マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~ 作:XXPLUS
「義父との縁を切ってくれ」
『おめでとう、ジュン。キミの祈りはエントロピーを凌駕した』
願いが義父の絶命ではなく絶縁であったことから、一切の流血はなく彼女の望みは叶えられた。
彼女の義父は様々な不祥事の張本人として社会的に抹殺され、彼女の前からその姿を消した。
可哀想、などとは彼女は思わなかった。あの男が自分と実母にしてきた仕打ちを思えば、生ぬるいとさえ思う。
彼女は、幼い頃から素直で明るい性格だった。その善性は今も失われていないが、二年に及ぶ肉体的、精神的、そして性的な虐待は彼女の性質を大きく歪めていた。
表面的には優等生だが、裏では男子とでも殴り合いの喧嘩をする、それが小学校高学年での彼女の姿であり、彼女の恵まれた体躯はその凶暴な学生生活を肯定した。
中学校に入っても、彼女の性質は変わらなかった。
逞しく健やかなな幹を持ちながらも、塗りたくられた泥に汚されている、それが彼女という存在だった。
そのような彼女なので、魔法を私利私欲のために使うことに忌避感はなく、犯罪に片足を突っ込む程度のことは日常茶飯事だった。その反面、同級生を相手にすることは馬鹿らしくなり、学校では随分とおとなしくなった。
彼女と同じ小学校出身のものは過去の素行から依然彼女を怖れたが、そうでないものにとっては彼女はスポーツの得意な明るいクラスメイトだった。
スポーツ、特にバレーボールは彼女には実父の形見に等しいものであり、魔法少女の多忙な生活の中でも練習は欠かさなかった。部活が終わってからパトロールが日課。魔法を濫用することから魔力の消耗も激しく、パトロールの頻度を落とすわけにはいかなかった。
面倒くさい。それが彼女の気持ちだ。
戦うことは嫌いではないが、パトロールは退屈なうえに時間がかかる。さりとて、グリーフシードの確保は必要不可欠であり、疎かにするわけにもいかない。魔女を探してくれる舎弟でもいればいいのだが、一般人にはその役目は務まらない。
夏休みも終わったある日に、キュゥべえが成した報告は彼女にとって福音と言えた。
『キミの学校で、もうひとり魔法少女候補を見つけたんだ』
彼女はその名を問うた。フルネームで返ってきた答えは聞き覚えがあるものではなく、彼女は小首を傾げる。
『この娘だ』
テレパシーの要領で、魔法少女候補の像が彼女の脳裏に送り込まれる。それは栗色の髪を襟首でボブカットに揃えた、幼さの残る少女だった。
「あぁ、見たことはあるよ。あんまり印象に残ってないけど……」
ちっちゃい子だな、と体育の授業で見かけて思った記憶があった。その身体的特徴がなければ、きっと記憶には残らなかっただろう。体育で見かけたということは、隣のクラスだろうかと少女は推測する。
「ねぇ、キュゥべえ。ちょっとその娘の勧誘は待ってくんない?」
『どうかしたのかい』
「せっかくだし、あたしの手駒にしたいんだ」
彼女の隣のクラス、つまり魔法少女候補の千尋早苗のいるクラスには、彼女の小学校時代の旧友がいた。実態に即して表現すると、小学校時代の子分とするべきだろうか。
彼女はかつての子分に、千尋早苗をいじめるように命令した。どのように、いつまで、などの細かい指示はない。どんな遣り口でも好きにすればいいし、やめさせる時期は後で判断すればいいと考えているからだ。
――自殺だけは困るけど、それはキュゥべえに見張らせておけばいいか。
その程度の認識しか彼女にはなかった。だから彼女の企みが奏功したのは運が良かったのだろう。場合によってはいくらでも最悪のケースに至っていたはずだ。
二週間ほどが経過した。
憔悴した早苗は、少し助け舟を出すと面白いほど簡単に彼女を信用した。一週間もそれを繰り返すと、仔猫が母猫に見せるような懐き方を示し、彼女を親友と認識しているようだった。
その上で、いつも守れるか分からないと虞を吐露し、部活を辞めてでも守りたいと仄めかすと、早苗は彼女に心配をかけたくないと力を欲した。
あとはキュゥべえと協力して一芝居うてば簡単なことだった。早苗は躊躇いなく契約を決意し、セピアブルーのソウルジェムを持つ魔法少女となった。
◇ ◇ ◇ ◇
早苗契約の翌日の土曜日、ふたりは風見野の町をソウルジェムを片手に歩いていた。魔女の結界探し、いわゆるパトロールだ。
天候は少し気の早いインディアンサマーといったところで、濃紺のセーラー服だけでも汗ばむような陽気だ。長身の少女、梢ジュンは歩きながら、空いた片手でセーラーの胸当てを前後に振るように動かし、風を送り込む。ちょっとはしたないよ、との早苗の指摘に、
「大丈夫、どうせ周りからはあたしらは見えないんだからさ。千尋もしなよ、気持ちいいよ」
軽く笑いながら、掌で早苗の背中をぽん、ぽんと叩く。
「う、うん……」
おずおずと、早苗が真似て胸元を振る。
確かに少し風が入ってくるが、それよりも羞恥で体温が上がる方が勝ってしまい、あまり気持ち良くなかった。ぎこちなく腕を動かしながら頬を上気させる早苗をからかうように、ジュンが明るい声を漏らす。
「誰にも見えないってのに、なに照れてんのよ、千尋」
「そ、そうだけど……」
梢さんが見てるじゃない、と続く言葉は飲み込む。言えば一層からかわれるだろうし、そもそも言うような勇気は持ち合わせていない。胸当てを動かす手を、徐々にスローダウンさせてさりげなく停止させると、早苗は話題を変えた。
「それにしても暑いね。こんなだとクラブ大変だったんじゃない?」
「そうだね。この時期だと冷房も入れてもらえないし、真夏よりキツイくらいだよ」
「そうなんだ。あっ、退部のことは平気だった?」
「あぁ、昨日の今日でまだ部長が止めててくれたみたいで、お咎めなしだったよ。頭叩かれたくらい」
実際には退部届は出しておらず、甥っ子を預かっているが母が夜勤に出るので早く帰って面倒をみないといけない、と嘘をついて休んだだけだ。しかし、さも退部届を出したうえで復帰したような話を、ジュンは淀みなく語って聞かせる。
「良かったぁ」
花が綻ぶような笑顔を早苗が見せる。その笑顔を見ても、ジュンの胸中に僅かの痛痒も生まれることはなく、むしろ疑う素振りも見せない彼女に安堵をおぼえていた。
「それにしても、今日も反応ないなぁ」
掌中で淡い光をたたえるコバルトグリーンのソウルジェムに視線を落とし、ジュンが呟く。肘を直角に曲げて胸の前に掲げる感じだが、横で並ぶ早苗には少し視線を持ち上げる必要があった。
「けっこう、いないものなんだね」
「そりゃまぁ、ウジャウジャいたら困るしね。毎日一時間くらいこうやって街中を歩いてるけど、週に多くて二匹ってとこかなぁ。正直だるいよ。今日は土曜だからいいけど、平日は部活の後だから時間も遅くなるしね」
「そっか、クラブ終わると五時回るくらいだもんね」
自分が何か役に立てればな、と早苗は思うが、昨日契約を行ったばかりの自分に何が出来るのだろうかと心の中で溜め息をつく。
そんな考えを頭の中に遊ばせながら、掌中のセピアブルーに輝くソウルジェムをちらと見た。宝玉の中にぼんやりと灯る光が、風に揺られた炎のように特定方向へ流れている。
「あ、あれ。梢さん、これ」
言葉に合わせ、腕を伸ばし梢の首のあたりまでソウルジェムを持ち上げる。早苗のソウルジェムの中に結界の反応を示す動きを認めたジュンは、自分のソウルジェムと見比べて賞賛の声をあげた。
「すごいね、あたしのは反応してないのに。千尋の方が探知得意なんだね」
誉められ慣れていないのか、早苗は瞳を伏せて、はにかむような笑いで応える。
「じゃ、追跡の実践練習だね。といっても、その光が傾く方向に進むだけなんだけど。あたしは何も言わずについていくね」
「うん、やってみる」
人間としての常識にとらわれ過ぎて無駄に迂回ルートを選んでしまうことを除けば、追跡は上首尾に終わった。時計の長い針が四半周するよりも早く魔女の結界に辿り着いたふたりは、ソウルジェムの力を解放し、魔法少女となった。
長身の魔法少女は、お伽噺の魔法使いを思わせる漆黒のローブで全身を覆う。せっかくのモデル体型が隠れてしまうことから早苗には不評だが、ジュン自身は気に入っている。特に燕尾服のように二つに割れた背中が、激しいアクションにあわせて揺れるのが好みだ。
なお、彼女のコバルトグリーンのソウルジェムは、ローブの下に隠れているのか立ち姿からはうかがえない。
もうひとりの魔法少女は、身体の線が強く出る桃色のレオタードに身を包んでいる。が、羊毛を思わせる毛並みが乳房や腰を覆い隠しているので、彼女のコンプレックスを強く刺激することはなかった。手
と足には彼女の体躯には不釣り合いに巨大なグローブとブーツが備わっていて、カートゥーンのキャラクターのような雰囲気をかもしだしている。
側頭部からは水牛の双角に似た装飾が迫り出す。但し、角と異なり先端は尖っておらず、龍が珠を握るようにして輝く珠を飾っていた。右には彼女のセピアブルーのソウルジェム、左にはコバルトグリーンの水晶球を。
昨日少し訓練したとはいえ、早苗にとって魔女との戦いは非日常の出来事であり、自信も覚悟も決定的に不足していた。
だから結界内を歩く際も、カルガモの親子のようにジュンの後をぴったりとついて進んだ。そんな早苗の様子にジュンは「無理して怪我するよりはいいよ」と笑った。
魔女との戦闘においても、早苗の出る幕はなかった。ジュンの固有魔法は絶対切断であり、武器である鎌が触れているモノをひとつ、硬さや厚さによらず切断することが出来る。
丸太のような魔女の腕を切断魔法で切り落とし、大樹を思わせる魔女の胴を切断魔法で両断すると、魔女はグリーフシードを残してかき消えた。
「千尋の攻撃も、魔女の注意を引いてくれるから充分助かったよ」
初陣であることを差し引いてもロクに活躍のできなかった早苗に、ジュンは彼女の小さな肩を叩いて告げた。
千尋早苗の武器は魔力により生成される浮遊機雷。機雷を投擲したり魔力誘導することで戦うのだが、弾速も遅く牽制程度の役目が精一杯だった。固有魔法も魔女を相手にするには使い勝手が悪く、今回は使用するに至っていない。
しかし、彼女に活躍したいという願望はなく、武器にも固有魔法にもさしたる不満はなかった。彼女の願望は梢ジュンの役に立ちたい、であり、その願望からすれば探知能力に優れていて、今日のパトロールで貢献できたことこそが本意だ。
もっと、貢献したい――そう彼女が思うのは自然なことなのだろう。
ジュンの言葉をフォローと受け取った彼女は屈託のない笑みを浮かべ、瞳をしばたたかせた。教師に褒められるよりも、両親に認められるよりも嬉しく、自然と頬が上気していた。そして、先ほどから思っていたことを口にした。
「ねぇ、梢さん。梢さんがクラブやってる間に、私が魔女を探しておこうか?」
いつもはぽん、ぽんと言葉を返してくるジュンが口を噤んだ。その様子に「危ないからダメ」と否定されるかと勘違いした早苗は、矢継ぎ早に言葉を連ねて、自らの献身を認めさせようとする。
「ほら、そうすれば梢さんクラブ終わってすぐ戦えるし。私、どうせクラブ終わるまで練習眺めてるだけだったし、それくらいならひとりで魔女探しした方がいいんじゃないかなって。幸い、探知ならそこそこ得意みたいだし……。戦いがうまく出来ない分、そっちで役に立てたらなって。それに……」
ジュンが黙って変身を解いた。慌てた様子で、早苗も倣う。そのため、早苗の長口上が途絶え、ひとときの静寂が訪れた。もともと口下手な早苗は言葉を続ける機会を逸して、裁可を仰ぐように長身の少女を見上げる。
「絶対にひとりで戦わないこと。守れる?」
早苗の性格からすれば、ひとりで戦ってグリーフシードをジュンに渡そうとしかねない。だがそれは、ジュンにとってふたつの点で望ましいことではなかった。
ひとつは、魔女相手に魔法を使い鎌を振るい、大立ち回りをすることはジュンにとってはストレス発散であり、その機会を減じることは歓迎できないこと。もうひとつは早苗が危険であること。善意からではない。せっかく手に入れた駒を無為に危険に晒すなどと馬鹿げているではないか、との考えからだ。
だが、言われた早苗にとっては理由は推し量るものでしかなく、善意からのものだと結論するのも無理はなかった。
「うん、守れるよ。ありがとう」
「ケータイにメール入れといてくれれば。だいたいの場所が分かれば、近く来てテレパシー飛ばせばいいしね」
「うん、そうする」
◇ ◇ ◇ ◇
週が明けて月曜日。朝のホームルームで、担任の新卒女性教師は沈んだ声で告げた。
早苗をいじめていた少女たち三名が、先週の金曜日の放課後に死亡したことを。
それを聞いて、早苗は足が震えることを止められなかった。薄い唇は冬の海にでも浸かったかのように色を失い、瞳も耳も機能を失ったかのごとく、何が見えているか、何が聞こえているかを脳に伝えることを放棄した。
経験の浅い教師は、そんな早苗の様子に気付くこともなく必要なことを話し終えると、不確かな足取りで教室を後にした。
教師が去ると、喧騒が教室を包む。故人の人間性に起因するのか、その内容は身近なものの死を悼むというよりは、ゴシップを楽しむ傾向が強かった。そしてゴシップという点では、動機を疑われてもおかしくない早苗だったが、彼女たちがそれぞれの自室で亡くなっていたことから事件性はないと思われること、そして早苗を揶揄することで梢ジュンの不興を買うおそれがあることから、彼女に話しかけようとする者はいない。
そんな空気を破って、ひとりの女生徒が早苗の席に近づくと、身をかがめて囁いた。
「千尋さん、きっとあの人たちは天罰だよ……。なんにせよ、良かったね」
話しかけてきた女生徒は二ヶ月弱前までは友人であった。いじめがあってからは、早苗が彼女を巻き込まないようにと距離を取っていたために疎遠になっていた。女生徒もそんな状態に忸怩たる思いを抱いていたが、さりとて一歩を踏み出す勇気も持てず今に至ったのだ。
「良くないよ……。死ぬなんて……そんなに……」
彼女に応える早苗の声は、うわごとのようだった。
「私、とんでもないことしちゃった……」
昼休みの校庭、木陰のベンチで小さなお弁当箱を膝に、早苗はジュンにすがるような視線を向けた。
彼女が魔法少女になる際に願った奇跡。自分の受けたいじめの苦しみを、そのまま三人のいじめグループに返すというものの結果として、三人は命を落とした。二週間以上に渡って受けた苦しみを一息に圧縮した痛みは、彼女たちの精神を容易く焼き切り、無残な死を与えたのだった。
「千尋が気に病むことじゃないよ。それだけのことを、あいつらがしたってことだし。千尋は、こらしめて反省してほしかったんだろ?」
「でも」
本意はどうあれ、自分が願った奇跡で彼女たちは命を失った。それは殺したことと同じではないかと早苗には思えた。だからといって、償う方法も詫びる方法も思いつかず、朝から思考は堂々巡りを繰り返していた。
「もし、それが罪っていうなら、千尋が魔法少女になったきっかけはあたしにもあるんだし、あたしも同罪だよ。だから、そんなに悲しまないで」
ふたつめのサンドイッチの最後の一片を、器用にトマトを抜き取ってから口に放り込むと、全く箸のついていない早苗のお弁当箱を視線を落とす。
「それより食べなよ。ぜんぜん食べてないんじゃ、お母さん心配するよ」
「うん……」
返事をするものの、箸は一向に動かない。もともと食の細い彼女だが、今日は食道に詰め物でもされたように感じる。乾いた口腔を潤す冷たいお茶でさえも、喉につかえそうだ。
「梢さん、食べてくれない?」
「んー、そりゃ、千尋の小さいお弁当くらいならまだ食べられるけど、それじゃせっかく作ってくれた千尋のお母さんが可哀想だよ」
「残すよりは……」
「食べないと、おっきくなれないぞ?」
「うん……」
なだめる態度にも、おどける態度にも反応を示さない早苗に、ジュンは芝居がかった仕草で嘆息する。幼くして実父を亡くし、母の手ひとつで育てられたに等しい彼女にとって、母が手ずからこしらえた弁当を無為にするのは、他家の話といえども受け入れたくないことだった。
「よし千尋、ちょっとお弁当を横に置いてみて」
元気――というより生気さえない様子で小さく頷き、彼女はハンカチの包みごと、お弁当箱を膝から降ろした。置いたよ、と瞳で伝えるように見上げる早苗。
薄ぼんやりとしていた早苗は、梢ジュンの顔が近づき、唇が重ねられるまで、なんら反応を示せなかった。
唇が重ねられ、温かさを感じてようやく事態を把握した早苗は、驚きのあまり両手を動かそうとする。だが、ジュンの手で強く抑え込まれると、万力で挟まれたかのように身動きが取れなかった。
やがて口の端から唾液がこぼれ落ち、首筋を伝ってセーラーの胸当ての下に隠れる頃には、早苗は抵抗の意思を失っていた。唇が離れ、両手の拘束を解かれた後も、早苗は言葉なく、口を半開きにして放心していた。
◇ ◇ ◇ ◇
二ヶ月が過ぎた。
級友を自らの願いで死に追いやったという罪の意識から、千尋早苗は逃避するようにジュンを求めた。
身体を重ね情を交えるうちに、それぞれの心の在り様は互いに影響を与え、僅かずつ変わっていった。
早苗の善性に触れることで、ジュンの精神を汚していた穢れは拭い落とされ、幼い頃の素直さ、明るさが開花した。魔女を見つけ出し、狩るための猟犬、駒として見ていた早苗を、いつからか愛しさを込めた瞳で見つめるようにまでなっていた。
それと引き換えるように、早苗のジュンへの感情は、憧憬から依存へと変質していった。ジュンから拭い取った穢れを自身が受けたかのように、彼女の思慮深く控えめな性格、誰にでも優しく接する性格はその姿を潜め、自分とジュンのふたり以外への排他的で攻撃性のある感情が表に出るようになっていった。
クリスマスの迫ったその日、放課後に単独でパトロールを行っていた早苗は魔女の結界を発見した。
ふたりの過去の決め事通りに携帯メールで連絡を取り、ふたりの過去の決め事通りに早苗は結界の前で主人を待った。ジュンは部活が終わってからふたりでパトロールをする形にしないかと言っているのだが、早苗は頑として譲らなかった。
どんな魔女だろうか、グリーフシードは出るだろうか、と早苗は結界の前で考えながら、ジュンとお揃いのマフラーを巻き直す。
暖をとるようにマフラーを頬に押し付け、幸せそうな表情で瞑目した。軽い忘我状態にあった彼女を現実に引き戻したのは、冷たいコンクリートの床を叩くローファーの靴底の音だった。
「誰?」
険のある声で誰何する。返答内容はどうでもよかった。存在の希薄化を行っている早苗の声に応えれば魔法少女であり、応えなければ魅入られた犠牲者か、たまたま迷い込んだ一般人なのだろうと判断できる。
「あら……わたくしが見えるということは、お仲間……でしょうか?」
果たして、その少女は応えた。緊張を微塵も感じさせない所作で歩を進め、薄闇の中でなお輝くような黄金色の長髪を揺らして会釈した。豪奢な銀の刺繍が入った真珠色のブレザーは、近隣のお嬢様学校のものだと早苗は知っていた。
「ここはひとが来るから」
占有権を主張するように立ちはだかる早苗。彼女は性格的に所有権や独占権というものに無頓着であったが――こと、ジュンと共有すべきと思っているものについては、人が変わったように余人を拒む。だが、その意図は彼女には通じていなかった。
「え? ひとというと……魅入られた方でしょうか? あなたはここで何を?」
「仲間が来るの」
新たに呆れの色を交ぜてセーラー服の少女が告げる。寄り目にして考える素振りを見せたブレザーの少女は、ややあってから分かった、といった風に広げた掌をぽんと合わせた。
「なるほど、あなたが結界を発見して、お仲間の魔法少女の合流を待っているのですわね」
腕を組んだポーズで鷹揚に頷く早苗は、言外に「分かったらさっさと立ち去れ」といったオーラを漂わせる……のだが、オーラの主が小学生然とした早苗ということもあって、ブレザーの少女は小首を傾げるだけで受け流した。
「わたくしも一緒に待たせてもらってよろしいでしょうか?」
良いワケないじゃん、と返すことは彼女の性格では難しかった。
それでもノーの返事を態度で示すのだが、黄金色の髪の少女は、小麦色というよりは焦げ茶に近い色の頬をほんのりと火照らせて微笑んだ――つまり、完全にスルーした。
「わたくし、まだビギナーでして、共に戦う仲間がいればなぁと思っておりましたの。ほら、よく言うじゃありませんか。ひとりよりふたりがいい、ふたりより三人がいい、と」
言い終わると、ブレザーの少女は桜色の唇をほころばせ、上体を屈めて視線を早苗の高さに合わせて一礼した。
「わたくし、夜宵かおりと申します。よろしくお願いしますね」
苦手なタイプだな、と千尋早苗は思ったが、すぐに苦笑する。――そもそも、ほとんどの人が私にとっては苦手なタイプだな、と考えながら。