真冬「……あっ、邪魔しちゃったかな?」
時刻は午前十時くらいだろうか、何気なく立ち寄ったリビングの扉を開けた後、真冬は申し訳なさそうな表情をする。リビングの中では悠里、胡桃、由紀の三人が一つのテーブルを囲い勉強している最中だった。
悠里「いえ、全然平気よ」
ニコッと微笑む悠里を見て安堵した後、真冬は彼女らのそばに寄る。悠里は胡桃と由紀に勉強を教える側の立場らしく、参考書を手にして余裕のある表情をしていた。…が、胡桃と由紀は違う。二人は自分の参考書とノートを前に頭を抱え、のんびりペンを動かしながら時折呻いている…。
胡桃「うぅぅ…わっかんね〜………」
悠里「胡桃、この前も同じところで
胡桃「そんな事は無い……って言いたいけど、最近はそうかもなぁ」
悠里「暇な時間が多いのなら、その時間を少しでも使って自主勉強しておきなさい」
胡桃「…へいへい」
この屋敷に来てから、平和な時間が増えた…。
前までは食料や生活用品などを求めて定期的に外へと行ったものだが、今住んでいるこの屋敷にはわざわざ探しに行かなくても良いくらいに十分な量の物資がある。なので無理に外に行く必要が無いうえ、電気もしっかりと通っていてゲームや映画などの娯楽もある…。なので、胡桃が以前よりだらけてしまうのも仕方が無いといえば仕方が無い。
真冬「あれ、美紀は…?」
悠里「美紀さんなら、圭一さんと一緒に外へ行ったわ」
真冬「圭一さんと一緒に?…珍しい組み合わせだね」
圭一は基本、柳に命じられて仕事に行く時以外は一人で行動する事が多い。誰かと行動するにしても、それは穂村か真冬だった…。性格上、誰かと必要以上に組んだり足を引っ張られたりするのが嫌いなタイプのようだったが、そんな圭一が美紀という普通の女の子を連れて外に行くなんて、随分珍しい事もあったものだ。
真冬「美紀がついていきたいって言ったのかな…?」
胡桃「いや、さっきまで美紀もここで勉強してたんだけどよ、圭一さんが急にここへやって来て、『俺は今から外へ出るが、美紀はどうする?』って声かけてきてさ…。美紀はもうある程度勉強終わってたから、どうせならって事でついていったみたいだ」
真冬「え……じゃあ圭一さんの方から美紀を誘ったの…?
なにそれ……変なの………」
胡桃「………引き止めた方が良かったか?」
真冬「う〜ん………圭一さんは冷たい人だけど、二人きりになったからって何かしたりするようなタイプじゃないから大丈夫だと思う…。これが圭一さんじゃなくて穂村だったら美紀のことが心配になるけど…」
それはそうだ…と、その場にいる全員が思う。
もし穂村が美紀と二人で出掛けたいなんて言い出したら胡桃も悠里も引き止めるし、それにそもそも美紀だってついていかないハズだ…。
悠里「ほ、穂村さんも悪い人じゃないんだけどね…」
真冬「いや、アイツは悪い人だよ…。隙を見せたら何されるか…」
などと話したところで、真冬は気が付く。
さっきから、由紀が大人しい…。これだけみんなで話していても彼女だけは話に入っては来ず、苦い表情を浮かべながらも一生懸命ノートに筆を走らせていた。
真冬「由紀、勉強がんばってるね……」
由紀「えっ?あ、うんっ!!ちょっとね…がんばろっかな〜って」
ニコニコと笑う由紀……そんな彼女のことを、悠里と胡桃が優しい眼差しで見つめる。その後少しして、悠里が胡桃の方を向いた。
悠里「で、胡桃はこれからどうするつもり?まだ考え中?」
これから…というのはきっと、将来の事だろう。そう言えば、胡桃と彼だけはまだ将来について考え中だったらしい。
胡桃「あ〜……その、一応、こうなりたいな〜ってのは考えたよ」
悠里「……へぇ、聞いても良いかしら?」
期待の眼差しを向ける悠里を前に、胡桃は微かに頬を赤くする。
少し答えづらいのか、目線は落ち着き無く泳いでいた。
由紀「あっ!あれでしょ!!お嫁さん!可愛いお嫁さんっ!!」
悠里「あら〜………」
胡桃「ばっっ!!?ち、ちげぇよっ!!!」
ほんのり赤かった顔を一気に赤くして、胡桃は由紀の脳天にチョップを放つ。空を切る勢いで放たれた手刀は正確に命中し、由紀はその場にうずくまって叩かれたばかりの頭を押さえた。
由紀「うぐぅぅぅ…!り、りーさぁん!!胡桃ちゃんがぶった〜!」
涙目で抱きついてくる由紀を受け止めた悠里はその頭をよしよしと撫でながら、すぐそばで赤面している胡桃を見つめる。可愛いお嫁さん…というのも胡桃の夢ではあるそうだが、それとはまた別に何かあるようだ。
悠里「ヒミツ…ってことかしらね?」
胡桃「ん、んん……とりあえずは……」
悠里「そう、わかった。何にせよがんばってね」
言いづらいなら、無理に答えさせる必要もない…。
悠里がニコッと微笑んで話を区切ると、真冬がポツリと呟く。
真冬「にしても、圭一さんは何で美紀を誘ったんだろ……」
悠里「う〜ん、どうしてかしら……」
真冬「圭一さんが美紀のことをそういう目で見てるとは考えづらいけど、万が一の事があったらヤダな…。自分と同じとこに住んでる知り合いと知り合いが恋人になるなんて、気まずくて仕方がないよ…」
片方が見ず知らずの人間なら良いが、両方が自分の知り合い…それも同じ場所に暮らしている人間同士だなんて少し気まずい。真冬がそんな事を話していた時、胡桃はちょうどテーブルに置かれていたお茶を飲んでいたところだったのだが――――――
胡桃「っッ!!?ぶっっ!!!!ごほっ!げほっっ!!!!」
胡桃は口にしたお茶を吹き出し、激しく咳き込む。
テーブルに置かれていたノートや参考書の一部が彼女の吹き出したお茶に濡れ、悠里も由紀も真冬も驚いたような眼差しを向ける。
由紀「く、胡桃ちゃんばっちぃよ!!」
胡桃「わ…わり…………げほっ!げほっっ!!!」
悠里「ちょっと、大丈夫??」
胡桃「ごほごほっ!!だ、大丈夫…っ……」
小さく頭を下げながら立ち上がり、近場の棚からティッシュを取ると、胡桃はそれでテーブルを拭いていく。何だか様子がおかしい気がするが、本人が大丈夫だと言っているのなら大丈夫なのだろう…。悠里達もティッシュを手にテーブル拭きを手伝う中、胡桃は一人冷や汗を浮かべながら心臓をドキドキと高鳴らせた。
胡桃(あ、あたし…アイツと付き合い始めたんだよな…。けど、みんなにはどう説明したら良いんだ?いきなり、付き合う事になりました〜なんて言ったらびっくりさせちゃうだろうし、かと言って黙りっぱなしなのも良くないよな…)
というかそもそも、みんなに打ち明けるのが恥ずかしい…。
これまで彼の事を好きだという素振りを見せてこなかったので、今になって全てを打ち明けようものなら……へ〜、胡桃って彼の事が好きだったんだ?というような目で見られるに違いない。それは…あまりにも恥ずかしい…。
胡桃(まぁ…その辺はまたアイツと相談して、タイミングを見よう…)
発表した時のみんなの顔を想像すると恥ずかしくなってくるが、いずれは言わなきゃならない…。隠れてこそこそ恋愛を、なんて無理だろうし。
課題は山積みだが、少しずつ片付けていこう…。
その後、勉強を終えた胡桃はリビングを後にすると廊下へと出て、前方を歩いていた人物を呼び止めた。
胡桃「……柳さんっ!!」
ちょうど良いタイミングだ…。
そう思った胡桃は柳のそばへと駆け寄っていく。
柳「ん?何か用かな?」
胡桃「用っていうか、あの…その……これからの事で、ちょっと相談が…」
柳「………と言うと?」
少し前、胡桃はこれからの事は『考え中』と答えていた。
きっとこれから進むべき道に悩んでいるのだろう。そう思った柳は足を止めて彼女と向き合い、相談に乗る事にしたのだが…
胡桃「柳さんってさ、医学って言うのかな……そういうの、詳しいんですよね?」
柳「まぁ…そうだね。ある程度の知識はあるよ」
真冬達を感染から救うような薬を作っていたり、感染者にやられた彼の事を治療したりしたくらいだ。ちょっと応急処置の知識がある…なんてものではないだろう。柳が答えると胡桃はしっかりと視線を合わせ、真剣な顔をする。
胡桃「なら、あたしにもそういう知識とか技術とか…少しずつ教えてくれませんか…。勉強とかあまり得意じゃないけど、精一杯頑張りますから……」
思いもよらぬ言葉を聞かされ、流石の柳も目を丸くする。
しかし、胡桃の表情を見るに冗談か何かを言ってる様子は無い。
柳「随分と急な話に思えるが…前からそういうのが夢だったのか?」
胡桃「いや、そういう訳じゃなくて……」
胡桃はほんの少しだけ顔を俯ける…。
そして、その理由を震え声で語り始めた…。
胡桃「この前…あいつが怪我して倒れた時、あたし、何も出来なかった…。あいつが苦しんでるのに、死ぬかも知れないのに、見てる事しか出来なくて……。それが凄く嫌で…苦しくてっ………だから……」
震えた声を少しずつ落ち着かせて、胡桃は再び顔を上げる…。
胡桃「もしまたあいつが傷付いたら、その時はあたしが治してあげたい…。もちろん、そんな簡単な話じゃないって分かってる…。勉強だけでも時間かかりそうだけど、それでもいつか……あたしがそばにいれば大丈夫だと思えるくらい、頼られる人間になりたいんだ…」
胡桃の瞳は決意に満ちていて、揺るぎない。
医療の知識なんてほとんど無い自分がそれを1から学んでいくのはとてつもない努力が必要だという事は分かっているだろう…。とてつもない苦労をすると分かっているだろう…。それでも、胡桃はその道を進みたいと言った。よほど彼の事が大切なのだろう。
柳「………わかった、教えられる範囲の事は教えよう。けど本当に良いのかい?二ヶ月三ヶ月で終わる話ではないよ?そもそも、私は人に物を教えるのが得意な方ではないし…」
胡桃「それでも、柳さんさえ良ければ教えて欲しい」
真っ直ぐな目を向ける胡桃…。
柳はそんな彼女を見て軽く微笑み、何度か頷く。
柳「そうまで言われて断る理由も無し…。
ちょうど暇になってきたところだし、ちょうど良い。のんびり少しずつ教えていくから、そのつもりで」
胡桃が嬉しそうな表情をして、頭を下げる。
彼女のような娘を教え子にするなんて予想外の事だったが、これはこれで悪くはないのではと………柳はそんな事を思っていた。
これからは彼と胡桃ちゃんのイチャイチャ(?)を少しずつ書いていきたいですね…!