ネタがポンポン浮かぶ人が羨ましい…… 。
トレンブル・ショートケーキを堪能し、店を出るとウルバスの街はすでに夜の帳に包まれており、空を染めるミッドナイトブルーには、散りばめたかの如く星が輝いている。
「おいしかった……」
深く息を吸い込んだアスナが、ため息を吐き囁いた。
かく言う俺もあのケーキの出来には、昼に食べたビスケットが霞むように感じたくらいだ。
「あのケーキ、ベータ時代より美味かった気がしたな」
「さすがにそれは言い過ぎじゃない? 正規とベータでそこまで細かい違いはないと思うけど?」
懐疑的な表情を浮かべるアスナへ、キリトは真顔で反論する。
「味覚エンジンの変更だけなら、そう手間はかからないよ。それに、少なくともコレはベータには無かったハズだ」
そう言ってキリトは視界の左上に浮かぶ自身のHP バーを指差す。
キリトが示すHPバーの下には、四つ葉のクローバーを模したアイコンが標示されている。たしかSAOの説明書に、《幸運判定ボーナス》のバフと書かれていたのをダイブ前に見た記憶がある。
このバフは教会で結構な金額のお布施を納める他に、バフ効果のあるアクセサリーを装備したり、特殊な料理を食することで十五分間だけ効力を得られる、中々にレアなバフだ。
効果の内容は名前の通りで、幸運値が上昇し、モンスターのレアアイテムドロップ率か高くなったりするという感じだった気がする。
ここがフィールドやダンジョンの中ならその恩恵を存分に得られるが、俺たちがいるのは街であり、フィールドに出るにしても、ここからでは遠くてバフの効果持続時間の十五分を過ぎてしまうだろう。
「十五分じゃあ、今からフィールドで狩りをするのは無理そうだね」
考えることは皆同じようで、カナは心底残念そうに呟いた。
「でもなあ……せっかくのバフだし、このまま無駄にするのはもったいないよなあ……」
キリトにいたっては、どうにかバフを活用できないアイコンを睨み延々と唸っている。
たしかにこのまま消してしまうのはナンセンスだろう。俺も何か利用方法がないか考えるが、全く良い案が浮かんでこない。
いっそのこと目の前の少女二人に恋愛ドラマよろしく愛の言葉でも囁いてみるか?
……いや、無論冗談だ。そんな軽いノリで告白できるほど強靭なメンタルを俺は持ち合わせて無い。
馬鹿げた思考を彼方へ追いやると、どこからかカーン、カーンと聞き覚えのある金属音がわずかに聞こえた。たしかこの音は昼間に聞いた鍛冶屋の――。
「あるじゃん……バフの利用方……」
そこまで考えて、俺はこのバフの利用方法を思いつき、ポンっと手を打った。
夜中のウルバスの広場は、昼間の喧騒とは打って変わって静かなものだった。
目に見える人影も、露天を出すNPCとそれを覗くプレイヤーの他に、何組かのカップルがチラホラと確認できる程度。
そして、そこから少し離れた場所でカーペットを敷き、
俺が思いついたバフの利用方法とは、武器の強化をすること。幸福値が上昇するなら、強化の成功率も上がるのでは? と、思ったのだ。キリトもこの考えを思いついたらしく、もしかしたら効果があるかも知れないと語っていた。
まあ、実際に剣を強化するのは俺たちではなく鍛冶屋なので、バフの意味はないと思うが、元より武器の強化をするつもりで素材を集めたのだ。どっちにしろするのであれば、効果のあるうちにして損はないだろう。
などと考えている間に、鍛冶屋の露天へ歩み寄ったアスナが、強化を依頼すべく鉄床に視線を向けるプレイヤーに声をかけた。
「こんばんは」
「あっ、こんばんは。いらっしゃいませ」
アスナの声に鍛冶屋の少年は鉄床から顔を上げ、いそいそと立ち上がると、ゆっくりとしたお辞儀をする。
店の傍らには看板が立てられ、料金がいくつか表記されており、一番上には《Nezha’s Smith Shop》と書かれている。
《Nezha》とは彼の名前はだろうか? 昔どこかで同じようなものを見た気がするが、大方別のMMO見たプレイヤーの名前だろう。
恐らくは無難にネズハと読むと思われる。しかし、ずいぶんと発音しにくいのを選んだものだ。まあ、プレイヤーネームの難解さを気にしていたらキリがないので、あまり深く考えないでおこう。
「お買い物ですか? それとも武器のメンテでしょうか?」
アスナはネズハの言葉に首を左右に振ると、腰のベルトからウインドフルーレを取り外し、ネズハに差し出し答えた。
「いいえ、武器の強化をお願いします。素材は持ち込みで」
目の前に差し出されたフルーレを見たネズハはその顔に困ったような――はたまた悲しげな色を浮かべた。
その表情に一抹の不安を感じる。なぜその様に表情を曇らせるのだろうか? 素材は十分集めたため、成功率は上限の九十五パーセントまで上昇しているはずだ。
確率が高ければ依頼失敗のリスクは激減する。これは、鍛冶屋側にとっても良い話しだと思うのだが?
この確率なら、強化はぼぼ上手くいく。彼が困るような要因はないはず。
仮に理由が思い当たるとすれば、昼間のリュフィオール氏の件くらいだ。
あの件が相当に堪えたのだろうか。たしかに、あれほど罵声を浴びせられたのだ。強化に対して慎重になるのも、無理は無いかもしれないが……。
差し出されたレイピアを、ネズハはしばしの間じっと見たまま黙っていたが、商売をしている以上依頼を断ることもできず、暗い表情を戻し話を続ける。
「はい……それでは武器と素材をお預かりします」
話が終わるとアスナはフルーレと素材をネズハに渡し、手早くウインドウを操作し、手数料の支払いを済ませると、最後に「お願いします」と呟きら軽く一礼をする。
ネズハは武器と素材を受け取ると、まず鉄床の側に設置さている携行型の炉を右手でタップし、出現したメニューを操作して炉の設定を製造モードから強化モードに移行。
強化の種類を《鋭さ》《速さ》《正確さ》《重さ》《丈夫さ》の五種の中から《正確さ》を選択。青色の光が灯った炉に素材を流し入れる。
炉の準備を終わらせると、ウインドフルーレを鞘から抜き、炉に寝かせる。
青い光がフルーレの刀身を浸食するかのように包み、剣全体が薄い青色に輝きだす。
それを確認すると、ネズハはフルーレを鉄床に移動させ、右手に持った槌で刀身を鍛え始めた。
ハンマーが刀身に降り下ろされ、カァン! と金属音が空間に鳴り渡り、刀身が火花を散らす。
成功率は最高値の九十五パーセント、強化をするのはNPCより腕の良いプレイヤースミス、おまけで幸運バフが四人ぶん……。
これだけ好条件が揃っているのだ。失敗の可能性などゼロに近い……はずなのに。
刀身に槌が降り下ろされ、甲高い残響と共に火花が散るたびに、不安感が肥大していく。
「上手くいってくれよ……」
そんな俺の呟きは、誰かの耳に届くことなく槌音に消える。
八回、九回とフルーレの刀身をハンマー叩き上げ、強化の完了を告げる十回目の打撃音が木霊し、刀身を包む青色の光が大きく瞬いた。
一秒後、視界に映った光景は、俺の不安が正しかったことを目に見える形で表してくれた。
ウインドフルーレは根本から折れ、砕け散った刀身が青色の光芒を描き、いっそ美しいとすら思える金属音が響いた後。切先から柄頭に至る、その身の全てを煌々と輝く細片へと変貌させた。
その光景に言葉を発する者は誰一人居らず。静寂の中で、ただ砕け散ったフルーレの欠片が、空間に溶けていくのを呆然と見ているだけ。
そして最後の欠片が消え去り、一つの声によって静寂が終わりを告げる。
「す……すみません!」
その一言を皮切りに、ネズハの口から謝罪の言葉が湯水の如く発せられる。
何度も頭を下げるネズハに対応するキリトとカナを視界の端に置き、砕け散ったウインドフルーレの持ち主たる少女に視線を移す。
ネズハとキリトたち話が続く中、アスナは呆然立ち尽くし、その視線は先程のまでフルーレが置かれていた鉄床へと向けられていた。
その榛色の瞳から一粒の滴が零れ落ちるのを、俺はただ見ているだけだった。
――胸の内に、言い表せない違和感を感じながら。
サブタイはほとんど皮肉。四葉のクローバーって幸福の象徴って言われてるけど、花言葉に『復讐』とかあるし、 それにまつわるエピソードもドロドロしたもの多いんだよね……花言葉を初めて知った時は驚いた。
これで幸福の象徴とか皮肉以外の何物でもないと思う。