マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

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第一四話 マミさん、求心力の欠如を露わにする

 巡り合せというものが、悪かったのだろう。

 

 早朝の登校時。仲良しトリオである鹿目まどか、志筑仁美との待ち合わせ場所に向かって歩いていた美樹さやかは、松葉杖をついて歩く上条恭介を遠くに見つけた。

 恭介の周りには数名の男子生徒がいて、何やら歓談している様子だ。

 その会話内容を、前後を通して聞いていれば、さしてショックを受けるような内容ではないことは、さやかも理解できたはずだ。

 しかし、さかやが耳にしたのは、男子生徒の他愛のない揶揄に恭介が照れ隠しに返した「さやかはそんなじゃないって、女性と意識したこともないよ」の言葉だけだった。

 雁渡しの風に煽られた髪を押さえると、さやかは気付かれないように、もと来た道を引き返した。

 

 

 

 

 悪いことは重なる。

 放課後、美樹さやかは親友の志筑仁美から、「恋の相談」を受けていた。

 仁美も、かねてより上条恭介に秘かに懸想していたこと、上条恭介と幼馴染みであるさやかに遠慮する気持ちがあったこと、献身的に見舞いに通っていたさやかには上条恭介に受け入れられる資格があると思っていること、それでもなお、自分の気持ちに嘘をつかずにおこうと決意したこと。

 茶化すような言葉を返すさやかを遮るように、仁美は宣言した。

 

「私、明日の放課後に上条君に告白します。丸一日だけお待ちしますわ。さやかさんは後悔なさらないよう決めてください。上条くんに気持ちを伝えるべきかどうか」

 明確な返事を告げることも出来ず、さやかは逃げ出す様にその場を去った。

 

 ――……これで良しですわ。頑張ってください、さやかさん。

 

 仁美の恭介への恋心は嘘ではない。

 しかし、彼女はさやかから恭介を奪うつもりもなく、また奪えるとも思っていなかった。

 

 そもそも仁美は上条恭介に好意を示したことなどなく、恭介にしてみれば好意を告げられても青天の霹靂としか言えないだろう。

 仁美もそれは自覚していた。

 親友の美樹さやかと同じ人に好意を抱いてしまった事実に苦しみ、その好意を表に出さないように気を遣っていたのだから。

 それを今になって美樹さやかに告げたのは、自らの恋心にけじめをつけると同時に、親友の恋を後押しし、祝福したいと考えていたに過ぎない。

 目算としては、さやかが上条恭介とうまくいく目が八割、さやか、仁美揃って玉砕する目が二割程度と、仁美は思っていたのだが――結果として美樹さやかを追い詰めることになるのは、皮肉というほかはなかった。

 

 

 

 逃げ出したさやかは、繁華街を彷徨いながら、自問自答を繰り返していた。

 

 ――あたしは魔法少女なのに、恭介との恋愛に時間を割く余裕なんてあるの? マミさんたちが戦ってくれるから、あたしはサボってもいい? ……そんなのいいわけないじゃん。

 

 マミも杏子も、何度も何度もそれは言っていた。さやかとまどかを魔法少女にしたくないのか、と思うほどに。

 美樹さやかは、その忠告を押し退けて魔法少女になった。

 それなのだから、自分にありふれた幸せを求める権利はない、そう美樹さやかは思う。

 

 ――魔法少女になったら、そういう当たり前のことを諦める必要があるって、何度も諭された上でなったんだから……。

 

 上条恭介の快復の見込みがないと診断された怪我を奇跡で癒し、魔法少女として戦う生き方を選んだ以上、恋愛など諦めなければならない。

 良いも悪いもなく、仕方のないこと。そう考える。

 

 ――…………いや、違う。これって言い訳だ。

 

 前世紀から続くような、くたびれたディスクショップが交差点の右手に見えた。

 信号待ちのさやかは、視線をその店の古ぼけた看板に向ける。

 レコードという今はほとんど売られていないメディアの名を記した看板。

 この店に、さやかは掘り出し物のレアディスクを探して何度か入店したことがあった。

 掘り出し物を見つけることで、上条恭介を元気づけたかったからだ。

 元気づけたかった。本当にそうなんだろうか、と美樹さやかは思考した。

 犬が獲物を咥えてくるように、歓心を買いたかっただけではないだろうか。

 奇跡を願ったのも、同じように歓心を買いたかっただけなのではないだろうか。

 そして褒美をもらう犬のように、上条恭介に認め、褒めてもらいたかったのではないだろうか。

 ただただ、褒美を期待して舌を出し、物欲しそうな目で主人を見つめる犬、それと同じに。

 

 ――そもそもあたしには勇気がないんだ。

 

 信号が青に変わった。

 周りの人々が一斉に歩き出すが、さやかは一歩が踏み出せず、ただ信号を見上げた。

 

 ――なにかしてあげて、恭介のリアクションを待つだけなんだ。恭介に拒絶されるのが怖いから。

 

 美樹さやか自身、自分の考えを意外と感じていた。自身の性格など深く考えたことはなく、漠然と男勝りで活発な自分を信じていたのだが、どうやらそれは間違いだったらしい。

 

 ――だったら今のままの関係でいいのに……。

 

 自分から歩み寄る勇気がなくとも、幼馴染としての立ち位置が既にある。

 この上条との関係は、中からか外からか、新たな要因が加えられない限り永続するはずだと思っていた。

 それで充分に幸せだったのに。

 なのに――

 

 ――仁美はどうして今のままのあたしたちを壊そうとするの?

 ――仁美はあたしが憎いの?

 

 志筑仁美に直接問えば困った笑顔とともにノーの答えが得られるのだろうが、美樹さやかの思考は迷走を始めていた。

 結局、一歩も進めないまま、信号は黄色に変わり、やがて赤になった。

 

 

 

 

 

 気が付くと、仁美と別れて一時間強が経過していた。マミ、杏子との約束の時間も、既に一五分ほど過ぎている。

 

「行かなきゃ」

 

 心は千々に乱れたままだが――むしろ、そうだからこそルーチンワークであるパトロールに没頭したいと思った。

 携帯電話でまどかを経由して遅れる旨を仲間に告げると、合流場所へと足を向ける。

 

 

 

 

 

 双方向のオートウォークが流れる地下街。

 さやかは流れる歩道の片側を、彼女にしては狭い歩幅で歩いていた。

 顔は前を向いていたが、視覚情報を脳がほとんど処理していないのか、何を見て何を映しているのかは、意識の埒外にあった。

 そんな状態でも、見知った顔が視野に入れば認識してしまうのか、さやかは対向するオートウォークに、こちらに向かってくる志筑仁美の存在を認めた。

 

 とっさに視線を落としたさやかは、自分の靴のつま先を見つめる。

 さりげない仕草、とは本人も思っていない。

 だが不自然でも挙動不審でも、今は仁美と視線を交わす気にはなれないし、今の顔を見られたくはなかった。

 志筑仁美も同じなのか、会釈する様子も声をかけることもないまま、ふたりはすれ違う。

 

 ――仁美……?

 

 さやかの知る仁美は多少のトラブルを抱えた相手であっても、会えば挨拶は欠かさない。

 人物像から離れた彼女の振る舞い。それに違和感をおぼえたさやかが振り返ると、彼女の首筋に緑色の痣があるのが見えた。

 長方形の枠の中に幾何学的な模様を持つそれは、魔女に魅入られたとこを示す魔女の接吻。

 

 ――仁美!

 

 思わずオートウォークを逆走しようとするが、後ろを埋める人ごみに押しとどめられ断念する。

 やむをえず、前へ進みオートウォークを渡り終えてから反転し、仁美を追って駆ける。

 

 その顔は、先ほどまでの懊悩に満ちたものではなく、使命感に引き締まったものだった。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 オートウォークが全長百メートル程もあったことが一点。

 また急いで渡りきるために前へ進もうとしたさやかだったが、人が多く思うように急げなかったことが一点。

 そして地下街は人でごった返していたことが一点。

 

 そういった要因のために、オートウォークを降りた美樹さやかは、志筑仁美を再び見つけることはできなかった。

 しかし、全くの無駄足というわけでもなく、やみくもに地下街を走っているうちに、ソウルジェムに魔女の結界を発見した。

 

 ――仁美は一直線にここに向かったんだろうし、もう結界内にいると思うべきだよね……。

 

 マミにテレパシーでの接触を試みるが、距離があるのか反応は得られなかった。ならばと携帯電話を取り出し、まどかに手短に事情を話して一方的に通話を切る。

 

 ――あたしがやらなくちゃ!

 

 美樹さやかは、ここに至って単独での魔女退治を決意した。

 魔力による封印を破り、結界内部に侵入する。

 そして、ソウルジェムから力を解き放ち、魔法少女へとその姿を変えていった。

 

 年齢相応以上に膨らんだ健康的な胸部の曲線。それを惜しみなく強調するハーフカップ型のビスチェ。

 アシンメトリなスカートは、活動的な彼女の性格を表す様に腰へと切れ上がり、パンツルックにほど近い程度まで太腿を露出させる。

 そうした衣裳を恥じらうかのように、純白のマントが彼女の肢体を覆い隠す。

 それは、彼女の内面を表すかのように矛盾したコスチュームだった。

 

 

 

 結界は重力がない、もしくは極めて小さいのか、スカートもマントも動きに合わせて水中にあるかのように揺らめく。

 片手でスカートの裾を押さえると、美樹さやかはそのしなやかに伸びた脚で地を蹴り壁を蹴り、泳ぐように先へ進んだ。親友の名を呼ばわりながら。

 

 

 

 使い魔と思われる異形がいた。

 その異形は人の腰程までの大きさのパペット人形を思わせる姿。天使を模したと思われる大きな翼を背中に一枚だけ生やし、同じく天使の輪を模したと思われる金色の冠を頭に浮かべていた。

 それら異形が四匹、単翼を震わせて舞うようにして、気を失った志筑仁美を運んでいた。

 

「仁美!」

 

 さやかの声に、使い魔は能面を思わせる無表情な顔を見合わせると「やばい!」とでも言うかのように翼を強くはばたかせ、遁走を始める。

 だが、小人のようなサイズ、しかも片翼とあっては充分な速度は得られない。さやかはたやすく逃亡する使い魔をサーベルの殺傷範囲に捉える。

 力任せの剣戟が四度閃く、ただそれだけで使い魔は殲滅された。

 

 異形による支えを失った仁美は、それまでの慣性で前へと流れる――さやかは彼女を追い越して身体を振り返らせると、受け止めるように仁美を胸に抱いた。

 さやかは慣性に任せて緩やかに流れながら、何度か小声で仁美の名を呼ぶ。

 しかし、さやかの呼びかけもむなしく、彼女の瑞々しい果実を思わせる唇はピクリともしなかった。

 

 と、スポットライトのような照明が上から当たり、ふたりの影を床に描いた。

 

 続けざまに様々な角度からライトが当たり、描かれたふたりの影は光に飲み込まれるように徐々に消えてなくなる。

 流されるうちに、ふたりは結界の最深部、即ち魔女の住処へと辿り着いていた。

 スポットライトの源、吹き抜けの上方から、この地の主たる魔女が降りてくる。左右に使い魔をはべらせて。

 五〇インチはあろうかという大型のモニター、それが魔女の姿だった。

 一般的な薄型のモニターではなく、前世紀に使われたブラウン管を思わせる、奥行きのあるモニターだ。その側面からは束ねた黒髪を翼のように生やし、上下になびかせている。

 

 鈍重そう、それが美樹さやかの抱いた第一印象だった。

 先ほどは使い魔が四匹がかりで仁美を運んでいたのに、なお遅かった。

 それが今は僅か二匹で、仁美よりはるかに重そうな魔女を支えているのだから、機敏な動きが出来るとは思えない。

 

 そう考えたさやかは、仁美を胸に抱いたまま戦うことを決めた。

 結界に無造作に放り出すよりは、その方が安全との判断をしたのだ。

 ぎゅっと仁美を左手で抱き寄せ、さらにその上から匿うようにマントで覆い、魔女と相対する。

 

 異形の使い魔二匹が、魔女に顔を近づけ、耳打ちするように何かを囁くと、魔女の正面――緩やかにカーブした漆黒のモニター部――に、次々と見知らぬ文字が躍る。さやかにはその文字は読み取れないが、激昂しているのであろうとは感じ取れた。

 

「うっさい! こっちも怒ってるって!」

 

 気迫負けしないよう、さやかが怒号をあげる。そして、右手に構えたサーベルを乱暴に投げる。

 やはり、魔女の動作は緩慢だった。

 飛翔するサーベルに対してろくに回避も行えず、直撃をモニターに受ける。

 黒いモニターに突き刺さったサーベルを起点にして、蜘蛛の巣の如くヒビが広がった。

 そのヒビから、この魔女にとって血液のようなものだろうか、電気がスパークをあげて溢れ漏れる。

 

 だが、手傷を負ってからの魔女の動きは敏捷だった。

 使い魔の支えを振り払い、側面から生やしたツインテールをなびかせて一目散に逃げる。そのスピードはさやかの全力に勝るとも劣らないものだ――これが魔女本来の動きで、今までは横着をして使い魔に運ばせていたのだろう。

 ひたすらに逃げる魔女を追うさやか。

 背後から追いかける位置関係のため、彼女は魔女のモニター部を覗き見ることはできなかった。

 そのモニターには目まぐるしく、上条恭介、鹿目まどか、志筑仁美、巴マミ、佐倉杏子、それらの人物の姿が映し出されていた。それはつまり、この魔女が持つ能力――相手の記憶や心を読む――が美樹さやかを捕らえつつあることを意味していた。

 

 

 

「いい加減、諦めてお縄につけってーの!」

 

 一方的な追跡劇は、いつの間にか生命を懸けた戦いから安全圏から弓を射るような狩猟へと、さやかの認識を変質させていた。

 そのため、投じた剣に必中の気迫はなく、魔女は振り返りざまに側面から伸ばした髪をしならせて、サーベルを易々と弾いた。

 続けて、不首尾に終わったさやかの攻撃を、なじる声が響く。

 

『どこを狙って投げてるの? 本当に、いつまでも成長しない人ね……』

 

 幾筋かのヒビが入った魔女のモニターに、巴マミの顔が映し出される。

 その顔には、軽蔑の色がありありと浮かんでいた。

 

『しょうがないですよマミさん。さやかちゃんは上条君のことで頭がいっぱいなんだから』

 

 ヒビによってモニターは幾つかのエリアに分割されていた。

 そのうちの一つに、鹿目まどかが映り意地の悪い表情を見せる。

 

『まいったなぁ。さやかはそんなじゃないって、女性と意識したこともないよ。だいたい、あいつは男勝りって限度を超えてるよ。男そのものだよ』

 

 やはり分割されたエリアに上条恭介が映り、苦笑を浮かべて告げた。

 それを受けてマミとまどかも、さやかを揶揄するように笑う。

 

 ――え?

 

 さやかは画面に映し出される彼女らの言葉に、自らの手と足が硬直するのを感じた。

 あまりに彼女らにふさわしくない嘲りの言葉。しかし、その言葉のすべてはさやか本人の心から読みとったものであったため、心が否定しきれない。

 加えて、くたびれたテレビのように不規則に明滅する光が、催眠のような効果を与えつつあった。

 

『私、上条恭介君のこと、お慕いしてましたの』

 

 上条恭介が映る領域のすぐ隣に、志筑仁美が映る。彼女はヒビによって築かれた境界線を乗り越えるように手を伸ばすと、上条恭介の顎をたおやかな指で撫でさすった。

 

『上条くんには、私のようなお淑やかな女性が相応しいと思いますの。ですので、さやかさんから、上条くんを奪ってしまおうと思っていますの』

『そうだね。さやかちゃんには上条君は勿体ないし。さやかちゃんには魔法少女として戦ってもらって、わたしたちは青春を楽しんじゃおう!』

 

 ふたりを祝福するように、モニターの中のまどかが拍手をしてみせる。だが、その瞳は決して笑わず、汚物を見るような視線をさやかに向けている。

 

「仁美……?」

 

 さやかは、自らの腕の中で気を失っている志筑仁美を覗き込む。そこには、モニターに映る仁美とは異なる、いつもの穏やかな彼女が寝息をたてていた。

 大丈夫、こんなのは魔女のまやかしだ。そう思った刹那。

 

『どうせあなたは告白する勇気さえないのでしょう? 無様に逃げればよろしいのですわ』

 

 腕に抱く仁美が目を見開き、歯をむき出しに告げた――――かに見えたが、次の瞬間にはもとの愛らしい寝顔に戻っていた。魔女の見せる幻惑か、それとも美樹さやかの抱く根源的な恐怖が見せた幻か、それは彼女にも分からなかった。

 

『男の人に夢中で魔法少女の活動を疎かにするなんて、見損なったわ、美樹さん』

『軽々しく契約したと思ったら今度は男ってか。舐めんのも大概にしろよ、お前』

 

 いつのまにか手で触れることができる距離まで接近していた魔女が、モニターをさやかの顔に近づける。そこには新たに杏子が、マミの隣に映し出されており、ふたりが口々にさやかを責める。

 

「黙れ……まどかやマミさんはそんなこと言う人じゃない……」

『そりゃ、面と向かって言うわけないよ、あはは』

『ほんと馬鹿ね、美樹さん。悪口は隠れて言うのが楽しいんじゃないの』

『面と向かって言うのも顔殴るみたいでいいんだけどさ、隠れて言うのはボディブローみたいで、これはこれでいいよな』

『さやかさんがお見舞いに行った後、まどかさんとふたりでいつもさやかさんのこと、お話してましたのよ』

『お話っていうか、悪口大会だよね』

 

 えへへ、と彼女独特のイントネーションを再現して笑うと、モニターの中の彼女は楽しげに肩を揺らした。その仕草は、美樹さやかのよく知る鹿目まどかのものだった。

 そして、魔女の攻撃なのだろうか、美樹さやかは頭が割れるような痛みをおぼえた。

 額に汗がにじみ、身体がくの字に曲がる。そんなさやかを覗き込むようにモニターを近づけると、魔女は映像を見せ続けた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

『もうさ、あたしなんて生きてる意味ないよね?』

 

 美樹さやかの目前に迫ったモニターに、顔をくしゃくしゃにした美樹さやかが大きく映る。それを焦点の合わない瞳で見つめる美樹さやかは、おうむ返しに呟く。

 

「生きてる意味、ないよね……」

 

『そうだよ。死んじゃえばいいんだよ、さやかちゃん』

「死んじゃえば、いいか……」

 

『あとのことはご心配なく。さやかさんの分まで、私と上条君で幸せになりますから』

 

 画面に映る美樹さやかが、剣を喉にあてがう。画面外の美樹さやか――現実の美樹さやかも、鏡に映った像に従うかのように、剣を喉にあてがう。

 虫を潰すような音をたてて切っ先が皮膚を破り、赤い液体が滲んだ。

 魔女の精神攻撃を受け自失状態のさやかが、さらに力を込めようとした時に、さやかの腕を掴むものがあった。

 細く、暖かい手だった。

 さやかの胸に抱かれている志筑仁美が意識を失ったまま、美樹さやかの自傷行為を押し留めるように剣を持つさやかの腕をぎゅっと掴んでいた。

 その僅かな刺激で、さやかは我に返った。

 そして腕の中で聖女のような穏やかな寝顔を見せる仁美を見やり――

 

「あたしの大切な人たちを汚すなッ!」

 

 怒号とともに振るわれた剣が、魔女のモニターを深く貫いた。

 完全に「堕ちた」と思い油断していたのか、魔女は避ける動作すら取れずに攻撃を受ける。

 さやかは、さらに怒りに任せて、刺し、斬り、突き、払い、裂く。

 精神攻撃に特化した魔女は、物理的な攻撃には極めて弱かった。

 さやかの怒りが収まる前に、攻撃に耐え切れずグリーフシードを残して昇天する。いや、魔女の場合は地獄に堕ちると言うべきだろうか。

 

 

 

 結界が消失し、現実世界に戻った美樹さやかは、腕の中で寝息をたてている志筑仁美をゆっくりと地面に寝かせた。首筋にあった魔女の接吻は、痕跡すら残さず消えている。

 

 ――良かった。仁美、無事だね。

 

 さやかが顔を綻ばせて仁美を見つめていると、不意に仁美が瞳を見開き、憎々しい表情を見せて先ほどまでの暴言を繰り返した。――いや、仁美はそのようなことは行っていない。美樹さやかが見た幻だ。あるいは、いまだに魔女の精神への干渉が残っているのだろうか。

 胃液が逆流するのを感じ、さやかは手で口元を抑え、えづくように咳を漏らした。

 

 ――……そうだ、仁美はあたしと恭介の関係を壊そうと……。

 

『上条くんには、私のようなお淑やかな女性が相応しいと思いますの』

 

 先ほどまでの言葉が、脳裏に響いた。それは志筑仁美の言葉ではなく、魔女の言葉である。美樹さやかもそのことは理解はしていたのだが、助けなければ、こんな想いをすることも……と考えてしまった。

 

「ええい!」

 

 邪心を吐き出すように、大きく叫ぶと頭をぶんぶんと振る。

 

 ――魔女の見せた偽の仁美に惑わされてどうする! 仁美がどんな奴か、あたしはよく知ってるでしょ!

 

 だが、倒れている仁美の顔を見ると、自分にないものを沢山持っている仁美を思うと、妬みに似た感情が鎌首をもたげるのを御しきれなかった。

 彼女の人当たりの良さを表すような優しげな瞳、桜色の瑞々しい唇、女性らしい起伏に富んだ身体。外見だけではない、明晰な頭脳とそれを鼻にかけない性格、育ちの良さがにじみ出る優雅な立ち居振る舞い。

 どれも美樹さやかにはなく、自分は一方的に劣ったものだ――と美樹さやかは思い込んでいる。視点を少しずらせば、美樹さやかにしかない美徳も多いのだが……。

 

「最低だな、あたし……」

 

 巴マミたちが駆け付けるまで、さやかは呆けるようにその場に佇んでいた。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

「ひとりで倒したのね、大したものだわ」

 

 マミの賞賛も、美樹さやかには遠くの世界の言葉に聞こえた。

 

「勝てたからいいけどさ、まだ見習いなんだから無理すんじゃねーぞ? 怪我してからじゃ遅いんだからな」

 

 杏子の警句も、やはり現実感を伴わなかった。

 

「杏子ちゃん。だって仁美ちゃんが危なかったんだもん、しょうがないよ」

 

 取り持つようにまどかが言葉を紡ぐ。

 仁美は、杏子の使った睡眠の魔法で深く眠っている――さすがに、自分達が魔法少女であることを伝えるわけにはいかないので、すぐに目覚めないようにとの処置だ。

 

「どうかしたの、さやかちゃん?」

 

 ろくに返事も返さない親友の様子に心配したまどかが、さやかの肩を揺する。その動作で現実に引き戻された美樹さやかは、目を伏せるを小さく伝えた。

 

「マミさん、あたし、これからは独りで戦う」

「……どうしたの?」

 

 あまりに突然の、そして予想外のさやかの言葉に、マミは目を丸くした。

 

「私は、マミさんや杏子みたいな正義の味方にはなれなかった。一緒に戦う資格なんてないんだ」

 

 身体中の空気を吐き出すように息継ぎもせずまくしたてると、穏やかに眠る志筑仁美の顔を見つめる。

 

「仁美を、助けなきゃよかったって! 思ったんだ!」

「さやかちゃん……」

 

 大きく息をする美樹さやかの肩を掴み、まどかが慰めるような、戸惑うような声を漏らす。それ以上の言葉に詰まったまどかに代わり、マミが続けた。

 

「……どう思うかより、どう行動するかが大事よ。あなたは立派に彼女を助けたわ。危険を顧みずにひとりで。それが全てじゃないかしら」

「つーかさ、いつも心の中が曇りなく綺麗ですって奴なんて胡散臭いだけだぞ。気にしすぎじゃねーのか?」

「そ、そうだよ。わたしなんて宿題忘れた時とか、先生消えちゃえばいいのにーって思っちゃうし」

 

 さやかは、かけられた言葉に応えるかわりに、肩に置かれたまどかの小さな手をそっと払い除けた。

 

「美樹さん、あなたが私たちと一緒に戦うのが嫌になったのなら、私には引き留める権利はない。でも、もしそうじゃなくて、意地だとかプライドだとか、そういうもので袂を分かつというのなら、考え直して欲しい」

「あたしもさ、昔、色々あったんだ。さやか、大事なのはどうすべきかじゃなくて、あんたがどうしたいか、だよ」

 

 それぞれが、精一杯に引き留めようとしてくれている、それはさやかにも理解できた。しかしそれを受け入れるには、心の整理が全く追いついていなかった。

 だから、今は拒絶するしかなかった。

 

「ふたりともありがとう、しばらく、ひとりで考えさせてもらっていいかな」

 

 マミと杏子が頷くのを見届けると、さやかは足早に去っていく。さやかとマミ、杏子の双方に視線を交互に向け、おどおどとしている鹿目まどかの背を、マミが押した。

 

「鹿目さん、行ってあげて」

「さやかに付いててやんな。なに、時間が解決してくれるよ」

 

 杏子のそれは経験からくるアドバイスだったが、この場合は適切ではなかった。解決を委ねるには、残された時間は短すぎたのだから――

 

 

 

 

 

「さやかちゃん、どうして?」

 

 さやかに追いついたまどかは、疾駆して乱れた息を整えることもせずに聞いた。

 どうして、とは何を問うているのかと、さやかは考える。

 どうして仁美を助けなければ良かったと思ったのか?

 どうしてマミさんたちと別行動を取るのか?

 

「だって、仁美の方がずっと可愛いじゃん」

 

 どちらの問いかけであっても答えになっていないことは、さやかも自覚していた。ただ、どちらの問いかけであっても、理由の根源はそこにあった。

 

「仁美の方が、恭介にふさわしいじゃん!」

「そんなこと、ないよ」

 

 さやかの一足飛びな回答を過不足なく理解することはまどかにはできなかったが、ある程度察することはできた。

 そして、そういう問題に疎いまどかには気の利いた言葉をかけてあげることはできなかったが、決意をすることはできた。自分だけは、何があってもさやかちゃんの味方でいよう、と。

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 翌日。

 クラスの雑務を終えて集合場所に向かったマミは、ひとり立つ杏子を見つけた。

 

「美樹さんは?」

 

 その問いに、杏子は視線を落とし、首を横に振って応えた。

 

「そう……」

「まどかには、何かあったら連絡するようには言ってあるよ」

「なら安心ね。じゃ、今日は久しぶりに杏子ちゃんとふたりでパトロールしましょうか」

 

 言葉とは裏腹に不安を隠しきれない表情で告げると、マミはもう一年近くともに戦っているパートナーの手をひいて歩き始める。

 

 

 

 

 結局、まどかからの連絡はなかった。

 魔女や使い魔と遭遇することもなくパトロールを終え、自宅に戻ったふたりにのもとに、キュゥべえが訪れた。

 マミは渡りに船とキュゥべえに美樹さやかの状況を尋ねたが、キュゥべえの目的はそもそもそれを告げることにあった。魔法少女たちが接触してしまわないように――

 

『美樹さやかなら今はひとりで頑張ってるよ。キミたちと一緒だと甘えも出るしね。それに、美樹さやかの為にもひとりでいる時間は大切と思うよ』

 

 信頼するキュゥべえの言葉にマミは同意すると、さやかへの伝言を頼んだ。

 

「キュウべぇ、美樹さんに伝えておいてもらえる? いつでも帰ってきてって」

 

 マミは後にこの日の出来事を思い出す度に、何故、帰ってきて、ではなくすぐに迎えにいってあげなかったのか、と身を焦がすような悔恨に苛まれるのだった。そうすれば、間に合ったかも知れなかったのに、と……。

 

『わかった。伝えておくよ』

 

 空約束をすると、キュゥべえは姿を消した。


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