『忍者を辞めろ』
カカシの声が演習場に響く。新米の下忍に突き付けられた明確な拒絶。
お前たちは忍になってはいけない。
言葉の外にあるカカシの意志を受け取った三人は受けた衝撃で何もいうことはできなかった。
カカシの気迫に思わず息を呑む。
ややあって、言葉を纏めたナルトが口を開いた。
「鈴を取れぬ己らには忍としての才がないということか?」
常よりも低い声でナルトは尋ねる。それは自らに対する怒りを無理矢理押し殺しているような声。
「ああ。どいつもこいつも忍者になる資格もねェガキだってことだよ」
冷たく言い放つカカシ。それは一部の隙もなく彼ら三人を認めない言葉だった。
──天は自ら助くる者を助く。
自分の力を信じ、行動する者に天運は味方するものだ。
カカシの言葉に奥歯を噛み締めたのはサスケだ。こんな所で立ち止まっては自らの野望……復讐を達成することなどできはしない。
「あ! サスケくん!」
サクラの声を後ろにサスケは走る。目的はカカシに自らの力を認めさせ、先ほどの“ガキ”という発言を撤回させること。
握りしめた右手に力を籠め、サスケは駆けた。
──天は自ら助くる者を助く。
そうは言っても、その努力の方向が自分を認めない者の排除という負の方向に向かう場合、天は彼を助けることはない。
自分の身に何が起こったのか?
サスケは理解できなかった。例え、理解が追い付いても彼は認められなかっただろう。そのプライドの高さ故に……刹那に自分が地面に押し付けられて身動きが一切取れなくなっていることを彼は認めることは彼の心を深く傷つけることになる。
「だから、ガキだってんだ」
「サスケくんを踏むなんて、ダメーッ!」
サクラの叫び通り、サスケの頭にはカカシの足が置かれていた。地面に倒れ、身動きが取れないように頭を踏まれている。
これ以上ないほどの屈辱的な状況に、逆にサスケの頭は冴えていく。天地が引っ繰り返っても自らの勝ちの目が見えない状況に追い込まれると、“うちは”の血は覚醒を促すカンフル剤と成り得るのだ。
負の意志を力に変えるうちは一族の末裔たるサスケもその血により覚醒を促される。
だが、まだ足りないようだ。
全身に血は巡り、力が湧いて来る。冷静になったサスケは、カカシを打ち倒そうと考えを巡らせるものの、既に状況は詰みだということを理解した。
その結果、サスケは悔しそうに唇を歪めることしかできなかったのだ。
「お前ら、忍者嘗めてんのか? あ? 何のために班ごとのチームに分けて演習やってると思ってる?」
「え? どーゆーこと?」
サクラの疑問にカカシは淡々と答える。
「つまり、お前らはこの試験の答えをまるで理解していない」
「答え……とは?」
「そうだ。この試験の合否を判断する答えだ」
「だから、さっきからそれが聞きたいんです」
「……ったく」
心底呆れた。
カカシの呟きは彼の心情を明確に表していた。
「答え。それは、チームワークだ。三人でくれば、鈴を取れたかもな」
「なんで、鈴二つしかないのに、チームワークなわけェ!? 三人で必死に鈴取ったとしても一人我慢しなきゃなんないなんて、チームワークどころか仲間割れよ!」
心底呆れた。
カカシの視線は彼の心情を明確に表していた。
「当たり前だ。これは“わざと”仲間割れするよう仕組んだ試験だ」
「え!?」
「この仕組まれた試験内容の状況下でも、尚、自分の利害に関係なくチームワークを優先できる者を選抜するのが目的だった。それなのに、お前らときたら……」
カカシが始めに目を向けたのはサクラだ。
「サクラ。お前はナルトがオレと闘っている間、日和見に徹するだけ。ナルトの援護、そして、サスケのように罠を仕掛ける準備をすることもなかった」
カカシは次にナルトに目を向ける。
「ナルト。お前は馬鹿正直に向かって来るだけ。鈴を優先させることもなく、オレとの闘いを優先させた」
最後にカカシは自分の下にいるサスケへと目を向けた。
「サスケ。お前は二人を足手纏いだと決めつけ個人プレイ。例え、鈴をオレから取れたとしても、それじゃあ、合格はさせられない」
一度、目を閉じたカカシだが、すぐに目を開いて三人を順々に見遣る。
「任務は班で行う! 確かに、忍者にとって卓越した個人技能は必要だ。が、それ以上に重要視されるのは“チームワーク”! チームワークを乱す個人プレイは仲間を危機に陥れ……殺すことになる。例えば、だ」
カカシは取り出したクナイをサスケの首元に当てる。
「サクラ! ナルトを殺せ。さもないとサスケが死ぬぞ」
「!!」
「と、こうなる。人質を取られた挙句、無理な二択を迫られ殺される。任務は命懸けの仕事ばかりだ」
サスケから降りたカカシは丸太の後ろに向かって歩く。開放されたサスケがナルトとサクラの元へと戻るタイミングでカカシは口を開いた。
「これを見ろ」
丸太が隠すように配置されていた小さな石碑をカカシは指し示す。
「この石に刻んである無数の名前。これは全て里で“英雄”と呼ばれている忍者たちだ」
「英雄……」
カカシは声を出したナルトをチラと見た後、すぐに石碑へと視線を戻す。
「が、ただの英雄じゃない。ここに刻まれている名前は……全て任務中、殉職した英雄たちだ」
下忍である三人の顔色が変わる。やっと理解できたのだろう。“忍”がどのようなものなのか。憧れだけでは決して至ることはない。忍の頂点を目指すナルトにとって、カカシの言葉は重かった。
今、生きている者だけではなく、慰霊碑に刻まれた名前、全てを背負っていく。それが火影だ。死者の念を力に変え、生きるものを導き助ける。
それが、己にできるのか? 疑問はグルグルとナルトの頭を回る。
「これは慰霊碑。この中にはオレの親友の名も刻まれている」
目から光が消えたカカシは何を想うのだろうか?
過去の後悔、今に至るまでの自らの足跡。いなくなった親友たちに胸を張って会うことはできないという咎め。
「……お前ら。最後にもう一度だけチャンスをやる。ただし、昼からはもっと過酷な鈴取り合戦だ」
過去を振り切ったカカシはナルトたちへと振り返る。
本当にお前たちは忍を目指すのか?
カカシにそう問われているような感覚。それを覚えたナルトは静かに覚悟を決めた。
「挑戦したい奴だけ残れ。弁当はお前らにやる」
「でも、カカシ先生。お弁当は二つしか……」
「オレが知るか。その弁当は合格した二名に食わせるつもりで用意した弁当だ。元々、お前らみたいな不合格者に食わせるつもりなんかはなかったんだよ」
カカシはナルトたちに背を向けた。
「不合格のお前らにチャンスを与えてやってるってことを忘れるな。30分後、試験を改めて開始する」
煙に包まれ、姿を消すカカシ。瞬身の術だ。
一瞬にして姿を晦ませたカカシを見送った三人は押し黙る。
吹き抜ける春の風。
爽やかさを想起させる風であるが、演習場には重苦しい雰囲気が充満していた。
それを打ち破るかの如く動きがあった。二つの手が伸びる。ナルトとサスケだ。
置かれた弁当を手に取ったのは彼らだった。
──そうだよね。
サクラは思う。
サスケくんもナルトも私とじゃ覚悟が違う。私はサスケくんに認められたいっていう理由で忍になろうとした。それじゃあ、二人よりも遅れるのは仕方ないよね。
サクラは目を伏せる。
と、サクラの視界の中に二つの影が映った。
「え?」
弁当を手に取ってから、間髪入れずにナルトとサスケの二人はサクラへと弁当を差し出したのだった。
「子女を優先させるは己が自らへと誓ったこと。貴殿が食べるべきだ」
「ナルト、それはお前が食え。サクラにはオレの弁当をやる」
「サスケ、それでは貴殿の体力が持たないだろう?」
「バカみたいに燃費が悪いお前が飯を食わずに試験を受けたら足手纏いなんだよ。次は奴も本気で来るだろう。その時に動けなくなると迷惑だ」
サクラは大きく目を開ける。
自分が二人と同じ覚悟、忍になるという決意をしていると彼らは信じて疑わない。自分たちと同じ心を持っていると二人は自分を信じている。サクラの胸に熱いものが込み上げた。
──やってやろうじゃない。しゃーんなろー!
今、自分が二人のためにできること。
「あの……三人で分け合えばいいんじゃないかな?」
それは頑固な二人の間を取り持つことだろう。どちらも自分の弁当をサクラへ譲ろうとする。それならば、いっそ三人で分け合いカカシへと挑むこと。それがチームワークのための第一歩であろう。
「お前がそういうなら」
「ならば、有難く頂く」
サクラは思う。
自分を曲げることのないナルトとサスケ。強い故に折れることを知らない二人。ならば、自分が二人の間に入る歯車となり、より良い関係を築く。
二つの弁当を分け合う三人の姿。彼らを木の影から見つめるカカシの表情は優しいものとなっていた。
だが、彼はすぐに表情を引き締める。彼らはまだ入り口に足を踏み入れただけ。カカシの求めるチームワークを見せることができるかどうかは、これからに掛かっている。
+++
風が木の葉を揺らす。
今度の風は重苦しい雰囲気に潰されなかった。作戦を立ててきたのだろう。三人の新米下忍たちは自信を見せつけるように胸を張っている。
そんな彼らを挑発するようにカカシはマスクの後ろで唇を歪めた。
「で……お前らは本気で忍になりたいって訳ね」
「無論!」
「フン」
「はい!」
三人が一様に頷く様を見たカカシは目を鋭くした。
「チームワークってのができているか見せて貰おうか」
「承知!」
『来い』というように顎を刳るカカシ。それを開始の合図と見たナルトは地面を蹴った。
初撃はナルトだ。
空中へと飛び出したナルトは右腕を大きく振り上げる。
──マズイな。
本能が鳴らす警鐘に従い、カカシは地面を蹴った。方向はナルトと同じ。つまり、カカシにとっては後ろへと下がったのだ。
カカシがナルトの拳を躱すと、遮るものはないナルトの拳は地面へと突き刺さった。
「ッ!?」
ナルトの拳が地面へと当たり、一拍置いた後に響くは轟音。それと同時にナルトの拳を起点として地面が陥没する。
躱していなかったとすると……。
自らの想像でカカシは背中に冷たいものが流れるのを感じた。
──待て。
カカシは安堵と共に疑問も感じた。
威力が高いナルトの拳だ。なら、なぜ午前中の闘いでは使ってこなかったのか? 何かリスクがあるからこそ、使ってこなかったのではないか? そう仮定するならばリスクとは……。
カカシはほくそ笑む。身体エネルギーのみで地面を陥没させるほどの威力の拳だ。すぐに使える身体エネルギーを使い切るほどだとカカシは当たりを付ける。
単純に言えば疲れて動けない。今のナルトの状態はそうだろう。
罅割れ崩れた足元からナルトへと視線を移す。
「サス……ケッ!?」
カカシの視線の先にはナルトの背中に一旦着陸して、すぐに自らに向かって来る青い服の少年の姿。
足元の状態が悪い。避けきれない。
カカシは気づく。
それを見越して……いや、その状況に追い込むためにナルトの拳を地面に当てたのか。
半径2mほどとはいえ、まだ体が出来上がっていない少年少女らには、罅割れた地面で速く移動するというのは難しい。それで、地面を陥没させるほどに力を振り絞って動けないナルトを足場にしてカカシへの本命の攻撃を当てる。
──それだけじゃない。
顔へと向かってきた小さな右の拳を払いながら、カカシは周りへと気を配る。
ナルトとサスケは両方ともオレへの攻撃を優先させた。チームワークの意味が分かっているなら、ここで来るハズだ。
カカシの右目が陥没した箇所を迂回して自らに迫る桜色を捉えた。
ナルトとサスケの攻撃でオレの注意を外し、その間にサクラが直接、鈴を狙う。いいコンビネーションだ。
チームワークを理解した三人の連携攻撃。
それが見えた今回、ここで試験は終了とするのが一般的である。目的は達成したのだから。
だが、カカシは良くも悪くも一般的な上忍ではない。木ノ葉の里の中でも類を見ないほど、異例な出世。そして、その全ては彼が己の実力で勝ち取った正当な評価だ。
だからこそ、彼はこう考えた。
『もっと見てみたい』と。
カカシが考えを纏めた時間は僅かコンマ2秒。
目の前の右手の攻撃をカカシが払った後、左手の拳を握り締めるまでの間の短い間であった。
「フッ……」
カカシは右の拳に次いで繰り出された左の拳を受け止め、前方へと押し出した。目の前の二人を接触させて地面へと転がそうという考えだ。
そして、その隙を突くように鈴へと迫っていた桜色を捕まえる。
「ナルトォ!」
「限界を……超える!」
カカシは捕まえる手を間違えた。
ボンという音がしてカカシが捕まえていた手から煙が上がる。煙の中、カカシは気づく。
白煙から見える僅かな色。それは桜色などではなく濡烏の如し黒い色。カカシが捕まえていたのはサクラへと変化していたサスケだった。
──ハメられた!
サスケの姿に変化していた誰かの方を向く。
そこには、予定調和というべきかサスケへの変化を解いたサクラの姿があった。煙に包まれたサクラの足があるのはナルトの拳。常人よりも大きな彼の拳にはサクラの小さな足が乗せられている。
そこから推測できる可能性の一つに思い至り、カカシは顔色を変えた。
「ふんぬ!」
拳を振り切るナルト。乗っていたナルトの拳に弾かれたサクラの体は真っ直ぐにカカシへと向かって飛ぶ。
「しゃーんなろぉおおお!」
左手は鈴を取ろうとするサスケの手に阻まれている。そして、右手は先ほどサクラをナルトに向かって弾いた時に大きく振り切ってしまっている。
戻すには間に合わない。
そのことにカカシが気づいたのと、カカシの体にサクラの拳が当たるのは同じタイミングだった。
「ぐっ!」
ぐらつくカカシの体。
しかし、流石は上忍と言おうか、体全ての筋肉を上手く使ってサクラが自分へと与えた衝撃を地面へと流した。カカシは倒れることこそなかったが、それでも致命的な隙を見せてしまっていた。
左手の力が緩んだ一瞬の隙を突いてサスケはカカシから離れる。それと同時にチリンという微かな音がしたことから、サスケは鈴を獲得したのだろう。
だが、もう一つは距離が遠かったようで、まだカカシの腰にある。
「ナルト! お願い!」
「承知!」
サクラの声に反応したのはカカシの前にいるナルト。
サスケが深追いをせずに一つ鈴を取った後に離脱した理由をカカシは理解した。ナルトを信用していたからこそ、サスケはナルトの進行方向から身を引いたのだ、と。
ナルトはカカシの腰に下げられた鈴を見据える。
体力はない。
それでも尚、ナルトは駆ける。彼は地面を殴りつけた際、ウエイトリフティングの如く一瞬で体力を使い切っていた。
ここまでしてくれた仲間の為、立ち止まることなどは許されない! 例え、サスケとサクラが動けない己を許そうが、己はここで動かない己を許すことなどできない!
奥歯を痛いほどに噛み締め、ナルトは駆ける。
体力はない。ならば、気力で補えばいい。全身の筋肉が悲鳴を上げるが、ナルトはそれでもただ一つの目標に向かって駆けた。
忍者は裏の裏を読め、か。
カカシは自分がナルトに語った言葉を反芻する。
──そういうことじゃないんだけどなぁ。
カカシは呆れたように笑いながら、腰に下げた鈴が取られる感触を感じていたのだった。
+++
『試験は終了』
カカシの言葉を聞いた三人は動きを止める。
ナルトは肩で大きく息をしながら、サスケはカカシに掴まれた左手を擦りながら、サクラは地面へと座り込みながらカカシの次の言葉を待っていた。
「鈴をオレから取ったのはナルトとサスケだけど……」
鈴を取ったのはナルトとサスケ。それは変わらない事実だ。
そして、カカシは試験前にこうも言っていた。
『ここに鈴が二つある。これを、オレから昼までに奪い取ることが課題だ……で! 鈴を取れない奴は任務失敗ってことで失格だ! つまり、この中で最低でも一人は学校へ戻って貰うことになる訳だ』
鈴は二つ。
自分は鈴を取れなかった。その事実は覆ることはない。思わず、サクラの目に涙が滲む。
「……サクラ、ほら」
「え?」
銀色がカカシの手から放たれる。その銀色は放物線を描きながらサクラの手に収まった。
「これって……鈴?」
「そう、鈴。つまり、ここにいる三人は全員合格だな。『ここに鈴がある』ってみせた以外にも、もう一つ鈴を持っていたオレから鈴を取ったサクラも文句なしに合格だ」
「で、でも!」
合格は嬉しい。だが、それはルール違反ではないのか?
サクラの心情を見抜いたカカシは、三人からは見えないのだが、マスクの裏で口元に笑みを浮かべる。
「忍者は裏の裏を読むべし。忍者の世界でルールや掟を破る奴はクズ呼ばわりされる。けどな、仲間を大切にしない奴は……それ以上のクズだ」
カカシは優しい目で三人をぐるりと見渡した。
「オレはお前たちを仲間として認めた。改めて、これからよろしくな」
呆けているようにカカシの言葉を聞いていた三人だったが、やっと理解が追い付いてきたのだろう。合格の実感は興奮を伴い、彼らの表情を明るいものにさせる。
「これにて演習終わり! 全員合格! よォーしィ! 第七班は明日より任務開始だァ!」
三人に続いて、明るい雰囲気を出したカカシは親指を天に向かって立てた。
これから、三人はカカシが隊長となる第七班で様々な任務を積んでいくこととなる。そこには恐怖や悲しみがあることだろう。だが、それ以上に達成感や喜びも待っている。
無知な少年少女は今、忍の世界へと足を踏み出した。