マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第二話 マミさん、魔法少女の家へお呼ばれする

 かなり気の早いクリスマスの飾りが溢れる、見滝原の繁華街。

 巴マミと佐倉杏子は、目抜き通りのふたつ隣を走るうらぶれた通りを、ソウルジェムを掌に浮かべて歩いていた。

 

「ん……反応、強くなったわね」

 

 口元まで隠すマフラーの下から、くぐもった声で巴マミが告げる。

 

「さて問題です。この反応は魔女でしょうか? 使い魔でしょうか?」

 

 ふふっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、杏子へ問いかける。

 問われた杏子は、唸りを漏らして自らのソウルジェムを凝視する。

 その様子を楽しそうに眺めると、マミはカウントダウンを始めて時間制限をほのめかした。

 

「えーい、使い魔!」

「わ、正解。どうしてそう思ったの?」

 

 デフォルメされた熊が描かれた手袋で小さく拍手するマミ。

 

「なんとなく」

「……もう、佐倉さんったら」

「ほら、あたし直観派だからさ」

 

 おどけて言うと、チョッキを翻してその場で回って見せる杏子。

 厚着のマミとは対照的に、ショートパンツに薄手のセーター、その上にチョッキだけという出で立ちだ。

 

「学校の勉強でも答えだけだと点数もらえないでしょ。……でも、直感も大事よね」

「それにしてもマミさんの魔女探索は効率いいよね。ひとりだったときは、こんなに早く探し当てられなかったよ」

 

 それを受けて、マミは探索のノウハウを歩きながら伝えていく。そしてひとしきりの説明を終えると、首を傾げて杏子に問うた。

 

「これ、渡したノートに書いてたはずよ?」

 

 ちゃんと読んでる? と疑うマミの視線に、杏子は、読んでるけど記憶は苦手だからと、しどろもどろに弁解する。

 

「人間社会への影響や被害を未然に防ぐためにも、魔女や使い魔の早期発見はとても重要なの」

「うん、わかる」

「じゃ、帰ったら復習ね」

 

 真剣な眼差しで頷く杏子の態度に満足すると、結界に向けてマミはさらに足を速めた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 魔女の結界に比べれば、使い魔の結界は狭い傾向がある。

 この使い魔の結界もそうだ。

 三本のエスカレーターが歪み、交差しながら上に向かうだけの、単純な道中。

 数十メートル登ったエスカレーターの終点である結界最深部は、学校の教室程度の大きさの広間。広間は、木の枝を格子状に組んだ釣鐘状の壁で囲まれ、鳥籠を模した空間となっていた。

 

 その広間の中央に、蜂を思わせる使い魔がいた。

 ペットボトルのように湾曲した黒い胴体に、一対の触角を生やした細長い頭を浮かべ、背中では黄と黒のストライプに彩られた二対の羽根をせわしなく動かしている。

 初めて見る使い魔ね、とマミが杏子に告げる。

 

「あたしが突っ込むから、マミさん援護してもらっていいかな?」

 

 杏子の提案に、マミは思考を巡らせる。

 

 ――初見の使い魔とはいっても、魔法少女がはぐれの使い魔単体に後れを取ることは考えにくい。

 ――だから、この場合は逃げられることだけを注意すればいいわよね。

 ――その点、近接戦闘が得意な佐倉さんが突っ込んで、私が射撃で逃走を阻む、という戦い方は悪くはない。

 

 マミはコクリと頷く。

 

「でも、くれぐれも注意してね」

「任せて!」

 

 叫ぶや、大身槍を片手に突撃する杏子。

 使い魔は、意味をなさない金切り声をあげながら上昇する。

 させない、とばかりにマスケットから放たれた魔弾が使い魔の羽根をひとつ射抜いた。

 二対の羽根のうちひとつを射抜かれた使い魔は飛翔力のバランスを失い、きりもみ状に墜ちる。

 墜落する使い魔は側壁に激突。壁に半身を埋める形で動きを止めた。そこを――

 

「いただき!」

 

 腰だめに大身槍を構え、壁面で蠢く使い魔に致命の一撃を与えるべく、杏子は跳んだ。

 獲った、と杏子が勝利を確信したそのとき。

 杏子の真下の床がぐらりと盛り上がる。

 盛り上がったそれは、一本の茎の先端に牙を生やした二枚貝を頂く、食虫植物を思わせる異形の使い魔の姿を瞬時にして成した。

 杏子を丸ごと飲み込めるほどの巨大な顎。それを大きく広げて、使い魔は真下から杏子に襲いかかる。

 真下という死角からの攻撃に、杏子の反応が遅れた。空中で身をひねろうとするが――

 

「危ないっ!」

 

 マスケットから三連、五連と魔弾が放たれる。

 しかし、僅かに遅かった。

 魔弾が着弾する寸前に、使い魔の牙が魔法少女に届いた。身をひねり避けようとする杏子の脚に喰らいつくようにして。

 肉が潰れ、骨が軋む嫌な音、それは三本の牙が太腿を貫通した音。

 杏子の脚から噴水のように鮮血が迸る。

 少女の悲鳴。

 遅れて着弾したマミの魔弾が、使い魔を射抜く。

 杏子の悲鳴に食虫植物の使い魔の悲鳴が重なる。

 使い魔は、被弾の苦痛に茎を鞭のようにしならせる。その挙動で、杏子の太腿にめり込んでいた牙が抜け、杏子は壁面へ投げ捨てられ――

 

「佐倉さん!」

 

 投げ捨てられた杏子は、背中から壁面に激突する。その衝撃に、壁面を成す枝が鈍い音を響かせて外側に傾ぐ。

 枝はわずかの間、杏子の身体を支えたが、すぐに力尽きた。めきめきと音を立てて、枝が外へと折れ落ちる。

 マミの名を呼ぶ杏子は、枝の支えを失い、鳥籠の外の空間に放り出された。

 マミは駆けた。

 使い魔を一顧だにせず、杏子が投げ出された方へと駆ける。隙だらけだったが、幸い、蜂の使い魔も食虫植物の使い魔も、魔弾を受けて苦しみ、攻撃を仕掛けられる状態ではなかった。

 壁面へたどり着くと、間に合ってと祈りつつ、開いた穴からリボンを下に向けて投げる様に放つ。

 

 恐らく、あと一月の経験を積んだ杏子なら、痛みを無効化し、落ち着いて中空に足場を作って落下を免れていただろう。

 だが、まだ充分な経験を持たない今の杏子には、それを行うことは難しかった。

 痛みと落下の恐怖で錯乱した杏子の脳裏に、父、母、妹の笑顔が浮かんでは消える。

 父さん、母さん、ごめんなさい、と死を意識した杏子が呟く。その時、杏子の手を強く掴むものがあった。

 マミだ。

 正確にはマミのリボンが、杏子の手首を掴んだ。続いて胴に、そして脚にとリボンが巻き付いて彼女の体躯を支えた。

 遅れてマミ自身が、デンドロビウムの花冠で形成した足場を幾度となく虚空に生み出しては、それを蹴って駆け降りてくる。

 

「良かった……」

 

 マミは杏子がリボンで宙吊りになっていることを確認すると、足場を数回横方向に蹴り減速する。

 そして、リボンで包まれた杏子のすぐ下に、ラフレシアほどの大きさの花冠を形成する。

 そこに降り立つと、ゆっくりと杏子を降ろして強く抱き締めた。

 オフホワイトのブラウスが、杏子の太腿から零れる鮮血で朱に染められていく。

 

「ごめんなさい。使い魔の結界に別の使い魔がいるなんて想像もしてなくて反応が遅れて。本当にごめんなさい」

 

 治癒魔法が杏子の傷を塞ぐまでの間、湿った声の謝罪は何度も何度も繰り返された。

 まだ頭の芯に霞がかかったような杏子は、それを聞きながら、マミさんのこんな声も、表情も、初めてだなと、ぼんやり思った。

 

 

 

「マミさん、ごめん、あたしのミスで」

 

 ようやく落ち着いた杏子が、傷口に当てられたマミの手を上から押さえる。

 温かい。

 治癒魔法の波動のみならず、杏子を優しい気持ちにさせる温かさがそこにあった。

 

「そんなことないわ。私が悪かったの」

 

 使い魔の結界には、他に使い魔はいないと思い込んだこと。

 援護が遅れ、使い魔の攻撃を防ぐことが出来なかったこと。

 どちらも、十分に回避できたはずのミスだとマミは思った。

 生きていてくれて良かった、そんな感情を伴ってマミの瞳からこぼれた滴が、杏子の手に落ちた時。

 結界が歪み、二人はもといた通りに現れた。

 

 

「結界を解いて、逃げた……ってこと?」

 

 普段着に戻った二人は結界のあった路地裏にいた。

 

「そうね。こうなると追うのは困難だけど、逆に結界を張ってないという事は、犠牲者が出ることもないと思うわ」

 

 だから、みんなへの被害を防ぐという意味では、目的は達成ね、とマミは微笑む。

 もちろん、使い魔を倒し被害の芽を断ったわけではなく、先送りしたに過ぎない、それは杏子も理解している。

 

「あたしさえミスしなけりゃ逃がさなかったのに……ごめん」

 

 マミはかぶりを振ると「私のミスなの」と漏らし、杏子のショートパンツから伸びる脚に視線を落とす。

 

「それより、ケガは大丈夫? 痛くない?」

「うん、大丈夫。マミさんの治癒魔法はすごいね」

 

 その場で、駆けるように膝を上下させる杏子に、良かったぁと破願すると、マミは手袋で目元を拭った。

 

「今日は早いけど切り上げましょうか」

「え、もう?」

 

 めっきり日が暮れるのも早くなったが、まだ日は傾いてもいない時間だ。

 

「えぇ、今日はお互い反省することもたっぷりあるし……それに美味しいお茶が手に入ったの」

 

 あと、佐倉さんの名前になぞらえて、アプリコットパイの準備もしてあるの、と微笑む。

 自分のミスで失敗したのに、責めるどころか、慮ってくれるマミに、杏子は心の中で呟いた。

 

 ――なんだかマミさん、あたしの本当のお姉さんみたいだな。

 

 知らず、ぎゅっとマミの腕に抱きついた。

 

 ――気丈に振る舞っていても、やっぱり怖いよね……。

 

 杏子の仕草が、先程の戦いで感じた恐怖から来るものだと判断し、マミは共感をおぼえた。

 私も何度怖くて泣いたことだろう……。マミはそんな過去を思い出しながら、空いた手で杏子の髪を撫で擦った。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 翌日の日曜日。

 まだ霜の降りている時間から見滝原にやってきた杏子は、河川敷でマミに稽古をつけてもらっていた。

 一二戦〇勝。

 それが杏子の通算戦績。

 間もなく、一三戦〇勝になる。

 

「ぁぅ……」

 

 嘆息とも嗚咽ともつかない声を、リボンで拘束されて逆さ吊りになった魔法少女が漏らす。

 

「動きは良くなってるから落ち込む必要はないわよ、佐倉さん。それに、私も先輩なんだからそうそう負けません」

 

 立てた人指し指を左右に振り、得意げに胸を張るマミ。

 

「マミさんのリボンずるいよ! 本数制限なしだし、手で操らなくてもいいし、なんか卑怯だよ!」

 

 卑怯、という言葉に左右に揺れていたマミの指がぴたりと止まる。

 そして、意地の悪い笑みを浮かべると、リボンを操って逆さ吊りになった杏子を自身の目の前まで運ぶ。それはスケールこそ違えど、仔猫が首を咥えられて運ばれる様に似ていた。

 

「あらあら、実戦の時にもそんな言い訳するつもりかしら。魔女が卑怯だからこの攻撃は止めまーすって、言ってくれると思ってるの?」

 

 さらに一歩進み、顔が触れる程に距離を縮めると、杏子の耳に囁く。

 

「それに私のリボンが卑怯だって言うなら、佐倉さんの幻惑魔法だって卑怯なんじゃないかしら?」

「あぅぅ……」

 

 口喧嘩では、杏子の五戦〇勝だった。

 

「でも、せめてもう少し手加減してくれたっていいよね? 一度くらい勝ちたいよ!」

 

 じたばたと暴れる杏子のモーメントを受けて、リボンが振り子のように揺れる。

 

「うーん……。そうしてもいいんだけど、それじゃ訓練にならなくないかしら?」

 

 目の前を右に左に揺れる杏子を瞳で追いながら、マミは小首を傾げる。

 

「けーちー」

「しょうのない佐倉さんね。いいわ、リボンでの拘束はなし。それでやりましょう」

「ほんと?」

「ええ。卑怯だなんて言われちゃうと、ちょっと気分も悪いもの」

 

 片手を差し出して杏子の頬を受け止め、振り子状の動きを止める。そして、器用にリボンを操作して静かに彼女の身体を大地に下ろす。

 数分ぶり自らの足で大地に立った杏子は、感触を確かめるように足踏みを繰り返してから、念を押すようにマミに詰め寄った。

 

「じゃぁ、リボンはなしね!」

「う、うん、そう言ってるじゃない」

 

 杏子の勢いに気圧されるように、上半身を後ろに反らす。杏子は飛びかからんばかりの勢いで迫り、マミはさらに数歩後ずさる。

 

「まぁ、佐倉さんは……今の調子なら拘束魔法ありでも、すぐにいい勝負になるわよ」

 

 リップサービスでなく、マミはそう思う。

 

「佐倉さんには十分な素質があるもの。その上、成長が本当に早いわ」

 

 自分が杏子程度の経験しか持たない頃、どれだけ満足に戦えただろうか。まだマスケットを使うことも出来なかった頃だ。

 それに比べると、杏子の大身槍による攻撃と幻影による防御は、ずいぶん優れているとマミは思う。

 だが、客観的に見るとこの比較はいささか公平さを欠いている。

 独学で技量を磨くしかなかったマミに比べ、杏子には巴マミという指導者がいる。

 結果的に成長が早くても、それはマミの言うように素質のみに依存しているものではないだろう。

 

「不得手な治癒魔法をカバーできさえすれば、右に出るものはいない魔法少女に成長すると思う」

「そ、そう?」

 

 ベタ誉め、と言ってもいい評価を受けて、杏子の声が上ずった。

 

「そうよ、だから自信を持って。佐倉さんとふたりなら、きっとワルプルギスの夜だって倒せるわ」

 

 マミは、小さくガッツポーズをして、頑張って、と声をかけた。

 

「うん、頑張る! 絶対一緒に倒そうね!」

 

 噂に聞く最強最悪の魔女、ワルプルギスの夜の名を前にしても、佐倉杏子はいささかも怯むことなく怪気炎をあげた。

 マミはさして深い意味があってワルプルギスを引き合いに出したわけではなかったが、意気を高揚させている杏子を見て微笑むと、指切りを促すように小指を差し出した。

 

「じゃぁ、それまでにしっかり訓練して一人前になること」

 

 意気込んで頷く杏子は、短く「はい!」と応えた。

 

 

 しかし、残念ながら現時点の杏子はマミの敵たりえない。

 彼女の踏み込み、払い、突き、いずれも迅く強く、そして重い。

 単純な撃ち込みとしては、厳しく評価しても「優」を付けられるだろう。

 だが、目配せや身体の重心の移動で、次に何をするかが手に取るようにマミには分かってしまう。

 このことを伝えるべきだろうか、ともマミは思うが、すぐに否定する。

 

 杏子が倒すべき魔女や使い魔は、目配せも重心の移動も読むことはしない。指摘することで、変に意識させて杏子の本来の動きを抑制する結果になっては逆効果。

 そして、もしこれらの挙動を読むような敵――魔法少女――が現れたなら。

 

 ――その時は、私が矢面に立って佐倉さんを守ればいいわ。

 

 マミはそう判断した。

 後に杏子が戦う魔法少女が、そのマミ自身であることなど想像の埒外にあった。

 

 結局、午前中の模擬戦は、杏子の通算戦績一六戦〇勝で幕を閉じた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 手早く作ったパスタでお昼を済ませると、ふたりは再び河川敷に移動した。

 

「じゃぁ、午後は魔法の練習をしましょう」

 

 魔法は、魔法少女の心の在りようが鍵になる。

 心の中でいかに強く願い、リアルにイメージできるかに、その成否や強弱がかかっている。

 

「つまり、佐倉さんが自分の分身がもっといるんだって強く信じて魔法を使えば、もっと分身を作れると思うの」

 

 何度も頷き、マミの講釈に聞き入る杏子。

 

「例えば、このリボン」

 

 マミの鈴を転がすような声に答えて、地面に一輪の花が咲き、そこからリボンが上に伸びる。

 

「マスケットなんだーって念じると……」

 

 指が、銃を描くように空を切る。

 それにあわせて、リボンが絡まり、その形をマスケットへと変えていく。

 

「ね? この通り」

 

 えい、と指で突っつくと、マスケットはリボンに戻り、マミの手首に巻きついた。

 

 

 

「見てマミさん、三人に増えた!」

 

 本物を含めて四体の佐倉杏子が、思い思いに、Vサインや万歳、ガッツポーズで喜びを表す。

 そのうち、Vサインをしている杏子だけが、長く伸びた影を河川敷にさらしていた。

 

「いい感じね。ただ、影のあるなしでどれが本当の佐倉さんか分かっちゃうかも」

 

 いかに本能的な動きを繰り返す魔女といえども、それ程度の知性はあってもおかしくはない、とマミは思う。

 

「たくさんの分身に影を作るのは大変と思うから、本当の佐倉さんの影を幻惑魔法で消しちゃうのがいいかもね」

「わかった。やってみる!」

 

 マミのアドバイスを受けて行った次の幻惑魔法は、果たして、全ての佐倉杏子が影を持たなかった。

 

「すごいわ佐倉さん、もうどれが本物か見分けがつかないわね」

 

 軽い軽い、と勝ち誇る声がサラウンドで響く。

 

「絶好調ね。じゃぁ、次は四人に挑戦してみましょうか」

「オッケィ!」

 

 瞳を閉じ、腰を落とすと、低い声を漏らして気合を溜める。

 格闘技の演武よろしく、右の拳をゆっくりと腰だめに引いた。

 杏子の集中する様を見て、マミは満足げに二度、三度と頷く。

 

「たぁッ!」

 

 裂帛、と表現して差し支えない声とともに、勢いよく拳を前に突き出す。

 それと同時に、杏子の右に、左に、分身が次々と現れる。

 一、二、三……と呟きながら指さしで分身を数えると、マミは大声で叫んだ。

 

「すごい! 一気にふたりも増えたわ!」

「あたしが本気を出せば、こんなもんさ」

 

 本物を含めて六体の杏子が、異口同音に勝ち誇る。

 

「うん! この短期間でここまで魔法の使い方がうまくなるなんて、本当に佐倉さんの才能はすごいわ」

「ほ、本当?」

「ええ! この調子で鍛えていけば、ロッソ・ファンタズマは無敵の魔法技になるわ!」

 

 マミのその言葉に、有頂天になって飛び跳ねていた杏子の動きが、ぴたりと止まる。

 

「ロッソなんとか……?」

「ロッソ・ファンタズマ。紅い幽霊という意味よ。佐倉さんにピッタリの名前だと思うけど、お気に召さなかったかしら……?」

 

 杏子のリアクションを、技名の説明を求めていると勘違いしたマミが、とうとうと語る。

 最後に、一所懸命考えたんだけど……と自信なさげに付け加えた。

 

「気に入る、気に入らない、っていう問題じゃなくて……」

 

 恐らく善意からと思われるマミの申し出に、おずおずといった様子で杏子は異を唱える。

 

「その、前から思ってたんだけどさ、戦いの最中に技名を叫んで必殺技っていうのは、どうなのかな……?」

「えっと、なにが?」

 

 小首を傾げ、杏子の言葉を聞くマミ。

 

「なんか、ふざけてるっていうか……真剣さが足りないっていうか……」

 

 ふざけてる。真剣さが足りない。の言葉につれて、マミの笑顔が冷たいものへと変化していく。

 

「あらぁ……佐倉さん、先輩のやり方にダメ出ししちゃうんだ? ふぅーん……」

 

 粘りつくような声と雰囲気。普段とまったく異なるマミの態度に威圧された杏子が、必死に違う違うと否定する。

 だが、芝居半分のマミは、その弁明を受け流すとさらに続けた。

 

「いいえ、聞く耳もちません。佐倉さんがそういうつもりなら、私にも考えがあるわ」

 

 そこで一旦言葉を切ると、杏子の顔に人差し指を突きつけて宣言する。

 

「罰として、次の戦いであなたにロッソ・ファンタズマって叫んでもらいます」

 

 日が暮れて訓練が終わるまでの間、杏子は何度も何度も説得しマミの翻意を促したのだが。

 語尾に音符が付くような口調で、マミはその説得を何度も何度も押し返した。

 口喧嘩は六戦――いや、これは口喧嘩でなく、いじめに分類すべきだろう。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 河川敷からマミの部屋までの帰途、 ところでと前置きして、杏子は問うた。

 

「マミさんはどうして魔法少女をやってるの?」

「どうして?」

 

 問い返す言葉にあまり意味はないが、杏子の返答も「なんとなく」という要領を得ないものだった。

 少し間を開けて、杏子が理由を伝える。

 

「マミさんほどの知識と技術を得るまでには、相当長い期間の努力と習練が必要なんじゃないかと思って。それだけの強いモチベーションをどうやって維持してるのかな、って」

 

 聞いちゃまずかったかな、と続ける杏子。

 

「ううん、ちょうどいいわ、あなたには言っておこうと思ってたし……」

 

 うつむき気味にかぶりを振ると、顔をあげて遠くを見つめる。

 視界の端で、小さな隼が輪を描いて飛んでいるのを目で追うと、ゆっくりと語り始めた。

 

「契約したのは、半年ちょっと前よ」

 

 家族と一緒に、酷い交通事故に巻き込まれたこと。

 死にかけていたところに、キュゥべえが現れて、とっさに『命を繋ぐ』という祈りで契約したこと。

 

「両親も同じ車に乗っていたのに、あのときの私ったら、自分のことだけ祈っちゃったの」

 

 天を仰ぎ、唇を噛む。

 

「両親を亡くして、とても悲しくて辛かったわ」

 

 魔法少女になってからも、怖くて泣いてばかりだった、との言葉に、杏子はただ黙って耳を傾けていた。

 マミは、「だけど」と目尻を拭い、笑顔を作る。

 

「あるとき私はこう思うようにしたの」

 

 大切な人を失うことが、こんなに悲しくて辛いなら。

 自分に、魔女と戦う力が与えられて、そんな不幸を減らすことが出来るなら。

 パパとママを救えなかった罪滅ぼし、ってわけじゃないけど、と呟いてマフラーをほどき、口元を露わにした。

 

「私は誓ったの。魔法少女の力でみんあを助けてみせるって。もう、こんな思いは誰にもさせたくないから」

 

 ぎゅ、と胸の前で両手を握り合わせるマミの姿は、杏子には神前で祈る父の姿と重なって見えた。

 

「そんな想いが、こうして今の私に繋がってるんだと思うの」

「……そうだったんだ」

「今まで私の戦い方を受け容れてくれる人はいなかったから……佐倉さんが友達になってくれてとっても嬉しいわ」

 

 これからもよろしくね、と微笑むマミに、杏子は少し考え込む素振りを見せた。

 

「佐倉さん、どうかしたかしら?」

 

 杏子は、言葉を慎重に選ぶように、一言ずつ、ゆっくりと吐き出す。

 

「……マミさんは、あたしのこと、いつも友達って言ってくれるよね?」

 

 杏子は足元の小石を軽く蹴る。

 蹴られた小石は、道から外れると斜面をころころと転がっていった。遠くで、ぽちゃりと水音がする。

 

「あたしにとってのマミさんは、友達っていうのとはちょっと違うっていうか……」

「どういう、こと?」

 

 肺の深いところから息を絞り出すようにマミが問うが、杏子は両手を頭の後ろで組むと、一息にまくしたてた。

 

「えーっと、変な意味じゃなくてさ。その、ううん、やめとく!」

 

 気恥ずかしくて、友達じゃなくて本当のお姉さんみたいに思ってる、とは言えなかった。

 杏子は、気持ちを誤魔化すように少し駆けると、「そうだ」と振り返った。

 

「マミさん、これから良かったら家に来ない?」

 

 家に誘って家族に紹介すれば、言葉で言わなくても友達よりも大切だって伝わるよね、という杏子の思い込みは、残念ながらマミには伝わらなかった。

 この日、マミは今まで以上に『理想的な』魔法少女であろうと決意した。

 友達としてではなく、魔法少女として強くなるために自分と一緒にいる杏子を、出来るだけ長く手元に置くために。

 誰よりも強く、品が良く、優しく、優雅で……自分を偽ってでも、無理をしてでも、そうあろうと己に誓った。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「モモ、食事のときは動き回ってはダメだよ。きちんと椅子に座って食べなさい」

 

 食卓の周りを元気よく走り回る幼女に、上座に座る壮年の男性――杏子の父――が優しく諭す。

 白い詰め襟のシャツに黒色のスーツといった、牧師によくある出で立ち。かもしだす落ち着いた雰囲気も含めて、見るものに聖職者そのものといった印象を与える。

 

「はーい」

 

 モモと呼ばれた幼女は素直に聞き分けると、自分用の背の高い椅子に、よいしょと登る。

 その動作に合わせて、杏子と同じ髪型の栗毛が左右に揺れた。

 

「この子はお客様が来ると、いつもはしゃぐんだよ。落ち着かなくてすまないね」

 

 椅子に座ったモモの頭を撫でてやると、杏子の父はマミに軽く頭を下げる。

 

「いえ、賑やかで温かくて、とっても楽しいです」

 

 心の底から、マミはそう思う。

 家族を失ってからというもの、マミにとって食事は一人で淡々ととるものであり、楽しむものではなかった。

 皆で食卓を囲む幸せを噛み締めて陶然としているマミだったが、その隙を狙うように、マミの皿に一本のフォークが伸びた。

 

「えびふらい、もーらった」

「あら」

 

 対面からモモが短い手を伸ばして、マミの皿のエビフライをフォークで串刺しにしていた。

 

「あー、こらモモ! それはマミさんの分! ひとのものを盗っちゃだめでしょ!」

「えー、だってモモ、えびふらい大好きなんだもん」

 

 姉の言葉に意味の通らない反論をすると、妹は大きく口をあけてエビフライを放り込もうとする。

 

「モモ、人のものを盗ってはだめだよ。返しなさい」

「はーい」

 

 父の言葉に、モモは動きを止めると、素直にマミの皿にエビフライを戻そうとする。

 

「いいのよモモちゃん、それ、食べて」

「いいの?」

 

 モモは、父の顔とマミの顔を交互に見て許可を求める。

 

「ご馳走たくさん頂いて、もう私はおなかいっぱいなの」

 

 マミの言葉と、赦しを与えるように頷く父を見て、モモは大きい声でマミにお礼をいうと、エビフライを口に運んだ。

 

「おいしい!」

「もう、まったくモモは……ごめんね、マミさん」

 

 妹の野放図な行いに杏子がフォローを入れるが、そもそもマミは全く気にしていなかった。

 

「ううん。こんな賑やかで温かい食事は本当に久しぶり。とても懐かしいわ……」

 

 それが偽らざる今の心境だった。

 

 

「巴さん、コーヒーで良かったかしら」

 

 大きなお盆にコーヒーとジュースを乗せて、台所から上品そうな女性――杏子の母――が入ってきた。

 

「ありがとうございます。こんな楽しいお食事に同席させて頂いて、本当に感謝しています」

 

 目を閉じて深く頭を下げる。

 見よう見まねで、同じように頭を下げるモモを見て、食卓に笑いが溢れた。

 ひとしきり笑うと、コーヒーカップを口元に運び、唇を湿らせて母が口を開く。

 

「でも杏子、先に言っておいてくれれば、もっと豪華な食事にしたのに……」

「いつも通りの方がいいの。ヘンに豪華な食事だと、マミさんだって来づらくなっちゃうでしょ」

 

 これからも頻繁に来て欲しいから、と言外に匂わせて、杏子がマミを横目で見る。

 友達じゃなくて家族みたいに思ってるって、分かって欲しい、という願いを込めて。

 

「こんなに明るくて楽しい食事は久しぶりで……。今日は本当に幸せな気持ちです。佐倉さん、呼んでくれて本当にありがとう」

 

 香りを楽しむようにカップを口元で泳がせると、マミは遠い目をした。

 

「喜んでもらえて良かった。我が家もお客様を招くのはずいぶん久しぶりのことでね。きちんとおもてなしできるかと家内と心配していたんだよ」

「そうなんですか?」

 

 深く頷くと、父は静かに語り始めた。

 

「ああ。私は神の教えを皆に伝える仕事をしていてね。しかし、私の伝える神の教えは世間にはなかなか受け入れてもらえなかった。つい最近のことなんだよ、人々が私の話に耳を傾けてくれるようになったのは。……それまで、家族には本当に辛い思いをさせてしまっていたんだ」

 

 そのバスバリトンの声には、苦労をかけた家族への贖罪の色が込められていた。

 先程まで騒がしかったモモも、行儀よく静かに耳を傾けている。

 

「あれは秋のある日のことだよ。それまで私の話を聞こうともしなかった人々が、突然に教会に押し寄せてね。私の話を聞きたいと、言ってくれたんだ」

「自分を信じ、幸せの種を蒔き続けてきたのが、やっと花開いたんだって、私は主人に言ってるの」

 

 母の感想は、いかにも聖職者の妻らしい、希望と信心に満ちたものだった。

 

「……そうですか」

 

 奇跡のような話だと、マミは思った。

 そして奇跡を成す方法があることを、彼女は知っていた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「長々とお邪魔してすみませんでした、本当に楽しかったです」

 

 玄関まで送りに来てくれた杏子の家族に、マミは深々と頭を下げる。

 

「マミおねえちゃん、またきてね!」

「巴さん、杏子とこれからも仲良くしてやってください。それにモモもこう言っています、ぜひまた来てくださいね」

「ええ、毎日でも来て欲しいくらいだわ。だって、杏子がお友達を連れてくるなんて初めてのことなんですもの」

 

 ブーツに足を通していた杏子は、母の言葉に声を荒げた。

 

「母さんっ! なんでそんなこと言うの!」

「本当のことじゃないの」

 

 何をいまさら、という表情を見せる母に、杏子は噛みつかんばかりに言った。

 

「本当でも言っちゃダメなことってあるじゃん、恥ずかしいよ!」

 

 顔を真っ赤にした杏子に、父と母が笑いをこぼす。つられてモモも。そして控えめにマミも笑みを浮かべた。

 

 

 

 駅まで送ると家族に告げて、杏子はマミと一緒に家を出た。

 隣町程度だと、電車やバスを利用するよりも、魔法少女の身体能力で直線的に移動した方が速い。杏子はいつもそうしているのだが。

 

「今日は、ゆっくり帰りたい気分……かな」

 

 と、マミは呟いた。部屋に戻ると、いや、見滝原に戻ると、いつもの日常に引き戻される気がしたから。

 杏子には理由は分からなかったが、駅まで案内するのも悪くないと思い、少し遠回りになるが山茶花で賑わう遊歩道を選んで歩いた。

 道すがら、また来て欲しいと繰り返す杏子に、マミは「今度はお土産用意して伺わないとね」と微笑む。

 

「モモちゃん、人懐っこくていい子よね」

「モモは、外面だけはいいからね……」

 

 大袈裟に溜め息をつくと、妹への不満をまくしたてる。

 

「あたしには酷いもんだよ。なんかあったら全あたし私のせいにしてさ。最後は『杏子の妹になんて生まれてくるんじゃなかったー』って言うんだよ」

「あらあら、ひどいわね」

 

 同調してみせるマミだが、表情も声も明るく、そう思ってはいないのは明らかだった。 

 

「ほんとだよー。好き放題いってくれちゃってさ」

 

 唇を尖らせる杏子だが、こちらも既に目は笑っている。

 

「でも、佐倉さんは許しちゃうんでしょ?」

「まぁ、お姉さんだしね……」

「えらいえらい」

 

 子供をあやすように頭を撫でる。ひとしきり撫でると、マミは顔から笑みを消した。

 

「佐倉さん、あなたが魔法少女になった願いって……」

 

 杏子は、やっぱ分かるよね、と苦笑すると、言葉を続けた。

 

「……裕福になりたいとか願ったわけじゃないんだ。ただ、『父さんの話をみんなが聞いてくれますように』…ってさ」

 

 そこまで語ると、杏子は過去の情景を思い浮かべながら、マミに語って聞かせた。

 今の時代に即した新しい信仰が、人々のために必要だと語る父。

 父の言葉に耳を傾けることなく、教会を去る信者達。

 父の言葉を邪まなものと断じ、戒規処分とした本部。

 語る言葉を否定するだけじゃない、父そのものを神に成り代わろうとする悪魔だと罵る者までいた。

 

「だって悔しいじゃないか。みんな話を聞きもせずに、父さんの教えを否定するなんて……」

 

 父の教え自体は正しいのに、と杏子は憤る。

 

「……そう、あなたはお父様のために」

「誰かのために願い事をするって、ダメなのかな……?」

 

 マミの言葉に否定の色を感じた杏子が問う。

 

「ううん、そんなことない。立派な願いよ。ただ、私はね、一度しかない願い事だから、それが佐倉さん自身の願いを叶えて、幸せにしてくれるものだったら、もっと素敵だなって思うの……」

 

 冬の星座が輝く空を見上げ、星の瞬きを見つめる。

 

「魔法少女の使命は危険を伴うし、自分の日常を犠牲にしなくちゃならないこともあるわ。それが、自分の願い事の対価だと思えば我慢もできるけれど、そうでないとしたら……」 

 

 命の危険もあれば時間の制約もある、それでいて他人には決して認められることのない魔法少女としての活動。

 マミは自らの命を繋ぐという自分自身の願いで魔法少女になり、また願い事を両親に向けれなかった後悔を持ち、半ば義務感に追い責められるように戦っている。

 そこにあるのは諦観にも近い。だからこそ、割り切ることもできる。

 

「それならあたしは大丈夫だよ」  

 

 迷いなく断言すると、杏子も星空を見上げた。

 

「みんなの幸せのために頑張ってる父さんを、小さい頃からずっと見てきた。あたしも、父さんの影響かな、みんなに幸せになってもらいたいって願ってた。その願いの第一歩が、父さんを幸せにすることだったんじゃないかな」

 

 マミと同じ星を見つめている、そんな確信が杏子にはあった。これからもずっと、そうありたいと思った。

 

「うん、そうだよ。みんなの幸せを守る、それがあたしの願いなんだ」

「そう……あなたなら大丈夫よね」

「これであたしもマミさんと戦う理由は同じだよね」

「えっ?」

 

 虚を突かれ、マミの声は少し高くなる。

 言われてみると、確かに同じ理由に違いない……だけど、とマミは思う。

 

 ――私は魔法少女になったから、皆の幸せを守りたいと思った。でも、佐倉さんは違う。皆の幸せを守るために魔法少女になったんだ。

 

「ううん。佐倉さんの方が、私よりずっと立派だわ」

 

 そんなマミの情動を知らない杏子は、突然のことにマミの顔を見つめる。

 

「佐倉さん、私、佐倉さんと知り合えて本当に良かったと思うわ」

 

 空を見上げたまま、マミがさらに言葉を連ねた。

 

「え、えっと、もちろん、あたしもそうだよ!」

 

 突然の大声に、少し前を歩いていた婦人が怪訝な表情を浮かべて振り向いたが、杏子は気にも留めずに続けた。

 

「マミさん、あらためてこれからもよろしく!」

「……ええ、こちらこそ」

 

 その時、二人の脳裏に直接声が届いた。

 

『マミ、杏子! グリーフシードだ! 魔女が孵化しかけている。急いで向かって!』

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 エキセントリックな色彩に染められた鉄柵が、大地に空にと縦横無尽に存在する空間。

 そんな異常な空間の果てに、マミと杏子は魔女の居る最深部へ辿り着いた。

 結界の主は、豚の体躯に鶏の頭と翼を据えた、唾液とともに哄笑を撒き散らす、杏子曰く「悪趣味な魔女」だ。

 マミも同意する。見てくれも醜悪だし、手入れのされていない家畜小屋のような臭いは我慢できないと愚痴のようにこぼす。

 

「さっさと片付けよう、マミさん!」

「そうね、臭いがうつらないうちに」

 

 軽口を叩きつつマスケットで照準し、トリガーを引く。

 銃身に刻まれた施条により回転を与えられた魔弾が、吸い込まれるように魔女の豚腹に命中する。が、肉に一瞬埋まると、その弾力で跳ね返された。

 

「うそっ!」

 

 お返しとばかりに、魔女は飛べない翼をはばたかせると猛然と突進攻撃をしかけてくる。

 巨体に似合わず、迅い。

 マミはとっさにマスケットを盾にして受けるが、ちょっとしたトラック程もある巨躯の突進の衝撃は殺し切れず、大きく吹き飛ばされる。

 土煙をあげて二度、三度と跳ねると、手から伸ばしたリボンを鉄柵に巻き付けて制動した。

 

「油断しちゃったわね……」

 

 全身に付いた汚れを手で払いつつ立ち上がる。そこに大きく旋回した魔女が勢いをそのままに再度突進してくる。

 

「そう何度も、くらうものですか!」

 

 リボンを上空に漂う鉄柵に巻き付かせ、真上へ跳躍して魔女の二度目の突進を躱す。

 

「あたしに任せて!」

 

 杏子の叫びが響き渡る。

 既に生み出されていた幻影が、魔女を包囲するように様々な方向から槍を構えて突進する。

 魔女は十を超える杏子のうち、一体に狙いを定めて突進するが、やはり無作為に選んではそうそう本体には当たらない。

 幻影が攻撃を受けている隙に、魔女の背中に飛び乗った杏子は、足元の弛んだ肉を槍の穂先で薙ぐ。

 魔弾が弾かれるなら刺突よりも斬撃で、との杏子の判断は奏功した。

 大身槍によって背の肉が深く切り裂かれると、魔女が悲鳴をあげ体躯を揺する。

 その振動により、肉の裂け目から黄白色に濁った体液が迸る。

 刺激臭がした。

 危険を感じ、背から飛び降りる杏子だが、一瞬早く飛び散った体液が葡萄酒色のスカートに付着する。

 邪悪な体液は、嫌な臭いと灰色の煙をあげて衣裳を溶かし始める。

 杏子は被害が広がらないよう、自らの槍でスカートを断ち、汚濁の付着した箇所を切り落とす。

 と、地に落ちた布きれが、地面ごと泡を噴いて溶け崩れていく。

 接近戦はリスクが大きすぎる、そう判断した杏子は幻影を囮に距離を取ると叫んだ。

 

「マミさん、背中の切り口を狙ってみて!」

 

 幾つかの鉄柵をリボンで結んで上空に形成した足場で、巨大マスケットを構築しつつ機を待っていたマミが応える。

 

「わかったわ!」

 

 杏子の幻影が魔女を巧みに足止めしている間に、照準を魔女の背の、だらしなく開いた裂け目に合わせる。

 裂け目から溢れた体液は、魔女の肉すら溶かし始めていた。

 これは近接殺しよね……と呟きながら、マミは引鉄を引く。そして響き渡る魔女の哄笑をかき消すように、澄んだ声で叫んだ。

 

「ティロ・フィナーレ!」

 

 

 魔女は、自らの体液で完全に溶け去るその瞬間まで、狂気に満ちた笑いを発し続けていた。

 魔女の嘴までが崩れ、静寂が訪れるのと同時、魔女の結界が歪み始める。

 刹那、全てが弾け――ふたりは、結界に入る前にいた小さな事務所の前に立っていた。

 微かな臭気と、足元に転がるグリーフシード以外に、魔女の痕跡を示すものはない。

 

「やったね、マミさん!」

 

 快哉をあげる杏子だが、それを眺めるマミの瞳は不満そうだ。

 

「そうね、お見事だったわ。分身も十を超えていたし……ただ」

 

 おうむ返しに「ただ?」と首を傾げる杏子。

 

「約束したよね? ロッソ・ファンタズマって叫ぶって」

「約束……したっけ?」

 

 とぼけようとする杏子に、マミは体を押し付け、間近で彼女の表情を観察するよう覗き込む。

 勢いに気圧された杏子は、約束を違えた僅かながらの後ろめたさもあり、マミを直視できず顔を背けてしまった。

 

「しました」

 

 一音節ずつ区切るように強調して言うと、杏子の両頬を手で押さえて向き直らせる。

 

「しょうがない。約束を守らない後輩には、もっと酷い罰を受けてもらいます」

「な、なに?」

 

 あ、やっぱり罰的なものって理解してるんだ、と杏子は思ったが、まぜっかえせる雰囲気ではなかったので言葉を飲み込む。

 

「今後、ロッソ・ファンタズマを使う時は、毎回、ずっと、必殺技名を叫んでもらいます」

「……どうしても?」

「どうしても」

 

 これも一音節ずつ。

 翻意を諦めた杏子は力なく頷くと、「わかりました」と呟いた。

 

「あ、ちなみに――」

 

 何がそんなに嬉しいのか、と杏子が心の中で毒づきたくなる程に幸せそうな笑みを浮かべると、マミは指を立てて宣言した。

 

「今度約束を破った場合は、魔女との戦いの前に、ふたりで名乗り口上をあげるようにします」

 

 いや、さすがにそれは不謹慎というか、ふざけすぎだろうと杏子は思うが、口に出さない程度の自制心はわきまえている。

 

 ――こういうときのマミさんは下手に逆らうと危ない。

 

 そもそも冗談だろうから、そんな指摘はちょっと空気が読めてないだろうし、と甘く考える杏子だった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「ピュエラ・マギ・アンジェリ・ドゥエットがチーム名で、私がカリーノ・リモーネ、佐倉さんがカリーノ・ロッソ。うん、いい名前よね」

 

 マミが電車のシートで沈思熟考してその名前に決め、メモ帳にペンを走らせた時、車内放送が告げた。

 電車が、見滝原駅を発車することを。

 

「あとはポーズよね……」

 

 だが、考え事に熱中しているマミが乗り過ごしたことに気付くのは、さらに二駅ほど過ぎた後だった。

 


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