マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第二一話 マミさん、救済の魔女と決戦する

『彼女の力は規格外すぎた。ただの一撃でソウルジェムの全ての力を使い果たしたのさ』

「そんな……」

 

 キュゥべえの言葉によろめき倒れそうになるマミを杏子が支えた。

 それは肉体的な部分だけでなく、精神的な部分においても同じことだ。ともすると軸を失いそうになるマミに叱咤の声をかけるのは、彼女の役目だった。

 

「マミさん、魔女になった魔法少女にしてあげれることはひとつだよ」

「……そうよね」

『無茶だ。まどかはワルプルギスの夜を一撃で倒したんだよ。そのまどかが魔女になったんだ、ワルプルギスの夜よりも強いことくらいキミたちにも分かるだろう?』

 

 キュゥべえが抗弁する。彼の絵図としては、マミも杏子も、そしてさやかも、魔女となったまどかによって滅んでいく世界の中で絶望し、エントロピーを吐き出して魔女と成り果てるべきであり、無為に戦って死なせるなどもってのほかだった。

 

「私は魔法少女だもの。街の皆のために戦うだけだし、勝てると確信できる相手だけを選んで戦うつもりもないわ」

『杏子、キミはそれでいいのかい』

「死ぬのは嫌だけどさ、ここで逃げて生き延びたって、笑って生きていけるとは思えないしな」

 

 もちろん戦って死ねば笑って生きていくなど夢のまた夢――そんなことは先刻承知と笑い飛ばすと、杏子は続けた。

 

「それにさ、どうせ一度死んでまどかにもらった命なんだろ? なら、まどかのために使うさ」

『無駄に命を散らす必要があるとは思えないが……』

「キュゥべえ、どうせならキミたちは99%の確率で負ける、とか言ってくれた方が、勝ちフラグっぽくて嬉しいんだけどな」

 

 まぜっかえすことでキュゥべえを黙らせると、マミはマスケットを、杏子は大身槍を手にして数度振るった。死亡して蘇生されたことが事実なら、身体的魔力的な不調も予想したが、身体は問題なくイメージ通りに動く。魔力も思うように操れるし、残量も充分。

 

「ありがとう、鹿目さん」

 

 コンディションとしては最高と言っていい。それを確かめると、今は亡き桃色の髪の少女に瞑目し感謝する。

 

『さやかを待たないのかい』

 

 まだいたのかお前、という表情で一瞥をくれると、杏子は穏やかな寝息をたてているさやかに視線を落とした。

 

「ん、さやかはまどかとは戦わない方がいいだろ」

「そうね。親友同士で争うのは辛いわ」

『そうか、わかった。ボクも出来る限りの協力はするよ』

 

 そう告げるのは激励でも親切心でもなく、彼は考えを変えたからだ。

 この調子ではどうあってもマミと杏子の戦闘を止めることはできない、ならば万にひとつに懸けて、マミと杏子が勝つことを目指そうと。そうすれば地球は滅びず、まだまだ人類から搾取が出来る――と。

 

 そもそもマミと杏子はワルプルギスの夜を撃破寸前まで追いつめている。

 いかに魔女となったまどかが強力とはいえ、展開次第では勝ち目もなくはないだろう。――ワルプルギスの夜を追い込むにあたって、もうひとりの魔法少女の稀有な能力が重要な役割を果たしていたことは、既にこの世界の住人全ての記憶から欠落していた。

 

「いらねーよ」

 

 一刀両断にする杏子と異なり、マミは態度を決めかねた様子で逡巡する。

 根底に利己的な欲望が流れていたとしても、キュゥべえが命を救ってくれたこと、孤独を癒してくれたこと、挫けそうな時に支えてくれたことは事実であり、単純に憎むことは出来そうになかった。

 

「行くわよ、杏子ちゃん!」

 

 敢えてキュゥべえの存在は無視して、マミは叫んだ。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 魔女となった鹿目まどかには、世界の全ての心が掌の上にあるかのように視ることができた。

 ただ視るだけだ。理解をすることは、彼女自身の心が既に人ならざるものへと変質してしまっていたため、不可能だった。

 ある人物の心にフォーカスする。幼馴染への想いは届かず、それどころか親友に幼馴染を奪われようとし、ひどく傷ついた心。

 ある人物の心にフォーカスする。本当は傷ついているのに表面を誤魔化して飾り立てた、臆病で弱々しい心。

 ある人物の心にフォーカスする。深い傷に芯まで抉られ、かさぶたを剥がせば壊れてしまいそうな脆い心。

 ある人物の心にフォーカスする。ある人物の心にフォーカスする。ある人物の心にフォーカスする……。

 

『ミンナ、カアイソウ』

 

 何人の心を覗いても、どの心も傷つき、満たされていなかった。そして、『それでも』とつなげるべき言葉は、彼女には理解できなくなっていた。

 

『ワタシガ、≪救済≫シテアゲナクチャ……』

 

 前世期の怪獣映画のモンスターもかくやといった巨体を震わせると、頭上に球状の結界を作り出す。それは最初は数メートル径のものだったが、瞬く間に膨張し魔女自身の体躯をも上回る。

 結界がさらに成長を続けようとするところに、ふたりの魔法少女が現れた。見滝原の市街地と工業団地を結ぶ大橋を超え、そこから伸びる戦いの傷痕が激しく残る大通りを、魔女に向かって接近するふたりの魔法少女。

 ひとりは長銃を両手で抱き、黄金色の髪をなびかせて駆けるオレンジイエローの魔法少女。ひとりは長槍を両手に構え、ワインレッドの衣裳をコートのようになびかせて馳せるルビーレッドの魔法少女。

 全ての人――魔法少女も含む――は魔女にとって≪救済≫の対象だった。魔女は彼女たちの魂を、自らの作り出した楽園であるところの結界へ誘おうと、ほんの指先で摘まみあげる程度の魔力を込めた。

 

 

 

 魂が吸い上げられる、しかも魔女との距離が縮むごとにより強く。

 その事態に気付いたふたりは、一旦は前進を止めた。距離にして三〇〇メートルはあるが、魔女の威容を視界に収めるには首を上に傾けなければならない。

 

「マミさん、精神に直接攻撃してきているなら、ソウルジェムをガードすればいいはずだよ!」

「わかったわ。魔力障壁をジェムに張りましょう」

 

 今や彼女たちの精神性の全ては、拳ほどの大きさのソウルジェムに宿っている。それならば、精神への干渉はソウルジェムを保護することで遮断できるはず――その杏子の発想は正しかった。但し、干渉する魔力と保護する魔力が同程度ならば、という当然の条件はつく。

 

『ドウシテ、嫌ガルノ?』

 

 悲しいことも辛いことも全部忘れて、自分の作った楽園で幸せに暮らせるのに、と魔女は純粋に疑問に思った。生前のまどかなら、自身が拒むに違いないお仕着せの≪救済≫だが、魔女のまどかにはそれは唯一絶対のものと思われた。

 

『まみサンモ、杏子チャンモ、一緒ニオイデヨ、楽シイコトダケシヨウヨ』

 

 その言葉はマミにも聞こえた。言葉を操る魔女、それはマミの長い戦いの経験の中でも、前例のない存在だった。

 

「鹿目さん、あなた……そうなってまで……」

 

 魔女が少しだけ力を加えた。指先で摘まむ程度の魔力から、五本の指で握りしめる程度の魔力へ。それだけで、ソウルジェムを保護するために築いた障壁が悲鳴をあげる。

 杏子は、障壁を今にも砕かんと押し寄せる魔力に、敵意や害意ではなく温かさを感じていた。それは獲物を安寧に巣へ運ぶための擬態――ではないと、杏子は直感した。これが魔女の本心だと。

 

「まどか、お前……やめろよ! 戦いに来たのに、なんでそんな優しいんだよ!」

『ミンナ、ワタシノ楽園デイツマデモ楽シクスルノ』

 

 杏子の障壁に欠けが生じた。その欠けから侵入したまどかの魔力が、ソウルジェムに到達する。

 ソウルジェムに座する杏子の魂が、優しく撫でられた。すると、杏子の心から、闘志や憤りといった感情が、雪が陽光に溶かされるように薄れていった。魂そのものが浄化されるような現象は、母の胎内にいるかのような幸福感を杏子に与える。

 

 ――なんだよ、こいつ……神様かよ……。

 

 安楽な感情のみを残して他を消し去ろうとする力を前に、杏子は膝を折り、次いで両の掌を地についた。

 

「ごめんなさいね、鹿目さん。あなたの邪魔をするわ。大丈夫? 杏子ちゃん」

 

 その杏子を庇うかのように、マミが杏子の前に立った。そしてオレンジイエローの魔力に輝くリボンを側頭部のソウルジェムから大波のように溢れさせ、ふたりを護るように覆った。

 魔女の干渉から解放された杏子は息を整えると、マミに笑みを返して自らの魔力でソウルジェムをガードする。それを確認したマミは、鳥籠状に展開していたリボンを温かな光をたたえたソウルジェムに引き戻す。

 

「たとえあんたが神様でも、たとえあんたから見て要らない心でも、勝手なことされちゃ困るんだよ!」

 

 吠えた。それは自分を誤魔化すための叫びだった。

 

『ドウシテ……?』

「歓ぶ人たちと共に歓び、泣く人たちと共に泣きなさいってね。あたしはマミさんと一緒に笑うだけじゃなくて、一緒に泣きたいし、つまらないケンカだってしたいんだ。そういうもんだろ!」

『ソウカ、怖インダネ……怖ガラナクテ、イイノニ』

 

 さらに魔女が力を込めた。手で握りしめる程度の魔力から、両腕で抱き締めるような魔力へ。啖呵をきった魔法少女だが、近寄ることも出来ず防御することで精一杯だ。

 苦し紛れに放ったマミの魔弾が、魔女を射抜く軌道で走る。

 しかし、魔弾は水中を走るかのように急激に減速し、魔女に達する前に失速して地に墜ちた。魔女の体躯周辺の魔力が濃すぎて、物理的な抵抗を魔弾に与えているのだ。

 

「ちくしょう、もたないかも……」

 

 魔力の障壁がひび割れ、悲鳴をあげていることが杏子には自覚できた。障壁のサイズをソウルジェムに密着するほどに小さくし、魔力の密度を上げて抵抗するが、いつまでも保つとは思えなかった。

 

「ダメよ杏子ちゃん、先に逝くなんて絶対に許さないわ!」

 

 そういうマミさんこそ、いつもいつも先に逝こうとするくせに、と言い返す余裕すらなかった。訓練によって得手不得手の差は縮まっているものの、杏子の性質は攻撃力や瞬発力にある。間断ない責苦を防御し続けることは、やはり得意ではなかった。

 逆にマミは防御力や持久力に秀でていて、まだ魔女の干渉に対して余裕をもって対処できている。

 

「杏子ちゃん、ソウルジェムをちょうだい!」

 

 意図を読めずにいる杏子に身を寄せると、リボンの鳥籠を作り一時的な安全を確保し、「さぁ、ちょうだい」とばかりに手を広げて伸ばす。胸元の赤いソウルジェムに掴みかからんばかりの勢いだ。

 

「こっちで護るから、攻撃に集中して!」

「強引なんだから、マミさんは!」

 

 自身の胸元からソウルジェムを乱暴に剥ぎ取ると、伸ばしたマミの手に握手をするようにして宝玉を託した。

 

「あたしの命、任せたからね」

「多分、死ぬときは一緒になるわ」

「それはいいね、またマミさんに先に死なれたら堪ったもんじゃないや!」

 

 マミは自らのソウルジェムも花を模したアクセサリから取り外し、杏子のソウルジェムと重ねて左手に持った。

 左手を胸の谷間に強く押し付ける。そしてその上から、押し付けた左手ごとソウルジェムをリボンで身体に強く巻き付けた。魔力障壁とリボンの結界とで、二重にガードする構えだ。

 下部をコルセット、上部をリボンできつく締め上げられた乳房が窮屈そうに上下する。それを眺めながら「またってなんですか」と反論するが、本人も自覚しているのか語気は弱い。

 

「私は引き気味に戦うから、杏子ちゃんは前衛お願い。私から離れすぎないでね、こっちも気を付けるようにはするけど」

 

 片手をリボンで拘束している状態になるが、さして問題はない。マミの戦闘力の殆どはリボンに依存しており、リボンには手ずからの操作は必要がないからだ。マスケットも的が巨大なだけに、浮遊設置からの射撃で全く問題ないだろう。

 

「おうッ! 必殺、ロッソ・ファンタズマ!」

 

 

 

 

 

 

 試みは奏効した。

 二重に護られたソウルジェムは、一〇〇メートルを切る距離まで接近しても魔女の干渉を拒み、近接戦闘が可能な範囲まで近づいた杏子は、手にした大身槍で魔女の体躯を引き裂いた。

 

『痛イヨ、杏子チャン』

 

 だが、得られた反応はそれだけだった。

 裂かれた傷もえぐられた傷も瞬く間に塞がり、魔女にダメージが蓄積された形跡は微塵もない。それでも攻撃を続ける杏子の身体を、ゆっくりと伸ばした魔女の手が捉えた。

 魔女の五本の指が、杏子の身体に絡みつき拘束する。痛みを感じさせない、緩やかな拘束だ。

 

「くっそ! ファンタズマが効いてないのか?」

『ドレガ本物ノ杏子チャンカ、分カラナイワケナイジャナイ』

 

 魔女には心が見れるのだから、心を持たないファンタズマに攪乱されるわけもなかった。

 告げる魔女の声は笑うような響きだったが、それが嘲笑ではなく純粋な笑みであることは杏子にもマミにも理解できた。いまだに魔女は、ふたりに敵意を見せていない。

 

 ――作戦通りソウルジェムは護れた、作戦通り近付けた、でも……っ!

 

 四〇を超えるマスケットの魔弾を、杏子を捉えている魔女の手の甲に集弾させる。魔女の意識が逸れた瞬間に、大身槍を乱舞させて魔女の拘束から逃れた杏子。その杏子へ追い縋る魔女の手をリボンで壁を作り遮る。

 

 ――圧倒的すぎるわ……! ワルプルギスの夜にしたって、一撃ごとに手応えはあったのに!

 

 杏子も同じ気持ちだった。「勝てない」という言葉が喉を這い上がってくるのを必死に抑え込む。

 

「ねぇ、マミさん、ここは一発、いつものアレを」

 

 マミの傍らまで退いた杏子。魔女もそこまでは手を伸ばしてこず、攻め手は魔力干渉だけになる。

 

「アレじゃ分からないわ。一緒に叫んでくれる?」

「分かってるじゃん、その反応は」

「えー、分かんない」

 

 じゃれるような問答を繰り返しながらも、マミの横には大型のマスケットが練り上げられつつある。魔力干渉に責め苛まれながらではあるものの、他の攻撃がないため普段よりも大砲の形成自体は容易かった。

 なまなかな砲撃では無意味――そう考えたマミは、際限なく大砲を練り上げる。そのマスケット砲は、電力送電塔を砲身に転用したような姿にまで育っていた。

 

「必殺……!」

 

 朗々たる声とともに、自由になる右腕を天を指すように大きく振り上げる。そして、杏子に視線を向けてパチリとウィンクをする。一拍おいて静止した腕が勢いよく振り下ろされると同時に、ふたりの声が重なった。

 

「ティロ・フィナーレ!」

 

 轟音が耳をつんざき、閃光が視野を奪った。

 魔弾が魔女の体躯を貫いた。

 怪獣を思わせる規模の巨躯、その腹に風穴が開き、その穴を通して向こうの景色が見えた。

 が、それも一瞬。

 風穴は、そのようなものなど最初からなかったかのように、痕ひとつ残さず塞がる。

 

「せめて防御くらいして欲しかったわね……」

『まみサン、ドウシテ酷イコトスルノ』

 

 その声に詰る響きはなく、ただ純粋に理解が及ばないと告げていた。魔女はどこまでも、ふたりに対して害意を示さない。

 

「マミさん、今のを連続で入れれば……!」

 

 自らに言い聞かせるような杏子の声に、マミは頷く。

 

「それしかないわね」

 

 無駄だと思うけど、という枕詞を飲み込んでマミは呟いた。今の攻撃にしても、魔女を傷付けた手応えはなく、凝集している魔女の構成組織を一瞬散らしただけとしか思えなかった。もっと別種のベクトルの攻撃でないと――いや、そもそも倒すという概念が成立する相手なのだろうか。

 

「あたしの魔力もティロ・フィナーレに注ぎ込むよ」

「そんなこと……」

「出来るよ! だってソウルジェムもひっついてるんだし!」

 

 理屈にもなっていない杏子の言葉を、マミは微笑みで迎えた。出来る出来ないで論じる段階ではなくなっている、やるしかないんだ、と決意すると、マミは右手を伸ばして杏子の肩を抱き寄せた。

 抱き寄せられた杏子は短い悲鳴をあげた後、マミに身体を預けるようにしなだれかかる。ソウルジェムだけでなく身体もひっついた方が――という理屈に、両者ともに躊躇いはなかった。

 

「杏子ちゃん、名前はどうする?」

「ん……ロッソ・フィナーレとか?」

「ふふ、それじゃ杏子ちゃんの技みたい……まぁ、いいわ。ロッソ・フィナーレね」

 

 そのようなことが出来るのか、出来たとして魔女に通用するのか。その解を得る機会は失われる。

 ひとりの闖入者によって。

 

 

 

 

 

 

「真打ち登場! さぁ、まどか、このあたしが遥かな眠りの旅を捧げちゃうぞ!」

 

 自己嫌悪や妬み僻み、ありていに言えば絶望に塗れた精神状態であったのが、死亡直前の美樹さやかの筈なのだが――。

 この場に現れた美樹さやかは、そういった感情をどこかに置いてきたかのように、明るい声で叫んだ。

 

『サヤカチャン』

 

 親友の姿を認めた魔女の意識が、さやかの心にフォーカスされる。

 そこにはやはり、負の感情が渦巻いていた。だが、それ以上に強く、鹿目まどかへの愛情や感謝、そして憐憫の情が溢れていた。

 

「美樹さん、ソウルジェムを守って!」

「はいっ!」

 

 魔女がしようとしていることと、その防御方法がさやかには分かった。魔力の障壁を張り、自身の固有魔法であるバンテージでソウルジェムを囲む。マミが行った防御方法に相似した、適切な防御だった。

 魔女の干渉がシャットダウンされる。その様を見て杏子は声を荒げた。

 

「おいさやか、なんでお前そんな器用に……!」

 

 一度は魔女に堕ちた記憶が、すなわち魔法を操る人間である魔法少女から、魔法生命そのものである魔女へ変遷した経験が、さやかに魔法の理解を深めさせ、対処法を教えていた――のだが、彼女自身それを把握してはいなかった。

 

「ダテにあの世は見てねぇぜってとこですかねー」

 

 笑う。彼女の象徴色であるアクアブルーの海を思わせる爽やかな笑みを浮かべると、次に真剣な表情を見せた。

 

「てゆかマミさん、杏子、その節はすみませんでした!」

 

 その節とは、魔女に堕ちたことを意味している。そしてその記憶を、彼女は明確に保持している。

 意識が憎しみや恨みで満たされた汚泥の底に沈み、そこから水上にあたる現実世界を眺めていた。

 彼方におぼろげに見える水面の先の世界。それは水面で光が屈折することと同じように歪み偏向されており、いかなる事象も彼女に憎々しげな印象を与えた。

 暗い底に沈んだ精神は常に周囲を満たす負の感情に責め苛まれ、そこでさやかに出来ることは、歪んだ視界に映るものを呪うことだけだった。

 

 ――あんな状態から、一秒でも早くまどかを助けなきゃ!

 

 さやかが空を飛んだ。マミや杏子が無尽蔵に足場を築いて空中で戦うことも空を飛ぶと称して良いだろうが、さやかはそれと異なり、蝶や鳥が飛ぶようになんの補助も細工もなく身体を宙に舞わせた。

 軌跡に虹色の五線譜を残して、さやかが上昇する。

 

『サヤカチャン、悲シイノモ辛イノモ、全部消シテアゲルネ』

 

 伸ばされた魔女の両の手が、さやかを包んだ。しかし一瞬の後、さやかの無数の斬撃で両手が内側から砕けて消し飛んだ。

 

「あんたは本当にすごいね。あたしは、魔女になったら皆を憎むことしか出来なかった。逆恨みなのにね。なのにあんたは、そんなになっても他人のためって思えるんだ」

 

 散らされた蚊柱がすぐに元通りになるように、魔女の両手が再現される。さやかの斬撃も一時的に魔女の魔力を散らしているだけで、根本的なダメージには至っていない。

 

「そんなあんたに、罪は背負わせない。あんたがひとりの犠牲者だって出さないうちに、あたしが倒してやる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「美樹さんは強いわね……」

 

 上空を舞うさやかを遠目に眺め、マミが大きく息を吐いて呟いた。

 

「私が美樹さんの立場で、鹿目さんが杏子ちゃんなら、きっと泣いてばかりで一歩も動けない。結局私は弱いままなんだわ……」

 

 マミの独白を聞き、逆ならどうか、と杏子は考える。必ず止めるとマミに約したが、それを迷いなく実行できるとは自分でも思えない。それを思えば美樹さやかの割り切りは異常にさえ見える。

 彼女が口にしたように、あの世を見た――魔女化し、その記憶を残していることで、同じように魔女となってしまった仲間への判断に迷いがないのだろうが、それがない杏子やマミには同じように振舞うことは難しい。

 

「マミさんと会って一年ってとこかな……、マミさんは充分、成長したと思うよ」

「あら……。ふふ、杏子ちゃんの方がお姉さんみたいね」

「まぁ、実際に長女をやってたからさ。お姉ちゃん経験はマミさんより上だよ」

 

 照れ隠しに笑う杏子を穏やかな眼差しで見やると、マミは遥か上空を舞うさやかを援護するようにマスケットを空中に並べた。既にさやかが突撃を行っている以上、重砲支援に偏るのは得策ではない、そう判断したマミは、マスケットによる支援と、杏子の近接による支援の並列に切り替える。

 

「そうね。さぁ、美樹さんを援護しましょう!」

 

 魔女の魔力圧を切り裂くため、針のような形状に変化させた魔弾を連射させる。

 その弾道の間を縫うように、杏子が空へ駆け上がる。

 今や五本、一〇本とその数を増やした魔女の腕をかいくぐりつつ、さやかが杏子を迎え入れるように声をかけた。

 

「お、いつぞやのマミさんチーム再結成ですねー」

「おう、あんときと同じく、マミさんとあたしがフォローするから、思い切りやんな」

「え。いやいや、マミさんはともかく杏子はフォローに回るような殊勝な子じゃなかったでしょー」

「うるせぇよ!」

 

 目にもとまらぬ、という形容が相応しい速さの槍の連撃で、さやかに掴みかからんとしていた魔女の腕を散らすと、杏子は胸を張る。

 

「ほら、フォローしてやっただろうが」

「はいはい、感謝しますよー」

 

 今度はさやかが、微塵斬りにするような斬撃で杏子に迫る腕を散らす。先の杏子が散らした腕と同様、すぐに再現されるため全くダメージを与えているという感触はないが……。

 

 

 

 

 そのような小康状態が五分ほど続いた。

 時折、隙を見て魔女の胴体にも攻撃を入れるが、やはり一時的に傷口を作るだけで、瞬く間に再生していく。そのような状況に魔法少女たちは焦れるが、魔女はより強く焦れているようだった。

 

『サヤカチャン、ドウシテソンナニ逃ゲ回ルノ? ワタシガ要ラナイモノ全部消シテアゲルヨ。ソレデ、ワタシノ結界ノ中デ幸セニ過ゴソウヨ。コンナ現実ヨリ、ソノ方ガミンナ救ワレルヨ』

 

 最初の頃は、迷い込んだ羽虫を保護するような所作でさやかと杏子を掴もうとしていた魔女の腕が、今はそのような気遣いを忘れたように猛然とした勢いで掴みかかってきている。

 だが、それは必ずしも魔法少女に不利には働かなかった。速さこそ上がったものの、正確さを欠いた攻撃は避けるに易く、剣や槍で迎撃する必要が薄くなったことから、ふたりは回避を重視して高度を上げる。

 

「と、届かなくならないように……ね」

 

 後方に控えていたマミも、杏子がソウルジェムの有効圏内から逸脱しないように上空へと向かった。

 

 

 

 

 魔女の巨大な頭部へ辿り着いたさやかは、サーベルでの突いた。突く対象は、自分の身長ほどもある魔女の瞳。

 今までの攻撃と異なり、鈍く重い手応えがあった。その効果を認めるように、まどかの面影を残す魔女の顔が歪む。

 アーモンド形の瞳。そこに剣撃で穿たれた孔から、血液のように粘り気のある魔力が溢れ出る。溢れ出た魔力は意志があるかのように、さやかに向かって迸った。

 とっさにマントで身体を隠すさやかだが、ガスのような特性を持つのか、マントを回り込むようにして魔女の魔力がさやかの四肢に到達する。

 

『ツカマエタ』

 

 不確かな流体として振る舞っていた魔力がにわかに凝固する。凝固した魔力は枷となり、さやかの四肢を拘束した。

 

『悲シイコトモ、寂シイコトモ、全部取リ除イテ、本当ニ幸セナ世界デ一緒ニイヨウ、サヤカチャン』

 

 そして、手足を拘束している枷から、人の腕の形をしたものがせり出し、先端をさやかの臍――ソウルジェムへ伸ばした。先端に備えられた枯れ枝のような指が、ジェムを保護するために巻かれているバンテージをつまむ。

 ぺろり、とバンテージが捲られると保護が弱まり、さやかのソウルジェムに魔女の魔力が干渉を始める。バンテージがほつれた僅かな隙間から侵入した魔力が、さやかのソウルジェムを撫でさする。

 ぬるま湯のプールに仰向けで揺蕩うような、そんな感覚をさやかはおぼえた。

 そして湯の中に、さやかが隠し持っていた悲しみも嘆きも溶けて消えていくように薄れていく。

 

 ――あ……ヤバい。もういいやって思っちゃってる。

 

 ソウルジェムに座する魂の具象化としてのさやかも、現実で魔女に拘束されるさやかも、同じように瞼をおろした。それは母の腕の中で眠る赤子のような、幸せに満ちた顔だった。


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