ある日曜の昼前、彼と胡桃は巡ヶ丘にあるデパートの三階…そこにある映画館へやって来ていた。前に二人で夏祭りに行ってからというものちゃんとしたデートが出来ていなかった為、彼の方から胡桃を誘ったのだ。
胡桃「ん~、ちょっと混んでるな」
「ま、日曜だしね」
映画館のチケット売り場は家族連れやら小さな子供達やらで賑わっていて、少々騒がしい…。だが、見たところ同じ学校の生徒はいなそうなのが救いだ。もし二人で映画を観に来ているところをクラスメートにでも見られたら、学校でネタにされてしまうかも知れない…。
「…ちょっとトイレ行ってきていいかな?」
胡桃「仕方ないな…早く済ませてこいよ。チケットは買っておいてやるから」
「わるい、任せたよ」
トイレへ向かう彼を見送り、胡桃はチケット売り場の列に並ぶ。列は少し長めだが、それを
店員「いらっしゃいませ。本日はどれをご覧になりますか?」
胡桃「えっと、この映画で頼みます」
メニュー表にあった一つの映画を指差すと、相手の女性店員はニッコリと頷く。今日観に来た映画はアクション映画であり、上映開始時間は20分後だ。後に胡桃がその映画を見る座席の位置を二つ決めると、店員が尋ねる。
店員「チケットは二人分ですね?」
胡桃「あっ、はい…」
店員「失礼ですが、お相手の方は男性でしょうか?」
胡桃「えっ?」
いきなり何を言うんだと思い、胡桃は目を丸くする。すると店員は申し訳なさそうに苦笑いしながらメニュー表をカウンターへ置き、何やら説明を始めた。
店員「本日はイベント日となっていまして、男女二人…なおかつカップルの方にはカップルチケットというものをお売りしています。もしお相手の方が彼氏さんなら、こちらを買った方がお得ですよ♪」
胡桃「あ…じゃあ…その……カップルチケットでお願いします…」
店員「はい、かしこまりました!」
元気な返事を返す店員を前に、胡桃は顔を俯け恥ずかしそうな表情を浮かべる。自分と彼は付き合っている…だからこのカップルチケットを買うことは何もおかしくないのだが『カップルチケット』という響きを口にするのが何故かやたらと恥ずかしかった…。
胡桃(あたしとあいつは…カップル…なんだよな…?うわ、改めて実感するとやたらとハズい……)
そんな事を思いながら顔を真っ赤に染めていると、目の前にいた店員が用意したチケットをカウンターの上に置く。それに気付いた胡桃は慌てたようにして財布を取り出してその代金を支払うと、チケットを手にしてその場を離れる。そうして近場にあったベンチに腰かけて時間を潰していると、トイレに行っていた彼がスタスタと戻ってきた。
胡桃「遅かったな?ほい、チケット」
「ああ、やたらと混んでてね…。ええっと、カップルチケット?」
渡されたチケットに書いてあった文字を読み、彼は首を傾げる。そのチケットが普通の物よりお買い得な事、そして名前の通りカップルしか買えない事を胡桃が説明すると、彼はニヤニヤと笑った。
「なるほどなるほど、カップルねぇ…」
胡桃「なっ、なんだよその顔っ!何かおかしいか!?」
「全然、何もおかしくないよ」
イタズラに笑いながら彼女の隣に腰を下ろし、ベンチに置かれていた左手にそっと右手を重ねる。それが恥ずかしかったのか…胡桃は彼に見えぬよう顔を横へ逸らしたが、髪の隙間から覗く耳が真っ赤に染まっていくのはハッキリと分かった。
「手繋ぐの、恥ずかしい?」
そっと尋ねると、胡桃は横を向いたままコクリと頷く。恥ずかしいのなら、嫌なら離してあげよう…。そう思って彼が手を離そうとすると、胡桃は慌てたようにその手を掴み、真っ赤な顔をこちらへと向けた。
胡桃「い、今はさ……ほら、周りに人がいっぱいいるから…。
「…わかったよ」
そう答えると、胡桃は嬉しそうに微笑んで彼の手を離す。確かに、今は辺りの人影が多い…。どうやら人目につく場所で手を繋ぐのが恥ずかしいだけで、手を繋ぐということ自体が嫌なわけではないようだ。
「飲み物とか買ってこようか?」
胡桃「あっ、そうだな」
映画が始まるまで、まだ時間がある。二人は映画館に備え付けられているフード売り場へ行くと、ポップコーンと飲み物を買い、映画の上映を待った。
「そう言えば、チケット代を立て替えてもらってたな…。ちょっと待ってて、今払うから」
胡桃「別にいいよ。カップル料金にしたおかげで安く済んだし」
「いやいや、そういうわけには…」
チケット代を胡桃に払おうとする彼だが、ポップコーンや飲み物を抱えているせいで財布が取り出せない。少しの間だけこれらを置いておける場所がないかと辺りを見回していくと、胡桃がため息をついて肩を小突く。
胡桃「じゃ、後で払ってくれればいいよ。今はひとまず、映画を楽しもうぜ」
「…そうだね。じゃあ、後で払うよ」
胡桃「んん、それで良し!」
なんてやり取りをしていると、いつの間にか映画の上映時間が迫っていた。二人は入場口へ向かい、そこにいた店員へチケットを見せる。まず最初に彼がチケットを見せ、次は胡桃の番だったのだが……
胡桃「あ、あれっ…?」
「ん?どした?」
手に抱えていたポップコーンと飲み物の乗ったケースの中を探っていた胡桃の表情が徐々に青ざめていく…。次の瞬間、彼女はまいったように苦い笑みを浮かべた。
胡桃「チケット…落とした…」
「なっ……マジか」
胡桃「マジ…。どうしよう……」
彼と映画を観る事を楽しみにしていたのに、こんな事になってしまうとは…。辺りを探せばチケットが見つかるだろうか…。それとも、買い直した方が早いだろうか…。胡桃が色々な事を考えながら顔を俯けていると、二人の後ろに並んでいた少女が胡桃の肩をトントンと叩いた。
??「あの、これ落としましたよ?」
胡桃「えっ?」
そっと振り向いて確認すると、少女の手にはさっきまで胡桃が持っていたチケットが握られていた。この少女は胡桃がそれを落とす瞬間を見ていて、わざわざ届けてくれたようだ。
胡桃「っ!ありがとうございま―――――」
チケットを受け取り、そこまで言ったところで胡桃は固まる……。
彼女が落としたチケットを拾ったその少女に、見覚えがあったからだ…。
腰辺りまで伸びた茶髪…。そして、服の上からでも分かる大きな胸…。人違いであってくれと思ったが、間違いない…。胡桃の前に立つその少女は…若狭悠里だった…。
胡桃「…………」
悠里「あら、やっぱりくるみだった。声を聞いた時からそうかなぁって思ってたの♪」
悠里はニコニコと微笑んでいるが、胡桃はそれを無視するかのようにしてチケットを店員へと見せる。突然の事で焦ったが、今は入場口の向こうへ逃げてしまおう…。そう思ったのだが……悠里もまた、持っていたチケットを店員へと見せて入場口を通ってきていた。
胡桃「り、りーさんも映画観に来たんだ…?」
悠里「ええ、せっかくのお休みだから、ゆきちゃんと一緒に映画でもと思ってね」
胡桃「……えっ?」
悠里の言葉に驚き、改めて目線を上げる…。すると悠里の後ろ、そこから猫耳帽子がピョコッと顔を覗かせている事に気が付き、胡桃は益々焦った。
由紀「むふふ~♪く・る・み・ちゃ~んっ♪」
焦る胡桃を小馬鹿にするかのようにして、猫耳帽子を被った少女…丈槍由紀が前に立つ。彼女はポップコーンの乗ったケースを手に抱えたまま胡桃の横へ立つと、意味深な笑みを浮かべたまま胡桃…そして彼の事を交互に見つめた。
由紀「えへへ…えへへ…♡」
「………」
胡桃「な、なんだよっ!!?」
焦ったり、照れたりして顔を逸らしたら由紀のペースになる…。胡桃は開き直ったようにして彼女と向き合い声を張り上げるが、由紀は未だにニヤニヤとしていた…。いや、よく見ると、悠里もやたらとニヤニヤしている……。
悠里「『カップルチケット』…ねぇ♪」
胡桃「な…っっ!?」
悠里が片手を口に添えながら『ふふっ』と笑うと、由紀もまたニヤニヤと微笑む…。やはり、この二人は知っている…。いや、知ってしまったのだ…。ついさっき、胡桃が落としたチケットを見て……そして、胡桃の横に彼がいるのを見て……。
由紀「ねぇねぇっ!いつから?いつからなのっ!?」
由紀はターゲットを胡桃から彼に変更し、グイグイと肩を寄せながら尋ねる。どう答えるべきか…彼は胡桃の様子を窺うが、彼女は顔をゆでダコのように赤く染めたまま動かない。まぁ、嘘をついたりごまかしたりする必要も特に無い…。彼は由紀の顔をそっと見つめ、正直に答えることにした。
「ええっと、わりと最近からだよ」
由紀「おお~っ!どっちから告白したのっ!!?」
「…胡桃ちゃんの方から……」
由紀「わぁぁっ♪」
悠里「あら、くるみって積極的なのね♪」
胡桃「…………」
悠里が顔を覗き込むが、胡桃はピクリとも動かない…。
少しからかい過ぎてしまっただろうか…。悠里は由紀の肩をつつくと、その場をそそくさと離れていくことにした。これ以上追及し続けたら、胡桃が気絶してしまいかねない…。
悠里「私とゆきちゃんが観るのはあなた達と別の映画だから、またね」
「ああ…また」
由紀「またね~っ!」
二人はニヤニヤしながらその場を離れ、目当ての映画が上映するシアターへ入っていく…。しかし、胡桃はまだ固まったままだ…。
「…おい、胡桃ちゃん。二人はもう行ったよ?」
胡桃「………うん…」
胡桃はようやく反応を返し、ゆっくりと歩き出す…。だがその顔は未だに真っ赤で、湯気があがっていきそうな程だった。
胡桃「二人に…バレた……。死ぬほど恥ずかしい…っ…」
「でも、いつかはバレる事だったんだし、良かったんじゃないの?仲の良い友達にずっと隠してるのも何か嫌でしょ?」
胡桃「それは…そうだけど…」
由紀に悠里…どちらも大切な友達だ。
なので彼との関係を近い内に明かす気でいたのだが、まさか今日…こんなタイミングでそれを明かすことになるとは思ってなかった…。
胡桃「はぁっ………ま、いっか……」
ずっと恥ずかしがっていても仕方がない…。胡桃は気持ちを切り替え、彼と映画を楽しむことにした……。
~~~~~~~~~~~
そして時間が経ち、すっかり夕方となった頃…。胡桃は彼と共に住宅街を歩き、自宅を目指す。二人で観た映画は思っていたよりもずっと面白く、それを観終えた後に食べた昼食もとても美味しかった…。
胡桃「今日はありがとな。本当に楽しかったぜ」
「いや、こちらこそありがとう。胡桃ちゃんとのデートは楽しくて、時間が経つのが早い気がするよ…」
胡桃「……あははっ」
実は…胡桃も彼と同じ様な事を思っていた。一人ダラダラ過ごす休日はやたらと長く感じるのに、今日のデートはあっという間に終わってしまったような気がしていた。
「あ…胡桃ちゃん、ちょっとこっち来てくれる?」
胡桃「ん?ああ、分かった」
あと少しで胡桃の家に着くという時、彼は人気の無い路地裏へ向かって歩き出す。家への方角とも違うし、完全に寄り道だ。しかし彼も訳があってそちらに行ったのだと思い、胡桃はそのあとに続いた。
「よし、ここなら良いか…」
少し行った所で立ち止まり、辺りを見回して自分達意外に人の気配が無い事を確認する。家と家の塀に挟まれたこの路地裏は夕焼けの光すらも建物で遮っており、やたらと薄暗い…。
胡桃「なぁ、どうした?」
「…前にデートした時、言ったよね。『次のデートでは、僕の方からキスする』って……」
胡桃「あ……っ…」
瞳を細めて驚いたような反応を見せる胡桃を塀の方へ追い込み、その肩へ両手を添える…。胡桃は頬を真っ赤に染めて瞳を潤ませていたが、すぐにその瞳をそっと閉じると、自分から唇を突き出してキスを待ち始めた…。
(ほんと…可愛いやつ…)
目を閉じてキスを待つ胡桃がいつも以上に愛しく見えてしまい、彼の気持ちも高まる…。彼は彼女の肩に両手を添えたまま唇を寄せると、それを彼女の唇と重ねていった…。
胡桃「ん…っ……」
互いの唇が『ぴとっ』と重なった瞬間、胡桃が甘い声を漏らす。声が漏れたのはその一瞬だけでなく、彼が唇を動かす度…肩に添えていた手の内の一方を彼女の後頭部に移して柔らかな髪を撫でる度…何度も漏れていった…。
胡桃「っ…ん……ん……んっ」
男勝りな性格だと思っていた胡桃が今は自分の彼女であり、こうしてキスすると顔を真っ赤にしながら甘い声を出す…。キスされてこんな声を出すこと…こんなにも柔らかく、熱い唇を持っていること…自分しか知らないであろう彼女の一面を知ったらまた一層に気持ちが高まり、彼は自身の舌を彼女の唇と唇の間へ伸ばしていった。
胡桃「んぁ…っ!?ま、まっ…て……っ……!」
自分の唇に彼の舌が触れ、胡桃は戸惑う…。しかし彼は気持ちを抑えきれず、その舌を彼女の唇の隙間へと無理やりにねじ込んだ。
胡桃「ふぁ…っ…んむっ…ん…♡」
唇を押し退け、胡桃の口内に舌を入れる…。彼女の口内は自分のとは比べ物にならない程に熱く、そこにあった舌はとても柔らかな物だった。彼はただ本能のまま舌を動かし、それを彼女の舌に絡めていく…。熱くヌメヌメとした舌同士を絡ませる度、胡桃は声を漏らしながら肩を震わせた。
胡桃「あっ…んぁ…♡あ……あむ…っ♡」
気付けば胡桃の方からも舌を動かし、彼の舌に絡んでくる…。もはや口内にあるのが自分の唾液なのか相手の唾液なのか分からなくなる程キスした後、彼はそっと唇を離した…。
「ん…はっ…」
胡桃「っ…はぁ…っ…はぁっ…はぁっ…」
キスで乱れた息を整えようとする胡桃の表情は、今まで見たこと無い程に色気のあるものになっていた…。うっすらと開いた瞳からは一筋の涙が…そして、真っ赤な唇の端からは唾液が垂れていて、顎先にまでそれが伝っている…。胡桃は顎に垂れていた唾液を服の袖口で拭うと、彼の事をそっと静かに見つめた…。
胡桃「今の、もいっかい…したい……」
顔を真っ赤に染めたまま、とろんとした目で胡桃が言う…。
彼女にそんな表情で、そんな事を言われたら断る事など出来る訳もなく、彼は再び唇を寄せたのだが…
『ピロリンッ♪』
「っ?」
胡桃「あっ…」
あと少しで唇が重なるという時、胡桃の携帯が鳴る。彼女はぼんやりした目付きをしたままそれを取り出すと、届いていたメッセージを読み上げた。
胡桃「ゆきからだ……。『彼とのデート、楽しかった?』…だってさ…」
「あはは…何て返す?」
胡桃「…『すごく楽しくて、ドキドキした』って返す…」
冗談なのかと思ったが、胡桃は本当にその文字を打ち込み、由紀に返信していた。もしかしたら、キスしたばかりで頭がぼんやりしているのかも知れない。そんな胡桃の髪を撫でていく内、彼は忘れかけていた事を思い出して声を上げた。
「あっ、そう言えばチケット代払うの忘れてた。ええっと…はい」
財布からチケット代を取り出し、それを胡桃へと手渡す。胡桃は渡された紙幣を眺めてぼんやりした後、何ともいえぬ苦い表情を浮かべていく。
胡桃「
「いやいや、これはあくまでもチケット代であって、そういうお金を払ったわけじゃないぞ?」
胡桃「わかってるって…ありがとな」
胡桃は受け取ったチケット代を自分の財布へしまい、彼と共に路地裏をあとにする…。由紀からメッセージが来たせいで二度目のキスのタイミングを逃してしまったが、これで良かったのかも知れない。あのままキスを続けていたら、きっと止め時が分からなくなっていた…。
~~~~~~~~~
胡桃「…じゃ、今日は本当にありがとな。楽しかったよ」
自宅前まで送ってもらい、胡桃は改めて礼を言う。彼はそんな彼女を見て嬉しそうに微笑むと、静かに手を振った。
「じゃあまた明日…学校で」
胡桃「うん…また明日」
胡桃は手を振り返し、家の前で彼の事を見送る。自宅へ帰っていく彼と自分の距離が10メートル程開いた時、このまま家の中へ入ろうとも思ったが……
胡桃「おいっ!」
最後にもう一言だけ、彼に伝えたい言葉がある…。
前の自分なら恥ずかし過ぎて絶対に言えなかったと思うが、今の自分なら…正直にそれを伝えられる。呼ばれた事によって彼がこちらへと振り向いたその瞬間、胡桃はニッコリと…子供のように微笑み、大きな声でそれを伝えた…。
胡桃「だ~いすきっ♡」
付き合いだして幾日かの時が過ぎ、胡桃ちゃんもだいぶ素直に気持ちを伝えられるようになってきました。
しかし彼を見送ってから家へ戻り、着替えを済ませ、そうしてベッドに横たわった瞬間、胡桃ちゃんはふと我に返って言い様の無い恥ずかしさに襲われたそうです…。
『あたしはなんで、ゆきにあんなメッセージを返してしまったんだ…!?』『なんで、あんなにも大きな声で彼に"大好き"なんて言ってしまったんだ!?』…なんて事を思い、胡桃ちゃんはベッドの上で枕を抱えたまま一人ジタバタと悶えた。というちょっとした裏話があります(笑)
では、また次回!