反撃≫と呼んだ魔法だ。

 ジュンの首に横に一筋、赤い線が走った。

 次の瞬間、その線を境界として、彼女の頭と胴体が分かたれる。

 

 魔法少女はソウルジェムを砕かれない限り死ぬことはない――その事実を知らない彼女の魂は、首が落ちたことで死を受け入れた。死を受容し、意識が途絶えるまでの数秒の間、彼女が瞳に映したものは、鈍重な巨躯を揺すって此方へ迫る魔女の姿だった。

 ごめん、と喋る形にジュンの唇が動いたが、それが音となることは、もはやなかった。

 

 

 

 

 

 魔女の首筋の切断面が泡立った。水平に切り落とされた腐肉、その表面に満ちる赤い体液がマグマのように泡立つ様は、地獄にあると言われる血の池を想起させる。

 やがて、切断面から隆起した液体が凝固して大きな肉球を成した。肉球には、瞳も鼻もなく、口を思わせる裂溝だけが器官として存在した。牙もなければ舌もない、ただの裂け目をゆっくりと開くと、赤い液が上下にだらしなく糸を引く。

 魔女は体躯を前に傾けると、それを口吻として、ジュンの身体を貪り始める。

 肉のすり潰される音、骨の噛み砕かれる音だけが、腐臭の満ちる廃工場に響いていた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 ふたりを説得する、マミとそう約した夜宵かおりが廃工場に辿り着いた時には、全てが終わっていた。

 梢ジュンであった肉体は僅かに四肢の切れ端を残すのみであり、捕食を終えた魔女は何をするでもなく無貌の顔を俯かせてたたずんでいた。ただ、事実を知らないかおりにとっては『終わっていない』と感じられる事象もあった。

 それは、制服姿の千尋早苗が、傷一つない状態で床に倒れていることだ。

 かおりにとってその身体は、早苗の抜け殻ではなく、気絶している早苗と思われた。幸いにして、魔女から離れた位置だ。

 助けなければならない、駆けつけて守らねば――理性でそう判断した彼女がとった行動は、しかしその場で膝を屈しての嘔吐であった。

 隙だらけの姿で両膝を折り、手で抑えきれない程の吐しゃ物をコンクリートの床にぶちまける。萌黄色の鮮やかな装束に黄ばんだ色の染みが幾つも浮かぶ様を見つめると、彼女は自嘲めいた表情を見せ、

 

「こ……」

 

 小間物屋を開いてしまいましたわ、といつものように澄ました口調で呟こうとしたが、溢れたもので喉がつかえて声にならなかった。それが切っ掛けとなったかのように涙がこぼれた。頬が熱く感じられるような、温度のある涙だ。

 一粒こぼれると、堰を切ったように涙が溢れる。かおりは敵前であることを忘れて、両手と膝をついて嗚咽した。

 

 自失状態の夜宵かおりを現実に引き戻したのは、魔女の一撃だった。

 魔女は伸ばした触手で撫でるように、彼女の肩口を叩いた。がらんとした廃工場を、彼女は数メートル吹き飛ばされて壁にしたたかに身体を打ちつける。無論触手で打たれた肩も肉が裂けていた。

 それらの痛みが、かおりに正気を取り戻させた。

 正確には、身近な人間の死という初めての経験からまだ立ち直ってはいない、が、それ以上に優先すべき事柄が、彼女に平常心をもたらした。

 壁を支えに立ち上がると、視線を早苗に向ける。

 飛ばされたことで魔女を挟むような位置関係になってしまっているが、距離としては一〇メートルもない。

 

「最優先は千尋さん……ですわよね」

 

 呟くと、牽制のつもりで散弾状のニードルを魔女へ放つ。

 肉塊を思わせる魔女は、見た目の通りに鈍重であった。避けようとする動きさえ見せず、巨躯の胸にあたる部分をニードルが貫くに任せた。

 手強くはない、とかおりは判断する。

 先の触手の攻撃も不意を突かれなければ避けるのは難しくないだろうし、そもそも直撃を受けても致命傷には程遠い威力だった。

 攻撃も防御も脅威でない以上、かおりの判断は妥当なものだ。むしろ『弱い』と断じなかっただけ、自分を戒めていると言ってもいいだろう。

 だが、次の瞬間その評価は誤りだと認識せざるをえない出来事が発生する。

 

 かおりの胸に六つ、千枚通しで穿ったような傷が等間隔で生まれる。

 外部からの干渉を受けていないのに突如として創傷が発生する様は、世界宗教でいう聖痕を思わせる。ただ聖痕と異なり、この傷には激しい痛みと出血が伴っていた。

 痛覚を遮断し、刺創痕を治癒しながら、かおりは思考していた。

 傷の種類――鋭利なニードルで貫いたような刺創。

 傷の生まれる場所――魔女に命中した場所と同じ胸部。

 六つの傷が等間隔――スプレッドニードルの本数、および特性。

 まるで受けたダメージをそのまま返すような攻撃だ。彼女の知識の範疇では、そのような攻撃は千尋早苗の使う≪等価反撃≫の魔法でしかなしえない。

 

「……千尋さんの魔法?」

 

 確かめる目的で、散弾式のニードルから通常のボルトへ変化させて魔女の触手を狙い撃つ。

 魔女は回避という選択肢を初めから有していないかのように、クロスボウ・ボルトを触手の根元に近い箇所で受けた。予想が正しければ腕部にダメージが来る、かおりはダメージに備え、両脚に力を込めた。

 着弾から一秒程度の時間が流れる。

 果たして、かおりの右上腕部に創傷が発生した。生じた刺創痕を治癒魔法でケアしながら、夜宵かおりは――経緯はともかく――魔女が千尋早苗の魔法を行使してきていることを確信した。

 

「……厄介ですわね」

 

 かおりは攻撃を控え、散漫に繰り出される触手を躱しながら、早苗のもとへ向かった。

 魔女がなんらかの術で早苗の魔法を奪っているのなら、早苗を覚醒させることで状況を打破できるかもしれない、と願うように想いながら。

 しかし、彼女の手が早苗の躯に届こうとしたところで、世界がその在りようを変えた。

 かおりの周囲の全て、廃工場の床や壁が、油絵に描かれた風景のように変化した。僅かなでこぼこを残すのみで、近くにあるパイプも遠くにあるブレーカーもひとつの平面に落とし込まれる。

 その平面が、剥いた蜜柑の皮を巻き戻すかのように、一定の間隔で千切られては内側、即ち魔女に向かって折り畳まれていく。

 夜宵かおりも、千尋早苗も、そして魔女も、その変異に飲み込まれて現世から姿を消した。

 後には、魔女の結界を示す複雑な文様のみが、虚空に浮かび淡く明滅するのみだった。

 

 

 

 

 次の瞬間、夜宵かおりは見慣れた雰囲気の見知らぬ場所に独りでいた。

 壁も、床も、天井もが精神疾患者が施したような奇怪なコラージュに彩られ、無機物と有機物の境界にあるような質感で見る者の情緒を不安定にさせようとする。

 

「千尋さん……?」

 

 救うべき少女の名を呼ばわった声は、壁に吸い取られるように小さくなって消えていく。周囲を見るが、悪趣味な壁と天井が続くのみで、先程まで指呼の間にあった少女の姿も、また魔女の姿もなかった。

 

「なんだか結界に入ると、無性に闘志がわいてきましたわ」

 

 半ばまでは虚勢であるが、半ばは真実である。魔法少女としての使命感を強く自覚している彼女にとって、結界内部にいることは自身を奮い立たせ、心を静かにさせる効果があった。

 何より、梢ジュンの無残な亡骸を見ないですむのがありがたい。見えないからといって事実が変わるわけではないのだが、人間は表面的に目に見えるものを重視してしまう生き物だ。

 武器を散弾式に戻したかおりは、左右に上下にと捻じくれ分かれて迷路のように続く通路を警戒しながら進む。

 早苗の身を案じれば全力で駆けたいところだが、見通しの悪い通路を無警戒に走るのは危険に過ぎる。

 かおりの警戒態勢は無駄ではなく、曲がり角や障害物の影からの使い魔の襲撃を幾度か退けた。安っぽいマネキンのようなフォルムの使い魔は、常に三体で徒党を組んで襲ってきたが、その程度の数的優位は魔法少女の前ではアドバンテージたりえなかった。

 

「それにしても、ずいぶんとややこしい構造ですわね……」

 

 呟いたのは、結界に取り込まれて一五分が経過した頃だった。

 時折、見晴らしのいい吹き抜け状の場所に出るのだが、そこで上下に視線を向ければ、既に通った場所を僅かに高度と角度を変えて歩いているだけと気付かされる。

 そして、そう気付くと、今進んでいる特徴に乏しい通路が、既に歩んだ場所を逆行しているだけではないのかと疑心が生まれてくる。

 かおりは幾度となく足を止め、時に引き返して道を選び直し、迷路然とした結界をさまよった。

 だが、結果的にはこの時間の浪費は、夜宵かおりにとっては良い方向に作用した。そして、巴マミと佐倉杏子にとっては、悪い方向へと作用することになる。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 僅かに時間を遡る。

 巴マミと佐倉杏子は、隣町の魔法少女が去った方向と彼女たちの魔力の足跡を頼りに風見野を訪れていたが、やはりと言うべきか、彼女たちを見つけ出すことは出来ずにいた。

 

「杏子ちゃん、地元なんだから頑張って」

「地元っつったって、このへんはガラ悪いから行っちゃダメって言われてたからなぁ」

 

 家屋の屋根から屋根へ、重力を感じさせない動きで飛び移りながら、ふたりは言葉を交わす。もちろん高速で移動する魔法少女同士、日常の会話をするような声量の音が届くはずもなく、実態はテレパシーによる思考の交感だ。

 

「魔力を探すんだから、来たことがあるかないかなんて関係ないわよ」

「じゃぁ、地元なのも関係ないじゃん」

「それもそうね」

 

 ふふっと笑う声さえ届くのは、ふたりの間のテレパシーがそれほどに固く結ばれているからなのだろう。マミの蕩けるような笑い声につられて杏子も口元を歪めた。

 と、ふたりの笑みが同時に消えた。

 大気中の魔力が波打つのを感じたからだ。それは強く激しく、そして禍々しい波動だった。街を歩く人々は悪寒や怖気として感じ取ったであろうその波動を、ふたりは的確に理解した。――魔女の結界が生まれた余波であると。

 

「杏子ちゃん!」

「あぁ!」

 

 それだけの会話で『魔女の結界探しを優先して、被害が出る前に魔女を倒しましょう』との意思疎通をする。前述の固く結ばれたテレパシーすら、ふたりには不要のものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 幸いにして結界の場所はふたりの位置から近く、最初からソウルジェムは反応を示していた。立体的な動きを加えつつジェムの反応を見ることで、水平方向のみならず距離も推し量りながら、ふたりはすぐに結界の入り口がある廃工場に辿り着いた。

 廃工場には先ほど行われた惨劇の痕跡は残っておらず、ただ虚空に結界の入り口を示す複雑な文様が浮かんでいた。

 明滅する文様には一切の歪みなく、まだ何人の侵入も許していないことが伺えた。

 

「うん、間に合ったわね」

 

 魔法少女による力尽くの侵入はもとより、魅入られた犠牲者が入ることでも結界の入り口は多少は揺らぐ。それがないということは、結界に囚われた犠牲者はいないと判断していいはずだった。

 

「縄張り荒らしみたいで気が引けるけどね」

「あら、犠牲者を出さないことが最優先だわ」

 

 雑談をしながら、文様に向けて無造作に手を突き出す。それだけで、結界の入り口は中央に一筋の裂け目を作った。裂け目は、魔法少女の手を畏れ避けるかのように左右に広がり、程なくして文様は無残に引き千切られた。

 

「それはあたしたちの考えだからね。まぁ、揉めるようならグリーフシード返せばいいか」

「そうね。それは揉めなくてもお返しした方がいいわ。杏子ちゃんが初めて見滝原に来た時みたいに」

 

 その言葉に、杏子は肩を竦めてみせると先んじて結界へと侵入していった。

 

 

 

 

 

 

 ふたりは結界を駆けた。

 速力は夜宵かおりの五倍以上にもなる。しかし決して無警戒に駆けているわけではない。より長けた感知能力、より優れた反応速度、より柔軟な対応力を持つ彼女たちにとっては、これが充分に警戒しながらの移動なのだ。

 その証拠に、数度に及ぶ使い魔の待ち伏せ、不意打ちも全て未然に退け、場合によっては先手さえ取った。

 速力の差に加え、ふたりは吹き抜け構造となった箇所でショートカットも行い、的確に魔女に向かって進んだ。

 結果として、マミと杏子は夜宵かおりよりも先に結界の最深部に到達し、魔女と対峙することとなった。

 

 結界のあった廃工場をふたつみっつ容れてもまだ余りそうな巨大な広間。

 そこに鎮座する魔女を見て、マミは巨大な赤子という印象を受け、杏子は巨大な蛙という印象を受けた。

 皮膚も産毛も持たない肉の塊に、巨躯に見合わない未発達な四肢を投げ出し、短く太い首の先には、頭部に相当するであろう無貌の肉塊がぶらさげられている。

 

「初めて見る魔女ね」

 

 自室にあるお手製の魔女ノートと寸分違わないものが、マミの記憶の中にはある。それを手繰り確認するが、眼前の魔女に関する記録は見いだせなかった。

 それが一足飛びに産まれたての魔女であることを示すわけではないが、その可能性を想うと胸にちくりとした痛みをおぼえる。

 

「さっさと、楽にしてあげようか」

 

 大身槍を横に構えた杏子が、マミの痛みを取り除く様に明るい声で告げた。

 魔女――とりわけ魔法少女から堕天した産まれたての魔女――を倒すことに躊躇いを感じるのはふたりとも同じであり、それを克服しているのもまた同じである。

 しかし、倒すことを『救いを与えること』を肯定的に理解している杏子と異なり、マミは幾つかの言い訳を以って自分の心を押さえつけているに過ぎず、少なからず痛痒を未だに抱いていた。

 

「えぇ、でも油断はせずにね」

 

 小手調べとして、マミは数十のマスケットを浮かび上がらせた。操者の性格を表すように縦横に規則正しく整列したマスケットは、空中に留まり発射の命令を待つ。

 すっ……とマミの指が魔女の胴体を指すと、マスケットの銃口が一斉にその方向に向けられる。

 かつて、一年ほど前ならば、≪無限の魔弾≫と称していた規模の攻撃だが、今のマミにとっては異なる。この程度では≪無限≫足り得ず、無銘の小技に過ぎない。

 

 

 夜宵かおりが、途中で見つけた千尋早苗の躯を抱きかかえて最深部に到達したのは、ちょうどその時だった。

 瞬時にして状況を理解した彼女は、マミの攻撃を制止すべく声を張り上げた。

 しかし僅かに遅く、その叫びにも近しい声は、乾いた発砲音に重なってかき消されていった。


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