煙が晴れた。
同時に綱手の目が大きく開かれる。
目の前にあるのは、ボロボロの服を纏ったナルトの姿だ。
蹲る綱手に手を伸ばすナルトの姿が、そこにはあった。
「……」
自分へと真っ直ぐに差し出されるナルトの大きな掌。大きく、そして、頼りにできるほど力強い掌だった。綱手はその手に向かって、そろそろと手を伸ばし……。
「嘗めんじゃないよ!」
それを綱手は払った。
「そうか」
払われてしまった掌。しかし、ナルトの反応は薄い。
それが予定調和だと言わんばかりの反応だ。事実、ナルトは理解していた。
綱手に頼りにされるほどの実績が自分にはない、と。螺旋丸を未だ完成させていない自分は頼りになる存在ではないと理解していたのだ。
それに、綱手と大蛇丸、そして、自来也も含めた“木ノ葉の三忍”の間に自分が立ち入ることはできない、とナルトは理解していた。
だが、お節介はヒーローの本質である。
例え、手を払われようが、傷付いた女性を前に手を差し出さないという選択肢はナルトにはなかった。
──やはり、厄介なことになりましたか。
二人の様子をジッと観察するカブトは苦虫を噛み潰した顔をし、乱入者の顔を確認していく。
ナルトの傍で青い顔をしながら、口に手を当てているシズネ。そして、地面に向かって、胃の内容物を全て戻している自来也。
それを見た大蛇丸は、表情一つ動かさない。彼らの前で苦い表情を浮かべているカブトとは対照的だ。
「久しぶりね、自来也」
「話し……うぷ……かけるんじゃ……ぺっ……ねーのォ……大蛇丸」
震える両腕を地面につき、なんとか体を起こした自来也は大蛇丸を睨み付ける。
「それにしても、自来也。みっともないわね」
「うるさい」
「綱手に薬を盛られたって所かしら? それとも二日酔い?」
「ナルトに負ぶられたからだっつーの」
「輪をかけて、みっともないわね、それ」
「ぐっ!」
口では大蛇丸に勝てない。
昔からそうだったことを思い出した自来也は閉口する。
「ナルト!」
「む?」
「ワシの思惑通り、吐いたことでスッキリした。昨日の酒も薬も抜けたのォ」
「それは思畳。されども、汚した分は後で片付けるべきだ、師よ」
「わかってるっつーの。だが……まずは昔の因縁から片付けねーとのォ」
自来也は口を拭い、改めて変わってしまった
あの日……大蛇丸が里を抜けた時、彼を止めるため戦った最後の忍が自来也だ。あの日に止めることができていれば、今日の木ノ葉の被害はなかった。いや、その前に気づけていれば、人体実験の検体に木ノ葉の忍が使われる前に、大蛇丸の野望に気がついていれば……。
もしかしたら、また、笑い合えていたかもしれない。
そこまで考え、自来也は真っ直ぐ前を見つめた。
「大蛇丸はワシに任せろ」
木ノ葉の三忍。自来也、大蛇丸、そして、綱手。すでに道は違えた。だから……忍であるからこそ……彼の友だったからこそ……その先は戦いしかない。
その気持ちを汲んだのだろう。
自来也に向かって頷いたナルトは大蛇丸から目線を動かす。
「承知。だが、戦いを始める前に……一つ聞きたいことがある」
「なんだ?」
「カブト殿」
「……」
ジッと自分を見つめるナルトに対し、カブトは無言を返答とする。
「信じたくはなかったが……。やはり、貴殿が……」
「思ったより利口だね、ナルトくん。まさか鈍感な君に気づかれるとは。でも、どこで気がついたんだい? ボクは完璧に人のいい下忍“薬師カブト”を演じていたハズだ」
「どこで気がついた、か」
カブトの視線を遮るように綱手と彼女を介抱しているシズネの前にナルトは進み出た。
そして、ナルトはカブトから目を離すことなく、言い放つ。
「勘だ」
「……そういう奴だったね、君は」
ナルトについて理解することを諦め、カブトは肩を竦める。
「して……答えは?」
「そうだよ。ボクは大蛇丸様の部下、音隠れのスパイだったんだよ」
「違う」
「……違う?」
「貴殿がサスケと我愛羅の闘いを汚したのか?」
中忍試験の際、サスケと我愛羅の闘いで幻術を会場中にかけた下手人。それがカブトだった。
「汚した……ねぇ」
首筋がチリチリと痒くなる。
ナルトの闘志による影響だ。
「そうだよ」
それを気に止めることなく、カブトは言い放つ。
「然らば……」
ナルトからの圧力が増す。
同時に首筋の痒みが酷くなった。
「貴殿には罪を償って貰わねばならぬ」
「なら……」
全身の皮膚が泡立つ。
久方ぶりに感じる戦場の空気。命が
それを肺一杯に吸い込み、カブトは嗤って見せる。
「来いよ、ナルトくん!」
「応ッ!」
瞬間、ナルトの姿が掻き消えた。カブトは瞬時に体を捻る。
「むッ!?」
「遅いよ」
スパンといい音が鳴り、ナルトの頭が揺さぶられる。
揺れる視界の中、ナルトの目にカブトの足が写っていた。ナルトの体はグラリと崩れ、地面に膝を着かされる結果となる。
ナルトの拳をかわすと同時に上段蹴りを放ったカブトの攻撃。それはカブトの思惑通り、ナルトの顎に当たることで次の行動を阻害した。
だが、上手く行きすぎたことがカブトの警戒に引っ掛かる。
トンッと地面を蹴り、膝を着くナルトから距離を取ったカブトは、鋭い目付きでナルトを観察する。
そもそも、考え通りに戦闘が進むことなど、忍同士の戦いではあり得ないことだとカブトのこれまでの経験が語っていた。
忍の戦闘では“騙し”が有効な手段だ。下忍でも扱うことができる変わり身の術が、その代表とも言えるだろう。
そして、その手段は、格上の忍だとしても有効であることは、先の綱手との戦闘でも明らか。
一度、変わり身の術を使うことで、敵からの追撃を回避し、不利な盤上をリセットする。それが、“騙し”の哲。
それ故に、カブトは第二、第三の矢としての戦術を組み立てていた。
体にチャクラを流し、傷を負えば、すぐに治癒忍術が発動できるようにしていること。ナルトの攻撃が当たる箇所を予想し、そこからチャクラを放出することで攻撃を無効化しようとしていること。
どちらも、ナルトの攻撃があることを、ナルトが自分の蹴りでダメージを受けないことを基にしていた。
「くっ……」
だが、今、目の前にはナルトが蹲っている。
ナルトを観察した時間は多くない。中忍試験、第二の試験会場である死の森で過ごした数日にも満たない時間だけだ。
しかしながら、その時間の中で集めた情報から算出したデータを基にしたシミュレーションでは、一発、たった一発の蹴りでナルトを止めることなどできてはいなかった。
ならば、何か策があり、自分の蹴りをクリーンヒットさせられたのだろうとカブトが考えるのは当然。だが、その後に続く攻撃はない。
ナルトの後ろにいた自来也は、カブトの後ろにいた大蛇丸との戦闘のために場所を移している。シズネは綱手の傍に控え、彼女を回復させている最中だ。
追撃などしようにも、他の誰もが連携を取ることができない状況。
で、あるならば、答えは一つしかない。
「ナルトくん」
「む……」
「君……弱くなっているね?」
「……」
ナルトはカブトの質問に言葉を返すことができない。
だが、その沈黙はナルトの今の状態を雄弁に語っていた。
「弱くなっていると言うのは少し違うか。チャクラが切れていると言った方が正確かな?」
「……」
「自来也様が君と一緒に行動しているのは、“暁”対策。違うかい?」
「……“暁”?」
「そう、非合法テロ組織さ。黒地に赤い雲の意匠が入ったロングコートを身に纏った奴らだよ」
数日前に出会った二人組の顔が、ナルトの脳裏に過る。
「イタチ殿と鬼鮫殿か」
「ああ、もう会っていたんだね」
「然り」
「奴らが狙っているのは各里が保有している戦略兵器の“尾獣”。君の中に封印されている九尾も含めてね。おそらく、自来也様は君を餌に暁を釣ろうとした。その目的は今の暁の情報収集能力を計るためってところかな?」
「違う! 師は、そのような下劣な人間では決してない!」
「なら、もう一つの予想が正解だ」
「もう一つの……予想?」
カブトの眼鏡が光を反射し、白に染まり、彼の表情を窺うことができないようにする。
「自来也様は君に修行をつけた。これがもう一つの予想だよ」
「どこで、それを?」
「勘だね」
「……」
先ほどのナルトの発言と同一の発言。これはつまり、煽っているのだ。
すでに底は見えた。体力の限界まで後、少し。そのような体術オンリーの忍相手に自分が負けることはない。
これは驕りなどではなく、純粋な力の差だ。実力が同じ相手でも、片方は疲れ切っている状態、もう片方は万全とはいかないまでも体力が充分ある状態。どちらが有利かは明白。
そして、ナルトとカブトの実力の差は大きい。ナルトの体術は確かに上忍レベル。だが、それ以外の忍術、幻術に関しては御粗末と呼べる程度。対して、カブトは体術、忍術、幻術はおろか、医療忍術まで納めた秀才。いや、弱冠二十歳であることを鑑みると、天才とも呼べる。
そのことを身に染みて理解していたのは綱手だ。
「どけ!」
「綱手様!」
「む!?」
シズネによる回復はまだ途中。シズネの呼び止める声を無視し、綱手は駆ける。
カブトの手がポーチに伸び、クナイを掴んだ。
ニヤリと笑みを浮かべるカブトに対し、綱手の表情が再び怒気に染まる。
「嘗めるな!」
綱手はチャクラを全身に漲らせた。
クナイが振られるよりワンテンポ、自分の攻撃が早い。
そう考えた綱手が右腕を引き絞った瞬間、カブトのクナイが振り切られた。
「!?」
クナイが当たる距離ではない。例え、クナイを投げたところで、綱手が全身に回したチャクラが投擲を防ぐ結果となっただろう。
だが、カブトのクナイが切り裂いたのは、自分の右手首だった。
──血……!!
「ボクは貴女を嘗めてません。だから……」
「綱手殿!」
カブトは握った左拳を綱手の顔に向けて放つ。
クナイが綱手を必要以上に傷つけないように配慮した攻撃であったが、チャクラで強化した拳は綱手の体を先ほどまで彼女が居た場所に吹き飛ばした。
「貴女にはこれ以上、動くことは許さない。君もね」
「!?」
事も無げにカブトの左手から放たれたクナイがナルトに向かう。まだ、体の自由を取り戻すことができていないナルトは、それをただ見つめるだけ。それしかできなかった。
だが。
「ナルトくん!」
「!?」
「バカな女だね」
遠くでカブトの冷罵が聞こえた。ザクッと肉に向かって刃物が刺さる音がした。そして、自分に覆い被さる柔らかい体。
「……シズネ殿?」
「ナルトくん。よかった……無事で」
「シ、シズ……シズネ殿!」
狼狽するナルト。
「シズネ殿。そして、綱手殿もきっと笑顔の方がよく似合う。華が咲き乱れる春のような笑顔が」
そう言った。確かに、そう言っていた。
抱き抱えたシズネの表情を見る。首を動かし、体を震わせている綱手の表情を見る。
「……」
苦悶の表情だった。
どうすれば……どうすれば、いい?
師である自来也は大蛇丸との戦闘のため、この場を離れた。少し遠くの方で戦いの音がなっていることから、手を離すことができない状況だろう。いや、場所を移して、自来也がここに来ると大蛇丸まで連れてきてしまう。
そうなれば、自来也にかかる負担は相当なもの。深手を負ったシズネ、そして、血をかけられたことで取り乱して動くことのできない綱手。さらに、疲れて動くことができない情けない自分を庇いながら、大蛇丸とカブトを同時に相手取らなくてはならない。
──無理だ。
ナルトの頭に暗い声が響く。
──狐……殿……?
──お前では奴に勝てん。解っているだろう?
──それは……。
──ワシに体を明け渡せ。ワシが奴ら二人を纏めて屠ってやろう。
──……。
──難しいことはない。お前はただ眠りにつくだけだ。眠っている内にワシが全てを終わらせてやる。
──狐殿。
──ああ。
──心配をかけた。
──……。
──チャクラが尽きている。その通りだ。目の前でおめおめと二人の女性が傷つけられた。その通りだ。
──……。
──一度は矜持が折られかけた。それも、その通りだ。だが……だが!
ナルトは顔を上げ、カブトを睨み付ける。
「己は火影に至る者。他者の力を頼みにし引き下がるなど、何が火影か。強者を前にして蹲るなど、何が火影か。仲間の笑顔を守れずして、何が火影か!」
全身にチャクラを流す。
腕も、足も震わせながらも、ナルトは立ち上がり、ふらつく足取りながらも歩き、そして、抱えたシズネを綱手の隣に下ろした。
「ナルト……」
「ナルトくん……」
「済まない。挽回の機会を今一度、願う」
二人に背を向けたナルトはカブトに向き直る。体だけではない。闘志もカブトに向いていた。
岩の上に立つ自来也と大蛇丸もまた、ナルトに目を向けていた。
「フフ……」
大蛇丸の笑い声。それを耳にした自来也は彼に目を遣る。が、大蛇丸の視線はナルトから動かない。
「かつては里の狂気とも呼ばれたアナタが、あんな子一人連れ回して里のために奔走するとは落ちたもの。私の才能を見抜く力は誰よりも確か。あの子は私の目から見れば、凡庸そのもの」
「フッ……だからこそだ。ワシはうちはのガキなんていらねーよ。初めから出来のいい天才を育てても面白くねーからのォ」
「クク……かつての自分を見ているようで放っておけないってワケ? 生まれつき写輪眼という忍の才を受け継ぐうちはに、あの子は勝てない。なぜなら、ナルトくんは写輪眼を持っていないから。忍の才能とは、世にある全ての術を用い、極めることが出来るか否かにある。忍者とはその名の通り、“忍術を扱う者”を指す」
「忍の才能はそんなとこにありゃしねぇ。まだ分からねーのか?」
大蛇丸はナルトに向けていた目線を自来也に向ける。
「……」
「忍者とは“忍び堪える者”のことなんだよ」
「見解の相違ね」
「一つテメーに教えといてやる。忍の才能で一番、大切なのは持ってる術の数なんかじゃねぇ……大切なのは」
対して、自来也は大蛇丸に向けていた目線をナルトに向けた。
「あきらめねェ弩根性だ」
ナルトは大きく息を吸う。
「弱さを悟り! 未熟さを知り! されども、ここで止まることなど不可能!」
うずまきナルト。
「過去の悲しみ! 全てを知り! それでも、進み続けると己は誓う!」
“ド根性忍伝”の主人公である“ナルト”から取られた名前。
「なれば、立ち上がり前を向く! 腕を広げ、皆を護る!」
“超弩級! 筋肉列伝! ”から受け取った精神。そして、筋肉。
「英雄たちの遺志を継いだ、この体!」
「この石に刻んである無数の名前。これは全て里で“英雄”と呼ばれている忍者たちだ」
ナルトの脳裏にカカシの言葉が過る。それは、第七班として初めて顔を会わせたサバイバル演習でのこと。殉職した忍たちの無念、そして、なぜ命を落としてまでも里のために命を懸けたのか。
言葉にせずともナルトは理解していた。心で。
「貴殿らに打ち崩させはせぬ! 遺志も! 石も! 意思も! 己は火影に至る者! 名は……」
だからこそ、ナルトは吠えるのだ。
「うずまきナルト!」
「……ナルトくん」
ナルトの宣言。
それを真っ向から受け止めたカブトは、これまでに見せなかった表情を浮かべる。
「随分と……はしゃぐね」
その
一切の生命を認めない鬼のような表情だった。
「もうガキじゃないんだから、はしゃぐのは止めた方がいいね。状況次第で諦めて、逃げたい時には逃げたらいい」
「……」
「いやいやいや……何、その目? 死ぬんだよ! 死んだら夢も何もないんだよ!」
「……」
「ガキは全てが簡単だと思ってる……だからバカげた夢を平気で口にする。だから、諦めない。そして、死ぬんだ」
「真っ直ぐ、自らの言葉は曲げぬ」
「!?」
「それが……己の忍道だ」
「そう。最期まで意地を張り続けるんだね、君は。死んだら、何もかも……夢も何もないのに」
「いや……」
「ん?」
「死んでも尚、残り続けるものが在る。それは貴殿も理解している。そうだろう、カブト殿」
「ッ!?」
「誰?」
灰色に色褪せた記憶、頭の奥底に押し込んだハズの記憶。それが揺さ振られてしまう。
それは触れてはならない記憶。死に逝く大切な人に、すげ替えられた自分しか残すことができなかった記憶だ。
「死んだら!」
それ以上、思い返すことのないように、カブトは声を張り上げた。
「何も! 何もないんだよ!」
大蛇丸の前ですら見せることのなかった表情。
純粋な怒りがカブトの表情に顕れ出ていた。
そして、感情の赴くままに体は動く。
ポーチからクナイを出し、力一杯握りしめ、足は全力で地を蹴る。
全ては、分かったようなことを言う“ガキ”の口を封じるために。
「ナルト!」
「ナルトくん!」
綱手とシズネが叫ぶが遅い。
すでにナルトに肉薄していたカブトは、ナルトの首に向かってクナイを突き出した。
「!?」
血が噴き出し、カブトの顔にかかる。
が、その血はナルトの左手から流れている。避けることなく、ナルトは左手を犠牲にすることでカブトの攻撃を防いだのだ。
「なにッ!」
そして、左手の指を曲げ、カブトの右手をしっかりと掴むナルト。
ゆっくりと顔を上げるカブト。頭が丸々一つ分高いナルトと目が合った。
「ヒッ!」
思わず、息を吸い込む。
太陽で逆光になり、その顔の大部分は影に覆われて確認することは難しかったが、優しいものだった。例えるのならば、観音菩薩だろうか。慈悲に溢れた表情で、見るものに心の平穏をもたらす、その表情が、今のカブトにはこれ以上ないほどに恐ろしく感じた。
「は、離せ!」
我武者羅にナルトを殴りつけるが、効果はない。固くも柔らかい大胸筋に阻まれるのみである。
「離せよ! この!」
ナルトはカブトの攻撃を無視し、柔らかい表情を浮かべたまま、右手に集中する。
この七日間の修行でナルトが集中のために必要だと悟ったこと。それがリラックスだ。体から余分な力を抜くことで集中が高まる。だが、今に至るまで、完璧なリラックスをすることができなかった。
だが、今は違う。
体は疲れ切り、睡眠を欲している。不眠不休の無茶な修行のせいだ。しかしながら、それが功を奏した。
体が休息をこれ以上ないほどに求めている今のナルトの体は、副交感神経が優位となっている。
副交感神経というのは体のブレーキとも言えるもの。血管を拡張させ、血圧を下げ、気分を落ち着かせる面がある。
そうした後、頭の中の余分な考えを一旦、消すことができる。
強制的にリラックス状態となったナルトの体は切り替わる。副交感神経から交感神経へと。
副交感神経とは逆の交感神経は体のアクセルとも言えるもの。血管を収縮させ、血圧を上げ、気分を高める。
そして、一気に集中モードに入ることができる。
今のナルトの状態はスポーツでいうゾーンの状態に近い。体の全てが自分の思い通りに動く最高の状態だ。これまでに積み上げてきた練習。そこで身に付けた最高最適最善の動きを完璧に行うことができる。
それがゾーンと呼ばれる状態。
そして、稀にではあるが、ゾーンを越えた状態に至れる者もいる。
練習ではできなかった動き。頭の中ではできていた理想の動き。それができる。
それまで出来なかったことが出来るようになること。つまり、真髄を得たのだ。
「なにッ!」
ドンッとナルトの右腕から大量のチャクラが放出された。
ナルトは理解したのだ。
少しずつチャクラを高めながら回転させ球状に留める。それは自分に合っていない方法だったのだと。
先にチャクラを大量に放出し、そのチャクラを力で以て圧縮する方法が自分には合っていると理解したのだ。
ナルトの右手から放出されたチャクラは形を変え、球状になっていく。そして、その中の回転は異様なほどに速くなり、高音を奏でる。
「綱手殿。己は……己は火影に至るまで……絶対に死なぬ」
──マ、マズい!
カブトはナルトの右手から目を離し、ナルトの顔を再び、見上げる。
今のナルトは交感神経が優位の状態。体のアクセルを限界まで踏み込んだ一種の興奮状態だ。
つまり、今のナルトの表情は……。
「ヒッ!?」
阿修羅そのものであった。
怒り一色の表情。流石のカブトと言えども、これからの攻撃は耐えられないと理解した。
眼前に迫る死の恐怖。それがカブトの脳を限界まで働かせた。
──これなら!
再度、ナルトの大胸筋に左手を突き出す。今度はチャクラ
──これなら……?
が、ナルトの表情は変わらない。
カブトの攻撃はナルトの心筋を絶ち切るほどの攻撃。常人ならば、地面を転げ回るほどの痛み。苦痛と呼ぶのすら生温いほどの痛み。
だが、今のナルトは興奮状態。どのような痛みも彼の動きを止める障害には成り得ない。
かくして、ナルトの右腕は大きく引かれた。ナルトは怒りの籠った目でカブトを見下ろす。
その怒りはどこから来たものか? 決まっている。彼の後ろにいる二人の淑女を傷つけた怒りだ。
右手の指が曲げられ、真球となっていたチャクラの塊が歪み始める。
「や、止め……!」
血が苦手な綱手に血をかけた卑劣な行為。自分の盾になったシズネに向かって嘲るという悪鬼にも劣る行為。
チャクラの塊の歪みが大きくなる。
許せるか? いいや、許せる訳がない。
カブトに向かってナルトは右手を突き出した。
怒りのまま、拳を握りしめた。
チャクラの塊がカブトに当たる直前、ナルトの握力により弾け飛んだ。
「螺旋丸!」
──それ、ただのパンチ!
その思考を最後に、カブトの体は吹き飛び、背後にあった岩にぶつかるのだった。