マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第一九話 マミさん、ワルプルギスの夜を迎える

 ――この大嵐が、ほむらちゃんの言っていた災害……大型の魔女なのかな……。

 

 ブルーシートに座った鹿目まどかは不安げな表情を浮かべた。

 朝方に発令された避難指示に従い、家族で近隣の体育館へ避難したのは小一時間前。

 キャンプ気分の弟はもとより、尋常の災害と捉えている両親に比べても、鹿目まどかの心は遥かに乱れていた。

 鋼線入りの頑丈な窓が強風に震える。閉じられた両開きの入り口が、何者かがこじ開けようと暴れているかのように振動する。それらの様子に、避難所そのものが大きな悪意に責め苛まれているように思えて、まどかは怖気を感じた。

 

 ――さやかちゃん、マミさん、杏子ちゃん、ほむらちゃん……。

 

 戦いに向かったと信じる魔法少女たちの無事を祈り、両の手を胸の前で組み合わせた。

 祈る対象としての明確な神を持たない彼女は、心の中にある漠然とした神のイメージに魔法少女たちの無事を祈る。その態度は、厳粛にして真摯。世界宗教の信徒が朝な夕なに行う礼拝と比較しても見劣りはしないものだった。

 その祈りが、中断された。

 

 いや、彼女の意識としては中断されていない。その祈りの半ばで時が止まり、ひとりの少女のためだけの時間が現出したに過ぎないのだから。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 暁美ほむらは、≪今回≫の持ち時間のみならず≪過去≫の持ち時間をも調査に費やして得たデータから、考えうる限りの火力増強を行ってワルプルギスの夜に備えていた。

 時間停止の魔法を行使した暁美ほむらは、その最大火力を叩き込むべく行動を開始する。≪過去≫に鹿目まどか、巴マミと協力して、相討ち気味にワルプルギスの夜を倒した経験を基に組み立てた殲滅プログラムに従って。

 

 

 滑腔式の無反動砲を自らの周囲に乱立させる。数にして一〇〇近い。それを矢継ぎ早に肩に構え、照準して放つ。

 ≪過去≫のワルプルギス戦において、初手として巴マミが行ったマスケットによる連続射撃を想定したものだ。

 時間を停止させたまま、対戦車用の擲弾発射器を三〇ほど準備し、次々と発射する。

 先の無反動砲に比べれば威力も弾速も劣るものだが、巴マミの援護として鹿目まどかが行う魔弓での通常攻撃を想定している。

 かつての経験では、この初手で魔女の外装に相応の痛撃を与えていたのだが――

 

 

 数秒だけ、世界は時を刻むことを許された。

 時間停止中に撃ちだされた無数の砲弾が、無数の後方噴射を生み出して軌道を描き、魔女の側面に次々と着弾する。

 だが、魔女の外装に目立った変化はない。

 砲弾は炸裂し、魔女の外装に衝撃と高熱を与えているのだが、そこにはヒビもキズも、窪みさえも生み出されはしない。

 数センチの戦車装甲を貫くことは、暁美ほむらの放った炸薬弾には容易なことだ。翻って、マミのマスケットには容易なことではないだろう。

 しかし、そのパワーバランスとは真逆の結果が目の前に現れていた。魔女の外装に与える被害は、明らかに≪今回≫の炸裂弾よりも≪過去≫におけるマスケットの方が大きいのだ。

 やはり、と暁美ほむらは考える。しかし、だからといって彼女の行うべきことが変わるわけではない。

 

 

 

 

 再び時が堰き止められる。

 側面への集中的な被弾により、体勢を崩しつつある魔女を暁美ほむらは視界に捉えた。

 

 彼女の殲滅プログラムを実行するには、魔女の浮遊高度が高い。魔女の体を引きずり下ろしつつ、工業団地と市街地をつなぐ大橋の傍へ追い込む必要があった。

 ほむらは魔女を見上げる――そして、魔女を引きずり下ろすために必要な衝撃、当てるべき個所と角度を目算する。

 下向きの衝撃を加えるべく、撃ち下ろしの迫撃砲を数多に並べ、手にした照準計算盤を用いて筆算を行う。魔女の座標、此方の座標、風位風速の情報から、有翼弾を命中させるべき場所――魔女の左側面上部に着弾させるための、正しい砲身の位置、角度が割り出される。

 

 一定の間隔をおいて次々と――時間停止の影響下にあるので、現実世界では同時射撃だが――迫撃砲弾が打ち上げられた。

 ≪過去≫のワルプルギス戦において、魔女の機動力を奪う効果をあげた巴マミの≪無限の魔弾≫を想定した攻撃だ。

 

 

 

 

 滞空していた雨粒が再び大地を叩き始める。

 舞い上がった砲弾は、頂点に達すると山なりに落下軌道を描く。

 暁美ほむらの計算に間違いはなかった。砲弾は狙い過たず、魔女の左側面上部に集中、滝を思わせる激しさで着弾すると次々に炸裂音と閃熱を轟かせた。

 魔女が哄笑する。

 それは『痛い』という悲鳴か、『ぬるい』という揶揄か。

 魔女の巨体がその哄笑を続けながら、着弾の衝撃に圧されて左下方に流れていく。大橋の付近まで魔女が達した時、その高度は既にビルに並ぶほどに低下していた。

 その様に満足気に頷くと、暁美ほむらは手元の起爆スイッチを操作した。

 

 

 大橋の付近に屹立する巨大送電塔の基部に仕掛けられた爆薬が、スイッチの指示に従って爆発する。倒壊方向を計算して設置された爆薬は、その狙い通りの方向へ送電塔を傾けさせていった。

 傾き、倒れていく送電塔はそれ自体がひとつの大きな破城槌となる。

 破城槌は自重を活かした重い一撃をワルプルギスの夜に与え、魔女の巨体を地の高さへと引きずり下ろす。

 さらに送電塔に繋がれていた無数の送電線はその動作で引きちぎられ、電流をスパークさせたままワルプルギスの夜の身体にまとわりついた。送電線は魔女の体躯の至るところに絡みつき、電磁鞭となって魔女を拘束する。

 ≪過去≫において、機動力を奪った魔女を不充分ながらも拘束した巴マミのリボン、≪レガーレ・ヴァスタアリア≫の役割だ。

 

 

 

 

 大橋の下で轟音をたてて荒れ狂っていた濁流が、凍ったかのように停止した。

 音は伝播せず、風は吹かない世界で、暁美ほむらは暖気を済ませておいたタンクローリーに乗り込む。

 河川敷から堤防を駆けあがって舗装路へ、そこから大橋へ走り、大橋のアーチをジャンプ台として使用し、タンクローリー自体を一個の砲弾として魔女へ投擲した。

 投擲軌道の頂点で、暁美ほむらはタンクローリーを脱した。ほむらとの接触を失ったタンクローリーは空中で静止し、時の解放を待つ。

 まだ時間は動かない。操縦席から飛び降りたほむらは、着水すると川底を目指して泳ぐ。

 川底では六連のチューブ型ミサイルキャニスターを備えた大型トラックが主人の到着を待ち侘びていた。暁美ほむらの操縦を得て、それは川底から大橋へ至り、地に落ち送電線に縛られた魔女と正対する。

 本来は複雑な管制系を有し一〇〇キロメートルを超える射程を持つ兵装であるが、この距離ならばもはや弾道計算は必要としない。目視のままに六本の対艦誘導ミサイルがキャニスターから発射された。

 ≪過去≫のワルプルギス戦において、戦いの趨勢を決定づけた巴マミのティロ・フィナーレと鹿目まどかの魔力を込めた一矢を想定した攻撃だ。

 

 

 時間停止が解除されると、タンクローリーと対艦誘導ミサイルが地に墜ちたワルプルギスの身体に正面からブチ当たった。

 至近の距離のため対艦ミサイルはアーミングを解除されておらず、爆発することは許されない。故にミサイルは二〇〇キログラムを超える弾頭を穂とした巨大な槍となって魔女の胴体に突き刺さる。

 土手っ腹に杭を打ち付けられた逆さ吊りの吸血鬼――それを一〇倍サイズに引き延ばしたような様相だ。

 満載されたガソリンごとにタンクローリーが魔女に激突炎上し、魔女の表皮に僅かばかりのキズをつける。その爆発から引き剥がされるように、六本の巨大槍に魔女の身体は後方へ運ばれた。

 暁美ほむらの狙い通り、魔女の巨躯は後方数キロメートルにある地雷原設置点へ一息に飛んだ。

 そのタイミングで、自爆を促す指令が六本の対艦ミサイルに届く。一本で戦闘用艦船を中破せしめるに足る火力を持ったミサイル。それらが六つ、次々に爆発し、魔女の腹部に炎熱に彩られた大輪の花を咲かせた。

 ようやく、魔女の外装に大きなヒビが入った――本来ならマスケットと弓の通常攻撃で与えられていた程度のキズでしかない。ティロ・フィナーレや魔力を込めた一矢が与える深い穿孔とは、比べるべくもなかった。

 

 

 

 

 与える傷は浅いものの、状況自体は暁美ほむらの組み立てた通りに推移していた。

 対艦誘導ミサイルの爆発を受けた魔女は、地雷を設置したすり鉢状の縦穴へとその巨躯を沈めていた。そこは正しく毒蛇の群れが棲む巣穴だった。

 ほむらの指揮に従い、縦穴の壁面に設置された一〇万個を超える指向性地雷が爆炸する。

 穴の底から始まって、徐々に上へ向かって爆炸が広がっていく。

 モンロー効果と呼ばれる爆発威力に指向性を持たせる効果によって、全ての地雷の爆発威力が縦穴の中心線に集束される。地雷表面より射出される無数の鉄球もその中心線へ一極集中し、破壊威力を底上げした。

 轟音と閃光と爆煙の中、居合の達人が巻き藁を断つように鋭く、ワルプルギスの片腕が根元から爆切される。もしワルプルギスが正確に縦穴中央に落ち込んでいれば、胴を薙ぎ、仕留めることができたかもしれない。

 ≪過去≫のワルプルギス戦における、ティロ・フィナーレと魔力を込めた一矢で魔女を撃墜してからの、三人による集中攻撃を想定した攻めだが、想定通りの威力を見せたと言っていいだろう。

 

 

 

 追い打ちをかけるべく、暁美ほむらは縦穴へ走る。魔女に態勢を立て直す暇を与えないため、時間を停止して駆けた。

 暁美ほむらの身体能力は、もちろん常人を遥かに凌駕するが、魔法少女としては見劣りする。例えば、巴マミや佐倉杏子は、その場から飛び上がるだけで一〇メートルの高さに飛び上がることも可能だが、暁美ほむらの場合は六メートルがせいぜいだ。

 だが、それでも不足はなかった、彼女は停止した時間の中で無制限に動けるのだから。

 

 

 縦穴に囚われた疲弊した魔女にとどめを刺すべく、暁美ほむらは先の冷戦の鬼子を持ち出す。

 今はなきソビエト社会主義共和国連邦に対するヨーロッパ防衛のために、ライン川防衛線の死守を目的として米軍により開発された戦術核――今日的に使われる戦術核より遥かに矮小で、今日ではミニ・ニュークに分類されるべきだが――を、縦穴の手前一キロメートル地点に展開する。

 そして照準計算を行うと、五発の戦術核を迫撃砲の様に打ち上げた。一発あたりの核出力は二〇トン相当。一般的な戦術核のキロトンには遠く及ばないが、魔女を斃すには充分な火力、そう暁美ほむらは信じていた。

 

 

 

 時間停止が解除された。

 計算通りの弾道で、核の迫撃砲弾は縦穴に吸い込まれていく。

 それらは、縦穴の底で疲弊し横たわる魔女の至近で炸裂した。

 瞬間、これまでのどの攻撃も比較にならないような強烈な爆発が魔女を襲う。

 一瞬遅れて、縦穴から垂直に光と熱が迸り、遥か上空の黒雲を散らした。さらに三秒遅れて暁美ほむらのもとへ爆音が届き、周囲のすべてをビリビリと振動させた。

 ≪過去≫のワルプルギス戦における三人の全魔力を込めた追い込みを再現した攻撃だ。

 充分な手応えを感じた暁美ほむらは、縦穴からもうもうと立ち上る爆煙に向けて歩き出す。油断という感情は彼女にはない。よって、無造作に歩いているように見えても周囲への警戒は怠っていなかった。

 しかし、それでも避けられないほどに苛烈な攻撃が、爆煙の中から放たれた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 マミの、そして杏子の認識としては、「あなた達の出番はないわ」と暁美ほむらが口にした次の瞬間、大量の兵器がワルプルギスを蹂躙し始めたように映る。

 

「なんだよ、これは」

「すごいわね……」

 

 とびとびのビデオ画像の様に、様々な兵器が途中のコマを省略されてワルプルギスの巨躯に命中する。マミと杏子の実時間としては三〇秒程度であろうか。その間にワルプルギスは対艦ミサイルで遥か後方へ運ばれ、その先で夥しい爆炸に焼かれ、ついには戦術核の洗礼を受けた。

 

「とりあえず行くわよ、杏子ちゃん!」

「そうだね!」

 

 ふたりはそれぞれの武器を手に駆けた。

 熱で溶け崩れたアーチの横を、破城槌として振るわれ横倒しとなった送電塔の横を。そしてその先で地に伏した傷だらけの暁美ほむらを認めると、駆け寄って治癒の魔法を使う。

 

「暁美さん、大丈夫?」

 

 意識を取り戻したほむらは、マミの手を振り払うと前方、即ち縦穴に視線を向ける。

 そして、見た。

 いまだ立ち込める黒煙の中に隠れるようにして、ワルプルギスの夜の基部である巨大な歯車がゆっくりと上昇していることを。

 歯車から逆さ吊りになっていた魔女の巨躯は、両手を失い、胸から腹をえぐられている。無傷ではない、むしろ人にてらせば致命傷と言える。

 それでも、その有様でも魔女は哄笑を浴びせてきた。徒労だと嘲笑うかのように。

 

「あぁ……」

 

 暁美ほむらが嗚咽を漏らす。

 今回の攻撃は、彼女にとって満点と言ってよかった。持ち時間のほぼ全てを費やして得た最高の火力を、入念に組み立てたプログラムの通りに叩き込んだ。その結果が、この程度なのかと思うと、彼女の四肢から力がすうっと抜けていった。

 よろめくようにした暁美ほむらを、横に立つ魔法少女が支える。

 

「充分ダメージは与えているわよ、暁美さん」

「空から引きずり下ろしてくれたのはありがたいしな、見てな、きっちりお灸を据えてきてやるよ」

「うん。暁美さんは傷を治しておいて。行くわよ、杏子ちゃん!」

 

 ふたりは微笑むと、瓦礫の転がる大通りを馳せる。距離を詰めても魔女からの攻撃はない。上昇することを優先しているのか、あるいは敵として認識もされていないのか、とマミは訝しむ。

 

「じゃぁ、引っぱたいてこっち向かせようかしらね」

 

 走りながらマミが腕を横に薙ぐと、二〇挺のマスケットが空に浮かぶ。続いて人差し指を立てて腕を前に突き出すと、滞空していたマスケットが一斉に魔弾を放った。

 ぱん、ぱぱんと先ほどまで暁美ほむらが使用していた兵器に比べれば牧歌的とさえ言える発砲音が響く。だが軽い音に似合わず威力は高い。魔女の顔面に着弾した魔弾は、おしろいを塗ったかのように白い魔女の頬を深くえぐった。

 魔女には頭蓋がなく、そのため瞳もなかった。

 だがマミは、魔女の視線が己の肢体に絡みつくような悪寒を感じた。彼女はその本能に従って、とっさに身を翻す。

 直後、マミがいた空間に虹色の炎が現出した。それはワルプルギスの口腔から放たれた炎であったが、まるで光線のように、一筋の炎として瞬間的に現れた。

 虹色の炎に焼かれたアスファルトコンクリートが泡を立てて溶融し、沼のように広がっていく。

 

「杏子ちゃん、上へ!」

 

 炎の速さ、威力ともに脅威と判断したマミは、魔女上部に接敵し口腔からの炎を無効化するべく提案する。

 幾つかの≪過去≫において、ワルプルギスの夜と正面から撃ち合い、その末に致命傷を受けた事実がマミにはあった。

 もちろん、今のマミはそのような事実を知らないが、佐倉杏子と切磋琢磨した経験が彼女を≪過去≫よりも強くしているのだろうか、同じ轍は踏まなかった。

 

「その前に!」

 

 マミの指示に杏子が否やを返す。近づく際の安全を担保する魔法が彼女にはあったからだ。

 

「必殺! ロッソ・ファンタズマ!」

 

 一年前の約束をようやく果たせる、との感慨があったのだろうか、叫んだ彼女の口元が緩んだ。それとも単純に、技の名前を叫ぶことへの照れだろうか。ともあれ、彼女の発声に従い杏子の幻影が一〇ほど周囲に生まれる。

 

「マミさんも!」

 

 続いて四体のマミの幻影が生まれ出でる。

 杏子が幻惑魔法を再び使えるようになったこと、そして技名を叫んだことに言葉を返したかったマミだが、突然のことにうまく言語化できず「わ、わ」と漏らす。結局、言葉にすることは諦め、親指を立てて杏子に微笑むにとどめた。

 数多の魔方陣と花冠が空中に描かれ、それを足場にマミと杏子が駆け上がる。

 その途中に幾つかのファンタズマが炎に焼かれ消えるが、本物のマミ、杏子は攻撃を受けることなく、ワルプルギスの夜上部の巨大歯車まで到達、そこに舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 ワルプルギスの歯車機構は、大きく二つの歯車から成っていた。

 ひとつは劇場ほどの面積を持つ外輪歯車、その厚さも五メートルはあろうかという巨大さだ。

 もうひとつはその巨大歯車中心部に位置する太陽歯車。面積は民家程度、厚さは外輪歯車からはみ出している部分だけで五メートル以上あり、歯車というよりはシャフトといった趣きだ。

 外輪歯車に降り立つや否や、杏子に斬りかかる者があった。

 杏子は反射的に手にした大身槍で攻撃を受け止め、膂力をもって弾き返す。弾き返された方は空中で一回転し、ふわりと音もなく着地した。

 それは、片手に短刀を携え、片手にクロスボウを携えた女性のようだった。

 ようだ、というのは、その者の全身が衣服も含めて一様に影のように染められていて、詳細は見て取れないからだ。

 蒼黒く染められた影の中に、幾つもの光点が偏在して輝いている。それは、銀河の一部をテクスチャーとして彼女に張り付けたようにも見えた。

 彼女が動くと、長い髪とエプロンドレスのようなフォルムのゆったりした服がひらめき、その表面に描かれた銀河もまた流れる。

 

「使い魔……?」

「ずいぶんと大勢でお出迎えね……」

 

 杏子を襲った使い魔の周辺に、同様に表面を銀河の影で覆った使い魔が三〇ばかり姿を見せていた。それぞれに刺突剣や日本刀、斧槍などの武器を携え、影一色に塗り潰された顔をマミと杏子に向けている。

 

「まぁ、いくら数がいようがあたしとマミさんの敵じゃないよ」

 

 先ほどの一撃の鋭さと重さから察するに、楽観できる相手ではないと杏子は認識していたが、敢えて軽口を叩きつつ、ファンタズマを作り出す。マミも心の裡では同様に考えていたが、優雅な笑みを崩さずに応えた。

 

「そうね。杏子ちゃんとふたりなら、きっとやれるわ」

 

 先ほどのの短刀の使い魔が突出した。

 クロスボウで牽制するように弾膜を張りつつ、短刀を上段に構えて跳躍、杏子を狙って斬りつける。

 狙われた杏子は本体でなくファンタズマであった。使い魔の短刀は虚像を切り裂き、そしていささかも勢いを減じることなく床を叩いた。金属が金属を打つ音が響き、使い魔は体勢を崩す。

 そこを逃さず、使い魔の上下左右から、複数の杏子が槍を構えて攻撃を仕掛けた。なにしろ敵は数が多い、一撃で確実にしとめるべく、杏子は全力を乗せた突きを放つ。だが。

 

「くそ、素早い!」

 

 短刀の使い魔と杏子達の間に割り込んだ小柄な使い魔が、手にした傘状の武器を広げて、大盾よろしく杏子たちの攻撃を受け止めた。

 槍を受け止められ動きの止まった杏子の集団に向けて、空中に跳んだ別の使い魔が攻撃する。背にした銀河模様のマントを広げて、そこから無数の光弾を投射した。

 杏子と幻影全てを押し潰すような密度で放たれた光弾は、しかし空中で全て四散した。巴マミの魔弾が、全ての光弾を射抜いたからだ。

 

「ありがと、マミさん!」

「数を減らさないとね!」

 

 マミは胸元のリボンをほどくと、そのリボンを変形させて大砲規模のマスケットを作り出す。照準の必要もほとんどない、前方のどこに撃っても使い魔のどれかには命中すると思われる敵の密度だった。

 

「ティロ……!」

 

 が、マスケットが火を噴く前に、短い刀を両手に持った使い魔が一足飛びに間合いを詰め、マスケットに斬撃を叩き込んだ。斬撃に耐え切れず大砲型マスケットは本来の姿であるリボンへと還される。

 しかしそれで終わりはしなかった。分解されたリボンは獲物を狙う蛇のように動き、二刀流の使い魔の両の下腕を手錠のように拘束した。

 

「もらったわ!」

 

 四挺のマスケットがマミの肩口に並ぶ。マスケットの出現と同時に撃鉄が唸り、魔弾が放たれた。

 だが、二刀流の使い魔は拘束された両の下腕を起点に、逆立ちするかのように身体を持ち上げて銃弾を回避した。

 

「うそっ!」

 

 器用すぎない? と悲鳴のように呟きつつ、追撃のためのマスケットを浮かべる。それと同時、日本刀の使い魔がマミと二刀流の使い魔の間に飛び込み、拘束しているリボンを一刀のもとに両断した。

 

「もう!」

 

 マミは魔法少女になった当初はマスケットを作り出すことは出来ず、リボンで接近戦を行っていた。

 その経験から接近戦も不得意ではないが、やはり彼女の本分は遠距離戦にある。有利な距離を確保するべく後方へジャンプするマミ。そのマミをカバーするように、周囲にマミの幻影が並び、使い魔の攻撃を惑わせる。

 

「全員拘束できればいいんだけど、そうはいかないわよね……」

「一体ずつなら余裕ありそうだけど、複数は厳しいね」

 

 こちらも一時後方退避した杏子が、マミと肩を並べる。

 

「杏子ちゃん、昔言ったこと覚えてる?」

 

 牽制の魔弾を撒き散らしながら、唐突に語りかけるマミ。杏子は多節棍状態にした槍を鞭のようにしならせ、使い魔の投擲した手裏剣状の小刀を弾き返しながら小首を傾げる。

 

「私たちなら、ワルプルギスの夜だって倒せるって!」

「……ああ、覚えてるよ!」

 

 魔法少女の能力は、精神の在りようが大きく影響する。かつて自分に癒される資格はないと思い込んだ杏子が治癒魔法を使うことも受けることもできなくなったように、あるいはかつて幻惑の魔法を呪った杏子がロッソ・ファンタズマを失ったように。

 この時、大きく高揚した杏子の精神は、実に三〇を超えるファンタズマを出現させることに成功した。さらに、空間そのものを幻惑の魔法で支配する。

 

「ファンタズマを全力回避させて使い魔をできるだけ引き付ける! マミさんはティロ・フィナーレを!」

「わかったわ!」

 

 生み出された幻影の杏子とマミが、それぞれに使い魔に接敵し囮となる。さすがに回避に専念させても幾つかは被弾し、消滅する。だが消滅する速度を上回るペースで、杏子は幻影を作り出してけしかける。

 その間、マミは後方に離れ、かつてない規模のマスケットを練り上げていた。形成はいまだ半ばだが、路線バスを中空にくり抜いて砲身としたような規格外のサイズだ。

 巨大マスケットの形成を阻止すべく、遠距離武器を持つ使い魔が攻撃をマミに集中させる。長銃、弩弓、投擲弾、和弓、二丁拳銃。様々な攻撃が様々な角度から、マミという一点を目指して集弾された。

 巨大マスケットを練り上げることに神経を集中しているマミは、その弾幕を避けることも防御することもできず――――蜃気楼のように掻き消えた。

 ティロ・フィナーレ級のマスケットの生成には足を止める必要がある。そのため、大砲を準備している間がマミの戦闘スタイルにおいて最も危険な時間となる。

 それをカバーするため、杏子は即興で幻惑魔法をアレンジして幻影のカーテンでマミを覆い、マミも杏子の幻影を信頼してその陰で大砲の生成に集中していた。

 魔女の攻撃が集中したのは、杏子が生み出したファンタズマのマミに過ぎなかった。

 

 ――ありがとう、杏子ちゃん。

 

 杏子が幻惑魔法で作り出したカーテンに囲まれ、使い魔たちの視界から秘匿されているマミが感謝の言葉を呟く。掻き消えたファンタズマの巨大マスケットには及ばないものの、幻影の小部屋の中でマミが練り上げたマスケットも充分に巨大だ。

 

「ティロ・フィナーレ!」

 

 叫びとともに、砲身長七メートル、砲口径一メートルを越えるマスケットが榴弾状の魔弾を放った。

 使い魔たちにすれば、いきなり幻惑のカーテン――彼女たちには実在の風景と認識されていたはずだが――がひび割れ、そこから魔弾が飛来したに等しい。

 飛来した凶悪な砲撃は、傘盾の使い魔をまず襲った。

 傘盾の使い魔は突如にして襲いかかった凶弾を受け止めようと傘を開き大盾にするものの、抵抗することかなわず大盾もろともに魔弾に飲み込まれる。さらに魔弾は止まらず、その射線後方に位置する使い魔を二匹葬り去った。

 

 魔弾が飛び去った後に金属音が響いた。

 三つのグリーフシードが、それぞれ使い魔の消えた跡に落ちる。それは、即ち今相対している敵が使い魔ではないことを示す。

 

「そういえば魔女の集合体だってキュゥべえが言ってたわね。道理で手強いわけね」

 

 杏子も幻影によるフェイントを駆使して、大身槍で日本刀の使い魔――改め魔女の胸を深々と貫いた。突き刺したままの槍を上へ振り抜き、魔女の上半身を両断する。

 

「じゃぁ、こいつら全部グリーフシードってことだね。はっ、ご馳走じゃないか!」

 

 日本刀の魔女がグリーフシードを残して消滅する。

 

「……まったくね!」

 

 槍を振り抜いた杏子を襲おうとする魔女をマスケットで牽制し、マミは妹の軽口に応えて口の端を歪めた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 マミが九、杏子が三。ここまでの彼女たちの討伐数だ。

 戦果はマミに偏っているが、これは杏子がティロ・フィナーレの準備のフォローに回っているためで、活躍の度合いとしては同程度と言っていい。

 ここまでは順調に推移していた。

 

 だが、徐々にファンタズマの生存時間が短くなっていった。

 近接系の魔女は単独での突出を控え、射撃系の技を持つ魔女が弾を散らしてファンタズマの排除を優先したからだ。

 その結果、マミと杏子は守勢に回る時間が多くなり、攻勢に出た際も突出を控えた魔女の連携で有効打を阻まれた。

 数を減らしたとはいえ、まだ魔女は二〇ほども残っている。

 用意していたグリーフシードに加えてこの場でも調達できるので、魔力を惜しむ必要がないのは幸いではあるが、いまだ魔女は半分以上残っている、しかも戦い方が巧みになってきているとあって、ふたりの顔には焦燥の色が見てとれた。

 精神的な疲弊の影響か、ファンタズマの数も一五程度が限界になってきている。

 

 二丁拳銃の魔女と弩弓の魔女が、ばらまくような連射で弾幕を張る。

 弾幕の前に多くのファンタズマは消し去られ、不運なことに杏子本人も肩に被弾した。被弾しても消えないことでソレが本物の杏子だと判断した魔女が追撃を仕掛ける。

 外輪歯車に降り立った直後に攻撃を仕掛けてきたエプロンドレスの魔女が、短刀を中段に構えて突撃した。カウンターで葬るべく、杏子は槍を地面に垂直に立てて構え、魔女の攻撃を迎える。

 短刀の魔女と杏子が双方の武器の殺傷圏内に入る。

 魔女は短刀を突くように、杏子は大身槍を下から薙ぐようにして振るう――その瞬間、短刀の魔女の背中から二刀流の魔女が飛び出した。

 予想していなかった至近からの新手に、槍を繰り出す杏子の動きが一瞬鈍った。

 その隙を逃さず、魔女の短刀が大身槍に絡まるように動き、そして一息に上へ振り抜かれ、大身槍を弾き飛ばした。

 

「杏子ちゃんっ!」

 

 既に発射されていたマミの魔弾が、短刀を振り抜いた魔女の側面を捉えた。腕、頭、胸、腹、腰にと着弾し、魔女をグリーフシードへと変える。

 マミには、黒く塗られ表情の見えない魔女の顔が、散り際に嗤うように歪むのを見た――自身の命を杏子と交換することに満足したかのように。

 二刀流の魔女が、その刃を加速させる。短刀の魔女の命と引き換えにされた杏子の命が、摘み取られようとしていた。

 マミが魔弾を放つ。杏子が後ろに倒れ込み、刃の回避を試みる。

 が、それらよりも早く、魔女の刃が杏子の首を捉える――

 

 ――ダメだ、やられるっ! ごめんマミさん!

 

 

 

 

 時が、その刻みを止めた。

 杏子も、マミも、魔女も、その刃も、全てが彫像のように静止した。

 川は流れない、風は吹かない、その凍った時の中を、ひとり自在に動く者があった。その者は、黒髪をなびかせて外輪歯車に降り立った。

 彼女は視線を巡らせる。そして、事態を把握すると安堵の息を漏らし、豊かな黒髪を片手で弄ぶように跳ね上げた。

 

「間に合ったようね」

 

 それは、場にそぐわない落ち着いた声だった。


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