マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第三話 マミさん、杏子の様子を訝しむ

 聖誕祭まで二週間あまりとなった土曜日。

 

 見滝原の駅前や目抜き通りはもとより、住宅街にもずいぶん賑やかなイルミネーションが目立つようになっていた。

 マミと杏子はソウルジェムを携えてパトロールをしているが、陽気な雰囲気に魔女も遠慮しているのか、今日は反応が全くない。

 それもあって、パトロール半分、散歩半分な感じで、ふたりは歩いていた。

 

 通りに飾られている大きなクリスマスツリーの前で歩を止めると、信者でもないのに現金だよね。と杏子はこぼす。

 しかしそう言う杏子の表情は明るく、街がクリスマス一色に染まることが満更でもないことが見てとれた。

 

「あ、そうだ、マミさん、クリスマスの礼拝にも出てみない?」

 

 来る人の半分近くは信者さんじゃないから、気にしないで大丈夫、と言葉を連ねる。

 

「そうなのね。ちょっと興味はあるわ」

「モモも喜ぶしさ、ぜひ来てよ」

 

 モモの名前を出すと口説けると理解しているのか、杏子は妹をダシにしてマミを誘おうとする。

 

「んー、でもイブは彼氏と……」

「いるの?」

 

 年相応にそういった話に興味があるのだろう、目を輝かせて迫る杏子に苦笑すると、いるわけないじゃない、と返す。

 

「佐倉さんだって、そんな時間ないでしょ」

「だよね」

「なので、イブはお邪魔させて頂くわね」

 

 その言葉に、満面の笑みを浮かべると、大歓迎だよ、と両手を合わせた。

 

「ふふ、可愛い後輩とイブなんて楽しみね」

 

 両の手袋を口元にあて、深呼吸するように白い息を吐き出すと、マミも微笑んだ。

 

「あ、そうだ。モモちゃんといえば、今日はちょっと早めにパトロール切り上げていいかしら?」

 

 

 

 

「お土産なんて気を遣わなくてもいいのに」

 

 今日は杏子の家を訪ねる予定になっているから、一旦マンションに戻ってお土産にお菓子を焼きたい、とのマミの意見を受けて、ふたりはパトロールを切り上げていた。

 テーブルで紅茶を味わう――正確には味はあまり分からないのだが――杏子が、キッチンでてきぱきと動くマミに声をかける。

 

「でも、モモ喜ぶよ、あいつ甘いもの大好きでさ」

「佐倉さんもでしょ。ハーフホールを一人でペロリじゃない」

 

 食べっぷりが良くて作り甲斐があるわよ、とマミは笑みを漏らす。

 残りのハーフホールを誰が食べているのかについて、杏子は明確な答えを持っていたが、とりあえず黙っておくことにした。

 

「マミさんの作ってくれる料理も、お菓子も、紅茶も、すごく美味しいよね」

 

 お世辞でなく、杏子はそう思う。

 主婦歴の長い母と比べても、好みの差はあれど完成度の点では負けていないし、なにより優しい味がする。

 

「子供の頃から、得意だったの?」

 

 何気ない杏子の問いに、マミは唇に指をあてがうと、んーと考え込む素振りをしてみせた。

 

「紅茶は父の、お料理――特にお菓子作りは、母の趣味だったの。だから小さい頃から、近くで見てきたわ」

 

 まだ小学校に入る前から、マミはキッチンで何かを作る両親にまとわりついていた。

 今にして思えばずいぶん邪魔になったんだろうなと思うが、両親は決して邪険にせず、優しく抱き締めてくれた。

 愛されていたことを実感する。そして、両親にはもう返せなくなってしまった愛情を、せめて皆の幸せを守ることで、と考える。

 

「でも、本格的に練習したのは、事故の後かな……。少しでも両親を傍に感じられる気がして」

「ごめん、悪いことを」

「ううん。私が勝手に話しただけ。それに佐倉さんが食べてくれて嬉しいのよ」

 

 オーブンからパイを取り出して調理台に置き、左手のミトンを外す。

 

「誰かが食べてくれるって、それだけで作り甲斐があるし」

 

 そこで言葉を切ると、ブラウスの裾をもちあげて、露出したお腹の肌を指でつまんで見せる。

 

「ひとりで食べると、ちょっとね……」

「えー、全然大丈夫だよ。マミさんスタイルいいじゃん」

 

 ちょっとはこっちにも譲って欲しいくらいだよ、と内心で独りごちる。

 

「そう? でも一年前から体重二キロも増えたのよねぇ。身長はほとんど伸びてないのに……」

 

 深い溜め息をつくマミだったが、杏子には、どこが増えたのか容易に想像できた。

 でもイラッとするから言わない。と杏子は独語し「気のせいじゃないかなぁ」とだけ応えた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「マミおねえちゃん、これ、おいしい!」

 

 先ほどまで食卓を彩っていたのは先週より明らかに豪勢な夕飯。今はその食器は下げられ、テーブルの上にはマミが作ってきたピーチパイと桃のタルトが並び、甘い香りが鼻孔をくすぐっていた。

 ぷすり、と一口サイズに小分けにされたピーチパイをフォークで刺すと、口元にお弁当を付けたモモがマミに笑いかける。

 

「気に入ってもらえて良かったわ。いっぱい作ってきたからどんどん食べてね」

 

 半ば無責任に勧めるマミに、杏子が口をはさむ。 

 

「モモ、夕飯も食べたんだから、ほどほどにするんだよ」

「あまいものは、べつばらだもん!」

 

 どこで覚えたのか、モモはそんな言葉で姉の忠言を跳ねのけると、パイをもぐもぐと頬張る。

 

「よほど巴さんのお菓子が気に入ったんだね。でもモモ、食べ過ぎてお腹を壊さないようにするんだよ」

「はーい」

 

 喉を鳴らして飲み込むと、父の言葉には素直に返事をする。

 同じことを言っているのに父さんにだけ、とこぼす杏子。しかし口でそう言いつつも、ハンカチでモモの口元を拭ってあげる様に、マミは「お姉ちゃんって偉いわね」と眩しいものを見るような表情を浮かべて呟いた。

 だが、耳ざとくマミの呟きを聞きつけたモモが「えらくないよー」と否定すると、マミの表情は苦笑に変わっていた。

 

 

 

 

 七分咲き、といったところだろうか。

 帰り道、遊歩道の山茶花は、淡い紅色の花を誇らしげにたたえ、ふたりの目を楽しませていた。

 もう少し経てば、ともに植えられている蝋梅の香りも楽しめるのだろうが、こちらはまだ蕾が膨らみ始めたところだ。

 

「すっかりマミさんに懐いてたね」

「モモちゃんのお口に合ったようで、本当に良かったわ」

 

 今日のお菓子は、普段ふたりで食べているものより、卵黄やクリームの分量を増やして「子供向け」にしてあった。その甲斐があったと、マミは微笑んだ。

 

「次は、クリームチーズのパウンドケーキでも食べてもらおうかしら」

「あ、じゃぁ明日にでも味見するよ!」

「もう、味見じゃなくって、佐倉さんが食べたいだけなんじゃないの?」

 

 正しく本音をつかれた杏子は、視線を宙に泳がせて話題を変えた。

 

「ここしばらく、魔女も使い魔も大人しくていいね」

「そうね。早く可愛い後輩がロッソ・ファンタズマって叫ぶところを見たいんだけど」

 

 この話題もダメだ、と肩を落とし、次の話題を探す。

 

「ねぇマミさん、ここんところ、あたしのこと『後輩』って言うよね」

「え、だ、だめだった?」

 

 杏子としては少し他人行儀じゃないかと言いたかったのだが、言葉の意図を真逆に受け取ったマミが、裏返り気味の声をあげる。

 

「佐倉さん友達じゃないって言ったから、じゃぁ後輩なのかなって……」

 

 その言葉を受けて、杏子は「んー」と考え込む。

 

「……佐倉さん?」

 

 マミとしては友達と言いたいが、それを否定されたので先輩後輩の間柄でと思っていた。それまで否定されては、どういった関係と考えれば良いのだろうかと途方に暮れてしまう。

 

「やっぱ言わないと伝わらないよね」

 

 歩を止めると、マミの方に向き直って瞳を閉じる。

 そして、大きく息を吸うと意を決したように瞳を見開き、息継ぎもせずに早口でまくしたてた。

 

「あたしはマミさんのこと、友達以上の人って思ってる。勝手だけど、お姉さんって思ってるんだ」

 

 判決を待つ被告のように、瞳を閉じ、こうべを垂れてマミの反応を待つ。

 マミの性格を考えると、すげない態度を取られることはないだろうが――。

 風が三度吹き抜けるまでそのまま待ったが、反応はなかった。

 

「だから、友達じゃないって言ったんだ」

 

 杏子は、覚悟を決めて言葉を連ねると、おそるおそる瞼を上げ、マミの顔を見ようとするが――。

 突然に身体を前のめりに引き寄せられ、マミの胸に顔を埋める形で抱き締められた。

 

「マミ、さん……?」

「……ありがとう」

 

 それだけ呟くと、マミは杏子を抱く腕にさらに力を込めた。

 マミは後悔していた。

 自分は、杏子と仲良くなりたいと思いながら、杏子の言葉の意味も分かろうとせず、距離を取ろうとしていた。

 拒否され、傷つくのを恐れていたから。

 自分は傷つかないように壁を作って、誰からも否定されないような理想を演じようとしようだなんて――誰とも分かり合えるはずがなかった。

 大きな喜びと少しの慚愧の念がこもった滴が、瞳から零れる。

 顔をあげようとする杏子。マミはあごを彼女の頭の上に乗せて押さえると、もう一度ありがとうと呟いた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 翌日の未明。

 穏やかな気分で眠りについていた杏子は、邪悪な魔力の波動を感じて目を覚ました。

 壁掛け時計に目を凝らす――まだ夜明けまでは三時間足らずはある。

 

『杏子! 大変だ!』

 

 杏子の脳裏に少年の声が響く。キュゥべえの声だ。

 少女は、二段ベッドの下側で寝息をたてている妹を起こさないよう、猫の様に物音ひとつ立てず二段ベッドの上側から降りる。

 

『めちゃくちゃ近いね。この反応は魔女?』

 

 寝乱れた妹の掛け布団を直しながら、声ではなく思念でキュゥべえと会話する。

 

『そのようだ。魔女の接吻を受けた人達が今、結界に入っていった。急いで来てくれ!』

 

 魔女の接吻とは、魔女に魅入られた犠牲者の身体に現れる証であり、その模様は結界のそれと同じくする。

 魅入られた犠牲者は、魔女の意のままに操られ、暴行、自殺、殺人などの凶行に及ぶ。

 結界に入っていった、ということは、魔女は犠牲者を自ら喰らうつもりなのだろう。

 杏子は、現地にいるであろうキュゥべえに「わかった」とテレパシーで告げる。

 壁にかけている紺色のウィンドブレイカーを取ると、寝間着の上から羽織り、テラスへ続く窓をそっと開けた。

 冷たい風が入り込み、まとめられていない赤髪が闇にたなびく。

 

「ん……」

 

 奥のベッドから、むずがるような妹の声がした。

 杏子は素早くテラスに出る。後ろ手に窓を閉め、妹に向けて寒がらせた謝罪を呟く。

 手を後頭部にかざすと、燐光が踊り、髪がいつものようにポニーテールに束ねられた。

 

 父の教会は、杏子の自宅の右側に隣接して存在している。

 テラスは自宅正面側なので、右を見れば教会の入り口が視界に入る。見やると、入口の門がだらしなく開け放たれていた。

 怒りの表情を浮かべ、杏子はテラスから身を踊らせた。

 

 

 

「キュゥべえ!」

 

 声に出して呼びかけつつ、魔法少女姿の杏子が教会の扉口をくぐり側廊を走ってくる。

 採光塔から入る僅かな月明かりしかないが、魔法少女には十分な明るさだ。

 

『ここだよ、杏子!』 

 

 キュゥべえに言われるまでもなかった。翼廊に浮かぶ禍々しい結界は見逃しようがない程に自己主張している。

 

「なんてとこに結界作ってくれるんだよ!」

 

 父の大切な信仰の場所をと憤ると、右の手に魔力を集中させる。それに従い、深紅の燐光が蛍のように手の周りを泳ぐ。

 

『一人で大丈夫かい、杏子?』

「不安がないと言うと嘘になるけど、やるしかないよね」

『マミを呼びに行ってこようか?』

「いや、大丈夫」

 

 マミさんとの共闘続きで、ひとりきりでの魔女退治はしばらく出来ていない。けれど、マミさんが行ってくれる訓練のおかげで、過去のあたしとは比べ物にならない戦闘力があるはずだ――杏子はそう確信すると、結界に近寄り、手をそっと伸ばす。

 掌と結界が触れ、軽金属が燃え尽きるような眩しい光が発生した。

 その光は、壁面のステンドグラスの模様を浮かび上がらせ、隣接して位置する家屋の窓をも朱の色に染め上げる。

 

 

 

 結界の奥に、魔女に魅入られた一団がいた。

 そのほとんどが、見覚えのある顔であることを杏子は認めた。

 毎週の礼拝で、熱心に通ってくれている信者たちだ。

 いつも熱心に父の教えに耳を傾けていた紳士。モモと杏子に果物を頻繁に差し入れてくれた老婦人。礼拝の歌で綺麗な声を聴かせてくれた女学生。

 

「私たちには神様の教えなんて必要なかったんだ」

「そんなものに頼らなくても、簡単に幸せになれる方法があるんだから」

 

 彼らは口々に信仰への怨嗟の声をあげると、聖書を破り、その紙片を床にばらまいていく。さらには紳士が灯油缶を傾け、紙片に油を浸み込ませていった。

 

「なんてことを……」

 

 聖書を傷つけるという行為に、杏子は身体が震えるほどの怒りを覚える。が、彼らは魅入られた被害者なんだ、と自分に言い聞かせて心を鎮ませた。

 悪いのは彼らではない、全ては魔女の――

 

『杏子、火をつける気だ!』

 

 キュゥべえに指摘されるまでもなく、杏子も気付いていた。

 老婦人が、今の時代には珍しい軸木の頭部に赤い火薬を宿したマッチを、箱の側面に擦らせようとしていることに。

 マッチに火がつき、下に落ちれば、油を充分に蓄えた紙片は激しく燃え上がり、その上に立つ信者たちを焼き尽くしてしまうだろう。

 

「させるもんか!」

 

 杏子は幻惑魔法を使い、老婦人の手中のマッチと箱を、チョコ菓子とその箱に『上書き』した。

 次いで、床に散乱する油に湿った紙片を、シロップに濡れたパンケーキへと『上書き』する。

 あくまで幻惑魔法で視覚を騙しただけで、実際にそこにあるものは何ひとつ変化していない。

 だが、老婦人がその見せかけの変化に気を取られた隙に、疾風の如き勢いで走り寄った杏子が老婦人からマッチを奪う。

 

「あたしはマミさんみたいに、優しく止めてあげられないからね!」

 

 叫ぶと、手刀で魅入られた人々の首筋を叩き、気絶させていく。

 

 ――眠りの魔法、きちんと練習しとけば良かったな。

 

 幾度となく一緒に祈りを捧げた信者たち。彼らの苦悶の表情を見ると、杏子はそう後悔する。

 今度、マミさんにお願いしてしっかり教えてもらおう、と内心で決意したところに、上から急降下し襲いかかる影があった。

 微かな物音さえない一撃だったが、殺気を感じたのか、それとも空気の振動を知覚したのか、後方に跳ぶ杏子。

 一瞬の後、先程まで杏子の居た場所に、真上から土色の嘴が突き刺さった。

 

「お出ましかい、魔女め! 覚悟は出来てるんだよな?」

 

 杏子を襲った魔女の姿は、人と同じ程度の背丈を持つシマフクロウのようなものだった。

 野生のフクロウに数倍する体躯に、血の様な紅い瞳、頭には丸笠帽子をちょこんと乗せたその姿は、どこかユーモラスささえ感じさせる。

 

「あたしの父さんの大切な教会を、ふざけた呪いで汚しやがって、絶対にタダじゃすまさねぇ!」

 

 杏子の怒号を気にする風もなく、魔女は嘴を引き抜くとちょこんと床に座る。

 そして、フクロウが行うように首から上をゆっくりと回転させながら、下卑た哄笑を響かせる。

 魔女の顔の回転は、床に倒れる信者たちを捉えたところでピタリと止まった。

 犠牲者を喰らうことを優先したのか、翼を広げると音もなく羽ばたき、宙に舞いあがると信者達へ向けて滑空を――

 

「させるか!」

 

 約二メートルと、杏子の得物は槍としては短い部類に入る。しかし、それ故に投擲には向いている。

 空気をつんざき、杏子の投げ放った大身槍が飛ぶ。それは魔女の翼を射抜き、魔女を地に叩き落とした。

 地に墜ちた魔女はキィキィキィキィと耳を覆いたくなるような甲高い声を撒き散らし、槍に貫かれた翼を二度、三度と暴れさせる。

 床に翼が打ちつけられるたびに、羽根がはらりと落ちた。

 そして、翼から抜け落ちた羽根の一葉一葉が、使い魔――封筒に小さな翼を生やした存在――に変異し、杏子に向かって突進した。

 

「ザコがッ!」

 

 杏子は新たな大身槍を掌中に生み出す。そしてそれを風車にように回転させ、迫りくる使い魔を片っ端から弾き落とした。

 ひとしきり弾き落として使い魔の攻撃が止むと、杏子は大きく息を吸って叫んだ。

 

「必殺! ロッソ・ファンタズマ!」

 

 きちんと叫んだよマミさん、と心の中で呟くと、訓練でのマミの言葉を思い出す。

 

『佐倉さんは、ロッソ・ファンタズマを回避、囮に使っているけど、攻撃にも使うととっても強いと思うわよ』

 

 生み出された十を超える幻影が四方へ散る。

 

『だって、幾つもの幻影が同時に攻撃してきたら、どう避けていいか、どれを防御すればいいか、分からないでしょ?』

 

 幾つかは使い魔の攻撃により消滅するが、残った幻影が魔女を囲み、大身槍を構える。

 

『ちなみに、タイミングを合わせた同時攻撃は、なにか決め台詞を叫ぶといいわよ』

 

 最後のマミの言葉はあくまで提案なので、杏子は敬して無視することにした。

 

「くらえ!」

 

 タイミングを合わせて複数の槍撃が、前、横、後ろ、さらに上からも魔女に襲い掛かる。 

 魔女は正面の槍を本物と思ったのか、それとも他を見る余裕もなかったのか、身体を右に跳ねて避けようとする。

 杏子にとっては幸運、魔女にとっては不運にも、右から槍を突き刺す杏子こそが本体であった。

 魔女は自ら大身槍に吸い込まれるように動き、その胴を深く刺し貫かれる。

 鈍い音と、重い手応え。

 

「父さんの教会も、家族も、みんなあたしが守ってみせるんだからっ!」 

 

 叫びとともに両腕に力を込めると、魔女の肉を引き裂いて槍が上方向へ滑る。槍はそのまま背中方向へ抜け、魔女の翼を根元から斬り落とした。

 地に墜ちた翼にある風切りの羽根が使い魔になろうとする――が、本体から切り離されているために魔力が及ばないのか、変異半ばで動きを止めて果てる。

 

『とどめだ、杏子!』

「分かってる!」

 

 柄を長く持ち大上段に構える。月明かりを受けた穂先がぎらんと輝く。

 

「消え失せろ!」

 

 叫びとともに振り下ろされた槍が、遠心力を得て槍頭の刃を魔女の頭部にめり込ませる。

 硬いものが砕ける手応えを、杏子は槍を握る手に感じた。

 振り抜き、魔女を両断したあとも、その感触は杏子の手に残る。

 その嫌な感触が消える頃、魔女は溶ける様にその姿を消していった。

 

 

 

 

 

「厄介なものを残しやがって……」

 

 結界が消えた後に残ったものは、教会の床に倒れる信者たち。散乱する油に濡れた紙片。そしてグリーフシード。

 杏子はしゃがみこむと、うつ伏せになっている紳士の頭を傾けて首筋を確認する。

 魔女の接吻は既にない。

 彼らは大丈夫だと判断すると、杏子は聖書の紙片を拾い集め始めた。

 

 とりあえず、紙片を片付けたら、信者たちはこのままで大丈夫だろう。日の出の頃には父さんが来て気付くはずだ。多少は騒ぎになるだろうけど、他に手はないし、と紙片を束ねながら考える。

 その時、杏子に呼びかける声があった。

 父だ。

 結界をこじ開ける際の光で目を覚ました父が、扉口に立ち杏子と信者たちを凝視していた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 父と杏子の介抱で、信者たちはまもなく意識を取り戻した。

 信者たちは口々に、夢に天使が現れて教会へ導かれた、と熱に浮かされたように語った。

 それは素晴らしい兆しですね、皆さんの信仰が天に届いたのかもしれません、と父は語り、信者たちは夜中に教会を訪れた非礼を詫びると帰途についた。

 

「――さて、杏子。何をしていたのか話してもらえるね?」

 

 ふたりは、身廊の椅子に向かい合って腰を下ろしていた。

 

「何から話せばいいのか……長くなってもいい?」

 

 父は、柔和な笑みを浮かべて頷いた。

 

「えっと、まずあたしは、魔法少女、なんだ。さっきの姿が、魔法少女の衣裳」

「魔法少女?」

 

 おうむ返す。当然の反応だと杏子は思う。

 いきなり魔法少女と言われても、なにかの冗談としか思えないだろう。

 

「魔法少女は、祈りから生まれる存在で、魔女と戦うための戦士なんだ」

「魔女?」

「魔女は、呪いから生まれる存在で、罪のない人を毒牙にかけるんだ。さっきの信者さんも、魔女に魅入られていたの」

 

 父は、子供の作り話としか思えないが、と前置きした上で、どうしてお前が魔法少女なんだ、と問うた。

 

「魔法少女は……魔法の妖精に選ばれて、魔女と戦う運命を背負うんだ。あたしは妖精に選ばれて、魔法少女になったの」

「……確かに、先ほどのお前が見せた、変身、とでも言うのか。あれは魔法か手品の類いとしか思えないな」

「手品じゃないよ。あたしが不器用なの知ってるでしょ」

「お前が嘘をつくような子ではないと信じてはいるが――」

 

 しかし、とかぶりを振る。

 悪魔と契約を結び災厄を撒き散らす魔女と、聖霊に遣わされ魔女を祓う魔法少女、とでも言うのか? と父は呟く。

 

「にわかには信じられん……」

 

 娘を信じたい感情と、荒唐無稽さに否定しようとする理性がせめぎあい、父は肺腑の空気全てを吐き出す様な深い息を吐いた。

 そんな父の態度を無理もない、と思う杏子。彼女は、言葉を紡がずにただ待った。

 

 

 

 

「仮に事実だとして、杏子、お前がそのような危険なことをする必要があるのか」

 

 お前にもしものことがあったら私たちがどんなに悲しむか、想像できないお前でもあるまい、と語る父の声には、心から娘を想う愛情が溢れていた。

 

「たとえ聖霊の導きだとしても、身を殉じるにはお前はまだ幼い」

「だけど……あたしは契約して魔法少女になったから、戦わないといけないんだ」

「契約? 契約とはどういうことかね、杏子」

「魔法少女は、契約を結んで祈りをひとつ叶えてもらうかわりに、魔女と戦う義務を負うの」

 

 父は思った。何かを願い、その代償に何かを捧げる契約……まるで悪魔との契約ではないか。杏子は、悪魔に謀られ、騙されているのではないのか? もし、そうだとすれば、どうすれば杏子を救えるのか。

 

「杏子、お前の叶えてもらった祈りとはなんなのだ?」

 

 聖霊による導きなのか、悪魔による誘いなのか、それを判断するために、事細やかに把握する必要がある。そう考えた父が、祈るかの様に顔の前で両の手を合わせて問う。

 

「あたしの、祈り…………」

 

 言い淀む杏子に、叱責の声が飛ぶ。人に言えないようなことなのか、と。

 勿論、そんなことはなく、正しい祈りだという確信が杏子にはあった。

 堂々と言おう、と心の中で呟くと、杏子は父の目を見て語った。

 

「あたしは……父さんの言う事を、みんなが聞いてくれるように、祈ったの」

 

 

 

 

 

 最初、父は戸惑いの色を見せた。

 そして、過去を振り返り、ある日を境に自分の教えが受け入れられたことを思い出す。

 長い厳冬の苦難に耐えて種をまき続けた行いが、やっと実ったのだと妻と喜んだあの日を思い出す。

 

 ――それを、この子はなにものかが与えた恩恵に過ぎないというのか?

 ――教えを受け入れてくれた信者は、なにものかに心を惑わされていた犠牲者に過ぎないというのか?

 ――なぜ、誇らしげにそんなことを語るのか?

 

「お前は、人々の、そして私の信仰を踏みにじりたいのか?」

「え……」

「人心を惑わして賛同もしていない教えに従わせ……そして私の信じる教えを空しきものにするのが……お前の祈りなのか?」

「何を言ってるの、父さん……?」

 

 そんなわけない、と否定する杏子の言葉など耳に届かないかのように、父は神に祈りを捧げた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「佐倉さん、具合良くないの? ここ数日、顔色がすぐれないみたいだけど……」

 

 ふたりは、複数のデパートをつなぐ、それ自体が公園のような立体歩道を、ソウルジェムを掌に浮かべて歩く。

 物心ついた頃から毎年流れている定番のクリスマスソングが、そこかしこのスピーカーから流れていた。

 

「そう? 平気だよ」

 

 ふたりの間には、距離があった。

 いつもは、少しふらつくだけで肌が触れ合うような距離で歩いていた杏子が、今は手を伸ばしてようやく触れることができる程度の距離にいる。

 物理的な距離が心の距離を表しているように、マミには思える。

 

「……何かあったなら、相談して欲しいな」

 

 その言葉を最後に、ふたりは黙ったまま歩を進める。

 

 

 

 悲恋を歌うクリスマスソングが終わり、しばしの静寂が訪れると、杏子は歩道の下を通る車を目で追いながら、呟いた。

 

「マミさんは……魔法少女になったのが原因で仲の良かった人と衝突したことってある……?」

 

 口を開いてくれた杏子に微笑み、歩道の脇のベンチに腰を下ろすと、マミは「そうね……」と首を傾げた。

 そして、座ろうとしない杏子の手を引き、隣に座らせる。

 

「衝突っていうのとは違うけど、すれ違いならあった、かな」

 

 マミの言葉に被るように、次のクリスマスソングのイントロが流れる。恋人とのすれ違いを歌った古い歌謡曲だ。

 

「私たち、魔女との戦いの毎日だから、友だちと遊ぶような時間もないでしょ? それに、魔法少女のことを普通の人に相談できるはずもないし……どうしたって、友だちとの関わりも疎遠になってきていると思う……」

 

 魔法少女になってすぐの頃は、遊びに誘われることも多かったが、断り続けていたせいで最近は誘われることも少ない。

 今でも友人付き合いをしている子はいるが、どうしても表面的な付き合いになってしまっている。

 しょうがないことと理解はしているが、寂しくないと言えば嘘になるのだろう。

 

「……けど、今の生き方に後悔はないわ。大切な仲間だってできたもの」

 

 これが杏子の問いの答えになればいいな、と微笑む。だが、それを受けた杏子は感情を表には出さず、静かな声を漏らした。

 

「マミさん、前に言ってたよね。『誰かが魔女に取り憑かれて死んでしまったら、きっと悲しむ人がいる』って」

「え、ええ……」

 

 以前、杏子に問われてマミが語った内容だった。

 誰かが魔女に取り憑かれて死んでしまったら、きっと悲しむ人がいる。だから、そんな思いは誰にもさせたくない、と。

 

「でもさ、あたしたちが取り憑かれた人の命を救ったとして、それが必ずしも幸せな結果になるとは言えないんじゃないかな」

「……どういうこと?」

「たとえばさ、魔女に取り憑かれてた人が、狂ったようなことをして自殺しようとしてたとする。そこを身近な人に見られてたとしたら、助けたって幸せになんてなれないんじゃないかな」

 

 マミはその状況を想像する。

 魔女や使い魔の存在を知っている自分ならともかく、知らない人にとっては、その行動は自発的なものと映るのだろう。

 一時の気の迷い、錯乱、そういった事情は慮るかもしれないが、恐らくは――

 

「あたしたちに救われたとしても、身近な人はきっと普段と同じ目では見てくれないよね。そんなので、幸せになんてなれるのかな」

 

 杏子の言う通り、好奇の目、憐憫の目、嫌悪の目……そういったネガティブなイメージで見られるのではないだろうか、とマミも結論した。

 

「もし幸せになれないんだとしたら、誰にも気付かれず魔女に殺されて悲しまれるのと、命は助かっても周囲からヘンな目で見られながら生きていくの、どっちの方がマシなのかな」

 

 マミには、息を吐き出す杏子が涙をこらえているように見えた。

 

「結局みんなが嫌な思いをするなら、あたしたち魔法少女は……本当に人を救えているのかな」

 

 『みんな』……助けた人、助けられた人、見ていた人。それらが全て嫌な思いをする……そんな不幸なことが、杏子にあったのだろうか? 杏子の言葉からそう類推したマミは、ゆっくりと口を開いた。

 

「……それは誰かのこと? もしかしてご家族が魔女に……」

「そうじゃないんだ。たとえ話だよ」

 

 杏子は言下に否定する。

 そして、吐き出したことで気が楽になったのか、表情を僅かに和らげた。

 

「ただ、マミさんさっき言ったよね、魔法少女のことを普通の人には相談できないって。それと同じ。魔女の存在を知らない普通の人たちにこっちの事情を理解させるのはムリなのかなって」

「佐倉さんの言うとおり、難しいことだと思うわ……確かに、救うことでそんな風に不幸になるケースもあると思う。でも、本当に救われることの方がずっと多いわ。起こりうる結果を言い訳にして、はじめから救うべきじゃないという考え方には賛成できないわ」

 

 杏子は目を伏せ、こちらを直視するマミの視線を避けた。構わず、マミは続ける。

 

「相手の都合も考えず救うだなんて、偽善なのかもしれない。ううん、きっと偽善なんだと思う、私は、私が生きる目標、意味が欲しくてやっているだけだしね」

「そんなこと……」

「でも偽善でも、私がしたいんだから構わないと思うの。人から非難されることじゃないし」

 

 マミには、他の魔法少女に偽善だと詰られた経験があった。その時はずいぶん悩みもしたが、時間をかけて考えて、自分の中で答えを出すに至った。

 

「佐倉さんは、みんなの幸せを守ることが願いなのよね。……立派過ぎる願いだから、少しの悪い結果で、心を痛めてるんだと思う。でも、その少しの悪い結果以上に、たくさんのみんなの幸せを守っているのよ」

 

 杏子にも、自分で答えを出す時間が必要なのだろう、とマミは思う。自分も、杏子も、人間である以上完全ではありえない。だから、自分の悪いところや欠点と向き合って、折り合いをつけていかないといけない、と。

 

「足を止めるのは悪いことじゃないわ。自分が納得いくまで、考えるといいと思う。もちろん、私でよければ何でも相談に乗るわ」

 

 杏子の返事は、力ないものだったが、今はそれでいい。 

 マミは信じている。杏子が出す答えなら、間違ったものであるはずがない、と。

 杏子が結論を出すまでの間、魔法少女としても人間としても支えてあげたい、それが自分の役割なのだと思う。 

 そんなことを考えていると、掌中のソウルジェムが瞬いた。

 

「あ、魔女の反応ね」

 

 立ち上がったマミは、まだ椅子に座ったままの杏子に声をかける。

 

「佐倉さん、辛いなら今日は私ひとりで……」

「ううん。私も戦う」

 

 マミの言葉を遮ると、杏子も立ち上がる。

 戦わなきゃ、いけないんだ。そう心の中で繰り返しながら。


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