軌跡〜ひとりからみんなへ〜   作:チモシー

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百四十四話『へんか』

久しぶりに外へと出て、温泉へと向かった一行。

ただ楽しい時間を過ごし、笑顔で帰ってくるはずだったのだが、帰りの車内はどこか暗い雰囲気が流れる…。胡桃の体調が少しずつ悪い方向へ向かっているのがその原因だ。彼女に何かあったらと思うと、皆心配でつい表情が暗くなる。

 

 

美紀「胡桃先輩、もうすぐ屋敷に着きますからね」

 

胡桃「ああ。…ったく、そんな顔すんなよ。確かに少しだけアレだけど、流石に屋敷に着くまでは平気だって」

 

多分、今日や明日くらいはまだ大丈夫だろう…。

しかし、来週辺りになるともっと酷くなっている可能性がある。それこそ、"かれら"と同じ様になっていてもおかしくはない。色々な事を考えて苦笑いする胡桃を横目に見て、真冬は静かに拳を握り締める…。

 

 

真冬(柳さんは…間に合わないのかな…。早いところ薬を作ってくれないと、このままじゃ胡桃が……)

 

大切な友達を失うのなんて、もう二度とごめんだ…。

真冬は席についたままテーブルに顔を伏せ、繰り返しため息を放つ。運転中の悠里も彼女と同様に何度もため息をついているようだし、由紀の表情もどこか暗い…。そんな中で彼だけはまだ明るい表情を保っていたが、明らかに強がりだということが分かるような表情だ。

 

 

胡桃「……はいはいっ!!暗いのやめっ!!みんながそんな調子だと、あたしまで暗くなってくるだろ?」

 

由紀「あはは…うん、そうだね」

 

胡桃「そうそう。あたしはまだまだみんなと一緒にいて、これからも学園生活部の一員として大活躍する予定だ。…いや、もう学校で暮らしてはいないけど、まぁ細かい事はどうでもいいか」

 

美紀「…ふふっ、そうですね。私達はどこにいたって、学園生活部です。これからもずっと、学園生活部として頑張りましょう」

 

胡桃が声を張ると由紀と美紀に笑顔が戻り、運転席に座る悠里もクスクスと笑った。この四人はこれまでも、これからも、学園生活部の部員として生きていくのだろう…。

 

 

「…そろそろか」

 

悠里「ええ、もうすぐ着くわ」

 

温泉のある山から、見慣れた街へと戻ってきた…。

長いこと車に揺られ続け、気付けば辺りも薄暗くなり始めた頃、一行を乗せるキャンピングカーと穂村、圭一の乗る車は巡ヶ丘へ……柳の屋敷へと戻る。

 

 

「さて、胡桃ちゃん、歩ける?」

 

胡桃「ああ、まだ大丈夫。サンキューな」

 

少しだけおぼつかない足取りで歩く胡桃を心配そうに見つめながら、一行は車を降りて屋敷内へと戻る。そしてそれぞれの部屋へ戻るよりも先に階段を上り続け、三階にある柳の部屋へと向かった…。ふらふらと歩く胡桃を気遣うようにして彼や由紀達が進む中、穂村はその扉を開けて中に柳がいる事を確認する。

 

 

柳「やぁ、お帰り。温泉はどうだったかな?」

 

穂村「んん、覗きに失敗したから微妙ってとこだな…。それより、ちょっといいか?胡桃が少しだけヤバそうだ」

 

土産話を語るのは後にして、穂村は部屋の壁へと寄り掛かる。

柳は穂村の言葉を聞くとそばから椅子を持ち出し、胡桃をそこへと座らせてから身体の調子を尋ねていった。そしてその身体に異変が起き始めている事を本人の口から聞き、『なるほど…』と小声で呟きながら棚を漁る。

 

 

胡桃「あ、あの…やっぱりマズイ状態…だよな?」

 

柳「まぁ、良い状態でない事だけは確かだね。今はまだ自力で歩いたり出来ているようだが、このままいけばもっと不自由な身体になるだろうし、最悪の場合そのまま自我を無くす可能性もある」

 

つまり、"かれら"と同じ様になるという事だろう…。

胡桃は険しい顔をして冷や汗を流し、由紀は戸惑ったように大きく目を見開く。美紀と悠里、真冬はそっと顔を俯け、胸が締め付けられるような痛みを感じていた。

 

 

「あまり時間が無いのなら、治療を急いで欲しい。もしも必要な物資が足りていないのならすぐに言ってくれ。何だろうと取ってきてみせる」

 

胡桃を治す為なら、どんな事だってする。どんな物でも回収してくる。

彼の目には強い覚悟が宿っており、胡桃の事をどれだけ大切に思っているのかが伝わってきた。

 

 

柳「ふふっ、それは心強いね。では、またその内頼む事があるかも知れない。…が、今のところは大丈夫だ。恵飛須沢君、腕を出してくれるかな?」

 

胡桃「えっ?あ、ああ……」

 

胡桃は椅子に座りながら柳の方へと右手を伸ばし、じっと待つ。

その間、柳は棚の中から小さな瓶と注射器を取り、瓶の中にある液体を注射器内に吸い上げていく…。そしてこちらへと伸ばされていた胡桃の右手を掴むと制服の袖を捲り、露出した肩にその注射器を突き刺して中にある液体を少しずつ注入した。

 

 

真冬「…柳さん、それは………」

 

柳「ちょっとした栄養剤みたいなものだ。少しでも楽になればと思ってね…」

 

胡桃「…………」

 

柳がその薬を注入した時、"治療薬が出来た"と期待してしまったのは胡桃や真冬だけじゃない…。彼や由紀達もそれを期待していたらしく、注射器内の液体が少しずつ胡桃に注入されていくのを残念そうな目で見つめる。

 

 

柳「…よし、とりあえずはこれで様子を見よう。また何か異変があったらすぐに教えてくれ。ちょっとした違和感でも何でも良いから、報告してくれると助かる」

 

胡桃「…んん、わかりました」

 

こんな物を打たれても、きっと気休めにしかならない…。

捲られていた袖を直した胡桃は静かに立ち上がり、由紀達と共に部屋を後にする。しかし真冬と穂村、そして圭一の三名はそこに残り、彼女らがいなくなったのを見計らってから柳へ向けて口を開いた。

 

 

真冬「さっき胡桃に使った薬…栄養剤なんかじゃないよね…」

 

柳「んん?どうしてそう思うんだい?」

 

真冬「ここにきて、柳さんが今さらそんな物を使うと思えない…。まぁ、ボクの勝手な思い込みかも知れないけど……」

 

もしもあれがただの栄養剤ではなく、もっと違うものだったら…。それこそ、胡桃を治す為の治療薬だったらどれだけ嬉しいだろう。真冬が期待混じりの目で柳の目をジーっと見つめ続けると、柳は観念したように顔を上げて『ふふっ』と笑いだす。

 

 

柳「そうだね……あれはただの栄養剤ではないよ」

 

真冬「っ!?やっぱり…!」

 

穂村「マジか!?じゃあもしかして…治療薬か!?」

 

柳「いや、治療薬ではない…。が、それに近い物だ」

 

治療薬ではないが、それに近い…。

三人はその言葉の意味に疑問を抱いていたが、柳は尋ねられるよりも先にそれを説明していく。

 

 

柳「あれは……そうだな、試薬みたいな物だ。幾つかのパターンから見出だした結果の一つで、恵飛須沢君を治すかも知れない……ウイルスに対抗出来るかも知れない方法の一つだよ」

 

圭一「…いつ出来た物だ?」

 

柳「今日、君達が温泉へ行ってる間に…」

 

穂村「おお、ちょうど良いタイミングだったな…。ってか、それならそうと言ってやれば良かっただろ?胡桃のヤツ、あんたが打ったのがただの栄養剤って聞いてガッカリしてたぞ?」

 

柳「確かに少し悪いとは思ったが、正直に『これは試薬だ』と言ったとして、それが効かなかったらどうする?その時、彼女はもっとガッカリするだろう…。なら、最初から大した期待をさせない方が良い」

 

元からただの栄養剤だと思い込んでいれば、大した効果が出なかったところでまぁこんなものだろうと諦められるだろう。しかしようやく出来た試薬が全く効かなかったとあれば、胡桃の不安は更に大きくなってしまうハズだ。

 

 

真冬「もしあの薬が全然効かなかったら、他の薬を試すの?」

 

柳「ああ、そうなるね。…しかし、私はあの薬が今一番正解に近い物だと思っている。だからもし、あの薬がちっとも効かなかったら、正直頭を抱えるな…」

 

穂村「…効果はいつ出る?」

 

柳「恐らく、明日の朝には…」

 

つまり、明日の朝になってもまだ胡桃に変化が無かったら、正直なところかなりマズイという事だ…。時間があればのんびりと他のパターンを試せるのだろうが、胡桃に残されている時間はそう多くない。

 

 

圭一「じゃあ明日の朝、胡桃に話を聞こう…。それで効果無し、試薬が失敗していたようなら、アイツはもう終わりだ」

 

柳の反応から察するに、次の試薬が完成するのを待つ時間は無い。

他の試薬を試すよりも先に、胡桃の身が持たなくなるだろう。

今回のチャンスを逃せばもう、胡桃は助からない…。

 

 

圭一「もし失敗に終わったその時は…もう諦めて見捨てた方が良い。外にいる感染者と同じになりかけてるヤツと共に暮らすなんて、爆発寸前の爆弾を抱えて過ごすようなものだ」

 

助かる希望があるのなら待ってやっても良いが、その希望が消え失せた時はもう仕方がない…。圭一が冷たく言い放ったその時、隣にいた真冬の目がギリッと鋭いものへと変わる。

 

 

真冬「見捨てるって……何?」

 

圭一「言葉のままの意味だ。外へと追い出すなり、殺すなりする必要がある。じゃないと、発症した時にいきなり襲われる可能性もあるからな」

 

今は大丈夫でも、胡桃はその内"かれら"のようになる…。

そうなったら最後…彼女はそばにいる人間を見境なく襲うだろう。それに巻き込まれるのはごめんなので、早々に見捨てるべきだと圭一は告げるが、真冬は納得しない。何時になく声を荒げ、圭一を睨み付ける。

 

 

真冬「胡桃なら大丈夫だもん…絶対、絶対大丈夫だもんっ!!」

 

圭一「大丈夫じゃないから、今ああして弱ってきてるんだろう」

 

真冬「っ……それでも、それでも見捨てない…。見捨てたくない…。もし明日の朝になって薬が効いてなくても、ボクは…胡桃と一緒にいたい…」

 

圭一「………」

 

彼女達がやって来て、真冬は大きく変わった…。

前の真冬はどんな時でも冷静で無表情を保っていたのに、今の彼女は『胡桃と一緒にいたい』と言いながら顔を俯けて肩を震わせている…。きっと、これが本来の真冬の姿なのだろうが、それを見慣れていない圭一と柳は微かに戸惑い口を閉ざす。しかしそんな中、穂村だけは真冬の頭をポンポンと撫でて明るい声を発した。

 

 

穂村「明日になってみなきゃ何も分かんないんだから、今ケンカする必要は無いだろ?まぁ、薬が効かなかったら確かに色々と焦るけど…その時はその時だ。狭山がアイツと一緒にいたいって言うなら、好きなだけそばにいてやれば良い」

 

真冬「…………」

 

穂村「だからまぁ…そんな暗い顔すんな。大丈夫だって、俺も胡桃の事は結構好きだし、見捨てたりなんかしねぇよ。圭一さんが何かしようとしたら俺が止めておいてやるから、狭山は何の心配もすんな」

 

真冬「…うん………穂村、ありがとう……」

 

穂村「どういたしまして」

 

真冬は潤んだ瞳を向けてニコリと微笑み、そのまま部屋を出ていく…。それを見送った穂村は満足げに笑みを浮かべていたが、一方で圭一はため息をつく。

 

 

圭一「まるで俺が悪者みたいだな…」

 

穂村「ははっ、わるいわるい。けどさ、圭一さんもムキになり過ぎだって。狭山はあんなでも女の子なんだから、もっと優しくしてやらないと」

 

何時でもどんな時でもヘラヘラとしている穂村はわりと鬱陶しいタイプの人間だが、さっきのようなピリピリとした空気を上手く抑え込んだのは素直に凄いと思える…。だからこそ、柳はニヤリと笑ってその肩を叩く。

 

 

柳「ほんと、穂村君は気に入った女の子に対して優しいねぇ」

 

穂村「ふふん。柳さんも圭一さんも、少しは俺を見習って女の子に対しての接し方ってヤツを覚えた方が良いぜ」

 

穂村は調子に乗ってニヤニヤと微笑み、圭一はそれを見て舌打ちをする…。穂村の勝ち誇ったような顔は見ているだけでイライラするが、圭一は苛立つ気持ちをグッと堪えて部屋を後にした…。

 

 

 

 

そして翌朝、朝食の支度すらも始まっていない時だった…。

まだ目を覚ましてばかりの柳が自室の洗面所で顔を洗っていると、部屋の扉が"ドンドンッ!"とノックされる…。こんな早朝から誰かがやって来るのは珍しい。柳は手早く顔を拭くとその扉を開け、廊下にいた人物を前に首を傾げる。廊下に立っていた人物は胡桃だったが、彼女はまだ髪すら結んでおらず、寝癖をつけたまま慌てたように言った。

 

 

胡桃「あ、朝早くからごめんなさいっ…!そのっ…目が覚めてから、身体がおかしくて…流石に報告した方が良いかなって…」

 

柳「…ほう、どうおかしいのかな?」

 

その異変の具合によって、彼女の今後が変わる…。胡桃は参ったように頭を掻くと、頬を引きつらせて困惑の笑みを浮かべた。

 

 

胡桃「昨日と違って、手足に力が入る…。っていうか、全体的に絶好調な気がして………こ、これって…逆にヤバいのかな?」

 

この変化が良い事なのか、それともマズイ事なのか…自分では判断が出来ないのだろう。胡桃は苦い笑みを浮かべたり、かと思えば焦ったように視線を泳がせていたが、柳は彼女の元気そうな姿を見て安堵のため息をついた…。

 

 

 

 

 

 

 

 




いきなり好調状態になった自身の身体に戸惑う胡桃ちゃんですが、現時点だとそれは良い変化なので素直に喜んで欲しいですね!このまま順調に治療が進むことを祈りつつ、次回を楽しみにしてもらえたら幸いですm(__)m


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