穂村「あいつは…俺の弟だ」
立ちはだかるその男の発言を聞いた瞬間、悠里達は驚いたように目を見開く。目の前にいるこの男は自らの名を『
悠里(この人はタイプが彼とはまるで違う…。顔もそこまで似ているようには思わないけど、本人がそうだというのならそうなんでしょうね…)
空彦の兄だと言うこの男の目は弟とは比べ物にならない程に鋭く、身に纏う雰囲気すらも弟とはまるで違う。しかし本人がそうだと言う以上、二人は兄弟とみて間違いない。…だとすると、今の状況は悠里達にとってかなりマズイ。
美紀(
この男は狭山と違い、自分達を問答無用で襲ってくる事は無さそうだった。だが自分の弟が死んだと聞けば、その態度が一変する可能性がある。雨に打たれる中、それぞれがどうするべきかと頭を悩ませていると、悠里が目の前の男…穂村に向き合った。
悠里「たしかに私達は彼…空彦君と同じ学校に通ってましたが、彼が今どうしているかは知りません。世の中がこんなになってからは会ってませんから…」
こう言うのが妥当であり、皆を守る唯一の答えだと悠里は思った。しかし穂村は彼女が想像していたよりも勘が鋭いのか…強い目線を悠里の目に向け続ける。
穂村「へぇ……ほんとに?」
悠里「はい、本当です…」
真っ直ぐこちらを見つめる穂村の目線…それから目を逸らせば怪しまれると分かっている。分かってはいるが、嘘をついているとどうしても目が泳ぎそうになった。由紀達が黙ってそれを見守る中で悠里がそれを必死に耐えていると、穂村は彼女らの前を歩き回りながら口を開く。
穂村「……あのさ、何か知ってんなら一応教えといてくんない?大丈夫大丈夫、どんな答えでもキレたりしねぇからさ」
悠里「………」
ヘラヘラとした表情で告げる穂村だったが、悠里はそれを信じられず口を閉ざす。馬鹿正直に信じて本当の事を告げた途端、この男は自分達に襲いかかってくる気がしてならないのだ。
穂村「…だんまりっスか」
スッ……
悠里「っ!?」
黙る悠里を見てボソッと呟き、穂村は彼女にそっと手を伸ばす。自分の方へ伸びてくる手に気付いた悠里がハッとした表情を浮かべ肩をビクッと震わせたその瞬間、そばにいた美紀は我慢できずに声を発した。
美紀「待って下さいっ!!あなたの弟さんは…っ…!!もうっ……」
穂村「………死んだか?」
美紀「…っ……」
コクリと頷き、美紀は目をギュッと閉じる…。この後どうなるだろうか…。自分が本当の事を告げたせいで男は暴れてしまうだろうか…。冷や汗なのか、雨粒なのか分からないものが美紀の額を伝う。悠里、由紀も美紀同様に焦りのような緊張感を抱く中、胡桃はいざと言う時の為にとシャベルを握り直す。
…だが、そうして警戒する四人が直後目の当たりにした穂村の反応は全く想像していないものだった。
穂村「あらら~…。まぁアイツじゃこんな世界で生きてけねぇだろーなとは思ってたけど、やっぱしダメだったわけか」
自分の弟が死んだと知ったにも関わらず、穂村はヘラヘラした表情を四人に向ける。何故そこまで平然としていられるのか…胡桃はたまらず穂村に尋ねた。
胡桃「平気なのか?弟が死んだんだぞ…」
穂村「俺はアイツと……つーか家族と仲悪かったからな。家も別のとこ借りて一人で暮らしてたくらいだし、最後に顔見たのだって何年か前だし。…ってわけだから、大したダメージはないわけ」
胡桃「…………」
悠里「…………」
穂村「ついでに、なんで死んだか聞いてもいいか?ちょこっと気になるんで……」
由紀「……」
胡桃「そ…れは………」
ただ"かれら"にやられただけなら話すことも出来るが、空彦の場合は違う。奴は由紀に手を出したがために、今はここにいない彼に殺されたのだから…。
穂村「気をつかうなって。大丈夫っ!仮にあんたらがアイツを殺したとしても怒ったりしないから!」
ニタニタとしたその表情は嘘をついているようには見えないが、その発言は兄として、人としていかがなものか……。そんな事を思う悠里達だったが、下手に嘘をつくよりは正直に言った方が良い…。この男に対してはそれが正解な気がした。
悠里「……実は…」
胡桃に代わり、悠里が口を開いてあの時の出来事を説明する。かなり簡単に話したためその説明はほんの一~二分で終わり、穂村は悠里が話し終えるまで口を閉ざしていた。
穂村「…なるほどなるほど。つまりアイツは由紀…あんたに手を出そうとして、それにキレたあんたらの仲間の少年、そいつに殺されたと…」
胡桃「あいつだって、あんたの弟を殺したくて殺したわけじゃないんだ…。そこだけは誤解しないでほしい」
穂村「ああ分かってる…。にしても
まるで笑い話でも聞いたかのように笑う穂村と、それを何とも言えぬ表情で見つめる悠里達…。次の瞬間、穂村はあることに気がついた。
穂村「ん?そんで、アイツを殺ったその少年は?」
美紀「私達を逃がすために、一人で真冬ちゃんの足止めを…」
穂村「一人で?ははっ!そりゃまたスゲェ事をする奴だな!狭山相手に一人でとなると、かなりキツいだろ」
悠里「あなたはまだ話し合う余地のある人だと思っています…。だからお願いです…狭山さんを止めて、彼を助けてくれませんか…?」
ここまで話してみた感じだと、穂村は狭山ほど自分達に敵意を向けてはいない。この男なら彼女を止めてくれるかも知れないと思い、弱々しい声で懇願する悠里だったが…。
穂村「…わりぃな。俺はアンタらの味方じゃない。わざわざ狭山の怒りをかってまで少年一人助けるのはごめんだ」
悠里「………く…っ」
こう言葉を返される事も覚悟していたつもりだったが、いざそれが現実になると一気に焦ってしまい、これからどうすれば良いのか分からなくなってしまう…。それは悠里だけでなく他の者も同じで、それぞれが表情を曇らせた。
悠里(せっかく彼が時間を稼いでくれたのに…。私はそれすらも活かせないの…?このままじゃ、みんな…この人にっ……)
自分だけでは由紀、胡桃、美紀を守ることが出来ないのか…。そんな事を思った悠里はその場で顔を俯けたまま、瞳を涙で潤ませる。もうダメかも知れない……。そう感じた瞬間、誰かが悠里の手を握った。
ギュッ……
悠里「……由紀…ちゃん…?」
諦めかけた悠里の手を握ったのは、隣に立っていた由紀だった。彼女は悠里が顔をあげた途端にニッコリと微笑む。しかし彼女も心に余裕がある訳ではないらしく、その笑顔は不安げで弱々しかった。
由紀「大丈夫だよ…。絶対…どうにかなるから…」
由紀のその言葉は悠里だけでなく、美紀も胡桃も…穂村さえも聞いていた。由紀のその言葉で一瞬だけ心の安らぎかけた悠里だったが、やはり今の状況はかなり悪い…。穂村は狭山を止めて彼を救う気も、自分達を見逃す気も無いと思っていたからだ。
悠里「でも…どうすれば…っ……」
由紀「………ぅ…」
悠里を安心させたい一心で言った言葉だが、由紀もどうすれば良いかまでは考えていなかったのだろう。彼女はそのあと何も言うことが出来ず、苦しそうな表情を浮かべる。その直後だった…穂村が深いため息をつき、自分達のいる公園の奥の方を指さした。
穂村「…あっちに車あったけど、あれアンタらの?」
美紀「はい…そうです」
車を停めた場所は穂村の指さした方向の辺り、まだここから見えはしないが、恐らく間違ってはいないだろう。穂村は自分が見た車が彼女達の物だと知ると意外な言葉を放ち、それを聞いた悠里達は驚いたように目を丸くした。
穂村「…あの車だけもらっとく。だからとっとと失せろ」
美紀「えっ…?」
穂村「なんだよ…車も奪わないでほしい、とか言わないよな?」
美紀「いえ…。確かに車を失うのは痛いですが…」
それで命が助かるなら、車くらいは仕方ない。美紀達四人は顔を見合わせてから頷き、穂村の顔を見つめる。
胡桃「あんたはそれで良いのか?」
穂村「見たところ結構立派なキャンピングカーだったしな、戦利品としては十分だろ」
胡桃「けど、あんたらの目的はあたし達を殺す事じゃ…」
穂村「それも考えてたけどな…。いざアンタらを目の前にしたらちょっとキツいわ。俺は基本他人に厳しいけど、可愛い娘には甘いんで…」
穂村はそう告げて笑い、驚いている四人の顔を見回す。狭山には後々色々と言われるだろうが、車という大きな戦利品を得たのだ。これまで彼女達を探してきたのも無駄にはならないハズだ。
穂村「つーわけで、とっとと逃げろ。じゃないと―――」
???「じゃないと……なに?」
彼女らを見逃すべく、厄介者を払うかのようにして手をパタパタと振る穂村だったが、次の瞬間目の前にいる四人の少女…その後方から声が聞こえた。その聞き覚えのある声はいつにも増して不機嫌そうなもので、穂村は深いため息をつく。
穂村「…ちっ……タイミング悪ぃな……」
本人に聞こえるか微妙な声で愚痴をこぼし、そちらへ目線を向ける。自分が逃がそうとした四人の少女…その後方数メートル先、そこに立っていたのは狭山だった。
悠里「…っ!?」
胡桃「なっ…!お前っ…!!」
美紀「なんで…ここに…」
由紀「うそ…もしかして…」
彼女は彼が足止めしていたはずなのに、今この場にいる…。もしかして彼の身に何かあったのだろうか…由紀達全員がそう考えて顔を青くしたが、狭山はそれを察して言葉を放った。
狭山「…ああ、彼ならまだ生きてるよ。ボクのもう一人の仲間に相手を代わってもらっただけ」
その言葉を聞き一安心する四人だったが、彼女の言う『もう一人の仲間』が誰かを知る穂村からすればそれは全く安心できる言葉ではなかった。
穂村(あらら、圭一さんも来てんのか…。となると、コイツらの仲間の少年はもう無理そうだな)
狭山「…さて、穂村。なんで彼女らを逃がそうとしてたの?」
穂村「タダで逃がす訳ねぇだろ。コイツらからは車をもらった。中には色々と物資があるだろうし、十分な戦利品だろ?」
ニヤリと微笑みながら、穂村は然り気無く四人を自分の後方に回す。何故そんな事をしたかというと、狭山の雰囲気がいつもとまるで違ったからだ。彼女は普段からわりと不機嫌そうだが、今はそれと比べ物にならないくらいに不機嫌そう…というより、怒っているようだった。
狭山「…戦利品?なに言ってるの…?ボクらの目的は彼女らを殺す事であって、彼女らから物資を奪うことじゃない」
穂村「そう言うけどさ、コイツらは全くの無害だぜ?俺達がこれまで殺ってきた奴等と違い、必要以上の抵抗はしない…。なら、適当に物資だけ奪えばオッケーだろ?そりゃ物資一つよこさねぇなら殺すけどさ…」
狭山「穂村…キミは何を今さら善人ぶってるの?ボクの知る限りだと、これまでキミは相手が物資を手渡そうが手渡さなかろうが殺してきた。なのに…彼女達だけは見逃すつもり?」
穂村「なんだよ…今回はやけに殺る気満々じゃん。お前、いつもはメンドくさがって逃げる奴を追ったりしなかっただろ?なんでコイツらにだけは殺意むき出しなの?」
狭山「……穂村の知ったことじゃない」
穂村と狭山…二人は仲間であるハズだが、由紀達を逃がすか逃がさないかを言い合う内に段々と険悪なムードになっていく。向き合う二人に口を出す事など出来ず、由紀達はその様子を静かに見守っていた。
穂村「…ともかく、俺はコイツらを殺すつもりはない。俺が殺すのはムカつく野郎…それから感染者だけだ」
由紀達を背後に立たせたまま、穂村は狭山へ向けてそう告げる。しかしその言葉を聞いた瞬間、狭山は一度鼻で笑ってから穂村の背後……そこに立つ少女四人の内の一人を指さした。
狭山「じゃあちょうどいいや…。そこの娘…恵飛須沢胡桃は感染してるよ?」
胡桃「………」
穂村「……マジか?」
狭山に指さされた胡桃はそっと俯き、こちらを覗く穂村の問いには答えない…。そんな彼女を庇うようにして由紀、悠里、美紀は穂村の前に立ちはだかり、事情を説明した。
悠里「確かに胡桃は感染してるけど、噛まれたのは結構前の事で…ワクチンを打っているの!」
穂村「…ワクチン」
美紀「そうですっ!だから先輩は今もこうして私達と一緒にいるんです!普通の感染者とは違いますから…だからっ…」
由紀「お願い…胡桃ちゃんにヒドイことしないで…!」
胡桃「…………」
最悪の場合自分だけを差し出せば、皆はこの場から逃げられるかも知れない。にも関わらずみんなはこうして自分の事を庇ってくれる…。胡桃はそれが嬉しかったが、同時に申し訳なくもあった…。
穂村「………」
狭山「ほら、感染者は殺すんでしょ?なら…その娘を殺してよ」
水溜まりをパシャっと踏み、狭山が一歩こちらへ迫る…。このままだと胡桃が殺されてしまう…。そう思った由紀は胡桃の腕につかまりながら穂村の目を見つめ、瞳を潤ませながら呟いた。
由紀「お願いだから……やめて………」
穂村「………」
穂村は由紀から目線を外し、悠里・美紀を見つめる。二人もまた穂村を真っ直ぐに見つめたまま、胡桃を守ろうとしていた。
穂村「…はぁ、分かった分かった」
由紀「そ、それって…!」
狭山「……なにが分かったの?」
穂村の言葉の意味…狭山はそれを少し苛立ったような声色で尋ねる。すると穂村は狭山の方を向き、真面目な表情を見せながら口を開いた。
穂村「
狭山「…今すぐ変わらなくても、その内変わるでしょ。なら…今ここで殺せばいい」
穂村「そういうのは俺じゃなく、仲間であるコイツらの仕事だ。…それに、ワクチンを打って感染症状を抑えてる人間ってのは珍しい。百歩譲ってここで見逃すのは止めにするとしても、捕まえて柳さんの実験材料にってのが正解じゃね?殺すのはナシだろ」
狭山「生け捕りにしてあの人に渡すつもりなんてない…。彼女達は今、ここで殺す。何度も言わせないで…!」
狭山は微かに声を荒げ、穂村…そして彼女らの方へと迫る。すると穂村は呆れたようにため息をついた後、由紀の背をバンっ!と叩いて告げた。
穂村「メンドくせぇけど少しだけ時間稼いでやるよ。だからとっとと逃げろ。今日の狭山はメチャクチャに機嫌が悪そうだ…」
由紀「っ…ありがとっ!!」
穂村「いやいや、俺はあの車さえ貰えれば十分だからな。それに…弟がちっとばかし面倒かけたみたいだし?それの詫びって事で!」
そう言って微笑む穂村の右手には、彼女達の乗ってきた車のキーが握られていた。どうやら彼女達と会う少し前にあの車へと入り、キーだけを先に手に入れて来たらしい。キーが穂村の手にある以上、あの車は本格的に諦めるしかなかったが…この場から逃れられるだけ良いだろう。
美紀「じゃあ、急ぎましょうっ!!」
悠里「ええっ…!」
胡桃「わるい…任せた」
一行は穂村にその場を任せ、足早にそこを去る。当然狭山は彼女らを追おうとしたが、穂村は笑顔のまま立ちはだかってそれを阻止した。
穂村「カッカすんなって。車と物資をゲットしたんだから良いじゃん!」
狭山「そういう問題じゃ……ないんだよっ!!」
ブンッ!!
穂村に邪魔された狭山はポーチから警棒を取り出し、それを穂村目掛けて振る。穂村はそれを間一髪のところでかわしたものの、見つめた彼女の目がいつになく本気の怒りが込められたものだったので少しばかり苦笑いして焦った。
穂村「おいおい…ほんとにどうしちゃったわけ?いつもクールな狭山先生らしからぬ表情でらっしゃるけど……」
狭山「…もういい。こんなタイミングで邪魔するなら、今日こそ…本気でキミを殺すから…!!」
穂村(チッ……厄介だな。マジギレかよ……)
本気の殺意を向ける狭山を前に、嫌な汗が穂村の額を伝う。弟が面倒をかけたせめてもの罪滅ぼしにと思い由紀達を見逃した穂村だったが、狭山がここまで怒るなら止めればよかったかも…と後悔しかけていた。
穂村は彼女達から車という戦利品を得たことに満足した為、彼女達を殺す事を目的としている真冬ちゃんの邪魔をする事にしました。
まぁ穂村が真冬ちゃんから彼女達を守ってあげたのはただ車を得たからだけでなく、女好きだった為いざ彼女達を目の当たりにしたら少し甘さが出たからだとか、そんな彼女達に弟が迷惑をかけた事をほんのちょっぴりだけ気にしているからだとか、様々な理由があったりします。(そういえば本編とは違う平行世界を描いた『体育祭をもう一度』では主人公君と共に仲良く由紀ちゃん達も観察してたりもしてたので、穂村も本来は可愛い娘に弱い男なんですよね…)
何にせよ、穂村は真冬ちゃんと対立してしまった訳ですが…。
由紀ちゃん達はこのまま逃げ切れるのか。主人公君は無事なのか。様々な点を気にしつつ、次回を待っていただけたら嬉しいです(*´-`)