マミさんの歩く道に祝福がありますように ~やがて円環へと導かれる物語~   作:XXPLUS

12 / 59
第一二話 マミさん、魔法少女の使命にめざめる

 木立でのショール救出劇を演じたふたりは、そこからほど近い池の畔で夕飯にした。

 格好良いと思ったのか、「弁当を使う」と表現した醍醐だったが、マミには「何それ、時代劇?」と笑いを提供するだけに終わり、カッコイイどころか受け狙いと思われたようだった。まぁ、いつものことと表現していいだろう。

 

「食べたら、もうちょっとアトラクションに乗って帰りましょうか」

 

 綺麗に並べられた重箱を箸でつつきながらマミが言うと、醍醐は『食後だからお手柔らかなもので』という条件付きで同意した。

 

「んー。お手柔らかっていうと、さっきのチューチューなんとか?」

「だめだよ!」

「あは、もう日も暮れるし、水浴びると寒いものね」

 

 そういう問題じゃないんだけど、と思いながら、醍醐はふとコーヒーカップでの出来事を思い出し「コーヒーカップ……」と呟く。その声を拾ったマミは「うん、それなら食後でも大丈夫よね」と微笑みながら、半分くらいまで減った醍醐のカップにお茶を注いだ。

 

「でも、またなの? 気に入ったのね」

「あー、せっかくだし、今日乗ってないのにしようか」

「あら、気に入ったのならいいわよ?」

 

 マミの純粋な反応を目の当たりにすると、醍醐は自分の考えを恥ずかしく感じ、強く否定した。

 その心の動きを知る由もないマミは、自分が「また」といったせいかと、シュンとしてしまう。

 お互いに少しばつが悪く感じ、言葉が途切れた。

 醍醐は何か提案しないといけない、と意気込んで園内地図に目を走らせ、地図の枠外に書かれているスケジュールに気が付いた。

 

「八時からアクア・イリュージョンだって。最後はこれにしない?」

「あ、それ人気みたいよね。うん、それを締めにしましょう。それまでは……ええと、一時間とちょっとね」

 

 アクア・イリュージョンはこの遊園地の名前にもなっているアトラクションで、メインゲートすぐの噴水で数時間おきに光と音楽を伴う噴水ショーを二〇分ほど行うものだ。

 昼のうちは子供、家族向けの明るい音楽と派手な演出、夜になるとカップル向けの静かな音楽と儚げな演出を行っている。

 

「一時間あれば三つくらい乗れるかな?」

 

 何かいいアトラクションはないかと再び地図に視線を落とした醍醐に、マミが待ったをかける。

 

「ちょっと早いけど、食べ終わったら場所取りにいって待っておかない?」

 

 時間ぎりぎりに行って後ろの方で立ち見になるのも困るし、と続けるマミだったが、それが理由の全てではないことは醍醐にでも察しがついた。

 

「ありがとう、そうしようか」

 

 だから醍醐は素直にありがとうと言えたし、言われたマミも自然に受けた。

 とはいえ、残り時間一時間強の半分近くは、お弁当との格闘に消費されることになり、もとよりアトラクションに乗る余裕はほとんどなかったのだが……。

 

 

 

 

 

 噴水前のステージに着いた時、まだ座席はほとんど埋まっていなかったが、マミと醍醐は前列ではなく中列の左端に席を取った。

 六月といえど夜ともなると少し肌寒くなり、マミはルーズに巻いていたショールをマフラーのように巻き直す。

 ショーの開幕まで二〇分ほどあった。しかし、とりとめもない会話をしているとすぐに時間は過ぎた。

 そして、ショーが始まってからの時間は、さらに早く過ぎた。

 

 赤や青やオレンジ、ピンクの光は、様々に形を変えて舞い上がる噴水を染める。

 また逆に飛沫をあげて舞う水は、数多の色の光を散乱し光彩を描く。

 静かなクラッシックは自己主張しすぎることなく、主役の光と水の奔流を盛り立てる。

 マミは溜め息さえこぼしながら、幻想的な光景に見入っていた。

 

「こんなに綺麗なのなら、毎回見てれば良かったね」

 

 ショーは二時間から三時間のインターバルをもって一日中催されている。見ようと思えば、今日だけでも数回見れたはずだ。ライトアップの映える夜間ステージが白眉なのは間違いないが、昼下がりや夕暮れのステージも異なった趣きで楽しませてくれるだろう。

 

「本当ね……」

「またパトロールに来て、見ようよ」

「そうね……でも次はパトロールじゃなくて、遊びに来たいかな……」

 

 今日も遊びじゃないのかな、と醍醐は思うのだが、マミにとっては遊びにくるのと、パトロールを名目に遊ぶのとでは、真珠と硝子玉ほどの違いがあった。

 だが機微は分からなくても、マミにとって意味があることだと推し量る程度はできる。だから、余計なことは言わずに肯定するにとどめた。

 

「そうしよう」

「うん、そうしましょう」

 

 マミは醍醐がそのあたりの機微を理解してくれたものと思い、顔を綻ばせた。そのマミの受け取りようは厳密には正しくないが、しかし決して的外れでもないだろう。

 

 ある時は夜空を飾る花火のように。ある時は氷上を舞うフィギュアスケートの選手のように。ある時は野原を駆ける小動物のように。ある時は国境を越えて人々を魅了する流星群のように。ある時は一糸乱れず行進する儀仗兵のように。ある時は虚空を光と熱で満たそうとするスターバースト銀河のように。ある時はその質量で全てを砕く大瀑布のように。

 そして最後は、清流で儚い生命を全うする蛍のように一抹の物悲しさを残して、幻想的なショーは終わりを告げた。

 

「良かったー」

 

 まるで今まで呼吸をするのを忘れていたかのように、大きく息を吐く。

 高揚のためか熱気のためか、額にうっすらと汗が滲み、黄金色の前髪が幾筋か張り付いていた。マミはポシェットからハンカチを取り出すと髪を浮かせながら汗を拭った。

 その仕草に艶っぽさを感じた醍醐は、少し鼓動が大きくなるのを感じながら、倣うように自らの額に浮いた汗を手で拭う。

 拭う手で醍醐の視界が妨げられ、マミの姿が隠れた。

 

「もぅ」

 

 その遮蔽の向こうから、マミが責めるような声をあげた。

 そして、ゆっくり身体を寄せると、ハンカチを持った手を伸ばして醍醐の額にあてがう。

 

「だめよ。手で拭いちゃ」

「ごめん、一応持ってきてはいたんだけど、つい」

 

 ジーンズの後ろポケットに小さく折りたたんだハンカチが入ってはいるのだが、横着をして実際に使うことはほとんどなかった。

 額を拭うマミのハンカチから、かぐわしい芳香が醍醐の鼻腔に届く。醍醐はそれを吸うのはいけないことのように感じられ、息を止めて、ついでに瞳まで閉じてマミに拭われるに任せた。

 

 

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

 

 幸せな気持ちだった。

 駅で醍醐と別れたマミは、幸せな気持ちで家路を歩いていた。あいにくの曇天で月も星も見えないが、雲の上で輝く星々を感じられるような、そんな気分だった。

 

 ――最低限のグリーフシードを確保する程度に魔法少女としての活動頻度を落とせば、こうやって遊べるし、戦う機会が減れば醍醐くんの危険も当然小さくなるわよね。

 

 自分の考えに首肯してみせながら、街灯に照らされた遊歩道を歩く。厚底のローファーが砂利を踏む感触が心地良い。

 

「さて、帰ったら洗い物だー」

 

 重箱や水筒だけではない。出かける寸前まで料理していたのでキッチンは戦場の様相を呈しており、完全に片づけるのに小一時間はかかるだろう。それを面倒ではなくやり甲斐がある、と感じる精神状態にマミはあった。

 

 

 

 

 

 自宅マンションの周辺に人だかりを認めると、巴マミは嫌な予感をおぼえた。

 幾つかのグループに分かれるように群れている中から、同じフロアに住む見知った主婦達の集団を見つけ、駆けよって声をかける。

 

「こんばんは。どうかしたんですか?」

 

 ぺこりと頭を下げるマミに会釈で応えると、婦人達は声を潜めて伝えた。

 

「十五階の佐上さん、一家で飛び降りだそうよ。怖いわねぇ」

「お子さん、まだ七つでしょう? 可愛い盛りなのにねぇ」

「小さいおかげか、お子さんだけ助かったみたいだけど……良かったと言っていいのか、ねぇ」

「え……」

 

 聞くと、飛び降りは三〇分ほど前のことらしかった。既に飛び降りた三人は救急車により運び出されているが、その時点で息があったのは子供ひとりだけであり、ひどく泣き叫んでいたという。

 

「大丈夫? マミちゃん、顔が真っ青よ」

「あ、いえ。大丈夫です。お話ありがとうございました」

 

 頭を下げると足早に立ち去り、エレベータに乗りドアを閉める。

 その後ろ姿を見送りながら主婦達は「あの娘、佐上さんのご家族と付き合いあったんだっけ?」と的の外れた話をしていた。

 

 

 

 

 上昇を始めたエレベータの中でソウルジェムを取り出すと、反応を確かめる。

 

 ――近い。真上ね。

 

 マミの部屋があるフロアを素通りして、エレベータは最上階へ向かう。反応は依然上を指し示している。

 マンションに魔女の結界がある。そのマンションで一家の飛び降り自殺があった。

 偶々かもしれない。偶然に同じとき、同じ場所で、親子が心中をはかり、魔女が活動を開始しただけかもしれない――そんな都合のいい話を信じられる人間性とは、対極の位置にマミはあった。

 最上階に着いても、まだ反応は上を示していた。マミは屋上に続く階段を登り、両開きのの扉を引く。

 

『マミ、明日にするんじゃなかったのかい?』

 

 いつの間にか足元にキュゥべえがいた。彼の問いかけにマミは応える言葉を持たず、黙殺することしかできなかった。

 

『まぁ、やる気なのはいいことだ。結界はすぐそこだよ』

 

 魔法少女の姿に変身したマミの背中に、キュゥべえが明るい声をかけた。

 

 

 

 引き裂く様に結界を破り、足音を殺すこともせず通路を歩く。

 向かってくる使い魔は胸を撃ち抜き、逃げる使い魔は背を射抜いた。

 

『マミ、少し動きが雑だ、気を付けた方がいい』

 

 キュゥべえに視線を向けることもせず、小さく頷くだけで応える。が、その返答も空しくマミの行動は変わらない。乱暴に使い魔を倒し、乱暴に歩を進める。油断――ではないが、結果的には同じものだろう。

 怒りではらわたが煮えくり返る、という状態をマミは生まれて初めて感じていた。

 だが、その怒りの矛先をどこに向ければいいのかは分からなかった。魔女に向け、全ての咎を魔女に押し付けて断罪すれば、この怒りは霧散する――マミには、とてもそうは思えなかった。

 やがて、マミは結界の深部に到達した。

 そこに魔女はいた。マミと戦い、マミのノートに唯一記載されないことになる魔女。

 

 マミは数多のマスケットを並べると、矢継ぎ早に魔弾を放つ。

 その魔女は弱かった。マスケットの集中砲火の前に、あっさりと崩れ落ちた。

 マミは崩れ落ちた魔女に歩み寄ると、魔女の頭部にマスケットを押し付けて魔弾を放つ。脳漿のようなものが魔女の頭から飛散しマミの身体にもかかるが、意に介さずにマスケットの銃床で魔女の頭を散々に殴る。

 

 結界が消え、魔女の姿が溶けてなくなった後も、コンクリートの床に銃床を叩きつけ続ける。転がるグリーフシードに目もくれず、マミは一心不乱に殴打を続けた。

 どれだけ殴っただろうか、遂に銃床が音を立てて砕け散った。破片は飛び散った先でリボンへと姿を変える。

 

「ごめんなさい……」

 

 銃床を失い、半分ほどの長さになったマスケットを杖のようにしてへたり込むと、マミはぽろぽろと大粒の涙を落とし始めた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 繰り返すほど、言葉が安くなっていく気がした。それでも、他に紡ぐ言葉をマミは持たなかった。

 

 

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

 

 部屋に戻り、いつもの倍以上の時間をかけてシャワーを浴びたマミは、テレビのニュースで飛び降り事件の報道を見た。ニュースによると、子供だけは一命を取り留めたとのことだった。

 良かった、と言えるのだろうかとマミは疑問に思う。

 一三歳の自分でさえ、両親を亡くし一人で生きていくのは辛く寂しい。死んでいた方が楽だったと思うことも一度や二度じゃない。そんな想いを、七歳の子供に受け止められるのだろうか。

 そう思うと、気が付けば涙が溢れていた。

 

『別にその事件が魔女の仕業と決まったわけじゃないだろう』

 

 キュゥべえの言葉も慰めにはならない。マミは既に自分のせいだと心に定めていたのだから。

 呆然とテレビの前に座るマミは、放送プログラムが終了し耳障りな試験放送が始まるまで、そのままの姿でいた。

 

『マミ、大丈夫かい?』

 

 幾度目かの呼びかけにも反応はなく、マミの目はモニターに映る縦縞模様を見つめていた。

 壊れたのだろうか、とキュゥべえは思う。

 人間は大きな情動――悲嘆や喫驚を電流に例えることがある(実際にシナプスに電流が流れるわけではあるが)。

 人は年輪を重ねるにつれ、その電流を通す神経が太くなったり、あるいは並列に発達したりで、情動の電流に焼かれることなく耐えうるようになっていく。

 巴マミは、生来にして繊細な神経を持っている。それに加えて、いまだ幼い。

 そんな彼女の神経は、先の事故で両親を亡くしたこと、さらにはそれを自分の祈りが誤ったせいと己に責を帰していることから、ほとんどが焼き切れていた。

 醍醐との交流で、少しずつその神経が蘇りつつあり、夜にひとり泣く頻度も減じてきていたことから、もう大丈夫だろうとキュゥべえは判断していたのだが――

 

「キュゥべえ」

 

 視線も身体も動かさず、ただ唇だけを動かして、マミが声を発した。

 

「魔法で、記憶って変えられるの?」

『都合よく改竄するのなら、それは魔法ではなく奇跡の領分だね』

「例えば、私の記憶から、パパとママを消すことは?」

『存在そのものを忘れさせるということなら可能だと思うが、両親を助けられなかったことは、そんなにキミにとって重荷なのかい?』

「ううん、そうじゃないの」

『今日の事なら……キミが気に病む必要はない。というか病んではいけないね。どんなに日常を犠牲にしても守れる範囲、時間は限定されるんだ。いちいちその手で拾い上げれなかったものに責任を感じていたら、キミがもたないよ』

「うん、分かってる」

『まぁ、都合よく改竄するわけでなく、存在そのものを忘れさせるなら、催眠魔法と失認魔法の応用で可能だと思うよ。幸い、マミの催眠魔法はかなりの高レベルだしね』

「うん、ありがとう」

 

 テレビを消すつもりだったのだろう、リモコンに手を伸ばそうと上半身をテーブルに預けたマミは、その姿勢のまま意識を失うように眠りに落ちた。

 キュゥべえは毛布を咥えて持ってくると、器用にテレビを消してから、マミの肩に毛布を被せてあげた。そして、その横で丸くなった。

 

 

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

 

 翌日、鳥の囀りで目覚めたマミは『毛布ありがとう』とテレパシーを飛ばすと、いつも通りの支度を始めた。

 そして、いつも通りに登校し、いつも通りに過ごした。

 教師も級友も、その様子に一切の違和感を抱かない、見事ないつも通りの振る舞いだった。

 

「何かあったの、巴さん?」

 

 だから、放課後に公園で落ち合った醍醐にそう指摘された時に、マミは驚くよりも感謝をおぼえた。だが、包み隠さず話すことは出来なかった。

 自らの失態を晒すことを躊躇ったというよりは、事の顛末を話すことで、醍醐が一時的にでも責を感じて心を痛めることを避けるために。

 

「ちょっとね……。でも大丈夫、今日も頑張ってパトロールしましょう」

 

 その返答に当然ながら醍醐は引っかかるものを感じるが、追及することはしなかった。

 巴マミは魔法少女であるという事情を抜きにしても、複雑な環境にいる。彼女が話したくないことは聞くべきではないという信念が醍醐にはあった。

 

「僕で良ければ、出来る範囲で力になるから。出来ない範囲なら、力になるよう努力するし」

 

 醍醐らしい物言いに、マミは笑みを漏らすとつないだ手を強く握った。

 

 

 

 

 

「今日は平和で良かったね。パトロール的には空振りなのかもしれないけど……」

 

 今まで巡った箇所の全てを回るような念入りなパトロールを終えて公園へ戻った醍醐が、まさに沈もうとしている夕日を見つめて呟いた。

 

「そうね。平和が一番だわ」

 

 夕日に照らされたマミの黄金の髪が輝いているように醍醐には見える。それがあまりに美しくて、ぼんやりと眺めているとマミがその視線に気づいて頬を朱に染めた。

 

「やだ、昨日お手入れせずに寝ちゃったから、髪……荒れてるのに」

「あ、ごめん、でも、そんなことないと思うよ。燃えるようで、とっても綺麗だよ」

「燃えてるんだ……微妙な誉め言葉ね」

 

 マミの言葉にあたふたと狼狽する醍醐を見て、マミは微笑んだ。そして、意を決したように表情を引き締めると呟く。

 

「醍醐くん、私ね、魔法少女なんだよ」

「え。うん、知ってるけど……?」

「だからね、こんな魔法も使えるの」

 

 つないでいる手から、マミは催眠の魔法を送り込んだ。効果はすぐに表れ、醍醐は倒れ込むように眠りに落ちる。

 マミは醍醐の前面にまわって、彼の身体を包み込むように受け止めると、いつものベンチに座らせた。

 

 ――ごめんね、醍醐くん。

 

 背もたれに力なく寄りかかる醍醐に顔を近づけると、そっと唇を重ねた。

 乾いた唇と乾いた唇を触れさせるだけの幼い接吻だったが、マミにはそれが精一杯であり、また、それで十分だと感じていた。

 

 ――昨日のことで分かったの。私は、もっと頑張らなきゃいけないって。でも、そうすると戦う頻度も上がるし、危険も増える。

 

「この上、あなたまで亡くなったら。そう考えると怖くてしょうがないの」

 

 本当は今日、パトロールの前にこうしようとマミは考えていた。

 しかし、決心がつかず、最後のパトロールと言い訳して先送りにしてしまった。

 そして、出来るだけ時間をかけて、パトロールをしていたのだが、ようやく心を決めた。

 

「お願い、私のことは忘れてね」

 

 キュゥべえに教えてもらった通りに、醍醐の心の中にある巴マミを引き抜いた。

 これで彼は、もう何も覚えていない。

 もう話しかけてくれることも、笑いかけてくれることもない。

 マミは目尻に熱いものを感じた。

 ゆっくりと一度だけ頷くと、マミはつむじ風の様に跳び、木々や電柱を足場に家へと戻った。

 こぼれた涙は、誰に見咎められることもなく、風に飛ばされ虚空に消えていった。

 

 ――いつか。いつか奇跡の対価を払い終えて、魔法少女でなくなる日が来たら。会わせる顔なんてないけど、全部話して、心から謝らせて欲しいです。

 

 

 

 

 夕陽が沈みきり、周囲に夜のとばりが下りた頃に醍醐は目を覚ました。

 

「あ、あれ、僕、どうして?」

 

 果たして、マミの魔法は奏功し、醍醐はマミに関する記憶を失っていた。

 何故この時間に、このような場所にいるのか、全く分からず茫然とする。

 ふと、醍醐の頬を涙が伝った。

 その理由を理解することもできず、醍醐は心を乱したが、どうしても理由に思い至ることはできなかった。

 ただ、心の中にとても大きな空洞ができていることを漠然と感じながら、彼はしばらくその場で涙を流した。

 

 

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

 

 昨日、今朝と溜めてしまった洗い物をしながら、マミは心が軽くなっているのを感じていた。

 だが、それなのに涙が溢れるのを止められなかった。

 自分の感情が何処にあるのか分からずに混乱をおぼえる――切り捨てることや諦めることで一時的な安寧を得ることは、彼女にとって初めての経験だった。

 

『彼の記憶を消したかったのかい』

 

 リビングのソファで丸くなっているキュゥべえがテレパシーを送ってきたことで懊悩は止められた。マミは目尻を慌てて拭うと、涙声にならないよう気をつけて応える。

 

「ええ。人の記憶を消すだなんて、許されないことだわ。きっと私は天国へは行けないわね……」

『キミたちの宗教観はともかくとして……後悔するくらいなら、どうして』

「このまま巻き込んでいたら、いつかあの人は命を落とすわ。それだけはいや」

 

 そこで言葉を区切ると、自嘲めいた笑みを浮かべて吐き捨てるように声を出した。

 

「あの人のためじゃないの。私のためなの。もう大切な人が死ぬのを見るのは、絶対にいや。それに、私は余計なことに時間を使う余裕はないの。キュゥべえが言うように、私の手で拾える命は限りがあるけど、だからこそ拾える範囲は絶対に守りたい。昨日の様な後悔だけはしたくない。自己満足だけど、そうしたいの。笑っちゃうよね、今さら」

『確かに自己満足だね。でも、魔女を倒してくれるのは助かるし、キミの気の済むようにすればいいんじゃないかな』

 

 いつの間にかソファから飛び降りたキュゥべえは、とことこと歩を進めキッチンへ入ってきていた。

 彼は跳躍して流しの上に乗ると、感情のない声で続けた。

 

『あと、ボクには笑うって感情はないからね。笑っちゃうと言われても分からないよ』

「……そうだったわね」

 

 キュゥべえの指摘に、マミは声を殺して笑った。それを受けて、キュゥべえも『アハハ』と笑う。大根役者という名札があれば胸につけてあげたくなるような、見事なまでにわざとらしい笑いだった。

 

「へんな笑い方ね」

 

 マミの笑いのトーンが一段高くなった。キュゥべえなりに元気づけようとしてくれているのかな、と思うと心が温かくなるように感じ、また涙が溢れた。

 

「……心配かけてたらごめんなさい。人前では泣かないようにするから」

『いや、ボクはいいんだがキミのメンタルが心配だ。あまり内罰的すぎるといつか限界が来るよ』

「大丈夫」

 

 突然、マミが両手を伸ばしてキュゥべえを引き寄せた。そして強く胸におしつけて抱き締める。洗い物で濡れた手だったが、キュゥべえは不平は言わずにされるがままに任せた。

 

「私にはこんなに可愛いパートナーがいるもの。……キュゥべえは、魔女との戦いで死んだりしないわよね?」

『ボクにはキミたちの死生観で言うところの死はないね、安心してくれていい』

 

 淡々と応えるキュゥべえは、心の中では異なることを考えていた。

 

 ――もう少し彼に依存したところで彼を殺せば、いい感じに絶望してくれそうだったんだが。先に手を打たれてしまったようだね。

 

 マミはそんなキュゥべえの内心を知る由もなく、強く、強く抱き締めていた。感謝の気持ちを込めて――

 

 

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

 

 ふた月近い時が流れた。

 夏休みを間近に控え、盆地気味な見滝原の気温は殺人的に上昇していた。

 今マミがいる河川敷は川が近いだけに僅かにマシではあるが、それでも額に汗が噴き出すのは止められないほどの陽気、いや、熱気だった。

 滴となって頬から顎へ流れてゆく汗を拭うこともせず、魔法少女姿のマミは魔法の練習を行っていた。

 

「えいっ」

 

 澄んだ声とともに右手を横に薙ぐと、腕の軌跡にマスケットが五つ生み出される。

 事前に作っておいたものを呼び出しているのではなく、瞬間的に生成しているものだ。時間にして一秒とかかっていない。

 

『すごい上達振りだね。もう前もって銃を作っておく必要もないんじゃないのかい?』

「そうね」

 

 生み出したマスケットを帽子の『中』に収納しながら、マミは寂しげに笑った。必要はないかもしれないけど、この戦い方はふたりで考えたものだから――

 

「でも、この戦い方は、ずっと続けようと思うの」

『まぁ、準備していて損するわけでもないしね。いいんじゃないか』

 

 魔力が自然回復しないものである以上、前もって作っておくことは戦闘時の時間の短縮にはなっても魔力の節約にはならない。だがそれはキュゥべえが指摘するまでもなく、マミも理解していることだった。

 

「私って、けっこう形から入るから……」

『その通りだね』

 

 自分から言っておいて理不尽なことだが、同意したキュゥべえにマミは頬をふくらませて非難した。

 キュゥべえはワケが分からないと思いながらも、反論はせずに尻尾を振って応えた。

 

 

 

 一学期最終日の朝、昇降口で下駄箱から上履きを取り出していると、マミは下駄箱の狭い空間の中に白い封筒が斜めに置かれていることに気付いた。

 溜め息を吐く。

 面倒とまでは思わないが、好意を寄せてくれる人を拒絶するのは気が重い作業だ。最近は学校でも他人と距離を取り、極力目立たないようにしているのだが、それでもマミの容姿は耳目を集めてしまう。

 手を伸ばし、封筒を下駄箱の中で反転させ、署名を見る――そこには、見覚えのある筆跡で、醍醐の名が刻まれていた。

 

「……うそ」

 

 記憶が戻ったのだろうか、と思うがすぐに否定する。

 もしそうなら手紙を渡すようなことはせずに直接話しかけてくるだろう、と。

 化粧室に飛び込んだマミは個室で手紙に目を通し、文面からも記憶が戻っていないことを確信した。

 涙が溢れそうになるのを意志の力で抑え込むと、マミは教室に向かう。

 幸い今日はロングホームルームだけなので、長い間感情を抑える必要はなかった。

 

 放課後に指定の場所で醍醐にあったマミは、会釈をするとそのままの姿勢で涙をこぼした。

 そして、嗚咽交じりの声で醍醐に付き合えない旨を伝える。

 醍醐は、泣くほど困らせてしまったのかと思い、しどろもどろに謝罪の言葉を口にするのだが、そういった醍醐の以前と変わらない人間性に触れて、マミはさらに落涙する。

 

「謝らないで。困ってるんじゃないの、嬉しいの」

 

 その言葉に醍醐は顔を輝かせるが、マミはぬか喜びさせないようにすぐに言葉を続ける。

 

「本当に、嬉しい。でも、ごめんなさい、私は、誰ともお付き合いできないの。本当にごめんなさい」

 

 有無を言わさぬマミの態度に、醍醐は力なく頷き、そのうえでマミの身を気遣った。だがマミはうまく応えることが出来ずにいたのだった。

 

 

 

 

 ――変な子だと思われちゃったよね。

 

 昼食を作りながら、マミは今日の出来事を反芻していた。嬉しい気持ちと悲しい気持ちが複雑に入り混じっていたが、どちらかというと悲しみの方が大きい。

 正確には、今日の出来事については嬉しさの方が大きいのだが、今日の出来事によって心に埋めていた悲しみが掘り起こされた形だ。

 出来上がった昼食を食卓に運び、独り呟く。

 

「美味しく作れるようになったのに……もう、食べてくれる人もいないのね」

『ボクでよければ食べようか、マミ』

 

 いつの間にかキュゥべえが、スリッパを履いたマミの足元に現れてテレパシーでマミの独語に応える。

 

「キュゥべえ、いたのね。じゃぁ、食べてもらおうかしら」

 

 慌てて目尻を拭うと、無理に笑顔を作ってマミは言う。その瞳の色はキュゥべえにそっくりだったが、キュゥべえはそれについては言及を控えた。

 

「今日は、茸とチキンのピラフにトマトサラダよ」

 

 キュゥべえの分は食べやすい平皿に盛って別に用意した。普通の皿でも問題ないとキュゥべえは主張するが、食べ方が犬猫そのものなので、マミとしてはやはり相応の食器の方が良いと思ってしまう。

 

『うん、きっと美味しいと表現できるだろうね』

「何それ、変な言い回しね」

 

 半分ほど平らげた時点でキュゥべえが述べた感想に、マミが苦笑まじりに返した。

 自分で食べているのに、やけに客観的な感想であることがマミにはおかしく感じられた。

 

『すまない、ボクには美味しいという感情がないからね。キミたちが美味しいと賞賛するときのデータと比べての判断しかできない』

「そんなデータがあったのね。じゃぁ、へたっぴな間は比較しないでくれてたのね。ありがとう」

『あの頃はデータが不十分だっただけだよ』

 

 素っ気なく返し、残る料理を貪るように食べるキュゥべえの姿に、マミは感情の萌芽を見た気がして微笑ましく思った。

 そして、キュゥべえとなら、この先も戦い続けていける、戦い続けていこうと、強く決意した。

 

 

 

第二部 マミさん、魔法少女の使命にめざめる  完


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。