軌跡〜ひとりからみんなへ〜   作:チモシー

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百五十四話『しごと-6-』

 

 

 

 

 

「ぐっ……っ…」

 

右肩の噛み傷が痛むのか、彼は苦しげな声を漏らして額に汗を浮かばせる…。傷は思っているよりも深いらしく、真っ赤な血がドクドクと溢れ出しているが、彼はその箇所を左手で押さえて止血を試みていた。

 

知花「うん…そうですね。結構深く噛まれてるみたいだから、止血くらいはちゃんとしないと危ないかな」

 

「っっ……ああ、危ない…よね、これは……」

 

ギュッと強く押さえても、指の隙間から血が流れ出る…。

早く止めねば手遅れになりそうだ。

 

(…けど、もうどのみち……)

 

噛まれた段階でもう終わり…。

彼の脳裏にそんな言葉が過ぎる。

いくら止血をしたところで無駄だ…。仮に止血出来たとしても、"かれら"に噛まれた時点で感染してしまっているのだから意味がない。このままだと、どっちにしろ死んでしまう。

 

 

知花「……ほら、手を退けて」

 

彼が悩んでいると、知花はハンカチのような布を取り出して彼の傷へと押し当てる。そして彼の手を今一度そこへと添え直させると、不思議そうに尋ねた。

 

知花「感染者を二体同時に相手するのは大変でした?

それとも、あの人の不意打ちが効いてたのかな?」

 

「不意打ちも効いてたけど……その、あの感染者達が…制服着てたから、やりづらくて…」

 

息を切らしながら答える…。知花はその答えを聞くと、少しの間だけ何かを考える様にしながら視線を泳がした。

 

知花「感染者が制服着てたらやりづらいの?」

 

「……僕にとって大切な娘らが、さっきの感染者と同じ制服を着ている…。だから、ほんの少しだけ…やりづらい。中身は違うと分かっていても、同じ制服を見るだけでみんなの顔が思い浮かぶ……」

 

知花「へぇ…つまり、それを理由に躊躇っていたら噛まれちゃったと。お優しいですね〜」

 

知花はニヤニヤと笑い、彼の頭を撫でる。

何だか馬鹿にされてるみたいで嫌なので、彼はその手を振り払おうとしたが、それすらも面倒なくらいに体から力が抜けてきていた。これからどうするべきか………。彼が頭を悩ませていると、下の階から足音がした。誰かがこちらへやって来る……

 

 

真冬「っ………なっっ!?」

 

二人の前にやって来たのは真冬だった。

下の階の連中と争った際につけられたのか、その小さな体には幾つか傷がある。とは言っても、どれもかすり傷のようなものばかり。彼のそれと比べたら軽いものだろう。

 

知花「さすが、早かったですね〜。

下のみんなは……もう全員殺しちゃいましたか?」

 

真冬「……殺してはいない。

けど、すぐには動けない程度に痛めつけた…」

 

真冬は知花の動きを警戒しつつ彼に寄り、そっと肩に手をかける…。そしてすぐ、そこに噛み傷がある事に気が付き、真冬はこれまで見た事無いくらいに鋭い視線を知花に向けた。

 

真冬「!!?

あんた、彼に何を……!!」

 

知花「見れば分かると思うけど、それは感染者にやられたんですよ。私がやった訳じゃない…。もし、私が何かしたせいで彼が噛まれたと思っているのなら、それも間違いです。彼を襲ったのは階段の下で死んでる男であって、私は何にもしてません」

 

しれっと答えたところで、真冬の目付きは変わらない…。

しかし直後、彼が真冬の手を掴みながら静かに首を横へと振って『本当に知花(あの人)のせいではない』と告げてきた為、真冬は知花への視線を少しずつ落ち着いたものにしていった。…が、彼をこんな目に遭わせたのが誰であれ、マズイ事になったのは変わらない。

 

 

真冬「どう…しようっ……どうしようっ…

ボクっ、どうすれば…」

 

このままだと、彼が死んでしまう…。

"かれら"と同じになってしまう…。

真冬は何時になく慌て、瞳を潤ませながら彼の前に座り込んだ。

どうすれば良いのか分からない…。とりあえず、急いで柳に連絡するべきだろうか?連絡して、合流出来れば、まだ彼を助けられるかも知れない…。けど、もし間に合わなかったら?柳と合流したところで、助ける手段が無かったら?

 

考えれば考えるだけ焦ってしまい、真冬の呼吸も乱れ出す…。そんな中、知花は真冬の肩をポンと叩き、彼女が背負っていたカバンを指差した。

 

知花「ねぇ、それ……その中、水があるでしょ?」

 

真冬「水…?あるけど、どうして……」

 

確かにこのカバンの中には、この学校の中で手に入れた水がある。何を隠そう、柳が渡してきたメモに記してあった“取ってきて欲しい物”というのはここの水の事だったから…。けど、知花は何故カバンの中に水がある事を知っているのだろう。

 

 

知花「考えてる時間が勿体ないです。

その水、彼に飲ませてあげて下さい」

 

真冬「えっ…?」

 

戸惑う真冬に対し、知花は人差し指で彼をツンツンと指して急かす様な動きをする。水なんかを飲ませたところでどうにかなるとは思えないが、他に頼る物もない…。真冬はすぐにカバンを

下ろしてペットボトルを取り出し、その中に入れていた水を彼に差し出す。

 

「別に……喉は渇いてないんだけどね……」

 

知花「グダグダ言わないで飲めば良いんですよ〜。

まだ死にたくないでしょう?」

 

知花が真冬の手からそれを奪い、改めて彼の前に突き出す。

ここまで勧めてくるのには、何か理由があるのだろう…。

彼は重く感じる腕を動かしてボトルを掴み、水を飲む。

ある程度飲んだところで苦しくなり咳き込んでしまったが、知花は満足したようにニコニコと微笑んでいた。

 

知花「ま、私がしてやれるのはここまでかな」

 

やるだけの事はやった…。

知花はそう言いたげにため息を放ち、その場を去ろうとする。

 

真冬「待って…!」

 

知花「何です?私と話してる暇があるなら、早いところ彼を連れて帰った方が良いと思いますけどねー。ええっと……柳さん、でしたっけ?真冬ちゃんのご主人様は」

 

真冬「なっ!!?」

 

何故、知花がそれを知っている…?

この女とは前に一度会っているが、その時に知られたのは自分の名前だけ…。柳の事までは知られてはいない筈なのに…。

 

真冬「なんで……柳さんのこと……」

 

知花「ふふっ、私のボスが物知りで、何でも知ってるからですよ…。真冬ちゃん達が普通の人よりも強くて、感染者に噛まれても平気な体だって事も…。あなた達をそういう体にしたのが柳って人だって事も…。そこにいる彼のお友達の女の子達の事も、全部知ってます。」

 

知花は誇らしげに語る。

自分が仕える、その“ボス”の事を…。

 

知花「あなた達のご主人様である柳って人も大したものですが、私のボスと比べたらそこまででもありません。だって、私のボスは世界を救った人ですから…。あなた達が今、こうして生きているのだってボスのおかげなんですよ?」

 

真冬「はぁ…?意味が分からない……」

 

知花「ええ、あなた達は何も知りません…。

けど、ボスが世界を救ったのは事実です。だから、これからは毎日ボスに感謝して生きてくださいね?それと…今度会った時にはしっかりと“記念品”を貰いますから、その時はよろしく」

 

知花はそう言い残し、二人の前を去る…。彼女がいなくなった後、真冬はすぐ彼に肩を貸すと、そのままゆっくりと歩き出した。

 

 

真冬「とりあえず、一度屋敷に戻る…!

柳さんに診てもらえば…きっと……!」

 

「ん、んん…」

 

彼は額に汗を浮かべつつ、真冬の肩から手を下ろそうとする。

ここまでしてもらわなくても自分で歩ける…という意思表示だったが、真冬は肩に乗せた彼の手を離そうとはしない。

 

真冬「無理しないで!!

お願いだから……お願いだからっ……」

 

「……わかったよ」

 

真冬の放った声はやけに震えていた…。

こんな怪我をしたのは自分のせいだ…とも思っているのだろうか?

ただ、自分が勝手にミスをしただけなのに…。

彼はそんな事を思いつつ、真冬の肩を借りて歩いていく。

一人で歩けない程に弱ってきた訳ではないが、だんだんとツラくなってきているのも事実。こうして肩を貸してくれるのは正直ありがたい。

 

 

二人はゆっくりと、けれど可能なだけ早足で外へ出る…。

そして"かれら"の包囲網を上手く避け、停めていた車に乗り込んだ。

彼は助手席に、真冬は運転席に…。

 

真冬「すぐに帰るから!だから…もうちょっと頑張って!!」

 

辺りにいた"かれら"がノソノソと歩き、車を取り囲む…。

しかし真冬はそんなのお構い無しに車のエンジンを入れると、直ぐ様アクセルを踏んで急発進した。目の前まで来ていた"かれら"を数体弾き、轢き、車を進ませる。

 

「……安全…運転で―――」

 

真冬「そんなのどうでも良いからっ!!」

 

「……はいはい」

 

大声で答える真冬を前に苦笑して、彼は傷口を押さえる。

強く押さえてはいるが、中々止血出来ない…。また、全身が少しずつ寒くなり、あらゆる所がズキズキと痛む。

 

「ぐっ……っッ!!」

 

時間が経てば経つだけ、苦しさが増す。

座席に座っているのにも関わらず、全力疾走後のように息が乱れる…。額に流れる汗が止まらない…。本当に苦しい…。

 

そんな時、彼がふと思ったのは胡桃の事だった。

彼女は以前、"かれら"と同じになった先生に噛まれたらしい…。

ならつまり、これと同じ苦しみを味わった事があるという事だ。…いや、もしかしたら彼女の場合はもっと苦しかったかも知れない。

 

「っ……ぐっ………よく、耐えたよな……」

 

この苦しみを乗り越え、今はああして元気に過ごしているのだから、本当に凄い娘だ…。彼は『あはは』と笑いながら運転席の方を見て、真冬がハンドルを握ったまま片手に無線機のような物を手にしている事に今更気付く。どうやら、真冬はそれを使って柳に連絡をとっているらしい。

 

考えてみれば、胡桃だけではない…。

真冬もそうだ…。真冬も"かれら"に噛まれ、死にかけていたところを柳に救われたらしい。つまり、彼女もこの苦しみを味わっているという事だ。圭一や穂村兄のような男ならまだしも、真冬の小さな身体でよくこの苦しみを耐えたものだと感心する。

 

 

(もしかしたら、このまま死ぬかも知れないのか…)

 

このまま死んだら、もうみんなと会えなくなる…。

彼にとって、それはある意味死よりも辛い事だった。

 

(みんなと別れるのは……嫌だなぁ…)

 

はぁっ…とため息をつき、身体に感じる苦痛に顔を歪ませる。

その時、真冬がチラッとだけ彼の方を向き、不安そうに声を漏らす。いつの間にか、柳への連絡を終えていたらしい。

 

 

真冬「本当に…頑張って……!

絶対死んじゃダメだからっ!」

 

「……ああ、がんばるよ……」

 

真冬に心配かけてしまう…。

辛い声も、表情も、出来るだけ我慢だ。

彼は苦しいのを堪えてニコリと笑い、虚ろな目で前を向く。

 

真冬「………カナ…っ…」

 

真冬がポツリと呟く。

その小さな声は彼の耳には届いていない。

息を乱し、だんだんと弱っていく彼を見て、真冬はあの時の事を思い出していた…。自分にとって唯一の親友で、大切な存在だった紗巴(すずは)果夏(かな)。彼女を失ったあの日の事を……。

 

もう、あんな思いをするのは嫌だ…。

真冬は瞳を潤ませながらもアクセルを踏み、ハンドルを切る。

穂村や圭一、そして自分を救った柳なら、どうにかしてくれるはず。そう信じて、大急ぎで屋敷に向かった。

 

 

 






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