マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第二四話 マミさん、夕飯を作る

 風見野の魔法少女たちの行動開始時刻は、おおむね遅い。

 リーダー格の夜宵かおり、すなわちエプロンドレスの魔法少女は放課後にテニス部の練習。

 長身痩躯の梢ジュン、すなわち高帽子に黒ローブの魔法少女はバレーボール部の練習。

 幼い容姿の千尋早苗、すなわち手足の末端が肥大したシルエットの魔法少女は図書委員の仕事。

 それぞれがそれぞれに属するものがあるからだ。

 水曜日のみ部活も委員会もないため、先日見滝原に乗り込んだ時のように午後三時くらいから動けるが、他の平日はそれぞれの部活、委員が終わってから合流するため、午後六時前後からの活動となる。

 

 合流場所は、かおりの通う私立の女子中学校と、ジュンと早苗の通う公立中学校のほぼ中間に位置する風見野で二番目に大きいターミナル駅。

 彼女たちのテリトリーの中では最大規模の繁華街である上に、目抜き通りを僅かにふたつ外れればいかがわしい花街、みっつ外れれば胡散臭い門構えの商店と由緒正しい寺社が並んでいて、人間の負のエネルギーには不自由しない。

 目抜き通りに交差する細い路地にまで車両が通行しており、路肩には違法駐車が鈴なりに。そして路地には蟻が蠢く様にして歩行者が歩く。歩行者は車両など目に入らないかのように、自儘に道路を横断している。

 よく言えば活気のある、悪く言えば猥雑とした街だ。

 近年、計画的に開発された見滝原にはないタイプの街で、誇れることではないが、魔女の発生率は群を抜いて高かった。

 

 夜宵かおりは、この街が嫌いではなかった。

 魔女が出るからではない。魔法少女になる以前から、それなりの頻度でこの街に足を運んでいた。幾つか彼女の趣味に合致する店舗があるからだが、基本的にそれらの店はすべて目抜き通りに位置しており、裏通りへ足を運ぶことは稀だった――魔法少女になる前は。

 

 

 

 その日、目抜き通りからふたつ外れた通りで結界を発見したのは午後七時を少し回ったところだった。

 この街を嫌いではないかおりだが、ボディソープの香りの漂うこの通りは例外で、少女らしい潔癖さで嫌悪の情を抱いていた。だから、

 

「こんなところで被害に遭うような人は自業自得だよ……倒さなくてもいいんじゃない」

 

 という早苗の言葉に内心では頷く部分もあった。しかしリーダーとして返す言葉は異なる。

 

「そうはいっても、放っておくと魔女は移動しますし、被害にあう方もメインストリートから誘導された方もいらっしゃるでしょう。倒す必要はありますわ」

「自業自得ってのは早苗の言う通りかもだけど、あたしらだってグリーフシードが必要だしね」

 

 道義としても実益としても、倒さないという選択肢はない。早苗もそれは理解できているので、これ以上異を唱えることはせず、身を包む衣裳を濃紺のセーラー服から魔法少女のものへと変化させた。

 手足を肥大化したグローブとブーツで覆い、平坦な胸部をレオタードで隠した姿に。

 レオタードを羊毛が包み、ボブカットの栗色の髪の脇から一対の湾曲した角が生まれる。その姿は、羊をデフォルメしたキャラクターを思わせた。

 

「お、やる気だね、早苗」

 

 いち早く魔法少女となった早苗に声をかけると、長身の少女も濃紺のセーラー服を魔法少女の衣裳へと変える。

 中性的なナチュラルショートボブの黒髪に漆黒の高帽子を深くかぶり、切れ長の瞳をつばで隠す。

 そして長い手足を漆黒のローブですっぽりと包んだ。大鎌を持つ姿は、西欧の童話で悪役を演じる年老いた魔女を思わせる。

 

「では、参りましょう」

 

 最後にかおりが、真珠色のブレザーと深緑のスカートから、魔法少女の衣裳へと変わった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 同時刻、マミたちは既にパトロールを終えてマンションへと帰っていた。

 いつも通りの日常として、マミはキッチンで夕飯の支度、杏子はリビングでテレビを眺めている。同居人というよりは、母親と娘のような関係だ。

 鼻歌まじりに料理を進めるマミをよそに、杏子は画面に映る東南アジアの史跡を興味なさげに見やっていた。

 なんとか朝の何代目の治世に築かれた……等というレポーターのコメントを聞き流しながら、ときおり映るきらびやかな寺院や異国情緒あふれる民族衣装をぼんやりと見つめる。

 綺麗だな、と多少の感慨をおぼえていた杏子だが、キッチンから漂ってきた筍を混ぜ込んだご飯の炊ける匂いと、ヒラスズキを塩焼きにする匂いに興味の全てを持っていかれた。

 食事中にテレビを見ないようにというマミの方針に従い、テレビの電源を落とすと配膳の手伝いにキッチンへ足を運んだ。キッチンとリビングを仕切るストリングカーテンを持ち上げるように片方に寄せる。

 ストリング同士が触れるさざ波のような音を背中で聞いたマミは、淀みなく手を動かしながら杏子に声をかける。

 

「あら、手伝ってくれるの? 助かるわ」

「うん、運ぶよ」

 

 そしてつまみ食いするよ、ということは、伝えなくてもマミには分かっていた。焼き魚を乗せた平皿の横に、つまみ食いしやすいように骨を除いて小片に切り分けたものを追加する。

 

「あと茶碗蒸しだけだから、そっちのお皿運んでもらえる?」

「はーい」

 

 どちらが杏子のものかは食器の模様で分かる……が、それ以上に盛り方で一目瞭然だった。ご飯もおかずも、マミのものの三割増しくらいの量がある。もっとも、それだけ盛っても杏子はおかわりを食べるのだが。

 

 

 

 

 

 柔らかいイカに似た感触だな、と筍を噛んだ杏子は思った。

 杏子の好みとしてはもう少し歯応えがあってシャキッとしていた方がいいのだが、その代わりに噛むごとに筍にしみ込んだ旨みが滲み出し、三度噛む頃には口の中が幸せに満たされていた。ひと噛み目の食感にやや下がった口角が、現金なものでにっこりと持ち上がる。

 ひと噛み目の杏子の表情を見とがめたマミが、箸を止めると心配そうな声を漏らした。

 

「おいしくなかった?」

「ううん、美味しいよ。ニンジンも入ってないしね」

「ふふ、そのぶん彩りが寂しいけどね」

 

 その言葉通り、炊き込みご飯の具材は筍、鶏肉、油揚げと決定的に彩りが不足していた。せめてもの……とのことで三つ葉と、花をかたどった桃色の小さなカマボコで飾ってはいるが、マミが求める水準には達していない。

 

「ふたりで食べるんだから、美味しければ見た目なんてどうでもいいよ」

「そうかしら……。でも、そう言ってもらえると、ちょっと助かっちゃう」

 

 悪戯っぽく言うと、マミは箸の先端にちょこんとご飯を乗せて、左手に持ったお椀から口へと運ぶ。

 そういえば、と杏子はその所作を見て思い出した。先日洗い物を手伝ったとき、マミの箸がほとんど汚れていないことに気付いて、その理由を問うたのだが、マミからは「特に変わったことはしていないけど……杏子ちゃんの場合は、いっぺんにお箸で取りすぎてるのかも。少し減らすといいかもね、その方がゆっくり食べれるし」と返ってきたのだった。

 よし、試してみようと杏子がほぐした魚の身をほんの少しだけ箸先に乗せる。いつもの半分どころではない慎ましさだ。口に運び、二度、三度と咀嚼する。

 

 味があまり感じられないし、そもそも食べた気がしない。

 それが杏子の感想だが、とりあえず今日はこの食べ方をしてみよう、と決意を固めた。

 もちろん対面に座るマミには、杏子のそんな挙動はよく見てとれたが、変に意識させてせっかくの良い試みを中断させてはいけない、と別の話題を口にした。

 

「そういえば杏子ちゃん、一昨日のあの子たち、風見野から来たって言ってたけど、知ってる子?」

「んなわけないじゃん。あたしがこっちに来る時、風見野に魔法少女がいなくなるからって、しばらくマミさんと風見野も面倒みたでしょ」

「そっか、じゃぁ、あの後に契約しちゃった子たちなのね……」

「そう、なるね……あ、これ美味しい!」

「ふふ、同じものばかり取っちゃだめよ。順番にね」

『ボクの分はあるのかい?』

 

 会話に割り込むテレパシーがふたりに届いたのと同時に、テーブルの下からキュゥべえが姿を見せる。

 杏子が露骨に嫌な顔を、マミが控えめに嫌な顔をしてみせるが、キュゥべえは意に介さずに歩を進め、マミの膝の上に腰を下ろした。

 

「あら、キュゥべえ。お魚の時によく来る気がするけど、やっぱりお魚が好きなの?」

『ボクは猫じゃないよ。そもそも好悪の感情もないしね。そろそろ穢れを吸い込んだグリーフシードがたまったんじゃないかと思ってね』

「廃品回収みたいな子ね。でもご明察よ、幾つかあるわ。キュゥべえのご飯持ってくるから、ちょっと待っててね」

 

 膝に乗ったキュゥべえを叩き落とすように立ち上がると、マミはキッチンへ向かう。叩き落とされて頬で床を舐めるキュゥべえを、テーブルの向こうから足を伸ばした杏子が蹴った。

 

『キミたちはずいぶん乱暴になったね、昔はあんなに素直だったのに』

「そうだキュゥべえ、一昨日に風見野から魔法少女が三人来たんだけど、あの子たちのこと知ってる?」

『知らないわけがないじゃないか』

 

 与えられた打撃を気にした素振りもなく、キュゥべえは居住まいを正すと彼女たちのことを話し始めた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 結界から排出された風見野の魔法少女三人は、変身を解いて通りの片隅にいた。

 夜宵かおりが手にしたグリーフシードを、三人のソウルジェム――蒼銀のもの、コバルトグリーンのもの、セピアブルーのもの――のちょうど中間位置に運ぶ。

 すると、グリーフシードの中央に重力が発生しているかのように、ソウルジェムに宿った穢れが吸い上げらていった。

 吸い上げられた穢れは、渦を巻くようにして緩やかに回転しながらグリーフシードへ近づいていく。それは、ブラックホールに引かれる星間物質が形成する降着円盤のようにも見えた。

 やがて、全ての穢れはグリーフシードに吸収され、三人のソウルジェムがそれぞれの色の輝きを煌めかせる。

 

「はい、浄化完了。まだ七割方は使えそうですわ。今回のグリーフシードは、千尋さんですわね」

「はーい」

 

 彼女たちは、戦闘前に個人持ちのグリーフシードで浄化し、戦闘後に確保したグリーフシードで全員のソウルジェムを浄化していた。浄化後に残量のあるグリーフシードは、順番に個人に渡していく。今回は千尋早苗がその順番だった。

 卒業証書でも貰うような勢いで、セーラー服姿の早苗が恭しく両手を伸ばす。

 

「無駄遣いしちゃダメだよ、早苗」

 

 膝まである濃紺のスカートで受け取ったグリーフシードを拭き清める早苗は、ジュンの言葉に笑顔で首肯する。

 既に日が沈んで久しく、照明も控えめな通りであるため、どんぐりのように丸い目だけがやけに目立った。

 

「そうですわね。順調ではありますけど、いつ魔女が見つからなくなったり、見つけられてもグリーフシードを落とさなくなったりするか分かりませんものね。常に余裕はもたせておきませんと」

「お小遣い帳につけてるから、大丈夫だよ」

 

 真顔でそう告げる早苗に、かおりとジュンが破願する。その反応に得心がいかず、えっえっとふたりの顔を交互に見やる早苗の頭を、ジュンが女性にしては大きな手でぽんぽんと叩いた。

 

「早苗もそういうノリいけるんだね」

「……誉められてるの?」

「ふふ。少なくとも梢さんには好評のようですわよ、千尋さん」

 

 笑いをかみ殺すように口元を手で押さえたかおりの言葉に、早苗は半ば満足そうな、半ば理解できない風な表情を見せていたが、やがて、もういいやとばかりに話題を切り替えた。

 

「ね、今日ジュンちゃんのお母さん夜勤だよね? お家いっていい?」

 

 梢ジュンは実父と幼い頃に死別しており、義父とも数年前に別離していることから、実母とのふたり暮らしである。ジュンの母は看護師であり、四班三交代制勤務のため、週に二日程度は夜勤勤務が入る。

 いつが夜勤か、という話をわざわざジュンからしたことはないが、夜勤の日は昼食が弁当でなくパンであることから、早苗はおおよその周期を把握していた。

 

「そうだね、ちょうど週末だしいいね。かおりも来る?」

「そうですわね。仲間同士たまには親睦を……」

 

 そこまで言葉を紡いで、かおりは早苗から自分に向けて放たれる非常に指向性の強いオーラに気付いて言いよどむ。

 そのオーラは、魔女が放つ呪いよりもおぞましいようにかおりには感じられた。ブレザーの下に隠された彼女の褐色の肌が粟立つ。彼女の逆鱗を刺激しつつあることを察したかおりは、訂正の言葉を重ねた。

 

「や、やっぱりこのまま帰宅しますわ。用事がありましたの」

 

 そう伝えると、早苗の放っていたオーラはすぅっと消え、朗らかな声で「そうなんだ、残念だね」と告げる。ただ、夜宵かおりにはその目が笑っていないような気がしてならなかった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 扉がだらしなく開けられたクローゼットには、部屋主のセーラー服と、訪問者のシャツワンピースとが並んで掛けられていた。

 インディゴで染められたデニムのシャツワンピースは千尋早苗のものだ。彼女はいったん帰宅し、私服に着替えてから、いつものように家族に睡眠魔法をかけてお出かけしていた。

 部屋には他に、ふたりが寝ころぶ大きめのベッドと、あまり使われることのない学習机、少女漫画が過半を占める小さめの本棚くらいしか目立った家具はない。カーテンが地味なことも相まって、男性の部屋のような印象を与える。

 六月の上旬、日中は暖かい日も増えてきているが、深夜二時のこの時間にはまだ冷え込む。だが、そのような冷気をよそに、ベッドの上で身体を重ねるふたりの少女は、肌を汗ばませていた。

 

 先ほどまで行われていた激しい愛情の交歓は終わり、今は余韻に浸るように、長身の少女はもうひとりの少女の重さを楽しんでいた。

 しかし、気だるげに心地良く感じる一方で、心の奥底に深くトゲが刺さっていることをジュンは自覚していた。それは、彼女に対してひどく不誠実な過去を隠していることに起因している。

 ただただ愛おしさだけを乗せた視線を向けてくる少女に対して、過去を懺悔し、清算したいとは思う。しかし、同時にそれは自分の我儘でしかないのではないかと、ジュンはいつものように躊躇う。

 

 そうしているジュンの複雑な表情が、早苗には魅力的だった。早苗の知るジュン――快活で男勝りなスポーツの得意なジュン、細かい気遣いを見せる魔法少女のジュン――と異なる憂いを含んだ雰囲気。普段は一方的に庇われ、護られる立場の早苗だが、この雰囲気のジュンを見ると保護欲が刺激されて、心の奥底が切なくなる。

 ジュンの両脚の間に割り込ませた片脚を少し押し付けて体温を確かめると、鼻にかかった声で名前を呼ぶように囁く。ジュンはそれには応えず、目を細めると早苗の細い肩を引き寄せるようにかき抱いた。

 ちょうどジュンの乳房を覆い隠すように早苗の栗色の髪が広がり、シャンプーの甘い香りが下側の少女の鼻腔をくすぐる。

 

「ねぇ、ジュンちゃん」

 

 乳房と乳房の間に顔を埋めた早苗が再び名前を呼ぶ。肌に密着した早苗の唇から漏れた音が、振動として身体を伝わっていき、ジュンは深い安心感をおぼえた。同様に早苗もジュンの鼓動を振動として感じ、その揺らぎに神経を弛緩させる。

 

「ん……」

「こんど、見滝原にまた行かない?」

「何をしに?」

「魔女」

「あれは、諦めようってかおりが言ってたよ」

「でも、せっかくジュンちゃんがみつけたのに……」

「試合で遠征して偶然見つけただけだし、そんなの気にしなくてもいいよ」

 

 早苗が言葉を紡ぐたびに生じる振動にジュンは安らぎ、ジュンが言葉を返すごとに上下に揺れる胸に早苗は甘えた。言葉を重ねること自体が目的のようであり、両者とも内容に深い意味を求めてはいなかった。

 

「ジュンちゃんの≪絶対切断≫があれば、どんな強い魔女だって関係ないし……それに私だって≪等価反撃≫もあるよ」

 

 早苗が口にした≪絶対切断≫と≪等価反撃≫が、彼女たち固有の得意魔法の名前だ。

 義父との絆を断ち切りたいというジュンの願いを受けて彼女に備わったのが、大鎌で触れた物質を問答無用で両断する≪絶対切断≫。その効力は対象の硬度を問わず、魔女の体躯であろうと魔法少女の呪装魔具であろうと、事もなげにまっぷたつに断つ。

 弱点はマミが指摘した通り、単一の対象しか切断できないことと、大鎌を接触させてから魔法を発動させる必要があることだが、こと魔女退治においてはさしてデメリットにはならない。

 

 自らをいじめた級友に、同じ苦しみを体験して反省して欲しいという早苗の願いを受けて彼女に備わったのが、相手から受けたダメージをそのまま相手に与える≪等価反撃≫。

 稀有な魔法だが難点も多い。まず第一に、直近の攻撃しか返せないこと。つまり畳み掛けるような連撃を受けてから返したとしても、最後に受けた一撃分のダメージしか返せない。

 さらには早苗本人の耐久力の限界もある。仮に彼女が瀕死になるようなダメージを返したとしても、魔法少女に比して膨大な耐久力を誇る魔女には致命傷たりえないだろう。

 

「だけど、リボンのひとも手も足も出なかったって……あのひと、強かったろ?」

「魔法少女相手と魔女相手は違うもん……。魔女相手なら、ジュンちゃんは無敵だよ……」

「どうだろうね……こないだの≪影の魔女≫みたいに、わさわさと触手繰り出されると、切断じゃおいつかないし」

「無敵なの……」

 

 拗ねるような響きで繰り返すと、しどけなく開いた小さな口を乳房に押し当てて甘く噛んだ。痛みとは似て非なる感覚にジュンは身体を小さく震わせながら、掠れた声で囁いた。

 

「早苗がしたいように、すればいいよ」

 

 その言葉が今現在を指しているのか、数日先を指しているのか、早苗には明確には分からなかった。なので、その両方だと都合よく解釈することにした。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 寝物語というものだったのだろうか、その後数日、≪微睡みの魔女≫について早苗が何かを主張することはなかった。

 だから、水曜日の放課後、早苗が今から見滝原に行こうと主張した時、ジュンは言葉に詰まった。まだ六限目の終わりを告げる鐘が鳴りやんで五分と経っておらず、夜宵かおりとの合流時刻まで一五分ほどもある。

 部活動が禁止されている日とあって、昇降口で話すふたりのそばを次々と級友たちが通り過ぎていく。ジュンは級友たちに軽い挨拶を繰り返しつつ言葉を探り、早苗は級友に会釈をしつつ言葉を待った。

 

「なんで今日?」

 

 ようやく返したのは、ネガティブな響きをはらんだ短い言葉だった。

 

「こないだのひとも年齢は近そうだし、早い時間の方が自由になりにくいんじゃないかなって。部活や委員終わってからの時間だと、あっちも時間あるんじゃない?」

「でも先週のこの時間にいたし、この時間で動けるひとなんじゃないかな?」

 

 結局のところ、ふたりにとってマミは『先週初めて遭遇した隣町の魔法少女』でしかなく、マミのタイムスケジュールを類推することなどできない。そのため、それぞれの言葉は推理というよりも願望の要素が多分に含まれていた。

 ≪微睡みの魔女≫討伐に積極的な言葉を続けるのは早苗だ。

 彼女の認識としては、『ジュンがせっかく発見した獲物』であり『巨大さからグリーフシードも大きいのではないかと、発見報告時にジュンが期待していた』ことから、ジュンのために倒すべき獲物となっており、マミの警句も夜宵かおりのリーダーとしての判断も、あまり効力を発揮していなかった。

 

「まぁ、危なくなったら逃げりゃいいか」

 

 幾ばくかの会話の後、恐らくはマミと≪微睡みの魔女≫の双方を指してジュンが呟いた。

 それは魔女の脅威をあまりにも低く見積もった言葉であったが、自重を促すべきかおりはこの場におらず、いるのは魔女の脅威をより低く見積もっている早苗だけだった。

 

 

 

 

 

 

 実際のところ、梢ジュンと千尋早苗によるマミのタイムスケジュール推定は全くの無意味だった。

 いついかなるタイミングであったとしても、彼女らが立ち入り禁止地区に近寄れば、キュゥべえがマミに連絡するように手筈が整えられていたからだ。

 形式上はマミの恫喝と餌付けでキュゥべえが折れた形だが、キュゥべえとしても≪微睡みの魔女≫が目覚めて人類が滅亡するような事態は可能な限り避けたいと考えており、恫喝がなくても同意していたはずだ。

 

 

 キュゥべえからの連絡をマミが受けたのは、六限目の古典の時間もあと五分となった頃だった。

 伊勢物語のあづさ弓の段の講義を受け、悲恋の物語に瞳を潤ませていたところに、『マミ、マミ』と趣の欠片もないテレパシーを受けて、マミは少し気分を害した。

 さらに視線を持ち上げたところで、斜め前の席に座っている友人リンリンの『なんで死んでんの、この女?』と言わんばかりの表情が目に入り、マミはせっかくの情動が醒めていくことを自覚した。

 

『こないだのふたり、梢ジュンと千尋早苗――鎌と機雷の子だね。が、例の大橋に来たよ』

 

 テレパシーに対して意味は為さないのだろうが、マミは頷いて応えた。

 本当なら授業の後に、リンリンに女性としての感受性について徹底討論をしかけたいところだったが――マミは魔法少女としての使命を優先して、自身の存在を希薄化させた上で授業を抜け出した。

 

 

 

 

 ちょうどその頃、夜宵かおりは集合場所――ターミナル駅の外れの廃工場――で、チームメイトの到着を待っていた。

 数年前まで自動車の修理を営んでいた廃工場は、乗用車なら二〇台は収容できる規模の建屋である。

 建屋内の全ての設備機材は失われており、壁を走るエアーや市水、純水の錆びた配管が寒々しい印象を与える。しかし、風雨を避けることは可能であり、建屋の一角にパイプ椅子やブルーシートを持ち込んで簡易秘密基地として利用していた。

 パイプ椅子に浅く腰掛け、背もたれと身体の間にスクールバッグを置いた夜宵かおりは、英単語カードをパラパラとめくり暇を潰していたが、腕時計へ視線を落とす仕草を都合四度くり返した後、耳たぶを指で弄んで呟いた。

 

「妙に遅いですわね……」

 

 梢ジュンは幼い頃からチーム制のスポーツ活動を行っているだけに時間に正確だし、千尋早苗は几帳面な性格から時間前行動を徹底している。そのふたりが揃って連絡もなしに遅れるというのは、過去に例のないことだった。

 メールや通話での連絡も取れない事態に、英単語カードを繰る手が止まりがちになる。

 そして、七度目に腕時計に視線をくれた後、かおりは椅子からそっと腰を浮かせた。椅子の上に開いた英単語カードを置き、余白に蛍光色のペンを走らせる。

 

『入れ違いになったらごめんなさい。少し探しに出ます』


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